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  • from: 21世紀さん

    2009年02月27日 09時34分46秒

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    2005年09月17日 師弟子の道と妙観講の在り方 ―疑問に答える―

    平成十五年一月に『妙観講の基(もと)をなす信条・誠心(じょうしん)』が発刊されました。
     『誠心』は、妙観講がいかなる信条に基(もと)づいて構築・運営され、今日に至ったのかを明らかにしたもので、護法と広布の使命に挺身(ていしん)せんとする妙観講の“心”であります。
     妙観講の在(あ)り方は、一言で言えば、日蓮正宗の伝統の師弟子の道を明らかにし、これに徹することを根本として、全てが成り立っています。しかし、それは、これまでの講中の中に不文律的に活(い)きており、体系的に成文化されていませんでしたので、外部の方々や、信仰の浅い講員には、なかなか理解されることがありませんでした。
     そのため、妙観講に対しては、いろいろな無認識な批判や憶測がなされ、それは、妙観講が止どまることなく大きくなっていくのにつれて、得体の知れないものに対する不安な心理から、いっそう拡大していったものと思われます。
     しかし、それらは全て、『誠心』の「序」に指導教師・小川只道御尊師が
     「批判の根拠は明確でなく、ただ皮相的な見方の上から誤解している」
    と述べられているように、“群盲(ぐんもう)象を撫(な)でる”類(たぐい)の誤解に他なりません。
     “群盲象を撫でる”というのは、大勢の盲目の人達が象に触る機会を与えられたところ、ある者は尻尾を握り、ある者は足に触り、ある者はお腹を撫で、ある者は鼻を掴(つか)んだ。そして、“象はヘビのような生き物だった”“いや、柱のようだった”“巨大な壁のような動物だった”等々と、てんでんバラバラな感想を持つに至る。自分の手に触れたのは、象の一部に過ぎないのですが、象の本当の姿を知らない盲目の人達は、それを象そのものだと思って誤解してしまったわけです。
     それと同じことで、妙観講の真の姿や信条をわかっていないが故に、外形に現われた一つ一つの相を正しく捉えることができず、妙観講そのものを誤解してしまう――、妙観講に対する多くの批判は、そうした類のものでした。
     しかし、こうした諸々の批判や憶測は、このたび発刊された『誠心』によって払拭(ふっしょく)された、といってよいでありましょう。
     『誠心』を読むなら、妙観講が、一貫して大聖人以来御歴代上人の御教示に則って構築・運営されてきたこと、その在り方は全て大聖人の教えに基づいていることが明らかとなり、同時に、今後の私達一人ひとりが、どのような規範によって信仰していったらよいか、が明確に判るでありましょう。
     この『誠心』の内容を踏まえた上で、さらに補足説明する意味で、講中の在り方に関し、Q&Aの形で述べていくことにします。

    Q一、在家主導の創価学会・僧侶主導の正信会・元は法華講の一支部だった顕正会が、悉(ことごと)く異流義化したのだから、先々、誰が異流義化しないとも限らず、安心して信心していくことができない。

