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反創価学会

反創価学会>掲示板

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  • from: 池田豚作さん

    2010年11月28日 23時38分13秒

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    池田はいつ死ぬか?

    皆さん、あの豚はいつ頃死ぬでしょうか?うんと苦しんで死んでくれ!

    皆さん、あの豚はいつ頃死ぬでしょうか?

    うんと苦しんで死んでくれ!

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    from: 正義顕揚さん

    2010年12月15日 00時46分09秒

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    「Re:池田はいつ死ぬか?」側近がベッタリのうちはすぐに死ぬ事はないでしょう。池田大作の最後は全ての人に造反された時だと思います。この半年、人前に現れ

    from: 21世紀さん

    2010年12月11日 21時52分37秒

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    「Re:池田はいつ死ぬか?」来年は第二次創価学会教義逸脱問題から21年目になります。日蓮大聖人に迫害を加えた平左衛門が熱原の法難から21年目に一家が滅

  • from: 21世紀さん

    2010年11月30日 22時54分58秒

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    フライデー 12月10日号

    投稿者:れいな投稿日:2010年11月30日(火)13時59分39秒創価学会が暴力団に5億円の金を用意!http://ameblo.jp/torush


    投稿者:れいな 投稿日:2010年11月30日(火)13時59分39秒
    創価学会が暴力団に5億円の金を用意!
    http://ameblo.jp/torushinohe/entry-10719415200.html

    創価学会脱会推進委員会

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    from: 21世紀さん

    2010年12月02日 14時51分51秒

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    「Re:フライデー12月10日号」>投稿者:れいな投稿日:2010年11月30日(火)13時59分39秒>創価学会が暴力団に5億円の金を用意!>htt

  • from: 22世紀さん

    2010年11月30日 02時06分00秒

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    池田大作「権力者」の構造

    参謀室長、情報部最高顧問・池田大作『聖教新聞』昭和29年元日号の名刺広告に、池田は男子部第一部隊長、教育参謀、文京支部長代理、教学部助教授、学会秘書と

     参謀室長、情報部最高顧問・池田大作

     『聖教新聞』昭和29年元日号の名刺広告に、池田は男子部第一部隊長、教育参謀、文京支部長代理、教学部助教授、学会秘書という五つの肩書を付している。これら多数の役職の兼務は池田にかぎらず、創価学会幹部の通例であり、それは多忙と、各部門の人員交錯により、分派の画策の防止をはかる戸田の人事管理術であった。
     この年から本部での個人面接は、各支部長と支部長待遇、地区部長が交替であたることになったが、池田は毎月第二週の木曜に担当することになった。
     同月、聖教新聞に社友、通信員制度がしかれ、池田も11名の社友の一人として、随時、同紙に執筆することに決まった。聖教新聞は石田の、かけがえのない存在意義を証するといった意味での牙城だったが、池田も同紙にかなりの影響力を行使することができたのである。
     3月30日、青年部は一支部に一部隊が設けられ、男女各15部隊に再編成された。これにより、青年部は戸田直属の親衛隊であるとともに、支部の折伏活動の機動力となることをも期待された。またそれまでの参謀部は新設の参謀室に解消され、池田は第一部隊長を解任されて参謀室長に、北条浩は主任参謀に、森田一哉、竜年光、山浦千鶴子、石田栄子、北条弘子、樋口トシ子は参謀に、それぞれ任命された。池田は旧男女部隊長の上に立ったことで、石田をのぞく有力な若手幹部のほとんどを自陣に引き入れる機会を持ったと見られる。
     この参謀室の性格は、池田の就任挨拶によれば、
    「参謀室の任務はあくまでも広宣流布成就の青年部の立法機関であり、15部隊は行政機関である、又参謀室は大本営であり、各部隊長は武将であり将軍である。新しき闘争は民衆を相手とするものであり広宣流布途上に起る大衆性の問題政治経済等あらゆる一切の源泉の命令は青年部より発せられる。その命令をば男子部直結に行動成就していく」(『聖教新聞』昭和29年4月11日)
     という青年部の中枢機関であって、参謀部が男子部長の下にあったのとは異なり、青年部直属に図示されている。
     同日、本部に情報部が設置され、部長に山浦千鶴子、同部の最高顧問に池田が任じられた。

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  • from: 池田豚作さん

    2010年11月26日 23時42分16秒

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    ネット創価員が分裂

    ネットアホ創価員で富士宮ボーイというのがあるが、遂に仲間割れしたようだ。池田死後の創価を前倒ししているではないか!

