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from: 21世紀さん
2009/03/15 21:19:30
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このような考えは正しいのですか
池田xx氏は「日蓮大聖人は宇宙の根本法則を一幅の曼荼羅に御図顕なされた」(池田スピ-チ S五六・一・二六)といっていますが、この考え方は正しいのですか。
これは池田xx氏の我見であって、大聖人の教義ではありません。これはむしろ外道の思想です。
『御義口伝』に「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(新編 1773頁) と仰せのように、漫荼羅(本尊)とは大聖人御自身であり、大聖人を離れて妙法はないのです。
しかし池田氏は、妙法が仏とかけ離れた宇宙の根本法則であると思い込んでいるようです。このような考えについて、日淳上人は次のように破折されています。
「南無妙法蓮華経は法であるとのみ考へるからでありまして、宇宙に遍満する妙法の理が題目であるとするからであります。此れは大変な誤りで、南無妙法蓮華経は仏身(大聖人)であります(中略)妙法の理は天地の間にありましても、それは理性であります。実際には仏(大聖人)の御智慧のうちにのみ、厳然として具はり玉ふのであります。その仏は、十方法界に唯一人在ますだけであります」(淳全 982頁)
このように、人(大聖人)を離れて法(南無妙法蓮華経)はなく、大聖人はそのまま南無妙法蓮華経の御当体なのです。ゆえに池田氏の考え方は全くの我見であり、正しい考え方ではありません。-
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コメント: 全38件
from: 21世紀さん
2009/03/16 23:24:27
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「Re:このような考えは正しいのですか 」
学会では“先生と自分との関係を忘れない信心こそ功徳がある”との指導をしていますが、この考えは正しいのですか。
学会では「御本尊と自分の間に、ほかのものはいらない」と指導しているのに、ずいぶん矛盾した指導ではありませんか。
日蓮正宗は、日蓮大聖人の仏法を信じる教団です。
したがって、『上野殿御返事』に「此の南無妙法蓮華経に余事をまじへば・ゆゆしきひが事なり」(新編 1219頁)と仰せのように、大聖人の教えでないものを入れることは謗法です。
「先生と自分との関係を忘れない信心」とのことですが、信仰をしていくうえで、池田xx氏を絶対的な立場に位置づけることは間違いです。
昭和五十三年一月に、第六十六世日達上人は「先日、東北のある県で、〃御本尊に向って、ある人を心に思い浮かべてお題目を唱えろ〃ということを指導した人がある(中略)実に残念なことでございます。それでは謗法の念慮を絶したということにはならない」(達全 2-7-136頁)と仰せられましたが、この〃ある人〃とは当時創価学会会長であった池田xx氏を指していることは周知の事実です。
ましてや、今日、池田氏は大慢心を起こして、日蓮大聖人の仏法を継承する日蓮正宗を誹謗しているのですから、その池田氏との「関係を忘れない信心」をすれば、池田氏同様、会員も頭破作七分になり、悪道に堕ちることになります。
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from: 21世紀さん
2009/03/16 23:19:48
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「Re:このような考えは正しいのですか 」
学会員は「学会のおかげ」「池田先生のおかげ」と指導されますが、これは正しい指導なのでしょうか。
このような指導は間違いです。
現在の創価学会員が、日蓮正宗の正しい信心ができないのは、かえって「池田先生のおかげ」を最優先させているからです。
第二代会長戸田城聖氏は「良き法と、良き師と、良き檀那との三つが、そろわなければだめなのです。南無妙法蓮華経、これは良き法にきまっている。大御本尊様は良き法なのです。また御法主上人は唯授一人、六十四代のあいだを、私どもに、もったいなくも師匠として大聖人様そのままの御内証を伝えておられるのです。ですから、御法主上人猊下をとおして大御本尊様を拝しますれば、かならず功徳がでてくる。ただ良き檀那として、その代表として、その位置にすわれたことを、私はひじょうに光栄とするものであります」(戸田城聖全集 四-三九九頁)といっています。
学会は檀那(信徒)の団体であり、会員が会長を尊敬することは当然ですが、三宝以上に敬うことは本末転倒であり、謗法になります。
今までの学会員が功徳を得てきたのは、「御本尊様のおかげ」「正しい仏法のおかげ」であって、「学会のおかげ」「池田先生のおかげ」ではないのです。
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from: 21世紀さん
2009/03/16 00:11:47
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「Re:このような考えは正しいのですか 」