    A一、それは無用な杞憂(きゆう)です。
     まず、この創価学会・正信会・顕正会という三つのケースについて、検証してみましょう。 

    創価学会の場合
     創価学会は、もともと日蓮正宗を信仰する法華講中の一つでありました。
     その創価学会が、戦後、戸田二代会長のもとに大折伏を展開し、爆発的に教勢を拡大しつつあった昭和二十六年末、独自の宗教法人の設立を宗門に願い出てきました。
     本来、「宗教法人・日蓮正宗」のもとにあるべき法華講の一つ、創価学会が、日蓮正宗とは全く別の宗教法人を在家だけで組織するということは、一歩間違えば、日蓮正宗とは異質の一宗一派となりかねない危険をはらんでいます。
     そこで、宗門におかれては、「折伏した会員は信徒として各寺院に所属させる」という条件を付して、設立を認可されたのでした。
     この約束によって、創価学会では、個々の会員を各々の地元寺院に所属させました。
    しかし、ここで問題だったのは、個々の会員を最寄(もよ)りの寺院に所属させたものの、肝心の創価学会自体は寺院に所属せず、手続ぎの小師を持たない状態となってしまったことでした。
     巨大化したとはいえ、創価学会も、もともとは一つの法華講中であります。ならば、創価学会という講中として、決まった一つの寺院に所属し、手続ぎの小師の教導のもとに会員を指導していく、というのが、本宗の信仰の掟(おきて)を守った本来の姿であります。(『誠心』十一、十四項目参照)
     結局、創価学会は、本宗の教義から逸脱して異流義化する遥(はる)か以前、すでに組織の成り立ちの段階において、本宗の化儀を破り師弟子の道を破っていたのです。
     そして創価学会は、池田xxが“人生の師”“永遠の指導者”であり、会員は全て池田の弟子である、との師弟論を立てて、会員を次第に日蓮正宗とは異質の邪義邪信へと誘導していったのでした。
     しかし、もし創価学会が一つの寺院に所属し、池田xxの上位に手続ぎの小師を仰いで、会員の指導にあたっていたら、どうだったでしょう。
     たとえ、池田xxが慢心を起こしたり、一部の幹部が池田を神格化しようとしたところで、その池田の上には、手続ぎの小師がおられ、さらに、その上には本師たる御法主上人がおられるのですから、池田を押し上げることは、さらに上位の師を押し上げることになって、池田本仏論のごとき邪義が成立することはありませんし、また、池田が謗法に走って、小師・本師から打ち砕かれたときには、会員の大多数は小師・本師に随い、盲目的に池田に付き随ったりしなかったでありましょう。
     したがって、創価学会の異流義化は、宗門の組織を破って手続ぎの師を持たなかった、そこに原因があった、といえるのであります。

    正信会の場合
     一方、後に正信会となっていった寺院では、個々の檀信徒(だんしんと)に対し、所属寺院の住職を手続ぎの師と仰いで信仰していくことを強調し、全て住職が指導するという形をとっていました。
     この形は、在家主導の創価学会に対し、完全な僧侶主導であり、ゆえに学会のような誤りは起きないものと言われていました。
     それなのに、約十万世帯といわれる正信会所属の檀信徒の大半は、所属寺院の住職もろとも異流義化し、大謗法の徒となってしまったのです。
     その原因は、ひとえに師弟子の本末関係を弁(わきま)えていなかったことに尽きる、といえましょう。
     『化儀抄』には、総本山の御法主上人の前では、手続ぎの小師といえども、信徒と共に弟子分の側に摂(せっ)せられることが定められています。つまり、根本はやはり本師であり、本師と小師の間には自ずと本末関係があるのです。(『誠心』八項目参照)
     したがって、もし、小師が本師に違背(いはい)して邪師になってしまった時、信徒はどうすればよいのか、といえば、本末関係の上から、邪師となった小師を捨てて、迷わず本師につかなくてはなりません。
     ところが、これを弁(わきま)えていなかった正信会の檀信徒は、“手続ぎの師に従っていかなければ成仏できない”として、本師たる御法主上人よりも末寺住職に従ってしまった。それが本師に背き異流義化する結果となってしまったのです。

    顕正会の場合
     顕正会は、もともとは今日のような在家組織ではなく、日蓮正宗の末寺に所属する「妙信講」という名称の法華講支部でした。
     末寺住職を指導教師(手続ぎの小師)と仰ぎ、総本山の御法主上人を拝(はい)していた元「妙信講」こと顕正会が、なぜ、逸脱してしまったのでしょうか。
     妙信講の初代講頭・浅井甚兵衛は、大正二年、東京都品川区の妙光寺にて日蓮正宗に入信しています(現在の顕正会々長の浅井昭衛は、甚兵衛の長男で、父の跡を世襲した)。
     ところが、その後の経緯を見ますと、浅井らは、気に入らないことがあったりすると、いとも簡単に幾度も所属寺院を移り変わっているのです。
     第二祖日興上人は、自分を折伏・育成してくれた初発心(しょほっしん)の師を捨てることは、五逆罪にあたり地獄に堕(お)ちる業因(ごういん)となる、と戒められ、第九世日有上人も、信徒は手続ぎの小師との師弟子の筋目を守るべきである、その筋目を違(たが)えたなら、大不信謗法となって成仏できなくなってしまう、と戒められています。(『誠心』六、七項目参照)
     浅井らが、自分の都合で、初発心の師を捨て手続ぎの小師を乗り換えて、何度も所属寺院を移り変わった行為は、日興上人・日有上人の仰せによれば、五逆罪であり成仏の道に反する謗法だったのです。
     その信仰姿勢が、自己中心の?慢(きょうまん)をさらに増長させることとなり、結果として浅井らは総本山の指南にも従えなくなり、ついに日蓮正宗から破門されて異流義化する、という末路を招いたのです。

