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創価学会SGIを本音で語ろう

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  • from: 21世紀さん

    2010年06月29日 22時39分21秒

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    マツダ殺傷事件の犯人が創価学会員だったことが判明


    週刊文春 7月1日号(6月24日発売)
    http://www.bunshun.co.jp/mag/shukanbunshun/

    末端学会員の末路

    マツダをファミリアで襲撃! 42歳暴走男「デス・レース」人生
    http://dkmkd.sauropol.com/public/z/201006mas.jpg
    (ソースより抜粋)
    広島市内で育った引寺は幼いころは線が細く、比較的地味な少年だった。
    創価学会信者の家庭で、両親がよく題目を唱えていたという。
    市内の工業高校を卒業後はマツダの下請け会社に入社する。
    だが勤務先を転々とし、三十歳になっても実家暮らしを続けていた。
    「夜中なのに、バリバリと爆音を立てて白い車で帰宅していた。
    厳格な性格の父親に『そんな大きな音を立てたら迷惑だろ』と叱られていた」
    http://dkmkd.sauropol.com/public/z/201006mas.jpg

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  • from: ハムスターさん

    2010年06月24日 19時47分31秒

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    「人間革命の正しい読み方」慧妙編集室編 連載六回目

    さて、今回は池田君の痔のお話です。

    “弾圧と投獄”恐れ、退転まで考えていた池田大作(第三巻「群像」の章より)

    すでに池田の入信の模様を明らかにしたが、小説『人間革命』では、昭和二十二年八月の入信後、戸田氏の経営する日本小学館に就職するまでの一年数ヶ月の間、池田の消息は、どういうわけかプッツリと途絶えている。

    「運命的な出会い」「宿命的な会長継承者」であったハズの池田が、ナルシストにして自己顕示欲が人一倍強い池田が、小説の中とはいえ、全く姿を見せないのである。

    これはただ事ではない。いったい何事があったのか--- 今回はこのナゾ迫ってみよう。

    次に挙げるのは『人間革命』第三巻 「群像」の章の一節で、久々に姿を現わした池田の姿を描いたものである。

    「あの山本伸一も、入信以来、講義や座談会にも、たまには顔を出していた。だが、彼はいぜん生活と、病弱(※結核)に苦しんでいた。(中略)戸田城聖の法華経の講義は彼にとって大きな驚嘆であった。

    日蓮大聖人の仏法は、彼にとって最高の驚異の的であり、戸田城聖の風貌(ふうぼう)は彼の心に不出世の師として灼(や)きつき、鮮明に残っていた。
    それでありながら、彼は心中深く、どうすることもできない一つの困惑を感じていたのである。

    戸田城聖のもとに、全生涯を創価学会に託(たく)することは、目的が偉大であるだけに、将来は大変な苦労となるだろ。
    やりとおせるか、とおせないか、そのいずれかである。彼は直覚していた。この一線で、精いっぱいの抵抗をしていたのであろう。
    ----逃げ出すなら今のうちだ。後では取りかえしはつかないぞ。」(第三巻「群像」の章)
    姿を消していた池田は、病弱さゆえに思うままに活動できず、さらに、そのために創価学会に一生を託せるかどうかで悩み、逃げ出そうかとまで考えて、活動にあまり参加せずにいた、というのである。

    たしかに、池田自身が、
    「小学校では栄養不良で三、四回も死にそこない、がんらい、身体が非常に弱かったんです。終戦の年には六回日の肋膜をしていましたし、 肛門性(コウモンネンマクビラン)のもので、耳や鼻などみんな悪く、血痰(けったん)が出てたんです」(小口偉一編 『宗教と信仰の心理学』)
    と語っているように、体の調子が悪かったのは事実らしいが、それは、主に”肛門”だったようだ。