    ネットアホ創価員で富士宮ボーイというのがあるが、遂に仲間割れしたようだ。

    池田死後の創価を前倒ししているではないか!

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    from: ともさん - 2さん

    2010年11月30日 00時37分37秒

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    「Re:Re:Re:Re:ネット創価員が分裂」>>下の池田豚作は私のことではありません!>>それは、池田大作=池田豚作のことです。>池田大作氏を尊敬を

    from: 22世紀さん

    2010年11月30日 00時29分23秒

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    「Re:Re:Re:ネット創価員が分裂」>下の池田豚作は私のことではありません!それは、池田大作=池田豚作のことです。池田大作氏を尊敬をこめて池田豚作

  • from: 22世紀さん

    2010年11月28日 21時25分02秒

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    池田大作「権力者」の構造

    池田の文章力および、改名とその野心7月21日、戸田は男子部幹部43名(前年昭和27年12月に非公式に発足、のちに70余名に増員、30年からは24名の第

     池田の文章力および、改名とその野心

     7月21日、戸田は男子部幹部43名(前年昭和27年12月に非公式に発足、のちに70余名に増員、30年からは24名の第二期生となる)を選抜して、毎月2回の特別指導を与えるために水滸会を新結成した。同会の会場には、ふつう創価学会本部が使われたが、時に富士五湖へ出かけ、奥多摩にキャンプし、また戸田を新宿の洋食屋に招待することもあった。
     池田はその第一回会合の時、宣誓文を起草し、それに会員の一人ずつが署名捺印した。池田が書いたのは、彼が水滸会の指導格であったからではなく(指導格は辻武寿)、なにより筆まめだったからであろう。
     彼はこの年の『聖教新聞』元日号に、部隊長の竜がかくべきところ、彼にかわって第四部隊の抱負を書いているし、また24年、『大百蓮華』の校正を手伝った際には、余白を池田紳一郎のペンネームによる自作の〝詩〟で埋めてもいる。彼の文章力は、会内でも決して高く評価されていたわけではなかったが(たとえば、『聖教新聞』は彼の文章力について、「一面、文学的にももって生れたものを持っていることはあまり人に知られていない」《昭和29年5月16日》といいきっている)、生来、好きであったなりに筆まめで、池田の有効な武器になっていた。
    「一、われら水滸会員は、宗教革命にこの身をささげて、異体同心にして東洋の広宣流布の大偉業を完遂せんことを、大御本尊様にお誓いいたします。一、われら水滸会員は、戸田城聖先生の大目的たる人類救出の御意志を受け継ぎ、その達成には、身命をささげて戦い抜くことを誓います。一、われら水滸会員は、学会の先駆であるとともに、戸田会長先生の無二の親衛隊なることを自覚して、いかなる事態になろうとも、かつまた、いかなる戦野に進もうとも、絶対に同志を裏切ることなく、水滸会の使命をまっとうせんことを誓います」(『大百蓮華』153号)
     ここに見られるのは、大時代な使命感と選良意識、戸田への絶対的な忠誠心だけだが、池田はこれを心から記した。彼は迷いや価値の相対観とはぷっつり縁がきれた、ふくらみに欠ける自信家だった。彼の確信は、彼が確固とした世界観を求めて彷徨した結果ではなく、たずねることを放棄したことによって生まれた。彼は戸田の教えこむ世界しか知らなかったが、信じ込むにはそれだけで十分であった。
     創価学会が一人の非信者を相手にする折伏を専らにして辻説法も行わず、そのうえ池田を短期間で、直接的な折伏からも引き離し、指導役に就かせたことは、彼を一般世間から遠ざけ、その視野をいっそう狭く、限られたものにしていた。彼がわずかに会外の社会とつながりを保つのは、創価学会とほとんど変わらぬ大蔵商事の営業部長としてで、それもあらわな金を通してに過ぎず、また結婚前には、家庭からも断ち切られていた。
     池田はいわば創価学会という純粋培養の器の中で成長し、その中で満たされていた人工人間であった。が、それだけに会内の立ちまわりには滅法強かった。
     水滸会の教材には『水滸伝』『モンテ・クリスト伯』『永遠の都』『三国志』『太閤記』『レ・ミゼラブル』等が使われた。これらはいずれも、不信と自信喪失の現代小説より前期の、血わき肉躍る情熱と行動の書といった点で共通しており、たしかに新興宗教幹部という一種の社会運動家を育成する教材としてはふさわしいものであった。
     池田は文学に毒されることなく、正義や同志愛、信念や純愛、はっきりした憎むべき敵などの単純に割り切れる世界に遊び、それらを短絡的に現実に持ち込める幸せを享受することが出来たのである。
     11月から創価学会員の寺籍の移動が始まった。それまで、ある寺院に所属する会員(檀家)が移転しても、遠隔地の者を折伏しても、すべてその寺への所属という点では不変だったが、創価学会員の各地での急増にともない、不便と混乱が生じていた。そのため会員の寺籍は居住地から最も近い寺院に移すことになった。これにより、すでに本山大石寺で確立されていた、日蓮正宗に対する創価学会の主導権が、全国の末寺にもおよんだ。
     11月13日、戸田は新宿区信濃町32番地の元イタリア大使館付武官の私邸(洋館、二階建)を1,150万円で買い取り、200万円で改造して創価学会の新本部とした。
     同月25日、前に述べたように、池田は太作を大作に改名した(それ以前から彼は会内で非公式に大作の名を使用している)。改名の理由はまず世間体への顧慮だったと思われる。彼はこの年、長男・博正をもうけ、子がもの心ついてから父の名を恥じないように、との思いもあったろう。が、彼の世間体はなにより彼自身の野心と関係していた。
     このころ彼は実家を訪ねて四兄と話を交わしたが、そのとき池田は車の後席に坐る身分になるといったという。
    「弟(池田をさす)は『これからが多忙になり大変だ』というから、『自動車の免許をとって、活動したらどうか』といったんです。私は当時、免許をとって、小さな工場を経営し、すでに自動車で仕事をしていたもんですから。そうしたら、こういうんです。『僕は不器用だから、自動車の免許はとらない。見ていてくれ。自分は後ろに乗るから』」(央、前掲書)
     池田のすでに手に入れた、ある程度の地位はそれ以上を望ませ、彼の出世欲はいっそう熾烈になっていた。彼の身分は、次の年には会員に色紙を書くほどであり、その署名にも、彼が渇望する地位にも、太作の名はいかにもふさわしいものでなかった。