     以上、創価学会・正信会・顕正会が異流義となった原因は、本宗の化儀・信条に照らして、あまりに明らかであります。
     したがって、これをよく弁(わきま)えて、どこまでも本宗の師弟子の道を固く遵守(じゅんしゅ)していくならば、たとえ難しい法門が理解できず、教義解釈の是非(ぜひ)が判らなかったとしても、異流義に陥ることなどありえないのです。
     安心して信心に励んでください。

    Q二、教義のことはもとより、日常のこまごまとしたことまで、すべて僧侶に指導を受けて信心していきたい。

    A二、小川御尊師は、昭和五十三年、講中の在り方について、
     「講員の信心倍増を計るためには、一人ひとりの講員に対するきめ細かな指導・育成が必要である。しかし、講員が増えてくれば、とても一人の指導教師が全てをみていくことはできない。そこで、信徒の中でも信行学に勝れた人達を役員として立て、その人達にある程度まで委託をして、その指導にそって講を発展させていくべきである。そして、それを見ていくのが指導教師の役割である」
    との方針を示されています。(『誠心』十二項目参照)
     広宣流布を目指して折伏を進め、講員が増加していくなら、入信・入講した全ての講員について、日常的に指導教師が信仰の指導をしていく、ということは不可能であります。
     したがって、講中の成長発展に伴って、信徒にもある程度、指導・育成を委ねることが必要となってくるのであり、これを抜きにしては、折伏弘教を進め、広宣流布へ大きく前進していくこともできません。
     むろん、創価学会のように講中制度を誤用した前例もありますから、講中制度の正しい運用に心を砕いていくべきことは、当然の大前提です。(『誠心』十一項目参照)
     『誠心』巻末の感想文に、
     「以前、“このまま講員が増え続け、組織が大きくなっていって、本当に大丈夫なのだろうか?”と、根拠もない不安を懐(いだ)いたことがありましたが、どんなに大きくなっても、逸脱せずに正しい信仰を貫いていけるよう、充分な配慮のもとに妙観講が成り立っていたことを知り、無用な心配だったとわかりました。
     また、人数の少ない法華講を見て、『御住職と親しくアットホームに接している。あんな講中もいいなあ』などと思ったこともありましたが、それでは、講中を成長発展させない、ということになり、広宣流布もできないことに気付かせていただきました」
    との一文がありましたが、講中制度の正しい活用によって、誤りなく信仰に励み、かつ広宣流布へ向かって大きく前進していける体制こそ、まさに広宣流布を目指す法華講の在(あ)るべき姿といえましょう。

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コメント: 全2件

from: 21世紀さん

2009年02月27日 09時39分17秒

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「Re:2005年09月17日 師弟子の道と妙観講の在り方 ―疑問に答える―」
Q五、妙観講の会合では、合唱があったり、登壇者の呼びかけに皆で「ハイ!」と返事をしたりするが、これは全体主義ではないだろうか。

