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創価学会SGIを本音で語ろう

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  • from: アナンさん

    2011年10月30日 21時45分46秒

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    アナンです

    阿難(あなん、アーナンダ、阿難陀の音写略、名前は後述)は、釈迦の十大弟子の一人。多聞第一(たもん・だいいち)と称せられた。摩訶迦葉の跡を継いで仏法付法蔵の第3祖となった。

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  • from: 22世紀 - 2さん

    2011年10月30日 19時23分58秒

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    池田大作「権力者」の構造

    最初の敗北

     池田の敗北は昭和45(1970)年、出版妨害に対する世論の糾弾に始まっていた。公明党=創価学会の言論抑圧
    事件に触発、形成された同年上半期の世論は、その年を池田の前途におよぶ逓減的な敗北の年と決定した。それは
    澎湃たる盛り上がりの過程で、すでに「鶴タブー」を打ち破り、批判拒否という池田が長期享受してきた特権を剥奪して
    はいたが、より致命的な池田への痛打は、5月3日創価学会第33回本部総会での池田発言を引き出したことにあった。
     その日、池田は言論出版問題に関して妨害の事実を直接認めはしなかったものの、「関係者をはじめ、国民の皆さんに
    多大のご迷惑をおかけしたことを率直にお詫び申し上げる」「今後は、二度と、同じ轍を踏んではならぬ、と猛省したい」
    (池田『池田会長講演集』 三)と陳謝しなければならなかった。
     この謝辞そのものは、彼の無謬性という神話の破産と一定の良識性の表白と受け取られ、彼の権力にとっては正負
    両面に働くにとどまった。彼の終わりの始まりを真に決したのは、これに前後する次の四点の誓約にあった。
     ①政界不出馬 「私自身は、生涯、宗教人として生き抜く決意であり、政界に出るようなことは決してしない」
     ②国立戒壇の否定 「本門戒壇は国立である必要はない。・・・・・したがって政治進出は戒壇建立のための手段では
    絶対にない」
     ③創価学会と公明党の分離 「創価学会と公明党の関係は、あくまでも、制度のうえで、明確に分離していくとの原則
    を、さらに貫いていきたい・・・・・今後、たとえ票が減ろうと、議員数が減ろうと、それが世論の要望であり、本来のあり方
    であるならば、近代政党として、当然の道であります」
     ④強引な折伏活動の停止 「もはや教勢拡張のみに終始する時ではなく、一人一人の社会での成長が、最も望まれ
    る時運となってきた」「無理な学会活動をして、社会に迷惑をかけることは、大謗法であり、学会の敵であります」
    (池田前掲書)
     これらの発言は、今では不徹底な、偽りの多いものであったことが明らかにされているが、いずれにしろ、彼がここに、
    自らの上死点を定めたことを意味した。なぜなら彼は政界出馬という彼の野心と、その実現を保証する組織拡大策をこ
    れにより、すべて撤回したことになったからである。
     それまでの彼の野心は、公称会員755万世帯を擁する創価学会会長という現状に甘んじるものではなく、その組織を
    基盤とした上での「日本の最高権力者」、あるいは自らを首班とする公明党単独内閣の樹立にあった。いわば彼の政治
    的野心は、巨大な組織によって可能だったのであり、政治的野心を抱くこと自体が、彼の権力の一つのありようでもあった。
     5月3日の発言前、池田は苦悶の日々をおくり、「自殺寸前の心境に到った」と語ったが、長年ひめやかに養ってきた
    政治的な野望を自ら封殺するのであってみれば、あながち大仰な世迷い言ともいえなかった。
     池田組閣の構想は半公然の事実であり、彼の衆議院出馬という意向の背後には、「(公明党)議席数百を突破しての、
    連立による政権獲得構想があった。・・・・・この構想を持っていた頃の池田会長は、『私が教わったのは帝王学だ。私は
    最高権力者になる。その時には創価学会を解散してもいい』と語っていた。池田政権によって、王仏冥合が達成されれば、
    もはや創価学会の必要がなくなるということであろう」(戸川猪佐武、高瀬広居「公明党はまもなく大転換する」、『現代』
    昭和45年7月号)とされていた。
     池田政権は外部からの推測にとどまるものではない。たとえば、「池田先生が、日本の指導者として立っていただく」
    (北条浩、『聖教新聞』 昭和40年7月26日)、「正しく戒壇建立の暁には、わが男子青年部の手によって内閣を結成
    して」(秋谷城永、『大白蓮華』 昭和39年2月号) 等、創価学会幹部の言々句々にうかがわれるばかりでなく、池田自身、
    39年の公明党結成時には党首脳たちに自らを「国父」と呼ばせ、また衆議院の公明党控室には、池田の写真と、その
    自筆の和歌「妙法の宝を胸に抱きしめて 君等戦え天下取るまで」の色紙を飾らせた(村上重良『創価学会=公明党』)。
     さらに池田は、40年7月、日大講堂での本部幹部会で、往古の天皇にかわる現代の最高権力者は池田だという
    「方程式」を創価学会用語で謙虚に言明している。現代の「最高権力者」を内閣総理大臣、もしくはそれをも凌駕する
    トルヒーヨばりの「国父」と解するのは自然であろう。
     創価学会の究極の目的の一つである広宣流布の儀式が行われるとき、こう語った。
    「不開門(総本山大石寺にある勅使門)が開く。(はじめて門を通過するのは)一義には、天皇という意味もありますが、
    再往は時の最高権力者であるとされています。すなわち、・・・・・時の法華講の総講頭(39年4月から池田就任)であり、
    創価学会の会長(池田)がその先頭になることだけは仏法の方程式として言っておきます。(大拍手)
     後々のためにいっておかないと、狂いを生ずるからいうのです。私は謙虚な人間です。礼儀正しい人間です。同志を、
    先輩をたてきっていける人間です。そのため、かえってわからなくなってしまうことを心配するのです。そうなれば、こん
    どは皆さん方が不幸です。学会も不幸です」(『聖教新聞』 昭和40年7月26日)
     自らを最高権力者と規定するという、池田の国家を遠望する気概を滑稽化しなかったのは、彼のすでに持つ権力の
    強大さであった。実際、戦後池田以上に強大な権力を許されたものは、ただ一つ国家のほかになかったであろう。
     意図した効果を作り出すために他人を支配する力が権力とすれば、支配の状態が確固としていればいるほど、また
    支配する人員が多ければ多いほど、その権力は強大といえよう。
     池田の権力の強大さは、創価学会公称世帯数755万という圧倒的に多数の会員と、「池田先生が死ねといわれるなら、
    死にます。池田先生は絶対間違ったことをなさらない」(高瀬広居『第三文明の宗教』)という、池田によせる会員の盲目的
    な信頼心、その二つに裏打ちされていた。
     創価学会の世帯数とは、日蓮正宗の寺院から入信者に貸与された本尊(掛け軸)の累計であり、実数は明らかに公称を
    下回るが、およそ宗教団体の信徒数は、その総計が総人口の二倍近いことからも明らかなように、水増しされたもので
    あり、水増しされたなりに比較するほか手段はない。
     創価学会の公称世帯数は、戦前、その規模の大きさと行動性で世の耳目を集めた大本教の最盛期の信者数30万名
    を足下に見下ろし、出版妨害時、他の宗教団体と比べても、霊友会(約496万名)、立正佼成会(442万名)、生長の家
    (218万名)、天理教(191万名)、東本願寺(671万名)、西本願寺(663万名)に大きく水をあけ(いずれも『朝日年鑑』
    昭和46年版)、また宗教関係以外の諸組織には、比較すべき対象を持たないほどに巨大だった。
     池田への信頼心、崇敬の念は活動的な末端の会員から最高幹部に至るまで、いわゆるカリスマ的とされる熱烈さに
    貫かれていた。元毎日新聞記者・内藤国夫によれば、東京都議会の公明党議員(創価学会員であり、その幹部であった)
    は池田について、口をそろえてこう自慢するのを常とした。
    「『自民党や社会党の党首や委員長がこういうこと(煎餅や饅頭を買って議員控室に届ける)をしてくれますか。会長
    先生はわれわれにも、たえず目をかけてくださるのです。都議会の審議が長引き、われわれが疲れたなと思うと、
    きまって〝 しっかりやりなさい。ご苦労さん 〟と激励しながらお菓子を買って下さる。会長先生はなんでもお見通しなの
    です。うれしいじゃありませんか』そして池田会長賛辞が競争するようにして続く。
    『会長先生はわれわれのお父さんのような方です』 『会長のご指示に従っていれば絶対にまちがいはない。 先生の
    ご判断はいつも的確です・・・・・』」(内藤 『公明党の素顔』)
     まさしく、池田からいわれたことをただ「そうか、そうか」ときいて動く団体だから「そうか学会」というとの揶揄がうなず
    ける体の池田への忠誠心であり、それが会員数以上に、創価学会と他教団を隔てる要因となった創価学会の卓越した
    活動性、資金力を支えていた。
     たとえば創価学会の銀行預金高は三菱銀行220億円、三菱信託銀行50億円、富士銀行60億円など総額553億円
    に上ると推定され(44年9月末現在、某有力銀行『宗教法人の預金調べ』、木谷八士『疑惑のなかの公明党』から引用)、
    年利5.5%の定期預金としても約27億円の年間利息を生み出し、それだけでも45年の政治資金、社会党6億円、
    民社党2.9億円に大きく差をつけ、ほぼ公明党の27.9億円に匹敵するほどだった(旧称ママ)。
     組織の強大さは一応、組織員数と組織員の質(組織への忠誠心や行動性など)の積であらわされよう。
    創価学会=公明党は、会員数も会員の質もずば抜けており、両者が相まって、その組織を、政府関係を除けば日本
    最大最強のものに仕上げていた。
     池田の権力が直接根ざしたものは決して彼の人間性ではなく、明らかに創価学会=公明党という巨大組織であった。
    そしてそれらは池田による単一の支配だったから、池田の一身に組織の持つ力が体現されていた。組織が池田に遠大
    な乗っ取りの白昼夢を夢見させ、それに迫力を加えたのだ。
     したがって池田の権力が創価学会=公明党と盛衰をともにせざるを得ないことは自明である。彼は政界への野心を
    自ら放棄したが、それにも増して彼の発言中の国立戒壇の否定、創価学会と公明党の分離、強引な折伏活動の停止は、
    それぞれ組織という基盤をゆるがし、いや応なく彼の望蜀の一念を破砕せずにはおかないものであった。



