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from: 21世紀さん
2009/04/14 03:16:46
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創価学会の邪説を破す!
要法寺から貫首をスカウト!?---------------------------------------■創価学会の邪説■「富士の清流」というが、人
要法寺から貫首をスカウト!?
--------------------------------------- ■創価学会の邪説■
「富士の清流」というが、人材難で困窮(こんきゅう)した大石寺は、第十五世日昌上人以降、京都の邪宗・要法寺から法主をスカウトし、その命脈をつないできたのであって、その歴史はけっして「清流」と呼べるものではなかった。
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破折
創価学会の言う「要法寺からのスカウト」とは、かつて大石寺と要法寺の間に通用(つうゆう)があった時代、九代にわたる御法主上人が要法寺のご出身であられたことを、悪口しているものである。
要法寺とは
まず、要法寺について説明する。
要法寺は、日興上人の御弟子であった大夫阿闇梨日尊師が京都で開いた寺院・上行院と、その弟子日大の開いた住本寺が、合併してできた寺院である。
それ故、要法寺は実質的に日尊師の開基といってよく、当初、その教えは日興上人の教えをもとにしたもので、大曼茶羅(戒壇大御本尊)を根本とし、大石寺を本寺(本山)と仰ぐ寺院であった。
しかし、時が下り、広蔵院日辰が貫首となる頃には、釈迦仏像を本尊とし、一部読誦(法華経一部八巻二十八品を全て読誦する修行)を行なうなど、大石寺と異なる教えも混在するようになったのである。
大石寺との通用
こうして要法寺は、半分は大石寺を本寺と仰ぎながらも、半分は大石寺とは異なる教えを奉ずる宗団と化したため、大石寺との通用はほとんどなくなった。
それ故、要法寺の日辰が北山本門寺や大石寺に連合するよう声を掛けた時も、第十三世日院上人はこれを峻拒(しゅんきょ)されている。
しかし、第十四世日主上人の頃になると、要法寺の中では、大曼茶羅正意を立て大石寺を本寺と仰ぐ者たちが多数を占めるようになった。
そこで、日主上人と当時の要法寺の貫首・日?(貝+周)師との間で話し合いがなされ、再び要法寺と大石寺の通用が始まったのである。
要法寺と大石寺との関係
この時、盟約の証として、大石寺日主上人は要法寺に第三祖日目上人の御本尊を授与され、要法寺側は第二祖日興上人の御本尊を大石寺に納めている。
この時、日主上人からは要法寺に
「今度世出申し合わせに就て要法寺貫首日?(貝+周)の時に臨(のぞ)み要法寺に授与せしむる者なり」
(富要集第九巻六十七頁)と書き送られ、また、日?(貝+周)師の側からも
「中(なか)ん就(ず)く、前代未聞の真宝日目上人御筆拝領の儀、万年久住の嘉瑞なり。即僧侶を以って謝詞を伸ぶべきの処、遠路の故に遅延し本意の外に候。(中略)御堅約の為に開山上人御筆一幅拝贈納受に於いては欣懌(きんえき)たるべく侯」
(富要集第九巻六十八頁)との返書が寄せられている。
この書面の違いを見ても判るように、日?(貝+周)師が大石寺を本寺と仰ぎ、日主上人に師弟の礼をもって接していることが判る。
以上のことから、当時の要法寺は大石寺の末寺としての意識が高く、現在の様相とは全く異なっていたといえよう。
こうして通用の始まった要法寺から、大石寺へ登り、血脈相承を受けるお方が出たからといって、「邪宗からスカウトした」だの「富士の清流とは言えない」だのという疑難は、ことごとく的外れであることは、いうまでもあるまい。
創価学会の自語相違
ついでながら、日蓮正宗の信徒団体であった頃の創価学会は、要法寺出身の御法主上人についてどう言っていたか、紹介しておこう。
「血脈相承のない邪宗日蓮宗のあいだでは、やきもちをやいて二箇相承は後人の偽作であると悪口し、ひどいのになると、日蓮正宗は、第十五代から要法寺出身の貫首を迎えたから″欠脈″であるなどという迷論を吐く者もいた。
最近は、自己のバカさかげんをよくよく知ったのか、ほとんど聞かなくなったが。
ここでちょっと、要法寺についてふれておくことにしよう。
要法寺は、日興上人の弟子日尊が開いた寺で、富士門流の京都における牙城であった。
日尊は東北の出身で、第四代日道上人とは俗縁も深く、親しいあいだがらだっだ。身延に登って日興上人の薫陶(くんとう)を受けるようになってからは、その成長はいちじるしいものがあった。