    他でも、池田が
    「あのねェ。動かなかったんでおケッがちっちゃくなっちゃいました。ホラ、このモモがね。こんなに小さくなりましたね。大きな声ではいえないが、痔が悪いんで、ケッが小さくなったもんで、 よけいイタイ」(『週刊文春』昭和四十五年五月十八日号) 等と述べているとおり、 この頃の池田を悩ましていたのは、“結核”よりも“痔”であった。

    先の[「人問革命』の記述は、”痔”に苦しむ若き池田大作」ではカッコがっかないため、“結核”を前面に押し出して、己れの美化に努めたものであろう。

    では、その“痔”のために、池田は創価学会の活動を渋っていたのかというと、そうでもない。次の文を一読していただきたい。

    「それからは、おがみはじめるとなんとなく一日安心感があって、 おがまない日は仕事もなにも落ち着かない。 それで、おがむとこうなんだから信仰は大事だなあと思ったのです。それから一年は普通にやっていました。そのころはバチがこわかったのです。前の信者さんたちが牢獄へいったということが気になりました。全部の宗教に反対するから必然的に部圧される。その時はどうしようか、寝ても覚めても考え、やめるなら今のうちがよいと考えました。二年目に『立正安国論』の講義を聞いてから、よし、よい勉強をしょうと考えるようになりました。」(小口偉一編『宗教と信仰の心理学』)
    つまり、一年問のブランクの意味は、何のことはない、要するに「弾圧されるのがこわかったから」だという。

    かっては、
    「戸田会長にあったときも、 この人は戦争に反対して二年問も、牢に入っていた、この人のいうことならば、私は信じてついていっても問違いはない、と思った」(『文藝春秋』四十三年二月号) という池田が、じっは、その牢獄を恐れて逃げまくっていた、というのである。

    池田大作----何とも呆れ果てた男だ。

    それにしても、入信時には、御本尊を三日間拝まずに放っておきながら、雷の音にビビって拝みだすようになり、次は仏罰にビビって信仰を細々と続け、その後は弾圧の話にビビって信仰活動から逃げまくる----そして今、池田は国会の証人喚問にビビって、議貝や政党を操(あや)って逃げまくっている。
    ケッの穴が小さい男・池田大作。もしかしたら、この男の逃げまくり人生の原因は、青年期の“痔”にあったのかもしれない。

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  • from: ハムスターさん

    2010年06月23日 17時57分41秒

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    アホ学会員の皆さん

    アホ学会にいて、ニセ本尊を拝みアホになっている学会員の皆さん、アホから正常に戻るチャンスです。



    http://www.youtube.com/watch?v=rrP9WNmSSPY

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  • from: ハムスターさん

    2010年06月19日 21時14分47秒

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    「人間革命の正しい読み方」慧妙編集室編 連載五回目


    今回は、例の神札が出てきます。
    実際に戦時中を知っている人に私も話を聞きましたが、この神札は1年に一度配ってくるそうで、貼っていようがいまいが誰も確認に来なかったそうです。
    一年前に配った神札は回収されないそうです。一年間の有効期限付きみたいですね。o(^▽^o)笑〃


    「戦時中、学会が宗門の身代わりに 難を受けた」の欺瞞(ぎまん)(第三巻「渦中」の章より)

    『人問革命』第三巻「渦中」の章に、昭和十八年七月、初代牧口常三郎会長が伊豆で逮捕される頃の様子を記して、次のようなことが書いてある。

    「牧口の頑強な主張は、いまや彼を完全に孤立せしめていた。結局、創価教育学会の姿は、反政府的な存在として、 いきおい鮮明にうかびあがらざるをえなかった。 当局の日蓮正宗弾圧の的は、大きく変わって、創価教育学会を焦点に集中しはじめた。弾圧の的が変転したことは、総本山を安泰にしたが、学会は一身に国家権力の圧追をうけ、飛沫(ひまつ)のすべてを浴びなければならなかった。」

    要するに、創価教育学会の存在が、軍部の弾圧から日蓮正宗宗門を護った、 というのである。

    しかし、実際には、創価学会の必要以上に頑(かたく)なな折伏により、かえって総本山が国家より圧追を受け、その飛沫のすべてを浴びなければならなかった、というのが真相である。

