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  • from: 21世紀さん

    2011年08月30日 21時13分27秒

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    「Re:池田大作の実像」
    【入信神話(戸田との運命的出会い)】
    池田はのちにこれを実に見事なまでに改竄(かいざん)する。入信神話こそ、池田の嘘(うそ)の出発点、典型といって決して過言ではあるまい。(溝口敦著『池田大作「権力者」の構造』)

    ************************************************************
     池田が、『人間革命』などで発表している「入信神話」によれば、
     「小学校の同級生だった三宅家の次女に誘われ、文学の同好会の2人の友人と共に、三宅家に足を運んだ。それは、戸田2代会長が『立正安国論』を講義している最中であった。講義終了後、戸田会長に天皇制などについて質問をし、それに対する戸田会長の明快な回答に痛く感動し、さらに"これは運命的な出会いである、自分はこの人の後継者となるに違いない"と不思議な直感を得て、入信を決意。その場で『旅びとよ/いづこより来(きた)り/いづこへ往(ゆ)かんとするか(中略)われ地より湧(わ)き出(い)でんとするか』等という、『地涌』を想起させる即興(そっきょう)詩を戸田会長に披露(ひろう)した―」
     そして、この日(8月14日)から10日後の8月24日に御授戒を受けた、ということになっています。(『慧妙』H21.9.1)


    ◆戸田先生と初めてお会いしたのは、東京・大田区の座談会です。昭和22年(1947年)の8月14日、木曜日の夜でした。先生は47歳、私は19歳。(「池田名誉会長講義」『聖教新聞』H21.8.13/『慧妙』H21.9.1)

    ◆2回目の終戦記念日を迎えようとしていた蒸し暑い真夏のある夜である。小学校時代の友だちが訪ねてきて「生命哲学について」の会があるからこないかという。生命の内的自発性を強調したベルグソンの「生の哲学」のことかと、一瞬思って、尋(たず)ねてみたが「そうではない」という。私は興味を持った。約束の8月14日、読書グループの2人の友人と連れ立って、その「生命哲学」なるものを聞きに向かった。(池田大作著『私の履歴書』S50.5/『慧妙』H19.5.1)


    ◆この日、この運命の師と会ったことが、私の生涯を方向づけることになったのであるが、その時は知るべくもなかった。ただ、初対面ながらも不思議に親しみの情がわき上がってくるのを禁じえなかった。講義と質問への応答が一段落すると、戸田先生は微笑しながら「幾つになったね」と尋ねられた。仁丹をかみ、たばこをふかしておられた。19歳ということを耳にして、ご自身も故郷の北海道から東京へ初めて上京した時もそんな年ごろだったと懐かしげに語られる。
     私は教えていただきたい、と質問をした。「正しい人生とは」「本当の愛国者とは」「天皇をどう考えるか」この3点であった。簡明直截(ちょくさい)な、しかも誠実な答えが返ってきた。少しの迷いもなく、理論をもてあそぶようなこともない。「これだ!」と思った。この人のいっていることは本当だ!
     私は、この人なら信じられる、と思った。(同)


    ◆私は、なにかしらうれしかった。その日、自分の所懐を即興の詩に託して誦(しょう)した。
     旅人よ
     いづこより来り いづこへ往かんとするか

     月はしずみぬ
     日は いまだ昇らず
     夜明け前の混沌(カオス)に
     光 もとめて
     われ進みゆく

     心の暗雲をはらわんと
     嵐に動かぬ大樹を求めて
     われ 地より湧き出でんとするか(同)


    ◆話を聞くと、この戸田先生という人物は、戦争中、あの無謀な戦争に反対し、軍部独裁の国家権力の弾圧にもかかわらず毅然(きぜん)として節を曲げずに、昭和18年、治安維持法違反ならびに不敬罪で検挙され、投獄されながらも己の信念を貫き通したというではないか。これは決定的な要素であった。2年間の獄中生活に耐え、軍国主義思想と戦った人物には、信念に生きる人間の崇高さと輝きがある。極論すれば、当時の私にとっては「戦争に反対して獄に入ったか否か」ということが、その人間を信用するかしないかを判断する大きな尺度になっていたといっても過言ではない。(同)
    ------------------------------------------------------------
    <池田の入信に戸田会長は無関係>
    ●いま創価学会で言われているような、池田と戸田先生の伝説的な出会いはそこではありませんでした。
     『人間革命』や学会の書物には、美化された出会いが描かれていますが、その日、我が家には戸田先生はいらっしゃらなかったのです。もちろん、池田は詩も詠んでいませんでしたよ。彼は我が家に来てから、10日後に入信します。私は池田にデートに誘われ、日比谷に映画を見に行ったこともあるので、当時のことはよく覚えています。あの頃の池田は、"今に見ていて下さい、僕のこれからを見て下さい"と、よく言っていました。上昇志向が非常に強い人でした。(三宅妙子『週刊新潮』H15.12.18)
    -----------------------
    三宅妙子さんは三宅家の三女。父・穣(ゆたか)氏は地元・大田区蒲田の支部長を務め、しばしば自宅で座談会が開かれていた。池田が入信を決意したという座談会場こそ、彼女の自宅だったのである。

    ●学校時代の友人にさそわれて創価学会の本部へいきました。その友だちは哲学のいい話があるがこないか、とさそったのです。私は友人と2人で行ったのですが3、40人もいたでしょうか。5時間くらいもそこで締めあげられたのです。南無妙法蓮華経は嫌いだったので、ずいぶん反対したのですが、理論で破れて信仰しなければいけないということになってしまったのです。負けたのでシャクにさわってしかたがない。その時の感じをいえば、理論をうけとめる素地がないからわからない。それだのに相手は確信をもって話している。こちらは観念的で浮いているような感じがしたんです。そのときの話というのはこうなんです。「これから先のこと、20年先のことがわかるか。これから年とって、その先なんのため生きたかを考えることになるがそれならば今のうちに考えたらいいではないか。自分の宿命は自分でも知らないではないか。誰が援助しても、社会的に偉くなっても宿命だけはわからない。宿命は解決できるか、人生ひとたび死ぬではないか。苦しんで死ぬのではしかたない。この4つの全部がわかっていれば信仰の必要はない。わからなければ真面目に考えろ。信仰をしろ」というのです、私はこれに答えられず、信仰すると答えたのです。それでお題目を唱えろということでしたが、はずかしくてしかたがなかったのです。友人は入信しないで黙っていました。それから御本尊をお下げするという話で、私は30分間ほどいりませんとがんばったんです。すると幹部の人がなだめて、むりやり私に押しつけました。
     家に帰っても3日間おがまずにほっておきました。3日目にものすごい雷が鳴って、私の上ばかりでゴロゴロ鳴って、私ばかり狙っているように思ったので、そのとき思わず南無妙法蓮華経と口をついて出ました。それは高校をでて蒲田に勤めて出張していたときのことです。それからは、おがみはじめるとなんとなく1日安心感があって、おがまない日は仕事もなにも落着かない。それでおがむとこうなんだから信仰は大事だなあと思ったのです。それから1年は普通にやっていました。そのころはバチがこわかったのです。前の信者さんたちが牢獄へいったということが気になりました。全部の宗教に反対するから必然的に弾圧される。その時はどうしようか、寝ても覚めても考え、やめるなら今のうちがよいと考えました。2年目に「立正安国論」の講義を聞いてから、よし、よい勉強しようと考えるようになりました。3年目の8月に戸田さんの出版に小僧から入りました。信用組合にも入っていたんですが、アパートに住んで、給与もなく乞食同然で苦しくてしかたなかったんです。戸田のところへいったからというので、家からは勘当同然でした。14、5人の研究会の仲間からもやられました。そこで御本尊さまにこの苦しみだけ逃れさして下さい、という願いをして御題目を60万遍唱えることにしました。逃れなければやめようと思っていたのです。それが不思議にも百日過ぎて急によくなってきたのです。その時先生は事業を譲っていましたが、それをこしてから完全になにからなにまでよくなって、身体も、生活も、物質的にも、社会的地位も過分なまでによくなったんです。私の体験は3年だけです。信仰しなかったならば23くらいで死んだだろうといわれています。信仰していなかったら貧乏で、病気で死んでいたでしょう。わたしは今それから6年経っていますがずっと順調で申し分のない幸を得ております。(池田発言/小口偉一編『新心理学講座4 宗教と信仰の心理学』河出書房、1956年57-59頁)
    -----------------------
    池田は昭和30年ころ、宗教学者のインタビューに答えて、入信前の心理や座談会の模様、入信までの経緯や信者としての生活等を語っている(中略)インタビューでの池田の回答は、いくつかの細かな事項が、一般に行われている説と相違するが、宗教学者・日隈威徳(ひぐまたけのり)はもっとも事実に近く、かなり率直なものと見ることができるとしており、少なくとも池田の当時のいつわらぬ心境を察知するには十分である(池田に関する資料は発表年時の古いものほど、ことに会長就任前のものほど、信憑性が高いといえる)。(溝口敦著『池田大作「権力者」の構造』)

