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from: 21世紀さん
2009/04/13 22:14:40
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続 創価学会のいうことはこんなに間違っている」より
平成18年3月28日発行はじめにこの書は平成十二年一月に刊行された『創価学会のいうことはこんなに間違っている』の続篇です。創価学会は平成十一年に、第六
平成18年3月28日 発行
は じ め に
この書は平成十二年一月に刊行された『創価学会のいうことはこんなに間違っている』の続篇です。
創価学会は平成十一年に、第六十七世日顕上人と宗門を誹謗する悪書『教宣ハンドブック』を作って会員に宣伝しましたが、その邪義と虚偽を宗門発行の『創価学会のいうことはこんなに間違っている』で厳しく破折されたため、しばらく鳴りをひそめていました。
しかしその後、創価学会は『新教宣ハンドブック』を作って会員に配っています。その内容は、ほとんどが前回の『教宣ハンドブック』そのままであり、すでに破折された低級な悪口誹謗のくり返しにすぎませんが、わずかながら新たに付け加えられた邪説・誹謗の箇所があります。
この書では、それらの部分のみを取り上げて破折を加えました。
なお、巻末には読者の便宜のため、索引を記載しています。(注・当HPには索引は掲載していません)
法華講員各位には、この書を活用して、さらなる創価学会員への折伏に邁進されますようお祈りします。
平成十八年三月
日蓮正宗法義研鑽委員会
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from: 21世紀さん
2009/04/13 23:13:08
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「Re:続 創価学会のいうことはこんなに間違っている」より 」
創価学会の邪説
3)なぜ登座後に日号を変えたのか?
本来、日顕の日号は「日慈」。登座に際し、故早瀬日慈と同じ日号に困惑した日顕は、もともと授かっていた日号を捨てて、父・日開と「開顕」の語呂合わせで「日顕」と名乗る。相承があったというなら、その時点で日達法主と相談の上、日号を変えるのが筋であろう。
(新・教宣ハンドブック11頁)
【創価学会に対する破折】
日顕上人のご改名への言いがかり
創価学会は、日顕上人の御登座(ごとうざ)以前の日号(にちごう)が「日慈」であり、御登座された砌(みぎり)に「日顕」と改名あそばされたことについて、邪推(じゃすい)し言いがかりをつけています。しかしこの改名は、当時すでに「日慈」を名乗られていた早瀬日慈上人へのご配慮によるものであり、先輩を敬い、謙(けん)譲(じょう)を旨(むね)とされる日顕上人のお人柄によるものです。
「日号」の授与について
そもそも、日号に関しては、第九世日有上人が『化(け)儀(ぎ)抄(しょう)』に、「諸国の末寺より登山せずんば、袈裟(けさ)をかけ又有職を名乗り日文字などを名乗る可からず、本寺の上人の免許に依って之れ有るべし」と御指南され、この御文を日達上人は、「袈裟をかけたり、阿(あ)闍(じゃ)梨(り)号(ごう)や日号を称するのは、必らず本山へ登山して、法主上人より、それぞれ免許を受けなければなりません」と御指南されています。
昭和五十三年四月に日顕上人は、御法主日達上人より御相承を受けられましたが、御相承の公表やご改名の時期に関するご判断は、すべて御法主である日達上人のご裁可(さいか)によるものなのです。
このたびの日顕上人より日如上人への御相承も、その時期や形式は、すべて日顕上人のご判断によって行われたことはいうまでもありません。
〝御相承の時点で日号を変えよ〟との非難
したがって創価学会がいう「相承があったというなら、その時点で日達法主と相談の上、日号を変えるのが筋であろう」との日顕上人への非難は的はずれであり、門(もん)外(がい)漢(かん)の戯(ざ)れ言なのです。
日顕上人は、昭和五十四年七月、日達上人の後を受けて第六十七世御法主として御登座され、その権能の上から「日顕」と改名あそばされたのです。
【文 証】
『化儀抄』第九世日有上人
「諸国の末寺より登山せずんば、袈裟をかけ又有職を名乗り日文字などを名乗る可からず、本寺の上人の免許に依って之れ有るべし」(聖典985頁)
『日達上人御指南』
「袈裟をかけたり、阿闍梨号や日号を称するのは、必らず本山へ登山して、法主上人より、それぞれ免許を受けなければなりません」
(日有師化儀抄略解69頁)
『日蓮正宗宗規』昭和四九年八月八日改正
「第十四条 法主は、宗祖以来の唯授一人の血脈を相承し、本尊を書写し、日号、上人号、院号、阿闍梨号を授与する」
創価学会の邪説
4)「能化」「学頭」でないのはなぜ?
