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from: 21世紀さん

2012年04月20日 18時37分23秒

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◆正邪曲直、自ずから分明政治評論家 俵孝太郎

2000(平成12)年1月18日、俵孝太郎氏が発起されて、私(白川勝彦)の選挙区の上越市で「政教分離を貫く白川勝彦氏を激励する会」が開催された。この「

2000(平成12)年1月18日、俵孝太郎氏が発起されて、私(白川勝彦)の選挙区の上越市で「政教分離を貫く白川勝彦氏を激励する会」が開催された。この「激励する会」をWebサイトで紹介したところ、俵氏の講演録があったら送ってほしいとの要望が多数寄せられた。これは、当事務所が作成した講演録に、俵氏から若干の加除をしていただいたものである。

目次
第一部
政治と宗教‥近代的な政治における流れ
日本国憲法の原則

公明党は創価学会の自家用政党

政治と宗教には一線が引かれなくてはならない

第ニ部

 

 

 

 
あとは野となれ山となれ政治を排す
福祉のばらまきでよいのか

日本の政治が歪んでいく

ある種の恐怖政治

言うべきことを言った政治家‥斉藤隆夫

再登壇
ひるまないこと、そうすれば勝てる(再登壇)
ご紹介をいただきました俵でございます。本日は、「政教分離を貫く白川勝彦氏を激励する会」という催しを企てましたところ、皆様方、新年早々お忙しいなか、また何分にもこの雪国のこの時期でありますから、お足元の悪いなか、かようにたくさんお集まりをいただきまして、主催者として、はなはだ有難く思っております。
 ご存じのように、今年は総選挙の年でありますし、そのなかで自自公連立の小渕内閣というものができて、政治について、わかりにくいことがいっぱい起きているわけであります。
 本日お集まりいただきました皆様方のなかに、いろいろな宗教団体に属して、それぞれのお立場において、それぞれの信心を大事にしていらっしゃる方がいっぱいいらっしゃると思います。これは人間にとってはもちろん、政治にとっても非常に大事なことであります。それが抜けますと、神をおそれない私利私欲に走る歪んだ政治になってしまう。

政治と宗教‥近代的な政治における流れ

 政治にとって宗教というものは非常に大事なものなのでありますが、ただ一つ具合の悪いことがあります。当たり前の話でありますが、どんな宗教でも自分の信じる宗教が一番正しい。一番正しい、などというものではない。それしか正しいものはない。それ以外は全部間違いだと思うから、そこに信心というものが生まれるわけであります。
 ところが日本は、八百万(やおよろず)の神というくらいですから、神様だけでも八〇〇万あるわけでありまして、仏教だって平安時代に八宗(はっしゅう)といわれました。あるいは奈良時代にもうすでに六つの宗派があった。その後鎌倉仏教ができます。
 あるいはそこに、明治以降新しい仏教系教団ができる。キリスト教もあれば、イスラム教も、ヒンズー教も、いろいろな宗教が世界中にあって、それが日本にも入ってくる。全部が当たり前のこととして、自分が正しい、自分だけが正しいと考えている。他は間違っているという話になってくる。なってくると今度は、そこに争いがどうしても起きてしまうわけであります。
 いま、世界中で、アメリカとソビエトの対立がなくなったと思ったらいろいろな地域紛争というものが起きて、おかしなことになっているのですが、それはだいたい宗教の争いなのです。今日もパキスタンで大きな爆発があった。これはイスラム教のパキスタンのカラチで、どうもヒンズーのインドが糸を引いたらしいとパキスタンは言うし、インドはそんなことはないと言う。インドで今度何かがあれば、イスラムがやったと言うでしょう。宗教というものと政治というものの絡みには、非常に難しいものがあります。
 政治は、利害の調整手段です。年金を掛けている人と貰っている人、掛けている人は掛金が少ない方がいいに決まっているし、貰う方は貰う金が大きい方がいいに決まっている。米をつくっている人は生産者米価が高い方がいいに決まっていますし、食っている人は安い方がいいに決まっています。
 政治というものは、やはりいろいろな方々のいろいろなご要望を伺いながら、この辺が折り合いどころかなという話なのです。しかし宗教はそうはいかないのです。キリスト教のいいところも、イスラム教のいいところも、仏教のいいところも、神道のいいところも全部入れて、折り合いをつけるというようなことなどありえない。
 例えば私は、浄土真宗の本願寺の門徒でありますが、ここでは地獄もなければ極楽もないという話でありますから、そこはひとつ親鸞さんでいこうではないか。イスラムになれば奥さんを四人持っていいのだから、俺はその面についてはイスラムでいこうではないか。キリスト教では、入信したら、洗礼を受けたその日までにやった悪いことは、全部そこで帳消しになるのだから、死ぬ間際にはキリスト教に入って、全部悪いことはそこで帳消しにしてもらって天国へ行こうではないかなどという、そんなつまみ食いみたいなことは宗教では許されない。
 政治では、しかしそうしなければみんなが納得できないのです。ですから近代的な政治においては、宗教との間に一線を画しましょう、政治に宗教をあまり持ち込んでもらっては困ります、宗教心は大事ですが、信心は大事ですが、宗教の立場を持ち込んでは困りますという考え方が、いまから二〇〇年、あるいは二二〇〜二三〇年前に、アメリカの憲法(一七七六年)、あるいはフランス革命(一七八九年)で成立しました。
 ご存じのように、アメリカという国は、イギリスで迫害をされた、キリスト教の新教の一派のピューリタンというのがイギリスにいたたまれなくなって、イギリスから一度フランスに逃げて、フランスから新大陸に行って新しい国をつくった。だから政治に宗教があまり引きずられるとえらいことになるというのが、骨身にしみてわかっている。
 フランスには三部会というのがありました。これはカトリックのお坊さんと、貴族と、市民というのだけれども要するに金持ちと、それが議会をつくる。そのなかで、お坊さんが政治を全部壟断(ろうだん・ひとりじめ)する。そこにカソリックとカルバン派を中心とした新教との対立みたいなものが入ってきて、大虐殺などということが起こる。やはり政治に特定の宗教が絡まってきては具合が悪いというのが、フランス革命の一つの大きな流れであったわけであります。
 ですからアメリカの憲法が一七七六年にできる。フランス革命が一七八九年に行われる。そのころから近代民主主義の国家においては、政治と宗教の間には一線を引こうというのが、一つの常識になっていったわけであります。

