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from: kieros2005さん
2012/10/05 10:02:40
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ワンマンライブのこと
最近の弾き語りライブにて
夏祭りの夕涼み1時間ライブ、2回の敬老会で各70分の昭和歌謡ライブを弾き語りでやった。
ここで気がついたことがある。
15曲ぐらいやるが、戦前のこと、戦争中のこと、戦後のこと、高度成長時代などの歴史を絡めて曲を選曲し、MCでつないでいくと結構ドラマチックになるということだ。
1曲1曲の出来はともかく、あの時代はそうだったねえ、という共感を呼び起こすことに成功しました。
こうなると、演奏がうまいか下手かは余り問題でなくなるのです。
そりゃア、うまいに越したことはないけれど、それより共感の場が生まれるということに意味があります。
ギター仲間のフォークライブでも何人か入れ替わり演奏するときは、ひとり3曲ぐらいに限定されます。これでは持ち歌の紹介に過ぎなくなるし、仲間からのスルドイ視線がギターさばきに集まり、緊張感から結局ミスることになる。
だから音楽内容に共感の場が形成されることもない。実はだれも曲なんて聴いていないからだ。
ギターテクを注目しているのと、楽器や機材の自慢しあい、になることもしばしば。
せめて30分もらえれば6曲ぐらいだからあるストーリー展開が出来るのだが。それもレパートリーがパーツとして豊富になければ構成すら出来ない。
10曲で構成するなら100曲ぐらいの手持ちから選ばないと出来ないのではないか。
そういう意味でワンマンライブはやりがいがあります。
2,3曲だけのライブ出番なら表現としてよりも、審査を受けている気分が強い。そして凄腕のギタープレーヤーがいるんだ、必ずね。
そういうときは劣等感にちょっと傷つきます。
もうひとつ気がついたことに、弾き語りすとは独善的だということです。(注:AMA'-Gさんのことじゃありません。一般論です)
右手・左手・喉・口の4つの要素をひとりで制御して演奏する音楽はひとり完結してます。他人に合わせる必要がない。好き勝手が許される。
コード譜さえあれば楽譜が読めなくてもやれる。合奏の場合の共通語たる楽譜をもたないのです。コード譜に自分しかわからない記号など汚く書き添えている。バンドを組むならこうは行かないだろう。
ギター教室に通ったが、弾き語りは教えてもらえなかった、という人もいますね。それは勝手にやってくださいって言われたらしい。
で、タレルガとか、何とか組曲とかクラシック系の曲を教えられるが、こういうひとはリズム感がまったくなく、ストロークでシャキッとしたリズムが刻めない。弾きながら歌うのも出来ない。歌えばギターがダメ、弾けば歌がダメ、という人が多いのに気がついた。
ギターの弾き語りを教える人はあまりいないのです。特に田舎は。
ピアノ系の人もそうですが、クラシック系で楽譜を読める人は和音理論はしっていますがコードを知りません。あるいは知らないふりをしているだけかもしれませんが、ちょっと軽蔑しているような気配があります。(いわゆるカマトトですな)
和音を記号(コード)としてパターン化して覚えるなど野蛮だとでも言うように。ちゃんと楽譜にかいてあるじゃありませんか!コードなど覚えるものではありません!って叱られそう。
でもギターで弾き語りをしてみたい、あのように出来たらいいな、と思っている人ってけっこういるのですよ。
そういう人に愛の手を、Fで挫折した人に地獄の特訓を!定年後のメタボのおじさんに音楽という人生の喜びを伝えたい。妙齢のご婦人ならなお結構。
そんなわけで地元公民館の館長を説得してギター弾き語り講座を開講することにしました。
楽譜も読めず、音楽理論も知らない私がやるのです。はてさてどうなることやら。
楽譜の読めない人がやるのがギターの弾き語りです。
私の弟子(春のシャンソン&カンツォーネのコンサートの客で翌日拙宅を電撃訪問して、弟子入り希望した人で、クラシックギターの挫折者)
が言うには、「楽譜なんて音痴のための作業指図書です」だってさ。
はあ、そんなもんですかい。
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