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from: 21世紀さん

2011年05月24日 14時04分12秒

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戸田城聖の実像

戸田幾さん(戸田城聖氏夫人)日蓮正宗で葬儀------------------------------------------------------

戸田幾さん(戸田城聖氏夫人)日蓮正宗で葬儀

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―逝去後1週間経ても立派な成仏の相!!―

(<妙観講>WS)

 平成12年3月6日、創価学会2代会長・戸田城聖氏の夫人・戸田幾(いく)さんが逝去されました。享年89歳。
 お通夜ならびに告別式は、3月12日、13日と、東京都品川区の桐ケ谷斎場において、日蓮正宗常在寺住職・細井珪道尊師の導師で、厳粛(げんしゅく)に執(と)り行なわれました。
 戒名は「照寿院妙護日操大姉」、御法主日顕上人猊下より賜わった日号であります。


▲日蓮正宗で行われた戸田幾さんの葬儀


 幾さん逝去の報をキャッチした創価学会では、最高幹部2名を戸田家に送り込んで、日蓮正宗で葬儀を行なわないよう懇願。しかし、この企(くわだ)ては、子息・喬久氏(城聖氏長男)によって退(しりぞ)けられ、正宗での葬儀執行となったのでした。
 戸田家に近しい人の話によれば、喬久氏は常日頃から、
 「戸田家は日蓮正宗の信徒である。日蓮正宗で葬儀を行なうのは当然だ」
と語っており、さらに、
 「おやじ(城聖氏)が猊下にお目通りする時は、伏せ拝のまま、1度も顔を上げることはなかった。そういう姿を見ているから、猊下様はこんなに尊い方なんだと思っていた」
 「そんなおやじを見て育っているから、いかなることがあっても、お山(総本山大石寺)に弓を引くような真似はできない」
と話していました。
 すなわち、城聖氏の信心を引き継いだ戸田家においては、常在寺に所属する日蓮正宗の信徒である、との自覚を鮮明に持ち、昭和33年4月の戸田会長の葬儀も、常在寺に願い出て執行。それ以来、4月2日の祥月命日には、毎年、東京・目黒の戸田家へ同寺の御僧侶が訪問、追善供養の読経・唱題が行なわれてきたのです。
 また、今回、正宗での葬儀が実現したのは、何といっても、幾夫人ご本人の生前からの強い希望によるものでした。
 幾さんの逝去後、週刊誌に幾さんと、ある男性との会話のテープが紹介されました。そこに、池田創価学会に対する幾さんの率直な気持ちが語られています。

〈男性〉 池田さんて、悪いやつです。すごい悪い悪人です。金だけ集めている。
〈幾さん〉 ほったらかしておいた方がいいのよ。(あなたも)あまり真剣にならないで、今に分かるから。必ず分かるから。
〈男性〉 罰が出ますよ。御本尊様に背いた罰がね。
〈幾さん〉 もう罰があたっているのよ。お子さまを1人亡くしているでしょ。
〈男性〉 私は、池田大作という人物は大悪党だと思っています。
〈幾さん〉 みんなそう思っているかも知れませんよ。

 告別式において、最後のお別れに臨んだ参列者達が目にしたのは、逝去より1週間を経(へ)てもなお、生前と変わることなく、安らかに眠る、幾夫人の素晴らしい成仏の相でした。
 なお、創価学会2代会長夫人の葬儀に、池田大作は欠礼。秋谷栄之助、和泉覚、粕原ヤスら、学会最高幹部30名が参列し、細井尊師の唱導のもと、共々に日蓮正宗の導師曼荼羅(まんだら)に手を合わせていました。


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■訃報 戸田幾様逝去さる
(『大白法』H12.3.16)

創価学会第2代会長=大宣院法護日城大居士の夫人である戸田幾様が、6日午前11時57分、東京都内の病院で逝去された。享年89歳。

[照寿院妙護日操大姉]
通夜は12日午後7時から、葬儀は13日午前10時から、それぞれ東京都品川区の桐ケ谷斎場にて、日蓮正宗常在寺住職・細井珪道御尊師の導師にて執り行われた。