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  • from: 22世紀 - 2さん

    2011年10月26日 20時14分14秒

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    続・転載です

    創価学会員や、創価学会を脱会された方の参考になれば幸いです。

    ■ 信心の原点 より一部抜粋
    ○墓の信仰上の意味
    法華経神力品に、「当知是処 即是道場」(当に知るべし 是の処は即ち是道場なり) とあります。つまり法華経の行者の修行するところ、どこにあっても道場であるとの意味で、妙法の信者が死して葬られた墓所も、そこが即身成仏の道場、南無妙法蓮華経の修行の場となるのです。
    ゆえに、正宗信徒の墓石には、必ず題目を刻むことになっております。

    ○墓相の迷信
    世間に墓相といって、向き、形状、造り形・造る時期等々、様々な迷信を言う人がいますが、上記の意義からして、墓石題目を刻んだ墓であれば、そのような事は一切気にする必要がないのは、いうまでもありません。

    ○墓に題目を刻む意義
    先ず死者の当体即妙法蓮華経の五大である意味が考えられます。
    更にそこに埋葬された人、また墓を建立した人が、妙法の信者であることを知らしめるのは勿論、子孫の代になっても、先祖の信仰を知り、他の教えによって追善供養を修するのを、防ぐことにもなります。

    ○墓石題目の建立
    竿石(長方形の石)に題目を刻んで台石に乗せます。五輪塔の題目を希望される方もありますが、これは個人墓に限ります。(一部地域で行われている供養塔などは、あえて建てる必要はありません。)

    ○墓石題目の染筆
    必ず寺院に願い出て下さい。自分で勝手にお題目を書いたり、石材業者に任せてしまってはなりません。まず題目を刻む石の大きさを決め、図引紙(トレッシングペーパー)・模造紙等をその大きさに二〜三枚切って、寺院に染筆を願い出ます。
    寺院より染筆題目が下付されたら、それを石材店に持参して、竿石に刻んでもらいます。(染筆題目は、使用後寺院に返納して下さい。)

    ○墓石題目の取付け
    題目より上には、家紋や○○家の墓などの文字が一切こないように気をつけます。(墓の屋根の上でもいけません。)正宗の鶴丸を墓に使ってはいけません。

    ○墓誌
    墓石題目とは別に、その墓に埋葬されている故人達の、戒名・俗名・死亡年月日・享年を並べ記した石板を墓の傍らに建てたり、はめ込む場合もあります。この場合でも墓石題目が中心となるよう、気をつけます。なお、墓誌等には 「妙法」 (題目)を刻んではいけません。

    ○開眼供養
    墓石題目が完成したなら、必ず僧侶の導師を仰ぎ、開眼供養を修します。(開眼供養とは、刻まれた題目に魂を入れることです。)またこの時、遺骨がある場合には埋葬(納骨)も一緒に行います。

    ○墓参の心得
    当宗では、墓参をする折には、先に御本尊の御前で追善供養をするのが本義で、ただ墓参だけを行うという事は好ましくありません。即ち師弟相対の義により、あくまでも御本尊の仏力・法力によって、墓参の功徳も先祖精霊に回向されるからです。よって、事前に寺院に参詣して、御本尊の御前で塔婆供養をした後、その塔婆を持って墓所に向かいます。

    ○墓所に塔婆を建立する事
    前掲神力品 「当知是処 即是道場」 の文の前に、「皆応に塔を起てて供養すべし」 とあるところに、意義を求められます。塔婆はお経文の 「塔」 に通じるからです。また墓地は当宗の信者のみならず様々な人が訪れる所ですから、当宗の塔婆を目に触れさせることによって、建立願主の志しを広く知らしめ、仏縁を結び功徳を得させることになることが、『中興入道御消息』(1434頁)に説かれています。

    ○塔婆立ての設置
    なるべく墓の後ろに塔婆立てを作り、風で倒れて見苦しくならないようにしましょう。(塔婆は一年間程度はそのまま立ておき、古くなってから焼却します)




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  • from: 22世紀 - 2さん

    2011年10月26日 20時04分00秒

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    700年ぶり2回目 池田大作大先生が脳梗塞でほぼ植物人間

    週刊文春のスクープ

     マスコミが力を失ったというのが定説の昨今ですが、それでも雑誌ジャーナリズム
    にはまだまだゲリラ精神が健在です。それを実感したのが、発売中の週刊文春『池田
    大作「厳戒病室」本当の症状』とタイトルがつけられたレポートでした。
    見事なスクープです。

     文春によれば、昨年の春以来公の席に顔をみせていない池田大作創価学会名誉会長
    は現在信濃町にある学会系病院「南元センター」の5階に脳梗塞で入院中、すでに
    認知症も相当進んでおり、さらに咀嚼が困難なため、首から栄養剤を補給する毎日
    だとか。証言者は学会員にして、池田氏の看護師だった女性となっています。
    丹念に記事をチェックしてみても信頼性の高さがうかがえます。

     池田名誉会長の不在はすでに1年半にわたります。それまでは意欲的に内外の学者
    や政治家たちとも会っていた彼が突然公の場所に姿を見せなくなった理由について、
    マスコミばかりか、政府の内閣調査関係者や各国情報機関も必死に情報収集を行って
    いました。そうしたなかでの文春のスクープです。(全文はソース先)




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  • from: 22世紀 - 2さん

    2011年10月25日 21時13分47秒

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    「宗教屋・池田大作氏」の胡散臭さ

    あの創価学会の活け神様である池田大作氏については、創価学会の信者以外の多くの日本人が胡散臭さを感じている事と思います。
    その胡散臭さを感じる原因のひとつは、清貧や崇高さとは程遠い彼の生活、言動などが宗教家としてあまりにもおそまつと多くの人が肌で感じている事だと思います。
    世界中で開かれているという「ガンジー・キング・イケダ展」など普通の神経だったら恥ずかしくてよう開かんでしょう。
    世界中から勲章、名誉市民(この前は名誉村民というのまでもらっていました)名誉教授などというものを金の力でガツガツと手当りしだいに集めている権力欲、名誉欲の塊という醜いその生き方は宗教家というより宗教屋といった方がぴったりだと思います。