A五 これは、仏法が全くわかっていない批判です。
 日蓮大聖人は、
 「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」
    (御書六六六頁)
すべての人々は大聖人に同意しなさい、と言われています。
 当然、大聖人の御入滅後には、大聖人の御代管たる時の御法主上人猊下に異体同心し、心を合わせていかなければなりません。
 さらに、御法主上人の御名代である指導教師の教え、また、それを実現していくための講中の方針に心を合わせていくことが、大聖人・御法主上人に異体同心していくことに通ずるのです。
 妙観講の会合では、合唱があったり、呼び掛けに対して皆で「ハイ」と返事をします(※とくに合唱については、日達上人の「私は、法華講の歌を作るように申しました。それを会合の時に歌って、新しく入ってきた人の心を引き締めていくことは、じつに布教の一つの手段として、大事なことと思うのであります」との御指南によって、行なうようになったものです)。
 これは、大聖人の御教えや法華講の精神を表わした歌を合唱することにより、皆で大聖人の教えに同意していこうとしているのであり、また、正しい教えや方針に随っていく、素直な心の表われとして、返事をしているのです。
 それを「全体主義だ」というのは、皆で心を合わせて仏道を修するということに馴染(なじ)めず、一人そこからはみ出したいという、一人信心の傾向の強い人が陥りやすい見解です。
 しかし、こと仏法において、「自分の考えでやっていきたい」「自分にはこういう行き方がある」という考え方は、所詮は計我(けいが)・?慢に他なりません。それを押し通していくなら、最後には一人信心になって、師にも随えず、仏道に迷う結果となってしまいます。
 また、そもそも「全体主義」とは、「個人よりも社会集団・国家のほうが大事であることを強調する主義」(三省堂・国語辞典)であり、全体主義のもとでは個人の人権も幸福も犠牲にされるものです。
 しかし、正法正師の正義に異体同心し、皆で一結して随うことにより、生ずる結果とは、一人ひとりの信心倍増・罪障消滅・即身成仏であります。けっして個人の幸福が踏みにじられるわけではありません。
 これを「全体主義だ」などと批判する人は、仏法の何たるかが全く判っていない、それどころか全体主義という意味すら判っていない人、といわざるをえないのであります。

Q六、妙観講は活発で気合いが入っていすぎ、まともな感覚の自分にはついていけない。

A六、まるで、ついていけない自分が正しく、活発な妙観講が間違っている、とでも思っているようですね。
 しかし、『如説修行抄』には、
 「経文に任せて権実二教のいくさを起こし、忍辱(にんにく)の鎧(よろい)を著て妙教の剣をひっさげ、一部八巻の肝心妙法五字のはたを指し上げて、未顕真実の弓をはり、正直捨権(しょうじきしゃごん)の箭(や)をはげて、大白牛車に打ち乗って権門をかっぱと破り、かしこへをしかけこゝへをしよせ、念仏・真言・禅・律等の八宗・十宗の敵人をせむるに、或はにげ、或はひきしりぞき、或は生け取りにせられし者は我が弟子となる」
     (御書六七一頁)
と仰せられています。
 すなわち大聖人は、邪教謗法への折伏を、仏敵との戦(いくさ)と呼ばれ、威勢をもって折伏戦に臨まれたのです。その、魔と戦い謗法を下していく、強き破邪顕正の大道念が、御文からほとばしり出ているではありませんか。
 この大聖人の御教えに心から信伏随従し、強き破邪顕正の精神に立って、威勢をもって謗法を摧いていく――こうした弟子檀那の相を外側から見るならば、まさに「活発」で「気合いが入っている」雰囲気に見えるでありましょう。
 それについていけない、というのは、結局、自分自身が、いまだ信心惰弱で、謗法を強く打ち破って弘通していく道念が弱い、ということなのですから、それを開き直って正当化したり、信心強盛に励んでいる人を批判すべきではありません。
 むしろ、今の自分にはできない強盛な信心・折伏に励んでいる人達を、心から讃嘆する謙虚さ、純粋さこそが必要でありましょう。(『誠心』十五項目参照)

