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  • from: 22世紀さん

    2011年07月26日 20時22分13秒

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    池田大作「権力者」の構造

    池田大作「権力者」の構造 投稿者:管理人 投稿日:2011年 7月26日(火)20時15分28秒   通報 返信・引用
    池田独裁体制の確立

     こうして池田はスムーズに権力の膨大化に進んだが、彼の会長就任にまるで反対の動きがなかったわけではない。
     池田の就任二日後の昭和35年5月5日、元男子部第一部隊の隊長で、蒲田支部幹事の佐倉雅章、大野兼弘は、創価学会員30人ほどを引き抜いて会を割って出、顕徳会という分派を結成した。佐倉は32年の大阪参院補選で、2ヵ月の未決勾留人りするまで創価学会に尽くして、前述のように除名され、その後、復帰を許された会員の一人だったが、池田の会長の就任にまつわるすべてを、「きたない」として創価学会を見限ったのだという(『週刊コウロン』昭和35年7月19日号)。
     池田は佐倉宅に辻武寿、牛田寛、鈴木一弘、竜年光を向けて、彼をおどしたり、すかしたりしたが、5月11日に除名し、また日蓮正宗妙真寺にも意を通じて彼らを破門させ、運動を圧殺した。
     日蓮正宗からの破門は、信者にとって生命を絶たれるに等しかろう。が、池田はそのようなことに頓着なく、創価学会の日蓮正宗支配の威力と、自身の権力を想うがままにふるった。
     このころ大幹部たちは、たとえ池田に不満を持っても、叛旗をひるがえせなかった。彼らは故戸田を畏敬していたから、彼の、「ゆずる会長はひとりでありますが、そのときに、分裂があってはなりませんぞ」という遺訓にしばられたし、また反乱の失敗を思えば、それによって失うものがあまりにも大きすぎることに気つ゛いた。創価学会員の増加と組織機構の拡充は、彼らのパイの分け前を大きくしていた。それは池田の取り分に較べれば小さすぎたが、なんとか彼らの不満を慰めるほどには大きかった。
     しかし、大幹部たちは最初から、池田に絶大な権力を付与することを認めていたのではなかった。会長の権限は年々の発展の中で、池田の自負と欲望、周囲の阿諛追従と盲信に従い、醜悪なまでに肥大化した。それは独裁の制度が必然的に到達する個人崇拝の一大奇観であった。
     例えば昭和37年6月、創価学会規則が改定されたが、その会長に関する規定は、池田をかなり掣肘していた。要点を列記してみよう。
     ①会長は、創価学会の責任役員でもある。
     ②会長は、責任役員の一人であり、理事会によって選出される責任役員により選出される。
     ③会長は、理事会によって罷免されることがある。
     ④会長の任期は4年である。
     ⑤会長は、理事会を召集し、その会議を主宰する。
     池田は理事会で罷免され得、また任期を4年と限られていた。この時点では、池田の権限はまだ歯止めをかけられるほどに穏当であったが、昭和41年5月の規則になると、すでに池田の権力は独裁者のそれに完成する。
     ①会長は、創価学会の責任役員でもある。
     ②会長は、総務を統括する。
     ③会長は、幹部会(内21名が責任役員)を召集する権限をもつ。
     ④会長は、責任役員を任命し罷免する。
     ⑤会長は、副理事長、理事、その他の必要な役員を任命し罷免する。
     ⑥会長の任期は終身とする。
     ⑦会長は、後任を選ぶことができる。
    (ホワイト、宗教社会学研究会訳『創価学会レポート』による)
     任期が終身で、後継者まで指名できるとは、宗教が私事であるとはいえ、異常である。まして創価学会は公明党という公事に「一体不二」の関係を有したのである。
     昭和45年1月の規則は、41年の規則とほぼ同様だが、理事長の任免、代表役員等の諸点で、さらに独裁の強度を高めている。
     なお池田は創価学会の登記によれば、昭和38年7月15日、代表役員と責任役員を辞任し、10日間の空白期間を置いて7月26日に再度、代表役員兼責任役員に就いている。また39年5月2日に池田は代表役員を辞任し、翌3日、代表役員は原島宏治にかえられて同年7月16日まで続き、翌17日に池田が代表役員に三度就任している。
     これを創価学会の政変の露呈とする見方があるが、事実は事務手続き上の処置に過ぎなかったという。少なくとも39年5月の辞任は、「任期」4年の規定に従ったという説明がつくであろう。が、38年7月の就任は責任役員空席期の説明がつかない。
     この日、北条浩以下23名の、昭和35年5月以降に就任した新責任役員も退任しており、2日後の7月17日、それ以前に就任した旧責任役員7名が退任する。そして7月26日に彼らの全員が順序を変えて再任される。参考までに新順位(カッコ内は前の順位)を付して次に列挙してみよう。   ①池田大作(8) ②原島宏治(4) ③北条浩(9) ④辻武寿(6) ⑤小泉隆(1) ⑥和泉覚(2) ⑦秋谷城永(16) ⑧柏原ヤス(5) ⑨石田次男(7) ⑩森田一哉(10) ⑪竜年光(11)⑫白木義一郎(15) ⑬山田徹一(22) ⑭白木薫次(3) ⑮小平芳平(12) ⑯鈴木一弘(13)⑰北条雋八(17) ⑱森田悌二(18) ⑲牛田寛(14) ⑳星生務(19) 21田中正一(20)22渋谷邦彦(21) 23吉田顕之助(23) 24多田省吾(24) 25神尾武雄(25)26宮崎正義(26) 27中尾辰義(27) 28中西治雄(28) 29星野義雄(29)30上林繁次郎(30) 31竹入義勝(31) 32藤原行正(新任) 33渡部城克(新任)
     池田をはじめとして原島、北条浩、辻、秋谷、白木義一郎、山田の上位進出が眼につき、逆に小泉、和泉、柏原、石田、白木薫次、小平、鈴木、牛田などは下位に下がっている。おそらく会長、理事長、副理事長といった会の役職の実勢を反映したものだろう。池田体制の確立期は昭和38、9年頃とおさえてまず間違いではないと思われる。




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