     何もやっていないのに勲章、名誉市民、名誉教授コレクターというその胡散臭さゆえに我が国では叙勲に縁が無いものですから、かって、公明党書記長を長く勤めた竹入義勝氏が勲一等を叙勲したことにより池田大作氏の怒りをかい、創価学会からボロクソにいわれています。
    まあ、勲一等などあの売国奴で国家解体論者の野中広務氏や 朝鮮にいって弱味を握られあっという間に態度を豹変させた同じ売国奴の中山正暉氏ももらっているし、旧社会党のバカ議員である田英夫氏もホイホイとうれしそうにもらっています。支那、朝鮮から貰えばいいのです。

     同じ議員でも清貧に徹し、一切の叙勲を断り、遺言にまでそれを記し、竹下内閣が辞任時に自民党総務会長の職にあり、推された総理大臣の椅子もけっとばした伊東正義氏とはえらい違いです。
    かって、「日本の王となる」といった欲望むき出しの醜い池田大作氏には逆立ちしてもマネはできません。

     ありとあらゆる欲望、煩悩の塊であまりにも人間臭い、自分の気持ちに正直すぎる「宗教屋・池田大作氏」をいまや政治団体といっていい創価学会以外の普通の感覚の人間だったら、軽蔑する事はあっても尊敬するなどという事は絶対にないでしょう。





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  • from: 22世紀 - 2さん

    2011年10月24日 18時19分19秒

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    続・転載です

    私が工作した「創価学会の税金逃れ」 投稿者:きんまんこ大作 投稿日:2011年10月24日(月)16時28分38秒   通報 返信・引用
    矢野絢也元公明党委員長が著書『乱脈経理』で明かす

    池田大作名誉会長への課税を阻止せよ――竹下登元首相、国税庁幹部らとの生々しいやり取りを公開

    天下の国税庁相手にこんなことができるのか。本来なら、課税されるべきところを見事、ゼロにしてしまった――力関係、人間関係で取るべきものを取らないのであれば、増税なんて国民は納得しないだろう。

    17年ぶりの国税調査

     1990年6月18日、4人の男たちが、東京・新宿区信濃町にある創価学会本部を訪ねた。彼らは東京国税局直税部資料調査6課の調査官たちである。資料調査課は「料調」と呼ばれ、大口・悪質案件を担当する。国税のなかでも税務調査の腕は一番とされ、彼らが悪質と判断した案件は、マルサ(査察部)に送られ、強制調査が行われる。
     この日、男たちの訪問を受けた創価学会の八尋頼雄(やひろよりお)副会長(弁護士)は、慌てた様子で公明党の常任顧問だった矢野絢也前委員長に連絡し、こう叫んだ。
    「21、22日にも、また来ると言っている。学会としてはかなり深刻に受け止めている。17年間なかった準査察と見る」
     17年ぶりの国税調査に学会は蜂の巣を突(つつ)いたような大混乱に陥った。何しろ学会首脳部にも矢野氏ら公明党幹部にも、国税調査にどう対応していいのか、また国税側の意図が何なのか、まったくわからなかったからだ。
     八尋氏はすがるように矢野氏に言った。
    「秋谷(栄之助)会長と打ち合わせた結果、今後の対応については市川(雄一・公明党)書記長ではなく、矢野さん一本でやりたいとのことだ」
     秋谷、八尋両氏はほぼ毎日、矢野氏に連絡し、信仰心を盾に、矢野氏が国税との交渉の前面に立つよう求めた。しかし、国の法律を曲げることすら信心という主張には、さすがに矢野氏も納得できず、何度も断った。それでも、彼らは「矢野君には信心がないのか」「池田(大作・名誉会長)先生を守るのが信心だ」と詰め寄る。矢野氏が「国税と信心は別だ」と言うと、彼らは「魔を打ち破るのが信心だ」と反駁した。
     最後に秋谷氏らは切り札を持ち出した。
    「この件は矢野にやらせろ、というのが池田先生のたってのご意向なんだ」
     矢野氏は進退窮まって
    「できることはやりましょう。しかし脱税などないでしょうね」と毒舌を吐いた。
     これがその後、足かけ3年に及ぶ矢野氏と国税幹部たちの「暗闘」の始まりだった――。



     元公明党委員長の矢野絢也氏が10月20日に上梓した『乱脈経理 創価学会VS国税庁の暗闘ドキュメント』(講談社)。同書には90年から92年にわたり、創価学会が国税庁の調査を受けた際、矢野氏が当時の大蔵省や国税庁幹部と「税金逃れ」のために、いかなる交渉をしたのかが克明に描かれている。冒頭の描写はその著書からの抄訳である。矢野氏は本書を著した意図について、こう語る。
    「公明党の書記長、委員長として、私が学会に関与したことは、私の歴史であると同時に、学会の歴史の一部でもあります。過去の事実や記憶は、時として都合良く歪曲されたりもする。だから、私は事実を文章に残しておきたいと考えました。また現在、膨大な日本の財政赤字のなかで、増税が既成事実のように語られていることにいささか義憤を感じています。一般大衆に大きな負担を押しつける前に、税の聖域を再検証するべきではないか。その一つが宗教法人への課税問題であり、増税路線を突っ走る現政権や政党への問題提起になればと願っています」
     宗教法人への税の優遇措置は非常に大きく、ジャーナリストの山田直樹氏によれば「宗教法人全体の収益事業に大企業並みの税率を適用し、非課税の固定資産税などにも課税すれば、年間約4兆円の税収増になるという推計がある」という。
     では、ここからは矢野氏の目線で「創価学会と国税庁の暗闘」について綴っていこう(本文に適宜、説明や省略を加えた)。

    国税庁長官との話し合い

     もし国税庁の狙いが池田氏個人にあるのならば、学会の姿勢ははっきりしている。徹底抗戦しかない。厄介なことになりそうだが、やるしかないと私も覚悟を決めた。
     私は大蔵省の保田(博)主計局長に力添えをお願いした。保田氏は同情しつつも、迷惑顔で「角谷(かどたに)(正彦国税庁長官)は新任だから、いますぐ影響力を使うと逆効果。今後の状況には様子をみて対応するしかない」と慎重な姿勢を崩さなかった。
     1990年8月22日、私と八尋氏は角谷国税庁長官らと2時間20分にわたって話し合った。本来、税務調査を受ける側の私や八尋氏と、調査を行う側の国税庁長官らが会談することなど許されるものではない。おそらく国税庁側も相手が私でなければ絶対に応じなかったはずだ。
     私は公明党書記長時代、主に国会対策と大蔵省対策に力を入れてきた。大蔵省と国税庁は表裏一体の関係にある。私は、大蔵省と国税庁所管の法案の国会審議が滞るたびに、大蔵省首脳から要請され、法案成立にできるだけ協力してきた。
     たとえば、国税庁から感謝されたのが国税庁OBの税理士資格問題だった。国税庁の職員は、一定期間、国税庁に勤務経験があれば、試験や研修を受けなくても税理士になることができる。これが不公平だとして国会で追及されたことがあり、私は公明党書記長としてこの制度を擁護し、政府にも私が根回しして、「徴税というのは大事な仕事だが、国民から嫌がられる仕事でもある。そういう仕事を続けるにはインセンティブが必要だ」と強く主張。私の主張が通って制度は存続した。それ以来、国税庁は私を味方だと思ってくれていたようだ。
     この日の国税庁側の出席者は角谷氏の他、山口厚生直税部長、吉川勲資料調査課長ら5人だった。彼らからはこんな発言が出た。
    「本来、社長、重役の自宅、職場も伝票などの精査をやるのは当然だが、今回は抑えている。こんなことが外に漏れたら大変だ」
     社長、重役とは池田名誉会長と学会の主だった幹部のことを意味する。国税がいかに学会に配慮しているかを強調したわけだが、言葉の端々に、私や学会側の横槍で調査が進まない現状に対する国税側の強い苛立ちが感じられた。
     宗教法人の会計は大きく公益事業会計と収益事業会計に分けられる。前者は宗教活動そのものに関わるもので非課税。後者は学会における聖教新聞や池田氏の著作などの売り上げで、こちらも一般より低い優遇税率が適用される。
     公益と収益の両会計を見ないと正しく区別されているかわからないと主張する国税側に、私は「公益事業会計の中身は学会員の寄付金。それを見せると、どの学会員がいくら寄付したかがわかり、プライバシーの侵害につながる」などと反論した。だが、彼らは「プライバシーの問題はわかったが、調査を止めることはできない」と納得しない。ただ「調査官が建物内を勝手に動き回らないように配慮する。国税側が調べたいテーマを示し資料を部屋に持ってきてもらう」と譲歩した。
     会談後、八尋氏は私に「大成功だ。ありがたい。彼らに自由に動かれたら、もたない。何しろ(池田氏の)公私混同で区別がついていないから……」と感謝しきりだった。

