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アコギな世界

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  • from: ☆(⌒杰⌒) AMA-G'ですさん

    2021年02月16日 11時30分05秒

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    【ヤンマ系のデカトンボに会いたい】

    ★弾き語りストです。

    ♪畑のトンボは どこいった♪と、よしだたくろうは唄った。
    ♪赤とんぼ 羽をとったらアブラムシ♪と、あのねのねは唄った。

    トンボの羽が嫌いだとカミさんは言った。
    トンボの目玉が気持ち悪いと息子が言った。

    珍しいものや希少なものには高い値が付く。
    それがたとえゴマ粒のごとき珍品でもだ。

    オレがまだ、鼻くそばかりほじくっていた子供の頃でも、赤とんぼよりは、オニヤンマ・ギンヤンマの目撃数は圧倒的に稀有だった。

    しかもそいつらは珍しいだけでなく、
    圧倒的な迫力を伴ってオレたちの目の前に出現した。

    たとえるなら、
    海外生産の安物アコギがうにょうにょ飛び回っている中に、突如としてGibson(オニヤンマ)やMartin(ギンヤンマ)などのの高級器が突然、出現するような、どえりゃー驚きなのだ。

    もちろん、
    これはもののたとえで、山育ちの鼻くそ小僧が、当時ギブソンもマーチンも知っているはずもなく、最大の関心事は合成甘味料のオレンジジュースや明治ヌガー
    チョコバーのことばかりであった。

    いまでも、
    ちょいと郊外の水のキレイな場所にゆけば、
    爆撃機のごときオニヤンマやニヒルなスナイパーのごときギンヤンマに出会うことはできる。

    しかし、オニヤンマのあの圧倒粋な大きさと王者の風格は、目の前に、すっと現れただけで、一瞬息をのむほどの、驚きがある。

    個体差はあるが、あのオニヤンマの大きさというのが、
    子供の目にはちょうど良い驚きの大きさなのではないだろうか。

    もしあれがもっとずっと大きかったら、
    驚く前に恐ろしさが先にたって、その場から逃げ出したくなる。
    逆に、もう少し小さい場合は、あれほどの感激はない。

    見るからに神々しいオニヤンマやギンヤンマは、
    捕まえたという記憶がない。
    なにかそれらは捕獲するべきものではない、
    犯しがたい神秘性があったのかも。
    いや、ただ単に捕まえられなかったのか?

    虫になじみがあるとかないとかというのも変な話だが、
    鼻くそ小僧の頃からいろんな虫に接していると
    大人になってもそれにあまり拒否感はない。

    今の子供は...なんて普通のことは言わないが、
    日常生活の中であまり見かたり接することのないものが
    突如あらわれると「うぁ!」てなことにはなりがちだ。

    毛虫・ヤモリ・蜘蛛・ゴキブリ・蚊やハエ・蛾や甲虫など、山国の田舎に生まれると、好き嫌いとは無関係に
    それらと接することが多いから、見るのも嫌だという種類はそれほど多くない。

    ところが、この世には見たこともない怪奇な生き物がたくさんいて、どこをどういじくれば、これほど醜悪で悪趣味な形状・形態で発生してきたのかという、ゲゲゲな生物がいる。

    そんなものに遭遇すればオレだってびっくりするし、
    触るのも見るのもおぞましい。
    トンボが嫌い、蜘蛛が恐ろしい、早くその蛾を始末してくれという家族の切なる要求を笑うことはできない。

    〝昆虫界のサカナくん〟みたいな人は、
    そういう希少なものを発見する感動に出会いたくて
    うずうずしてしているだろうが、
    オレは今、ごく普通に「オニヤンマ」「ギンヤンマ」に出会いたいと思う。

    それじゃ、また!(^-^)ゞ

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  • from: ☆(⌒杰⌒) AMA-G'ですさん

    2021年02月12日 08時57分00秒

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    記憶が消えてゆく…いいしれぬ暗黒の恐怖とともに

    ★弾き語りストです。

    ほぼ同い年の、北関東出身の作家が書いた「若年性アルツハイマー」をテーマにした小説を読了。広告代理店勤務で五十になったばかりの男がこの病を発症。

    一人語りでgradationのごとく日ごとに消えてゆく自分の記憶との、粘りつくような葛藤を描いていた。

    誰にでも、そうオレにでもありうるこのことに、罹患することへの恐怖はもちろん、記憶をなくすることがどれほどどん底な悲劇であるかを、思い知った。

    意識がありつつ病に苦しむこととはまったく別物の病の苦しみ。
    新しい記憶が脳のメモリーに記録されずに、垂れ流しのごとくだだモレしてゆく。

    知己も身内もかかわらずに、顔や名前や自分とのつながりさえも不明になってゆく。

    どっちがマシかと問われれば、
    新しい記憶より古い記憶を忘れる方がずっといい。
    子供のころの同級生のことや、四半世紀前の暮らしのことなど覚えていなくても構わない。

    千歩ゆずって、昨日食べた夕飯がなんだったかを覚えていなくても、
    一昨日約束したアポをすっぽかしても、大勢大局からすればさほどの痛みもない。

    が、ついさっき自分がやったことを忘れ、今まで会話していたカミさんや息子たちの名前がアタマの中から剥落し、一曲前に歌った歌が思い出せなくなったり、自分が今いる場所がどこなのか分からなくなったら......
    これは、ハンパな事態でなくなる。