    すなわち、当時の日蓮正宗は、宗外には日蓮宗との合同問題、宗内には、軍部とつながって「神本仏迹論」の邪義を構える某師の暗躍があり、まさに内憂外患(ないゆうがいかん)の状態であった。

    このような状況下、宗門の苦悩をさらに深めさせる団体があった。 それが創価教育学会である。

    『人問革命』第一巻は、戦時中の学会の活動を、次のように記している。

    「創価教育学会会長牧口常三郎は、厳然として叫んだ。 『今こそ、国家諫暁の秋(とき)である。国家権力などは、恐るべきではない。而(しか)し、大聖人の御金言、御予言は絶対であり、まことに恐ろしき極みだ。いま、国家の減亡を救うのは、国家諫暁以外にはない』(中略)
    牧口門下の折伏戦は、その戦時下にあっても、なお天照太神の神札を謗法払いしていた。」

    牧口氏は、折伏の際に、国家が祀(まつ)ることを強(し)いていた大麻(=伊勢神宮の神札)を、公衆の面前で焼却する等の強引な謗法払いをしていたが、 これが当局の日をつけるところとなり、その余波が大石寺に及んでいった。

    当時のことを、渡辺慈海師(日容尊能化)は、その著『日恭上人の御師範』の中で、 概(おおむ)ね次のように記している。

    “昭和十八年二月のこと、大石寺信者である創価教育学会末端会員が公衆の面前で神札を破棄する等の行為を行なったため、その大本である日蓮正宗に対し、当局から取り調べが入ることが、渡辺慈海師のもとにもたらされた。この時は、御当職日恭上人が即座に手を打たれたことで事なきを得た”と。
    また、当時の宗門では、こうした神札問題による弾圧を避けるため、軍部に対しては「神札受け取り」と回答するも、宗門内部としては「神札無視」の態度で臨んでいたものと推察される。

    当時の資料として、『世界之日蓮』(昭和十六年十月号)には、
    「大麻奉安の件も決定したが未発布」とある。
    つまり、「決定」はしたが、意図的に宗内には徹底していなかった、ということである。

    これは、戦争がいよいよ激化し、さらに「神札奉安」が強制されるようになった昭和十八年当時でも同様で、同じく『世界之日蓮』には、

    「我日蓮正宗では、古来神社参拝禁止の宗門であるが、此に対して度々長老会議とか、参議会とかを召集して、対策を練った結果が、先月末の全国教師をに練成に名を寄せて応招、その心得方を指示したとの事で、 其(それ)は庫裏(くり)、または住宅に大麻奉る事は、 止むを得ない事と決定の由(よし)、併(しか)し、其等の欺瞞的では大不可、堂々と管長の名を以て、正々と全宗門に布達すべきである」(『世界之日連』昭和十八年九月号) と、

    これまた、「大麻奉安」を、決議しながら、宗門内に「布達」していなかったことを示している。

    ただし、ここで気を付けなければいけないことは、これは軍部と連係した某師の主宰による雑誌である故、その物の見方、立場も、軍部側に立つたものになっている、という点である。

    ゆえに、「大麻奉安の件も決定」とか「大麻奉る事も止むを得ない事と決定」との表現も、実際は、「決定」と呼べるほどのものではなかった、というべきである。

    六十六世日達上人は、この当時の模様を、
    「宗門としても、神札を祀(まつ)るなんてことはできないからね、一応受けるだけ受け取って、住職の部屋のすみでも置いておこうという語になったわけです」(『聖教新聞』昭和三十四年二月十三日付) と語られている。

    この日達上人のお言葉からもわかるように、「大麻奉安決定」などというものではなく、「部屋のすみにでも置いておく」といった程度の「決定」だったのである。

    実際、当時の法華講員から伺った話では、町内から「神札」が配布されてきた際には、面前での謗法払いは避けて裏庭でひそかに焼却した、とのことである。もちろん、自分白身としては、配布と同時にその場で焼却したかったが、こうした軽率な行動が総本山大石寺への後難が予想される故、やむなく裏庭での焼却となったという。