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  • from: 21世紀さん

    2010年11月26日 23時32分37秒

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    自民党 公明へのスリ寄り、ゴマスリ

    ■Today'sGendaiメール■2010年11月26日(金)http://gendai.net/=========================

     ■ Today's Gendai メール ■ 2010年11月26日(金) http://gendai.net/
    ======================================
    【政治・経済】
    2010年11月26日 掲載
    147人の公募候補をソデにする
     公明党を民主党に取られまいと、自民党も必死だ。
     22日夜、自民党の石原伸晃幹事長が公明党の井上幹事長と会談、昨年の衆院選で自民の候補者が落選した東京21区(立川市など)を「公明に譲る」と伝えたのだ。また太田昭宏前代表が落選した東京12区も、自民党は前回同様、候補者を立てない。2選挙区とも公明の候補者を、自民が全力で支援する形をとるという。
     来春までには政権奪還だと意気込む自民党だが、なぜ貴重な2選挙区を公明に差し出すのか?
    「自民の支持率が回復しているとはいえ、まだまだ助けが必要。2選挙区を譲る代わりに、公明に今後も協力して欲しいということでしょう。ゴマスリ上手な石原幹事長がやりそうなことです」(政界関係者)
     が、ゴマスリが通じているかどうか。公明の井上幹事長は石原が選挙区を2つ決めてきたことに対し、「どこに候補者を立てるかはこちらで考える。上から目線で何だ!」と怒り心頭らしい。石原の今回の行動には党内からも批判の声が上がっている。
    「自民党東京都連は先月、12区や21区など候補者が決まっていない8つの選挙区で、候補者を公募しました。予想を上回る147人の応募があり、現在選考中ですが、2つの区を公明に譲ったとなると、残るは6つ。選考はますます難航してしまう。それに東京12区の民主党の相手は落ち目の青木愛。勝てる選挙区をみすみす公明に譲るなんてどうかしていますよ」(自民党関係者)
     親父のスネをかじる2世議員には、野党の幹事長職もまだ荷が重すぎる。

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  • from: まりこさん

    2010年11月26日 14時23分13秒

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    ど〜も

    日達上人が日顕の事を嫌われていました。日達上人が亡くなってどさくさまみれて法主になりました。

    日達上人が日顕の事を嫌われていました。日達上人が亡くなってどさくさまみれて法主になりました。

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    from: 21世紀さん

    2010年11月26日 23時26分52秒

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    「まりこさんをアク禁にしました」現在「創価学会SGIを本音で語ろう」のコミュにカキコを繰り返していますが、投稿内容から、以前アラシをした「むらむら氏」

  • from: 池田豚作さん

    2010年11月24日 17時16分57秒

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    池田聖教に登場

    あの豚が21日の聖教に再び登場!今度は太った写真だ!センセ、痩せたり太ったり演出大変ですね。

    あの豚が21日の聖教に再び登場!