    ●私が信仰したのは、丁度今から10年前の8月24日です。……折伏されたのは、前の本部です。前の本部は会長先生が事業をなさっていらっしゃった2階の8畳と6畳の2間でした。……そこで多くの広宣流布の人材が毎日会長先生の御講義をきいたんです。私はそこで教学部長から折伏されたんです(池田大作『聖教新聞』S32.10.18/『フォーラム21』H15.1.1)

    ●一応信仰したけれどずい分悩みました。「えらいことをやっちゃったな、一生、南無妙法蓮華経と唱えるのか、みんな気違いだと思うだろうなあ…」などと、ずい分苦しみました。(池田大作『聖教新聞』S32.10.18/『慧妙』H19.5.1)

    ●ちょうど15年前に、小平教学部長と、それから矢島尊師に連れられて、ちょうど日淳上人様の勤行ご導師をいただいて、たった3人だけの御授戒でした。それで私は、真ん中にすわらされてしまって、勤行がはじまったけれども、またひじょうに長い勤行で(笑い)、びっくりしてしまいました。それで、日淳上人より御本尊様をお下げ渡しいただくときに、もう足がしびれて、このまま一生信心するのでは、もうたまったものではない(笑い)と、もったいない話ではございますが、そのときは〝信心は結構でございますから、きょうは御本尊様はいただかないようにします〟と、そういうように申し上げたのです。その場所で。すると日淳上人は「まあ、そういわないで、きょうは御本尊様をもっていきなさい」と(笑い)、何回も何回も押し問答になりまして、とうとう日淳上人様は、ひじょうにがん固な方であって、私は負けまして(笑い)。そして、ちょうだいして今日にいたったわけであります(『聖教新聞』S37.2.20/『慧妙』H19.5.1・H21.9.1)

    [画像]:昭和32年10月18日付『聖教新聞』および昭和37年2月20日付『聖教新聞』

     いかがでしょうか。池田大作が「生」で語った、自分自身の入信当時の状況には、小平教学部長(当時)に折伏されたと、再三にわたって語っているのです。池田の入信に関わった人物の名前としては、「戸田先生」の「と」の字さえ出てきません。
     しかも、「南無妙法蓮華経」がきらいで、御本尊下附を拒み、大幹部らが投獄されたことに恐れおののいて信心をやめようと思いつめていた池田大作――それが、いつの間にか戸田会長とは不思議な縁で結ばれていたことにしてしまい、「戦争に反対して獄に入ったか否か」を人を信用する基準にしていた、とまで平気で放言してしまうのですから、呆(あき)れて物が言えません。(『慧妙』H19.5.1)


    <即興詩は青年訓のパクリ>
     そうそう、もう1つ言っておきますと、池田が戸田会長の前で詠(よ)んだ即興詩とやらですが、あれはどう見ても戸田会長の「青年訓」の〝パクリ〟であり、後からとってつけたものです。
     なぜなら、当時の池田には、そんな文才はさらさらなかったことを証明する、動かぬ証拠があるからです。
     次に挙(あ)げる詩は、池田大作がある女性に宛てた「ラブレター」の中に綴(つづ)った詩です。

    ◆体で見たことをゆう。
     体で見たことを書く。
     体で見たことを行ふ。
     目で見て見えるか?
     耳で聞いて聞えるか?
     体で讀んだものが本当だ。
     体で祈ったものは実現する。
     体で語ることは誰にも聞える。
     体で悟った真理だけが我がものである。

     爾(なんじ)の願いを高めよ。
     爾の願いを潔めよ。
     爾の願いを深めよ。
     爾の願いを廣めよ。

     私欲を離れた願いならば死ぬまで願いつずけよ。
     諦めるから叶わぬ。
     應答を信ぜよ。
     正しき願いは実現する。
    -----------------------
     憧(あこが)れの女性に送った手紙にしたためた詩ですから、おそらくは、推敲(すいこう)に推敲を重ねたものでしょう。
     しかし、戸田会長と会ったその場で詠んだ即興詩に較べて、なんと稚拙(ちせつ)なことか。
     「勲章お化け」とあだ名される改竄(かいざん)商人も、その化けの皮を剥(は)がしてみれば、どこにでもいる、小心者の見栄っ張りにしか過ぎないのです。(『慧妙』H19.5.1)




    ************************************************************
     『慧妙』は名誉会長が『人間革命』で入信の状況を脚色したとか、三宅家の座談会に戸田先生は出席していないとか、即興詩を詠んだのは嘘だとか、言いたい放題の悪口を書き殴っている。
     だが、森田一哉前理事長は「新来者として来ていた池田青年が戸田先生の前で即興詩を詠んだ場にいました」と証言。そして「随分、変わった青年がいるなあ、と感心したことを覚えています」と述べていた。
     それに何より、最新号の『慧妙』で「当時、戸田会長が『立正安国論』講義を行なっていたのは『毎月の第1日曜日だった』(竜年光)ということだから、やはり、この日に池田が戸田先生の講義を聞いた、などという事実はない」と紙面に登場する竜年光自身が「私と創価学会の歴史」と題し、次の通り書いていた。

    ◆昭和22年の8月下旬、都内で、戸田先生を囲んでの座談会が開かれた。その席で1人の若い青年が真剣な表情で戸田先生に2、3の質問をしたあと、その時の心境を詩に託して朗々と読み上げたのである。私はその場にいて、あっけにとられてしまった。その青年こそ、現会長池田先生だったのである(『聖教新聞』S50.3.12)
    -----------------------
    このように明確に戸田先生と池田青年との出会い、池田青年が即興詩を詠んだ事実、そこには何らの脚色もないことを記しているではないか!(『フェイク』第504号=04.03.28/sf:5724)
    ------------------------------------------------------------
     『フェイク』が持ち出してきた龍氏の"証言"というものは、日付も暖昧(あいまい)で、かなり記憶があやふやに見えます(それもそのはず、この"証言"なるものは昭和50年当時の文で、池田入信の頃から27年以上も経っているのですから、記憶が暖昧で当然です)。
     また、森田の"証言"とやらにしても、すでに池田が入信神話を語った後に、学会内に「それは事実ではない」などと"証言"できる者がいるはずがありません。どうやら、せっかくの反論も、空振りだったようです。(『慧妙』H16.4.1)

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  • from: 21世紀さん

    2011年08月29日 18時47分26秒

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    「Re:池田大作の実像」
    【青年期】
    ―右翼との接点―
    ●「私たち(10人余りの読書仲間=郷友会、太作は少し遅れて参加)は須山さんからもいろんなことを学んだ。須山さんの影響をかなり強く受けました」「須山秀吉さんです。私たちの中心は6歳年上の須山さんでした。笹川良一や藤吉雄(蒲田区選出都議)につながる右翼です。笹川の国粋会の青年隊長をしていたこともあります。須山さんの机の上にはいつもヒトラーの『わが闘争』が置いてありました」「戦前の右翼活動や反共思想です。池田は須山さんによって政治を知ったんだ。後に参院選(1956年)で大阪へ行き、選挙違反をやって逮捕されたりしましたね。あのとき、池田の頭の中には須山さんの話があったと思うよ。須山さんは常々『選挙ではブタ箱に入る覚悟でなりふり構わず猛然とやらなかったら勝てない。勝つか負けるかだ』と言っていた」「学会に入った池田は『おれはやるぞ、絶対やるぞ、生涯かけて名が出るようにするぞ』なんて言ってたなあ。で、おれは笑ってしまった。」(東京都大田区在住20歳前後の太作の読書仲間/『フォーラム21』H15.1.1)

    ●太作の頭には「須山さん」もまた強く刻印されたのではないか。 池田大作さんの背後の闇にはいつも笹川良一や児玉誉士夫がいた。たとえば76年から83年の月刊ペン・言論弾圧事件の裁判過程で池田さんたちによる笹川良一へのモミ消し工作が発覚している。児玉誉士夫との関係は政財界の裏舞台を徘徊していた塚本素山(学会顧問)を介して始まり、児玉がロッキード事件で転倒するまで続いている。(野田峯雄『フォーラム21』H15.1.1)

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  • from: 21世紀さん

    2011年08月29日 18時45分55秒

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    池田大作の実像

    池田大作の「履歴書」
    【幼少期】
    ●生れは大森のノリ屋です。3歳くらいの時蒲田に移り、それ以後東京に住んでいるわけです。小学校では栄養不良で3・4回も死にそこない、がんらい身体が非常に弱かったんです。終戦の年には6回目の肋膜をしていましたし、肛門(コウモンネンマクビラン)性のもので、耳や鼻などみんな悪く、血痰がでてたんです。(池田発言/小口偉一編『新心理学講座4 宗教と信仰の心理学』河出書房、1956年57頁)
    -----------------------
    池田は昭和22年8月の入信だが、戸田は学会を戦後再発足させた後、早い時期に宗教学者の調査を受け入れ、池田にもインタビューに答えさせている(『フォーラム21』H14.7.1)。

    ●「子之吉さんの家族は、大森(現・東京都大田区大森北)の池田本家が所有する"学校に似た木造2階建て"の海苔作業場(現・大田区東糀谷)に仮住まいのような感じで暮らしていました」池田大作さんの幼少期を知る深沢さん(年上の女性)はそう語る。太作少年(1953年25歳のとき大作へ改名)の父・子之吉さんと母・一(いち)さんの間には8人の子がいた。太作さんは5番目である。貧しかった。(『フォーラム21』H15.1.1)

