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  • from: 22世紀さん

    2011年06月21日 18時23分19秒

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    池田大作「権力者」の構造

    創価学会の歴史

     ここで簡単に創価学会の歴史と、池田入信時の状態にふれておこう。
     同会の前身・創価教育学会は昭和5年、牧口常三郎、戸田甚一(のちの城聖)により創設されたとされる。(一説に、昭和5年は牧口の『創価教育学体系』第一巻が発刊された年にすぎず、12年の発会式をもって創立の年とする見方がある)。彼らはこの二年前、日蓮正宗に入信している。
     当初創価教育学会は牧口の著述した『創価教育学体系』の刊行を目的とし、宗教臭はほとんどなかったが、しだいに日蓮正宗への傾斜を深め、昭和12年政友会・古島一雄、元外交官・秋月左都夫を顧問、牧口を会長、戸田を理事長にして正式発足し、外部に研究生を求めた際には、正宗の信者であることが条件となっていた(宗教学者・竹中信常はその著『創価学会』で、「いくら探求しても、創価学会が日蓮正宗と結びつかねばならなかったという、理由をいまだ発見することはできない」としている)。
     同会は小学校教員を中心として、昭和15年500人、同16年3000人と増加し、機関紙『価値創造』を創刊するまでに順調に発展していったが、18年、当時全戸に配布されていた伊勢神宮のオフダの受領を拒否して弾圧され(後に詳述する)、牧口、戸田をはじめ幹部21名が投獄された。獄中で牧口、戸田、矢島周平を除く幹部たちは転向し、牧口は19年老衰と栄養失調で獄死した。   戸田は20年7月、保釈出所し、下獄中に解体した彼自身の事業の建て直しに着手するかたわら、創価教育学会を創価学会と改めて再建し、21年正月から戦前の会員等に法華経を講じはじめた。
     同年5月には第一回、第二回幹部会を相ついで開き、理事長に戸田、理事に本間直四郎、岩崎洋三、西川喜万、藤森富作、原島鯉之助、小泉隆、辻武寿をあて、6月には『価値創造』再刊第一号を発行、また青年部を結成した。
     当時の創価学会の拠点は蒲田(小泉、辻、小平芳平)、鶴見(森田悌二)、小岩(和泉覚)、杉並(山浦千鶴子、柏原ヤス)、目白(原島)等にとどまり、そこでは月に一、二回の座談会が行われた。また8月には富士大石寺で、29名を集めて戦後第1回の夏季講習会が開かれ、9月には栃木県那須や群馬県桐生で地方折伏を始め、21年中に創価学会の再建をほぼ軌道にのせている。
     戦時中の創価教育学会への弾圧は、天皇制や侵略戦争に反対したからではなく、それらをいっそう強化するために、その誤りを諫める(国家諫暁)という立場を固執したために加えられたものであった。
     しかし、同会は他の多くの教団のように権力の指示を忠実に奉じて踊ったのではなく、逆倒したかたちではあったが、権力に対して批判的で、統制に抵抗したのであり、そうした経歴が戦後の強い発言権を保障していた(佐木秋夫「創価学会の歴史について」、『文化評論』昭和45年3月号)。
     創価学会が国体護持、戦争協力にこれつとめてきたひとのみち(PL教団)や生長の家のように看板や教理を塗りかえることなく、短期間に戦前の水準に回復したのは自然であり、昭和22年時にも毎月10〜20世帯の新入信者を保っていたという。
     池田入信前の主たる会員には前出のほか、奥山和平、柏木敏、寺坂陽三、木下鹿次、竜年光、酒井うめ、牛田寛、原田立らがいたにすぎず、池田が後日、会長の地位はともかく、ある程度出世するに不都合なほど多数とはいえなかった。彼はまだ遅れてきた青年ではなかったわけである。
     《南無妙法蓮華経は嫌いだったので、ずいぶん反対したのですが、理論で破れて信仰しなければいけないということになってしまったのです。負けたのでシャクにさわってしかたがない。その時の感じをいえば、理論を受け止める素地がないからわからない。それだのに相手は確信をもって話している。こちらは観念的で浮いているような感じがしたんです》
     池田は、「南無妙法蓮華経は嫌いだったので」と言っているが、彼の父親は真言宗の強信者であったうえ、当時の風潮も、たとえばPL教団ではお守りをアミュレットと呼びかえるなど、植民地風が濃厚であり、日蓮正宗ならずとも仏教でありさえすれば、一様に時代遅れに見え、若い池田が信仰するには抵抗の多いものがあった。が、彼は座談会の前に、「討論して負けたら、いさぎよく従う」と明言していた手前、不承不承入信しなければならなかった。