Q七、所属寺院の移籍は、希望すれば簡単にできるものだと思うが。

A七、移籍が認められる事由については、以下の四つがあり、移籍する人は、必ず、このうちのいずれかに概当します。(『誠心』五十項目参照)
①御法主上人の御命である場合。
②婚姻・養子縁組等の場合。
③小師が本師に違背したとき。
④退転に至らせぬため。
 そもそも、寺院御住職や講中の幹部とそりが合わない、他の寺院に気の合う人がいて誘われた、引っ越しして遠くなった――等という個人的都合で、いとも簡単に所属寺院を移ってよい、などと思ったら、たいへんな間違いです。
 弟子の側(がわ)から師匠を変える、などということは?慢であり、小筋を正していませんから即身成仏の道に外(はず)れる謗法となり、初発心の師を捨てるが故に五逆罪を犯すことになります。
 ですから、本宗の信仰においては、前記の①から③の場合以外、簡単に所属寺院を移ってはならないのです。
 しかしながら、どうしても本人の信仰が薄弱なため、そのままそこに置いたら退転してしまう―というような人については、やむなく、指導教師が慈悲をもって他の寺院への移籍を許される、という場合があります。
 それが④の措置(そち)であり、①〜③に概当しない移籍は、すべて④に入ります。
 この④の場合、移籍を許されたとしても、やはり、小筋を貫かなかったわけですから成仏の道から後退し、初発心の師を捨てるが故に五逆罪が形成されることになります。しかし、もし移籍させずに、そのまま退転させてしまえば、その人は大謗法者となって、勝(まさ)れる大重罪となる――それを避けるために、やむなく慈悲の上から移籍を認めるのであります。
 したがって、簡単に所属を変わる、などということは、ゆめゆめ考えてはならない、これは法華講の師弟子の道の基本である、と弁えておかなければなりません。
 また、指導教師の許可さえいただくことなく、勝手に他の寺院に移籍してしまう等に至っては、宗制宗規違反であり、論外の所行であります。
 そのようなことをして、何かの手違いで先方の寺院で受け入れられたとしても、信心の本質においては、その時点で退転であり、退転者が新たな寺院で入信して信心を最初からやり直すことにあたる、といえましょう。けっして胸を張れるようなことではありません。

投稿者 myokanko : 2006年04月14日 18:49

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from: 21世紀さん

2009年02月27日 09時37分33秒

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「Re:2005年09月17日 師弟子の道と妙観講の在り方 ―疑問に答える―」
Q三、妙観講では、御住職に接する機会よりも講中幹部と接するウェイトの方が大きい。これでよいのだろうか。

A三、日淳上人は、
 「今日は、寺院教会より受くる影響よりも、講中より直接受くる方が、幾倍か大きいでありましょう。今日のごとく、人々が多忙の生活を営まなければならぬ時に、悠々と寺院教会の門を叩いて常に教化を受ける、ということは不可能であります。しかし講中の人々は、だいたい社会生活の上に、一集団をなすのでありますから、常に面接せる機会をもっています。これが教化にこの上もなく便宜であります」
と仰せであります。
 この御指南に明らかなように、講中制度を用いて折伏・育成を進めていくなら、日常の信仰においては、必然的に、講中の役員・幹部と接する機会の方が、御住職と接する機会より多くなります。それが講中制度を活用した場合の実際の相なのです。
 その場合、講中幹部と接するウェイトが大きいことが問題なのではなく、講中幹部から何を教えられているのか、ということこそが大切でありましょう。
 役員・幹部が、御法主上人や指導教師の御指南を誤りなく伝えているならば、何の問題もないはずですし、むしろ、その御指南を、より多くの講員に、より迅速に徹底することができます。
 また、講中幹部は、同じ在家信徒の立場において、どのような信仰をしていかなければならないか、ということを後進の人達に示す立場であります。たとえば、いかに御僧侶を敬い、御供養をし、寺院を発展させていくか、また仕事をもちながら、どのように信心や折伏を進めていったらよいのか――等々は、同じ在家信徒である講中の役員・幹部が、身をもって指し示していくべきであります。
 以上のような意味におきまして、日常の信仰の中で、役員幹部と接するウェイトが大きいことは何の問題もない、というよりも、むしろ、その中で信徒としての正しい信仰の在り方を学んでいくことが大切である、といえましょう。(『誠心』はじめにを参照)
 また、このように考えてきますと、講中の役員・幹部は、誰がなってもよいとか、持ち廻わりで、というわけにはいきません。やはり、信・行・学がきちんとしている人を、師匠の承認のもとに選任する、ということになるのは当然であります。

