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  • from: 22世紀さん

    2011年11月25日 08時59分26秒

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    池田大作「権力者」の構造

    道具としての女性観と廉潔を裏切る金銭観

     池田の私生活も、私人的な言動も、創価学会=公明党の首領であるという自意識から決して離れられなかった。彼
    は戸田の率直さだけは受け継がずに圧殺し、自ら立てた浅ハカな大義名分によって厚化粧した。
     彼は女性との関係に関しては、
    「法治国の国民としては、それ(一夫一婦制)に従うべきだ。ただし――ただしですよ、(笑い)――もし、それだけの
    理由と力があって、しかも誰にも迷惑をかけないという場合には、一夫一婦制の枠外の行為でも私は男性として認め
    ます」(『宝石』前掲号)
     と述べ、妾を抱えていた戸田仕込みの、まことに融通無礙の見解を持ち、今ではそれを実地に試みたと報じられて
    いる。『週刊新潮』(昭和55年6月12日号)によれば、池田と「ただならぬ〝間柄〟」の女性は公明党参議院議員・
    渡部通子、中国担当副会長・上田雅一の夫人、創価大学図書館長Yの夫人、第一庶務の女性たち、東海研修道場
    の女子職員、山陰地方のある幹部の夫人、と多数に上っている(創価学会は同誌に対し昭和55年6月5日、記事の
    即時全面取り消しを求めて抗議したが、同誌は6月19日号で逆に「当誌を<誹謗・中傷>する目的で書かれた<許し
    難い>文章」だとして取り消しを拒否、その後現在=昭和56年4月=に至るまで同誌記事は黙認されている)。
     池田の対女性観や性についての考え方はいくつかの池田語録にうかがわれる。
     そのうちの一つは本部職員の机の間を動きまわって、目につく一人一人に総括を加えたものである。
    「(高田新平君に)精気を奪われちゃった顔して、こっちへこい。快活に仕事ができないんじゃー、しようがない。誰と
    結婚したの。(冬木さん)もう五ヵ月たったんなら、いいだろう。夫婦の問題は自由だけど、現場の戦いでは男のいくさ
    だ。そこへ(夫婦の)延長がみえるようじゃーしようがない。戸田先生はそれはすごかった。毎日ふるえ上った。女房と
    一緒にねられるか!そんなくだらない!とね」(昭和50年10月24日、本部で、内部文書)
     もう一つはフランス日蓮正宗副理事長・長谷川彰一について語った言葉である。
    「フランスの長谷川さんも十年前は乞食だった。今ではセーヌ河に家を建てた。奥さん二十歳上だ。フランスの画家の
    大家だから・・・・・。(略)うんと絵をうって、といった。それまでなかなか絵を描かなかった。それじゃーやろうと決めて
    やりだした。奥さんには長生きして!  といった。長谷川さんには(奥さん)もうじき死んじゃうから、二人目の新しい
    奥さん、もらえばいい、といった。僕は内証がきらいだから、いっちゃうけど・・・・・」(昭和50年7月7日、創大職員七月
    会との会食で、内部文書)
     池田に信仰者の慎みは無縁である。彼はおそらく平均的な成人男子以上に、女性を快楽の道具とだけしか見ていず、
    会内における彼の超絶的な権力者の地位を、超絶的なオスの位置にもスライドさせて一部女性会員に臨んだ形跡が
    ある。そればかりか彼は、妻との情交をその夫に承認させることで、幹部会員の全生活面に及ぶ彼の権力を確認する
    と同時に、その夫たる幹部の自尊心をくじき、人間性を損ない、自立的な判断を放棄させて池田の命令に絶対服従
    する人間につくりかえることにも用いたと見られる。
     池田の行いはうじゃじゃけたものとはいえ、夫たる会員にとっては極限状況的な試練なのだった。ちょうど一睡もさせ
    ずに総括して人間改造を図る訓練法のように、彼には己の性器を幹部の「人間革命」に用いたことが疑われる。
     また池田は金に対して身を慎んでいると宣伝してきた。彼の年間所得は昭和49年の1億3,533万円をピークにその
    後はほぼ漸減し、54年には3,450万円へと下がったと届けられている。池田の家は創価学会本部近くの東京・信濃町
    の一等地にあり、41年3月、家・土地ともに創価学会が播磨造船所から買い取ったものを、49年7月に池田に売却した
    形をとっている。池田は41年9月から、創価学会から同家を借りていたが、あらためて買い取ったのである。敷地は
    462.84平方メートル(約140坪)、家は木造瓦葺きの二階建てで、一階333平方メートル、二階が111.12平方
    メートルと、土地柄からいえば頭抜けた豪邸である。
     内部文書をたどると、この家を池田は創価学会から時価よりだいぶ低目に買ったとみられる。
