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  • from: 改革フォーラムさん

    2009年11月15日 23時30分27秒

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    『けっして触れたくなかった真実』

    創価学会はいつから誤っていたのか!?

     創価学会が今日のような大謗法団体となってしまった原因について、これまで様々な分析がなされてきた。その大半は、第三代会長・池田大作の無信心・大慢心に起因する、との見方であるが、はたして、それが全てといえるだろうか。

    「源にご(濁)りぬればなが(流)れきよ(浄)からず」(御書八二七)との御金言もあるように、真に清浄なる源から突如として濁流が流れ出す、ということは考え難い。

     やはり池田の大謗法を生む要因は、それ以前から学会の中に伏在していた、と見るべきであろう。この対談は、今まで触れられなかった、二代会長当時の誤りについて言及したものである。

     話し手=元・創価学会広報部副部長:小川/頼宣氏、元・聖教新聞社職員:原島昭氏

     戸田会長の忠誠と、行き過ぎた〝宗門批判〟『〝強信者〟といえど仏法の裁きは厳然』


     【小川】
     いろいろお伺いする前に私の想いを申し上げておきたいのですが、私は戸田城聖会長を心から尊敬しています。それは牧口氏や池田大作と違って、戸田会長は、戒壇の大御本尊を唯一絶対と信奉し、代々の御法主上人を大聖人と仰いで忠誠を尽くしたからです。

     【原島】
     そうですか。

     【小川】
     ところが、どうしても引っ掛かる点があって、いつかはハッキリさせなければいけない、と思ってきました。 それは、戸田会長の数多くの論述の中で、ただ一つ「創価学会の歴史と確信」と題する論文の中に、日蓮正宗宗門を揶揄し批判した内容があること。 また、当時の『聖教新聞』の「寸鉄」欄に、宗門御僧侶方に対する酷い悪口が、それこそ口を極めて書いてある。

     たとえば、学会がこれだけ折伏したのに宗門は大事にしてくれない、という感情から書き殴ったと思われるものの中には、「生臭坊主」「糞坊主」「狐坊主」から始まって「化物坊主」「第六天坊主」などという書き方がしてあります。

     それから、学会で御書全集の発刊を発願した時に、諸般の事情で宗門を挙げて協力してもらえなかったことについては、「御山でゴシュ(御酒)は作ってもゴショ(御書)は作れぬ坊主が居るってね」

    などと揶揄していますし、昭和二十七年のいわゆる〝狸祭り事件〟と呼ばれる騒動で、いかに謗法行為を憎んだからといっても、すでに反省悔悟している某御僧侶に対し、総本山内で大勢の学会員が暴行に及び、後日、その行為について、宗門から厳しく処分があったところ、「寸鉄」では、

     「忠義を尽くして謗法を責めて御褒美あるかと思うたに、おほめはなくて『登山まかりならん』とおしかりさ。弟子一同『俺達も一緒に登らんわい、フン』だってさ」

     「宗会議員の諸公は三類の敵人中、第二類か第三類か、ニヤリ」などと不遜極まりないことを書いています。 また、その翌年の「寸鉄」では、

     「坊主の仕事は衆生を成仏させる事だが、自分が成仏出来るかどうか考えた事があるのか」等、さらに口汚ない悪口誹謗がなされています。

     これらは、記名記事ではないものの、学会の中では「戸田会長が執筆した」というのが通説となっていますし、仮にそうでないとしても、こんな内容を機関紙に連日のように載せていた、責任者としての失は免れないと思います。

     【原島】
     そうですね。じつは昭和二十五年頃の学会の座談会で、「歌を忘れたカナリア」という童謡を歌っていたことがあるんです。それは、辻武寿理事が幹部会で皆に歌わせ、戸田先生も認めたことから始まったそうですが、歌を忘れたカナリアというのは、折伏を忘れた日蓮正宗の御僧侶と法華講のことを指している、とのことでした。

     いくら学会が大折伏をしている、といっても、これは信心の姿勢から言えば傲り、驕慢ですよね。 それから、先程の「ゴシュ」と「ゴショ」というのは、戸田先生が好んで用いていた洒落ですね。私の家には、戸田先生から戴いた「御書会も御酒会も同じ法の友 霊山までも飲みに行かなむ」という色紙もあります。このことから見て、先程の「寸鉄」を書いたのは、やはり戸田先生なのでしょうね。

     【小川】
     ですから私は、戸田会長の信心は、根本のところでは立派であったと思うんですが、同時に見過ごすことのできない瑕瑾もあった、というのが事実だと思います。

     おそらく、それは、戸田会長が心底から敬愛した牧口常三郎氏の獄死に対する無念の想いと、講義の最中でもウイスキーをガブ呑みしていた程の酷いアルコールの影響が相俟って、時折に宗門誹謗の言動が飛び出してしまったのではないか、と考えます。

     【原島】
     なるほど。


     「師匠が地獄の相で死んで」と池田___真の追善供養は正邪を峻別してこそ

     【小川】
     それから、これを述べることは私としても本当に断腸の思いですが、仏法の因果を覆い隠すわけにはいかないので、お話します。
     池田大作が三代会長に就任した翌日、原島嵩氏に