    小説の主人公も、自身の苦しみだけでなく、身近にいる者たちの辛さに言及しているが、人は、自分が原因で他者に及ぼす迷惑にひどく自尊心をいたぶられる。

    しかも、それが自分のまったく意識できないところで行われるとしたら、それを考えただけでもいたたまれなくなってしまう。

    だからどうせい!というのか。
    いまここでオレは、この病についてあれこれ語る知識もなければ
    そのつもりもさらさらない。

    ただ、記憶がなくなるという極限状態のことを考えて、
    オレがそうなりそうになったら、どうしたらいいのか、
    と堂々巡りの思いを募らせるばかりだ。

    いずれ訪れる最期の日を前に、やりたいことをやりたいだけやろうと、
    打算的になっても、そうそう毎日の暮らしや金銭事情がそんな蛮行を許さない。

    そんなことより、日々、自分が何を考え何をやったのかを、
    記録に残してはどうだろう。

    小説の主人公もそれを実行した。
    初期症状が中期へと進行するにつれ、日記の文字も漢字がひらがな書きになり、同じことを繰り返し書き連ねてゆく。

    忘れないためにたくさんのメモ書きを残し、ポケットにあふれさせる。
    メモにカットイラストを添えたり、写真を貼付したり、
    凡人ができる手立ては、そんなものだろう。

    しかし、メモしたことさえ忘れ、何をやったのかさえきれいさっぱりと
    失われてしまえば、手立てはドンづまりだ。
    もう、ただ、ひとり、部屋に閉じこもって、座っているしかなくなる。

    物忘れはよくする方だ。
    自分の言ったことなど、記憶していることの方が少ない。
    会ったり、一緒にいたことのある人の名前や顔も覚えていない。
    とっさに物の名前が浮かばないことも多い。

    脳血管障害の予兆かもしれないが、
    人間ドックではひっかかってこない。
    頭痛も吐き気もしないから、いますぐに急性で病院に行く必要もないようだ。

    物覚えが良くて、こっちの記憶に手持ちがないことまで教えてくれる人もいる。

    新しい記憶は「海馬」、古い記憶は『大脳皮質」という脳の部分にファイルされるんだとか。
    記憶には三種あり、電話番号を覚えて電話し、すぐ忘れるようなものは「ワーキングメモリ」、数分間覚えていればいいものは『短期記憶」、半永久的に覚えているのが「長期記憶」ということらしい。

    少しの間覚えたらすぐ忘れてもいいようなものはいいが、
    できれば、長く覚えておきたい記憶もある。

    門外漢がうまくまとめるのは難しいが、
    新しい、短期の記憶を長期保存の部分に固定させるためには、
    海馬で受けた刺激が鮮烈であったり、きちんと理解して覚えればよい、という。

    でも、本人にとってはとても大事なことであっても、
    海馬の働きしだいで軽く扱われて大脳皮質には送られないとしたら、
    いったいどうしたらいいんだろう、と考えてしまう。

    大事なことだから絶対に忘れてはいけないということを
    オレはこれまでいくつもいくつも置き去りにしてきただろう。

    脳の中にはたくさんの電気信号が流れていて、
    脳に刺激を与えるほど脳細胞は増えて活性化する。
    逆に、活発に電気が流れないと細胞をつなぐ線は切れたり消えてしまう。

    脳の長期保存のためには、繰り返すこと、反復して復習すること。
    音・映像・言葉などに関連付けて覚えること。
    手や耳を刺激して記憶させること。
    それらが大事らしい。

    見たり聞いたりしたものがまったく興味なしならすぐ消滅するが、
    興味のあるものもそれをしっかり理解しないと、それもまたほどなく消滅する。

    海馬の記憶は大半が9時間くらいで失われ、
    1カ月以内には長期保蔵すべきかどうかの選別が行われる。

    その間に、繰り返し反復させれば、長期保存が可能になる。

    だから、好きなことは毎日、あるいは少なくとも1カ月以内には数回以上、繰り返し繰り返し、反復してやれば身に付くというわけだ。
    一夜漬けのテストも、しっかり理解して覚えれば、翌日の試験までは
    キープできるというのもうなづける。

    いずれにしても、
    本当に覚えておきたいもの、永遠の記憶として保持しておきたいものは、毎日毎日繰り返して五感から感じ取り、記憶の貯蔵庫にしまっておくのがよいようだ。

    オレが酒好きなのは、毎日毎日、反復して飲んでいるからだろう。

    それじゃあ、また。

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  • from: ☆(⌒杰⌒) AMA-G'ですさん

    2021年02月10日 09時07分32秒

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    「厚顔無恥」「傍若無人」「恥知らず」だったとは

    ★弾き語りストです。

    「厚顔無恥」「傍若無人」「恥知らず」...な人に出会ったり、その人について見聞きしたりするとき、たいていは嫌な気持ちになるし、鼻じろんでうっとうしく感じる。

    ところが、中には図々しいのになぜが憎めないキャラだったり、
    あきらかに相手からしつこいと拒絶されていても執拗に食い下がり、
    最終的に相手方のふところにまんまと潜り込んでしまう、
    というような小憎らしいタイプの人間がいる。

    自分はどうしたってそんな人間にはなれないが、
    時として、この手の「カエルの面に○ょん○ん」方式で相手と対応することで、
    新しい感動や出会いに遭遇できるのじゃなかろうか、と考えることがある。

    雰囲気のいい飲み屋があるとする。
    ママも美人で料理も美味い。
    ぜひともなじみになりたい、とするでしょ。

    そんな時、よく言われるのが、
    初めの三、四回は連続して通い、その後、いったんはぴたりと行くのをやめる。
    そうしてしばらくしてからふらりと何気を装ってノレンをくぐる。
    こうすると、店のママに強い印象と気がかりな気分を持たせることができるんだとか。

    一見(いちげん)で出会った人とのやり取りや、初めて何かのイベントに参加するとき、
    既存のなじみ客からすると、自分はよそ者で新参者だから、
    気後れしたり遠慮があったり、どこかしっくりこなさが付きまとう。

    ちくちく胸を刺してくるそんな所在の無さに耐えかねて、
    一見の人と会うことや、イベントへ出かけて行くことをやめてしまいたくなるが、
    ここで天下の宝刀〝Porker face〟を振りかざしてみたらどうだろか。

    内心のざわざわ感を極力おもてに表さないように注意して、
    平気の平左で知らぬ顔をして、何度も人に会い、何度もイベントに行くのだ。

    今は放送終了してしまったテレ東系列の「田舎に泊まろう」が好例だ。
    たいして名の知られていない芸能人が田舎の家々を回り、
    初めこそは胡散臭がられ、疎まれ、毛嫌いされていても、
    いざ〝お泊り〟が決定して、たった一晩やっかいになっただけで
    翌朝には涙の〝お別れ〟となるのだ。