学会には、「池田名誉会長が『世界の指導者』として世界各国から称賛されることが広宣流布につながる」という考えがありますが、これは正しい考えでしょうか。
広宣流布とは、正当な日蓮大聖人の仏法を弘めることです。
かつて日達上人は「日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは、広宣流布とは言えないのであります」(達全 2-6-295頁)と仰せられました。
たとえ池田xx氏が世界の要人から称賛されたとしても、その称賛する人たちは正法の護持者ではないのです。
大聖人は、『開目抄』に「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」(新編 577頁)と仰せられております。
過去に戸田会長は『青年訓』において「愚人にほむらるるは、智者の恥辱なり。大聖にほむらるるは、一生の名誉なり」(戸田城聖全集 一-六一頁)と指導していたではありませんか。
『法門可被申様之事』の講義にも「社会的名誉を第一とする三位房の姿勢を、大聖人は『旁せんずるところ日蓮をいやしみてかけるか』と厳しく叱責されているのである」(学講 二七-一〇五頁)とあります。
このように、世間から誉められることが広宣流布につながるとの考えは、大聖人の教えにはありません。
大聖人は『持妙法華問答抄』に「名聞名利は今生のかざり(中略)嗚呼恥づべし恥づべし」(新編 296頁)と厳しく戒められています。
http://www.nichirenshoshu.or.jp/page/jpn/index_j.htm
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from: 21世紀さん
2009/03/16 00:08:15
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「Re:Re:このような考えは正しいのですか 」
学会では「現在の宗門は狂っているから、宗門に従っても功徳はない」といっていますが本当でしょうか。
これが今まで日蓮正宗の信仰をしていた人の言葉なのでしょうか。
日蓮正宗の総本山には本門戒壇の大御本尊が厳護されており、昔も今も七百年の間、戒壇の大御本尊を根本として、僧俗和合のもとに広宣流布に邁進しています。
ところが、創価学会はことごとく変わってしまいました。
例えば「総本山へ参詣するな」「寺院に行くな」「学会に本尊下付の資格がある」「授戒は牧口先生時代から始めたもので不要だ」「葬儀は檀家制度の弊風である」等々、実に枚挙にいとまがないほどの変貌ぶりです。学会は今回の問題が起きるや、今まで自分たちが行なってきたことを、百八十度変えてしまったのです。
一体どちらが狂っているのでしょうか。
酔った眼で山を見れば、自分は不動で山が動いているように見えるように、狂った人が宗門を見れば宗門が狂ったように見えるのでしょう。仏法の正邪を決するのは人の数や世法の力ではありません。あくまでも御本仏のお心、すなわち法体と相伝をもって判断すべきなのです。
富士大石寺から離れた創価学会には、もはや宗祖大聖人の法体はもちろん、唯授一人の相伝もないのです。そのような創価学会に従っても、罰こそあれ、決して功徳はありません。
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from: 21世紀さん
2009/03/16 00:05:08
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「Re:このような考えは正しいのですか 」
「信心の血脈さえあればよい」という学会の指導は正しいのですか。
創価学会は、『生死一大事血脈抄』の講義の中で、「血脈には別しての法体の血脈と、総じての信心の血脈とがあり、明確に立て分けなければならないことである」(学講 三〇上-五八頁)、「したがって、総じての信心の血脈は御法主上人の御指南のもと、御本尊を唯一無二に信ずる衆生の信心の一念にこそ流れる」(同書 六一頁)と述べていました。
日蓮大聖人は『曾谷殿御返事』に、「総別の二義少しも相そむけば成仏思いもよらず、輪廻生死のもといたらん」(新編 1039頁)と仰せですが、本宗においては血脈にも総別の立て分けがあり、そこには厳とした筋目があるのです。
現在の創価学会のように、別しての「法体の血脈」を否定し、総じての「信心の血脈」だけを強調することは、成仏どころか、堕地獄の業因となります
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from: 21世紀さん
2009/03/16 00:01:27
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「Re:このような考えは正しいのですか 」
池田氏がいう「大宇宙の生命のリズムと小宇宙である自分が合致するために唱題をする」という考え方は正しいのですか。
大宇宙の生命のリズムと自分が合致するなどという考えは全くの邪義です。
日蓮大聖人は、宇宙に遍満する法を御本尊として顕わされたのではなく、御本仏の御内証を一幅の御本尊として顕わされたのです。
それが、弘安二年十月十二日御図顕の本門戒壇の大御本尊です。
