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  • from: ☆(⌒杰⌒) AMA-G'ですさん

    2010年04月01日 18時06分41秒

    icon

    〈さだまさし〉という男の歌とアコギをめぐる雑感めいたもの



    独自の音楽観あってのプロの世界、ワシらアマチュアはどう挑むべきか!?
    ★(⌒杰⌒) AMA-G'です


    今シーズンライブ用に練習している弾き語り曲の一つに
    〈さだまさし〉モノがある。
    改めて、さだの弾き語りを練習して思うことは
    〝さだ まさし〟の弾き語りは、難しい!ということだ。
    ※Pho.→Amazonより引用しました。

    You Tubeなどでは
    彼の弾き語りを上手にする人は沢山いるので
    〝さだの弾き語り→難しい〟というのは
    ワシの個人的感想かもしれないが、
    実際にやってみたら、「ホンマ、むずいで」(下手な関西弁…)

    まだ数曲しか練習してないが
    さだのアコギ伴奏は、とても透明感のある、
    いかにもアコギらしい音づくりが特徴だ。

    単純なコードネームのものを弾けばよいのではなく
    ベースになるコードにプラスαの音を加えて
    弦同士が絶妙に響きあうアレンジをしてあるように思う。

    それだけに、
    やや難度が上がり、簡単には覚えられない。

    そこへ来て、皆さんも知っての通り
    歌詞が例の、語り口調というか
    エッセイ、日記、物語のような
    ぶつぶつとつぶやくような言葉がつづくものだから
    なかなか、さだのようには
    歌詞とアコギを合わせて弾き語ることはできない。

    吉田拓郎をはじめ
    70年代フォークの曲の歌詞の特徴の一つに
    〝一小節にたくさん詰め込まれた言葉の羅列〟というのがある。

    字余りを通り越して、
    早口ことばのように、一小節に〝だらららららーーーー〟
    と歌詞を詰め込む、アレである。

    さだの場合は、
    同じ、「歌詞詰め込み型」でも
    同音で続くのではなく、音程が微妙に上下するから
    よけいに音がとりにくい。

    まるで、
    寝物語に彼女の耳元で
    節を付けた昔語りをしているようなものだ。

    「親父の一番長い日」や「雨宿り」あるいは「極光(オーロラ)」とか
    「フレディもしくは三教街」などを聴いてみればわかりやすいが、
    歌詞というよりは、ゆるやかなメロディにのせて
    小説を朗読しているかのようだ。

    ま、
    それがさだまさしの特徴なんだが、
    いま、ワシは、彼の弾き語りを練習しながら
    どうやれば、さだのあのイメージではなく
    自分のものとして、歌い変えたらいいか、悩んでいる。

    どうしたって、
    さだの歌は、さだでしか出せないイメージの世界なのだ。
    ちょっとばかし歌とアコギがうまい人が、さだの歌を唄ってみても
    あの、さだのねっとり、じわじわの歌いの下手な猿まねにしかならない。

    かつて、
    ワシがほんの二、三曲を除いて
    彼の歌が好きになれなかったのが
    まさにこんな、彼の特徴ゆえ。

    しかし、
    さだのギタープレイの一端はなんとか習いたいと思っている。
    さだのギターにはかの、John Denverの影響があるように思う。
    開放弦と押弦の組合せによるハーモニーといおうか…

    さだのファンの多くは、中島みゆきに対するのと同様のニュアンスで
    さだやみゆきでしか表現できない、歌と歌詞の世界に
    惚れ込んでいるのだと思う。

    それは、彼らに限ったことではなく、
    松山千春だって井上陽水だって吉田拓郎だって
    それぞれが独自の世界を持っている。

    そうした、彼らの音楽的世界観を
    アマチュアがカバーして歌うときは
    下手に物真似をしないほうがいいんじゃないだろうか。

    しっかりとカバーなりコピーをした上に、
    自分なりの解釈と表現の仕方で
    オリジナルの音楽を再構築すべきなんじないかと…。

    さだの場合、
    そのためには、あの歌詞を完全に覚え込まねばならない。
    楽譜を見ながら歌詞の文字を追っかけているだけでは
    とてもじゃないが、〝おかず〟の多いアコギの伴奏まで
    (ほんとの意味で)〝手が回らない〟σ(^◇^;)

    さだの女性ファンなどは「そこがイイ」というであろう
    女性的で情緒的で上品ぶった歌詞は、
    自分のようながさつな人間には、どうも尻がむずがゆくて仕方がない。

    さだだから、なんのてらいもなく歌えるようなもので
    まったく似合わないキャラ(事実、そういうタイプの人の
    動画もあって、あれは顔見せぜったいNGだ)の人間には
    かなり勇気が必要だ。

