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野山徘徊やウルトラマラソン

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  • from: ku-toさん

    2012年06月05日 08時18分48秒

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    藤白王子

     日曜日に和歌山に用ありで妻と行ってきました。
    午前中に用が済み、帰路は高速を通らずに、一般道を通り
    海南の藤白神社に寄ってきました。
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     藤白神社(王子)は高速道路の高架横にあり、意外と分かりにくい場所にある。神社の鳥居脇には樹齢1000年の大楠の木が3本もあり、格式の高さが分かる。
    語り部の端くれとして、熊野古道を紹介するにあたり、藤白王子は欠かせない存在なのです。
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    五体王子といって、藤白王子、切目王子、稲葉根王子、滝尻王子、発心門王子は格式が高く、社殿や鳥居も立派とされていたのです。で、上皇、貴族が参詣すると必ず、歌会を開いたり、里神楽や奉納相撲などをして、時の権力を誇示したんやで、
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     私の好きな、人情厚い、後鳥羽上皇が訪れたときも、しっかりと歌を詠んでいる。それを熊野懐紙というんです。で、それら参詣中の出来事を、だれがこの現世に、史実を広めたかと言うと、これまた、我が崇拝?する少しオトボ○の藤原定家なんですよね、百人一首を作成した人なんですよ、とお話しします。(注)決して定家をオトボ○等とは言いません
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     定家は後鳥羽上皇の身の回りの世話人ですが、本当は上皇に仕える身ですので、かなり位は高いのです。しっかりと真面目にお仕えするのですよね、後鳥羽院の熊野参詣のお供を4回するが、全ての日程の取りまとめ、宿舎の確保、神社への奉納品等等、ツアーコンダクターなのであります。
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     で、その行動を克明に書いたのが、定家が80年の生涯の中で56年間日記を書き続けた「明日記」があります。一度読んで頂戴、実に面白い、後鳥羽院の女遊びの甚だしさに、ほとほと参るくだりなど思わず、噴出しそう
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     藤白王子での定家の日記には、寝過ごして、目が覚めると、上皇の歌会が始まっていて、取り巻きの人盛りで入れなかった。等と書いているし、その後の切目王子では、社殿の壁板に記念の落書きをしたり、芳養王子では宿舎がなく、海辺の海女屋に泊まったり、田辺御所では豪華な宿、と思ったのも束の間、戸板の破れた寒風吹きすさむ宿舎で風邪をひいたなど、と定家さん、現世で言えば、かなりのオトボ○模様ね、と言いたくなりますけど、優しい温かみがあり、没後771年経った今も輝いています(笑)







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