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  • from: ☆(⌒杰⌒) AMA-G'ですさん

    2013年04月19日 11時08分33秒

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    【 私が唄うのは、虚空の彼方との対話なのかな 】

    洋モノで、いまでも好きな「三大アーチスト」が、
    〔John Denver〕〔Jim Croce〕〔Gordon Lightfoot〕だ。
    すでに二人は冥府に果て、残る一人も古希に近い。

    シンガーソングライターは、死しても、この世に作品が残る。
    それをなぞって唄うことで(AMA-G'の場合、
    〝唄〟と〝歌〟の字を意図的に書き分けています)、

    その人の生死を問わず、創り手の精神に触れることができる、気がする。

    ファンでもなんでもなく、それまでまったく知らなかった人の歌を、
    楽譜や耳コピを頼りに自分のモノにして唄うことで、
    その人としばし、心が通い合った気にもなる。

    今は〔YouTube〕のような便利なものがあるので、
    映像・音声ともに、古い歌でも原曲にあたることも可能だが、
    できるならばそれを「無し」に、楽譜の中でのみの対話がしたい。

    私と共通のアーチストが好きな、kuniさん。
    70年代前後の楽曲で私と重なるスキな歌がある、kieros2005氏。
    いま現在、私と同じ地域で音楽活動を続けている、k-yanとShimada氏。

    きっと彼らも、自分が唄う楽曲を通して、
    作者と対話をしているのかもしれない。

    彼らが、自分が知らない人の歌を唄い、あるいはまたそのことを語る時、
    彼らは自分よりも多くの歌い手たちとつながっている。

    つい最近読んだ本の中に書いてあったことだ。

    いま、世界に70億人の人間がいるけれど、
    百年後にはほぼ間違いなくそのすべての人間が〝この世にはいない〟...みたいな話。

    考えてみれば当たり前のことだけど、
    改めて思い直してみるとけっこうスゴイことだ。

    今、70億人も人間が、同時代に、現実に生きて存在しているのに、
    百年たったらそのほとんどが確実に死んでいるっていう、まごうことなき現実。

    百年単位で考えると、どえらい規模で消滅を繰り返している地球上の人間たち...、
    うーーーん。

    一分間に137人、一日に20万人、一年で7千万が増え続け、
    一年に六千万人が死に、1億三千万人が生まれる。

    そして、はたしてそのうちの何人と私たちは直接、話ができるのだろうか?
    百年後には、今いる70億人と仲良くあの世に行くのは確かなのに
    その時までに会える人なんて、ほんとにほんとに僅かな人だけだ。

    携帯やNetで会話することも、mailを交換することもできるけど、
    「歌」を通してなら、虚空の彼方の人に手を差し伸べることができる。
    それこそ、今年亡くなった人とも、五十年前に鬼籍に入った人とも。

    シンガーソングライターの場合は、
    その人の考え方や感受性、癖やなにがしかの志向パターンなど、
    その作品には本人の〝匂い〟がプンプンしている。

    数年前になるかな...。
    実家に帰省した時、親戚の何某かが撮影したhome videoの映像を見た。
    それは、青森県の恐山に行ったその親戚の人が、
    イタコの口寄せで私の亡母を呼び出してもらった時のものだった。

    撮影モード設定の手違いで、
    その画像はピントが合わず、画像もコマ送りのようで、音声も途切れ、
    イタコの映像そのものだけでなく、
    はたして亡母があの世から下りてきたのかどうかさえ不確かだった。

    もし、亡母や亡兄がシンガーソングライターだったとして、
    二人が残した楽譜が存在していれば、それを自分がなぞり唄うことで、
    日々あやふやになりつつある二人についての記憶は、もっと別な形で自分に下りて来たかもしれない。
    ※残念ながら、二人とも歌は唄ったが、作りはしなかった。

    楽譜を通して作者の精神に触れ、自分なりの解釈と表現方法で、人前で弾き語りしてみる。
    聴く側にしてみれば、初めて聴かされるその歌にシンパシーを感じても感じなくても勝手なんだが、少なくても、たまたまそこにいて、そんな歌を聴かされて、少しでも心が動けば、
    元をたどって、虚空の彼方の「原作者」の精神が現世で流布したことにもなる。

    「70年代フォーク」を弾き語りする者が、現代の〝吟遊詩人〟、
    虚空の彼方の精神の〝口寄せ人〟などといえば、いささか口幅ったいが、
    アマチュアのカバー専門の歌い手であるがゆえに、そのことが〝私が唄う意味〟でもあるんだろう。

    original曲を作るのも、また唄うのも、一向に構わないが、
    自己満足度の高そうなそういうものよりは、
    すでにこの世の人でない人の作品を、一曲でも多く唄いたいと、そう思う。

    今では、小説をモバイルで読む人も多いし、
    Netから情報を手に入れる比率の高い人も、これまた多い。
    紙媒体の市場はNetに押され、読書離れもますます進行している。