    最初は互いの尻の匂いを嗅ぎまわっていても、
    何度となく顔合わせしているうちに、人間の警戒心は次第に溶けてゆくから
    なんともおもしろい。

    相手が、自分の名前も顔もしっかりと認識して覚えくれると、
    その先は、かなりディープな部分にも踏み込んで親交が深まる。

    農民でもなければ牛も豚も羊もみんな同じ顔にみえるが、
    初見の人の顔と名前なんて、別れて数分であっさり記憶から剥落する。
    ホルスタインやランドレースの群れを見るのと大差ないほどに
    人は他人の顔や名前をそうやすやすとは、心にとめておいてはくれない。

    街で偶然出会って互いに「やぁ、やぁ、やぁ」なんて言い合いながら、
    最後まで相手がどこのなんていう人なのかわからずに別れる、ということも多い。

    人と人とがなじみになるためにはある程度の「回数」が必要だ。
    反復することで記憶の溝が深まり、顔の表情に親愛の兆しが見えてくる。
    心の底から嫌いなタイプの顔かたちや、どこまで行っても新密度が増しそうにない場合は、
    その関係は、たいてい自然消滅して雲散霧消してゆく。

    繰り返し会って、何度も出かけて行って、まぁだいたい10回くらいして、
    どうもあの人とは縁がない、あすこは自分の行くべき場所じゃないと悟ったら、
    その時は、後腐れなくただ静かにその人とその場所から立ち去ろう。

    その逆で、
    始めは(本当の意味で)他人行儀でよそよそしかったのが、
    親しくなって、互いのホクロの位置や、脚の長短なんかまで確認し合えるようになると、
    会話の端々にも親しげな〝タメ口〟口調まで混じってくる。

    とはいうものの、
    その蜜月が長く続くかどうかというと、
    少なくとも自分の場合は、マイペースで冷めやすい性格のせいか、
    ゆるやかなグラデーションを描くように疎遠になってしまう。

    一旦、卒業してしまうと同窓会やクラス会の類にはまったく参加しない。
    退職した前職の同僚とも会いたいとは思わない。
    一時期、交流のあった知人も、不和があり、いったんつながりが切れると、
    携帯やメルアドの類は、削除または着拒に設定する。

    仲間内で群れる、なあなあの関係をだらだら続ける...
    そういうことがどうも苦手なのだろう。

    だったら、
    人と交わったり、新しい関わりなど持とうとしなければいいのだが、
    それはそれで、ちと淋しくて虚しい。

    よくよく考えれば、やはりというか、オレは自分の都合を中心に考えているのだ。
    普段は一人でいたい、できれば構ってくれるな。
    しかし、時々、こっちの気の向いた時には、会ったり話したり絡み合ってくれぃ。
    とまぁ、いつもながらの身勝手な自意識に嫌気がさす。

    なんのことはない、
    かくいう、オレ自身が一番の「厚顔無恥」「傍若無人」「恥知らず」だったとは...。

    他人と一緒に何か共通の目的に向かって関わりあう楽しさは...自分にも理解できる。
    しょせん、人間が一人でやれることには限界がある。
    小説家や修行中の御坊様のように、一人でやることが本来のカタチである場合以外で、
    複数の人間が心を合わせて何某かを作り上げるのは、やり甲斐がある。

    いつもいつも人の中にいないと不安でしょうがない人もいるだろう。
    孤独に耐えられない、他者とのかかわりで自己の存在を確かめる、
    そういう人からすれば、do-it-myselfほど虚しい所作なのかも。

    心に悲しみを抱えている人が、同じ涙を持つ人のいることを知ると癒される。
    ひそかな楽しさに一人ほくそ笑んでいた人が、同じ趣味嗜好の人の存在を知ると
    あらためてその楽しさの魅力を再発見する。

    きっと、そういうことなんだろうな。
    人と人の交わりって。

    それじゃ、また!

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  • from: ☆(⌒杰⌒) AMA-G'ですさん

    2021年02月09日 09時05分35秒

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    好きなんだけど…(^^♪ チャチャチャ。

    ★弾き語りストです。

    好きなんだけど駄目なんだよねーっていうものあるよね。
    オレの場合、K駅前の焼き鳥屋「K」の焼き鳥の脂がどうも体質に合わないらしい。
    これまでに、二度食べて二度とも腹をくだした。
    家族はみんな平気なのにオレだけだった。

    なにも「K」のせいではなく
    オレの胃腸と鶏肉の脂の相性の問題だろう。
    だから、K駅に降りてどんなにいい匂いが鼻腔をくすぐってきても
    Kのノレンをくぐることができない。

    「蕪(かぶ)」...これもまた好きなのに腹を壊すことが多い。
    さっぱりとしてさわやかな味わいとシャリシャリ感が好きな夏野菜なのに子供のころから食べたあとにたいていピーピーになる。

    アタマでは好きで好きで仕方ないのに
    カラダが受け付けないというのはどういうことなんだろう。

    オレは自分のことをあんまり信用していないから
    アタマでまちがった判断をして、そいつを食べようとするが
    カラダは本能からくる防衛本能で断固拒否しているのか。

    「自分のことが信じられない」と嘆く人がたまにいるが、
    そんなのは当たり前だと思う。
    自分というのはまさに自分に都合のいいことばかり考えて行動している。

    それはなにも悪いことじゃなく、
    自分が生存し、生き残るためだから、非常識であってもいいのだ。
    人様に迷惑をかけてはいけないと自身を制御するときに
    葛藤する二つの人格は、たいていの場合、自分に都合よく妥協している。

    まさか、自分がこんなんことをしたり考えたりするなんて、
    と、さもそれが思いもよらないことのように自戒するのも、
    まったく何を言っているんだよこの馬鹿野郎、と思う。