ただ″神天上″の宗義に徹しきれなかったきらいがあったため、日興上人から厳しい指導を受けたが、それで発奮(はっぷん)し、伝説によると、東北・関東に三十六か寺も作ったといわれる折伏の闘士であった。
のちに日目上人にしたがい、京都へ天奏(てんそう)の旅に発ったが、不幸にして日目上人が美濃の垂井でおなくなりになられたため、翌年、日目上人に代わって天奏をとげ、ご遺志をまっとうしたのだった。そして、そのまま京都にとどまり、富士門流の正義を顕揚(けんよう)したのである。
大石寺と要法寺との交流が繁くなってきたのは日蓮正宗第十四代日主上人のころだった。
第十五代日昌上人から、第二十三代日啓上人までは、要法寺から晋山(しんざん)された猊下である。他宗の非難する点はここにあるが、同じ富士門流から晋山し、総本山に忠誠を尽くすのに、なんの不都合があろう。しかも、その間、総本山の化儀化法においては、いささかの乱れもなく、宗門興隆の任にあたられたのである。」
(「大白蓮華」昭和三十八年八月・第一四七号「日蓮正宗の歴史」⑧)
この見解こそ正論なのであり、現在の創価学会の疑難は、かつて学会が破折してきた「邪宗」そのものの見方なのである。この一事を見ても創価学会の狂いぶりがしれよう。
御法主日顕上人猊下の御指南から
ところで、この疑難は、創価学会による「五十二年路線」の渦中に、すでに学会内で準備されていたものであった。
当時は、創価学会も「時に利あらず」として、これを使わないまま引っ込めたが、その種子が今日まで温存されてきたというわけである。
平成四年、御法主日顕上人猊下は、これら学会が準備していた疑難を、詳しく破折あそばされている。以下、謹んで奉載させていただき、結びとする。
「(学会の疑難=十五世日昌上人から九代にわたる法主が要法寺系から来た理由と、なぜ大石寺に人材がいなかったのでしょうか、との質問に答えて)
これも、何とか誹謗せんとの難癖であります。
当時は、現在と違って、もっと興門全体がまとまった一つの意識を持っておった、と思われますし、尊門(日尊師門流)の京洛における殷賑(いんしん)興隆の相もあり、現在の総本山と要法寺の状況によって判断するのは、大きな誤りであります。
特に、法脈の正潤(せいじゅん)に関しては、日道上人の文献に見られる、要法寺の開基である日尊師の道師に対する態度は、師弟の礼と申しても差し支(つか)えない、と感じられるほどでありますし、また、日尊師は、「付弟(ふてい)一人の外は書くべからず」として、生涯、御本尊を書写することはなかったのであります。ゆえに、尊師(日尊師)書写の本尊は一幅もございません。今の要法寺の貫首達は平気で御本尊を書いているけれども、開基である尊師は一幅も御本尊をお書きになっていないのです。
つまり、尊師が、四世日道上人に相承ありと拝していたからでありますし、大石寺を本山と仰いでいた故である、と考えられます。
(中略)
したがって、開基の日尊師のそのような流れの中で、まだ年代があまり経ていない当時は、今日のように大石寺と別の宗派を構える、というような状況では、けっしてなかったわけです。ただ、特に主師(日主上人)の時から通用するようになり、そして十五代日昌上人から九代にわたって、この要法寺から御法主がおいでになっておるということは事実であります。
けれども、それだからといって大石寺に人材がいなかったというわけでは必ずしもないと思います。
だだ、そのような流れになりますと、やはり当時、京都は王城の地として、いろいろな面で中心でもあり、対社会的な在り方や布教の形等、さまざまな面で他の田舎の寺院とは違った意味がたしかにあったと思うのです。
しかし、さらに当時の要法寺門中には、興師門下における大石寺の法脈正系を信じ、できるかぎり加護すべしという、尊師以来の伝統意識があったと思われます。そういう意味からも、一度お迎えするという形ができると、九代にわたってその形が続くような必然性、妥当性が生ずることは当然、とも考えられます。
それを、当時の要法寺の状況や、大石寺との関係を考慮せずに、大石寺に人材がいなかったのは何故かと疑問視すること自体、考え方が未熟なことからの質問であるといえます。」
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from: 21世紀さん
2009/04/14 03:31:10
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「Re:創価学会の邪説を破す!」
「本尊書写は誰でも出来る」の誤り
ニセ本尊濫造は「僭越の逆罪」だ!!