    今度は太った写真だ!
    センセ、痩せたり太ったり演出大変ですね。

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    from: 21世紀さん

    2010年11月24日 19時07分39秒

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    「Re:池田聖教に登場」>あの豚が21日の聖教に再び登場!>>今度は太った写真だ!>センセ、痩せたり太ったり演出大変ですね。>6月の本部幹部会より公の

  • from: 22世紀さん

    2010年11月23日 17時42分48秒

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    池田大作「権力者」の構造

    第三代会長候補ナンバー1石田次男の抜擢昭和28(1953)年1月2日、男子部第一部隊長・石田次男は小岩支部長に抜擢され、その妻・栄子も同支部婦人部長に

     第三代会長候補ナンバー1石田次男の抜擢

     昭和28(1953)年1月2日、男子部第一部隊長・石田次男は小岩支部長に抜擢され、その妻・栄子も同支部婦人部長に任じられた。小岩はA級支部だったが、当時の折伏成績は第7位に低迷していた。
     石田の支部長起用に際し、戸田は支部員の前で次のように訓話した。
    「富田君(前小岩支部長・富田作十)は今迄実に良く働いた、全く見ていて涙ぐましいほど働き続けたが、誰もこれについて行かない、地区部長も班長も誰も一緒にやろうという者が無かった。これを見て居た私も考え抜いたが今度は腹を実行に移した、私は昔から小岩を愛して来た、今もそうです、今日から次男(石田次男)に支部旗を渡した、次男にやりたい放題の事をやらせる、誰もついて来なくてもよい、俺と次男と二人で支部旗を握って起ったんだ、小岩に誰も居なくなって、俺と次男と二人だけになってもかまうものか。文京(支部)ではこんなことはいわなかった。しかし、小岩は事情が違う。常泉寺の門前に二人が小岩の支部旗を握って立てばそれで良いのだ。小岩は今日からそのつもりで居れ。
     ・・・・・小岩は貧乏人が沢山集っている。班長、地区部長諸君はこれを機会に大いにガンバッて金をもうけなさい」(『聖教新聞』昭和28年1月10日)
     戸田は青年を大胆に登用した。その人事は完全な能力主義といったもので、年齢や入信年数はいっさい考慮されなかった。石田は池田より3歳年長ではあったが、入信は池田に遅れること3年である。戸田の人事は会員にやる気を起こさせた反面、いつ解任されるかもしれないといった緊張感を生み、全体としては創価学会幹部のいわゆる下士官タイプを形つ゛くった。が、その実力主義が創価学会の卓越した行動力を保証する第一の決め手だった。
     しかし、それにしても、石田の支部長登用は戸田にとっても、冒険といっていいほどの画期的な人事にちがいなかった。石田は青年部の時とは異なり、年長者の上に立たなければならない。そこには当然、抵抗が予想されたが、戸田は自己の責任にひきつけ、あえて石田抜擢に踏みきった。
     戸田の発言は抵抗をあらかじめ封じる意図を持つと同時に、石田への深い愛情と信頼を語るものであった。青年層のなかでも、戸田の石田に対する期待は別格であり、それは戸田の死まで変わることがなかった。彼は石田を次男とよんで、他の誰よりも重用しつつ゛けた。
     同日、池田は石田の後任に据えられ、男子部第一部隊長兼教育参謀となった。これにより、池田は竜、森田、北条に追いついたばかりか、ややリードもしたが、石田にはとうてい追いつくべくもなかった。
     4月20日、池田は文京支部長代理に、石田は同支部顧問に任じられた。このころから、戸田の若手への嘱目は、一に石田、二に池田と、ほぼ固定化されたようである。
     5月、創価学会の筆頭理事は、「願に依り」との理由で、和泉 覚から小泉 隆にかわった。小泉は蒲田支部長として、同支部の折伏成績を、常勝蒲田といわれるまでに毎月トップに保ちつつ゛けた功績者だった。