本門戒壇の大御本尊は、人即法・法即人、人法一箇の御本尊であり、決して大宇宙の生命のリズムなどという法ではありません。
私たちの信仰の根本は、本門戒壇の大御本尊であり、この大御本尊を対境として唱題することにより、即身成仏の功徳を得ることができるのです。
御法主日顕上人は、法のみに偏った考えに対し、次のように破折されています。
「宇宙に遍満する法のリズムに我々が合致するなどと言っておるようですが、あれは大変な間違いです。むしろ、大聖人様の仏法に対する冒涜であります。法といっても、それは大聖人様の久遠元初の御当体としての自受用報身の一念に具わる法なのです」(大日蓮 563-54頁)
したがって、私たちが本門戒壇の大御本尊に向かって純真に唱題するとき、御本仏の一念に境智冥合し、はじめて成仏の大利益が生ずると理解すべきです。
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from: 21世紀さん
2009/03/15 23:57:07
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「Re:このような考えは正しいのですか 」
学会でいう「人間主義」は、どこが間違っているのですか。
一般的に「人間主義」はヒュ-マニズムともいわれ、“人間の意義と価値を重視し、人間の権利や自由を尊重する思想”と解釈されています。
しかし創価学会は、仏法本来の僧俗・師弟の立て分けを「権威主義」として排除し、自らの優位を誇示するために「人間主義」などの聞こえのよい言葉を振り回しているに過ぎません。
人間の価値をすべてに優先させるという意味では、人間主義と民主主義は共通であり、その基本原則は自由・平等・尊厳といわれています。
私たちは、人間として何ものにも束縛されず、平等に認められ、人間としての尊厳を守ることが理想です。
しかし、これを仏法の立場からみれば、人間一人一人がそれぞれ過去の業因と宿縁によってさまざまな報いを受けているのです。
日蓮大聖人は『当体義抄』に「正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩・業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じて云云」(新編 694頁)と仰せられて、御本仏が悟られた妙法を信受することによって、衆生ははじめて人間として理想的な境界に到達できることを説かれています。
現在の創価学会が、仏法上の僧俗の節目を破壊し、在俗の池田xx氏を宣揚せんがために、さかんに「人間主義」を強調しているのは、実に愚かな行為というべきです。
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from: 21世紀さん
2009/03/15 23:10:05
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「Re:このような考えは正しいのですか 」
日蓮正宗において、戒壇の大御本尊を離れた「御本尊根本」という考えは成り立ちますか。
本門戒壇の大御本尊を離れては、日蓮正宗の信仰そのものが成り立ちません。
なぜなら、日蓮正宗における信仰の対境は本門戒壇の大御本尊に限られるからです。
したがって、大聖人の仏法において、大御本尊から離れて「御本尊根本」の信仰をするなどはありえないことであり、このような主張は、各人に下付された御本尊が本門戒壇の大御本尊の御内証を書写されたものであることを知らない人の言葉にすぎません。
ここにわかりやすい譬えがありますので、紹介しましょう。
「電灯にたとえて考えてみると、ヒューズがとんで電流が流れてこない電灯は、電球が切れていないからといって、いくらつけても明るい光りを発しないようなもので、電球は本物であっても、電流が流れてこなければ光りが出ないのである。(中略)したがって富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である」
これは、ご存じ、創価学会で発行した『折伏教典』(三三九頁)の一文です。
大聖人が『聖人御難事』に「余は二十七年なり」(新編 1396頁)と仰せられた、出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊を離れることは、御本仏日蓮大聖人から離れ、下種三宝のすべてを否定する大謗法なのです。
まして、今日の創価学会では、電球(本尊)までニセ物を作ってしまったのですから、そのニセ物には、光(功徳)の出ることなど絶対にありえません。
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from: 21世紀さん
2009/03/15 23:08:07
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「Re:このような考えは正しいのですか 」
「世間でも太陽を崇める宗教や富士山を敬う宗教がいくつもあるように、日蓮正宗を離れても本門戒壇の御本尊を根本として信仰することは少しもおかしいことではない」という考えは正しいのでしょうか。
日蓮正宗を離れては広宣流布も一生成仏もありません。
日蓮正宗は大聖人の教えを今日まで正しく継承し、実践するただ一つの教団であり、大聖人の教えを守るとともに、これを生活の中に展開して、実際に一切衆生の救済に努めてきました。