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創価学会の邪義
御本尊は相貌が大事なのであって、誰が書写しようと問題はない。
破折
そもそも、御本尊に関する権能が、御法主上人ただお一人に限られていたことは、宗義上・宗史上からも明らかである。
まず、日蓮大聖人御自ら、
「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の甕承唯授一人の血脈なり。相構へ相構へ、秘すべし伝ふべし」
(御書一六八四頁)と、血脈と御本尊の大事は御歴代上人にのみ伝えられていることを仰せられている。
また、二祖日興上人の御弟子の一人日尊師(京都・要法寺の開基)は、
「冨士門跡は付弟一人此(※御本尊)を書写し奉る可きの由、日興上人御遺誡なり」(日蓮宗宗学全書第二巻興尊全集興門集四一八頁)と遺言し、御本尊書写は「付弟一人」の権能であることを日興上人が御遺誡せられていた、と伝えている。
また、第五十九世日亨上人が
「尊師(日尊師)は宗門未有の弘通者なれども自ら曼荼羅を書写せず」
(富要集第一巻一一二頁)と仰せられているように、日尊師自身も日興上人の戒めを守って、生涯、御本尊を書写することはなかったという。
創価学会では、日尊師が、後に謗法化していった要法寺の開基であることをもって、その遺言をも軽んじているようだが、日尊師自身は、逝去に至るまで日興上人の御弟子だったのであり、今日の要法寺と同一視することは、的外れな、ためにする悪口である。
また、創価学会では、第九世日有上人が
「末寺に於いて弟子檀那を持つ人は守をば書くべし、但し判形は有るべからず。本寺住持の所作に限るべし」 (聖典九八八頁)
「曼荼羅は末寺に於いて弟子檀那を持つ人は之れを書くべし。判形をば為すべからず」(聖典九八八頁)と、末寺住職による″判形のない曼荼羅″の書写を許されていることを挙げて、「誰が書写してもいい証拠だ。それに、日興上人の御代にも、日興上人以外の僧侶が書写した御本尊が現存している」などという。
だが、これは筋違いな暴論、というほかはない。
第五十九世日亨上人は、この日有上人の御指南を次のように釈されている。
まず、日有上人が末寺住職に書写を許された理由と背景について、
「仮使(たとい)不退の行者たりとも、本山を距(さ)ること遠きにある人は、交通不便戦乱絶えず山河梗塞(こうそく)の戦国時代には、何を以って大曼荼羅を拝するの栄を得んや。(中略)此に於いて有師仮に守護及び常住の本尊をも、末寺の住持に之を書写して弟子檀那に授与する事を可なりとし給ふ」(富要集第一巻一一二頁・「有師化儀抄註解」)と、戦乱による交通不便のため、一時的に末寺住職に書写を許された旨を御教示されている。
とはいえ、この末寺住職による″判形のない曼荼羅″の書写は、
「然(しか)りといへども、此は仮本尊にして形木同然の意なるべし。故に守(※お守り御本尊)に於いては『判形有るべからず』と制し、曼荼羅に於ては『判形為すべからず』と誡め給ふ。此の判形こそ真仮の分るゝ所にして猶(なお)俗法の如し」(富要集第一巻一一三頁)と、所詮、仮本尊であるとせられているのである。
不相伝家の創価学会は、この一時的な仮本尊書写の御許可を、自分達に都合よく、いつでも誰でも御本尊書写や御形木御本尊を作ることができる、と解釈したわけだが、仮本尊の書写の許可も、その時代背景を踏まえて時の御法主上人(ここでの事例は日有上人)がなされるのである。資料を勝手に誤読してはならない。
創価学会では、こうした誤った解釈の上から、「御本尊流布こそが広宣流布であり、そのために創価学会が形木本尊を作り流布させている」などとも言っているが、大きな誤りである。
同じく『化儀抄註解』において日亨上人は、
「有師斯(かく)の如く時の宜(よろ)しきに従ひて寛容の度を示し給ふといへども、しかも爾後(じご)数百年、宗門の真俗(しんぞく)能(よ)く祖意を守りて、苟(いやし)くも授与せず書写せず、以て寛仁(かんにん)の化優に馴(な)るふこと無かりしは、実に宗門の幸福なりしなり」(富要集第一巻一一三頁)と、日有上人が末寺住職に仮本尊書写を許されたといっても、その後数百年、宗内僧俗は大聖人の御意を守って、まったく仮本尊の書写や勝手な授与をせず、いたずらに「宗門第一尊厳の化儀」を乱すことはなかった、と喜ばれている。
このお言葉をもって言うならば、学会が許可なく変造本尊を作り、勝手に広く授与していることは、まさに聖意を破壊する法滅の化儀であり、不幸この上ない事態といえよう。
日亨上人は、また、「不相伝」の者が「猥(みだ)りに曼荼羅を書き散らして」いることは「借越(せんえつ)の逆罪」である、とせられているが、それと同様のニセ本尊作りをした創価学会も、大謗法の罪は免れないのである。
*沖浦某が「降魔の剣」で盛んにこの問題を取り上げ、さくらさんより破折されています。彼は長野法論で樋田昌志氏に敗れていますが、性懲りもなく邪義を振り回すのは毒気深入失本心故の表れでしょうか。
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