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from: 21世紀さん
2009/03/30 00:23:05
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大御本尊否定の大謗法
大白法平成15年12月16日(第635号)
創価学会・憂宗護法同盟を破折する
学会員を誑(たぶら)かす数々の嘘(うそ)
本紙六三0(十月一日)号、六三二(十一月一日)号掲載の座談会では、池田創価学会、及びその走狗(そうく)・憂宗護法同盟が、悪書『法主詐称(ほっすさしょう)』や「創価新報」などで行っている日蓮正宗の血脈相承への誹謗(ひぼう)報道につき、総監・藤本日潤御尊能化、並びにこれらの報道に実名を記載された当事者の早瀬日如・八木日照・菅野日龍の各御尊能化、阿部信彰御尊師により、彼等の報道が悪質極まる誹謗中傷にすぎないことが証明されました。
「一事が万事」の諺(ことわざ)からも、これまでの証明で、すでに彼らの誹謗報道のすべてが虚偽捏造(きょぎねつぞう)であることが明白となったと言うべきですが、今回は特に大御本尊、及び血脈相承に関する彼らの無惨な誹謗について、徹底破折された座談内容を掲載いたします。
法華講員読者各位には、当座談会の内容を、創価学会員、及びその走狗である離脱僧らの破折に際して、積極的に活用されるよう願います。
「河辺メモ」を歪曲(わいきょく)した悪意の誹謗
司会
悪書『法主詐称』や「創価新報」では、所謂(いわゆる)、通称「河辺メモ」なるものを取り上げて、こともあろうに御法主日顕上人猊下が本門戒壇の大御本尊を偽物と断定したなどと繰り返し述べていますが、この点はいかがでしょうか。
藤本
大体、「河辺メモ」と呼ばれているものは、故河辺慈篤師が個人的に記した覚え書きのはずです。それが何で創価学会側に存在するのか。おかしな話だね。
阿部
創価学会は「河辺メモ」入手の経過を明かしておりません。要するに出所も明かせないような資料なのだと思います。
早瀬
この件については河辺慈篤師自身が事情を説明していたと思うが。
司会
はい。創価学会側の同盟通信による最初の誹謗が、平成十一年七月七日でした。それに対し、同年七月九日と十日に宗務院より通達が宗内へ発せられています。特に七月十日の通達には、昭和五十三年当時のメモについての河辺慈篤師の証言が掲載されています。
「当時の裁判や以前からの『戒壇の大御本尊』に対する疑難について様々な話が出た中で、それらと関連して、宗内においても、『戒壇の大御本尊』と、昭和四十五年に総本山へ奉納された『日禅授与の御本尊』が共に大幅の御本尊であられ、御筆の太さなどの類似から、両御本尊の関係に対する妄説が生じる可能性と、その場合の破折について話を伺ったもの」(抜粋)
阿部
たしか、この河辺師の説明について創価学会側は、当時、このような戒壇の大御本尊に対する妄説が、宗内に生じる状況にはなかったなどと疑難していたと思いますが。
八木
そうだったね。しかし、河辺師が、「当時の裁判や以前からの疑難についての様々な話の中で」と述べているところからすれば、決して、宗内に妄説(もうせつ)の起こる可能性だけが話題となったわけではないと思う。あの当時、戒壇の大御本尊に対する外部の疑難に対して、御先師日達上人が御指南をされたことがあったですね。
菅野
ええ、たしか昭和四十七年の秋でしたかね。「戒壇の大御本尊は室町期の作」などとする他宗からの疑難につき、日達上人が破折なされたことがあります。内容は、戒壇の大御本尊の御彫刻には、鎌倉時代の手斧(ちょうな)が用いられており、後世の室町時代に使われた鉋(かんな)の削り跡とは明らかに違う、よって後世の作とする疑難は当たらないという御指南でしたね。
藤本
昭和四十七年頃にそのような御指南があったということは、その関連で、昭和五十三年の「河辺メモ」が、戒壇の大御本尊に関する妄説の破折についての覚え書きであったとする河辺師の証言は、当時の状況にも合致しているわけだね。
早瀬
第一、当事者である河辺師が明確に、「疑難への破折についてのメモ」と証言しているものを、他人がとやかく言うべき事柄ではないね。「河辺メモ」は河辺慈篤師の個人的なメモ書きなんだから、主語も述語も省(はぶ)かれており、当然他人が速断できるものではないのに、学会はそれを悪意で宗門誹謗の材料としたわけだ。
阿部
この当時、後に正信会と名乗る活動家僧侶の中で、そのような疑難があったという情報については、いかがでしょうか。
八木
『慧妙』にも載っていたと思うが、正信会の者が編纂(へんさん)した『日興門流上代事典』中に、「河辺メモ」に記される大御本尊と日禅授与の御本尊の関係についての記述とまったく同一の内容が記載されているね。
菅野
正信会の書籍に大御本尊と日禅授与の御本尊の関係についての記述があるとすれば、彼らの中に昭和五十三年当時にも、そのような疑難をもつ者がいた可能性が大きいな。
早瀬
やはり河辺師の説明どおり、それまでの戒壇の大御本尊に対する外部の者の疑難や、宗門の一部の僧侶(後の正信会)が、疑難をもつことも予想される状況の中で、当時教学部長であられた日顕上人猊下が、そのへんのことを河辺師と談話されたというのが真相だと思うね。
藤本
「河辺メモ」とされるものの次の部分には、「Gは話にならない」などと、日達上人に対する批判的内容が記されているようだが、謹厳な御法主日顕上人猊下がそのような御言葉を発せられるとは考えられないね。
八木
ええ、むしろ、大御本尊の件と同様、後に正信会と名乗る活動僧侶が、当時同様の猊下批判を口にしていたことは周知の事実だし、この件についての「河辺メモ」の真実は、当時、一部の活動僧侶(後の正信会)がなしていた疑難や批判について、日顕上人が河辺師との面談の中で語られたときの記録と見るべきでしょう。
阿部
御法主上人猊下は当時の状況につき、
「御本尊と血脈等に関する疑難悪口があることの内容について、ある時に慈篤房と客観的な話をしたような記憶は存する。しかし学会で発表したあのメモのような諸件についての主張をしたことは断じてないのである」(大白法 五三四号)
と仰せです。河辺慈篤師もまた同様に説明しておられるのだから、要するに創価学会と憂宗護法同盟の言い分は言いがかりと言うほかありませんね。
八木
そしてそのあと、御法主上人は、
「そこで此の際はっきりしておくことは、本門戒壇の大御本尊様と日禅授与の御本尊とは全く相違しているという事である。よく拝すれば中尊の七字の寸法と全体からの御位置においても明らかに異なりが存し、また御署名御花押の御文字及びその大きさや御位置、各十界尊形の位置等にも歴然たる相違が存する。そして勿論模写の形跡などは存在しない。
したがって御戒壇様と日禅授与の御本尊とを類推すること自体が全くの誤り」(同)
と、明確に宣言あそばされているからね。
菅野
創価学会は先年「会則」を変更したようだが、この変更した会則の中で学会は、信仰の対象とする本尊について、従来の、