    国税の工ースは竹下側近

     朝日新聞記者時代に国税庁を長年担当したジャーナリストの落合博実氏が語る。
    「東京国税局が90年に初めて本格的な税務調査に踏み切っているのですが、学会と公明党に対する神経の使いようは相当なものでした。当時、私が入手した国税の内部資料によれば、学会からの反発を和らげるために他の宗教法人も同時に税務調査に入ると明記されていました。また、調査着手を告げるために信濃町の学会本部にわざわざ出向いたり、『目立つので調査官は裏口から入ってほしい』という学会の要求をのんだりしています」
     国税側の「気遣い」にもかかわらず、池田氏個人のカネなどを巡って交渉は難航。矢野氏は連日のように国税幹部たちに連絡をする。その最中、八尋副会長は「学会として、これだけは絶対に譲れない」という6項目を記したメモを矢野氏に渡した。①財産目録は出さない②美術品に触れない③池田氏の個人所得にさわらない④(池田氏の秘書集団がいる)第一庶務にはさわらない⑤会員のプライバシーにふれない⑥宗教活動にふれない、この6点である。①から④までは、池田氏の個人資産に関わるものだった。
     交渉は90年から年をまたいで続き、やがて、大物政治家を巻き込んでいく。



     税務調査開始から約10ヵ月が経過し、ようやく課税対象が決まった。国税側は今回の調査を第1次調査とし、引き続き第2次調査を行うことを条件に、学会が非課税扱いを主張していた墓園事業のみを追徴課税の対象とした。学会が死守したかった例の6項目は守られ、池田氏の個人資産にはメスが入らなかった。この結果、学会は留年からの3年間で総額23億8000万円の申告漏れを指摘され、法人税6億4000万円を管轄の四谷税務署に納付。これは私や学会幹部にとっても想定内の範囲だった。
     問題は続く第2次調査をどうやって切り抜けるかに移った。
     第1次調査が片付いたのを受け、私は山口部長と電話で話した。山口氏は「第1次と違って第2次の税務調査は聖域なしに行う」と従来の方針を告げた。八尋氏が修正申告の際の記者会見コメントについて報告したところ、池田名誉会長は「税金が少ない。もっと大きくてもよい」と喜んでいたという。さんざん私に税金を値切らせておいて「税金が少ない」とは大言壮語の池田氏らしかった。
     7月、私は霞が関の国税庁長官室に向かった。6月の人事で新しく国税庁長官に就任した尾崎護氏と、坂本導聰国税庁直税部長と話し合うためだ。坂本氏は「マムシの坂本」の異名を持ち、いったん食いついた相手はけっして逃さない、やり手国税マンとして霞が関にその名を轟かせていた。また、坂本氏は竹下登元首相の側近中の側近とも言われ、竹下氏に心酔していた。坂本氏は私に、
    「最重要テーマとして引き継ぎを受けている」
     と語り、第1次調査では手つかずだった、学会側が絶対に譲れないとしてきた6項目についてもすべて調査すると明言した。
     坂本氏の強硬な態度に慌てた私は、旧知の竹下氏に電話をかけた。当時は海部俊樹内閣で、この政権は自民党最大派閥の竹下派丸抱えの政権だったから、竹下氏は首相の座を降りたとはいえ、政府・自民党に大きな影響力を行使できる立場にあった。
     私が竹下氏に第1次調査の結果と第2次調査の事情を説明すると、竹下氏はすでに承知していたようだった。いつもの柔らかい口調で「尾崎とマムシ(坂本氏)が話し合い、私のところに報告にくるようにしておいたから」と、手を打ってあることを明かした。
     その翌日、1991年8月28日は大きな転換点となった。
     竹下氏から電話で、「昨日、尾崎と坂本に会った。キーは握った。風呂敷に包んで宿題解決に行ったらどうか」と連絡があったのである。「キーを握った」とはポイントを把握し、ドアを開ける方策があるということ、また「風呂敷包み」とは、出すべき資料は風呂敷に包むようにして国税に持っていき、包括的に話し合えという意味だった。その後、紆余曲折を経て結果的に竹下氏の提案どおりに事態は進む。

    申告漏れが一転、課税なしに

     当時、永田町では小沢一郎自民党幹事長と市川雄一公明党書記長による自公協力が水面下で話し合われていた。二人のパイプは「一一ライン」と呼ばれた。学会内部では、矢野氏の国税交渉と並行して、市川氏も小沢氏に国税対策を依頼していると言われていた。事実、市川氏が会合の席などで小沢氏の名前を出し、国税対策を頼んでいるとほのめかすこともあったが、矢野氏にはその詳細は最後まで伝えられなかった。

     1992年4月22日、いよいよ坂本部長が「間題点」を指摘してきた。坂本氏が指摘した問題点は4つあり、いずれも池田氏がらみだった。申告漏れは締めて4002万4000円。私にとっては望外の少ない額だった。坂本氏は言った。
    「今回は矢野さんや竹下さんの顔を立てて、この辺で収めた。あとは重い宿題として次に残す。改善もしてほしい。必要に応じ、有力な材料があればまた調査するが、来年すぐという訳ではない」
     私はようやく自分の役目を果たせたという思いで、秋谷氏らに坂本氏が言った内容について報告した。しかし、秋谷氏らはたとえ額が少なくても、池田氏への課税はなんとしても阻止したいと言う。
     私は竹下氏に事情を説明し、再度国税に工作してもらうようお願いした。竹下氏は「池田さん、ずいぶを税金が少なくなっているが……」と言ったまま、黙ってしまった。
     その5日後。竹下氏からの電話は私を驚喜させた。竹下氏は、事実上、税金をゼロにするよう国税庁首脳を説き伏せていたのだ。
    「国税庁には〝心にまで課税できない〟と言っておいた」
     つまり、宗教の信心からやっていることだから見逃してやれということである。私は竹下氏に「ありがとうございました。ご恩は忘れません」と言い、電話機に向かって何度も頭を下げた。

     かくして、創価学会への第2次税務調査は課税ゼロに終わった。よほど肝を冷やしたのだろう、調査が一段落した後、池田氏は矢野氏に「やはり政権に入らないと駄目だ」と語ったという。以降、公明党が自民党に擦り寄り、自公による政権が10年にわたって続くのはご承知の通りだ。
     本誌は今回、矢野氏と交渉に当たった大蔵・国税庁幹部に話を聞いた。取材に応じたのは後に大蔵事務次官にも就任した尾崎護元国税庁長官だけだった。
    「確かに矢野さんから複数回連絡があったことは覚えています。しかし、内容については本当に覚えていません。創価学会の案件?矢野さんがそうおっしゃっているなら、そうかもしれません。ただ、国税庁長官は個別の案件について関与しませんので、現場の各国税局の指示に従ってくださいと言ったと思います。竹下さんからこの件で電話があった記憶もありません」
     なお、92年に終了した第2次税務調査から、すでに20年近い歳月が経ったが、その間、創価学会への大規模な税務調査は一度も行われていない。