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from: 21世紀さん

2011年05月29日 16時28分25秒

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「Re:戸田城聖の実像」
論文・指導集

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僧侶観

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【僧侶の大功績】
 日本中にいる一般の坊主は、全然不用なものである。(中略)20の扉の語をかりれば、『動物』という題で、影の声が「寺に住む動物の親分」ということになる。すなわち高級乞食である。
 かかる何十万の動物の中で、同じ姿こそしておれ、厳然として人であり、人のなかでも立派な僧侶と名づくべき百数十人の小さな教団がある。この教団こそ日本の宝である。日蓮正宗の僧侶の教団こそ、これである。
 かかる、立派な教団でも、身近に住む信者はありがたいとも思わず、ふつうだと考える。これは、この教団の偉大な功績を見ないものであって、この教団の一部分観をなしたり、または、この教団存立の目的たる広宣流布において、なまけている者が、おったりするものだけを見るから、″宗祖大聖人のお衣の袖(そで)にかくれ、仏飯を腹いっぱい食うことを唯一の願いであるとしている猫坊主が多い″と攻撃して、功績の方を見ない。(中略)
 かかる近視眼的かつ部分観的、一時的に観察せずに、大聖人御出世の御本懐より、または仏法の大局視よりなすなら、口にも筆にも表わせぬ一大功績が、この教団にあるのである。
 わずか百数十人の僧侶が、愚僧、悪僧、邪僧充満の悪世に、よく耐えるもので、大聖人の「出世の御本懐」たる弘安2年10月12日御出現の一閻浮提総与の大御本尊を守護し奉って、7百年間、チリもつけずに、敵にも渡さず、みなみな一同、代々不惜身命の心がけで、一瞬も身に心に身心一つに、御本尊を離れずに、今日に至ったのである。(中略)もったいないではないか。神々しいではないか。ありがたいではないか。・…かくも、法体を守護し、かつ化儀連綿(れんめん)たる功績こそたたえねばならぬことである。この上に、大聖人の御教義は、深淵にして、厳博(けんぱく)であって、愚侶の伝えうべきことではないのに、賢聖時に応じてご出現あらせられ、なんら損することなく、なんら加うるなく、今日まで清純に、そのまま伝えられたということは、仏法を滅しないことであり、じつに偉大なる功績ではないか。(S26.6.10/『慧妙』H13.9.1)


【創価学会の歴史と確信】
◆御僧侶を尊び、悪侶はいましめ、悪坊主を破り、宗団を外敵より守って、僧俗一体たらんと願い、日蓮正宗教団を命がけで守らなければならぬ。(S26.7.10『戸田城聖全集』第3巻128頁)


【御僧侶の待遇と信者への反省】
◆御僧侶に対する供養は、仏に対する真心を現すものであり、御僧侶は大聖人に代わって、これをお納めになるのであって、供養は、純真なものでなくてはならない。(S26.12.1『戸田城聖全集』第1巻62頁)


【僧俗一致の実践】
―正妙山興隆寺落慶入仏法要―

(『戸田城聖全集』第4巻559頁〜)
 むかしから、僧俗一致ということが、わが宗内では叫ばれている。ところが、僧俗一致していたような寺はなかった。
 なぜないかという理由は、この信者側も悪い。坊さん側にもある。なぜかというと、お坊さん側では、信者を子分か家来のようにして使おうという頭がある。信者側では、坊さんを養っているという頭がある。
 ある御尊師がいうたことばですが「どうも、旧信者は、金を出さないで文句ばかりいっている。困ったものだ」というおことばをうけたまわったことがありますが、これは冗談であるか、うそであるか、ほんとうであるか、私は知りません。この点を直さなければならんのです。
 ただ、お坊さんのなかでも、人格が高く、学問の深い方は、なんにも問題は起こっておらない。ことばでも不快気分を与えないだけの気持ちを、信者に起こさせる。
 自分に力がなく、また、いいかげんだというと、信者の実力ある者のきげんをとって、そうして、その、自分の地位を安定せしめようとする坊さんがある。そういう坊さんにきげんとられた信者は、かならず退転して、ろくな目にあわない。
 いつも、夕張だけは、ほかもまた行きますけれど、ここで最初に注意しておくことは、お坊さんに、おのれは、おせじをつかわないで、そして、どこまでも尊敬する。尊敬とおせじは違います。ここは紙一重の差がついている。尊敬する。そうして、できるだけこのお寺の御僧侶が、不自由のないようにすることを心がける。
 そのかわり、御尊師にもしまちがいがあるならば、陰口なんてきかずに、正々堂々と忠告すること。これは罰になりません。陰口は罰になります。だが、面とむかって堂々と話すことは、けっして罰にはなりません。しっかりやりなさい。(S32.8.20 夕張・興隆寺)
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これは、一般の御僧侶に対する評価である。一般の御僧侶にも間違いがある。その時は正々堂々と忠告する。しかし、基本的には尊敬し、御供養によって経済的に支える。これが、戸田会長の御僧侶に対する態度であった。"僧俗平等""僧侶不要"を主張する池田学会とは全く異なることが分かる。

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