「日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている弘安二年一0月一二日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」
の部分を、
「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」
に変更したそうだね。
早瀬
御法主上人猊下に対し、「大御本尊を否定した」などと言いがかりをつけている創価学会が、会則から「大石寺安置の弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊」の部分を削除したということは、本当は、創価学会自体が本門戒壇の大御本尊否定の大悪業を犯したということだね。
八木
要するに彼らが御法主上人を誹謗する目的は、自らの大御本尊離れ、大御本尊否定の大謗法を正当化するためなんだよ。まったく呆(あき)れるね。
阿部
たしか彼らはその他にも総本山第六十二世日恭上人に対する誹謗や、故河辺慈篤師が日顕上人猊下に対して「『御師匠さん』と呼べ」と言ったとか、故山口範道師が御本尊に関して、「猊下以外に筆鑑定できる者はいない」と言ったとか、死人に口なしをいいことに、言いたい放題を述べていますね。
菅野
日恭上人に対する彼らの誹謗中傷はまるで筋違いと言うほかはないね。何故かと言えば、御書の文の一時的な削除の件とか、観念文の改訂の件、さらには神札の件などは、当時の戦時下における、軍国主義体制側の身延派との合同への圧迫をどう回避するかという特殊な時代状況と切り離しては論じられないからね。
早瀬
そういう意味では、当時の日蓮正宗は五十九世日亨上人をはじめ、全宗門が協議し、護法のために一致団結して正しい方針が採(と)られたのだから、当然日恭上人御一人を誹謗することは間違いだよ。
藤本
そのとうりだね。創価学会が日恭上人を誹謗することは、彼らが常々尊敬を口にする日亨上人も、当時御隠尊猊下として宗内教導の立場にあられたのだから、結局、学会は日亨上人についても批判しているわけだね。
阿部
はい。その道理が悩乱した頭破七分の彼らには判らないんですね。ところで河辺師には私もいろいろと可愛がってもらいました。いつでしたか河辺師が、「俺はな、御前(ごぜん)さんと法道院のおやっさんには頭が上がらない」と話してくれたことがありました。そのように思っている猊下に対して、「『御師匠さん』と呼べ」などと河辺師が言われるはずがありません。呆れた大嘘です。
八木
『法主詐称』の話が虚偽に満ちたものである証拠は他にもあるんじゃないか。例えば河辺師が教師講習会の折、現宮城県広安寺住職の三浦接道師らに、「アレ(日顕上人)は除歴しなきゃならん。六十七世はいないんだ!」と言ったなどとしているが、そんなことはあり得ない話だね。
阿部
まったくそのとうりです。私もおかしいと思って三浦師に確認いたしましたところ、そんなことは一言も聞いてないそうです。ご本人が文書で証言してもよいと申しています。創価学会と憂宗護法同盟の恥知らずな大嘘はまさに底抜けですね。
菅野
それはひどい。「裏の裏まで知り尽くした河辺の発言だけに『除籍しなきゃならん』『六十七世はいないんだ!』との言はずっしりと重い」などと、まったくの嘘を何が「ずっしりと重い」だ。
早瀬
「今、改めて問いたい。『六十七世』を詐称する阿部日顕とは、いったい何者なのか、と」などと、よく言うよ。本当に呆れるね。
藤本
彼らが「嘘も百遍言えば本当になる」を本気で実行していることは明らかだ。何というおぞましい団体なのか。空恐ろしくなるね。
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コメント: 全3件
from: 21世紀さん
2009/03/30 00:46:17
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「Re:Re:大御本尊否定の大謗法」
大白法平成16年2月1日(第638号)
創価学会・憂宗護法同盟を破折する
新興宗教創価学会 めざすは会長絶対化
血脈誹謗 重ねる数多の大謗法
昨年三回にわたり掲載してきた座談会では、総監・藤本日潤御尊能化をはじめ御出席の御僧侶方に、池田創価学会及びその走狗(そうく)・憂宗護法同盟が悪書『法主詐称(さしょう)』や「創価新報」などで行っている、御法主日顕上人猊下の血脈相承への誹謗、本門戒壇の大御本尊への誹謗等に対して完膚(かんぷ)無きまでに破折していただき掲載しました。
引き続き今回は、御歴代上人への誹謗等に対して、徹底的に破折していただきました。
「法主絶対論の大嘘」こそ邪説
司会
『法主詐称』で創価学会や憂宗護法同盟は、「法主絶対論の大嘘」とか、「狂的な『法主賛美論』」などと、日蓮正宗の血脈法水を口を極めて誹謗(ひぼう)していますが、日蓮正宗の教義は今も昔もまったく変わりはないですね。
阿部
もちろんです。彼らが「法主絶対論」だなどとして、『法主詐称』中に取り上げている宗門側の発言とは次のような文章です。
「日蓮大聖人の仏法は、唯授一人法体別付の血脈相承をもって、現御法主上人が御所持あそばされることは衆知のことであります。したがって、御法主上人御一人が、本門戒壇の大御本尊の御内証をお写しあそばされる権能をお持ちになるのであります」(大日蓮 五六二号)
「三宝一体とは、まさに本仏大聖人、戒壇の大御本尊、歴代の御法主上人が、その内証において、一体不二の尊体にましますということであります・・・」(『能化文書』平成三年九月)
早瀬
このような内容について、「日顕(上人)本仏論」だとか、「狂った坊主の戯言」などと誹謗するとは、とんでもないことを言う連中だ。ここで述べられている法門が「日顕(上人)本仏論」などでないことは当然だよ。それよりも日顕上人猊下の御登座当時、池田xxは本宗の血脈法水についていろいろと尊崇する旨(むね)の発言をしていたね。
八木
そう。血脈相承を尊重した池田xxの発言は枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がないが、例えば昭和五十七年七月二十四日には(第一回関東会研修)、
「日蓮正宗の根幹をなすものは血脈である。大御本尊を根本とし、代々の御法主上人が、唯授一人でこれを受け継ぎ、令法久住をされてこられた。御本尊を御認めあそばすのは、御法主上人御一人であられる。(乃至)広宣流布といっても、御本尊の御認めがなければできない。われわれは、あくまでも総本山根本、御法主上人厳護の信心で進んでまいりたい」(「広布と人生を語る」第三巻二五六頁)
と、唯授一人の血脈こそ本宗の信仰の根幹であると述べている。その同じ日蓮正宗の血脈を、現在は「狂った坊主の戯言」というわけだから、自語相違、支離滅裂(しりめつれつ)もいいところだね。彼らの言葉を借りれば、自らが狂うと、正当な法門が狂って見えるのだな。
藤本