    このように、宗門・法華講が、共に苦慮(くりょ)しながら、本門成壇の大御本尊と唯授一人の血脈を護ろうとしていた時に、必要以上に突っ飛な折伏を展開し、総本山へも飛沫を浴びせてしまったのが、創価教育学会だったのである。

    当時の牧口氏ら学会最高幹部に、日蓮大聖人出世の本懐である本門戒壇の大御本尊と血脈の大事が、わずかでもわかっていたならば、あえて彼らを総本山に呼んで注意することもなかったろう。

    昭和十八年六月初句、宗門は、やむをえず、大石寺に牧口氏等を呼び、「大麻」取り扱いについて注意を与えたのであるが、頑迷(がんめい)な牧口氏は、ついにこれを理解しえず、逆に「わたしが嘆くのは、一宗が減びることではない。一国が眼前でみすみす減び去ることだ」とまで言い放ったのである。
    こうした経緯の中で「飛沫」どころか、学会白身が火種となって、自ら弾圧の口実を軍部に与えていった。
    途中、弾圧の危険が追つていることに気付き、「通諜」を出したが、牧口氏らの「応急策も已(すで)に遅し」、ついに牧口氏ら学会幹部の逮捕・投獄、創価教育学会の瓦解(がかい)という破局を迎えるのである。

    以上に見てきたように、池田のいう「弾圧の的が変転したことは、総本山を安泰にしたが、学会は一身に国家権力の圧迫をうけ、飛沫のすべてを浴びなければならなかった」とは全くのウソ。

    自ら「飛沫」を飛ばし散らして、総本山を危殆(きたい)に瀕(ひん)せしめたのが創価教育学会だったのである。
    他人に迷惑をかけておきながら被害者を装う学会の体質は、じっは、今に始まったことではなく、創価教育学会の始まりからあった。

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    王様

  • from: ハムスターさん

    2010年06月18日 23時00分12秒

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    映像紹介

    ☆秋葉原の創価学会脱会者を支援する会の街宣車

    http://www.youtube.com/watch?v=j2_u3DfJeyA&feature=player_embedded


    ☆言論の自由を妨害するカルト会員
    http://www.youtube.com/watch?v=vOhjCeyuv08

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  • from: ハムスターさん

    2010年06月17日 22時32分50秒

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    「人間革命の正しい読み方」慧妙編集室編 連載四回目


    「歴代会長の年齢の一致」という嘘(第二巻「地涌」の章より)

    池田の「入信神話」に関連して、歴代会長間における「年齢の一致の不思議」とやらについても検証してみよう。
    この「年齢の不思議」とは、初代会長牧口常三郎氏と戸田氏が出会ったのが、それぞれ四十八歳と十九歳の時で、戸田氏と池田が出会ったのも、同じく四十八歳と十九歳の時だったから、「これぞ仏法の不思議」「運命的な出会い」と学会内だけで信じられているものである。

    まず、『人間革命』の記述を見てみよう。
    「(※戸田氏と牧口氏の出会いの時)戸田城聖は十九歳で牧囗常三郎は四十八歳であった。いま、戸田は、その四十八歳になっている。そして、今夜の山本伸一は、十九歳だといった。(中略)十九歳の青年は、いくらでもいる。しかし、二十九年前の牧口と当時の戸田とを、まざまざと想(おも)い甦(よみがえ)らせたのは、今日の一人の青年ではなかったか。」(『人間革命』第二巻“地湧の章・昭和四十一年版)

    まるで、年齢の一致が将来の会長継承を決定しているかのごとき描写であるが、この「年齢の一致の不思議」も、じっは、池田が「十九歳」であったということ以外、全くのデタラメなのである。