その根源はなんといっても、本門戒壇の大御本尊を法義・信仰の中心としてきたからにほかなりません。
この戒壇の大御本尊は富士大石寺に御安置されており、この大御本尊の極意は大石寺代々の御法主上人に伝えられています。
したがって戒壇の大御本尊と血脈相承の具わった日蓮正宗の信仰によって、はじめて成仏を遂げることができるのです。
大石寺を離れ、日蓮正宗から離れて、いかに「御本尊根本」などといっても、決して大聖人の御精神にかなうものではありません。
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from: 21世紀さん
2009/03/15 23:01:11
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「Re:このような考えは正しいのですか 」
日寛上人の御本尊を複写したものを、なぜ宗門では「日寛上人の本尊ではない」「日寛上人のお心にそむく大謗法」というのですか。
宗門でいう「日寛上人の御本尊」とは、「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ」(新編 685頁)と仰せの、大聖人の「たましい」が、血脈相承のうえから、正しく写されている御本尊のことです。
しかし、今回学会が勝手に複写して作ったものは、姿・形は日寛上人の御真筆とそっくりであっても、血脈付法の御法主上人の許可がないので、大聖人の「たましい」が写されておらず、「日寛上人の御本尊」とはいえないしろものです。
たとえば自分で勝手に御本尊を写真に撮って、それを拝むのと全く同じことであり、大謗法なのです。
また、学会では日寛上人の御真筆御本尊にしたためられていた「大行阿闍梨本證 坊日證」という授与書きを勝手に抹消し、変造しており、これが「日寛上人のお心にそむく大謗法」になるのは当然です。
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from: 21世紀さん
2009/03/15 22:58:53
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「Re:このような考えは正しいのですか 」
総本山第二十六世日寛上人の御本尊を「ニセ本尊」と呼ぶのは日寛上人に対する冒涜ではありませんか。
宗門では、浄圓寺所蔵の本證坊個人に下付された日寛上人御書写の真正の御本尊を「ニセ本尊」といっているのではありません。
御法主上人の許可なく、勝手に複製されたものを、私たちは「ニセ本尊」と呼んでいるのです。
そのうえ、創価学会は日寛上人の御本尊にしたためられていた「授与書き」を勝手に削り、会員に販売しているのですから、学会が日寛上人のお心に背き、日寛上人のお徳を汚す大罪を犯しているのは明白です。
これこそまさに、日寛上人に対する冒涜以外の何ものでもありません。
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from: 21世紀さん
2009/03/15 22:56:42
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「Re:このような考えは正しいのですか 」
なぜ学会で授与する本尊が「ニセ本尊」なのですか。
たとえば、精巧なカラーコピーの機械で、紙幣をコピーして「お札」を作製するとします。いかに本物の「お札」と見分けがつかなくても、そのコピー札は「ニセ札」であり、それを使えば法的に罰せられます。
なぜかといえば、
①正式な政府の許可がなく、
②日本銀行から発行されたものでなく、
③自分で勝手に作ったものだからです。
「ニセ本尊」はこれと全く同じ道理です。
①御法主上人の許可を受けず、
②総本山から下付されたものではなく、
③学会が勝手に作製したものだからです。
学会では「自分たちが和合僧団だから、その資格がある」と主張しますが、一体その資格は、どなたから受けたのでしょうか。御歴代上人の中で、創価学会に相承された方などおられません。もし「広布を願う一念があれば資格が具わる」などと いうのならば、誰でもいつでも勝手に本尊を作ることができることになり、大聖人の仏法は混乱し、滅亡してしまうでしょう。
ニセ札は法律で罰せられますが、「ニセ本尊」は仏法破壊の大罪として、必ず現罰をこうむるのです。
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from: 21世紀さん
2009/03/15 22:54:30
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「Re:このような考えは正しいのですか 」
「御本尊根本」であるならば、正しい信仰といえるのでしょうか。
真実の「御本尊根本」とは、宗祖日蓮大聖人の教義を正しく守り、血脈付法の御法主上人の御指南のもとに、本門戒壇の大御本尊を唯一無二に信ずることです。
しかし現在の創価学会でいう「御本尊根本」とは、御歴代上人に伝わる血脈相承を否定するためにいい出した言葉なのです。
かつて創価学会は『折伏教典』に「富士大石寺にそむく謗法のやからがもつご真筆の御本尊には、大聖人の御魂は住まわれるわけがない」(同書 三四〇頁)と解説し、たとえ日蓮大聖人の御真筆漫荼羅であっても富士大石寺の血脈から離れたものには大聖人の心は宿らないといっていました。
