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from: 21世紀さん
2009/10/23 10:02:10
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血脈相承の大事
●三宝血脈相承①一体三宝(内証)末法出現の仏・法・僧は、内証においてはともに久遠元初の三宝であり、大御本尊と一体のものと拝する三宝。②別体三宝(外用)
●三宝 血脈相承
①一体三宝(内証)
末法出現の仏・法・僧は、内証においてはともに久遠元初の三宝であり、大御本尊と一体のものと拝する三宝。
②別体三宝(外用)
末法における仏宝は宗祖日蓮大聖人、法宝は本門戒壇の大御本尊、僧宝は唯授一人血脈付法の日興上人と、形式の上から立て分けて拝する三宝。
③住持三宝(化導)
文底下種の三宝を令法久住せしめ、末法万年の衆生を済度する意義から拝する三宝。歴代上人はすべて僧宝として尊信される。
▲法華経は唯仏与仏の境界にして、等覚已下は極むることなきが故なり。(同一鹹味御書 263)
●『真言見聞』
「凡そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」(608)
▲日蓮が慈悲曠大(こうだい)ならば南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)未来までもながる(流布)べし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。1036
▲次に僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法・二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。故に大集経に云はく「五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ」と説かれたり。然れば僧の恩を報じ難し。されば三宝の恩を報じ給ふべし。269 四恩抄 弘長二年一月一六日 四一歳
▲華厳経に云はく「恩を知らざる者は多く横死(おうし)に遭(あ)ふ」四条金吾釈迦仏供養事 建治二年七月一五日 五五歳 995?
▲【草木成仏口決】(515)(全・一三三八)
信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり
▲修学解了の受職の比丘は仏位に同じ。是即ち如来の使ひなればなり。589
▲【百六箇抄】(1702)
但し直授(じきじゅ)結要(けっちょう)付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。
又五人並びに已下の諸僧等、日本乃至一閻浮提の外万国までも之を流布せしむと雖も、日興が嫡々相承の曼荼羅(まんだら)を以て本堂の正本尊と為すべきなり。所以(ゆえん)は何(いかん)、在世・滅後殊(こと)なりと雖も付嘱の儀式之(これ)同じ。譬へば四大六万の直弟の本眷属有りと雖も、上行薩・(さった)を以て結要(けっちょう)付嘱の大導師と定むるが如し。今以て是くの如し。六人已下数輩の弟子有りと雖も、日興を以て結要付嘱の大将と定むる者なり。
【関連】
●65日淳上人
百六箇抄については香浦氏は「その成立を大聖人の時ではなく後世であるか」の如く評してをるが、(中略)しかし察していへば恐らく同抄の後尾に明らかに大聖人の御時でないことが書かれてをるからそれを理由に言ふのであらうと思ひます。若しそうであるならばそれは御相伝書の拝し方を知らないのによります。御相伝書は順次相ひ伝へるに従つて加筆があつてもそれは当然です。それが相伝書の相伝書たるところで僞作ででもあるかの如く考へるのは全く書物の読み方も知らないうつけ者です。そんなことでは仏法の筆受相承などのことを談ずる資格は遠くありません。顔を洗つて拝し直すことです。
▼3【池田指導】(百六箇抄講義)