というより、御本尊の御書写が血脈相承の上の唯授一人の権能にましますことは、この池田xxの発言からも、池田自身や創価学会、憂宗護法同盟の者たちは当然熟知しているわけだね。その御本尊に関する相承書の『御本尊七箇相承』には、御法主上人の御内証について、「代々の聖人悉(ことごと)く日蓮なりと申す意なり」(聖典三七九頁)と定められていることを彼らが知らぬはずはない。とすれば大聖人の仏法の根幹である血脈相承の意義を判りきった上での悪質卑劣な誹謗と言うよりほかはないね。
阿部
その通りですね。彼らが日蓮正宗の血脈相承には外用と内証のあることを充分に承知していたことを証明する池田xxの発言があります。次に揚げる、昭和五十四年五月三日の第四十回創価学会本部総会の折の講演です。
「本宗における厳粛なる法水瀉瓶唯授一人の血脈は、法灯連綿と、代々の御法主上人に受け継がれて、今日に至っております。あくまでも、御本仏は、日蓮大聖人様であらせられ、唯我与我の御法主上人のご内証を、大聖人と拝すべきなのであります」(聖教新聞 昭和五十四年五月四日付)
と述べています。
菅野
そうだったね。この時は御先師日達上人が御出席なされた最後の総会だった。日達上人が御臨席あそばされた創価学会本部総会という公式な場においての発言だけに、この池田xxの言葉には決定的な重い意味があるね。それは池田xxも、昭和五十二年路線の謗法を反省して、きちんと本宗の下種仏法の本義に基づき、これを尊重していくことを日達上人猊下にお誓い申し上げた言葉だったからだよ。
藤本
この折の池田講演により、池田xxと創価学会は本宗の正しい法義を遵守(じゅんしゅ)することを日達上人にお誓いしたわけだが、正にこの発言の通りだね。「本宗における厳粛なる法水瀉瓶唯授一人の血脈は、法灯連綿と、代々の御法主上人に受け継がれて、今日に至って」いるわけであり、今になって創価学会が御歴代の日精上人や日恭上人を誹謗することは本当に無慙(むざん)であり恥じ知らずと言うよりほかはないよ。日精上人や日恭上人がおられたからこそ、唯授一人の血脈が今日まで流れ通っていることを、かつては池田xxも正しく信解していたわけだからね。
八木
そうなんですね。法体相承の上からは、『御本尊七箇相承』の御文のように、御法主上人猊下の御内証を大聖人と拝すべきことは当然だし、そのことは池田xxもよく判っていたわけだ。
早瀬
ただし、宗門の甚深の法門の上からはただその一面だけではない。御法主上人猊下も三宝の意義を正しく拝することが大切と御指南あそばされているように、本宗の下種三宝には、法体と住持、外用(げゆう)と内証など重々の意義がある。内証の上からは三宝は一体だが、外用の上からは御歴代上人はあくまでも住持僧宝の御立場であられると拝することが正しい法門の道筋だね。
菅野
そして御歴代上人のお立場は、御本尊の御書写以外は、通常は外用の住持僧宝御立場において大衆を導かれるわけだね。当然のことだが、歴代上人のお立場におかれては、敢(あ)えて御内証の面を強調される必要はないからね。
司会
『法主詐称』では、今回、宗門側は創価学会を破門した頃から、突如、内証の法門を強調しだしたと誹謗していますが。
藤本
そんなことはまったくないね。先ほどの池田xxの「御法主上人のご内証」という言葉もある通り、宗内僧俗の折々の発言や著述等において、血脈内証の法門が述べられることも珍しくはない。ただし、あの平成三年当時のように、『能化文書』をはじめとして、御法主上人猊下の御内証の面を宗門がこぞって強調した場合、それがいかなる目的であり、いかなる時であったかを正しく認識せしめる必要はあるよ。まさに今日の創価学会のような三宝破壊の仏敵が現れた時にこそ、下種三宝を厳護し奉り、もってその仏敵第六天の魔王の悪謀を断破する目的のために御法主上人の御内証が強調されるわけだからね。
阿部
彼らは、このような御法主上人の御内証に関する法門は、教学部の水島副部長や原田主任が画策したように書いていますが、御歴代上人についての外用と内証の法門なら、わざわざ教学部に依頼せずとも、少なくとも本宗教師なら誰でも領解していることですね。
八木
まったくだ。『法主詐称』では、御法主日顕上人猊下に対して、「低俗な邪教の教祖を連想させるような〝日顕(上人)生き仏論〟」だとか、「新興宗教の教祖」や「オカルト」だとか、まさに愚かな僻見のオンパレードだが、すべて的はずれの悪辣(あくらつ)な誹謗に過ぎないことが明白だね。
所化対象の講義への非常識な悪口
司会
次に彼らは福田毅道師の行学講習会での講義中における、『百六箇抄』の「立つ浪・吹く風・万物に就いて本迹を分け勝劣を弁ず可きなり」の御文の解釈について、宗祖日蓮大聖人、第二祖日興上人等を迹とし、当代の日顕法主を本とする「顕本仏迹論」だったなどと誹謗していますが。
藤本
まったく曲げに曲げ、柄(え)のないところに柄をすげた解釈というほかない。当然だが福田君が『百六箇抄』の本迹勝劣について、「日顕上人が本で日蓮大聖人が迹」などと言うはずはないね。
阿部
その通りです。宗門として行学講習生に対して行った調査では、「そのような発言はなかった」ことや、授業の結果として、本迹に関して、講習生は「そのような認識は持たなかった」との回答を得ています。
早瀬
それと、この件に関しては福田君本人からも宗務院へ報告書が提出されているはずだが。
阿部
はい。福田師が教学部へ提出した報告書において同師は、創価学会が言うような内容の講義をしたことはないと次のように明確に否定しています。
「私は『大聖人が迹仏である』と講習生に向かって話した覚えはありません(中略)三宝と血脈について説明したとき、『我々の信心の上から、御歴代の御法主上人猊下は内証においては大聖人と一体不二と拝すべき』(中略)ということは言いました。そして、百六箇抄の『立つ浪・吹く風……』の文はそのことを示唆していると私は思いますと言いました」(要点抜書)
司会
『法主詐称』では、かつて池田xxも述べている御内証の法門を福田毅道師が述べたことに対し、「顕本仏迹論」などと誹謗するわけですが、それこそ彼らが本宗の信仰を失った証拠ですね。
藤本
たしかに、「立つ浪・吹く風」が現在の瞬間を本としている意義は当然のことだね。なぜなら、今のこの瞬間にこそ、御本仏日蓮大聖人の御法魂は、人法一箇の本門戒壇の大御本尊としてましますわけなのだからね。
八木
福田君はそのことは無論、自明の理とした上で、三宝一体の御内証の上から、御当代日顕上人猊下の仰せは大聖人様のお心を拝して御指南せられていることを述べたわけだ。「顕本仏迹論」などでないことは明白だね。
阿部
その通りです。福田師の発言は『百六箇抄』を講義することが目的ではなく、当該の文を用いて三宝一体を説明することにあったわけです。ただ福田師は、この授業の折の、総別の言葉の使い方に関しては、誤解を与える点があったと訂正しています。
菅野
そういう意味では、講義中に多少の誤りがあったのかもしれないが、所化の高校三年生らを対象とした行学講習会の講義において少しの誤りがあったとしても、本人も釈明し訂正すべきは訂正していることだし、福田師の講義をおおげさに「宗門公認の教説」だなどとする創価学会の言い分は、まったく噴飯(ふんぱん)ものの言いがかりにすぎないね。