ところが現在は「もはや御本尊はどれも同じ」といい、富士大石寺の本門戒壇の大御本尊を軽視する邪説を唱えています。
「御本尊根本」というと聞こえはよいのですが、この言葉を使用する創価学会の意図は実に邪悪なものなのです。
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from: 21世紀さん
2009/03/15 22:50:58
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「Re:このような考えは正しいのですか 」
「『ニセ本尊』に功徳がない」ということは、学会員が拝んでいる従来の御本尊には功徳があるということですか。
三宝を誹謗する謗法団体となった創価学会に所属している人は、従来の御本尊でも功徳は積めません。
「『ニセ本尊』に功徳はない」というのは、その本尊自体が、最初から大御本尊の血脈が通じておらず、仏力・法力が具わっていないからです。
従来の御本尊は正しい血脈のもとにまさしく仏力・法力が具わっており、御法主上人の御指南に従って正しく信仰をすれば、功徳があることはいうまでもありません。
しかし、従来の御本尊であっても、拝む人が血脈付法の御法主上人を誹謗するならば、四力(仏力・法力・信力・行力)が合せず、功徳はありません。まして何よりも「ニセ本尊」を作るほどの謗法団体になった学会に所属していては、絶対に功徳はありません。かえって、拝むほどに罪業を積み重ねることになります。さらには今までの信心による一切の功徳が消えてしまうことを恐れるべきです。
「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」(新編 515頁)とは、このことです。
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from: 21世紀さん
2009/03/15 22:47:22
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「Re:このような考えは正しいのですか 」
「ニセ本尊」を拝むとどうなるのですか。
「ニセ本尊」には、仏法に敵対する魔の力があり、これを拝むと魔の通力によって現罰を受け、その謗法の罪によって永く地獄に堕ちる結果となります。
大聖人の仏法において「似て非なるもの」を用いるということは、大謗法です。
その理由は、仏に似ているがゆえに、正しい教えが隠され、多くの人々が真実の仏を見失ってしまうからです。
大聖人は、真言宗が天台の一念三千を盗み入れて「大日経第一」と立てたことに対して「真言亡国」と破折されていますが、今回創価学会が作製した「ニセ本尊」は、日蓮正宗の御本尊を盗み取り、日寛上人の御本尊に姿・形を似せているだけに、その罪もまた大きいのです。
第二代戸田会長は、御本尊について「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、仏立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから、力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている。だからコワイ」(大白蓮華 九八―九頁)と指導しています。
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from: 21世紀さん
2009/03/15 22:44:00
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「Re:このような考えは正しいのですか 」
拝む人に「信力」「行力」があれば、複写本尊でも「仏力」「法力」を発現する、という主張は正しいのですか。
これは、本末転倒であり増上慢の考えです。
仏力・法力・信力・行力は四力といいます。その関係について、日寛上人は『観 心本尊抄文段』に「当に知るべし、蓮華は水によって生じ、我等が信力・行力は必ず法力によって生ずるなり。若し水なくんば則ち蓮華生ぜず、若し法力なくんば何んぞ信行を生ぜん(中略)我等、法力により信力・行力を生ずと雖も、若し仏力を得ざれば信行退転さらに疑うべからず」(富要 4-248頁)と仰せです。
もともと日蓮大聖人の御当体たる御本尊には仏力と法力が具わっており、この御本尊に対して信じ(信力)、唱題を行ずる(行力)ときに四力が合して成仏がかなうのです。「仏力」も「法力」もない複写の「ニセ本尊」に向かって、凡夫がいかに信力・行力を発動しようとも、真実の境智冥合などありえません。
迷いの衆生である凡夫の信力・行力によって、御本尊に仏力・法力が具わり、本当の本尊になるなどという論は、因果を無視した外道の考えであり、また「我、仏に勝れたり」とする増上慢の極みです。
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from: 21世紀さん
2009/03/15 22:40:20
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「Re:このような考えは正しいのですか 」