    ●子之吉さんは太作少年が尋常小学校2年生のとき(1935年)、リューマチで寝込むようになってしまった。おまけに、ほどなく「池田様」と呼ばれていた本家の海苔づくりが傾き、これに依存していた子之吉さんの家族は極貧に陥った。子之吉さんは寡黙かつ強情だった。彼を知る女性が「(妻の一さんとは)別の人に手を出し子どもを産ませてしまった」と話す。(『フォーラム21』H15.1.1)

    ●昭和17年に萩中国民学校を卒業する時、池田君は4組にいました。彼はとにかく印象のない男だったね。勉強も目立たないし、身体も強くない。それに海苔漁師はみんな貧乏だった。彼の家はたしか分家で、生活は特に苦しかったはずです。後で創価学会会長があの池田だなんていう話になって、みんな驚いたものですよ(小学校時代の同級生『週刊新潮』H15.12.18)

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  • from: 21世紀さん

    2011年08月29日 18時38分27秒

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    「Re:総体革命」
    サザンオールスターズ「創価学会問題」で内輪モメ

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    -メンバー脱退の"真相"はこれだ―

    (『週刊現代』H13.9.1)

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    桑田が苦しい胸の内を吐露
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     300万枚の売り上げを記録したヒット曲『TSUNAMI』で、昨年末にはレコード大賞を受賞し、若者から中年まで幅広いファン層をもつサザンオールスターズ。'74年に青山学院大学在学中だった桑田佳祐(45歳)を中心に結成され、原由子(44歳)、大森隆志(44歳)、関口和之(45歳)、松田弘(45歳)、野沢秀行(46歳)からなる6人組のロックバンドである。'78年のデビューから23年が経つが、その間1度もメンバーチェンジをしていないという結束の固さでもよく知られていた。ところが23年目にして初の"内輪モメ"が表面化した。ギタリストの大森隆志が、バンドを脱退したのだ。
     昨年末から大森は、「心身のリフレッシュ」を理由に活動を休止していた。ファンの間ではその去就が注目されていたが、8月11日、桑田がパーソナリティをつとめるラジオ番組『FMワンダーランド〜やさしい夜遊び』(TOKYO FM)で、正式に大森の脱退を発表したのである。
     その番組のなかで、桑田は、
     「彼は今後ソロアーチストとして、独自の道を行くことになりました。これは大森君のたっての希望も含め、サザンの他のメンバーとも昨年からミーティングを重ねまして、悩み抜いた結果でして」
    と苦しい胸の内を吐露。さらに脱退の理由については、
     「やはり彼のソロ指向が近年非常に強くなってきたということなんですよ」
    と、大森のソロ指向を強調する一方で、
     「おれとしては、まぁ23年間やってきた家族みたいなもんだから、ギター練習したりして、また戻ってくるのを待ってるからさぁ、みたいなことを言いまして、彼もまたそれを承諾してくれたんですけど……。ただ、彼の律義な性格からすると、最終的に脱退、独立という形が一番前向きな結論かなということになりました」
     と、桑田側から大森に「休養勧告」していたとも受け取れる「本音」を漏らしている。

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    湘南を歌った数々の名曲で日本の音楽シーンに23年間も君臨してきたサザンオールスターズ。夏の代名詞ともいえるサザンで、創立メンバーの1人、ター坊こと大森隆志が脱退、波紋を呼んでいる。しかもその背景には、なんと大森の信仰する創価学会の問題がからんでいるというのである。その真相に迫った。
    ---------------------------------------
     桑田のこんな心中を裏付けるように、桑田と大森の共通の友人がこう証言する。
     「結局のところ、今回の件では、大森は実質上はクビに近かったんですよ。それというのも、彼がもう数年前から、完全にやる気を失っていたからなんです。サザンは周知のように、桑田と原由子夫妻がほとんどの曲をつくり、実質的にはこの2人によって他のメンバーが食わせてもらっているようなもの。そうしたなかで、特に大森はサザンのメンバーという位置にすっかり満足して、最近はギターの練習さえもあまりしなくなっていたんです。
     昨年のレコーディングでは、スタジオに集合したさいに、練習してこなかった大森に対して桑田が怒り、険悪な雰囲気になる一幕もあったと聞きました」
     だが、桑田が大森に見切りをつけた理由は、どうもそれだけではなさそうなのだ。サザンオールスターズの所属事務所、アミューズの関係者が証言する。
     「じつは大森氏の九州の実家は、お母さんが創価学会の熱心な会員で、本人も20年ほど前から学会の活動に積極的に関わっていました。初期の頃は他のメンバーたちも特に問題にしていなかったんですが、ここ数年、彼の学会への傾倒ぶりがひどくなり、音楽の練習に集中できなくなった
     あげく、ついにバンド活動に支障をきたすほどになって、見過ごしておけなくなったというのが真相なんです」
     なんと、音楽性の違いどころか、原因はまったく別の「宗教問題」だというのだ。大森自身が、学会系列の出版社、第三文明社の『わが栄光の青春Ⅱ〜創価学会青年友好大会 1984』の中でインタビューに答えて語っているところによると、学会活動開始のきっかけは、デビュー3年目の'80年だったという。
     疲労がたたって椎間板ヘルニアになり、まったく起き上がることもできなくなった時「これまでやってこれたのも母親の強盛な信心のおかげだった」と反省。あらためて「唱題と折伏の実践」を誓い、真剣に唱題しはじめたところ、3週間も経たず、再び音楽活動ができるようになったと告白しているのだ。それ以来、熱心な信徒として活動、サザンの人気が高まるにつれ、学会内での貢献度も高くなっていったようだ。'92年4月には『聖教新聞』の学会所属の芸能人たちによるリレー連載で、男子部副本部長として登場。同年7月の参院選では、公明党候補の浜四津敏子氏などの選挙応援に駆けつけ、自分の歌を披露している。

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    コンサート会場の三色旗に仰天
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     こうした大森の学会への傾倒ぶりが"本業"サザンの活動に影響を与えはじめてきた頃、桑田を驚かせたこんな"事件"があった。前出の大森・桑田共通の友人が語る。
     「今から7〜8年前のことです。サザンの全国ツアーの会場で、観客席で見慣れない旗が頻繁に振られることに、桑田が気がついたんですよ」
     それは、学会のシンボル、青、黄、赤の縦縞の"三色旗"だった。
     「最初、桑田はそれが何であるか知らず、べつに気にもとめていなかったんですが、あまりにその旗が目立ってきたので、周囲のスタッフに『あの旗はなんだ?』と聞いたんです。それで学会の旗だと知って愕然とし、大森にサザンの名前を利用するのは控えてほしいとやんわりと注意したそうです。大森もさすがに桑田から注意されたことで学会関係者に相談し、『コンサートに旗を持っていくのはやめましょう』と信者に呼びかけてもらって、一応は収まったようです。そんなこともあって、桑田のなかに創価学会に対する不信感が芽生えてきたんですね」(前出の友人)
     そして、他メンバーとの微妙な関係が、さらに変化するきっかけとなる出来事が数年前にあった。大森が池田大作創価学会名誉会長の側近中の側近と言われる女性と結婚したのである。
     学会の内情に詳しいジャーナリストの乙骨正生氏が語る。
     「大森氏の結婚相手は、20代のときから池田名誉会長に気に入られ、長年、彼の直属通訳をつとめている女性です。40歳を過ぎているはずだが、大変な美女で、現在でも池田氏が英語圈に外遊するときや、外国の要人と会うときは必ず彼女がぴったりと寄り添っている。『聖教新聞』などの写真記事にも、池田氏とともにたびたび写っており、学会では彼女のことを知らない人は誰一人いない、超のつくほどの有名人です」
     しかし、大森がそんな学会内の超有名女性と結ばれたということは、何を意味しているのか。
     乙骨氏がこう続ける。
     「当然、それほどの側近である彼女と結婚するためには、池田氏の許可がないとできるはずがありません。つまり、彼女と結婚できたということは、学会員として大変な名誉であり、それだけ大森氏が池田氏から見込まれている証拠です。たしかにサザンオールスターズという日本中に知られたブランド名を利用して機関紙でさんざん宣伝できたわけだから、その貢献度は半端なものではない。逆にいえば、桑田氏らサザンの他のメンバ-たちは、そうやって自分たちの名前が学会の宣伝に利用されていることが愉快だったはずはないでしょう」
     また、学会内部からは、こんな声があがっている。
     「大森さんが池田名誉会長の側近と結婚したことで、学会内での大森さんを見る目は明らかに変わりました。サザンでの音楽活動があり、事務的な活動ができないために、組織の肩書こそ目立つものではありませんが、まさにちやほやという言葉がぴったりで、その待遇は他の学会員とは別格になったんですよ。大森さんは、学会での地位が向上していくうち、本業の音楽活動への情熱が失われていった。それが桑田さんには我慢がならなかったんじゃないでしょうか」(大森と親交のある学会員)
     やはり、大森脱退の原因に、学会問題がなんらかの影を落としていたことは間違いないようだ。