    本を読めば賢くなるかどうかは保証できないが、
    本や雑誌、つまりは紙に印刷されたものの触感や、
    目で文字を追いつつ、頭の中で映像や思考やらをぐるぐるさせることの快感を、
    まだまだ愛おしく感じる人も、まだまだたくさんいる。

    理想的なのは、
    Guitarの練習場所にNet環境が整っていて、
    見知らぬ曲と出会った時に、傍らのパソコンでYouTubeをCheck、なんだが、
    哀しいかな、家には自分用のパソコンもなければ、無線Lanも備わっていない。

    不便さの一方で、
    楽譜の音符を追いかけながらGuitarを合わせて行き、
    それをなぞってゆっくりとその曲を唄いながら覚える、という、
    えらくアナログな作業の方が、どうもしっかりとその曲と向かい合える気がする。

    以前にも書いたが、
    五線譜なしで、歌詞とcordでけで歌を唄ってもよいけれど、
    自分は相変わらず、それではだめだな、と考えている。

    譜面が読めるのでもないし、
    絶対音感などないが、オタマジャクシのほんのわずかな違い、
    半音・一音、上げるのか下げるのかのこだわりは、
    シンガーソングライターであれば、必ずあるようだ。

    その辺は、適当に、どっちでもいいべや、と唄うこともできる。
    が、たいていそういう時は、自分が唄いやすいように唄っている場合が多い。
    ところが、そこを上げるか下げるかのこだわりは、
    これまたシンガーソングライターにはあるわけで、
    それがその人の歌い方であり、それゆえその人に特有のメロディーが形づくられている。

    ある時からそのことに気が付くと、
    楽譜から歌を覚える時は、オタマジャクシを疎かにしないようにしている。

    音楽の専門家である、しげチャン さんからすれば、
    何をシロウトがおバカなことを、せせら笑ってしまうかもしれないが、
    自分では何も創りだしえない者ゆえなのか、最近、こういうやり方がクセになっている。

    楽譜で覚えた曲をYouTubeなどでCheckすると、
    当然、テンポや細かい唄い廻し、曲の雰囲気まで、自分の想像したのと違っていたりする。
    それでも、最初からYouTubeを見なでやる方が、曲への思い入れは格段に違う。

    効率は良くないし、Liveで同じ曲を二回やらないようにするためには、
    ネタ曲のstockをかなりな数、稼がなくてはならないから、土日は6時間づつくらい練習をする。
    それでもちっとも時間が足りないし、画期的に上手くもならない。

    早く息子たちが自立してくれて、毎日仕事に行かなくてもいいくらいにお金が入ったらいいな。
    強くそう願うのは、そういう理由からだ。
    つまり、毎日10時間づつくらいGuitarを弾いていられるから。

    誰しもがなにがしかの不満を抱えつつ、生きてゆくために目の前の仕事に精を出す。
    好きなことをやりたくても、ままにならずに悶々とする。
    あせってみても仕方がないさ、と、風呂にも入り、酒も飲み、眠ったりもする。

    駅からの帰り道、夜空を見上げて、星と月を見て、死んだらあれも見ることができなと思う。
    八十年生きても、百年生きても、もういいやっていう気持ちにならないのは、
    つくづく「煩悩の人」であることよ。

    「煩悩:百八つ」の解釈で秀逸だったのが、コレだ。
    人は、六つの対象(六境)〔 色・声・香・味・触・法 〕を理解するために、
    六つの感覚器(六根)〔 目・耳・鼻・舌・身・意 〕を持っている。
    その理解の仕方が三つ(三不同)〔 好・平・悪 〕であり、
    その理解の程度が二つ 〔 染・浄 〕、そして、そのすべてが、(三世)〔 過去・現在・未来 〕に亘って、
    人を悩ませている。

    つまり、〔 六根×三不同×二つの理解×三世 〕で、「 108 」なんだとか。
    ※「六境」はあくまで対象のことなので、計算式に含まない。

    煩悩が「不満」を源泉にしているというなら、小さな事にも満足感を覚えていれば、
    煩悩などなくなるのか?
    つましく、ささやかな幸せを有難いと感じ、宮澤賢治のような態度で暮らせば、
    百八つの煩悩のいくばくから解放されるのか。

    煩悩があるから人間なのか。
    悩んで人は成長するのか。
    煩悩をどう昇華させられるかが大切なのか。

    虚空の彼方にいる、シンガーソングライターの作品をなぞることは、
    煩悩の渦に自ら立ち入ることでもあるだろう。

    そして、今週末もまた、私は30本のGuitarに囲まれて、
    虚空の彼方へ旅をする。

    それじゃ、また!。.:♪*:・'(*⌒―⌒*)))

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from: しげチャンさん

2013年04月19日 21時44分12秒

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六根清浄。六根清浄。六根清浄。

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