学会では「宗門が御本尊を下付してくれないので、やむをえず複写して授与することになった」といっていますが、本当ですか。
この問いでは「なぜ宗門が下付しないのか」を知ることが大切でしょう。
日蓮正宗は、大聖人、日興上人以来の化儀・化法を守り、正しく信仰する人々に 対しては、いかなる人であっても御本尊を下付してきました。
これは創価学会に対しても同様です。
ところが学会は、次第に正宗信徒の道から外れ、宗門からのたび重なる教導に対しても、それを受け入れないのみならず、仏法僧の三宝を破壊する大謗法団体と化してしまったのです。
換言すれば、本宗の信徒団体としての資格を自ら放棄してしまったのですから、団体破門となり、そのために会員に対する御本尊下付もされなくなったのです。
一時は広宣流布を目指すように見えた学会でしたが、その本性は日蓮正宗信徒とはかけ離れた、御法主上人誹謗、三宝破壊を平気で行なう池田教だったのですから、御本尊下付の停止は当然の処置です。
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from: 21世紀さん
2009/03/15 22:34:55
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「Re:このような考えは正しいのですか 」
日蓮正宗の「信仰」とは何ですか。
総本山大石寺にまします、本門戒壇の大御本尊を根本とし、唯授一人の血脈に従い、本門の題目を自行化他にわたって行じることです。
信仰とは、絶対的なものを「信じ仰ぐ」ことです。「何」を対象として信ずるか によって正邪が決まりますが、仏法では三宝を対象とします。
日蓮正宗の法義では「文底下種の三宝」といって、
仏宝―日蓮大聖人
法宝―本門戒壇の大御本尊
僧宝―日興上人を随一とする御歴代上人と立てます。
その当体への「信仰」については、『当流行事抄』に、「我等唱え奉る所の本門の題目其の体何物ぞや、謂わく、本門の大本尊是れなり、本門の大本尊其の体何物ぞや、謂わく、蓮祖大聖人是れなり」(聖典 954頁)と、人法一箇の御本尊を信じ、本門の題目を唱えることと明示されています。
唯授一人血脈相承の御法主上人の御指南に従い、大聖人出世の御本懐である本門戒壇の大御本尊を、信じ行ずることが日蓮正宗の「信仰」なのです。
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from: 21世紀さん
2009/03/15 22:31:51
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「Re:このような考えは正しいのですか 」
「広宣流布」の本当の意味は何ですか。
総本山第二十六世日寛上人は『文底秘沈抄』に「富士山は是れ広宣流布の根源の故に。根源とは何ぞ、謂わく、本門戒壇の本尊是れなり」(聖典 855頁)と仰せです。
すなわち、全世界の人々が総本山にまします本門戒壇の大御本尊に帰依して、本門の題目を唱えることを「広宣流布」といいます。
『諸法実相抄』に「剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」(新編 666頁)と仰せられ、『如説修行抄』には、広宣流布のときには、自然界も、社会も、そして個人も、平和で安穏な世界になると説かれております。
日蓮正宗の仏法を「広宣流布」することが大聖人の御遺命なのです。現在の創価学会のような、本尊と血脈に迷う人々がどれほど増えても、大聖人の御正意の「広宣流布」ではありません。
日達上人も「日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります」(達全 2-6-295頁)と明確に仰せられています。
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from: 21世紀さん
2009/03/16 23:28:15
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「Re:このような考えは正しいのですか 」
学会員が増えることが広宣流布」ということは正しいのですか。
第六十六世日達上人は、「創価学会創立四十八周年記念代表幹部会」の折、「とにかく大聖人以来、七百年間守りつづけてきた伝統と教義の根本はあくまで守り伝えなくてはならないのであります。これを踏まえなかったならば仮りにこれからいくら勢力が増しても、広宣流布は見せかけのものであったかとの後世の批判を免れることはできないのではないかと心配いたします」(大白蓮華 三三三-一三頁)
と明確に指南されております。
かつて池田xx氏は「現代においては、いかなる理由があれ、御本仏・日蓮大聖人の『遣使還告』であられる血脈付法の御法主日顕上人猊下を非難することは、これら(=正信会)の徒と同じであるといわなければならない。批判する者は、正法正義の日蓮正宗の異流であり、反逆者であるからである」(大白蓮華 三六三-五二頁)と発言しておりますが、この言葉どおり、現在の創価学会は、日蓮正宗の正法に敵対する異流義となり、日蓮正宗より破門されてしまいました。
したがって、学会員がいかに増えても広宣流布とは関係ありません。
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