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  • from: 22世紀さん

    2011年06月21日 18時24分49秒

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    池田大作「権力者」の構造

     入信

    《そのときの話というのはこうなんです。『これから先のこと、20年先のことがわかるか。これから年とって、その先(?)なんのため生きたかを考えることになるが、それならば今のうちに考えたらいいではないか。自分の宿命は自分でも知らないではないか。誰が援助しても、社会的に偉くなっても宿命だけはわからない。宿命は解決できるか。人生ひとたび死ぬではないか。苦しんで死ぬのではしかたがない。この四つの全部がわかっていれば信仰の必要はない。わからなければ真面目に考えろ。信仰をしろというのです。
     私はこれに答えられず、信仰すると答えたのです。それでお題目を唱えろということでしたが、はずかしくてしかたがなかったのです。友人は入信しないで黙っていました。それから御本尊をお下げするという話で、私は30分間ほどいりませんとがんばったんです。すると幹部の人がなだめて、むりやり私に押しつけました》
     池田の授戒(入信の儀式)はこの折伏から10日後の8月24日、中野の観喜寮(のちの、昭倫寺)で行われた。これによれば本部で即刻入信したとも取れるが、文章の省略であることは次の証言に明らかである。
    「堀米日淳(日蓮正宗第65世法主)師からよく聞かされたものだが、池田の御授戒は日淳師が住職をしていた中野の観喜寮でだったんですね。池田は小平に連れられて来たが、御授戒だけは受けたものの御本尊を受けるのはどうしても嫌だという。日淳師は仕方なく小平に持たせ、そのうち池田の気が変わるだろうからといったそうです」(当時、宗門の機関紙『大百蓮』の編集を手伝ってい、のちに、創価学会我孫子支部参与の瀬尾正吉談)
    「はずかしくて」は、19歳の新しがり屋の青年の感情として、十分うなずける。
     当時、創価学会の折伏法は、戦前の価値論から、生活体験を重視する方向に移っていた。
     牧口の「価値論」とは人生の目的を幸福の追求にありとし、幸福の追求とは価値の創造獲得であるとするものである。その価値は、新カント学派の真・善・美の三価値から真を除き、利を加えて、美・利・善の序列で三段階に分けられる。美は人間の部分的な価値の対象、つまり感覚等にかかわるから個人の利より低く、善は公利だから、単なる利より高い。
     また美・利・善に対して醜・害・悪の三反価値があり、それはそれぞれ大・中・小の三等級に分けられる。頂点は大善であり、そこで日蓮教学と結びつき、罰論が導入されて、大善を知りながら行わないのは大悪とされる。
     牧口の「価値論」は現在、学界からまったく無視され、ことにその日蓮正宗教学との結びつきは恣意的とされている。
     戸田は「価値論」を「生命論」の論拠としてないがしろにせず、『折伏教典』に一章を設け、29年には戸田補訂で再刊もしているが、その会員への普及度は低く、また折伏や講義の実践にもさして用いられなかった。価値論から入るより、まず開口一番、「あなたは幸福か?」とぶつけ、「我々には完全無欠な大生命哲学がある。これによって宿命を転換し」と水をむけ、「現証」で説得する方式が多く取られた。「価値論」の非論理性を嫌ったのではなく、なにより創価学会の大衆化には理屈より実体験、実利という観点からであった。
     それは敗戦後という時代に、積極的に弱肉強食の思想を肯定し、とまどいながらも、進まざるを得ない世の趨勢に投じたものであった。
     「牧口先生が教えられたことは主として価値論であった。・・・・・それに対して、戸田先生が教えられたことは、『しょせん、世の中で、たよれるものは、自分以外にない』という、敗戦後の混乱のなかで、だれでもが感じている真理であった。・・・・・戸田先生は、御本尊様は功徳聚である。御本尊を信じ、自行化他の題目に励むことによって、病人は健康体に、貧乏人は金持ちに、バカは、利口になると教えられたのである。
    ・・・・・頼るものは自分の力以外にないことは、だれしも認めざるを得ない。きびしい現実であった。自己の生命力を豊かにし、福運を増し、生活を裕福にすると説く仏法が受け入れられたことは理の当然であり、深い深い仏智によると拝さねばならない」(柏原ヤス「再建期の教学」、『大白蓮華』昭和39年1月号)
     池田に対しても同様な方策が取られたと思われる。依然として貧・病・争に悩む池田が顔をあげて自身の将来を見れば、絶望以外になく、彼は小平のいう「宿命」に無関心ではいられなかっただろう。先行き不安というより、お先真っ暗な池田に、そして、世に乗り出す者として自分の運命に鋭敏たらざるを得ない池田に、小平の話はいかに論証不可能なものであれ、問題のあらわな提起として一定の衝迫力を持った。
     しかし、その「宿命論」は、一個の独立人格としての存在理由は何か、といったような突きつめた問いに接触はしても、その問い自体ではなかった。なぜなら、そのような問いに本気で立ち向かうならば、それまで安全に見えていた大地に突然割れ目ができ、そこから深淵をのぞきこむような不安や不気味さに襲われるからだ(神谷美恵子『生きがいについて』)。
     池田はそうした知の危機を通過しなかった。彼の弱さが、存在理由の追求の最中に、安易に手を締めさせたのである。存在意義の根拠は、つねに自分の内にはなく、他者の中にのみ見出し得るものだが、池田はこのインタビューの最終部で述べるように、彼自身の「ずっと順調で申し分のない幸」の享受以上のものを望むことがなかった。彼の病身も彼を手一杯それにかかずらわせて、彼の精神の病を防いでいた。池田が精神の危機を通過しなかったことこそ、宗教者に見られる精神の高貴さや気品に欠けさせるものであった。



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