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  • from: ☆(⌒杰⌒) AMA-G'ですさん

    2009年09月15日 18時07分44秒

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    なぎら健壱、フォーク遍歴の合わせ鏡


    なぎらにフォーク遍歴の写し鏡を見た…
    ★(⌒杰⌒) AMA-G'です

    フォークシンガー、「なぎら健壱」の本を読んだ。
    彼に関する本ではなく自身の著によるものを二冊ほど。

    なぎらはAMA-G'より少し年上だ。
    それでも、カレッジフォークやモダンフォークといった
    いわゆる70年代フォークの少し前の時代の
    音楽は好きじゃない、と語るところなど
    ことフォーク遍歴に関しては同時代の人間のようだ。

    読んだのは、酒飲みに関する著作と
    自らのフォーク遍歴を基にした小説の二冊だ。

    後者はなぎらの自伝的要素の強い作品だが
    作中、なぎら本人と思われる主人公の中高時代の
    話が語られる。

    アコギカタログに掲載されたMartin-18の高価さに驚きつつ
    現実には、2千円の国産アコギからスタートしてようやく6千円の国産アコギを
    手に入れるくだりは、まさにワシ自身の中学時代と写し鏡のようだった。

    ワシも小金持ちのクラスメイトの真似をして
    貯めた小遣いで6千円のガットギターを買うことから
    自分のアコギ趣味人生を始めた口だ。

    なぎら本人についてそれほど詳しく知っているわけではない。
    国技館における大一番の相撲取り組みをシニカルにコミカルに描いた
    ♪悲惨な戦争♪という歌を聞いたことがあるくらいだ。

    もちろん、東京のローカルTVによく出ているタレントでもあり、
    カントリー調のその服装や、グルメネタに詳しいことなどを
    つまみ食いで見聞きしているにすぎない。

    それでも、
    たまさか、図書館や書店でなぎらの著作を見つければ
    手に取り、今回のように借り出しして読むのは
    冒頭に書いたように、
    彼のフォーク遍歴あるいはフォークへの対峙の姿勢に
    共感を覚えるからだ。

    ワシ自身も、
    カレッジフォークやモダンフォークといった類の
    どこか小じゃれてすかした系統の音楽が好きではない。

    (山国の田舎の木造校舎で
    小学生だった60年代はアコギではなく
    縦笛とホラばかり吹いていた)

    歴然とそれらを〝フォーク〟と呼ぶにはいささか抵抗がある。
    なぎらもその著作の中で、
    自分らが支持するフォークとなんなのかを
    自問自答している。

    加えるなら、
    自分の中のフォーク観も、必ずしも
    〝反戦〟や〝アングラ〟を志向してはいない。

    あるいはまた、
    虚しさや貧しさを売り物にした、長髪・無精ヒゲの薄汚れた風貌の
    フォークシンガーを、70年代当時に信奉していたワシでもない。

    70年代当時、
    デビュー後、次第に人気が出始め
    ファンの女の子に騒がれ、商業主義に走ったと批判された吉田拓郎に
    ついても、そんなやっかみ混じりの妬みに似た批判の尻馬に
    乗った記憶もない。

    本の中でなぎら本人であろう主人公は
    フォークを知ったのちに、カントリーやブルーグラス系の仲間と
    知己を得たりして、同時にその音楽性も取り込むようになる。

    いわゆる、アメリカンミュージックとの出会いだ。
    このあたりも自分と似ている。

    恐らくは実話なのだろうが、
    学生時代のなぎらがバイト先で
    ひょんなことから、当時の加川良にであったり
    友達の車で高田渡を自宅まで送ったエピソードを読むにつけ
    なぎらのアコギ奏法が、このあたりの知人の影響を受けていることも
    うかがえる。

    世の中に「70年代フォーク」を愛好するアコギ弾きは多いが
    彼ら彼女らの〝フォーク観〟はこれまた様々であろう。

    70年代当時、誰の唄が好きだったか?
    という通り一遍の物差しで計るのはやめよう。
    もっぱら聞き手ではなくて
    自らも弾き語るフォーク愛好家には、一家言のある人が多い。

    90年代以降のフォークシンガーを自ら標榜する人、
    あるいはその時代のフォークソングミュージックシーンについて
    70年代のそれと比較してみる時、
    両者を同一線上で語ることはおろか
    安易に比較検討することさえも、無理があるだろう。


    なぜなら、
    「アコギを弾くフォークのシンガーソングライター」
    という条件設定は同一でも、
    70年代と90年代以降では、 フォークの内包する世界観がまったく異なる。