Q四、講中組織の在り方は、信徒に上下関係を作らず、皆、住職と等距離にある平等の組織が良いと思う。

A四、こういう考えを抱く人は、差別に即した平等、平等に即した差別という、仏法の道理が解っておらず、また、率直に言って、その人の信仰の中には慢心が巣くっています。
 昭和五十五年四月号の『妙観』に「講中組織の在り方」についての対談記事が掲載されていますが、その中に、小川御尊師のお言葉として、
 「世間の言葉ですが、親しき仲にも礼儀あり、といいます。仏法においても、礼儀・筋目というものが大切で、そこをきちんとせず、いい加減な組織になってしまうといけませんね。
 そうした振る舞いのなかに礼儀がきちんとしていませんと、組織も何も、滅茶苦茶になってしまうと思いますよ。
 本山においても、山法山規といった不文律の規律がありましてね、猊下に対しては必ず合掌礼をとる、ということも決まっているわけです。そういう礼儀をきちんとして、今日の宗団があるのですから。それをきちんとしなければ、結局、三宝を敬う信心というものがなくなってしまう、と思うんですね。
 また、三宝に対して、それだけの行体行儀を積み、功(く)を積んだ先輩には、それなりの礼を尽くさなければならない―。それは、日興上人の遺誡置文(ゆいかいおきもん)にもありますように、自分より行体行儀の勝れた人、また智の勝れた人、自分より信心の勝れた人を、尊敬していかなくてはいけない。尊敬するということは、やはり、そこに礼儀がなくてはできないと思いますよね。
 そうしたことが、僧侶間においても、また皆さん方の組織においても、そういう形というものが必要だと思いますね」
とあります。
 つまり、僧と俗(ぞく)に厳格な違い、立て分けがあることは判ると思いますが、それ以外に、御僧侶の間にも、修行の長短・浅深という違いがあり、それによって、御尊能化もおられれば、教師の御僧侶もおられ、僧階の違いなどがあります。
 つまり、御僧侶方も、皆、御法主上人のもとに平等同格なのかといえば、けっしてそうではないということです。
 同様に、信徒の中にも、信仰の長短、信行学の浅深という違いが、自ずからあることは当然です。
 いくら「信徒は皆、平等であるべきだ」と主張してみても、実際に、信行学の差が厳然とあるのは、否定しがたい事実であります。
 それを無視して「平等」を強調することは、むしろ悪平等であるといえましょう。
 このように、御僧侶間にも、信徒間にも、現実に差があるのですから、たとえ同じ信徒であっても、長い信仰歴の中で正しく強い信仰を培(つちか)い、信行学において抜きん出た人に対しては、礼儀をもって接し、信仰を学んでいかなければならない――その精神を、日興上人の遺誡置文に、
 「身軽法重(しんきょほうじゅう)の行者に於ては下劣の法師たりと雖(いえど)も、当如敬仏(とうにょきょうぶつ)の道理に任せて信敬を致すべき事」
 「弘通の法師に於ては下輩たりと雖も、老僧の思ひを為すべき事」
 「下劣の者たりと雖も、我より智勝れたる者をば仰いで師匠とすべき事」
   (御書一八八四頁)
と示されているのです。(『誠心』十五項目参照)
 そして、このような精神に徹して、謙虚に仏法を求め行じていくところに、師匠も弟子も、僧も俗も、先輩も後輩も、皆、平等に即身成仏の境界を得ることができます。これこそが、差別に即した平等の大利益であり、このような大利益は、現実の差別をよく弁えて、信敬・礼儀をもって謙虚な信仰に励んだ者だけが得られるのであります。
 これに対し、あくまでも平等のみを主張する(じつは悪平等を主張している)人というのは、結局、「同じ信徒から指導されたくない」「あんな奴に教えを受けたら、自分が低く見えてしまう」――という慢心があるから、「住職と等距離の組織が良い」とか、いろいろ、もっともそうな理屈を言うのでありましょう。
 こういう心根を、大聖人は、
 「彼に物を習はゞ人にや賤しく思はれんずらんと、不断悪念に住して悪道に堕(だ)すべしと見えて候」
   (御書一0四七頁)
と戒められているのであり、これが高じていきますと、最後は悪道に堕ちて成仏できなくなってしまいます。
 よくよく自戒して、謙虚な信仰に励まなくてはなりません。

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