     まず家を買う前、48年10月8日の記録では、池田はこういう。
    「私は、月給18万円ですよ。重労働者だ。家だって借り屋ですよ。(略)私は私有財産ゼロですよ。(略)女房が言って
    いた。あなたが死んだら困るからこの家だけでもなんと(か)買ってくださらないかって。中西(注・総務の中西治雄)に
    相談したら、7,000万円だという。とても、そんなの買える金がない。高くて買えないよ」(総本山で)
     この年の池田の年間所得は1億1,357万円であり、月割りにすれば946万円あまり、「月給18万円」とは雲泥の開
    きがある。が、ここで重要なのは7,000万円という家の価格である。
     ついで51年11月3日の語録では、「私(の)家だって、まだ十年月賦で五分の一しか払っていない。何もない、私は」
    (第4回鳳友祭での挨拶)
     という。彼は49年7月に買ったのだから、この時までに二年余り経過しており、ちょうど十年月賦、頭金なしの均等割
    りなら、「五分の一」にぴったり相当する。
     ところが一ヵ月後の12月9日、池田は原島宏治(公明党初代委員長)の十三回忌の席でこういう。
    「私も、ついこの間までは、借家です。それではまずいということで、いろんな原こう(稿)を書いておりますから、原こう
    書いているから今のうちになんとかしなくちゃならないという、強い要請がありまして、十年ばかりで今払っている。
    2,700万今残っていますけども、それが実態です」
     彼の言によれば、残り五分の四が2,700万円である。ということは総額3,375万円の家ということになる。48年時、
    7,000万円の住宅をその後の値上がりや金利分があるにもかかわらず、池田は半値以下、十年賦で入手したことに
    なろう(池田は『週刊朝日』昭和56年4月10日号で、彼の家は7,800万円、銀行ローンで支払い、銀行には十年賦で
    返済し、期限前に返し終わったといった意味のことを述べているが、登記簿には銀行ローンの記載がなく、「財産と言え
    ば、この家一軒」のはずの彼は何を担保に銀行ローンを利用できたのだろうか、きわめて疑わしい話である)。
     長期間にわたる池田の会内での地位の重要さを思えば安い支払いともいえようが、これが彼の廉潔の宣伝を裏切る
    行為であることはいうまでもない。加えて池田にはマルピー代の疑惑が持たれている。
     マルピー代とは中元、歳暮、池田の外遊などに際し、通常のそれらとは別に公明党議員や創価学会の外郭企業、
    本部職員などから集められ、池田に贈られる現金である。国会議員や都議が一人3万か4万円、地方議員が1万円か
    ら2,000〜3,000円、党本部職員が3,000円から1,000円、外郭企業とその社長から多くは100万円単位、少なくて
    数十万円が集められるという(『週刊文春』昭和55年8月7日号)。
     マルピー代はその都度、数千万円の現金となって池田の手に入るが、源泉課税されず、池田が所得申告して贈与税
    を支払ったという話を聞かず、今では脱税が疑われている。
     池田はこうして所有権において廉潔ではなかったが、使用権においてはなおさら度をこしていた。創価学会は昭和
    49年から52年にかけて会員から特別財務として670億円を集め、全国各地に会館や研究所を乱立させたが、山崎
    正友の手記(同前、昭和55年12月4日号)によれば、そのうちの三分の一を下らない額を池田専用の豪華施設に
    振り向けたという。彼は多くの会館に専用フロアを設け、そこではトイレにまでじゅうたんを敷き詰めさせていた。
     そのほか、池田が国産と外車と、二台の車を乗り換えていたとか、旅行に専任のコックを引き連れていくとかの話が
    伝えられている。彼が所有においてより使用において專横をきわめたのは、創価学会規則(45年1月施行)で彼の
    利益が保証されていたからである。
     その第17条は「代表役員(池田)はこの法人と利益が相反する事項については代表権を有しない。この場合において
    は、第14条第一項の規定に準じて仮代表役員を定める」と一応池田の権限を規制していたが、その第14条第一項
    というのは「代表役員の代務者は代表役員(池田)が予め定められた順位により責任役員が就任する」となっており、
    まるっきりの尻抜けであった。池田は息のかかった者を代表役員代務者に定めれば、創価学会の財産でも思うがまま
    に処置できたのである。
     こうして創価学会自体が池田の持ち物だったから、創価学会への寄付も、創価学会からの借家の買収も単に形式に
    過ぎなかったともいえよう。

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