    『週刊現代』2011年11月6日号



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  • from: 22世紀 - 2さん

    2011年10月24日 09時31分38秒

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    池田大作「権力者」の構造

    終章 池田大作とその時代

     噴出した池田大作批判

     池田大作はあまりにも早く、若くして人生のスタートを切りすぎてしまった。彼は昭和54(1979)年4月24日、それまで
    19年間その職にあった創価学会第三代会長の座を降り、名誉会長へと退いたが、過去の功績によって名誉ある老いを
    楽しむことは彼に許されなかった。そのとき池田は51歳、壮年の盛期にあり、彼自身、老け込む年齢でも健康状態でも
    ないと考えたし、そうした心境にもなれなかった。
     だが、池田に名誉ある「晩年」をより強く許さなかったのは、池田に対する批判者たちだった。彼らは池田が創価学会
    の第一線を退き、閑職にあるとは頭から信じなかったし、それ以上に、彼に「名誉」があるとは信じなかった。逆に池田は、
    「〝人間革命〟して人間失格」し、告訴してかえって「恥部が見え」、国会喚問して不正を糾明しなければならない
    「狂気の二枚舌」(いずれも55年11月7日「創価学会の社会的不正を糾す会」の国会デモで掲げられたプラカード類から)
    なのであった。
     かつて、池田は日本最大最強の組織である創価学会のうえに君臨して「天皇にかわる時の最高権力者」と自らを規定し、
    あるいは池田組閣を夢見、また華々しい海外著名人との「民間外交」によって、ノーベル平和賞の受賞を真剣に望んだ
    人物である。
     どこかで池田の人生設計は狂ってしまった。過去の盛名は「恥を知」らなければならぬものとして泥土に踏みにじられた。
    彼の悪名は『ニューズウィーク』誌や『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙などで報じられ、その公私両面にわたる
    非行は海外にも知られるところとなった。
     池田が若すぎる悲劇だった。彼を批判する創価学会脱会者による檀徒も、日蓮正宗の全僧侶約600名のうち、正信会
    など約半数を占める批判派僧侶も、池田に求めることはおしなべて実質退陣だった。すなわち、池田は日蓮正宗法華講の
    名誉総講頭を辞退し、昭和56年10月の日蓮700遠忌での慶讃委員長を退き、創価学会への彼の影響力を断ちきるべき
    なのだった。
     いわば社会的な死を要求されていた。晩年でさえ迎えきれない池田が、死を呑めるわけはない。池田は日蓮正宗法主・
    阿部日顕と結んで、55年9月24日、批判派僧侶201人を処分するなど、必死に反撃し、危機を乗り切ろうとした。
     だが皮肉にも、池田の抵抗は池田の旧悪を暴くことにつながり、池田はその名誉ある名目的な引退期を、脂ぎった醜聞に
    まみれさせねばならなかった。彼は会長だった時期、彼の語る言葉のすべてを記録、保管させ、将来、池田語録や池田
    会長史を編ませるための体制を調えていたが、その語録や報告書類が54年9月、元教学部長・原島崇によって持ち出され、
    元顧問弁護士・山崎正友のもとに預けられた。
     この内部資料は修正前の、赤裸々な池田像を伝えて、虚像でなっていた池田を撃つことになった。池田は将来のために
    蓄えた過去によって現在を撃たれ、過去の栄光を引きむかれた。その挙げ句、彼には、①43年7月参院選をピークとする
    大量替玉投票、②共産党委員長・宮本顕治宅をはじめとする盗聴行為、③池田自身と創価学会の脱税の疑い、④国有地
    などの土地、不動産の不正取得、⑤公明党との政教分離の不履行、⑥元民音職員・松本勝弥などの裁判での偽証工作、
    ⑦その他の反社会的行為――の数々が突きつけられた。
     が、これらは池田と創価学会の不正のうち、社会性を帯びた問題に限られ、ほかにまだ池田の私的非行や日蓮正宗教義
    からの逸脱が問われた。教義違背については、彼は不十分ながら誤りを認めて会長を退いたわけだったが、その後も改善が
    徹底していないと追撃され、女性会員との関係を含む私的非行によって、彼の人格に泥をぬるはめになった。
     池田と創価学会は実際を知られることによって打撃を受け、実像を知らせるかたちでの批判を加えつつ゛けられた。
    池田が名誉会長にかわった後も、実質的な権力を創価学会にふるいつつ゛けたからである。
     池田が名誉会長を退き、創価学会インターナショナル会長の座からも降り、正確に創価学会から引退したのなら、批判は
    止んだかもしれない。だが池田は若かったし、なにより創価学会あっての池田だったから、実質退陣はできず、創価学会を
    道連れにして批判の矢面に立たせることをためらわなかった。
     彼は池田創価学会といわれるまでに、創価学会と一体だった。彼を纉仰する会員の熱気はまだ冷めていず、幹部たちは
    池田に引退を直言できるほどの力を持たなかった。彼らは表面上、池田に変わらぬ忠誠を誓って彼を守ることにつとめ、
    一人になったとき、しらけて時の流れに問題をゆだねてだけいた。
     池田は敗北の過程にあった。それは穏やかな風化とは遠い、がむしゃらに抗がいつつ迎える敗北だった。彼には、その
    権力のありように見合って、脂の抜けた清潔な後半生はおくれそうになかった。


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  • from: つるつるさん

    2011年10月21日 11時14分05秒

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  • from: 22世紀 - 2さん

    2011年10月20日 19時45分42秒

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    続・転載です

    池田大作「創価学会」名誉会長 担当していた元看護師が語る「厳戒病室」本当の病状 投稿者:きんまんこ大作 投稿日:2011年10月20日(木)11時23分12秒   通報 返信・引用
    2ケ所の脳梗塞、車イス、夜も病室の電気を消さない理由

    昨年五月以来、公の場から姿を消した創価学会・池田大作名誉会長。重病説が取りざたされる中、数カ月前まで看護師として池田氏を担当していたAさんが重いロを開いた。車椅子、言語障害、意思疎通も困難――。厳戒体制の病室で何が起きていたのか。衝撃の証言。

    「新聞や雑誌では、池田先生が今も元気で活動されているように書かれています。しかし、私がお側で世話をした数カ月前には」歩くこともままならず、読み書ぎや他人と話すことも難しい状態でした。二十四時間体制で医師や看護師が常駐し、病室には、秘書が先生の様子を見守っている。いつ何があってもおかしくない状況だったのです」
     緊張した表情でそう語るのは、東京・信濃町にある創価学会の医療関連施設「南元センター」で看護師として勤務していたAさんだ。
     彼女が語る「池田先生」とは、今なお創価学会のカリスマとして君臨する池田大作名誉会長(83)のことを指す。Aさんによると、池田氏は現在、南元センターの五階にある特別な病室に入っているという。
     昨年の五月中旬以降、池田氏が公の場に姿を見せなくなって一年以上が経過している。そのため、これまでも重病説が囁かれてきた。
     Aさんによれば、学会内でも池田氏の健康状態や入院先に関しては、ごく一部の関係者しか知らない超極秘事項だ。数カ月にわたり看護を担当したAさんが、池田氏の病状を明かす。
    「先生の病気は、脳梗塞です。梗塞は二ヵ所にあり、もともと糖尿病という持病をお持ちなので、合併症を誘発する恐れもあります。自力で歩くことはできず、移動は車椅子でした」
     Aさんが池田氏の担当になったのは昨年のことだ。そもそも南元センターは、創価学会の健康保険組合に所属する組合員が健康診断を行う医療施設である。一階から四階までは普通の病院と大差はないと、Aさんは説明する。
    「おそらく南元センターで働いている職員の大半が、五階に池田先生がいらっしゃることを知らないと思います。下のフロアで勤務していた私も、まさか最上階に先生がいるとは夢にも思いませんでした」
     Aさんは婦長から五階の勤務を命じられ、最上階へ向かった。エレベーターを降りるとう制服に身を包んだ警備員の刺すような視線が容赦なく注がれた。フロア全体のピリピリとした空気を感じながら病室の扉を開けると、生花の香りが鼻の中に広がる。そして、大きなベッドに痩せた老人が横たわっていたのである。
    「それが池田先生でした。尊敬する先生が目の前にいらっしゃって驚きました。大変名誉なことだと思い、嬉しくて涙が出そうになったことを覚えています。
     私が担当し始めた頃はまだお元気で、週に一、二度、屋上で外の空気を吸ってらっしゃいました」