本抄(百六箇抄)には歴代の法主上人が拝読されたおり、一種の「覚え書き」として挿入、付加された部分が織り込まれております。歴代の法主上人が、日蓮大聖人の血脈を受けられ、大聖人の口伝を一点の誤りもなく後代に伝える意味もあって、「百六箇抄」の行間、本抄の前後、各項目の注釈等として書き込まれたものであります。故にこの部分も、私達が大聖人の口伝を体得していくうえにおいて、不可決の記述といえましょう。(中略)百六箇抄の口伝はもとより、代々の法主上人が記述された箇所も、すべて日蓮大聖人の金口として拝していきたいと考えております。
●日蓮一期弘法付嘱書 弘安五年九月 六一歳
日蓮一期(いちご)の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり。
弘安五年壬 九月 日 日蓮花押
血脈の次第 日蓮日興 1675
●身延山付嘱書 弘安五年一〇月一三日 六一歳
釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり。
弘安五年壬午十月十三日 武州 池上 日蓮花押 1675
●『本因妙抄』
「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の禀承唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘すべし伝ふべし」(新編一六八四㌻)
●『産湯相承事』
「此の相承は日蓮嫡々一人の口決、唯授一人の秘伝なり、神妙神妙と言給ひて留め畢んぬ」(新編一七一〇㌻)
●2『御本尊七箇之相承』
「日蓮在御判と嫡嫡代代と書くべしとの給う事如何。師の曰わく、深秘なり、代代の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」(聖典三七九㌻)
from: 21世紀さん
2009/10/23 10:06:11
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「Re:血脈相承の大事」
■●26『三宝抄』日寛上人
「然れば則ち吾が日興上人嫡々写瓶の御弟子なる事分明なり。故に末法下種の僧宝と仰ぐなり。爾来日目日道代々咸く是れ僧宝なり、及び門流の大衆亦爾なり云云」(歴全四―三九〇㌻)
(※「咸く是れ僧宝なり、(a)及び門流の大衆」の(a)の区切りに当家三衣抄のお心からすれば、能化所化の立場の違いが拝せられる。)
【関連】▼※ 『特別学習会テキスト』創価学会発行
「『僧宝』とは正宗においては第二祖日興上人のことであり、また第三代会長も発言しているごとく、唯授一人の血脈をうけられた御法主上人猊下であらせられます。従ってこの正宗教義の根本となる僧宝と、信心実践面での和合僧ということについては、絶対に混同するようなことがあってはなりません。また、広義においても、学会を『僧宝』という言い方はしてはならないことであります」(四一㌻)
■▲26 久遠元初の僧宝とは即ち是れ開山上人なり、仏恩甚深にして法恩も無量なり。然りと雖も若し之れを伝えずんば則ち末代今時の我等衆生、曷ぞ比の大法を信受することを得んや、豈開山上人の結要伝授の功に非ずや、然れば則ち末法出現の三宝は其の体最も明らかなり」(聖典九五〇頁)『当流行事抄』
■▲「所謂僧宝とは日興上人を首と為す、是れ則ち秘法伝授の御弟子なるが故なり」僧宝は第二十六世日寛上人
■ ▲所詮宗祖大聖人の教の如く少も添ず削らず修行する則んば、本因の釈迦菩薩一迷先達して如百迷盲に教へ玉ふ如くぞと信じ奉る可き也。具に此の本因本果の法門を尋んと欲ば、今二十四代伝て大石の精舎にあり金口の御相承切紙相承其の外種々の御相伝有るげにありと云云。富要10-254 寿量品
●26『三宝抄』日寛上人
「問う、三宝に勝劣有りや。「答う、此れ須く分別すべし、若し内体に約さば実に是れ体一なり。所謂法宝の全体即ち是れ仏宝なり、故に一念三千即自受用身と云い、又十界具足を方に円仏と名づくと云うなり。亦復一器の水を一器に写すが故に師弟亦体一なり、故に三宝一体也。若し外相に約さば任運勝劣あり。所謂、仏は法を以て師と為し、僧は仏を以て師と為す故也。故に法宝を以て中央に安置し、仏及び僧を以て左右に安置するなり」(歴全四―三九三㌻)