    同時にそれは、フォークの変遷という
    歴史的推移として見るのも的確ではない。

    「70年代フォーク」というものは、
    それ以前の〝カレッジ〜〟や〝モダン〜〟とは一線を画し、
    80年代以降(70年代中盤から勃興)のニューミュージックや
    90年代以降のストリートミュージックとは
    異母兄弟でありつつ、
    「その一時代でしかくくられることのない固有の音楽世界」
    ではないだろうか。

    〝70年代フォーク〟は、60年代〜あるいは80年代〜のような
    時代でくくることのできる音楽ではなく、
    いまや固有の市民権を得た、広く認知された音楽ジャンルなのだ。

    輝かしい70年代フォークの全盛期は
    同時にまた、それと呼応あるいは後押しする形で
    国産アコギメーカーの隆盛期でもあった。

    アコギ先進国、米国メーカーのコピーからはじまり
    やがて独自の理論にもとづく独自の
    アコギ作りに意欲的に取り組む数多くのメーカーがあった。

    高度成長から景気後退へと移行しはじめる
    70年代はまた、若者達の心に
    終戦後のどさくさ時代の貧困さとは違う、
    虚しさややりきれなさの影を落としていった。

    このあたりからも
    同じフォークとはいいながら
    70年代と、それ以外の年代のフォークの世界が
    まったく異質のものであることが言える。

    小説の中のなぎらは
    アマチュアのコンテストに出場したことをきっかけに
    レコード会社のプロデューサーの目にとまり
    やがてレコードデビューするが
    実際には、フォークジャンボリーへの
    飛び入り参加をきっかけにプロへの
    歩み出している。

    そしてタレント業のかたわら
    一人のフォークシンガーとして
    あのころ夢のまた夢であった
    〝Martin〟を手に、日本各地を
    一人の「歌い屋」として巡っているそうだ。

    (kuni さんのいうように高価なアコギが必ずしも自分の気に入るアコギとはいえない。
    ワシも最近のMartin-45を弾いた時にはそれほどの感動はなかった。)
    (kuni氏の遠い親戚だという南高節のその百万単位のアコギも、
    装飾にかかる費用をさっぴいてもその半分くらいのアコギの方が良い、というのは多いにあり得る。)
    (ワシのもっているTaylor 110はエントリーモデルといわれているけど
    10万クラスのアコギとしては秀逸の音量・音質だし、
    同じくGuildのF50Rなんてミディアムゲージを張った時の骨太な響きには鳥肌もんだった。)
    (それでも、一生に一本はMartin- D28を手に入れたいと願うのは
    性懲りもない権威主義への自分の弱さだと思う。MartinやGIBSONの中古がほとんど値崩れしないのは、こうした市場心理の表れだろうか。)

    今回は、
    あれこれととりとめもなく
    まとまりのない「70年代フォーク小論」を書きつらねてきた。

    中学〜高校という青春のただ中に
    70年代フォークとともに生きてきて
    いまもなお、その唄の世界を引きずりつつ
    弾き語りを続ける自分にとって、
    「70年代フォーク」という言葉の重さは
    この先ずっと一緒に暮らすであろうアコギとともに
    我が心の文鎮のごとき精神のよりどころとしてあり続けるだろう。

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    ルパン kuni

コメント: 全1件

from: kuniさん

2009年09月16日 19時43分02秒

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「Hellow Folks!」
職場のお客さんにアメリカ人が多いのですが、よくアメリカ人が親しい人達に語るときよく使います。
そう日本でよく使われるフォークソングのフォークとは”親しい仲間”を意味していると思っておるのですが、どう思います?

なぎら健壱のはなしは高校生だったkuniのころを思い出させてくれる懐かしい話でして、彼が高田渡や武蔵野タンポポ団と交流して刺激をうけてフラットピックやスリーフィンガーなどを演奏していたとライブで言ってたことを思い出しましたぞ。
”悲惨な戦争”は発売禁止になったのでよく覚えとりますが、内容は大変面白く、雷電のまわしが…は何回聞いても笑っておりまする。

kuniは中川イサトと村上律、高田渡、いとうたかお、麻田浩、加川良、ソルティシューガー、ナターシャセブン、フォークル、ベッツィ&クリス、ガロなどが好きでレコードを集めていたのですが友達の間を回っているうちになくなっていき、いまでは2,3枚しか残っていないようです。けっこうマイナー好き!ただマイナーコードの曲が体質的に合わないだけという説もあります。

というより親父がカントリー好きで子供の頃、ジミー時田(昔のカントリー歌手)のレコードばかり聴かされていたためkuniもアメリカンミュージックが好きになっていったためでしょう。

70年代フォークソングはアメリカンミュージックと意思を持った日本語との融合だと思っているのはkuniだけでしょうか?

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