    ---------------------------------------
    「微妙な感性の問題があった」
    ---------------------------------------
     両者の真意を聞こうとアミューズに取材を申し込むと、
     「たしかに大森が学会員であることは、以前から他のメンバーは承知していました。しかし今回の脱退で学会問題がからんでいることはまったくありません。昨年末、大森から1度リフレッシュしたいという申し出があって休養に入り、年明けからメンバーと話し合ってきて出した結論だということです」(広報担当・久保田康氏)
    と脱退と学会の関連を否定した。
     大森は「今後、ラジオのパーソナリティなど幅広い芸能活動に挑戦していきたい」という趣旨の文書コメントを発表したが、そこには脱退の原因については一言も書かれていない。そこで大森自身の説明を聞こうとしたが、連絡が取れない。かわりに、大森の個人音楽事務所の取締役に就任している実兄・仁史氏が、本誌の取材に答えてくれた。
     「今回の件で学会のことを言われるのは大変心外です。私たち一家が学会に入っていることは20年前からわかっているわけですし、別にそれでどうこうということもなく過ごしてきたのですから、今さらそんなことが問題になるなんておかしいと思いますよ。弟はデビュー当時から腰痛を抱えていて、ヘルニアになったり、コンサートで椅子に座りながら演奏したこともありました。そうした爆弾を抱えた身で、他のメンバーの足を引っ張ってはいけないという気持ちがあいつなりにあったんでしょう。もちろんそれだけが脱退の理由ではありません。音楽のことは私にはよくわかりませんが、微妙な感性の問題のようなことがあったのかもしれない。いずれにせよ、メンバー内でトラブルのようなことはまったくなかったはずです」
     仁史氏によれば、発表の1ヵ月ほど前に大森から電話連絡があり「どうしたらいいだろうか」と相談されたという。
     「私は、自分の思い通りにやったらいい、と答えました。弟は中学校の頃からギターを抱えて寝るようなやつで、音楽を離れては生きていけないと思います。現在は白紙の状態ですが、手探りで進んで、誰かをプロデュースするなり、グループを組んで再デビューするなり、形が決まったら本人が発表するはずです」
     ともあれ、これからは「サザンオールスターズ」という大看板なしで、ソロ活動をしていくという大森。ぜひ学会員だけでなく、一般のファンにも元気な姿を見せてほしいものだ。

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  • from: 21世紀さん

    2011年08月28日 19時42分00秒

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    「Re:総体革命」
    暴かれる「新・芸能プロ」戦略

    --------------------------------------------------------------------------------

    (『週刊ポスト』H17.4.1)

    テレビをつければ「学会系芸能人」のオンパレードである。かつては、会員獲得のための"広告塔"として自ら積極的に、一方であくまで目立たぬように「折伏」に動いたものだが、最近の若手タレントたちは必ずしもそうではないという。そこには、池田大作・名誉会長の念願を実現するための「戦略転換」がある。


    【「学会2世」はためらわない】
     NHKの「好きなタレント調査」で03年度まで3年連続1位に輝いた久本雅美、大河ドラマ『義経』のヒロイン・静御前役に大抜擢された石原さとみ、クールな毒舌で昨年ブレークした長井秀和、そして独特の"べース漫談"で人気のはなわ―。
     今のテレビ界を席巻するこれらのタレントに共通するのは、いずれも現役の創価学会員であるということだ。
     過去、宗教団体がタレントや文化人を教団の"広告塔"として信徒獲得に活用したケースは枚挙にいとまがない。
     しかし、こと創価学会に限ってみると、山本リンダや沢たまき(故人)、雪村いずみら少数を除くと、タレント自らが創価学会の会員であることを告白したケースはさほど多くはなかった。
     それに比べ、最近の"創価学会系芸能人"は、実に平然と信仰をカミングアウトしているようにみえる。
     学会の古参幹部とて「まさに隔世の感がある」と口にするほどなのだ。
     まずは現在、芸能界で最も学会活動に熱心だとされる久本雅美。所属事務所は今回、回答をしなかったが、月刊誌『潮』や『聖教新聞』など創価学会系のメディアに度々登場。公明党の機関誌では、神崎武法代表と対談まで行なっている。「折伏」(説得して入信させること)も熱心に行なっており、同じ劇団に所属している柴田理恵を入信させたと伝えられる。
     父親が創価学会職員で本人は創価高校在学という"学会エリート"である石原さとみの事務所は、
     「両親が学会員ということで子供の頃から学会活動をしていたという報告は受けています。現在は時間もないはずなのでどうかわかりませんが、問題はまったくありません」
    と語る。
     久本に続いて精力的な学会活動を行なっているのは、長井秀和だ。所属事務所は本人が学会員であることを認めたうえでこう語った。
     「エンターテインメント業界ですから、プロとしてきちんと仕事をすることができれば、プライベートに関して事務所から何かいうことはありません。(創価学会員だと)報じられたからといって、変わった反応があるわけでもない。2〜3年前なら、長井の"な"の字も取り上げてもらえなかったのですが、有名になったので取り上げられるようになっただけでしょう。学会員であることについては、(テレビ局など)周囲にも理解していただいています」
     いわば宗教活動は"事務所公認"なのである。長井自身、隠す様子もなく、学会での活動をアピールしている。創価学会関連会社のビデオ作品に出演した際には、
     〈私もですね、少年部、中等部、高等部、学生部と学会活動を一生懸命がんばってやってきました。なぜなら、私の実家が『聖教新聞』の販売店だったんです。未来部(少年少女部、中等部、高等部の総称)の皆さん、ぜひとも自分の家を拠点にしてもらいなさい。そうすれば必然的に頑張ることができますよ。間違いない!〉
    と、巧みに得意の決めゼリフを織り込みつつ、自らの経歴を語っている。
     長井と並び、現在の"お笑いブーム"を支えるはなわも、過去に月刊誌『潮』に登場している。取材に対し、学会員であることについて認めたこともある。
     一方、古くから学会員であることを公言している山本リンダの事務所はこういう。
     「積極的に公表しているわけではありませんが、聞かれればイエスと答えています。リンダさんが学会員であることは周知のことですし、仕事に支障があるわけでもない」
     リンダは昨年夏の参院選の際に東京選挙区の公明党候補の応援演説に駆けつけ、
     「私は公明党が大好きです!」
    と絶叫していた。
     かつて創価学会の会員であることを告白することは、一般の人の間でも簡単ではなかった。タレントであればなおさらである。なぜ"変わった"のか。学会幹部が解説する。
     「最近は石原さとみや長井秀和に代表されるように、親の影響で創価学会に入信した若者が増えている。"学会2世"は、子どものころから創価学会系の学校に通い、地域の仲間もほとんどが会員という環境で育ったため、学会員であることを特殊なことだと考えていない。だから、ためらわずに公言できるのです」
     彼らを取り巻く環境の変化も大きい。大手芸能プロダクション関係者はこうみる。
     「確かに、かつてはテレビ界でも宗教色の強いタレントを敬遠するムードがあったのは事実。だが、学会系メディアに頻繁に出ている久本雅美の人気が依然として高いとあって風向きが変わった。"学会員と公言していても人気が下がらないのなら、事実を明らかにしても構わない"と考えるタレント事務所が増えてきている」


    【教万人に及ぶ「芸術部員」】
     そうした学会系芸能人の多くが所属しているのは、創価学会文化本部傘下の"芸術部"である。かつて芸術部の書記長を務め、87年に脱会した古谷博氏がいう。
     「創価学会には、外務省の学会員が作っていた"鳳会"をはじめ、同業者の集まりがいくつかある。芸術部もそうした"職能団体"のひとつとして昭和30年代後半に設立された。もっとも目的は、それまで学会に付きまとっていたダーティなイメージを和らげるためでした」
     当初は、フラメンコギターの大家や洋画家、舞台俳優らで構成されたが、現在は芸能人ばかりでなく舞台監督や照明担当者、スタイリストやヘアメークなどの裏方も所属しており、その規模は数万人に及ぶと見られている。古谷氏が続ける。
     「芸能人のおもな役割は、共演者やテレビ局関係者の折伏です。創価学会のタレントは、人の話を親身に聞くタイプが多いため、競演者は恋愛などの悩みを打ち明けやすい。じっくり話を聞き、相手が心を開いた後に、学会がいかに素晴らしいかを説くというわけです。沢たまきなどは自宅で盛んにパーティを開き、芸能人仲間を何人も折伏していました」
     芸術部発足当初は、かなり強引な勧誘活動を行なっていたともいわれるが、ある"事件"をきっかけに、様変わりしたという。創価学会に詳しいジャーナリストの乙骨正生氏が分析する。
     「直接の契機は、昭和44年の言論出版弾圧事件(※)だった。事件によって一般社会からの厳しい風当たりを痛感した創価学会執行部は、強引な手法は世間の反発を招くだけだと悟った。それ以来、芸能人にもしつこい勧誘はさせないようにし、イメージの悪い折伏という言葉も"仏法対話"と言い換えるよう指導した」
     その結果、一般社会の"創価学会アレルギー"は徐々に沈静化に向かった。近年はそうした"ソフト路線"をさらに推し進めているという。古谷氏が付け加える。
     「最近の学会は"会員になってもらわなくとも、まずは敵対さえしなければいい"という考え方にシフトしたようです。だから芸能人も自分の信仰を押し付けたりせず、芸能人仲間の反感を買わないことに重点を置いている」
     同時に、一般人に対する勧誘方法も変わった。かつて、沢たまきや雪村いづみは1000〜2000人規模の集会をたびたび開き、集まった聴衆に信仰を説いたというが、今やその必要はないという。
     「これだけ頻繁に学会系タレントがテレビに出ていれば、わざわざ集会など開かなくてもいい。学会員が隣人に"テレビに出ているあの人も、それからあの人もこの人も仲間なのよ"と囁(ささや)くだけで、創価学会に対するアレルギーを和らげ、入会のきっかけにできますから。現在は"口コミ"が主流なのです」(古谷氏)
     お笑いブームも、創価学会の追い風になっている。
     「一流歌手とか一流俳優といった"雲の上のスター"よりも、お笑い芸人の方が親しみやすく、より"効果"が見込める。創価学会執行部は01年に久本雅美を副芸術部長に抜擢しましたが、これもバラエティタレントに対する期待の現われでしょう」(乙骨氏)
     また近年、学会系メディアが"非学会員"のタレントを積極的に取り上げる傾向にあるが、これも学会の戦略なのだという。
     学会関係者が指摘する。
     「今の若いタレントやマネージャーは、過激だった頃の創価学会を知らない。だからギャランティなどの条件さえ合えば、学会系のメディアでもどんどん出る。そうした非メンバーのタレントを誌面に出すことによって、メンバーのタレントとの垣根も取り払うことができるし、学会が特殊な団体ではないというイメージを一般社会に刷り込むこともできる」
     若手やバラエティタレントを活用したこのソフト路線こそ、創価学会の「新・芸能プロ戦略」なのである。


