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  • from: 22世紀さん

    2011年10月13日 03時56分35秒

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    池田大作「権力者」の構造

    理念なき教育と創価大学

     池田は自らの学歴を高卒から脱却させたと同じ発想をもって、創価学会に知的外見を付与した。その具体化は前述の文化活
    動であり、より直接的には学校の設置だった。池田の知的渇望は粉飾にとどまって迷路に踏み迷わなかったため、高踏化をま
    ぬがれ、多数の庶民に支えられる同会の現実を否定せず、その夢の幻想的な実現という一面を持った。
     昭和43(1968)年4月、創価学会は東京・小平市に創価学園(当初は中学、高校、男子のみ)を開校した。
     同学園が「健康な英才主義」「人間性豊かな実力主義」の二方針を掲げることからもうかがえるように、そこには受験地獄等、
    現代教育のはらむ問題性への批判はなく、逆に現状を無批判に肯定して、その中で勝ち抜こうとし、結果的には現状を加重する
    教育しかなかった。
     「44年の受験生は中学1年に合格が決まったとたん、間もなく入学式にもっていく宿題がどっさり届く。内容は、夏目漱石の
    『坊ちゃん』ほか二編、芥川竜之介の『トロッコ』ほか二編を読み、それぞれ400字三枚の感想文、小説の創作同じく三枚、
    わが郷土の作文同じく三枚、ほかに算数のプリント、絵を一枚書くこと、入学式で新入生に渡された国語、数学、社会などの
    教科書は一年と二年のもの。これを一年間にやろうというわけだ。入学式の翌日は早速試験。一年間に五回の中間テストを
    行なう」(小林正巳『池田大作』)
     池田の理想の人間は、ほかならぬ池田自身だったから、少年時を懐旧して作文の呆けた重視と、あとはガリ勉への追い込みと
    なった。同学園生(高校)の二分の一は理科系志望とのことであるから、大いに作文に迷惑した者もいるにちがいない。
     池田は「私の終生の仕事は教育です。牧口初代会長も戸田前会長も教育者だった。私の仕事の総仕上げもやはりそこへきた。
    教育こそ一国、ひいては人類の命運を決する大事業です」と語り(同前)、たいそう教育に意欲的だが、彼には教育界につけ加
    えるべき、小理屈でない理念は皆無だった。
    「高等部員はできるだけ大学へ進学すべきです。・・・・・男子高等部員はいまからこの決意でいきなさい。・・・・・なお、女子の高
    等部員の方は必ずしも全員大学にいく必要はありません」(『池田会長全集』三)
     池田の女性感は徹頭徹尾「女大学」で、彼が女性に要求する知性の程度は、まず家計簿をつけられれば可とするもの(「計画
    性のある主婦は、まず、家計簿をつける主婦からはじまる」=池田『家庭革命』)であった。これは、そこへいくと男はやはり大学
    を出ていないと、なにかと損で、といった按配の、世にありふれた世智による教育論にほかならない。
     池田は教育の本質を問おうとする理想を持たずに、徒に損得を思量した。だからこそ彼自身、恥をしのんで短大を出た道理で
    ある。個々の資質と志望を度外視して、やみくもに大学に行けという殺伐とした利己主義の勧めは、池田と創価学会の体質の
    反映であろう。
     創価学園は昭和47年12月、大阪・交野市に創価女子高校、女子中学校を、昭和50年12月には札幌・豊平に札幌創価幼稚
    園、昭和52年12月に東京創価小学校をそれぞれ開校している。同学園の理事長は副会長の青木亨である。
     昭和46年4月に開校した創価大学(理事長・唐沢照明、学長・高松和男)にも池田の体質は反映している。
     同校は東京・八王子市郊外の37万平方メートルという広大な敷地に、資金60億円(内訳は池田の印税寄付7億円、創価学会
    本部41億円、15万5,000人から寄せられた12億円といったところらしい)をかけて、まず法学部、経済学部、文学部で発足し
    た。ゆくゆくは200億円ほどをかけ、文科系4学部、理科系6学部、学生数6,000人の総合大学にする予定とのことだったが、
    昭和56年現在までのところ、51年2月に経営学部、教育学部、また50年大学院が設置されたに過ぎない。ふえたのは学生数
    だけで5,200余名である。
     また創価大学の受験料は56年度18,000円、入学時納付金は303,150円(入学金83,000円、授業料142,000円、
    施設費71,000円など)、入寮者の入寮費は25,000円、寮費は年額50,000円である。
     これは他の私大に比べてやや安い程度で、いずれは事業として成り立っていく金額ではないのか。池田が仰々しく、「教育こそ、
    人類の命運を決する大事業である」といったところで、決して彼がすべてをまかなえるわけではなかった。ただ教育が、偉大な池
    田の晩年を飾るにふさわしい事業に思えただけである。
     池田は開学にあたって、「人間教育の最高学府たれ、新しい大文化建設の揺籃たれ、人類の平和を守るフォートレス(要塞)
    たれ」の三つのモットーを示した。
     人間教育、文化建設、平和というわけだが、ここに人間教育とは、「時代の要請に応えられる人材を輩出するために、人間主義
    人間性尊重に基本理念をおく」(聖教新聞社『創価学会』とあるように、せいぜい「期待される人間像」つ゛くりといったところだった。
    創価学会の人間教育とは、朦朧語を取り払えば人間革命に先刻見られるように、現状べったりのモーレツ人間つ゛くりの謂いで
    ある。
     文化建設とは、「従来の学問体系の行き詰まりを打開して、新しい学問体系を確立することを長期目標としてめざす」(同前)も
    のだという。結構だが、池田自身は同校で「純粋の文学論、たとえば万葉集」(『朝日新聞』昭和46年3月16日)を講義したいと
    語っている。池田は学的批判にたえるほどに万葉集を研究し、かつそれは新しい学問体系の樹立と関連するのだろうか。なに
    しろ池田は、「一日に二十分の読書が、一年つつ゛けばどれほどの学者となり、教養となることであろう」(池田『私はこうして若い
    日を過ごした』)という意見の持ち主だから、素人考えでも大いに心配であり、まず彼の影響下にあるかぎり、創価大学による新
    学問体系の樹立とやらは「画にかいた、パンに等しい」(餅ではない、池田『人間革命』一での表現)であろう。
     またモットーの一つである平和については『創価学会』に説明がないように、多分に池田の知的アクセサリー言語である。池田
    はよく平和を口にするが、それは前述したように伝統にも基つ゛かず、教義としても内在化されていず、その具体的行動といって
    は、大学の定礎式で世界135ヵ国の石を投げ込むといった呪術的なものにすぎず、抵抗度の軟弱なものである。創価学会は
    青年部を中心に48年以降、反戦出版や反戦集会を行っているが、反面、相も変わらず、自衛隊認知に傾く公明党を支持してい
    る。二つの行動に矛盾は存在しないかの如くであり、彼らの「反戦平和」は実効性を問わない存在証明にすぎない。
     なお、創価大学の当初の構想では、文学部のなかに仏教学科が設けられるといわれていたが、昭和56年現在、文学部には
    社会学科と英文学科しかなく、一般教養課目のなかにも宗教学の講座はない。佐伯真光はその理由を、高給をもってしても有能
    な仏教学者を集められなかったこと、創価学会の信者で、しかも一流の仏教学者は現存しないこと、仏教学の基礎である批判的
    文献学を遂行すると早晩、信仰と学問の相克をもたらすことに気つ゛いたこと、の三つに求めている(『諸君』昭和46年10月号)。

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