    自分でやったり考えたりしておきながら
    他人事のようにあげつらったり、
    そんなつもりはさらさらなかったと言い訳するなんて、信じられないよ。

    そんなわけであんまり信用のおけないオレの嗜好というのも
    おそらくはいつかどこかできっと人には言えないような
    恥ずかしいことをしでかしていて、
    それがトラウマとかになって、カラダが拒絶してるのかもしれない。

    好きなのにカラダが受け入れないというのは
    その好き度合いが強すぎるとかなり辛いことになる。
    これまで生きてきて、好きで好きでどうしようもなく、
    身もだえするなんてものが、はたしてあったろうか。

    もし、病気や障害で指が動かなくなって
    大好きなギターが弾けなくなればかなり辛いだろう。
    声が出なくなっても視力が不自由になっても、同様だ。

    しかし、
    五体満足で精神状態も安定しているのに
    好きなことをカラダが拒否する状態は、できればあまり来てほしくない。

    お酒は好きだがすぐ酔う、またはたくさん飲めないという人の場合。
    酒が好きというのはたくさん飲めることで、少ししか飲まないのはあまり好きとはいえない。
    というくくり方は無理がある。

    好きだけどちょびっとでいいという、つましいケースもあるからだ。
    ケーキは大好きだが一個で十分とか、助べえは好きだが不定期でよいとか、
    お金は大好きだが使い切れないので三億円くらいでよいとか、
    ガリガリ君は好きだが歯にしみるので一本でいいとか、
    いう場合だ。

    ところが、
    世の中には「本当に好きならとことんゆくべきだ」という極論に走りたがる自己主張の塊のような人がいて、
    〝好きだけどちょこっと派〟を強く批判したりする。

    いわく、
    その人が本当に好きなら骨まで愛すべきだとか、
    そば好きなら椀子そばは最低三百杯は食すべきだとか、
    ハワイが好きならアロハで出社したりウクレレ漫談を趣味にすべきだとか、
    蜂蜜が好きならヒグマの手をしゃぶるべきだとか、いう難題をふっかけてくる輩だ。

    そういう極端な性格の人は「中庸」という言葉を調べてみるといい。
    「不足もなく、余分なこともなく、ちょうど適当なバランスを持つ」
    ...そういう、ある意味、優等生的などっちつかずの箴言が、
    あなたを生殺しの状態に立ち返らせて、ふにゃふにゃにしてくれるだろう。

    甘いのか辛いのかわからないカレーや、
    イケメンのようでいて一部分がひどくゆがんでいるブ男、
    あと少しで風邪を引きそうなのにすれすれ元気な状態とか、
    単なる縮れ毛なのか○ン毛なのか見分けのつかないオケケや、
    庭の草が芝生なのか雑草なのか微妙な種類の植物なども、
    「中庸」状態に当てはまるだろう。

    結局、
    どっちつかずであっちでペコペコ、こっちでヘコヘコ、
    東へ行けと言われたら南東に向かい、
    山に登れと言われたら公園の砂山で遊ぶ、
    不細工な美女よりはそこそこのオカマで我慢する。
    それが孔子の教えに従うことかもしれない。
    (違うか?)

    好きだけどカラダが受け付けない場合の最適な対処法は
    それを視界の外に置いてぜったいに見ないようにすることだ。

    クルマで田舎道を走っていてどうしても目につく例の○ロビデオ販売小屋。
    目の前で屈んだ○乳女子の胸元。
    薬屋の商品棚で特売になっている○ン○ームの箱。

    そういう好きなんだけど買ったり見たり取ったりしてはいけないものは
    可能な限り見ないようにするのだ。
    目は口ほどに物を言うから、見ないようにしさえすれば、
    口だけでは何もできなくなる。

    いやらしい目つき、とはオレが人から良く言われるセリフだが
    さすがに、いやらしい口元とは指摘れることはない。

    ぼってりとした肉厚のアヒル口はいやらしいが
    幸いにオレは肉厚でもなければアヒルでもない。
    ただし、閉じていればいやらしくないオレの口も
    一旦、開かさると、呪縛のようないやらしさがその場を席巻するらしい。

    日光東照宮のサルのように、
    目も耳も口も塞いでしまえば、好きなのカラダが受け付けないもので
    あれこれ悩むことはなくなるに違いない。

    もしも、K駅前の焼き鳥Kの前の路上で
    目をつむり、口を一文字に閉じて、両手で両耳を覆っている
    初老の禿げ男を見かけたら、それが「オレ」だ。

    それじゃ、また!

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  • from: ☆(⌒杰⌒) AMA-G'ですさん

    2021年02月08日 09時03分44秒

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    わが娘たちに付喪神が宿るまで

    ★弾き語りストです。

    ちっとも音が良くない、鳴らない手持ちのアコギをどうにかして少しでも良くしようと
    あれこれと、細切れの情報をNetで見つけて試してみるが、びっくりするような変化は起こらない。

    餅は餅屋で、リペアのプロに依頼すれば、素人には思いもつかないポイントを的確に修復・改善してくれるらしいが、なんもかんも一式頼んだら、はたしてどれほどの見積もりになるのか。

    リペアの知識に乏しい悲しき素人のアコギ弾きにできるのは、せいぜいがサドル&ナットを取り換えるとか、弦を替えるとか、ブリッジピンをかえるとか、弦の張り方を工夫するとかくらいしか思いつかない。

    いいなと思って手に入れたアコギが思ったよりの腰砕けで
    『なんだかなー』という場合は、♪悲しくて悲しくてとてもやりきれない♪ものだ。

    前職よりも高い給料になることはめったにない転職と似て、入手金額よりも高く転売できるアコギはそんなに多くない。楽器専門の中古ショップならいざしらず、
    そんじょそこらのリサイクルショップなんかだと、たとえ元値が10万くらいのものでも、容赦なく二束三文に買い叩かれるのがオチだ。

    性格はいいんだが、いかんせん顔に愛嬌がない女と、我がままで好き嫌いが激しい美人と同時に付き合っていたとしたら、どうしたって後者とのデート回数が増えるでしょ、アナタだって。ワタシもおんなじです。