    【「総体革命」実現への布石】
     その一方で、学会員でありながら沈黙を続ける学会系タレントも多い。
     創価学会の幹部会に出席し、池田大作名誉会長から激励されたと報じられた氷川きよしも取材には「一切関知していない」(所属事務所)という姿勢を貫く。
     が、それでも学会にとってメリットがあるのだという。
     「本人が言わなくとも、マスコミが学会員だと書いてくれればそれでいいのです。口コミによって"あの人も学会員ですよ。雑誌に出ていたでしよう"といえぱ、カミングアウトしているタレントと同じ効果がある」(学会関係者)
     確かにマスコミの取材に対して、学会員であることを否定するタレントは少ない。「ノーコメント」と答えれば、マスコミは"学会員リスト"に入れる。そうした対応も、もはや織り込み済みということなのか。
     しかし、学会から離れていく芸能人が後を絶たないのも事実である。
     「じつは、加藤茶や平尾昌晃など、学会系芸能人の古株たちの一部はここにきて距離を置いている。報復を恐れて表立った批判こそしませんが、学会系メディアヘの露出はすべて断わっている」(芸能プロダクション幹部)
     実際、加藤の事務所は「ノーコメント」だったが、平尾の事務所は、
     「両親が会員だったので平尾も入っていましたが、すでに脱会しています」
    と明言した。
     本誌既報(3月18日号)の通り、幼少時から学会活動を行なってきた杉田かおるも脱会した芸能人の1人だ。
     前出の乙骨氏は、若手が隆盛を極める反面、ベテランに脱会者が相次ぐ背景には、創価学会の危険な"本質"があると指摘する。
     「今も昔も、創価学会は"総体革命"を実現させることが目的なのです。これは、社会の枢要なポストを学会員が占め、学会が社会を動かすという思想。彼らにとっては芸能人を広告塔にすることも、革命の一環に過ぎない。年齢や人生経験を重ね、そこに気づいたタレントは次々と脱会するのです」
     創価学会は創価大学に「国家試験研究室」を設置し、裁判所や外務省など主要省庁に人材を送り出しているほか、マスコミをはじめ大手商社、通信、メーカーなどの一流企業にもネットワークを張り巡らせてきた。いずれも総体革命実現のためだとされる。
     現在進行中の学会系芸能人による新戦略も、総体革命を成し遂げるための布石なのか。創価学会広報室は、
     「特定の職業について特別な指導を行なうことはない」
    と否定しているが、前出の古谷氏はこう警鐘を鳴らす。
     「創価学会とは、自分たちと相容れない考え方を持つ人間を徹底的に排除する組織です。それは現在も変わっていない。万が一、総体革命が実現すれば多様な言論は封殺され、息苦しい社会が到来することになる。そのことを、どれだけの学会系芸能人がわかっているのでしょうか。ただ、"学会の動員力があれば売れる"と考えているとすれば、あまりに思慮が浅い」
     画面に頻出する学会系芸能人。ことは単なる"テレビジャック"では済まされない。

    ※言論出版弾圧事件/69年、評論家の藤原弘達氏が公明党の政教一致を厳しく批判した著書『創価学会を斬る』を出版する際に創価学会が行なった妨害工作。著者の藤原氏のもとに抗議電話が殺到したほか、創価学会の意向を受けた公明党の藤原行正都議や、当時自民党幹事長だった田中角栄氏らが再三にわたって出版中止を要請した

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  • from: 21世紀さん

    2011年08月28日 19時39分21秒

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    「Re:総体革命」
    久本雅美ら

    --------------------------------------------------------------------------------

    (佐高信著『田原総一郎よ驕るなかれ』毎日新聞社H18.1.30)

     久しぶりの「ら」である。マチャミとか呼ばれる久本がテレビに出ていると、私はすぐにスイッチを切るか変えるかするが、久本をはじめとした創価学会系タレントは見るに忍びない。自分の意志をもたない操り人形は痛々しくて見ていられないのである。操っているのは言うまでもなく池田大作だが、池田を「増上慢」とすれば、久本らは「卑下慢」となる。『広辞苑』を引くと、増上慢は「まだ悟りを得ないのに、得たと思ってたかぶること」、あるいは「実力が伴わないのに自慢すること」と出てくる。池田にぴったりだろう。それに対して卑下慢は、自慢することは同じだが、自分を卑しめ見下しながら、それを美徳として誇るのである。『広辞苑』には「形は随分へりくだりて、内心人に傲(おご)る気象ある者もあり。是を卑下慢といへり」という文例が引いてある。屈折した自慢で、出っ歯などの自分の醜さを表に出して笑いを取る久本の下品さに私は目をそむけたくなるのである。
     もう1つは、私はむずかしいことはわかりませんが、と自らを卑下しつつ、結局は増上慢の池田を支えている久本らの装われた無知と鈍感さに腹が立つ。
     たとえば、突如始まった公明党元委員長の矢野絢也への、創価学会のバッシングにも、学会系タレントは「反対しない」という形で加わるのだろう。学会は前に矢野の前の委員長の竹入義勝に対しても凄まじい攻撃を加えた。現在の代表の神崎武法もいつ同じ目に遭うか、わからない。公明党はこんな異常な党であり、その背後の学会も異常な集団なのである。1984年9月21日の公明党拡大中央執行委員会で、ある幹部が、
     「これからの党をどうするんだ。学会は、党と議員を無茶苦茶に言う。本部のいいなりだ。我々は『もの』だ。『もの』ですよ、『もの』」
    と言ったので、当時委員長だった竹入と書記長だった矢野が、
     「そんなことは言ってはいかん。考えてもいかん」
    と厳しく叱責した。しかし、その後2人で話すうち、
     「さっきは彼に厳しく注意したが、(われわれも)秋谷会長も『もの』か」
    ということになった。つまり、池田の指示によって重要な会議への出席を止められたり、委員長を続けさせられたりするからである。
     こんな話がある。夫が公明党の国会議員だった女性が、公明党議員の妻たちを集めた「芙蓉会」なるものに出た。すると、池田夫人の香峯子と創価学会の幹部だった柏原ヤスが信心指導をし、柏原は
     「池田先生に献げた夫なのだから、決して自分の主人と思うな」
    と叫んだ後で、
     「Sさん、立ちなさい」
    と言った。病気になった彼女が夫に、
     「帰って来てほしい」
    と電話をかけたことを捉えて柏原は、
     「議員は池田先生をお守りしなければならない。夫を私有物とするな」
    と叱りつけたのである。それはそれは激しいもので、自分が死にかかっても夫には絶対電話はできをい、と聞いていた彼女は思ったという。池田のためにみんな犠牲になるのである。

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  • from: 21世紀さん

    2011年08月24日 15時02分48秒

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    「Re:総体革命」
    芸能界への浸透

    --------------------------------------------------------------------------------

    「24時間テレビ」難病美談に「創価学会」

    --------------------------------------------------------------------------------

    (『週刊新潮』H20.9.18)

     「ずっと『24時聞テレビ』が大好きで、毎年見てたんです。うちには障害のある子供もいますので。でも今年はビックリ。送られてきたメールの通りに、番組が進むんです。ものすごく違和感を覚えましたよ!」
     こう語るのは、東京近郊に住む40代の女性である。

     そのメールは、番組放送前の8月30日朝、創価学会員の親戚から送られてきたという。パーソナリティーを務める久本雅美からのメールを転送する、とあった。久本は創価学会芸術部副部長として知られる。
     メールは、番組の2つのコーナーを見て欲しいという主旨。1つは、ある難病患者を紹介するもので、メールにはこう書かれている。