司会
次に本門戒壇の大御本尊と血脈法水を信仰の根幹とする本宗の教義に対して、彼らは幼稚な権威主義、形式主義であり、あの水戸黄門ばりの「印籠(いんろう)教学」などと誹謗しておりますが。
藤本
何が「印籠教学」だ。本門戒壇の大御本尊と血脈法水は日蓮正宗の信仰の根幹です。その根幹に対して信仰を失い、卑劣な誹謗を繰り返しているのが彼らの情けない姿だね。
早瀬
宗教は理論や理屈ではなく信仰が根本でなければならないと思うが。我利我利の利己主義で信仰を失くした彼らの言い分が、極めて低次元の誹謗中傷になっていることは当然とは言いながら、浅ましき限りだよ。
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from: 21世紀さん
2009/03/30 00:34:46
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「Re:大御本尊否定の大謗法」
大白法平成15年12月16日(第635号)
創価学会・憂宗護法同盟を破折する
山崎正友氏を恐れる創価学会の中傷
司会
『法主詐称』と「創価新報」では山崎正友氏を取り上げて、御法主日顕上人猊下誹謗に利用しようとしていますが。
藤本
たしかに山崎正友氏には過去にいろいろなことがあったとは思うが、日蓮正宗は一切衆生を救うことが目的なんだから、創価学会や自称正信会と縁を切って脱会し、反省懺悔した人は誰でも日蓮正宗に戻れるわけです。山崎氏は今、妙観講で信行に励んでいるそうだね。
早瀬
そのようですね。彼は最近『慧妙』紙上で、やはり自称正信会と縁を切って日蓮正宗に戻った原島氏と対談していましたが、ずいぶん元気そうだし、成仏の直道に戻ることができて本当によかったと思うね。
阿部
『法主詐称』では「山崎語録」などと言って、山崎氏がかって御法主上人猊下を徹底して誹謗していたなどと過去の発言をあげつらっていますが。
菅野
『法主詐称』はずいぶん嘘が多い。しかし、何(いず)れにせよ、過去にいかなる罪過があっても、至心に反省懺悔すれば日蓮正宗信徒に戻って正しい修行に励めることを氏が身をもって示しているわけで、そういう意味ではまさに謗法者共の頂門の一針とも言うべき振る舞いと言えるだろうね。
司会
それから『法主詐称』では、御法主上人猊下が山崎氏を「地獄へ何回堕ちても足りない」と責めたとしていますが。
八木
仮に本当にそう仰せられたとしても、たしかに山崎氏の犯した謗法行為は間違いなくそれほどの大罪だったと思いますよ。しかし、本門戒壇の大御本尊と血脈付法の御法主上人猊下に至心にお詫びすることにより、日蓮正宗へ戻れて謗法罪障を消滅することができるわけです。
藤本
その証拠が、山崎氏や原島氏が元気で信仰に励んでいる姿だろうね。本当に有り難いことだよ。
早瀬
常泉寺の不審火の件も、「山友、菅野の仕業」による暗殺計画だと日顕上人猊下が話されたなどと、とんでもない荒唐無稽(こうとうむけい)な言いがかりだね。
阿部
許せない大嘘ですね。本当にどうしてこう嘘が多いのか。
司会
悪書『法主詐称』では、山崎氏が御法主日顕上人猊下に差し上げたお手紙を「謀略書簡」と言ってけなしておりますが。
菅野
山崎氏も出所して、世法上の罪のけじめをつけると共に、信仰の上でも深く反省し、お詫びの心を手紙に託して御法主上人猊下に差し上げたものと思うが。
藤本
そうだね。それを謀略だとしか考えられないのは、彼ら一味こそ、謀略体質であることを証明しているね。彼らの立場から山崎氏を見ると、氏が真摯(しんし)な仏道修行者の生命に変わっていることが、腹立たしくて仕方がないんだよ。
八木
まったく彼らは、「ゼニゲバ」だ「女遊び」だと、読んだ者の目が汚されるような下劣な悪口を、これでもかと並べて御法主上人を誹謗しているが、彼ら自身の品性そのものが出ていると言うしかないと思うね。
早瀬
御法主上人猊下と山崎氏が血脈相承をめぐって取り引きしたなどと、自称正信会との和解がその条件だったように書いているが、こんなこともまったくの作り話だな。
藤本
もちろんだよ。その件で平成六年十二月十日に、私と秋元渉外部長が富士見庵(総本山の施設)で山崎氏と極秘会談したなどとまことしやかに書いているが、これも完全に作り話だ。大体、この日は私は一日中、常泉寺にいて法務を執っていたよ。まるっきりのデタラメだ。
菅野
山崎氏が、「私が〝御相承〟を拝信するに至るまで」という文章を『慧妙』(五一号)に寄せているが、これに対しても創価学会の連中は口汚く罵(ののし)っているね。
阿部
そのとうりです。人の真摯な反省懺悔をあのように莫迦にするとは、信仰心も人間性も皆無の最低の連中ですね。
八木
その他、自称正信会の連中が山崎氏に裏切られたと息巻いていたとか、山崎氏を誹謗した本が出版された話とか、くだらないことがいろいろ書いてあるね。しかし何れにせよ、このような悪書『法主詐称』のことだから、何が書いてあっても信用することはできないね。
一同
まったくそのとおり。
邪智がなせる呆れた血脈誹謗
司会
次に『法主詐称』では、御先師日達上人から御当代日顕上人猊下への血脈相承について、「相承の軽さ」などと誹謗していますが。
八木
御相承について軽重などを論ずることは大変な誤りです。すべての御相承がまことに重大な意義をもつことは当然で、「相承の軽さ」などと誹謗すること自体、彼らの信心が皆無であることを示しているね。
阿部
彼らは、ここで総本山三十三世日元上人から三十五世日穏上人、五十七世日正上人から五十八世日柱上人、六十三世日満上人から六十四世日昇上人、そして六十五世日淳上人から六十六世日達上人の四例の御相承を挙げています。
早瀬
たしかにこれらの御相承が、それぞれの客観的な状況は異なるにせよ、儀式としての形を採られていることはそのとおりだね。ただし、だからと言って、内付の形を採られた御先師日達上人から御当代日顕上人への御相承が軽いなどと誹謗することはとんでもないことだよ。
藤本
まさにそのとおり。七百有余年、六十七代の御法主上人に至る間には、様々な御相承の姿が存したことは言うまでもない。そして、そのすべてを厳然たる御相承として拝信することが本宗の信仰における根本のあり方だよ。
司会
御先師日達上人から日顕上人猊下への内付について、軽いなどと誹謗することは、許せぬ御先師違背というほかはないですね。そんなことを言った者は必ず霊山(りょうぜん)浄土で、仏祖三宝尊と日達上人から厳しくお叱りを受けるでしょうね。
阿部
いいえ。あの連中は地獄行きですから、直接お叱りを受けることはあり得ないでしょう。間違いなく待っているのは閻魔法王と獄卒(ごくそつ)からの呵責(かしゃく)ですね。
司会
ところで『法主詐称』では、自称正信会が御法主日顕上人猊下に反逆した、所謂管長訴訟における主張を取り上げて、「我々と立場や理念は異なるが、正信会によるこれらの主張は常識的な疑問でもあった」と述べていますが。