     「君は、私の弟子になるか!弟子というものは、師匠が地獄の相で死んでいったとしても、疑わずに、自分も共に地獄へついて行くというのが弟子だ!」(『前進』昭和五十二年五月号)と語った、というのは有名な話ですが、私はこの内容に引っ掛かりました。

     というのは、池田大作が語ったのは、単に「師匠が地獄に堕ちても疑わずについて行く」という、一般論的なものではなく、「師匠が地獄の相で死んでいったとしても」という、極めて具体的な表現です。

     原島嵩氏も、この衝撃的な表現が印象に残ったからこそ、そのように記録したと思うんですが、私は、これは池田の実体験に基づく発言ではないか、と感じたわけです。

     そして、いろいろ調べていったところ、原島さんのお父さんである原島宏治氏(※故人。学会理事長・公明党初代委員長を歴任)が戸田会長の臨終の相を拝見しており、それによると、口が大きく開いてしまっていた、と___。

     【原島】………。

     【小川】
     このことは関係者も固く口を閉ざしていますし、私も数年前に知って以来、途方に暮れて、口外せずにきました。しかし、大聖人は、

     「此の人は地獄に堕ちぬ乃至人天とはみへて候を、世間の人々或は師匠・父母等の臨終の相をかくして西方浄土往生とのみ申し候。悲しいかな、師匠は悪道に堕ちて多くの苦しのびがたければ、弟子はとゞまりゐて師の臨終をさんだん(賛嘆)し、地獄の苦を増長せしむる。譬へばつみ(罪)ふかき者を口をふさいできうもん(糾問)し、はれ物の口をあけずしてや(病)まするがごとし」 (御書一四八二)

    と仰せられています。いたたまれない思いではありますが、このことをどこかで明らかにしなければ、学会初期からの宗門誹謗が、あたかも正しい信仰として罷り通ってしまい、かえって、いつまでも戸田会長の苦を増長させることになって、真の追善供養にならない、と思うのです。

     【原島】
     そのとおりですね。私もそう思います。……父がそのように述べていた、ということは知りませんでしたが、じつは、私も見ているんです。 戸田先生の葬儀において、斎場でいよいよ最後のお別れということになり、棺の蓋が開けられた時に拝見しました。他にも私の前後に、棺の傍らでお別れの対面をした本部職員が数人いました。

     それは、大聖人様が仰せられているような成仏の相や、私の身内が亡くなった時の色白で半眼半口で柔らかな相とは、全く違う、苦悶の相でした。口が大きく開いて、色も黒くなっており――。

     私は、それで当時の創価学会の在り方に疑問を持ち、もう、心からは従えなくなったんです。

     【小川】
     やっぱり、そうでしたか。 私は、池田が原島嵩氏に話した内容からみて、この戸田会長の臨終を池田がどう捉えたか、というと、池田は、戸田会長の信心の瑕瑾に気付くのではなく、むしろ、「あれほど信心一筋に頑張ってきた師匠でも地獄の相で死んでいった、地獄も仏も無かったのだ」と受け止めたのだろうと思います。

     つまり、この瞬間に、池田大作の中にわずか残っていたかもしれない信心のカケラも、根本的に吹き飛んでしまった。 だからこそ、池田は、御本尊模刻・血脈否定・戒壇大御本尊蔑視・宗門誹謗等々といった大謗法を、恐れ気もなく犯し、自身の〝天下盗り〟という野望に突っ走ることができたのに違いありません。

     【原島】
     そのとおりだと思いますね。

     【小川】
    「源にご(濁)りぬればなが(流)れきよ(浄)からず」(御書八二七) との御金言もありますが、私はこの際、創価学会の謗法化の原因を全て明らかにして、二度と再び同じことを起こさない、その指標とすることが大切だと思います。

     そのために、明らかにしたくないことも、あえて明らかにせざるをえない、というのは、やむをえないことだと考えます。 そして、戸田会長の大きな遺徳は遺徳として、その恩を被っている者が、今度は正しい日蓮正宗の信心をもって仏祖三宝に御奉公していく、その功徳が全て戸田会長に巡っていくものと信じます。

     【原島】
     そうですね。それが『報恩抄』にも示される報恩と追善供養の在り方だと思います。 私としても、戸田先生は父母が長年、師と仰いだ方です。これまで一言も他人に洩らさずに来た、戸田先生の臨終について述べるのは、身を切られるように辛いものがありますが、令法久住のために、また戸田先生に対する真の追善供養のためになるなら、きっと先生も喜んで許してくださるものと信じています。

     【小川】
     ともあれ、創価学会ができた昭和初期の頃は、まだ本宗信徒の中に正しい信心の在り方というものが徹底しておらず、そのため、時として、宗門軽視や在家中心主義を叫ぶ法華講員も出てきたようです。

     それは今日で見れば異端ですが、そうした中の突出した一人として牧口常三郎氏が現われ、また、その思想的影響を、そのまま全てとはいいませんが、かなり戸田会長も受けていたのだと思います。

     したがって今日の私達は、過去に創価学会で教えていたことなどに一切捉われることなく、あくまでも、日興上人の御遺誡置文や日有上人の化儀抄に示される、本宗の正しい信心の在り方を一から学び、身に付けていくことが大切でしょうね。

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