    ************************************************************
    A子さん・B子さん(患者名)や皆さんのお題目のおかげで、インタビューを撮ることができました。短時間ではありますが、31日(日)朝7:40くらいから、放送されます
    ------------------------------------------------------------
     病名は遠位型ミオパチー。全国に数百人の患者がいると推定される難病である。
     「心臓から遠い体の部位から筋力が徐々に低下していく進行性の筋肉の疾患です」(患者会のHPより)
     この患者会は今年4月に発足したばかりで、国の難病指定を目指し、署名活動などを行なっている。
     患者会の代表を務めるのがA子さん。『24時間テレビ』に登場したのはB子さんで、患者会の運営委員だ。
     メールでは、B子さんのことを

    ************************************************************
    創大卒のかたで、先生からも激励を受け、頑張っていらっしゃいます
    ------------------------------------------------------------
    と紹介している。
     創価学会で「先生」といえば、池田大作名誉会長しかいない。昨年7月15日の聖教新聞には、平成17年、創価大で行なわれた式典のスピーチで池田名誉会長が、「大変な病に負けず、頑張っているB子さん!」と呼び掛けたエピソードが、紹介されている。
     学会関係者が語る。
     「今年7月、B子さんは、梁川妙子・中野区議会副議長(公明党)の紹介で、久本雅美さんと初めて会いました。その後、久本さんが『24時間テレビ』に企画として持ち込み、自らインタビューしたと聞いています」
     先月、A子さんとB子さんが舛添厚労相に要望書を提出した際も、公明党国会議員が付き添っていた。同月29日付の公明新聞「主張」欄では、遠位型ミオパチーが取り上げられ、「早期の難病指定が欠かせない」と書かれている。
     難病問題を番組で取り上げる意義は大きい。だが、学会・公明党の支援については、患者会関係者も感謝しているものの、いささか困惑もある、という。
     「難病指定に議員の助力は欠かせません。他政党にもお願いしていますが、縁のあった公明党がよく動いてくれるんです。でも学会ベッタリと見られてしまうと……。今回のインタビュアーは久本さんでないほうがよかったのかもしれません」

     メールが紹介している、もう1つのコーナーは久本本人に関するものだ。

    ************************************************************
    久本雅美・朋子の母への誓いという時間も作って頂き、姉妹揃って出演する中、母の人柄・病気との戦いを紹介して頂く功徳も頂きました
    ------------------------------------------------------------
     久本の妹も、亡くなった母親も学会信者だ。このコーナーには、母親と親しかった"ご近所の方"が登場する。その名は「梁川妙子」さん。B子さんに久本を紹介した公明党区議である。

     つまりメールが紹介した2つのコーナーとも、登場人物は学会員ばかり。放映中、久本の隣にはタレントの柴田理恵(創価学会芸術部中央委員)もいた。
     メールはなおも続く。

    ************************************************************
    PS。今回の「誓い」というテーマを作ったのは、我が芸術部の若手放送作家です!24時間TVの構成スタッフの1人で、お題目をあげる中、師匠(池田名誉会長のこと=編集部注)との誓いのご指導を読み、"誓い"を提出したところ、彼の意見が通り、決定しました
    ------------------------------------------------------------
     この部分の真偽を創価学会に尋ねたところ、
     「いずれも当会は承知しておりません。『24時間テレビ』についても、特別な関係などございません」(創価学会広報室)と答えた。‥‥
     冒頭の女性は憤る。
     「『24時間テレビ』はチャリティーであって、一部の人たちのものじゃありません。それを学会の人たちはメールを送り合って、自分たちのイベントのように盛り上がっている。おかしいですよ」
     日本テレビは、この視聴者の声をどう聞くのか?

    ------------------------------------------------------------
     公明党と学会(芸術部)が連携して、"よい仕事"を行う。その内容を布教(創価学会の宣伝)に最大限利用する。仕事の内容は"国民の間に難病に対する理解を広げる"とかいう大義名分があるのだろうから、面と向かって批判することはできない。
     学会と公明党が一体となって、それぞれの活動を通して(利用して)学会の布教に寄与する。これも政教一致の姿であり、総体革命の活動の1つなのだろう。
     今回の場合は、番組の中のコーナーが学会員によって"支配"された格好だが、総体革命が進めば、番組全体、テレビ局全体が学会の意のままに操られる、ということにもなりかねない、そんな不安がよぎる記事ではある。(法蔵)

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  • from: 21世紀さん

    2011年08月19日 22時54分38秒

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    「Re:総体革命」
    「司法支配の密約」をスッパ抜く

    --------------------------------------------------------------------------------
    ―「小泉=池田政権」追及第4弾―
    ―国会の歴代法務委員長は公明党が独占―

    (『週刊ポスト』H15.12.26抜粋)

    【秘密指令・学会検事を全国に派遣せよ】
    ―国会の歴代法務委員長は公明党が独占―
     法曹界に学会員を大量に送り込むことは、創価学会の政界進出と並ぶ池田氏の長年の悲願だったとされる。
     それは創価学会の弾圧の歴史と深くかかわっている。
     創価学会は1930年に初代会長・牧口常三郎氏によって設立された(当時は創価教育学会)。しかし、第2次大戦中、牧口氏は幹部20人とともに政府の国家神道による宗教統制に逆らったとして逮捕され、獄中で死亡した。戸田城聖・2代会長も治安維持法違反で逮捕されている。
     創価学会の古参幹部がこう語った。
     「数々の弾圧を受けてきた学会は、組織防衛のために公明党を結成して政界での勢力拡大をはかる一方で、弁護士や検事、裁判官にシンパをつくったり、学会員の子弟で優秀な学生に奨学金を出して大学に進ませ、司法試験を受けさせた。学会弁護団を強化する目的でした」
     創価学会は当初、選挙によって政権を取り、「国立戒壇」をつくって一宗教を国教化するという王仏冥合思想を掲げていたが、「言論出版弾圧事件」を機に国民の批判が強まると、池田氏は70年に<政教分離>を宣言した。
     “政権の夢”破れた学会はそれから一層、組織をあげて弁護士、検事、裁判官の育成に乗り出す。その養成機関の役割を果たしてきたのが、池田氏が政教分離宣言の翌年に設立した創価大学法学部に他ならない。
     同大学は毎年、司法試験合格者ランクの上位20校に入り、これまでに108人の合格者を出して裁判官や、検事、弁護士を送り出してきた。
     『法学委員会の新体制について』と題する学会内部文書がある。76年に作成されたもので、学会の司法支配の狙いが記された貴重な資料だ。当時、学会は学生部に「法学委員会」という部門をつくり、創価大学にとどまらず、他の大学に通う学会員を含めて、司法試験や国家公務員試験の受験を支援する態勢をとっていた。文書は組織の改革を提言した内容である。
    <法学委員会は現在学生部に所属し、受験生の掌握・指導、合格者の輩出という点に重点を置いて活動している。しかしながら、(中略)総体革命において各分野にどのように切り込んでいくか(官僚機構等に対するくい込み、そのあり方)を検討していかなければならない段階に差しかかっている。さらに、学会の諸活動に関する戦略ブレーンの本格育成も重要な任務となっている>
     文章には、76年当時の法曹界での勢力が、弁護士33人、検事18人、判事3人、司法修習生16人の合計70人とあり、「今後の展望」として、
    <合格者の増員、今後5年間で現在の倍、10年間で現在の4倍にすること。検事は、5年後には各都道府県に1人、10年後には2人配置できる人数になる>
    とも書かれている。
     文章が出されてすでに27年が経ち、創価大学出身者だけでも108人の司法試験合格者が生まれている。全国の裁判所や検察はすでに学会ネットワークが広く張りめぐらされていると考えた方がいいのかもしれない。



    【「池田先生のために働こう」】
    ―国会の歴代法務委員長は公明党が独占―
     学会員は進路をどうやって選ぶのか。司法研修所の教官を勤めた法務省OBの証言には驚く。
     「司法研修所に入った段階で出身高校や大学から、この生徒は学会員だろうというのは大体わかる。ある教え子が、研修期間を終えると、検事の道を進みたいと希望した。非常にまじめな生徒だったが、『君は学会員だろう。弁護士の方が活躍の場があるんじゃないか』と尋ねると、こんな答えが返ってきた。
    『修習生の仲間と一緒に池田大作先生に食事に招かれて、その時、先生は一人一人の顔をじっと見つめ、“君は検事に向いている”“あなたは判事だ”と指導してくれました。私は先生の言葉に従いたい』
     頑として弁護士にはならないと言い張った」
     裁判官や検事には公正、公平さが要求されることはいうまでもない。その修習生は裁判官になったが、果たして、自分が手がける訴訟に学会の利害がからんだ時、信仰を取るのか、裁判官の良心を選ぶのか。
     学会出身の弁護士にも話を聞くことができた。
     「司法試験に合格するとすぐに学会から連絡が入り、池田名誉会長と食事をする機会を与えられたり、名誉会長の直筆署名入りの書籍を贈られます。それは学会員にとってたいへんな名誉で、池田先生のために働こうという気持ちになる。司法研修所に入ると、年に数回、学会本部を訪ね、学会の弁護士を統括する副会長の接待を受ける。印象に残っているのは、副会長の『今や学会には弁護士は掃いて捨てるほどいる。広宣流布に本気でない者はやめてもらって結構だ』という言葉です。みんな、逆に忠誠心をかきたてられる思いになります」
     司法研修期間も学会は、裁判官や検事の卵たちに忠誠心を植えつける一種の“マインドコントロール”をしているのか。
     立教大学法学部教授の井上治典氏が警鐘を鳴らす。
     「創価学会員の裁判官、検事、弁護士は、正義のスタンダードが一般の司法関係者とかなり違うと思われる。池田大作氏や学会のためになることを最大の正義と考えて行動する可能性があるとしたら、法律家が持つべき中立性を保てるのかと疑問を抱く」