藤本
その当時、池田xxがどのような発言をしていたか、創価学会や憂宗護法同盟の連中が忘れるはずはあるまいと言いたいね。彼は自称正信会の者たちを、御法主日顕上人猊下に背(そむ)く輩(やから)として、厳しく糾弾したはずです。
八木
そうですね。自称正信会の者たちが昭和五十六年一月、御法主日顕上人猊下に対し、管長地位不存在確認請求訴訟、所謂管長訴訟を起こしたが、当時、池田xxは彼らを厳しく批判して次のような発言をしています。
「日蓮正宗の僧俗であるならば、絶対に御法主上人猊下に随順すべきである。それに反して、随順せず。いな、弓をひく行為をする僧や俗は、もはや日蓮正宗とはいえない。私どもは無数の讒言や画策をうけながらも、一貫して総本山を外護したてまつり、御法主上人猊下に随順してまいった。これが真実の信心であるからだ。
それを、増上慢と権威とエゴと野望のために踏みにじっていく僧俗は、まったく信心の二字のなき徒輩であり、もはやそれは、日蓮大聖人の『広宣流布をせよ』との御遺命に反した邪信の徒と断ずるほかないのである」(広布と人生を語る二-三七)
阿部
これほど確信をもって、日蓮正宗の血脈法水の尊厳を讃歎し、御法主上人猊下への信伏随従を強調しておきながら、今日、「法主詐称」との悪言をなす。まったく池田xxと創価学会は、古今未曽有(みぞう)とも言うべき恥知らずな悪口両舌団体というほかありませんね。
早瀬
また『法主詐称』では、「血脈相承を受けたというなら、なぜその時点で公表しなかったのか」とか、「法主になるべき位(能化)ではなく一段下であった日顕(上人)がなぜ法主に就任したのか」とか、「なぜ相承の儀式、手続きをしなかったのか」などと疑難しているが、純粋な本宗の信心があれば、こんな疑問が起きるはずはない。これらの状況も当然、様々な御相承のあり方の中に包含されるからね。
菅野
それにこんな疑難をすること自体、御先師日達上人に対する許し難い無惨な誹謗だね。このような形の御相承をあそばされたのは御先師日達上人であられ、御当代日顕上人は、ただそれに随従してお受けされただけなのだから。
司会
次に、『法主詐称』では、昭和五十六年一月十日の大奥対面所での無任所教師の御目通りについても、御法主日顕上人猊下を悪し様に誹謗していますが。
阿部
この折のことについては、「継命」には、御法主上人猊下が終始大きな声を出されたように掲載していますが、事実は数を頼んで、あちらこちらから質問が繰り出される状況の中で、御法主上人猊下が諄々(じゅんじゅん)とお話しになられているときに、特に一人、非常に無礼な態度の者がいたとのことであります。ですから、暴言を吐いたその者に対して、自ら法主の尊厳をお守りになるお立場において、この場を立ち去るよう叱責(しっせき)されたのであり、あとは理不尽、かつ違法な内容の質問に対して、その都度、厳しく御注意なされたものと思います。
菅野
『正信覚醒運動の歩み』の中では、この御目通りの折の長い時間の中における時々の厳しい御注意だけを、切り文で並べているから、いかにも御法主上人の御言葉が終始乱暴のように見えるが、この間にある多くの自称正信会側僧侶の無礼な言葉を削除しているね。まったく卑劣なやり方をする連中だな。
早瀬
それでは『法主詐称』の誹謗と実際はまるで状況が違うね。集団で弟子が師匠に対して無礼な行動をとる、しかも御法主上人猊下を蔑(ないがし)ろにするなどということは、師弟相対の日蓮正宗の僧侶にあるまじき振る舞いというほかはないね。本来なら全員下山を命じられても当然だな。
八木
大体、『法主詐称』には、当日の御法主上人猊下と無任所教師とのやり取りが、まるで血脈相承の有無に関してであるかのように書いてあるが、このこと自体が事実に反しているね。この日の彼らの質問は、仏滅讃文に関する件などの教学上の問題と創価学会の八体の模刻(もこく)本尊に関する件などで、日達上人から日顕上人への御相承を疑うような内容はまったくなかったんだよ。
阿部
創価学会一味は、この折の御法主上人猊下の御指南が、御先師日達上人に随順され、御本尊模刻問題などで創価学会側を守ったものであることを敢えて隠しているわけです。本当に醜い連中です。御法主上人猊下からは、この折も含めて、御相承に関することを、御目通りの折に面と向かって聞いてきた者など、これまでに一人もいなかったと伺っています。
司会
また『法主詐称』では「日顕(上人)が相承を受けていない決定的な証拠」などとセンセーショナルな見出しを掲げていますが。
藤本
御法主日顕上人猊下が御相承をお受けされていない決定的証拠などあるはずがありません。実際にお受けになられているのだから、むしろお受けになられたことを証明する証拠がたくさんあることは、宗門側の破折文書でも明確に述べられているね。
阿部
はい、そのとおりです。それから創価学会一味は、昭和五十七年一月に当時の能化、宗会議員全員が、「御法主日顕上人猊下を血脈付法の法主と仰ぐ」旨の声明文、決意書を出していることを取り上げて誹謗していますね。
早瀬
そうだね、当時の自称正信会側の僧侶が裁判の中で、「日達上人のお通夜の後、各塔中で、『日達上人は次の方をお選びにならずに御遷化された』などと、盛んに言う老僧方がおり、よって、決意書とか決議文を出さざるを得なかったんだろう。宗門の七百年の歴史において、このようなものを出させるなどということは、前代未聞のこと」(趣意)と述べていることを利用して御法主上人猊下を誹謗したわけだね。だがこの自称正信会側の話はまったくの捏造話だな。
菅野
そのとうりで、日達上人の御通夜の後など、日顕上人への血脈相承に疑難をはさむような者は、誰一人いなかったと思うね。
八木
たしかにそうだった。それに昭和五十七年一月の能化会議の声明文と宗会議員の決意書が出された理由と目的は、一重に血脈相承を否定した自称正信会に対するものだったからね。
菅野
だから彼らの言葉を借りて言い直してみれば、「宗門の七百年の歴史において、百数十名もの本宗僧侶が、血脈相承を否定するという前代未聞の不祥事」、それを引き起こした張本人が自称正信会ということになるわけだ。
早瀬
彼らは、まず自らがそのような宗史上の大蝗虫(おおいなむし)であることを自覚すべきだし、さらに創価学会一味も同類であることは言うまでもないね。
阿部
はい。さらに言えば、反創価学会の急先鋒であった自称正信会が血脈を否定し、日蓮正宗の勢力が分裂するような状況になったことは、本を正せば、すべてが池田xx問題から起こり、池田xxが元凶となっていることは明かです。
藤本
しかし、結局は何があろうと、御戒壇様と血脈法水に対する正しい信心、道念があれば、正しい道を歩むことができるんだよ。大聖人様の竜の口法難の折も多くの卑怯な退転者が出たように、僧俗一致の広宣流布への大事な時節を前に、信心怯弱で我意我見の盛んな者は、自らの不徳ゆえに、自業自得で、宗外へ弾(はじ)き飛ばされてしまったんだと思うね。
司会
