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  • from: 22世紀さん

    2010年12月23日 16時16分45秒

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    池田大作「権力者」の構造

      池田の抬頭と石田の地盤沈下

     昭和33年5月3日、第18回春季総会で理事長・小泉隆は、会長職は当分置かない、戸田がつくったレールの上を、脱線しないように創価学会という列車を走らせていくのが我々のつとめだ、と演説した。
     この日、小泉は蒲田支部長と台東区総ブロック長を辞任し、理事長一本に専念することになり、また戸田の死で一人欠けた理事は和泉覚の就任で補われた(宗教法人の登記面では、戸田が死んだ4月2日、ただちに小泉が創価学会の代表役員代務者になり、4月12日に和泉覚が責任役員についている)。これで同会の理事は、理事長・小泉のほか、白木薫次、原島宏治、柏原ヤス、辻武寿、石田次男、和泉の計7名になった(登記面の責任役員も同様メンバー)。蒲田支部長の小泉の後任には白木薫次が据えられた。
     6月30日、本部幹部会の席で、総務、庶務部、出版部の新設が発表され、総務には池田が渉外部長を解任されたうえで任命された。
     総務の役職は創価学会規則になく、その権限はなんら新しく規定もされず、一年間、無規定で通しつつ゛けられた。が、それは大体、青年部の参謀室長を本部に格上げしたもの、政党でいえば書記長格といった程度には漠然と諒解されていたようである。
     庶務部はそれまでの秘書部の改称で、部長には秘書部長・和泉美代が留任した。出版部長には森田一哉が、渉外部長の後任には辻武寿がそれぞれ任じられた。
     この人事は全体として青年部の試験的登用で、まだ池田の会長就任への布石といったものではなかったが、たしかに池田の重用ではあった。総務に要求される活力と事務能力は池田のタレントであり、また小泉は、前年公選法違反でともに臭い飯を食った仲という、池田に対する親近感を持ち、それらが相まって池田を総務に押し上げたのだろう。
     池田は総務となっても、青年部参謀室長の役を手放そうとはしなかった。強大化した青年部こそ、彼の唯一の切札であることを熟知していたからである。彼は参謀室を重点に、青年部の完全掌握に歩を進めた。その中には石田の義弟である男子部長・秋谷城永も含まれていた。青年部の力を背景にすれば、池田の発言権は飛躍的に強化され、全組織への攻略もたやすい。彼の戦略は大宅壮一のいうスターリンではなく、三国志から学ばられたが、三国志は派閥操作には依然として有効であった。
     池田は一方、与えられた総務の職をもフルに活用した。彼は集団指導体制の間隙をぬって全国の組織を小マメに動き、しきりに自分の顔と名を売り歩いた。
    池田だけが会長空席期を、会長着任をめざす事前運動の期間ととらえ、野心的に動きまわった。他の幹部たちは、「会長は当分置かない」「われわれで、会長になりたいなどと考えているものは、それこそ一人もいない」などの小泉や原島の言葉をうのみにして、いたずらに牽制しあっていた。12月7日、男子部総会で、一男子部員が「三代会長は俺だ」と短刀をもって壇上にかけ上がる事件があったが、その男も幹部間のぎこちない緊迫感を触知して、耐えられなかったのだろう。
     このころから、石田の聖教新聞への登場は目立って減っていった。彼は大石寺での夏季講習会の講師を担当し、組織面から教学面に移されつつあった。それは、「学会きっての理論家」(『聖教新聞』昭和32年10月4日)と評される石田の悲劇だった。また彼の唯一の組織担当である九州総支部長は要職ではあったが、ここにきて遠隔地という裏目が濃く出てきた。総支部の少なかった時代の戸田の意図は、彼を飛ばすこととはまるで逆だったのだが。
     石田の地盤低下は9月の『折伏教典』改訂版の刊行でさらに追い打ちをかけられた。同版の編集は小泉を中心に教学部で進められ、改訂前との主な相違は、石田の書いた第一章生命論が、戸田の講演筆記と入れ替えられたことにあった。
     石田は生命論の根拠を、日蓮の佐渡御書――人の衣服飲食をうばえば必ず飢餓となる。持戒尊貴を笑えば貧賤の家に生ず。養戒を笑えば国土の民となり王難に値う。是は常の因果の定まれる法也――に求めて、旧版では過去から現在の因果、現在の差別の理由の説明といった面が強調されていた。
     これに対し、改訂版では、「生まれ落ちると女中さんが30人もくっついて、婆やが5人もいて、年頃になれば、優秀な大学の卒業生としてお嫁さんは向うから飛びついてきちゃって、良い子供を生んで立派な暮しをして、そして死んでゆかなきゃならない。その来世の幸福を願うが故に、今、信仰させる」と、現在から未来への視点、努力による因果論から信仰による来世の幸福へのすりかえ、因果論の後退など、力点の置かれかたが変えられた。
     こうした改訂は、時代の変化に対応した、教理の「逆立ちしながらの唯物論化」(高木宏夫)の一環をなすものであったが、戸田の講演との入れ替えとはいえ、石田の巻頭を書いたという名誉を著しく損なうものであった。
     11月9日、第19回秋季総会が開かれ、3月の総登山、会員百万世帯、地方寺院の建立というこの年の三大目標の達成が発表された。またこの日、十支部が新設され、理事・辻武寿が福島支部長に、文化部長・鈴木一弘が川崎支部長に任じられた。
     公称世帯数をそのまま受け取るなら、この年の対前年成長率は37パーセントで、前年の53パーセントに較べて大きな落ち込みであった。が、伸び率の逓減性を考慮にいれるなら、まずさほど遜色のない、戸田亡き後の第一年であった。


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