    【法務・検察・裁判所の予算を握る】
    ―国会の歴代法務委員長は公明党が独占―
     国会でも公明党・学会の司法支配はさらに進んでいた。別表(※)は戦後、新憲法制定後の歴代の参院法務委員長をリストアップしたものだ。
     法務委員会は刑法や民法をはじめ法律改正全般にかかわり、法務省と検察庁、裁判所の予算を審議する。わかりやすくいえば、衆参の法務委員長が首を縦に振らなければ、法務省は法律一つ、予算一つも通せない。そうした司法行政に決定的な影響力を持つ参院法務委員長ポストを、過去38年間にわたって公明党が独占してきたことがわかる。
     国会の各委員長は各党が議席数に応じて分け合う慣例がある。公明党は結党(64年)後最初の選挙だった65年の参院選で20議席に飛躍すると、当時、党副委員長だった和泉覚氏を念願の法務委員長に就任させた。以来、現在の山本保氏まで34代にわたってこのポストを手離していない。まさに異例、異常といえるが、公明党広報部は、
     「わが党として参院法務委員長にこだわりを持っているわけではない」
    と言い張る。それにしては長すぎる。
     自民党幹部が明かす。
     「公明党が法務委員長を押さえているのは、池田大作氏の国会喚問を阻止する、いわば“拒否権”発動をできるようにするためだ。他の党にとっては、国土交通委員長や農水委員長のように補助金や公共事業の配分に口を出せる利権ポストと違って、法務には魅力がなく、欲しがらない。だから、公明党がいつまでも独占できる」
     利権がないというのは間違っている。小泉内閣が推進してきた司法制度の舞台となったのは衆参の法務委員会であり、法科大学院の設置は、小泉首相と公明党・学会、法務省が一体となって実現させたといっていい。創価大学で法学部の学生に池田氏の句が披露された1年前の11月28日、参院法務委員会で法科大学院を開設するための司法試験法改正案が可決されている。
     創価大学が法科大学院開設の認可を受けることができたのも、法曹界に学会シンパを着々と増やしてきたのも、参院法務委員長ポストをがっちり握って法務・検察、裁判所ににらみを効かせてきたからではないのか。公明党にとって大きな政治利権を得るポストだろう。
     公明党・学会は敵対する勢力や時の権力による圧迫から組織を守るために、法曹界に学会支持派を拡大した。国会も例外ではなく、公明党の指導者には、弁護士9人がズラリ並んでいる。そして公明党は今や連立与党として権力の側に立った。むしろ危惧すべきは、法曹コネクションに政治権力が加わって、学会批判を封じ込めるフリーメーソン化する危険性だ。そうでないというなら、学会は組織の情報開示と活動の透明性を示すべきだ。
     小泉首相は、公明党とともに司法制度改革を進めることで学会の≪司法支配≫に手を貸した。

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  • from: 21世紀さん

    2011年08月17日 13時17分14秒

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    「Re:総体革命」
    司法界への浸透

    --------------------------------------------------------------------------------

    法曹界への創大生送出を誇示する学会

    --------------------------------------------------------------------------------
    ―予想される〝法〟の公正さ損なう事態―

    (『慧妙』H19.10.1)

     かつて池田大作は、「世間やマスコミが『あっ!?しまった』と思った時が広宣流布(※ここでは、創価学会が国家機構まで牛耳る段階をいう)だ」と語ったという。
     この言葉どおり、創価学会は、長年にわたって会員を各界に送り込み、じわじわと日本の社会を浸食(しんしょく)し続けてきた。
     そして今では、その集票力を背景に、政治部ともいうべき公明党を連立与党入りさせ、総理大臣までが隠れて池田詣(もう)でをすると言われるまでになってしまった。
     もっとも、その猛毒は凄まじく、かつて親近した者達と同様、先般、池田詣でをしたと報じられた安部総理もたちまち命運が尽き、さらには自民党が崩壊していく可能性すら予想される昨今である。
     かくて、触れる者を次々と腐らせ、また滅ぼしながら、学会そのものは国家機構の中へ浸潤(しんじゅん)を続けている。
     過日も『聖教新聞』を開いてみたら、
     「創価大学法科大学院 新制度第2回 司法試験に20人合格」(9月15日付・1面トップ)
    という見出しが目についた。
     これによると、今年も、創価学会の息のかかった三色脳が、少なくとも20人、法曹界に放たれた。しかも、「昨年と今年の新司法試験の結果を合わせた合格率では、慶応、早稲田に次ぐ〝私大御三家〟に食い込んだ」等といって、浮かれ上がっているのである。
     他大学に潜伏する者を含めたならば、これまでに、いったいどれ程の者が法曹界に送り込まれたことになるのか。
     この者たちは将来、弁護士になるか、裁判官・検察官に任官するのであろうが、その悪影響を想像するだにおぞましいかぎりだ。
     我々の社会は、法の統制のもとに運営されているともいえるが、その〝法〟の番人ともいうべき立場にあるのが、法曹界の人々である。
     我々が〝法〟に関わる問題で他人と争いが起きたとき、これら番人の出番となる。
     〝裁判〟もその一形態であり、ここでいう〝番人〟らが、双方に中立・公正であることを前提として、証拠に基づき〝裁判〟における審理がなされることになっている。
     しかし、これにある種のイデオロギーに傾いた者が携(たずさ)わったならどうなるか、もはや裁判に〝公正〟さを求めることは不可能だろう。


    【3色カラーの〝法の番人〟が増える恐怖】
    ―他人事で済まない近未来の〝灰色社会〟―
     いささか唐突だが、我が身の上に明日にでも起こりかねないモデルケースを考えてみよう。
     ◇  ◇  ◇  ◇
     満員電車で通勤途中の会社員(活動的な法華講員)が、近くにいたOL風の女性からいきなり手首を掴(つか)まれ、「痴漢だ」と喚(わめ)かれる。
     だが、会社員氏は「絶対に違う」ということをわかってもらえる確信があったので、駅長事務室に女性と共に出頭。
     会社員氏は、駅員らが双方から事情を聞いてくれると思っていたが、その意に反し、駅員らは会社員氏の話には全く耳を傾けてくれない。
     会社員氏は警察に身柄を引き渡される。そして、取り調べが始まり、初めて自分が〝逮捕〟されたのだと知る。
     無実を主張する会社員氏は3ヵ月以上も拘留(こうりゅう)されたのち、痴漢犯罪の刑事被告人として法廷に臨(のぞ)む。
     数々の証拠は、会社員の〝無罪〟を物語るものばかりであったが、長期間の審理の結果、意外にも判決は〝有罪〟。
     会社員氏は、職も失い、家族は離散、犯罪者の烙印(らくいん)を押されて社会的信用も失墜(しっつい)し、失意のどん底に。
     一方、その頃、OL風の女性、駅員、警察官、検察官、裁判官が、とある〝文化会館〟の会議室に集(つど)い、不気味にほくそ笑む。そう、彼らは皆、三色脳だったのだ。
     会社員氏は〝嵌(は)められた〟のである。しかし、会社員氏には知る由(よし)もないことであった。
     ◇  ◇  ◇  ◇
     以上はフィクションであるが、どうであろう。このようなことが絶対に起きない、と言い切れるだろうか。
     創価の蔓延(まんえん)を座視していたならば、かような事態が、我が身の上にいつ惹起(じゃっき)してもおかしくない。「総体革命」の成就(じょうじゅ)とは、こうした暗黒社会の到来を意味するのである。
     ともあれ、冤罪(えんざい)で、我が身を滅ぼすのみならず、日蓮正宗の看板まで汚される、などということは、我々には耐え難(がた)い事態である。
     日蓮大聖人は、四条金吾殿に対し、
     「敵と申す者はわすれさせてねらふものなり」(御書1292頁)
    と御教示くださった。
     我等も常の用心を怠(おこた)らず、心に油断の無きよう、さらには篤(あつ)き信心によって諸天の加護を願って、いっそうの精進を期してまいりたい。
     そして、長期的には、折伏弘宣によって世の中に正法の信行者を充満させ、また、あらゆる社会に多くの妙法の人材を輩出していく――それこそが三色脳による総体革命を食い止める道である、ということを肝(きも)に銘じよう。

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  • from: 21世紀さん

    2011年08月17日 13時15分22秒

    icon

    「Re:総体革命」
    張り巡らされた情報網

    --------------------------------------------------------------------------------
    ―学会のためなら守秘義務も平気で違反―