本当にそう思います。一切が御仏意ですね。次に彼らは御法主日顕上人猊下が血脈相承を受けられていないなどと誹謗して、当時の奥番の方々の証言なるものを挙げておりますが。
八木
たしか『法主詐称』では、御法主日顕上人が奥番に対して「日達上人の鶴の紋の入った袈裟(けさ)・衣はないか」と言ったのはおかしい、なぜ前もって衣を作っておかなかったのかとか、「御秘符をどのように作っておられたか」と聞かれたなどと書いていたね。
菅野
まず始めの袈裟・衣の件については、御当代上人が法を内付された時点で、予(あらかじ)め法衣を作られるなどということは、あり得ようはずがないね。あくまでも内付なのだから。ちなみに、日達上人の御遷化が突然であられたので、遺族として私と細井珪道師が、御遷化後まもなく、「鶴丸の紋」の入った正式な袈裟・衣と指貫(さしぬき)一式を学寮の日顕上人のところへお届けしております。
阿部
次の御秘符の件は、現在は教師になっている当時の奥番の話によれば、御法主上人猊下から御秘符の作り方を尋ねられたなどということは、当然のことながら一切なかったとのことです。
八木
また彼らは御本尊の書写に関しても、「御本尊書写については、宗門の僧侶であれば一応書写方法は知っている」などと、それこそ御相伝の大事について、とんでもない莫迦なことを言っているね。
早瀬
そして御法主日顕上人猊下御書写の御本尊を誹謗する理由が、御登座直後にしてはあまりに「達筆な筆さばき」だからというのでは、まったく話にならないね。
藤本
結局のところ、『法主詐称』で創価学会側が、「日顕(上人)が相承を受けていない決定的な証拠」などと大層な見出しを掲げていることが、すべて根拠のない、言いがかりに過ぎないことが立証されたわけだね。
一同
そうですね。
補 説 憂宗護法同盟
元日蓮正宗僧侶であったが、離脱して創価学会の傀儡(かいらい)、走狗(そうく)と成り果てた者共である。これに所属する某離脱僧には、客観証拠により明かなものだけでも、たった六年余の間に、何と総額7250万円もの大金が学会より支払われている。(大白法628号参照)これは一体何を意味するか、もはや誰の目にも明かである。この「同盟」は、学会とは別の反宗門組織のように装ってはいるものの、所詮(しょせん)学会と一体、その下部組織である。
(自称)正信会
昭和55年に血脈相承否定という大謗法を犯し、擯斥(ひんせき)処分に付された謗法僧集団。発端は、昭和52年の創価学会謗法問題であり、池田及び学会の反省により問題を収束された日達上人、それを継承された日顕上人の御指南に従えずに学会批判を続けた反学会の者共が、ついには自らの保身のために日顕上人への御相承を否定する邪説を作り出した。現在学会が行っている血脈誹謗は、この邪説の焼き直しである。
河辺メモ
故・河辺慈篤御尊師の個人的な覚え書きのこと。御法主日顕上人猊下が本門戒壇の大御本尊を偽物と断じたとの妄言・誹謗記事の根拠として、創価学会が「河辺メモ」と称して悪用している。その内容は、昭和53年、御法主日顕上人猊下(当時教学部長)が外部よりの本門戒壇の大御本尊に対する多くの疑難について説明されたものを、河辺御尊師が書き留めたものである。個人的な覚え書きである上、主語・述語が不明確で、第三者が見れば誤解してしまうこともあり得る。学会は、御法主上人猊下誹謗のために、入手経路を明かせないまま、悪用している。(大白法531号、534号参照)
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from: 21世紀さん
2009/03/30 01:06:05
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「Re:Re:Re:大御本尊否定の大謗法」
大白法平成16年2月1日(第638号)
創価学会・憂宗護法同盟を破折する
新興宗教創価学会 めざすは会長絶対化
理不尽極まる宗規改正への邪難
司会
また『法主詐称』では、日蓮正宗の宗規改正に対して、御法主日顕上人猊下の代に多いのは法主の権威の絶対化だとし、恐怖政治だの時代錯誤の独裁体制などと、これでもかと誹謗しておりますが。
藤本
宗規の改正は日蓮正宗が大聖人様の御法を末代まで正しく伝え、弘宣(ぐせん)していくために、必要に応じて改正が行われるわけです。宗門全教師から選出された宗会議員による、厳正な審議を経て決定されるものであって、これを時代錯誤の独裁体制などと非難することは、まさに日蓮正宗宗会議員への冒涜(ぼうとく)と言うほかはないね。
阿部
宗制宗規の改正を改悪というのは、彼らが自分に不利だからというだけの勝手な理屈でしょうね。
早瀬
平成二年以後の宗規改正は、結果的には創価学会の宗門に対する不当な介入と干渉を防ぐことになったが、要は宗規改正の目的は大聖人様の御法をお護りするため以外にはないのだからね。
菅野
それより、自らの宗門支配の野望が砕(くだ)かれたことが、彼らにとって、悔(くや)しくて仕方がないための悪言だろうな。
天台教学を曲げた筋違いな讒言(ざんげん)
司会
次に『法主詐称』では、日蓮正宗が「法主絶対」だとし、その「絶対」の語を取り上げて、天台教義中の「絶待(ぜつたい)」と関連づけて誹謗しているようですが。
藤本
まず「法主絶対」なんていうことは宗門では一切言っていない。だから、彼らの言い分はまったく意味のない言いがかりにすぎないね。
八木
そうですね。『法主詐称』では、妙楽の『釈籖(しゃくせん)』中の絶待開会の文として、「相待を以て示すべからず、絶待を以て示すべからず」等を挙げて、徹底した否定の後の「大肯定」が「仏法の『絶待観』の基本」だなどと述べている。
早瀬
そしてそれに対して、自己否定もせず、他の一切を否定する日蓮正宗の「法主絶対」は独善であり、無窮(むきゅう)に流浪し戯論(けろん)に堕(だ)すものと誹謗するわけだ。
菅野
ここで彼らの言う「大肯定」とは、邪宗との協調路線を歩む最近の創価学会の立場を擁護(ようご)しているつもりだろうね。しかし、大聖人様は、法華経の絶待開会(かいえ)とは、一切の諸法をただ妙法一味に開く意味であり、開会の意味を取り違えて、念仏や真言の受持を許した天台宗の開会を悪として厳しく指弾あそばされているはずだね。
藤本
そう。末法においては人法一箇の本門戒壇の大御本尊と血脈法水、 すなわち下種三宝のところに真の絶待妙が存するわけで、その日蓮正宗の教義の上から他の一切の宗派を謗法と断ずることは、独善でも戯論でもないよ。真実の絶待妙の上からの謗法破折となるわけだね。
阿部
要するに創価学会のような謗法容認のあり方は先程の天台宗の悪開会と同じで、大聖人様が厳しく破折されるところと言うべきですね。
一同
その通りだね。
司会
また続けて彼らは、御法主日顕上人猊下が平成三年一月に、
「結句(けっく)は一人にな(成)て日本国に流浪(るろう)すべきみ(身)にて候」(御書 七三O頁)
の御文を述べられた折のことにつき、「敗北の絶句」だなどと誹謗しておりますが。
藤本