    いま家には25人の娘がいて、年増から女子高生まで年齢もさまざま。
    ジャンボからスリムまでBodyTypeもいろいろ。生まれも日本・韓国・米国・インドネシア・チェコ・中国・カナダ・北アイルランドと世界各地。
    言わずもがなだけど、「アコギ」のことです......。

    弾かないことには決していい音に育つことはないのがアコギだ、と聞かされているから、できるだけ万遍なく弾きまわしてやろうと思う。たとえ一本あたりが一時間くらいしか弾けなくても毎回必ず鳴らしてやりたいと思う。

    手間のかけ方に比例して良くなるのは、なにもヌカみそや料理だけではない。
    天然物由来のアコギも日々いじってやらないことには、この世に生まれてきた甲斐がないだろう。

    景気が悪くなると真っ先に削られる宣伝・広告費のように
    アコギをいじる時間を確保しようとしたら削れる時間枠は限られる。

    夜明けが早いことを利用して早起きしてアコギをいじる。家事手伝いを効率よく集中して済ませてアコギをいじる。(昔なら)残業を部下に押し付けて早く帰り夜な夜なアコギをいじる。
    晩酌を半分にして眠気を抑えて、ベッドに入る前にアコギをいじる。せいぜいそんなとこか...。

    時間の使い方の上手・下手は、結局やりたいことにどれだけ集中してできるかだ。好きなことに集中できたあとの満足感が大きいのは人間がもともと夢中になることが好きな生き物だからか。

    嫌なことをいやいやながらだらだらと続ける生き地獄は拷問だ。精密機械でありながら意外な脆さから機能不全に陥る。半世紀以上も機能し続けて、たいしてメンテナンスも受けていない肉袋マシーンは意識的に楽しいことを考えることで致命的な機能不全に至らずにここまで来た。

    当たり外れのある工業製品のように肉袋マシーンも個体差が激しい。ストレスに効果的な自己補修機能が発揮できる個体とわずかな外圧にも神経質に過剰反応して自分で自分をダメにしてしまうタイプがいる。

    いわゆる〝遊び〟を持たないタイプ。遊びのないハンドルだから、わずかな動きにも大ぶれする。カリカリ、オタオタ、ビクビク、ピリピリ...なにをそんなに大げさに、と思うほどの過剰な反応。

    遊びがありすぎ、もまた路肩に突っ込む悪たれ小僧になるが適度なゆとりが心を平静に保つことは
    「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん(梁塵秘抄)」と謡われた、平安の古より、この国の肉袋マシーンが自戒を込めて言い続けてきたこと。

    閑話休題...、
    鳴らないアコギをちょこちょこといじくって、昨日よりなんだが良くなってきたねと語りかけるとなんだか嬉しくなってくる。

    楽器...とくにアコギのように抱きかかえ系のものはその鳴りが身体に直接響くから、一体感が強く、肉袋マシーンとの共鳴が共感を生み出す。

    日本に古くからある付喪神(つくもがみ=九十九神)の信仰は長く健全に生きたものに霊魂の宿りを見るねのだが、それはそのもとわれわれ肉袋マシーンとの心的交流が生み出すものだろう。

    いくら古く長い時代を生きたものであっても、手から手へと流浪の流転を強いられたものよりは同一コンビで果てるまで一緒の組み合わせの方が宿る魂は清純であろう。

    それぞれの出生のエピソードを小脇に嫁してきたわが娘たちよ。わが体温を感じつつ身悶えながらも良き声で今日も唄っておくれ。

    それじゃ、また!

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  • from: ☆(⌒杰⌒) AMA-G'ですさん

    2021年02月05日 09時06分39秒

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    【もしも明日の朝、目が覚めないとしたらどうします?】

    ★弾き語りストです。

    一クラス24人。それがそのまま六年生まで持ち上がる。木造・下目張りの板壁に赤いトタン屋根。
    それがボクの小学校だった。

    一年から六年まで毎年、担任は替わったが
    クラスはまったく同じ顔ぶれで卒業まで一緒。
    なんせ一学年が一クラスしかない田舎の学校。

    一年から四年までは二階建ての校舎で学び、
    高学年は平屋の校舎に移った。
    グラウンドは狭く、直線で80メートルしかなく
    両サイドを川に挟まれていたので
    ソフトボールもサッカーボールもよく流されてしまった。

    義姉が病気で亡くなり、長兄とともに故郷にやってきた甥もボクの母校に転校したが,ボクの時の校舎ではなく、ほんの少し場所を移して新築したきれいな鉄骨造りだった。

    甥は地元の教育大学を卒業後、
    臨時教員を経て三年目でようやく念願の正教職に就いた。
    兄はその姿を見届けるようにして、長い闘病生活のはてに黄泉の国に旅立った。

    兄はいま、自分の妻と母と同じ、
    村の高台にある墓地に眠り、四季折々の霊峰の姿を眺めては、実家に暮らす親父と息子のことを生前と変わらず心配していることだろう。

    小学校時代、
    24人の同級生の中にもすでにこの世にいない者もいる。

    キャンプに行き、湖で何物かに足を引きずり込まれ浮かんでこなかった者、霊峰登山の途中、大きな落石に頭を打たれた者、
    雨傘を広げて木から飛び降りてそのまま目を覚まさなかった者、
    秀才だったのに会社勤めの心労から自ら命を絶っ者...。

    その一方で、
    村で初めて東大に進んだ者、
    児童会長や生徒会長をやり、
    大人になって市議から市長に当選した者、
    町工場を起こして、いまでは地方でも有数のメーカーにまで大きくさせた者、アメリカにホームステイし寄宿の大農場に婿入りした者。

    人はよくこんなことを言う。
    平凡でもいいから、
    ささやかな幸せを感じながら長生きしたい...と。

    あの世の存在も黄泉がえりの事実も、信じようが信じまいが全人類に等しく訪れる「死」という人生の果てに向かって人に与えられた寿命という時計は、一秒たりとも脈飛びすることなく刻まれてゆく。