     昭和44年、明治大学教授の藤原弘達氏が『創価学会を斬(き)る』という本を出版しようとしたところ、学会が組織的に妨害。これが公になり、国会で取り上げられ、池田大作の証人喚問が要求されるという事態にまでなった。
     この時、『創価学会を斬(き)る』以外の本についても、学会による出版妨害があったことが明らかになった。それらはすべて出版される前に情報が学会側に漏洩していた。しかも多くの著者は、学会側の圧力を想定して秘密裏に出版準備をしていたのである。
     学会の批判者を嗅ぎ付ける情報網のレベルの高さには驚かされる。もし、学会による日本支配が実現されれば、闇黒のスパイ社会、密告社会となるのではないか。


    【隈田洋著『創価学会・公明党の破滅』の場合】
    ・秘密裏に出版作業がすすめられたが、印刷段階で、印刷業界の幹部から印刷中止を迫られた。印刷所にはいやがらせがつづき、当時の劔木亨弘文相からも中止の圧力がかかったと、著者に伝えられる。この本の場合も古田日大会頭(※日本大学の古田重治郎会頭)からゲラの検閲を迫られた。出版社社長には暴力団員がつきまとい、ついに出版中止となった。(『前衛』H15.11)

    ・隈部大蔵氏は、西日本新聞社の論説委員をしていたころ、「隅田洋」と名乗り『創価学会・公明党の破滅』という学会批判本を執筆した。すると、昭和43年9月11日、隈部氏は、当時公明党の副委員長であった北條浩に呼び出され、以下のように恫喝(どうかつ)された。(『慧妙』H15.7.16)
    ●隅田洋著『創価学会・公明党の破滅』という学会批判書の著者である隅田洋を、今日まで半年がかりで探した結果、やっと探し出した。この隅田洋なる者が、ここにいる隈部大蔵その者だ。人違いであるとは、絶対に言わせない。まさか、大きな新聞社の経済社説を担当している論説委員が、学会教義の批判書を書くなどとは想像もしなかった。そんな関係で、隅田洋=隈部大蔵を捜し出すのに予想外に時間がかかってしまったが。
     しかしだ。いくらペンネームを用いて学会を批判しようとしても、全国的に張りめぐらされている学会の情報網にひっかからない「虫ケラ」はいないのだ。わかったか。
     よく聞いたがよい。たとえていえば、創価学会は「象」それも巨象だ。これにくらべてお前は1匹の「蟻」だ。創価学会を批判する輩に対しては、たとえ1匹の蟻といえども象は全力をもって踏みつぶすのだ(北條浩=総務『もうダメだ!池田大作・創価学会』/『フォーラム21』H16.4.15)
    -----------------------
    この後、北條総務・副委員長に恫喝された『創価学会・公明党の破滅』は、結局1冊も書店に置かれず「初版即絶版」となった(『フォーラム21』H16.4.15)

    ●これではまるで、ソビエトで地下出版を出すようなものであろう。私自身、この記事には少々驚き「まてよ、作影(注=池田大作氏の影響の意)はやはり噂だけではなく事実かな」と思わざるを得なかった。というのは、西日本新聞といえばブロック紙の名門、論説委員といえばその最高の地位ぐらいのことはだれでも知っている。しかしその人ですら「極秘」のうちに出版を進める必要があり、見つかればつぶされてしまう。しかもそれに文部大臣が一役買っているのである。文部大臣が自ら言論弾圧に乗り出すとは少々恐れ入った話だが、「作影」が「○影」に波動して文部大臣を動かして論説委員の著書までつぶす、となるとただごとではない(評論家・山本七平著「池田大作氏への公開質問状」『諸君』S56.6/『フォーラム21』H16.4.15)



    【元創価学会員・植村左内著『これが創価学会だ』の場合】
    まだ本が出ないうちに、池田会長と竹入委員長が出版社を相手どり、図書発行等禁止仮処分申請をおこなった。東京地裁が、まだ本ができていないことを理由に申請を却下すると、今度は名誉毀損として告訴。この本も取次店が扱いを拒否した。68年12月(※昭和43年12月)には、出版社と創価学会・公明党の間に示談が成立し、出版社は著者に無断で印刷過程のすべてを創価学会・公明党にわたしてしまった。出版社への圧力には、福田赳夫、賀屋興宣という自民党中枢が関与し、宗教センター理事長で日本大学会頭の古田重二良氏が示談をまとめたという。庭野日敬立正佼成会会長(当時)によれば、古田氏は、立正佼成会に買い取られて配られた本を信者から取りもどし、日大校庭で焼いてしまったそうである。植村氏は、現代の"焚書"や創価学会からのいやがらせにあいながらも、別の出版社から出版にこぎつけた。(『前衛』H15.11)



    【内藤国夫著『公明党の素顔』(エール出版社)の場合】
    67年1月ごろから、三一書房からの執筆依頼で、都庁担当新聞記者として取材してきた都議会公明党の素顔を書きはじめたという。これが創価学会・公明党の知るところとなり、出版社に圧力がかかり、出版計画は中止となる。内藤氏は出版社を変更し、極秘裏に出版準備をつづけたが、印刷工程でゲラが創価学会にわたった(業務上横領の疑い)ようで、公明党の竹入委員長が30数箇所の書き換えや削除を要求してきた。さらに、国際勝共連合の背後にいた右翼の頭目の笹川良一が内藤氏に「わしは公明党に前に1度恩を受けている。本はおれが全部買いたい」といってきたことも明らかにされた。この本は69年5月(※昭和44年5月)に出版されたが、大手取次店は配本を拒否し、小売店に宣伝して注文をとるという方法で、わずかに世に出された。(『前衛』H15.11)



    【福島泰照著『創価学会・公明党の解明』の場合】
    創価学会からの妨害を予想して、秘密裏に出版作業をおこなった。しかし、本ができあがるころから、大手取次店や広告代理店の扱い拒否という事態に直面し、出版が大幅に遅れた。(『前衛』H15.11)



    【塚本三郎著『公明党を折伏しよう』の場合】
    著者の塚本三郎氏は、後に民社党の委員長になった人で、当時も国会議員として学会による言論出版妨害事件を国会で追及した。その時、氏は、自身が受けた出版妨害の実態を告白している。↓

    ●私自身の体験をひとつ聞いていただきましょう。これは御調査いただかなくてもすぐおわかりいただけることだと思います。
     お読みいただいた、あるいはごらんいただいたとは思いますが、『公明党を折伏しよう』、この私が印刷をいたしました。あえて出版だとは言いません。印刷をいたしましたこの書物に対して、昭和44年8月『公明党を折伏しよう』なる著書を出版しようとして印刷に付しました。この原稿を名古屋市の某印刷会社に手渡しました。もちろんその場合、ツルのタブーなるものを私はある程度承知しておりましたので、印刷会社の責任者に、創価学会員が従業員におりはしないか、ごく小数の人に活字を組ませるように等々、でき得る限りわずらわしい事態になることを避ける心組みで注意しておきました。私はことさらに問題を起こそうとは実は思わなかったからであります。
     ところが、何と驚くべし、わずか数日後にはすでにその第1校正のゲラが公明党首脳の手に渡ったのか、その情報が通じて、わが党の責任者のもとに、塚本の準備している『創価学会に強くなろう』なる著書の出版を中止するようにとの要請がなされてまいりました。
     なお、私の驚いたことは、著書の題名等いまだ私がきめておらない段階に、すでに公明党の責任者より堂々とその題名がわが党の責任者にも伝えられたことであります。私は印刷所にこの由を問い合わせたところ印刷所に聞きましたところ、その題名は印刷所に私がふと漏らした注文書に書き込まれたものであることがわかったわけです。まだきめていない段階において、私がふと漏らした『創価学会に強くなろう』ということを、かりに実は注文書に彼はつけたというわけでございます。そのことがすでに公明党の幹部のもとに数日後に手渡ってしまっておるではございませんか。
     なお、工場長に調査してもらったところ、創価学会員が3名ほどいたので、外に漏れてしまって申し訳ありませんでしたとの返事であります。
     およそかくのごとくで、出版の中止ができねば題名を変更してくれとの要請であります。創価学会という名前だけは変えてくれということに、実は要請が変わってまいりました。一体これは私1人の体験でないことは、藤原氏の問題をごらんになってもわかるとおり、私自身が驚いたような事態ではございませんか。これらの著者の方々が一様にこのことは指摘しておるではございませんか。戦前の事前検閲と少しも違わない事態が、ツルのタブーとしてこの数年間創価学会の批判は許されないとしてきた事態を何と考えられておるのでございましょうか。(「ツルのタブーとは何だ」と呼ぶ者あり)教えてあげましょう。創価学会に対して批判をしたものは、ことごとくその大きな宗教団体の財力の裏付けをもって、公明党の幹部の諸君や創価学会の幹部の諸君が実は印刷所へ話し合いに行って発行させないようにするから、創価学会、公明党に対する批判は絶対言論界においてはできないという通用語でございます。おわかりになりますか。こういうことで、これだけの人たちが実はこういう被害にあっているのでありまするから、証拠を突きつけてもそのように反抗なさる態度は、往生ぎわが悪いと私は思います。(衆議院予算委員会での塚本氏の質問S45.2.28/『フォーラム21』H17.3.15)

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