    著作や写真を投げ始め……

     その後、池田氏の容態は悪化。病室の外へ出ることができなくなったと、Aさんは振り返る。
    「担当した当初から、先生はご病気の影響で言語障害が出ることもあり、お話も聞き取りづらい部分はありました。でもその頃は、なんとか会話もでき、幹部の方など関係者がお見舞いに来ていろいろお話しされていたようです。 食事も自分でされ、病室の大きなテレビを見たり、読書をなさっていました。
     ただ、屋上へ上がったり、読み書きができたのも今年の一月頃までだったと思います。高齢や脳梗塞のせいで認知症の症状が進行してしまったからなんです」
     東日本大震災が起きる前、池田氏の病室である〝出来事〟が起こったという。
    「病室には、池田先生の著作や、各界の著名人と撮られたお写真などが飾られていました。一月の終わりから二月のはじめ頃だったと思いますが、先生が車椅子に乗ってらっしゃったとき、突然、奇声を上げてご自分の著作や写真を投げ始めたのです。慌てて、秘書や看護スタッフでお止めしました。
     この後、先生の近くにモノを置いておくのは危ないということになって、そういった展示品は撤去されました。メガネも自分で割られてしまうかもしれない、と外すことになりました」
     三月に入ると、池田氏の症状はさらに進んだという。
    「他の人を認識できていないのでは、と思う日もあり、看護師や来客の方とも意思疎通ができないこともありました」
     また、その他の能力も日を追うごとに衰えていった。
    「咀嚼(そしゃく)が困難になり、食事もきちんと摂れなくなりました。看護する側としても、誤嚥(ごえん)が怖い。誤嚥性肺炎を起こしてお亡くなりになる高齢者が非常に多いからです。そこで首から一日三回、経管注入で栄養剤を入れることになりました。
     口から食事を摂れないと、どんどん痩せていきます。みなさんがご覧になられている写真より十キロ以上痩せ、お元気な頃の面影がなくなっていました。顔のつやがなくなり、頬がこけてゲッソりした感じでした」

    車椅子ごと入れる浴槽を使用

     なぜ、熱心な学会員でもあったAさんが池田氏の病状を明らかにすることを決意したのか。
    「私は池田先生をお慕いして創価学会へ入りました。今も、その尊敬の思いは変わっていません。
     私が先生の看護スタッフを始めた頃は、まだ先生もお元気で、〝神様〟だと思っていました。しかし、先生のお世話をするうちに、先生も寿命のある人間なんだ、と痛感したのです。
     幹部の方々は、心配する我々学会員に対して『先生は元気です』とアピールするばかりです。しかし、それは学会員を欺き、池田先生を冒漬(ぽうとく)しているのと同じではないでしょうか。
     末端の学会員にも先生の現状をお知らせして、先生のために大勤行会を開いたほうがいいと思うのです。それが、今回、私がお話しした理由です」
     話を池田氏の病室に戻そう。
     Aさんは、衰弱してゆく池田氏の看護をしながら心を痛める日々が続いた、と振り返る。「以前は病室の隣に大理石のお風呂があってよく入られていたのですが、その浴室は使われなくなりました。大理石の浴槽のそばに車椅子ごと入れる介護用の浴槽があって、そちらを利用するようになったのです。入浴は四、五人がかりの作業でした。回数も、私が勤務していた当時は週二回ほどになっていました。
     看護師がオムツを交換し、婦長など地位の高い方が、病衣を着た先生のお顔などを拭いでいました」
     池田氏専用のフロアにいる看護師は、日勤三名、夜勤二名の計五名。二十四時間体制で勤務していたという。そのほかにも警備員が警備室に三名、土レベーター前に一名、病室の前に一名配置されている。病室には秘書とともに、監視カメラが設置され、ナースステーションでチエックできるようになっていた。
     階段には防火扉が設置され、普段は鍵がかけられていた。そのため、昇り降りできるのはエレベーターのみ。そこで警備員が出入すの人間を見張っていた。
    「まず驚いたのは、最上階の物々しい雰囲気です。警備員は第一警備の方々でした。どの人も体格がよくて、何か格闘技でもやってらっしゃるような人だと思います。目つきが鋭くて、通常の業務をしている私たちも常に監視下に置かれているような感じでした。四階以下は金城会の方が警備をしています」
     第一警備や金城会とはどんな部署なのか。学会に詳しい人物によれば、「第一警備は」池田名誉会長直属のエリート警備部隊。また、金城会は全国各地域から集められた一般の会員で柔道や合気道の有段者が多いことでも有名です。こちらも池田会長の警護が主な業務といわれていてます」
     警護体制だけでなく、病室の作りにも秘密が隠されていた、とAさんは話す。
    「先生の病室は縦が約七メートル、横が約五メートルの広さです。白っぽい壁は鉄製で、『マシンガンで撃たれてもびくともしない』と説明を受けました。病室の窓ガラスも防弾ガラスだと聞きました」
     まるで軍事施設のような堅牢さだが、一歩病室へ入ると、そこには瀟洒(しょうしゃ)な洋間が広がっているという。
    「先生の病室にはキングサイズのベッドがあり、シーツ、掛布団カバー、枕は全て金色のペーズリー柄でした。ベッドの側には、小さなテーブルと椅子が置いてあり、お元気なときには、そこでよく筆ペンを手にとって和歌を詠んでいらっしゃいました。
     他に来客用の応接セットもあります。テーブル、ソファーと椅子が二つ。
     また病室には絨毯が敷かれているのですが、『バッキンガム宮殿に使われている絨毯と同様のもの』と言われました。一般の病室とは全く違い、外国の洋館みたいなお部屋なのです」
     備え付けの棚には、大きなテレビ、先述した著作や写真などが並ぶ。花瓶には様々な種類の生花が飾られていた。

    病室でも髪型はオールバック

    「香峯子(かねこ)夫人が週に何度か病室にいらっしゃって花を取り換えていました。エレベーターで五階へ上がるときは、警備員や看護師などのスタッフは整列してお迎えするのです。夫人は長居することもなくて、一時間くらいでご自宅に戻られることが多かった」 また、池田氏の病室では重要なルールがあった。
    「一番初めに注意されたことは『病室の電気は切ってはいけない』ということでした。先生は明かりが消えるとよく眠れないそうなんです。昼夜逆転されることも少なくなく、昼間に眠ってらっしゃることも多かったですね。病室の天井は折上天井になっていて、蛍光灯が何十本も取りつけられていました」
     実際、南元センターの周囲から池田氏の病室とされる場所を見上げると、記者が確認を行った夜には、いつもブラインドの隙間からかすかに明かりが漏れていた。
     厳重に警護された池田氏の病室。そこに足を踏み入れるのは夫人など池田氏の家族と医療スタッフ、ごく限られた学会の幹部だけだったという。
    「池田先生の側近の方はいらしています。幹部の中でも本当に重職の方がいらしていました。先生が話ができたときには、病室の隣にある会議室でいろいろ話をされていたようです。
     髪の毛やお顔は来客があるので、二日に一度くらい手入れしていました。髪型も皆さんがご存知のオールバックです。先生はいつも身ぎれいにしていらっしゃいました。髭は電気カミソリなどで丁寧に剃らせていただいています。夫人からも見た目には気を遣うように指示が出ていて、きちんとさせていただきました」
     先述したように、池田氏は一年以上も公の場に姿を見せていないが、
    「学会系の新聞や雑誌には、池田先生のメッセージや対談の様子が描かれています。先生はそんなことが出来るようなお体ではないのに……」(Aさん)
     確かに、学会の機関紙『聖教新聞』によれば、地震発生後の三月二十一日、池田名誉会長は東京・新宿区の創価学会第二別館で勤行を行ったと報じた。また、五月三日付の同紙には夫人とのツーショット写真が掲載されており」キャプションには〈4月19日、東京・新宿区で〉と記している。