    小1でオール5を取ったきり、
    その後、秀才とも天才とも呼ばれなかった。
    絵画展での入賞は一度きり、書道展でも亡母の手本を上からなぞったのが入選したきり。

    生徒会ではわき役の幹事、大学も補欠募集で合格、学生寮でも副寮長どまり。
    宝くじが当たるわけでもなく、大金を拾うわけでもなく、三階級特進で出世するわけでもなく、持ち重りのするほどのボーナスを手にすることもなく、ただただ、淡々とこの歳まで来てしまった。

    そんな人はこの世に掃いて捨てるほどいるだろう。
    あの世に逝った者たちを除いて
    六年間をともに過ごした同級生たちははたしていまどこでどうしているのか。

    同窓会・同級会の類に一切参加してこなかったボクだって、もしもいま住むこの町で、かつての同級生とばったりわしたとしたら、
    互いにそれとはわかるだろうか。

    保育園から一緒にスタートしてはや半世紀。
    弱肉強食のレースなどではなかったボクたちの人生行路。いまこのとき、住む場所は違えど
    ちゃんと生きている者たちははたして何人?

    人の一生などこの超大な宇宙の営みに比べれば
    蚤の屁ほどの動きでしかなく
    そのスカ屁以下のどたばたを嬉しくも悲しくもさせるのはやはり、ボクという肉袋の心持ちしだいなのだろう。
    野辺にひっそり咲いたヒナギクを美しいと思いながら生きるのか。

    ホテルのロビーの豪華な装花こそが
    見るに値するものだとほざくのか、
    ボクの心の置き所ひとつで、胸に流れる"何か"の濃度が変わる。

    夏になれば、昼間の暑さの中で、その夜飲む酒を夢想している。
    televisionのCMでN瀬という濃い顔の長身スターが、
    トマトをつまみにビールを飲んでいる。
    トマトでビールは飲めないだろう...カミさんと一緒につっこむボク。

    というよりA社のビールなんて絶対飲まないからどうでもいいが。

    人の嗜好は好き好き。
    刺身でビールを飲んでもいいし、
    お好み焼きおかずに白米食べても構わない。
    牡丹餅つまみにビールってのもアリ。
    給食始まりは小2から。

    いつもお替りしていた優良児。
    もちろん脱脂粉乳だっていつも3杯。
    同世代であの頃の給食をくさす人いるけど
    ボクなんて夢のようだったよ。

    毎日毎日変わる献立や(一応は)食べ飲み放題だし。
    コッベがまずいの粉乳が苦手なのと
    よくもまあ贅沢が言えたものだ。
    たまの弁当持参は薪ストーブの上に一斗缶をおいてその中にアルマイト弁当箱。

    ストーブ当番は焚き付け持参で早出する。
    火付けのコツは学校でも、家の五右衛門風呂でも学んだね。薪割上手な子供だったのだ。

    遠足の日に、なぜだか行きたくなくなって、
    ボクだけずる休みして、家の庭で風呂の薪割していた。
    遠足のオムスビ。梅干しが嫌で、お袋にたのんだオリジナル。

    甘いいり卵と焼肉の具は、さすがに当時は異端視されて
    珍しがられましたよ。

    定番ははずせないな、と考えることと
    奇をてらっていつも冒険する人と、
    どちらが豊かな人生かな。

    夜、眠りにつく前に、突然に襲われる死の恐怖。
    死ぬことの恐ろしさは、我が存在がこの世から消えてなくなること。どこにも逃げ道のない強大な喪失感。

    肉体はおろか一切の記憶も思考も感情もすべてがご破算の真っ白け。ボク一人がいなくなっても
    まちがいなく世界は明日もまた同じ朝を迎えている。
    不帰の人に涙する知り人たちも、夜には安らかな眠りを貪る。

    そんなことを百も承知で、
    誰しも昼間は平気の平左で時を送るのだ。
    明日にはもう飲めないと思いつつ飲めば
    第三のビールも値千金のプレモルの味わい。

    明日にはもう口をきくこともできないと思いつつ
    妻と子供の顔を眺めれば
    くだらない駄洒落でも大切な心の通い帳になる。

    死の恐怖に気が狂わずにいられるのは
    それを考えずに済むような楽しいことがあるからだ。
    「the end」を先送りにして、今目の前にある〝生〟にすがりつきながら恐怖を忘れようとしているのだ。

    だから、夜眠りにつく時は小玉の灯りも点けずに真っ暗闇にするのがいい。

    光があれば脳みそは働いてしまう。
    あれやこれやの不安や、その果てのドンづまりのラストシーンまでよからぬことばかりが心をよぎる。

    夜、酒を飲み、ギターをつま弾いて、ぎりぎりもうダメだというところまで起きていて、睡魔にカラダが抗えなくなったなら、すぐさまベッドに入るがいい。ストンと眠りの国に落ち込んで、
    生きながらえたのかどうかは朝までわからぬ。

    それがもっともいい方法かもしれない。

    それでは、また♪(*'-^)-☆

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  • from: ☆(⌒杰⌒) AMA-G'ですさん

    2021年02月04日 08時56分58秒

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    【出会いがしらに見つけたフォークギター譜は掘り出しもん】

    ★弾き語りストです。

    まだまだ奥が深い「70年代フォーク」の世界。
    知らない曲も聞いたことのない曲も、それこそ無尽蔵の玉手箱。
    ライブ向けに新ネタを探す日々。

    古書店やNetオークションで見つけた弾き語りギター譜。
    写真付きで中身が確認できればこれ幸い。
    未確認の見切り発車、青田買いでの失敗も多々あり。

    どの世界にもマニアあり。
    ノーマル市民の人知の及ばぬディープでコアな餌に食いつくピラニア軍団。
    それがマニアというものよ。

    こんなの誰も見向きもしない猫またぎと高をくくっていると
    するりとトンビにさらわれる。
    どこからか刺客の抜き手の匕首が胸を突く抜くかもしれずに
    思わず疑心暗鬼で、恐る恐る入札ボタンをEnter「ポン!」

