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  • from: ☆(⌒杰⌒) AMA-G'ですさん

    2021年02月09日 09時05分35秒

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    好きなんだけど…(^^♪ チャチャチャ。

    ★弾き語りストです。

    好きなんだけど駄目なんだよねーっていうものあるよね。
    オレの場合、K駅前の焼き鳥屋「K」の焼き鳥の脂がどうも体質に合わないらしい。
    これまでに、二度食べて二度とも腹をくだした。
    家族はみんな平気なのにオレだけだった。

    なにも「K」のせいではなく
    オレの胃腸と鶏肉の脂の相性の問題だろう。
    だから、K駅に降りてどんなにいい匂いが鼻腔をくすぐってきても
    Kのノレンをくぐることができない。

    「蕪(かぶ)」...これもまた好きなのに腹を壊すことが多い。
    さっぱりとしてさわやかな味わいとシャリシャリ感が好きな夏野菜なのに子供のころから食べたあとにたいていピーピーになる。

    アタマでは好きで好きで仕方ないのに
    カラダが受け付けないというのはどういうことなんだろう。

    オレは自分のことをあんまり信用していないから
    アタマでまちがった判断をして、そいつを食べようとするが
    カラダは本能からくる防衛本能で断固拒否しているのか。

    「自分のことが信じられない」と嘆く人がたまにいるが、
    そんなのは当たり前だと思う。
    自分というのはまさに自分に都合のいいことばかり考えて行動している。

    それはなにも悪いことじゃなく、
    自分が生存し、生き残るためだから、非常識であってもいいのだ。
    人様に迷惑をかけてはいけないと自身を制御するときに
    葛藤する二つの人格は、たいていの場合、自分に都合よく妥協している。

    まさか、自分がこんなんことをしたり考えたりするなんて、
    と、さもそれが思いもよらないことのように自戒するのも、
    まったく何を言っているんだよこの馬鹿野郎、と思う。

    自分でやったり考えたりしておきながら
    他人事のようにあげつらったり、
    そんなつもりはさらさらなかったと言い訳するなんて、信じられないよ。

    そんなわけであんまり信用のおけないオレの嗜好というのも
    おそらくはいつかどこかできっと人には言えないような
    恥ずかしいことをしでかしていて、
    それがトラウマとかになって、カラダが拒絶してるのかもしれない。

    好きなのにカラダが受け入れないというのは
    その好き度合いが強すぎるとかなり辛いことになる。
    これまで生きてきて、好きで好きでどうしようもなく、
    身もだえするなんてものが、はたしてあったろうか。

    もし、病気や障害で指が動かなくなって
    大好きなギターが弾けなくなればかなり辛いだろう。
    声が出なくなっても視力が不自由になっても、同様だ。

    しかし、
    五体満足で精神状態も安定しているのに
    好きなことをカラダが拒否する状態は、できればあまり来てほしくない。

    お酒は好きだがすぐ酔う、またはたくさん飲めないという人の場合。
    酒が好きというのはたくさん飲めることで、少ししか飲まないのはあまり好きとはいえない。
    というくくり方は無理がある。

    好きだけどちょびっとでいいという、つましいケースもあるからだ。
    ケーキは大好きだが一個で十分とか、助べえは好きだが不定期でよいとか、
    お金は大好きだが使い切れないので三億円くらいでよいとか、
    ガリガリ君は好きだが歯にしみるので一本でいいとか、
    いう場合だ。

    ところが、
    世の中には「本当に好きならとことんゆくべきだ」という極論に走りたがる自己主張の塊のような人がいて、
    〝好きだけどちょこっと派〟を強く批判したりする。

    いわく、
    その人が本当に好きなら骨まで愛すべきだとか、
    そば好きなら椀子そばは最低三百杯は食すべきだとか、
    ハワイが好きならアロハで出社したりウクレレ漫談を趣味にすべきだとか、
    蜂蜜が好きならヒグマの手をしゃぶるべきだとか、いう難題をふっかけてくる輩だ。

    そういう極端な性格の人は「中庸」という言葉を調べてみるといい。
    「不足もなく、余分なこともなく、ちょうど適当なバランスを持つ」
    ...そういう、ある意味、優等生的などっちつかずの箴言が、
    あなたを生殺しの状態に立ち返らせて、ふにゃふにゃにしてくれるだろう。

    甘いのか辛いのかわからないカレーや、
    イケメンのようでいて一部分がひどくゆがんでいるブ男、
    あと少しで風邪を引きそうなのにすれすれ元気な状態とか、
    単なる縮れ毛なのか○ン毛なのか見分けのつかないオケケや、
    庭の草が芝生なのか雑草なのか微妙な種類の植物なども、
    「中庸」状態に当てはまるだろう。

    結局、
    どっちつかずであっちでペコペコ、こっちでヘコヘコ、
    東へ行けと言われたら南東に向かい、
    山に登れと言われたら公園の砂山で遊ぶ、
    不細工な美女よりはそこそこのオカマで我慢する。
    それが孔子の教えに従うことかもしれない。
    (違うか?)

    好きだけどカラダが受け付けない場合の最適な対処法は
    それを視界の外に置いてぜったいに見ないようにすることだ。

    クルマで田舎道を走っていてどうしても目につく例の○ロビデオ販売小屋。
    目の前で屈んだ○乳女子の胸元。
    薬屋の商品棚で特売になっている○ン○ームの箱。

    そういう好きなんだけど買ったり見たり取ったりしてはいけないものは
    可能な限り見ないようにするのだ。
    目は口ほどに物を言うから、見ないようにしさえすれば、
    口だけでは何もできなくなる。

    いやらしい目つき、とはオレが人から良く言われるセリフだが
    さすがに、いやらしい口元とは指摘れることはない。

    ぼってりとした肉厚のアヒル口はいやらしいが
    幸いにオレは肉厚でもなければアヒルでもない。
    ただし、閉じていればいやらしくないオレの口も
    一旦、開かさると、呪縛のようないやらしさがその場を席巻するらしい。

    日光東照宮のサルのように、
    目も耳も口も塞いでしまえば、好きなのカラダが受け付けないもので
    あれこれ悩むことはなくなるに違いない。

    もしも、K駅前の焼き鳥Kの前の路上で
    目をつむり、口を一文字に閉じて、両手で両耳を覆っている
    初老の禿げ男を見かけたら、それが「オレ」だ。

    それじゃ、また!

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