    まず、牧口氏は一八七一年(明治四年)六月六日生まれ、戸田氏は一九〇〇年(明治三十三年)二月十一日の生まれである。両氏が出会ったのは一九二〇年(大正九年)八月のことであるから、この年の二人の年齢は、満年齢で牧口氏が四十九歳、戸田氏が二十歳。数えでも五十歳と二十一歳である。

    また、戸田氏と池田の出会いは、一九四七年(昭和二十二年)八月で、昭和三年一月二日生まれの池田は、当時十九歳、戸田氏は四十七歳。数えに直しても戸田氏は四十八歳、池田は二十歳である。
    どう計算し直してみても、この二例とも、それぞれ「十九歳と四十八歳」にはならない。いったい、何故、こんなウソを書いたのか!!

    池田にしてみれば、『観心本尊抄文段』の「三事の不可思議」(『日寛上人文段集』四五一頁)に擬(ぎ)して、牧囗氏から戸田氏、また戸田氏から池田への会長継承を、仏法上で予(あらかじ)め定まっていた不思議な宿命として、意義付けたかったのであろう。
    前に紹介した「連命的な出会い」に、この「年齢の一致の不思議」が加われば、皆な、池田を「不思議の先生」とばかりに崇拝する------池田の頭にこのような計算が働いていたことは間違いない。
    しかも、この「年齢の一致の不思議」は、小説『人問車命』が書かれた昭和四十年になって、初めて演出されたものではない。

    「戸田先生が、初代牧口先生に師事されたのが十九歳のおんとき、また、第三代会長池田先生が戸田門下生になられたときも十九歳のおんときと聞く。まことに仏法の不思議!」(『聖教新聞』昭和三十五年五月十三日付)

    この「聖教新聞』の日付からわかるように、「年齢の一致の不思議」というデッチ上げは、なんと、池田の会長就任の数日後から行なわれていたのであった。

    これが、後の池田本仏論へとつながっていくことからすれば、創価学会の謗法化への第一歩は、すでに池田大作の会長就任から始まっていた、といえる。まさに、池田大作こそ、第六天魔王が人格化して出現した当体------ といえようか。

    しかし、この「年齢の一致の不思議」などという、あからさまな捏造(ねつぞう)は、 周囲からの批判指摘も相次いだため、池田は、昭和四十五年以降、

    「戸田先生に、初めてお会いしたのは、昭和二十二年八月であり、先生が四十七、八歳、私が十九歳の時であった」(『若き日の手記・獄中記戸田城望』序文)
    などと年齢をあやふやにしはじめた。
    そして、「現代の御書」とまで呼んだ『人問革命』の記述もいつの頃からか、知らん顔で内容を書き改め、牧口氏・戸田氏ともに、実年齢としている。

    しかし、「年齢の不思議」そのものには未練があったらしく、新たに「ともに二十八、九年の開きがある」などと、 強引に付け加えているのは御愛嬌(ごあいきょう)というものだろう。

    いずれにせよ、こんな名利の魔物のごとき、とんでもない男が創価学会三代会長に就任し、後に日蓮正宗僧俗の信仰を試練する事態を引き起こしたことこそ、 「まことに仏法の不思議!」----魔及び魔民が仏法を護るの実証である。

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    王様

  • from: ハムスターさん

    2010年06月16日 22時15分22秒

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    これは、上手ですね。


    思わず笑いました。
    この映像は、降魔の剣でのthe聖教新聞社さんの作成ですが、面白いですね〜〜。

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  • from: ハムスターさん

    2010年06月14日 21時39分58秒

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    「人間革命の正しい読み方」慧妙編集室編 連載三回目

    嘘で塗り固めた”池田の入信神話”(第二巻「地涌」の章より)

    「池田本仏論」の基底をなすもののひとつに、池田白身の「入信神話」がある。
    すなわち、「山本伸一」こと池田大作が、戸田氏が主催する学会の座談会で即興詩を披露し、その運命的な出会いによって入信した、というものである。