    それがnet社会の恐ろしさ。
    上手く使えば便利この上なし。
    下手にはまれば粘つく蜘蛛の糸にからめ捕られて身動きできない。
    時たま出くわす「掘り出し物」。

    しかも競札者の影のもないノーマーク状態。
    凪に漕ぎ出す笹舟のごとく、抜き足差し足で入札締め切りまでたどり着いたら、
    雨には降られずに、幸運の王冠を手に入れる。

    そんなこんなの苦労の末に、
    最近また、いろいろと手に入れたわけで、
    ホコリ臭いのやら黄ばんだのやらあるわけで、
    それでも前の持ち主がお前は不要と見捨てたものを
    それこそ珠玉のお宝と価値を見出して、納屋や押し入れの苦界から
    救い出したなら、こりゃとことんしゃぶりつくぜよ、と舌なめずりするわけで。

    S市医大前の古書店より大枚はたいて救いせし
    「西岡たかし作品集」。
    浪速生まれのフォークのシンガーソングライターまたは詩人。

    彼が結成したグループの歌を、以前より我あまり好まず。
    美しいメロディ、ち密なハーモニー、技ありのサウンド。
    そこになにやら我の嗜好とは不一致の匂い(カレッジ・フォークの残臭)したり。
    なのにアナタはギター譜を求めたの?
    「希少性」...その一語。

    食わず嫌いも、試しに口に含めば甘露の味するかも、の淡い期待ゆえ。
    Netオークションよりゲットせしめし「グレープ全曲集」。
    「さだ」のあまりに強い世界観と小技ひしめくギターテクの前に屈し、
    ソロの「さだ」を弾くのはあきらめ、サジを投げた。

    ならば、グレープ時代のものならどうなのと、
    低価格・良好状態のオークション品に釣られて一発で落としましたのよ。
    「さだ色」強い有名曲よりは、
    未知のグレープの味を探すのが目的。

    さして使用感のない譜面を、我が爪痕を刻みつつ、
    レーズンに変わるまで味わい続けたい。
    初期の吉田拓郎...いわゆる平仮名時代の
    「よしだたくろう」のころの弾き語りギター譜。
    開けば馥郁(ふくいく)と香る押し入れフレーバー。

    納戸臭も仏壇臭も懐かしい世代ですけん、
    この黄ばみも使用感も時代感も、我が大脳皮質をがしがし言わせるぜ。
    「たくろう」70年代中盤までの曲はたいてい亡兄の部屋のレコードから。
    坊主頭の中坊に、たくろうの声もハモニカもシャベリも
    すべて刺激が強すぎた、まるで小瓶のコーラ一気飲みのごとく、キク〜!

    我が国、シンガーソングライターの草分け、
    フォークブームの立役者、新しき音楽道のパイオニア。
    日本でいちばん「アコギ弾きのファン」が多いのが、この人なのではないか。
    懐かしさというよりは、記憶のドアを開けて中の景色を確かめる。

    ずっとアコギとフォークを道連れにしてきて、
    ふと傍らの小川に棹差して、一緒に流れてきたそいつを引き上げた。
    と、そんな感じか。

    もひとつ、
    これはめったに出ないだろうっていう奴。
    いや、同じようなこと言って偽物に手を出す骨董好きのおやぢみたいで気が引けるが、いやホント、
    そんなにでないんじゃない、というもの。

    掲載曲38曲。
    そんなに多くないね。普通は、掲載百曲以上で「お買い得」のハンコが付く。
    中身が肝心要のキモなのよ。
    ノーマルギター譜でなく新たなアレンジしてのもの。

    アレンジ担当がすごい。
    若いころの「中川イサト」や「村上律」だもの。
    掲載シンガーソングライターは
    よしだたくろうをはじめ、泉谷しげる・ケメ・加川 良・岩井宏・友部正人・
    西岡たかしなんてのがズラリ。

    しかも、
    有名曲よりはその筋の人好みの選曲もまたレア感たっぷり。
    「フォーク集...なんたら」の選曲どれも似たりよったり。
    いざ探そうとすれば、不完全・不自然・無理無理のテキトーな
    譜面ばかりで箸にも棒にもかからない。

    その点、入手したるギター譜は、
    レコードコピーと違うオリジナルアレンジにての編集が光る。
    アコギ弾きの腕が鳴る(何言ってんだか、エラソー)。
    というよりなんしか早く練習してみたいのココロなのだ。

    それじゃ、また!♪(*'-^

    #エラソーに70年代吉田拓郎さだまさし村上律西岡たかし五つの赤い風船中川イサト

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  • from: ☆(⌒杰⌒) AMA-G'ですさん

    2021年02月03日 09時05分25秒

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    【コピー・カバーの弾き語り、お楽しみ倍増中!】

    【コピー・カバーの弾き語り、お楽しみ倍増中!】

    ★弾き語りストです。

    自分には「オリジナル曲」を創作する能力がないので
    いわゆるシンガーソングライターの人たちを、
    素直にすごいなぁと思う。
    でも、もし自分に創作能力があったとしても
    自分で作った歌を弾き語りたいとは、ちっとも、思わない。

    多作のシンガーソングライターがすごいと思うのは
    たしかにある種の「ワンパターン」傾向はありつつ
    野球のバッターの打率よりもずっと高い割合で
    「名曲・佳曲」を量産していることだ。

    自作を発表したいというような人は
    体裁の良いことを言えば「内なる欲求のどうしようもない発露」
    がその動機になっているのだろうが、
    身もふたもなく言えば、単なる「自意識過剰」にほかならない。

    誰も聞いてくれないと分かっていても
    自作曲を発表したい人はあまりいないだろう。
    少なくとも、オレあるいはアタシの作った楽曲を
    「イイ~っ」と感じてくれる人が絶対いると、と信じて
    恥ずかしげもなく公表しているわけだから。

