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  • from: 22世紀さん

    2011年07月06日 20時47分07秒

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    池田大作「権力者」の構造

    「信心利用」の辣腕営業マンの懐ぐあい

     池田の地位は創価学会でも勤務先でも目にみえて上がり、彼はそれを信仰の「現証」と考え、会活動の正しさをいっそう確信したことだろう。
     池田はこのころのこととして、後にこう述べている。
    「私は、4年で重役だ。給料は、まもなく社長を抜いた。私は、当時で、20万円とっていた。社長は、4万8千円だ。(略)北条、森田、竜、原島、小泉、辻――全部、おごってあげたんだ」(昭和48年10月初旬、東京で、内部文書)
     池田が戸田のもとに勤めた最初は昭和24年1月の日本正学館であり、それからほぼ4年たった27年10月、彼はたしかに大蔵商事の取締役に就任している。昭和27年時、大人の理髪料金は高くて140円、大卒公務員初任給は5,000円に満たず、社長・和泉覚の4万8千円は昭和56年現在の約77万円に相当し、まずまずの高給だが、それにもまして池田の20万円は月給320万円程度にあたるとみられ、信じがたいほどの高額である。
     おそらく営業のこととて歩合給の割合が高く、「布団をはぐ」ほどに辣腕の営業マン池田は、少なくとも帳簿上は、それだけの働きをしたとみられる。
     昭和27年7月に入信したある会員は、当時の大蔵商事の営業ぶりをこう語っている。
    「入信とほぼ同じころ、戸田会長がお金を預かりたいといっていると聞き、30万円を投資した。当時、毎月4、5千円の金利を文京支部の男子部部隊長・吉田顕之助が昼間カバンをさげてキチンキチンと届けてくれた。今思えば会員利用ということなのだろうが、当時は信心に夢中で、折伏の棟梁である戸田会長がいるかぎり、踏み倒されることはないと信じきっていた。
     1年間ぐらい預けただろうか、記憶がはっきりしないが、ともかく向こうから精算したいといって来、元金をちゃんと受け取ることができた。会社自体に力がついてきたのだろうと思った」
     大蔵商事は25年の設立時と比べれば、ウソのように業績は好転し、池田への驚くべき高給も全額支払われたかはともかくとして、ほどほどの高給を支払えるほどに基盤は安定していた。池田はその高給をバックに、原島宏治や北条など、彼より信仰上、もしくは年齢的に先輩にあたる会幹部に対して「おごってあげた」のである。
     池田はまた当時の彼の懐ぐあいについて、次のようにも語っている。
    「S(昭和)26〜7年、戸田先生の事業が大変だった時、私は自分で200万円、当時の金でだよ――寄付したんです。陰で支えていたのです。戸田先生、焦っていらした。全体会議で労働組合つくるならつくれ!といわれた」(昭和50年5月1日、萩寮・東家での懇談、内部文書)
    「戸田先生の時代に26,7歳の時3年かかって稼いだ歩合のお金、私の貰い分が当時の金で200万、今の金にすると数千万円になるな。それで先生の借金をかえしたが、戸田先生は少しも有難うなんて言わない」(松本勝弥『池田大作言行録』昭和44年6月1日の条)
    『言行録』中には池田が「26、7歳の時」とあるが、これは昭和29〜30年にあたり、前に引いた萩寮での「26〜7年」に合わない。おそらく「26、7年の時」の誤りであろう。両資料は同一のことをいってい、昭和26、7年のことと解される。
     戸田は会長就任後、「信心利用」によって大蔵商事の社業を順調に発展させていたが、彼には東京建設信用組合時の負債(1,500万円)が残されていた。その三割返済による清算は昭和27年に行われ、池田の200万円云々は、その支払いにあてられた、未払い分の歩合給の棒引きを意味しよう。
     ともかく池田は未払い分を含めた数字ではあろうが、20万円という高給をもって、ひとしなみに貧乏な時代の同僚や先輩の幹部会員に臨めた。酒を飲めぬ池田の「おごり」が食事程度だったとしても、「池田はみえっぱりだから、どこへ行っても金は出しました」という当時の青年幹部の証言もあり、彼の金が後の会長就任のための多数派工作に有効に作用しただろうことは、想像に難くない。
     12月、池田は無試験で助教授となった。このとき、牛田、石田は教授、竜、森田、北条は助教授となっている。
     27年暮れの第七回総会で創価学会の公称世帯数は22,300、翌28年の折伏目標は5万世帯と発表された。会員は、戸田の会長就任から1年7ヵ月で7倍になった計算だが、このころから戸田の健康は損われはじめていた。


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