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  • from: ☆(⌒杰⌒) AMA-G'ですさん

    2021年02月05日 09時06分39秒

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    【もしも明日の朝、目が覚めないとしたらどうします?】

    ★弾き語りストです。

    一クラス24人。それがそのまま六年生まで持ち上がる。木造・下目張りの板壁に赤いトタン屋根。
    それがボクの小学校だった。

    一年から六年まで毎年、担任は替わったが
    クラスはまったく同じ顔ぶれで卒業まで一緒。
    なんせ一学年が一クラスしかない田舎の学校。

    一年から四年までは二階建ての校舎で学び、
    高学年は平屋の校舎に移った。
    グラウンドは狭く、直線で80メートルしかなく
    両サイドを川に挟まれていたので
    ソフトボールもサッカーボールもよく流されてしまった。

    義姉が病気で亡くなり、長兄とともに故郷にやってきた甥もボクの母校に転校したが,ボクの時の校舎ではなく、ほんの少し場所を移して新築したきれいな鉄骨造りだった。

    甥は地元の教育大学を卒業後、
    臨時教員を経て三年目でようやく念願の正教職に就いた。
    兄はその姿を見届けるようにして、長い闘病生活のはてに黄泉の国に旅立った。

    兄はいま、自分の妻と母と同じ、
    村の高台にある墓地に眠り、四季折々の霊峰の姿を眺めては、実家に暮らす親父と息子のことを生前と変わらず心配していることだろう。

    小学校時代、
    24人の同級生の中にもすでにこの世にいない者もいる。

    キャンプに行き、湖で何物かに足を引きずり込まれ浮かんでこなかった者、霊峰登山の途中、大きな落石に頭を打たれた者、
    雨傘を広げて木から飛び降りてそのまま目を覚まさなかった者、
    秀才だったのに会社勤めの心労から自ら命を絶っ者...。

    その一方で、
    村で初めて東大に進んだ者、
    児童会長や生徒会長をやり、
    大人になって市議から市長に当選した者、
    町工場を起こして、いまでは地方でも有数のメーカーにまで大きくさせた者、アメリカにホームステイし寄宿の大農場に婿入りした者。

    人はよくこんなことを言う。
    平凡でもいいから、
    ささやかな幸せを感じながら長生きしたい...と。

    あの世の存在も黄泉がえりの事実も、信じようが信じまいが全人類に等しく訪れる「死」という人生の果てに向かって人に与えられた寿命という時計は、一秒たりとも脈飛びすることなく刻まれてゆく。

    小1でオール5を取ったきり、
    その後、秀才とも天才とも呼ばれなかった。
    絵画展での入賞は一度きり、書道展でも亡母の手本を上からなぞったのが入選したきり。

    生徒会ではわき役の幹事、大学も補欠募集で合格、学生寮でも副寮長どまり。
    宝くじが当たるわけでもなく、大金を拾うわけでもなく、三階級特進で出世するわけでもなく、持ち重りのするほどのボーナスを手にすることもなく、ただただ、淡々とこの歳まで来てしまった。

    そんな人はこの世に掃いて捨てるほどいるだろう。
    あの世に逝った者たちを除いて
    六年間をともに過ごした同級生たちははたしていまどこでどうしているのか。

    同窓会・同級会の類に一切参加してこなかったボクだって、もしもいま住むこの町で、かつての同級生とばったりわしたとしたら、
    互いにそれとはわかるだろうか。

    保育園から一緒にスタートしてはや半世紀。
    弱肉強食のレースなどではなかったボクたちの人生行路。いまこのとき、住む場所は違えど
    ちゃんと生きている者たちははたして何人?

    人の一生などこの超大な宇宙の営みに比べれば
    蚤の屁ほどの動きでしかなく
    そのスカ屁以下のどたばたを嬉しくも悲しくもさせるのはやはり、ボクという肉袋の心持ちしだいなのだろう。
    野辺にひっそり咲いたヒナギクを美しいと思いながら生きるのか。

    ホテルのロビーの豪華な装花こそが
    見るに値するものだとほざくのか、
    ボクの心の置き所ひとつで、胸に流れる"何か"の濃度が変わる。

    夏になれば、昼間の暑さの中で、その夜飲む酒を夢想している。
    televisionのCMでN瀬という濃い顔の長身スターが、
    トマトをつまみにビールを飲んでいる。
    トマトでビールは飲めないだろう...カミさんと一緒につっこむボク。

    というよりA社のビールなんて絶対飲まないからどうでもいいが。

    人の嗜好は好き好き。
    刺身でビールを飲んでもいいし、
    お好み焼きおかずに白米食べても構わない。
    牡丹餅つまみにビールってのもアリ。
    給食始まりは小2から。

    いつもお替りしていた優良児。
    もちろん脱脂粉乳だっていつも3杯。
    同世代であの頃の給食をくさす人いるけど
    ボクなんて夢のようだったよ。

    毎日毎日変わる献立や(一応は)食べ飲み放題だし。
    コッベがまずいの粉乳が苦手なのと
    よくもまあ贅沢が言えたものだ。
    たまの弁当持参は薪ストーブの上に一斗缶をおいてその中にアルマイト弁当箱。

    ストーブ当番は焚き付け持参で早出する。
    火付けのコツは学校でも、家の五右衛門風呂でも学んだね。薪割上手な子供だったのだ。

    遠足の日に、なぜだか行きたくなくなって、
    ボクだけずる休みして、家の庭で風呂の薪割していた。
    遠足のオムスビ。梅干しが嫌で、お袋にたのんだオリジナル。

    甘いいり卵と焼肉の具は、さすがに当時は異端視されて
    珍しがられましたよ。

    定番ははずせないな、と考えることと
    奇をてらっていつも冒険する人と、
    どちらが豊かな人生かな。

    夜、眠りにつく前に、突然に襲われる死の恐怖。
    死ぬことの恐ろしさは、我が存在がこの世から消えてなくなること。どこにも逃げ道のない強大な喪失感。

    肉体はおろか一切の記憶も思考も感情もすべてがご破算の真っ白け。ボク一人がいなくなっても
    まちがいなく世界は明日もまた同じ朝を迎えている。
    不帰の人に涙する知り人たちも、夜には安らかな眠りを貪る。

    そんなことを百も承知で、
    誰しも昼間は平気の平左で時を送るのだ。
    明日にはもう飲めないと思いつつ飲めば
    第三のビールも値千金のプレモルの味わい。

    明日にはもう口をきくこともできないと思いつつ
    妻と子供の顔を眺めれば
    くだらない駄洒落でも大切な心の通い帳になる。

    死の恐怖に気が狂わずにいられるのは
    それを考えずに済むような楽しいことがあるからだ。
    「the end」を先送りにして、今目の前にある〝生〟にすがりつきながら恐怖を忘れようとしているのだ。

    だから、夜眠りにつく時は小玉の灯りも点けずに真っ暗闇にするのがいい。

    光があれば脳みそは働いてしまう。
    あれやこれやの不安や、その果てのドンづまりのラストシーンまでよからぬことばかりが心をよぎる。

    夜、酒を飲み、ギターをつま弾いて、ぎりぎりもうダメだというところまで起きていて、睡魔にカラダが抗えなくなったなら、すぐさまベッドに入るがいい。ストンと眠りの国に落ち込んで、
    生きながらえたのかどうかは朝までわからぬ。

    それがもっともいい方法かもしれない。

    それでは、また♪(*'-^)-☆

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