あの折は正月の初登山で私も同席していましたが、「敗北の絶句」なんてとんでもない。長い年月、広宣流布をめざして折伏に励んできた多くの日蓮正宗信徒が、創価学会の虜(とりこ)になって不幸の道を歩むことを憐(あわ)れまれ、また身延を離山あそばされた日興上人の無念のお心を偲(しの)ばれてのお気持ちと拝したね。
阿部
『法主詐称』では、御法主上人猊下が腹心の部下に、「宗史から抹殺されるかもしれぬ」と語ったとか、その恐怖を払いのけるために予防線を張っているなどと虚言を弄(ろう)して誹謗していますが、不自惜身命に徹された猊下ですから、仏法のためであれば、たとえ我が身がどうなろうと、そんなことに、くよくよ気苦労されるお方では決してありません。
早瀬
御法主上人猊下の深い覚悟の御言葉に対して、「日顕の落涙こそ……敗北の絶句」とは、彼らの境界の低さを物語って余りあるね。
八木
あの御法主上人のお言葉で宗内の皆がどれほど奮い立ったか。その後のわずかな離脱僧の裏切りを除き、僧俗が一丸となり、平成二年の三万総会から平成十四年の宗旨建立七百五十年・法華講三十万総登山へと大発展した姿を見れば明らかだね。
菅野
『法主詐称』では、「宗門内で企図した『法主絶対化』の路線」などと言っているが、まったくのまやかしだな。日蓮正宗は「法主絶対化」ではなく、創価学会の押しつけの「会長絶対化」による「僧侶不用路線」を廃止して、僧侶と法華講員による真の僧俗一致の広宣流布に向けて前進を開始したわけだ。本当にありがたいことだね。
御法主上人猊下の御心知らぬ哀れな学会員
日精上人への不知恩な誹謗
司会
次に『法主詐称』では、宗門の宗史書である『家中抄(けちゅうしょう)』や『続家中抄』を取り上げて、種々誹謗していますが。
八木
その第一が、総本山十七世日精上人に対する誹謗だね。たしか、日精上人が敬台院(きょうだいいん)との確執により、大石寺から江戸へ移り、下谷に常在寺を再建して住んだため、大石寺が無住になったとの批判だったかな。
早瀬
しかし、この『法主詐称』の批判は確実な根拠があるわけではないね。おそらく根拠は『続家中抄』の「日舜上人伝」あたりだと思われるが、『家中抄』や『続家中抄』は、当時の記録がたとえ不完全不正確であったとしても、それらを参考史料として用いざるを得ない状況の中で著(あらわ)されたと思われるからね。
阿部
『法主詐称』における創価学会側の批判は、その辺をよく調べないで、両伝記を受け売りしたに過ぎないわけですね。
藤本
そうだね、『法主詐称』では、日精上人が寛永十四年の御登座後、遠からずして敬台院との間に確執を生み、大石寺を逃れて江戸に移り、常在寺を再建したと書いているが、精師の常在寺再建はそんな理由ではないと思うね。
菅野
そうですね。精師が常在寺を再建されたのは御登座翌年の寛永十五年だが、この寛永十五年には、大石寺は敬台院から七百数十両という多額の金子の御供養を受けており、またこの年の精師の江戸城への年賀には、敬台院の推挙で、輿(こし)による登城も許されている。常在寺は両者のそういう良好な関係の年に再建されたわけだから、敬台院と仲違(たが)いして、大石寺を逃げ出して建てたなどということは有り得ないね。
八木
日精上人は常在寺の建立により江戸の弘教を志されたものと思う。常在寺を拠点とする折伏弘教により、この頃、常泉寺本末を改宗せしめられたこともあるし、そういう点から考えれば、関東方面の弘教のために総本山をある程度留守にされたことはあったかもしれないが、少なくとも敬台院との不仲による大石寺退出が常在寺建立の動機だというのはたしかに違うと思うね。
阿部
また後年の常在寺での日精上人の御説法を聴聞して二十六世日寛上人も出家得度をされました。その点を考えれば、日精上人の常在寺再建と江戸弘教がなければ、伊藤市之進であられた日寛上人に、自らの菩提寺である常在寺を紹介したある旗本の門番佐兵衛の日蓮正宗入信もなく、また伊藤市之進自身の得度もなかったことになります。ですから、日寛上人にとって日精上人は仏法上の師であり、かつ恩人なわけです。後代の私たちも、寛尊の恩を報ずべきことは当然ですが、同時に、日精上人の恩も当然報ずべきではないでしょうか。日精上人おられてこその日寛上人なのですから。それを日寛上人だけを讃えて、日精上人を徹底して誹謗する創価学会の考えは、かえって日寛上人のお心を無視し愚弄するものであり、また仏法の因縁も無視した恩知らずの外道の考えと言うべきですね。
早瀬
それはたしかにそうだね。日寛上人は『三宝抄』で、日興上人を下種の僧宝と仰せられた後に、「爾来日目日道代々咸(ことごと)く是れ僧宝なり」と仰せだ。「代々咸」の中には当然、十七世の日精上人や、要法寺から登られた御法主上人も含まれている。創価学会のように日精上人を歴代から除けなどとは、どこにも仰せではないからね。
菅野
堀上人にも精師の事跡について、批判的な記述はおありになるが、創価学会のように除歴しろなどという不知恩なことは一切仰せではない。それどころか当然日精上人を御歴代上人と拝しておられるからね。
藤本
要するに創価学会が日精上人を誹謗することは越権もいいところであり、一体、何様のつもりだということになるね。
一同
まったくですね。
血脈相承への卑劣な悪言
司会
次に『法主詐称』では、十二世の日鎮上人に対して、十四歳で御登座の若年法主だと誹謗していますが。
藤本
これも『久保川論文の妄説を破す』の中で既に破折してあることだね。
八木
そうですね。日鎮上人は十四歳で日有上人から御相承を受けられたわけだが、法体の御相承については、年齢のお若いことは何も問題ではないし、御法門についても、よく少年の神童ぶりがニュースの紙面を賑(にぎ)わす例もあるように、優れた知性と能力をお持ちであられたことを否定はできない。まして当時は南条日住等の補佐役もいたことだし、何よりも日鎮上人はその後四十五年もの長きに亘り、宗門を董(とう)されたことが、お若い頃から御法主上人とされての優れた器の御方であられたことを雄弁に証明していると思うね。
司会
さらに『法主詐称』は日主上人から日昌上人への御相承について、代官の寂日坊への「死活相承」の話があったとして、本宗の血脈相承を馬鹿にしていますが。
藤本
これは取るに足りないまったくの誤伝です。日昌上人のお筆による、日主上人から日昌上人への御相承が厳然と行われたことを証明する確実な史料が、現に小金井蓮行寺に存在していることを日亨上人が仰せられているね。
阿部
そんな重要なことは、創価学会や憂宗護法同盟側も判りきっているはずですね。それなのにわざわざ「死活相承」などと取り上げて誹謗に使用するとは、まったく卑劣極まりないですね。
司会
また『法主詐称』では、御当代日顕上人猊下のお話を「夢相承」などと言って誹謗していますが。
八木
これなどもまったくの言いがかりに過ぎません。なぜなら御先師日達上人は夢の中で御相承されたわけではない。昭和五十三年四月十五日、厳然と総本山で御当代日顕上人に法を内付あそばされたわけだからね。
早瀬