●26『抜書雑々集』日寛上人(左京日教師「類聚翰集私」・富要二―三〇九頁の文を引用)
「日蓮聖人御入滅有るとき補処を定む、其の次ギに仏法相属して当代の法主の所に本尊の躰有るべきなり、此の法主に値ひ奉るは聖人の生れ代りて出世したまふ故に、生身の聖人に値遇結縁して師弟相対の題目を同声に唱へ奉り信心異他なく尋便来帰咸使見之す、何ぞ末代の我等三十二相八十種好の仏に値ひ奉るべき、当代の聖人の信心無二の所こそ生身の御本尊なれ、」
尋いで便(すなわ)ち来り帰って咸(ことごと)く之に見(まみ)え使(し)む
▲26「此の経は相伝に有らざれば知り難し」文。また云く「此の法華経は知らずして習い談ずる者は但爾前の経の利益なり」如説修行抄筆記
●31『日因上人御消息』
「日興上人已下代々も亦爾なり、内証に順ずる則んば仏宝なり、外用に順ずれば則ち僧宝なり」(妙喜寺文書)
●48『続家中抄』日量上人
「晨朝密かに学頭詳公(※日詳上人)を招き、金口嫡嫡の大事を伝付し没後の事を遺托す」(聖典七七四㌻)
●56『弁惑観心抄』日応上人
「大漫荼羅一幅に於て三宝を具足するを以て別体住持二種の三宝必要なしと云はば三宝に開合あるの義を弁へざるが故なり。夫れ当家所立下種の三宝は久遠元初無作本有の妙法蓮華経より唯我与我の師現はれて事行の信心を顕示し末法但妄の衆生を救済し玉ふ者なれは漫荼羅一幅に三宝を具するは則ち合帰の事相にして別体の三宝は則ち妙法の漫荼羅より開発したる事相なり」(二〇四㌻)
●56『弁惑観心抄』日応上人211
唯授一人嫡々血脈相承にも別付総付の二箇あり其別付と者則法体相承にして総付者法門相承なり、而して法体別付を受け玉ひたる師を真の唯授一人正嫡血脈附法の大導師と云ふへし。又法門総付は宗祖開山の弟子旦那たりし者一人として之を受けさるはなし蓋し法門総付のみを受けたる者は遂には所信の法体に迷惑して己義を捏造し宗祖開山の正義に違背す、(中略)
吾大石寺は宗祖開山より唯授一人法体別付の血脈を紹継するを以て五十有余代の今日に至るも所信の法体確立して毫も異議を構へたる者一人もなし。
而して別付の法体と者則吾山に秘蔵する本門戒壇の大御本尊是なり、故に開山上人より目師への付属書に云く「日興宛身所給弘安二年大本尊日目授与之」云々、此法体相承を受くるに付き尚唯授一人金口嫡々相承なるものあり此金口嫡々相承を受けされは決して本尊の書冩をなすこと能はす、(中略)
仮令広布の時といへとも別付血脈相承なるものは他に披見せしむるものに非す、況や今日該抄を世上に伝播せしむるか如きは無論唯授一人の別付相承に非すして法門総付の相承なること顕然なり
●56「辨惑観心抄」日応上人219
此の金口の血脈こそ宗祖の法魂を写し本尊の極意を伝るものなり之を真の唯授一人と云ふ、(中略)故に予は断言す汝等か山は不相伝なり無血脈なりと宜しく猛省すへし。
●「一、吾本山大石寺ハ血脈相承ナルモノハ元ヨリ唯授一人ニ限ルモノニシテ断シテ二三アルニアラス故ニ開山日興ハ是を日目ニ附シ日目ハ是ヲ日道ニ附シ金口嫡々附嘱相承シテ五十有余代ノ今日マテ毫末乱ルゝナシト為ス」(法之道・研究教学二七―三一㌻)
●「此ノ金口ノ血脈コソ唯仏与仏ノ秘法ニシテ独リ時ノ貫首ノ掌握セル所ナリ是レニハ数種アリ又数箇ノ條目アリトイヘトモ其ノ中一種ノ金口血脈ニハ宗祖己心ノ秘妙ヲ垂示シ一切衆生成仏ヲ所期スル本尊ノ活眼タル極意ノ相伝アリ又師資相承ノ如キハ宗祖直授ノ禁誡ニシテ令法久住ノ基礎タリ是レ等ヲ此レ唯授一人金□嫡々血脈相承ト云フ也」「同四七四㌻」
▲56日応上人の、
「当宗に於て授与する処の御本尊は一切衆生に下し置かれたる此の御本尊の御内証を代々の貫主職一器の水を一器に写すが如く直授相伝の旨を以て之を写し奉り授与せしむる事なれば各のその持仏堂に向かっても「直ちに此の御本尊を拝し奉る事よ」と相心得へ受持信行する時にはその処直に戒壇の霊地、事の寂光土なる程に臨終の夕までも此の御本尊を忘れ奉らざる様に致さるべきなり、爾れば則ち即身成仏は決定疑ひなきなり。」(本門戒壇本尊縁由 一九㌻)
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