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  • from: ☆(⌒杰⌒) AMA-G'ですさん

    2010年06月25日 18時43分35秒

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    アコギのまつわる思い出エトセトラ


    母校で唄った〈ザ・ナターシャ・セブン〉…。
    ★(⌒杰⌒) AMA-G'です

    アコギがらみの想い出はいくつもある。

    その一つ。
    母校での教育実習での話。

    まだあの伝説の就活情報誌「○クルートプック」
    も創刊されていない時代。
    卒業後の進路を決める就職活動は情報不足でままならぬ。
    学校の研究室に残るか、学校職員募集に応募するかと悩みつつ
    せめて資格の一つもと、教職課程を選択した。

    教育実習先は原則、自分の出身中学校だ。
    山あいの田舎町の実家に帰省して、
    昔、通った母校に3週間の実習に出た。

    担当教科は社会。
    当時教わった教師がまだ在籍していた。
    自分と同じように実習に来ていた同級生達とともに
    実習計画を立て、にわか教師の日々だった。

    成人した自分の目に
    後輩である中学生達は幼さの中にも
    美形に育つ要素を備えた女生徒や
    かつての自分たちと鏡写しのような道化者の男子達。

    学園ドラマが流行っていた時代背景のせいか
    教壇に立ち、板書などしつつ、クラスの生徒たちに接すれば
    勘違いもはなはだしい教師願望がムクムクと。

    当時でも教育学部以外で教職課程を取る学生の多くは
    本気で教師になろうなんて考えてはいなかった。
    教員免許でももっておけば、
    いつかなんかの時に役立つだろうくらいの
    安易な動機で教職過程を履修していた。

    いまの時代なら無試験でもいいと言われても
    学校の先生になんてなりたくないだろう。
    それほど、現在の学校と教師を取り巻く環境は厳しく、
    教師になることは青臭い理想論では太刀打ちできないくらいしんどいものになっている。

    それはともかく、
    ワシの教育実習最終日、
    まるでTVドラマのように、生徒らによる自分のための
    送る会が開かれて、実家からアコギを持参して
    ワシは女子実習生とともに歌を披露した。

    まさしく、そのアコギは
    かつての中坊時代、初めて手に入れた自分のアコギだった。
    当時のアコギはレコード店で売られていたが
    貯めた小遣いで吊しのガットギターを手に入れたのだ。

    その送られる会で歌ったのが
    「私を待つ人がいる(高石ともやとザ・ナターシャ・セブン)」だ。

    ウエストコーストミュージックやブルーグラスを識り始めて
    その延長で高石ともやとザ・ナターシャ・セブンを聴き
    その翻訳ブルーグラスソングを良く唄っていた。

    ♪いつの世も 人は海へ山へと 旅に出かけるけど…♪

    アメリカ民謡の原曲「There's Someone Waiting For You」
    高石ともやは実に上手に意訳してみせた。

    生まれ故郷の夏は蒸し暑く
    子供達に囲まれて、ワシは汗だくになりながら
    その歌を弾き語りしていた。

    実習終了の打ち上げで
    同じ実習仲間の昔の同級生たちと心地良く酔いながら
    〝故郷で教師になるのもいいかも…〟などと
    身の程知らずの甘い感傷と夢想に浸っていたものだ。

    思えば、あれは思春期の観客を前にした
    ワシのミニライブであったのだな。

    一緒に唄ってくれた同級生は
    ぽっちゃり系の可愛い娘。
    私大文系志望のワシらのクラスの隣組にいた
    国立理系の秀才だった。

    数年後に同じ教育実習先で出会って
    同じクラスを担当して
    送別会でデュエットするなんて…
    もぉー、これはドラマによくあるシチュエーションやろう(>y<;)

    打ち上げで実習を振り返りながら
    酔った頭で心が通い合えば
    昔はなんとも思わなかった彼女が
    やけにキレイに見える。

    〝惚れてまうやろーーーーー…>_<…〟

    とかなんとかのロマンスが
    現実にあるわけではなく
    汗だくのライブの疲労に酒がよく利いて
    二次会にでず、ひとり淋しく実家に帰ったワシであった。

    不純な動機のワシに
    担当教官であったかつての恩師は
    資格のためだけに母校にやってきたことを指摘して
    『本当に教師になる気がないなら実習などに来るな!』
    と、厳しい言葉を投げつけた。

    そのきつい教えの通り
    ワシの実習評価は「B」であった。

    恩師の言葉に発奮したわけではないが
    ワシは実際に教職試験を受けた。
    だが、身体的な欠点を指摘され合格には至らなかった。
    (学科も良くなかったけど…)

    (当時の資格名で)「社会科高校2級」と「中学1級」の
    教職員免許状は、転職のたびにただ書き加えられる資格名でしかなく
    教師としての想い出は、あの母校の教室でのライブだけとなった。

    今は遠く離れてしまった故郷でたまに開かれる
    同窓会にも一度も出たことはないワシ。
    あの時のアコギも実家のどこにしまい込まれているのやら。

    中学時代にフォークと出会い、同時にアコギを手に入れた。
    小学校までは〝唄うこと〟をとくに意識した覚えはない。

    ごく幼い頃、田舎道をどこかに向かって歩く亡母の背に負われた弟。
    母は子供のワシの手を引きながら
    ♪アカシアの雨に打たれて…♪と唄っていた。

    母は歌が好きだったに違いない。
    男3人兄弟の中で、ワシほど歌とアコギを趣味にしているものはいない。
    長患いの果てに去年逝ってしまった兄は、アコギを持っていたし
    沢山のレコードも買っていた。

    吉田拓郎もJohn Denverも兄の持っていたレコードで識った。

    弟はドラムを買ったことがあるが
    ものにならずにどこかにやってしまった。

    中学でアコギを手に入れたワシのその後については
    このサークルでも書いたことがある。
    猿まねでオリジナル曲を作り
    放課後の教室に机を並べてステージを造り
    その上でコンサートを開いた。

    高校に進学して、バレー部に入ったワシは
    放送部の先輩から1万5000円で〈YAMAHA FG-240〉
    無理矢理譲り受ける。
    中学以来、約40年にも及ぶ
    ワシのアコギ人生の始まりは、中学時代であった。

    母校の中学で初めて手に入れたアコギを弾きつつ
    後輩たちと美しくなったマドンナとともに唄った
    ザ・ナターシャ・セブン…はワシのアコギにまつわる
    エトセトラを思い出の一つであった。

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