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from: 21世紀さん

2012年04月21日 19時01分21秒

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「Re:◆正邪曲直、自ずから分明政治評論家 俵孝太郎 」
政治と宗教には一線が引かれなくてはならない

 同じようなことが、実は日本共産党にもあります。日本共産党に野坂参三という人がいました。戦争中、反戦運動を中国共産党と一緒に延安でやったというので、有名な人であります。
 この人は何重スパイだったかわからない。中国共産党のスパイだった。ソ連共産党の、コミンテルンのスパイだった。あるいは、どうやら進駐軍のスパイだったのかもしれない。いや身内には、戦前の話ですが、検察の大御所がいてその甥っ子でありますから、日本の公安当局のスパイだったという話もある。
 「野坂はスパイではないか」とずっと言われていました。私どもは、彼はおかしいと言ってきた。我々と一緒にそういうことを言った共産党員は、共産党を除名になった。野坂をスパイと言ったがゆえに除名になった人はいっぱいいます。
 その野坂さんは日本共産党中央委員会議長、名誉議長として共産党に君臨した。一九八九年にベルリンの壁が壊れて、九一年にソビエト国家体制が崩壊して、ソビエトの秘密警察カーゲーベー(KGB)の秘密文書が流出したら、野坂さんがスパイをやっていた金の領収書とかなんとか、ぞろぞろ出てきてしまった。出てきてしまったら、野坂はけしからんと言って、一〇〇歳を越えていた野坂さんを共産党はポイと除名して、野坂さんは汚名のうちに死にました。
 しかし野坂はスパイだと言った人間は、依然として除名されたままです。私だって共産党からさんざん罵られて、そのままです。野坂さんをかついで、野坂さんを支えた宮本顕治という人は、いまだに共産党でいばっています。
 つまり独裁というのは、そこがいけないのです。創価学会だって竹入さんが池田大作さんの言うことを聞いて、池田さんの言うなりに公明党委員長をやっているころは、学歴で嘘をついてもかばってもらえた。学歴疑惑は戦争中の話です。竹入さんが公明党の委員長をやったのは昭和四〇年代から二〇何年の話です。ずっと後の話です。そのときにもう詐称はあるのです。でも当時はかばったのに、敵対したら生まれたときから泥棒だったみたいな言い方をする。野坂参三だってそうです。
 なぜそんなにおかしな人を、あるときはかばい、あるときはやっつけるのか。独裁だからです。自由がないからです。嘘を嘘と平気で言いくるめるからです。そういうのが日本の政治権力を握ったらどうなると思いますか。
 私は共産党もこわいと思います。平気でこういうことをやるのですから。創価学会・公明党も似たようなものではありませんか。私は、竹入さんが朝日新聞の回顧録で言ったことは、決して間違いではないと思っています。そのとおりだと思います。
 竹入さんは公明党の委員長になりたくてなったわけではない。「お前やれ」と言われたからなったのです。「お前辞めろ」と言われたから辞めたのです。いまの神崎さんだって、浜四津さんだって、きっとそうだと思います。
 政党というのはそんなものでしょうか。小渕さんだって、竹下が「やれ」と言うからやったのかもしれないけれども、でも自民党のなかで加藤紘一さんも出て、山崎拓さんも出て、選挙をやって勝ってなったのです。片一方はそうではないのです。選挙なんかやらないのです。どこかからの天の声で決まってしまうのです。天の声で決まって、誰かが気に入らなくなったら、ポイと変えられてしまうのです。
 小沢一郎さんと組んで新進党をつくった市川雄一さんなんて、いまだに議会にいますけれども、息をしているのかなんだか、もうものも言わない。これで自自公が潰れたら、神崎さんや浜四津さんはどうなるかわかりはしない。そのときの風でクルクル変わる。そんなものを政党として、政治の担い手として信用することができるでしょうか。平気でその場限りの嘘をつくような人たちを。
 彼らにとっては、「信心のためには、嘘も方便とお釈迦様は言ったではないか」という理屈になるのです。「革命のためには、何をやってもいいのだ」こういう理屈になる。
 彼らはそれでいいかもしれないが、我々はそれでいいのでしょうか。やはり私は、政治と宗教には一線が引かれなければならないと思う。宗教というのには、絶対者というものがある。政治というのは、先ほども言いましたように相対的なものです。売る人と買う人。納める人ともらう人。相対的な政治の世界に、絶対的な宗教が持ち込まれると、非常にまずいことになる可能性がある。ですから一七七六年のアメリカ建国のときに、一七八九年のフランス革命のときに、人類が経験をしたその教訓として、政教分離というものができた。それは私どもは守らなければならないと思っているのであります。

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