    その座談会で被露した即興詩というのが、

    「旅人よ/いづこより来り/いづこへ去らんとするか・・・・」等というものであるが、次の一節を見ていただきたい。

    「『不幸』よ!汝はいずこよりきたり、いずこへ去らんとするか。」(戸田城聖全集第一巻九十四頁『青年よ国士たれ』)

    これは戸田城聖二代会長の『青年よ国士たれ』(いわゆ 国士訓』)の一節であるが、一読して解るように、池田の 「旅人よ/いづこより来り/いづこへ・・・・」とは、この『国士訓』からの盗用である。

    それも、未入信だった当時の池田が、どうやって、『国士訓』を盗用して即興詩を詠むことなど、できようか。
    つまり、この即興詩は、後年、池田が『人間革命』を著す段階で、『国士訓』の一節を盗用してデッチ上げたもの、といえよう。

    次に、池田が入信を決意する場面を『人間革命』の中からみてみる。

    「(山本)『初めて、仏法という世界を、まのあたりに見たようだ。どんなものか求道してみる。こう決意をせざるを得なくなってきた』(中略)山本にとっても、入信とは、なにかに束縛されるような、いまだにみたこともない別世界に行くような感じでもあった。しかし、今夜の衝撃は、どうしょうもなかったのである。もう、入信の手続きなど、どっちでもよかった。ベルグソンのことも、遠い淡い観念の世界になっていつた。戸田城聖という人lそれが被にとって、実に不思議に、なつかしく思えてならなかったのである。」(『人間革命』第二巻「地涌」の章)
    このとおりなら池田は、 戸田氏との運命的な出会いにより、座談会の後、素直に入信したかのように受け取れるが、事実はそうではない。

    池田自身が、かって、こう語つている
    「終戦の反動で何かやりたぃとぃう気持ちがあって、学校時代の友人にさそわれて創価学会の本部へ行きました。その友だちは哲学のいい話があるが来ないか、とさそったのです。私は友人と二人で行ったのですが、三、四〇人もいたでしょうか。 五時間くらいもそこで締めあげられたのです。南無妙法連華経は嫌いだったので、ずいぶん反対したのですが、理論で破れて信仰しなければいけなぃとぃうことになってしまったのです。負けたのでシャクにさわってしかたがない。」
    (小口偉一編『宗教と信仰の心理学』)

    「折伏されたのは、前の本部です。前の本部は会長先生が事業をなさっていらっしゃった二階の八畳と六畳の二間でした。・・・・・・・そこで多くの広宣流布の人材が毎日会長先生の御講義をきいたんです。 私はそこで教学部長から析伏されたんですよ。」(『聖教新聞』三十二年十月十八日付)

    つまり、池田の入信は、戸田氏との“運命的な出会い”の故などではなく、戸田氏に鍛(きた)え上げられた教学部長の小平芳平氏ら、折伏の猛者(もさ)たちに強祈(ごうしゃく)された結果なのである。

    なお、ここでは座談会の記述は省略されているが、実際には、座談会出席後、池田は創価学会本部に連れていかれ、 そこで折伏されたというのが真相であろう。

    むろん、後の部下たちからグウの音も出ぬほど強折されて、入信せざるを得なくなった、などという事実は、自尊心が異常に強い池田が自伝小説を書く場合、 真っ先に塗り替える点であろう。

    さて、御授戒の際の記述も、『人間革命』には
    「八月二十四日、日曜日、山本伸一は、三島由造、山平忠平にっきそわれて、中野の歓喜寮(※現在の昭倫寺) で、御授戒を受けた。時の住職は、堀米泰栄尊師であった。あとで、第六十五世の猊座に登られた方である。長い読経・唱題の後、御本尊を授与された、伸一は、複雑な表情をかくすことが出来なかった」

    などと、さりげなく書いているが、この「複雑な表情」とは、けっこう意味深な表現である。

    というのも、実際には、池田は「理論に破れて」イヤイヤ信心するハメになったため、御授戒の場でも駄々(だだ)をこねまくっていたのである。再び池田大作の発言から-----