     南元センター取材は「拒否」

     学会系の総合誌『潮』でも、海外の要人たちとの対談を連載。六月号からは、モスクワ大学総長、ヴィクトル・A・サドーヴニチィ氏との対談が掲載された。この連載対談の中では、東日本大震災などにも触れられ、池田氏が、「本年五月、ロシア国立交響楽団が来日公演し、各地で大きな反響を呼びました」と言及しているが、そんなことが可能なのか。 創価学会に尋ねると、
    「(聖教新聞の夫人との写真ば)今年の四月十九日に撮影されたもの。また、連載対談は近年の往復書簡をまとめたものです」
     さらにAさんの真摯な証言に対しては、
    「ご指摘は全て事実無根です」(創価学会広報室)
     否定するのであれば、南元センターの五階を見せてほしいと求めたが、「部外者の方を入れたことはありません。もしそこに名誉会長がおられなければ、どこかに移した、と言われるだけでしょう」と受け入れられなかった。
     別の学会関係者も言下に否定する。
    「南元センターは一般の学会員も利用する施設。五階に入ったことはありませんが、そこに池田先生がおられるなら、隠しておけるはずがありません。
     今も池田先生は、秘書を通じてさまざまな指示をなされています」
     だが、先述したように、下の階で働いていたAさんでさえ、五階勤務になるまでは、そこに池田氏がいるなどとは、想像だにしていなかったのだ。そもそも家族やごく一握りの幹部を除き、池田氏の所在や現状が、彼の健在を祈る一般の学会員にさえ隠し通されていること自体に無理があるのではないか。一刻も早い真実の開示が待たれる。

    『週刊文春』2011年10月27日号


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  • from: 22世紀 - 2さん

    2011年10月20日 19時01分24秒

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    しられざるデタラメな「創価学会の教義」

     一般の創価学会の信者に邪な人は居ません。邪なのは、信者を騙し続ける創価学会です。

    仏教を騙り
    法華経を騙り
    日蓮聖人の教えを騙る
    似非仏教集団の闊歩する時代。

    巧妙に嘘とデタラメを
    真実と偽る集団に、
     国政を任せてはなりません。

    「本冊子は創価学会の教義と
    そのよりどころであるはずの 
    法華経・日蓮聖人の本来の教えを対比し
    学会教義の非常識なることを示すものです。」



    池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」P63
    「釈迦の法はもう過去のもので何の利益もない」

    妙法蓮華経 寿量品
      「衆生を救わんがための故に 方便して涅槃を現すも しかも実には滅度せずして 常にここに住し
       て法を説くなり」 (衆生=生きとし生けるもの、方便=真実に導く手段、涅槃=入滅)
    日蓮聖人御遺文(守護国家論、曾谷抄)
      「法華経は釈迦牟尼仏なり、法華経を信ぜざる人の前には釈迦牟尼仏入滅を取り、此の経を信ず
       る者の前には滅後たりといえども仏の在世なり」
      「釈尊の法華経を口に誦しながら教主に違背す、不孝国は此の国なり」(釈尊=釈迦牟尼仏)

       仏教とは、約2500年前の文明社会に実際にお現れになり、最下層の人々から国王に至るまで、人々の
       一切の苦しみを解かんとされた釈迦牟尼仏の教えであり、心の教えであります。2500年前も現在も、人
       々の心そのものは何も変わることはありません。お釈迦様以外の教えを、仏教とは言いません。釈迦牟尼
       仏の教えを正しく学ぶならば、釈迦牟尼仏は常に心の世界に実在し、法を説かれます。法華経は、その実
       在を確証せる経典でもあるのです。

    創価学会教学部編 「批判を破す」
    「釈迦が本仏であり、日蓮聖人は釈迦仏法による民衆救済を本懐とされたというのか。まことに
     浅識な論断である。」

    池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P65
    「われわれは釈迦仏教に縁のない民衆であることを
     知らねばならない」

    妙法蓮華経 譬喩品
      「今この三界は皆これ我が有なり。その中の衆生はことごとく これ我が子なり。しかも今この処は
       もろもろの患難多し、唯われ一人のみ能く救護をなすなり。(三界=一切の世界)
    日蓮聖人御遺文(諸法実相抄、一ノ谷抄)
      「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊の久遠の弟子たること
       疑わんや」(久遠=永遠の過去) 
      「法華経に背き、釈迦仏を捨つるが故に、後生は必ず無間地獄に堕ちんことはさておきぬ、今生にも
       大難に値ふべし」 (後生=生まれ変わる来世、今生=今生きている現世)

       釈迦牟尼仏は一切の人々を救わんと教えを説かれました。もし、私たちがその教えを求め実践しようとする
       ならば、即ちお釈迦様の弟子(菩薩)になるわけです。日蓮聖人も、信徒さんも、他宗の方々も皆、釈迦牟
       尼仏のお弟子なのです。また常識的に、お釈迦様に縁のない方々を仏教徒とは言いません。日蓮聖人は、
       一切は教主釈迦牟尼仏の慈悲による教えであり、この恩を絶対に忘れることはあってはならぬと、生涯を
       賭して訴えられたお方です。

    創価学会教学部編 「批判を破す」
    「釈迦を本仏とするような狂学で、天下の創価学会に太刀打ちしようとしても、労多くして益なき
    ことを知るべきだ」 

    池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P67、P316
    「日蓮聖人が末法の御本仏であらせれる」
    「釈迦等のとうていおよぶ 分際ではない」

    日蓮聖人御遺文(祈祷抄、報恩抄、種種御振舞御書)
      「釈迦仏ひとり、主・師・親の三義を兼ね給へり」
      「如何に況や仏教を習はん者、父母、師匠、国の恩をわするべしや」
      「日蓮は幼若の者なれども、法華経を弘むれば釈迦牟尼仏の御使いぞかし」

       法華経は、釈迦牟尼仏が永遠なる本仏であることを顕わされた経典です。日蓮聖人の御遺文「我日本の
       柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等と、誓ひし願やぶるべからず。(開目抄)」は、
       釈迦牟尼仏の御使命を全うせんとする菩薩の自覚を込められた誓願です。創価学会はこの文を本仏とし
       ての宣言であると歪曲します。釈迦牟尼仏の御恩に報いねばならぬとする日蓮聖人に背く、下克上の教
       義です。

    創価学会教学部編 「批判を破す」
    「(日蓮聖人を)本仏と仰ぐべきことは宗祖の御真意である。頭の悪い連中には、何が何だか
     さっぱりわからなくなる。釈迦本仏という先入観・色眼鏡をすてなければならない。」
     
    池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P93
    「釈尊出世の本懐である法華経でさえも
     末法の今日には まったく力はない」


    妙法蓮華経 薬草喩品/神力品/譬喩品
      「この法を聞き己って、現世安穏にして後に善処に生じ」
      「我が滅度の後に於いてこの経を受持すべし、この人仏道に於いて決定して疑いあることなけん」
      「もし人信ぜずして此の経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん」
       (毀謗=そしる、仏種=成仏の可能性)
    日蓮聖人御遺文(開目抄)
      「善に付け悪に付け、法華経を捨つるは地獄の業なるべし」

    池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P70
    「(創価学会の)この大御本尊を拝む以外に末法の
     衆生は基本的に幸福になれないのである。」

    日蓮聖人御遺文(観心本尊抄、報恩抄、本尊問答抄)
      「其の本尊の體たらく、本時の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・
       多宝仏、釈尊の脇士上行等の四菩薩」(娑婆=汚れと苦しみに満ちた現実の世界、宝塔=仏様の墓)
      「本門の教主釈尊を本尊とすべし」
      「法華経の題目を以て本尊とすべし」

       お釈迦様を謗り、教えを信じない創価学会の本尊でなければ、幸せになれないとはどういうことでしょうか。
       本尊というのは帰依する対象です。例えば本尊が仏像である場合、仏像そのものが有り難いのではなく、
       仏像によって顕わされた仏様を想って拝んでいるのです。日蓮聖人の描かれた曼陀羅本尊にも、帰命する
       対象(仏・法・僧)と、信仰における仏の境界が顕わされています。正しい信仰とは、形あるそのものが有り
       難いのではなく、それにより顕わされたものが信仰の対境となるのは言うまでもありません。これを拝めば
       幸せになると言うようなものは迷信です。あくまでも教主・釈迦牟尼仏を尊敬するからこそ、その正しき教え
       を心に留めて生活し、幸せに向かうのです。

    創価学会教学部編 「批判を破す」
    「自己流の見解を並べている。(中略)でたらめもいいかげんにしておけ。恥を天下にさらす
     のみだ。」

    池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P280、P286
    「邪宗教の本尊を拝めば、不幸になるのは当然」
    「日蓮正宗(創価学会)以外は ぜんぶ邪宗教であり
     害毒を流すもの」