    しかし、
    多くの人が素晴らしいと評価するような
    シンガーソングライターはその過剰な自意識が
    ナルシストに陥らず、きっちりエンターテインメント性を
    発揮していることだ。

    聴く者の共感を得られないような
    日記・私小説のたぐいのオリジナル曲は
    プロ・アマ問わず発表すべきではない。

    誰が、個人の日記を無理やり見せられて
    感動するだろうか。

    そりゃあ、有名作家やスキャンダラスな話題満載の人の
    日記なら、別の動機からぜひ見たいとは思うが、
    オリジナルであることを、なんだかとんでもなく
    素晴らしいことのように、コピーやカバーよりは
    断然オリジナルだよ、と主張するようなシンガーソングライターは
    公のステージから降りて、どこかの河原で流れ石と川魚相手に
    ワンマンショーでもやっていてもらいたい。

    素晴らしいさまざまなシンガーソングライターの曲を
    カバーで弾き語りしていて、いいなと思うことを5つほど。

    【いいことその1】→自分ならけっして思いつかないようなメロディラインを歌うことで、歌の世界が広がる。
    ※それぞれの人独特のメロディラインで歌えば(自作の)ワンパターンに陥ることなくバリエーション豊かな歌の世界に浸れる。

    【いいことその2】→自分の知らないコードが覚えられる。
    ※弾き語り譜などで示されるギターコード譜には、初めて見るものやけっこう難しいフォームもあり、自作なら考えもつかないコードがとても勉強になる。

    【いいことその3】→男唄・女唄・オネエ唄...性を超えた楽曲に出会える。
    ※そうそう簡単に異性の心情を歌に込められるわけがない。カバー曲ならそれぞれの性の心持を弾き語りでなぞることができる。

    【いいことその4】→聴く人はオリジナルのシンガーソングライターの先入観で聞いてくれる。
    ※多少の下手さかげんも、聞き手にはオリジナルシンガーのイメージが予めインプットされているので、その分、多少の割引応対で聴いてもらえる。
    もっとも、逆に、ぜんぜん似てないとか、カバーするなんておこがましいとか冷たい視線を浴びることもあるから、心しておかねば。

    【いいことその5】→自分なら恥ずかしくて書けないような歌詞も、他人のカバーならわりかし平気だ。
    ※自作ならぜったい歌えないあんな歌詞こんな歌詞も、借りものなら赤面しないでさらりとやれるから、不思議だ。

    それでもまだ、コピーやカバーはしょせん人まね・物まね。
    オリジナルを創作・発表してこそのミュージシャンだよ、
    という人に向けて反論。

    それほどいうなら、
    オリジナルで、感動打率3割以上を百曲以上こしらえてみてくれ、と。それができるならプロ・アマ問わず
    たいしたシンガーソングライターだと、尊敬・敬服する。

    カバーの弾き語りというのも、けっこう奥が深いもので、
    (さすがに現代はnet検索で可能だとはいえ)楽譜を手に入れても、かならずしもオリジナル音源を耳にすることができるわけでなく、ましてやそのシンガーソングライターの顔すらも分からないことが多い。

    テンポやリズムや歌い方なんかは、楽譜を頼りに何度か弾き語りするうちに、なんとなくこんなんかな〜という形ができてくるが、
    たまにばったりオリジナルを聴く機会があって、自分のとの
    ギャップに驚くこともしばしばだ。

    そうなると、
    カバーとはいえ、自己流アレンジというか自己流の解釈が施されるので気に入った曲を歌いこんでゆくと、
    いつのまにやら「自分のもの」になったと勘違いしたくもなる。

    世間には、
    オリジナルよりもコピーの方が格段にいいっ!という場合もある。

    庇を貸して母屋を盗られる、恋人を友達に紹介したら寝取られる、
    貸したままになってた本がnetオークションに出品されていた、
    他言無用の噂話に尾ひれはひれがついて世間に出回っていた...のように、コピーした側がオリジナルを凌駕して、いつのまにやらコピーが本物になるケースもある。
    (例えが的外れか?)

    借家に住んでいても、借用年数を重ねれば、居住権というものが発生し、大家といえども無理やりに店子を追い出すことはできないと聞いた。

    この手でいけば、
    オリジナルのシンガーソングライターの歌をカバーした者が
    ものの見事にオリジナルを超越してしまえば、
    オリジナルがいくら
    「それは俺の歌だから勝手に自分のものにすんなよ」と
    抗弁しようとしても、もうすっかり自分のもの(モノ)にすれば
    コピーもオリジナルであると主張できるんじゃないか?

    と、
    なんだか著作権も特許も知ったことじゃないと平気でコピーパクリまくりのどこかの国みたいになってしまい、それはかなわない、そこまで面の皮を厚くしてしまったんじゃ音楽を心底愛するものとして致命的な汚点を残してしまうとばかりに、やはりカバーはカバーの領分をしっかりと守って、オリジナルに敬意を持ちつつ、さりげなく自分の個性をちりばめる方がよろしいようだ。

    物まねの世界でも、
    単にトラの威を借りて口に糊している芸人と
    「コロッケ」のように、もはや物まねの域を超越して
    独自の解釈とたゆまぬ精進により、
    新たなコロッケワールドを完成させている人もいる。

    歌の場合は、
    アレンジしすぎたり、変な歌唱法で原曲を損ねてしまうのは
    逆効果なので、オリジナルを尊重しつつ、自分なりの解釈をどう嫌味なく表現するかが重要だろう。

    結論...。
    自分と身内だけが相手なら無感動オリジナルをしこしこと。
    不特定多数に向けて発信するなら三割以上の打者のみ出場すべし。
    そして私は一生、人のふんどしで相撲を取り続けることだろう。

    それじゃ、また

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  • from: ☆(⌒杰⌒) AMA-G'ですさん

    2021年02月03日 08時52分08秒

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    だよねーー。

    書いてる本人がそう思う。

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  • from: kuniさん

    2021年02月02日 09時32分38秒

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    年寄りには長すぎる!
    おもしろいけどね。

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