    「ちょうど十五年前に、小平教学部長とそれから矢島尊師に連れられて、ちょうど日淳上人様の勤行ご導師をいただいて、たった三人だけの御授戒でした。それで私は、真ん中にすわらされてしまって、動行がはじまったけれども、またひじょうに長い動行で(笑い)びっくりしてしまいました。

    それで、日淳上人より御本専様をお下げ渡しいただくときに、もう足がしびれて、このまま一生涯信心するのでは、もうたまったものではない(笑い)と、もったぃなぃ話ではございますが、そのときは信心はけっこうでございますから、きょうは御本尊様はいただかないようにします”と、そう申し上げたのです。

    その場所で。すると、日淳上人は『まあ、そういわないで、きょうは御本尊様をもっていきなさい』と(笑い)。

    何回も何回も押し問答になりまして、とうとう日淳上人様は、ひじょうにがん固な方であって、私は負けまして(笑い)、そして、ちょうだいして今日にいたったわけであります。私もはじめの動機をみれば、みっともない状態なのですが、むりやりに、日淳猊下が強引にといっていいぐらいに、御本尊様をお下げ渡しくださったおかげで、私は十九歳で日淳猊下の弟子となることができました。」(『聖教新聞』昭和三十七年二月二十日)

    「それから御本尊をお下げするという話で、私は三十分ほどいりませんとがんばったんです。すると幹部の人がなだめて、むりやり私に押しっけました。家に帰っても三日間拝まずにほっておきました。三日目にものすごい雷が鳴って、私の上ばかりでごろごろなって、私ばかり狙っているように思ったので、そのとき思わず南無妙法蓮華経と口をついて出ました。」
    (小口偉一編『宗教と信仰の心理学』)

    御本尊下附を拒(こば)んだ末に、これまたイヤイヤながら御本尊をた持(たも)ち、さらにその御本尊を「三日間拝まずにほおって」おいたというのだから、『人問革命』の記述は全くの興ざめである。
    もちろん、本書は「池田の入信時の姿が無様(ぶざま)だ」などといって笑うつもりは毛頭ない。
    己の姿をゴテゴテに飾ろうとして、“運命的な師弟の出会い”をデッチ上げ、ウソで塗り固めた記述をして、「これぞ仏法の不思議」 とばかりに自らを宣揚(せんよう)しているから、 その迷妄(めいもう)を覚ますべく事実を教えてあげているのである。

    池田の虚像を信じさせられている学会員諸君、天才的ウソつきである池田の実態をこの一事からも知るべきである。

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  • from: ハムスターさん

    2010年06月10日 20時36分17秒

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    「人間革命の正しい読み方」慧妙編集室編 連載二回目


    創価学会「反戦の歴史」の嘘 (第一巻「黎明」の章より

    池田大作著『人間革命』は、

    「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲参なものはない。だが、その戦争は、まだ続いていた」との書き出しから始まっている。学会員に言わせれば、「創価学会の平和主義を端的に示している」 ということらしい。

    これと同様に、創価学会が当初から戦争に反対してきたかのような記述は、随所に出てくる。次の一節もそのひとつである。

    「しかも、その戦争はまだ終わっていない。『馬鹿気たことを、いつまでやっているんだ!』彼(※戸田城聖)は吐き出すように、誰に言うともなく、激しい口調で呟(つぶや)いた。その声は、闇に消えたが、彼の怒りは燃えさかっていたのである。

    平和と幸福への願いは、万人共通の念願であるはずだ。戦争は断じて行うべきでない。 戦争して誰が喜ぶか。誰が幸福か。勝利者も。敗北者も-------。」(第一巻「黎明」の章)