       釈尊にも、日蓮聖人にも違背する教えをもって、自らを正しき宗とし、他を邪な宗と一方的に主張するのは、
       全く不条理なことです。

    池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P314
    「富士大石寺(創価学会)の大御本尊を拝まない者は
     すべて謗法である。」

    日蓮聖人御遺文(善無畏抄)
      「仏には釈迦牟尼仏を本尊と定めぬれば自然に不孝の罪脱がれ、法華経を信じぬれば不慮に
       謗法の科を脱がれたり」

       謗法とは、くわしくは誹謗正法であり、仏教上における重罪です。教主・釈迦牟尼仏とその正しき法を謗る
       ことを言います。「釈迦も釈迦の教えも役には立たぬ」と主張する創価学会こそ、当に謗法の徒と言わざる
       を得ません。仏教上の定義までも勝手に都合良く変えて良いものではありません。

       創価学会は、近年まで日蓮正宗(大石寺派)の誤った教義を利用してきたため、「日蓮聖人の御真筆であ
       っても、(大石寺の)大御本尊に直結しなければ何の功徳もない(P314)」と主張しておりました。しかしな
       がら、日蓮正宗より破門されるやいなや「(日蓮正宗)法主の許可や開眼などは無用」(聖教新聞)とし、創
       価学会複写の曼陀羅本尊のみを有効としています。

       注) 日蓮正宗(大石寺派)は、日蓮宗とは違います。他の日蓮系法華宗諸派とは異質なる「日蓮本仏論」
       を主張します。これは、仏と上師を一体と観る密教的な修法が、後世、誤って伝わり教義となってしまった
       と考えられます。いずれにしても、仏教の開祖である釈尊を詮なきものとする教義は偏狭なものです。なお、
       日蓮正宗が唯一とする板本尊は、偽物(日蓮聖人の真筆ではない)との見解が有力です。

    池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P303
    「釈迦仏法など立てるのは去年の暦と同様で役に立た
     ないしろものである。これを使用するから生活に破錠
     をきたすのは とうぜんである。」

       創価学会が、日蓮聖人の教えに背く教えを、あたかも日蓮聖人の教えであるかのように騙るため、世間に
       大きな誤解を与えています。釈迦牟尼仏の教えでないものは、仏教ではありません。日蓮聖人は、仏教が
       枝分かれし混迷した時代にあって、仏とその教えの本質に統一回帰せしめんとする法華経の広宣に命を
       懸けたのです。

    池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P321
    「俗にいう日蓮宗を代々やっていると家族に不具者が
     できたり、知能の足りない子供が生まれたり、はては
     発狂する者ができたりして〜」


    池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P323
    「日蓮正宗(創価学会)以外の宗派はすべて
     人々を不幸に落とす力をもっている。」

    池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P330
    「仏教は勝負であるから正邪は生活に事実として
     正は勝、邪は負の現象が出るのである。」

       仏教は勝負ではありません。正しさは、勝ち負けにかかわらず、多い少ないにかかわらず存在します。ちな
       みに、朝日新聞の調査(平成11年夏頃)において、各政党別支持者のアンケートを行ったところ、公明党
       支持者の「将来への不安」「現状への不満」が、多党支持者に比べて一段と高かった結果が出ています。

    池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P349
    「世間の無知な批判の中には、日蓮正宗における
     学会の存在を、日蓮正宗の本山を食い物にして、
     やがては一派独立の野望に燃えている新興宗教
     だというような、およそ誤認識もはなはだしい考え
     方をしたものすらあったのである。」

       昭和49年、日蓮正宗の信徒団体として組織力も資金力も強大になった創価学会は、これまで利用してき
      た日蓮正宗を自らの配下に納めようと画策し始めましたが、事の重大さにやっと気が付いた日蓮正宗は、
      平成3年遂に創価学会を破門しました。これにより、現在に至ってもなお、スキャンダラスな醜い曝露合戦
      が盛んに続けられています。

    創価学会誌 大百蓮華より抜粋
     「主徳」 全日本を、そして世界を守る池田先生のみ、現在において主徳をそなえて
           いらっしゃる。
     「師徳」 私たちの池田先生のみ師徳具備でいらっしゃる。
     「親徳」 我々学会員の幸せを願ってくださる池田先生こそ親徳兼備でいらっしゃる。
      * 主・師・親の三徳は、本仏を意味します。

    池田大作監修 創価学会教学部編 「折伏教典」 P252
    「政界においては、すでに公明党を結成して、王仏冥合
     を実現しつつあるが、同様に、経済、教育、文化等々
     あらゆる分野にわたって、(中略)第三文明の建設
     が、着々と実現されつつあるのである。」

       創価学会信者の多くの皆さんは、その巧妙な方法により、学会の教えのみを学びます。従って、仏教上も
       日蓮聖人の教えにも違背することが明らかにされても、論理上の判断はなされず、尊敬する池田大作名誉
       会長の創価学会は、あくまでも正しいと信じて疑おうとはしません。しかも、この問題に触れた時の学会信
       者の皆さんの反応には、激しいものがあります。

       創価学会上層部の方々が良識者であるならば、仏教を正しく学ぶならば、その教義の誤りは明白に理解さ
       れているはずです。経文の解釈を都合良く変えたり、日蓮聖人の御遺文を都合よく改ざんするなど、あって
       はならないことです。あえて異質な教義を取り入れ、不条理なことを強信させ、学会以外の一切の教えに反
       発させるのは、組織構築のために盲目的に従わせるのを意図しているとしか思えません。一般の信仰心あ
       ふれる信者の皆さんには、是非とも正しき教えに目を覚まして頂くことを願ってやみません。

       平和、文化、教育のスローガンを掲げ、近年には「他の宗教を尊重して、人類の基本的な問題について対
       話し、その解決のために協力していく」「宗門の拘束を離れた今、私たちは他の宗教と協力することに努力
       する」旨の発表をしました。しかしながら、これは創価学会への厳しい批判と、各方面からの追究を回避する
       ためであり、その教義と内実は全く変わっていないのが現状です。その一方で、強大な資金力と組織力に
       より、日本人の良心のより所である仏教を破壊し、着々と各方面で彼等の支配を実現しているのです。まし
       て仏教混乱の時期、数々の迫害に会われながらも、釈迦牟尼仏こそ我等衆生の主であり、師であり、親で
       あると訴えられた日蓮聖人の教えを騙るなど、けっして許されるべきものではありません。

       かって創価学会が数々の社会問題を起こしていた時代、検察庁刑事局に勤めていたのは、現公明党代表
       の神崎氏です。一国の総理(故小渕前首相)と旧友の如く握手し、創価学会丸抱えの公明党が日本の内閣
       に入って国政に携わろうという今こそ、正義ある皆さんと共に立ち上がるべき時と宣言いたします。

    創価学会 聖教新聞抜粋 師匠から全ての弟子へのメッセージ
    「私も戸田先生のもとで、阿修羅の如く戦った。この「創価精神」を受け継ぐのは君たちしか
     いない! 私の偉大なる若き同志達よ! 創価学会を、大切な21世紀の創価学会を、
     万事宜しく頼む!」  
                                      平成11年 六月二十一日 池田大作

    追補:創価学会 聖教新聞抜粋
    「糞犬! 癡猿! 日顕のごとき極悪を『極悪』と斬り、山崎のごときゲスを『ゲス』と笑い、新潮・文春等の『子供たちに読ませたくない』クズ雑誌を『クズ』と叩いてこそ、日本の民主主義は守ることができる。言うべきことを言わない臆病な“お澄まし屋”は悪を増長させ、善を虐げる加担者だ。俗耳に入りやすい甘言で人々を誑かすウソ議員やデマ雑誌やエセ宗教。これらの魔物を打ち倒し、日本に精神復興の光をもたらすのが、正義を打ち込む創価の言論闘争だ」2003年9月27日 (参考 日顕:創価学会が所属していた日蓮正宗の法主、山崎:元創価学会の顧問弁護士で創価学会を批判)

    その他、元公明党代表の竹入氏や矢野氏にも裏切り者として執拗な罵倒が続けられている。
      

    過去の公になった事件
        選挙違反/替え玉投票/選挙投票所での集団暴行/僧侶への集団暴行/創価学会批判出版物に
        対する妨害/組織的盗聴事件/取材するマスコミへの集団暴行等



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