日顕上人がなぜ夢の話をなされたかと言うと、法界には不思議な御仏智の用(はたら)きがあることの一例として、教学部長の任命をお受けになられた折の不思議な夢についてお述べになられただけで、とりわけ問題とすべきことなど何もないね。
阿部
夢の話をすることがいけないなら、創価学会は『産湯相承事』の霊夢も否定するんでしょうか。法界の不思議を否定することは、『法主詐称』執筆者たちの考えは、当然ながら信仰者のものではなく、唯物論者そのものですね。
日亨上人を愚弄する創価学会の言い分
司会
次に『法主詐称』では、八世日影上人が御遷化に際して適当な人物がいないため、在家の柚野浄蓮なる者に相承したとし、さらに五十六世日応上人がこれに関して、在家相承でも何ら問題ないとしているなどと誹謗していますが。
八木
まず日影上人から日有上人への御相承だが、記録が存在しないとはいえ、日影上人が御遷化あそばされた応永二十六年八月のわずか八カ月後、翌二十七年四月に日有上人が脇書きをなさった御本尊が存するのだから、日影上人から日有上人へ御相承があったとみて差し支えないと思うが。
菅野
その通りで、日亨上人もその御本尊の脇書きに「大伴浄蓮」なる名が見えることにより、後世に「柚野浄蓮へ相承」云々の伝説となったのであろうと推測されているね。
阿部
創価学会や憂宗護法同盟は、それが判りきっていて誹謗に用いるとは、日亨上人を愚弄していると言うほかないですね。
早瀬
また日応上人の御指南についても、これは万々が一、柚野浄蓮への相承ということが仮にあったとしても、それで本宗の血脈相承が途絶えたことにはならないということを強調されたものと拝すべきだね。特に創価学会が鬼の首でも取ったかのように「日応上人が血脈は在家に相承してもよいと言った」と言うのはまったくの誤解だよ。たしかに相承すべき相手がなければ、俗男俗女であってもよいと述べられ、柚野浄蓮は白衣(在家)であったとされている。それは何としても日蓮正宗の血脈法水を絶やしてはならぬが故の仰せだが、ただし、もし在家の浄蓮が本当に相承を受けるとすれば、それは当然出家した後でなければならぬとの意味を、「浄蓮の新発意」とのお言葉で示されているんだよ。要するに緊急やむお得ぬ場合は、信心のある者を出家せしめてでも、血脈相承を継がせなければならないとの意味であり、絶対に日蓮正宗の血脈法水が途絶えることはないことを仰せられた御指南と拝すべきことは言うまでもないね。
司会
次に『法主詐称』は、五十二世日霑上人の三度の御登座について、大石寺に権力争いがあった証拠などと繰り返し誹謗していますが。
藤本
まったく邪推もいいところだと思うね。権力争いの中にいる人間は、世の中のすべてが権力争いのように見えるのだろう。日蓮正宗の御歴代上人は代々順序乱れずに血脈を承継あそばされることが理想だが、御歴代上人と雖も生身のお身体であられるし、さらに様々な事情もあられるのだから、止むを得ない緊急の場合のは、御先師に再度、再々度御登座をいただくことも当然あるわけだよ。
菅野
その通りですね。日蓮正宗にとって何よりも大切なことは、血脈不断と広宣流布へ向けての宗勢の興隆にあるわけだから、その上から、御隠尊御当代了解のもとに、宗内の願いを受け再住、乃至再々住なされることがあっても何も不思議ではないね。
阿部
御高徳な日霑上人が、仏法興隆のため、宗内の求めに応じてやむを得ず再登座あそばされたことを、権力争いなどと、まったく許せぬ誹謗です。
近世の御法主上人に対する無慙な悪口雑言
司会
『法主詐称』では、五十八世日柱上人の御退座に関して、六十世日開上人、六十一世日隆上人を悪(あ)し様に誹謗しておりますが。
藤本
日柱上人の御退座の件は、これまでも創価学会や離脱僧らが、さんざん宗門に対する誹謗の材料として取り上げてきたことです。しかしこの件の真実は、日蓮正宗の血脈相承が清浄であることを証明しているのであって、彼らの悪口は上辺の姿だけを取り上げ、それを曲げて誹謗したものと言うべきだね。
早瀬
その通りですね。当時のことについては御法主日顕上人猊下より、平成四年の「全国教師講習会」において、
「宗義が色々と出て、それを日柱上人が深くお考えあそばされた上で、ここは私が退いたほうが御法のためになるとの、自らの深い御思慮の上からの決断であったと拝するのであります」(大日蓮 五六O号)
と御教示賜っているように、血脈御所持の御立場として、御自らの御判断をもって御隠尊あそばされたのだから、けっして本宗の血脈の尊厳が損なわれたわけではないね。
阿部
歴史の進歩の上から見ますと、当時の日本は近代民主主義の濫觴(らんしょう)期で、未だ未熟な面があり、それが不消化を起こした不幸な例が宗門における日柱上人の御退座問題ではなかったかと思いますが。
八木
世法的にはそう見えるかもしれないね。しかし仏法から言えば、日興上人が御遺誡あそばされる「衆義たりと雖も、仏法に相違有らば貫首之を摧くべき事」の意義の上からも、先ほどの御法主日顕上人猊下の御指南の通り、日柱上人は衆義の内容をよくよく思惟あそばされた上で、大聖人様の御法に照らし、また宗門のために、最善の方途としてその衆義を用いられたというべきではないかな。
菅野
そしてその結果、決意あそばされた上から、日柱上人は五十七世日正上人からお受けした血脈を、粛然と日亨上人に対して相承あそばされたわけです。その柱師のお心を拝すると、本当に有り難い。結局は日柱上人の御仏智を深く拝された大きなお心により尊い血脈法水が護られたわけだね。
司会
それに対し、『法主詐称』では、その日柱上人をはじめ、当時の宗門の大部分の僧侶の代表として六十世日開上人を黒幕などと悪し様に誹謗しておりますが。
藤本
要するに彼らは日蓮正宗の血脈法水を破壊することが目的だから、そのためにはすべてを誹謗するわけです。日柱上人に対しても「評判の悪い法主」などと悪口の言い放題だね。しかし、上人は宗学においても他の学問においても傑出しておられたと伝えられており、宗内の皆が、今日まで日柱上人の尊いお心をけっして忘れていないことは、剛直な上人のお書きものが現在も歴史のある本宗の寺院に珍重されていることからも判るね。
早瀬
また日開上人が日柱上人御退座の策謀の黒幕だったなどとはまったくでたらめだね。たしかそんな策謀を本宗に反逆したある僧侶が目論んだことがあったとは聞いているが、日開上人がそんな策謀をなっさるお方でないことは宗内に周知の事実だよ。
八木
そう。御先師日達上人も日開上人を「上人は資性篤実で、謹厳至誠の方」と追憶しておられるし、また日達上人が監修あそばされた日蓮正宗布教会編の『悪書板本尊偽作論を粉砕す』の中にも、「日開上人は生来非常に謙譲な御方であって、むしろ謙譲過ぎられると一般から言われていた方である」との記述があるね。創価学会が「天魔」などと口を極めて誹謗するのは、日開上人が御当代日顕上人猊下の実父であられること以外に何も理由はない。日顕上人への憎悪が日開上人へも向けられているわけだね。本当に許されないことだ。
司会
次に『法主詐称』では六十一世の日隆上人に対
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