    池田の記述では、創価学会二代会長・戸田城聖氏は、戦争を遂行した当時の政府に激しい怒りをぶつけていた、という。

    しかし、本当にそうであろうか。
    創価学会の「反戦の歴史」のウソについては、すでに『慧妙』紙で数度にわたって論じられているが、『人問革命』の虚構を暴くに当たって、まず、この点についても触れておこう。今の学会にとって、「世界平和」という語がセールスポイントだからである。

    さて、現在の創価学会では、太平洋戦争を「侵略戦争」と捉(とら)えているが、 戸田氏はその太平洋戦争の遂行に意欲を見せ、自らの著書『人間革命』(池田の著は、この続編という形をとっている) の中で次のように語っている。
    「日本の癌(がん)になる対支問題の解決には、われわれが支那大陸の地下工作にまで乗り出そうではないか!勿論(もちろん)、厳(がん)(※戸田城聖白身をモデルとした主人公)の全財産は、この運動に提供する。」(精文館発行『人間革命』三八六頁〜三八七頁)

    「牧田城三郎先生(※牧口常三郎初代会長のこと)は国家諫暁を思い立たれ、白分は学会幹部を集めて、救国の一大折伏戦や支那大陸への潜行運動などを展開しようとしたが、それは飽く迄(あくまで)も、日本を負けさせたくないからであって(以下略)。」(同書四五五頁)

    一目でわかるように、池田著の『人間革命』では「戦争に反対していた」ハズの戸田氏が、戸田氏著の同名小説では、当時の日本の国策であった太平洋戦争遂行のために、「国家諫暁」とともに「地下工作・潜行運動」を行なおうと主張しているのである。しかも、その動機が「戦争で日本を負けさせたくない」ため、というのであるから、前の池田の記述がいかにウソっばちであるかがわかろう。

    また当時、戸田氏ならびに牧口氏が主張した「国家諫暁」とは、どのようなものであっただろうか。

    戦後、戸田氏は、心理学者のインタビューに次のように答えている。
    「戦争では勝ちたかった。負けるとは思つていなかった。私の今もっている信念は、当時はなかった。私には教学もなかったし、勉強もしてなかったからなんだ。初代会長は勝つといっていた。教線が伸びたのは日本の戦勝と一致していたし、学会の弾圧と敗戦への方向が一致し、初代会長の獄死と共に本土空襲がはじまったので、その結びつきは考えた。」
    (小口偉一編『宗教と信仰の心理学』)

    つまり、「馬鹿げた戦争をやめろ」ではなく、「戦争に勝つ」ために折伏を行ない、国家諫暁を行なおうとしていたのである。当時の学会に「反戦平和」などという思想がなかったことは、これで明らかであろう。

    なお、誤解のないようにことわっておくが、本書は、当時の戸田氏が“侵略”という意識を持っていたとか、好戦思想の持ち主だった、などといって、批判しようというのではない。現在の創価学会が、己れの過去を飾り、戦前・戦後を通じて「反戦平和主義」であったかのように会貝を洗脳しているから、その洗脳を覚ますべく、ありのままに紹介しているだけである。

    戦争の悲慘さを訴え、平和を論ずることは、今日、有意義であることはいうまでもない。しかし、創価学会自身の戦争翼賛(よくさん)の歴史を隠し、会員獲得と洗脳のために虚飾の歴史を綴(つづ)ることは罪悪である。

    御書に云わく
    「疵(きず)を蔵(かく)して徳を揚(あ)げ自ら省(かえり)みることは能(あた)はず。是無慙(むざん)の人なり」(御書1730頁)と。

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  • from: 正義顕揚さん

    2010年06月10日 09時32分32秒

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    「Re:人間革命の正しい読み方」
    この題材はかって慧妙紙に連載され、暁鐘編集室から小冊紙として発刊されました。池田創価学会の本質を知る上でとても参考になります。創価学会員の迷妄を覚ます為にも掲載をお願いします。
    来月は3年に1度の参議院議員の選挙が実施されますが、池田公明党の議席を少しでも減らす様にしなければ日本沈没は現実のものとなりかねません。

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