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  • from: 22世紀さん

    2010年11月23日 15時45分41秒

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    池田大作「権力者」の構造

    「信心利用」の辣腕営業マンの懐ぐあい池田の地位は創価学会でも勤務先でも目にみえて上がり、彼はそれを信仰の「現証」と考え、会活動の正しさをいっそう確信し

    「信心利用」の辣腕営業マンの懐ぐあい

     池田の地位は創価学会でも勤務先でも目にみえて上がり、彼はそれを信仰の「現証」と考え、会活動の正しさをいっそう確信したことだろう。
     池田はこのころのこととして、後にこう述べている。
    「私は、4年で重役だ。給料は、まもなく社長を抜いた。私は、当時で、20万円とっていた。社長は、4万8千円だ。(略)北条、森田、竜、原島、小泉、辻――全部、おごってあげたんだ」(昭和48年10月初旬、東京で、内部文書)
     池田が戸田のもとに勤めた最初は昭和24年1月の日本正学館であり、それからほぼ4年たった27年10月、彼はたしかに大蔵商事の取締役に就任している。昭和27年時、大人の理髪料金は高くて140円、大卒公務員初任給は5,000円に満たず、社長・和泉覚の4万8千円は昭和56年現在の約77万円に相当し、まずまずの高給だが、それにもまして池田の20万円は月給320万円程度にあたるとみられ、信じがたいほどの高額である。
     おそらく営業のこととて歩合給の割合が高く、「布団をはぐ」ほどに辣腕の営業マン池田は、少なくとも帳簿上は、それだけの働きをしたとみられる。
     昭和27年7月に入信したある会員は、当時の大蔵商事の営業ぶりをこう語っている。
    「入信とほぼ同じころ、戸田会長がお金を預かりたいといっていると聞き、30万円を投資した。当時、毎月4、5千円の金利を文京支部の男子部部隊長・吉田顕之助が昼間カバンをさげてキチンキチンと届けてくれた。今思えば会員利用ということなのだろうが、当時は信心に夢中で、折伏の棟梁である戸田会長がいるかぎり、踏み倒されることはないと信じきっていた。
     1年間ぐらい預けただろうか、記憶がはっきりしないが、ともかく向こうから精算したいといって来、元金をちゃんと受け取ることができた。会社自体に力がついてきたのだろうと思った」
     大蔵商事は25年の設立時と比べれば、ウソのように業績は好転し、池田への驚くべき高給も全額支払われたかはともかくとして、ほどほどの高給を支払えるほどに基盤は安定していた。池田はその高給をバックに、原島宏治や北条など、彼より信仰上、もしくは年齢的に先輩にあたる会幹部に対して「おごってあげた」のである。
     池田はまた当時の彼の懐ぐあいについて、次のようにも語っている。
    「S(昭和)26〜7年、戸田先生の事業が大変だった時、私は自分で200万円、当時の金でだよ――寄付したんです。陰で支えていたのです。戸田先生、焦っていらした。全体会議で労働組合つくるならつくれ!といわれた」(昭和50年5月1日、萩寮・東家での懇談、内部文書)
    「戸田先生の時代に26,7歳の時3年かかって稼いだ歩合のお金、私の貰い分が当時の金で200万、今の金にすると数千万円になるな。それで先生の借金をかえしたが、戸田先生は少しも有難うなんて言わない」(松本勝弥『池田大作言行録』昭和44年6月1日の条)
    『言行録』中には池田が「26、7歳の時」とあるが、これは昭和29〜30年にあたり、前に引いた萩寮での「26〜7年」に合わない。おそらく「26、7年の時」の誤りであろう。両資料は同一のことをいってい、昭和26、7年のことと解される。
     戸田は会長就任後、「信心利用」によって大蔵商事の社業を順調に発展させていたが、彼には東京建設信用組合時の負債(1,500万円)が残されていた。その三割返済による清算は昭和27年に行われ、池田の200万円云々は、その支払いにあてられた、未払い分の歩合給の棒引きを意味しよう。
     ともかく池田は未払い分を含めた数字ではあろうが、20万円という高給をもって、ひとしなみに貧乏な時代の同僚や先輩の幹部会員に臨めた。酒を飲めぬ池田の「おごり」が食事程度だったとしても、「池田はみえっぱりだから、どこへ行っても金は出しました」という当時の青年幹部の証言もあり、彼の金が後の会長就任のための多数派工作に有効に作用しただろうことは、想像に難くない。
     12月、池田は無試験で助教授となった。このとき、牛田、石田は教授、竜、森田、北条は助教授となっている。
     27年暮れの第七回総会で創価学会の公称世帯数は22,300、翌28年の折伏目標は5万世帯と発表された。会員は、戸田の会長就任から1年7ヵ月で7倍になった計算だが、このころから戸田の健康は損われはじめていた。

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