     東洋商業をその年の3月に出たばかりの池田は、戸田に仕込まれた小平芳平の理屈に太刀打ち出来なかったばかりか、逆に頭から呑まれてしまった(池田を折伏したのは戸田ではない。これについては後述する)。
     戸田はヒバリ天とあだ名されたように、人生の浮沈をきわめ、辛酸をなめつくした経歴の持ち主であった。
     彼は明治33(1900)年2月、石川県に生まれ、37年、一家をあげて北海道石狩郡に移住した後、厚田尋常高等小学校を卒業、独学して尋常小学校准訓導の資格を得、大正7年、夕張郡の真谷地尋常小学校に勤め、同年中に正訓導の資格を得た。
     大正9年、同校を退職、上京し、8月ころ、下谷の西町小学校校長であった牧口常三郎を訪ね、同校の臨時代用教員として採用され、以後、牧口の忠実な部下となった。
     牧口も苦学力行という経歴では戸田と同様であり、それが牧口の学者肌、戸田の街の事業家風といった両者の気風の相違とともに、彼らの親交を終生飽きさせないものにしていた。
     牧口は明治4(1871)年6月、新潟県に生まれ、苦学して26年、北海道尋常師範学校を卒業、付属小学校の訓導になり、地理学を研究し、34年、上京した。志賀重昴等の協力を得、36年、『人生地理学』を著し、好評であったが、学界には受け入れられず、また刊行により小川琢治、新渡戸稲造等の知己を得たものの、経済的にも恵まれず、38年ころから、生活のために雑誌編集、文部省嘱託等を経験し、42年には東京麹町の富士見小学校の主席訓導になり、教師生活に逆戻りした。
     一時、退職し、大正元年、『教授の統合中心としての郷土科研究』を著し、2年には台東区東盛小学校の校長になり、以後昭和7年まで数校の小学校校長を歴任し、そのかたわら『創価教育学体系』を著作していた(池田諭『牧口常三郎』)。
     大正10年、戸田は牧口とともに西町小学校から三笠小学校に移動したが、11年、同校を退職し、生計のために下駄の露天商、八千代生命の保険外交員を始める一方、12年には受験塾「時習学館」を開設した。が、同年長女を、翌年妻を失い、彼自身も結核に冒され、宗教に救いを見出そうとキリスト教に入信していた。
     13年ころから中央大学経済学部の夜間部に通い、昭和5年には時習学館で使ったテキスト等を集めて学習参考書『推理式指導算術』を著し、百万部を売り捌いたという。
     同年、創価教育学会の発足後、戸田は時習学館を弟子に譲って新たに設立した日本正学館を根城に、大道書房、奥川書房、秀英舎等の小出版社や平和食品等に投資し、また手形割引会社の日本商事の設立、千葉県の醤油問屋・平野商店の買収、証拠金を納めての兜町証券界への進出など、最盛期には17の会社を支配し、資産金は600万円、月収は1万円を超え、ことに大道書房からは同郷の子母澤寛の書き下ろしを慰問袋用に刊行して莫大な利益をあげ、創価教育学会の財政面を支えたという(日隈『戸田城聖』)。
     だが、前述したように創価教育学会への弾圧と彼自身の下獄のため、20年出所しても彼の事業は解体し、逆に二百数十万円の借財を抱えていた。戸田は終戦を待たずに早速、事業再建に着手し、同年8月には中学生相手に数学、物象を6ヵ月分前金25円で通信教授する「日本正学館」を設立し、9月末には英語の通信講座にも手を広げ、池田入信時には出版業に転進していた。
     池田がこうした海千山千の戸田に学んだ小平を論破するには、東洋商業卒という学歴も、協友会での読書も、何一つ助けにならないほどに貧弱すぎたが、それ以上に彼は、小平の地についた確信者の気魄に圧倒されたのであろう。
     確信の困難な時代に確信する者は、その抱く確信がどのようなものであれ、確信するというただ一事で、人に威迫力発揮できる。
     戸田や創価学会幹部たちに仕込まれる前の池田の確信の無さや曖昧さは、ことによると、現実を取りこぼすまいとする誠実さや、判断を手控える謙譲の表れであったかもしれない。が、それは世俗的な成功とは縁遠く、確信なしには池田の会長という地位もなかったであろう。懐疑論者はつねに割に合うことがないのだ。
     確信の対象は、鰯の頭も信心からといわれるように教義の優劣を問わず、宗教である必要もない。もちろん確信の内容は生活を規定するが、要は生活の全面にわたるほどに広く、生活規範として働くほどに深く信ずれば、少なくとも人を圧倒できよう。
     池田を呑んだ小平や戸田の確信は、のちに池田の獲得した確信でもあった。






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