    そんなこといいながら、
    彼のギタープレイには関心があるものだから
    半ば、食わず嫌い状態で練習をしている。

    さだの歌の中には
    それほど尻がむずがゆくならずに歌えるものもある。
    「案山子」などはそのいい例で
    自分で弾き語りながら、自分の子供や
    自分が故郷を出てきた頃のことを思って
    胸が熱くなって、つと涙ぐみそうにさえなる。

    歌は人を感動させるものだが
    いかにも〝お涙頂戴〟的な歌詞は
    ある意味卑怯だ。

    今、〈○イレの○様〉という歌が流行っていて
    周囲でも〝あれは感動するわ〟と評する人がいるが
    ワシはちっともそうは思わない。

    人の死や別れをテーマにして
    それを歌詞に盛り込むことで
    感動を呼び込もうとするのは安易だ。
    そこにプロの手並みはない。

    いかに直截な言葉を使わずに
    歌詞の行間とメロディが醸し出す歌の世界の表現によって
    聴く者に最終的な感動を呼び起こさせるようなものこそが
    「佳曲」というのにふさわしいのではないか。

    十分間の長い歌ではあるが
    「そんなに必要か?」
    3分半くらいに納めても十分ではないか、と
    突っ込まずにはいられない。

    そういう意味では
    さだまさしの歌はじわじわと効いてくるボディブロー、
    豆炭アンカの低温ヤケドのごとく
    人々の感動をゆっくり醸成してくれる、名品が多いともいえる。

    ================================

    kuniさん→とても久しぶりだね。
    日々、忙しいでしょ。
    たまには書きこんでね。

    新加入の皆さんも
    ぜひ、お手すきの時には
    書き込みください。

    ま、
    ワシは相変わらず暇を見つけて
    あーじゃ、こーじゃと、ロクでもないこと書いとりますが…。

    kuniさんの書き込みにあった
    〈Martin Tallstrom〉→You Tubeでさっそく
    聴いてみましたよ。
    情緒感たっぷりの演奏と深い響きのギターだね。

    ボディを叩いた振動で響かせるあの奏法も
    面白いね。残響の良く残るアコギだからか。
    手前のマイクも性能がいいのだろう。

    動画では録音するマイク次第で
    けっこう音が違うから、
    本当にそのアコギの音を聞こうとしたら
    きちんとセッティングした人のものを
    見るのがよいよね。

    じゃ、また来週!

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from: kieros2005さん

2010年04月09日 15時36分16秒

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「Re:〈さだまさし〉という男の歌とアコギをめぐる雑感めいたもの」
kierosと申します。はじめて書き込みしますが、よろしくお願いします。さだまさしの話が出たのでついでに。

> ワシがほんの二、三曲を除いて
> 彼の歌が好きになれなかったのが
> まさにこんな、彼の特徴ゆえ。

さだの歌は、あたしはいまだに苦手です。でも「秋桜」なんかは秀逸だと思う。

>
> さだの女性ファンなどは「そこがイイ」というであろう
> 女性的で情緒的で上品ぶった歌詞は、
> 自分のようながさつな人間には、どうも尻がむずがゆくて仕方がない。

上品ぶったというより、マーケティングの匂いがする。こうすれば若い女性が喜びそうだ、という綿密な計算が見える。
アタシには「関白宣言」や「雨宿り」をヤナヤツと思ってしまい聴きたくない。男のくせに女みたいな声出して、そのくせ男ならこういうせりふで女を喜ばせる、という手練手管があって、横目で反応を見ているような男、というややこしい人物に見える。しかもプロデューサー目線をもっているから、ターゲットははずさない。
プロはみんなヒットを狙っているから、受け狙いであることは不思議ではないけれどね。

> 歌は人を感動させるものだが
> いかにも〝お涙頂戴〟的な歌詞は
> ある意味卑怯だ。

まったくそのとおりです。しかし盛り場演歌などの歌詞はまったく毎度おなじみのパターンですが、みんなわかっていても安心があるのか、喜んで聴いているよね。
アタシもそうだけどさ。こういうメロディーだと次はこうくるな、と予測どおりに進行すると安心して聴ける。マンネリですけど。

星野哲郎は愛だの恋だのといういうせりふを使わなかった。その後、シンガーソングライターはそれこそ大安売りみたいに使うものだからすっかり色あせてしまい、言葉にエロチシズムがなくなってしまった。ションベン臭いガキまで愛だの恋だの使いやがる。

あらら、いやだね、年寄りは愚痴が多くて。

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