宗門では、原則として次期法主は能化から選ばれ、法主就任が決まれば学頭に任じられる。ところが日顕は、相承を受けたはずの昭和53年4月以降も、「能化」にも「学頭」にもなっていない。(新・教宣ハンドブック11頁)
【創価学会に対する破折】
宗規の条文を曲解する創価学会
創価学会のいう「(日顕上人が)昭和53年4月以降も、『能化(のうけ)』にも『学頭(がくとう)』にもなっていない」との言いがかりは、あたかも日顕上人が御相承をお受けしておらず、法主を詐(さ)称(しょう)しているかのような非難であり、日蓮正宗宗(しゅう)規(き)の条文を故意(こい)にねじ曲げたものです。
①〝能化にもなっていない〟との非難について
昭和五十三年当時の日蓮正宗宗規第十四条2項には、「法主は、必要を認めたときは、能化のうちから次期の法主を選定することができる。但し、緊急やむを得ない場合は、大(だい)僧(そう)都(ず)のうちから選定することもできる」とあります。
この条項は、次期御法主上人の選定にかかわるものであり、「必要を認めたとき」、あるいは「緊急やむを得ない場合」などの状況について、その判断は、御当職の御法主上人に委(ゆだ)ねられています。
ですから、昭和五十三年当時、御法主日達上人が自らのご判断で、大僧都であった日顕上人に御相承を授けられたからといって、宗規に抵触するようなことは何一つないのです。
したがって、〝能化にもなっていない〟との創価学会の非難はまったく的(まと)はずれというべきです。
ちなみに日達上人も大僧都の位であられたときに、日淳上人から御相承を受けられています。
②〝学頭にもなっていない〟との非難について
昭和五十三年当時の日蓮正宗宗規十四条4項には「次期法主の候補者を学頭と称する」とあります。
この宗規によれば、学頭とはあくまでも「次期法主候補者(・・・)」をいうのであり、直(ただ)ちに「次期法主」という意味ではありません。
宗門の歴史において、学頭職に就(つ)かれずに御登座された御法主もおられるのです。つまり、御法主に御登座される絶対的要件として学頭職があるのではないのです。
日顕上人は、昭和五十三年四月十五日、日達上人から御相承を受けられました。それは必ずしも学頭職に任ぜられる必要のないものであり、「候補者」という意味合い以上のものであることはいうまでもありません。
創価学会は、会員が御法主上人にかかわる事柄に無知なことに乗じて、日顕上人に疑念と憎悪を抱かせるために、「法主詐称」というたわ言(ごと)をいい出したのです。
なお、学頭職を置くか否かは、時の御法主上人のご判断によるのです。
【文 証】
『日蓮正宗宗規』昭和四九年八月八日改正
「第十四条 法主は、宗祖以来の唯授一人の血脈を相承し、本尊を書写し、日号、上人号、院号、阿闍梨号を授与する。
2 法主は、必要を認めたときは、能化のうちから次期の法主を選定することができる。但し、緊急やむを得ない場合は、大僧都のうちから選定することもできる」
創価学会の邪説
5)慣例と違うのはなぜ?
相承は内容は公開しなくても、儀式そのものは大勢の僧が警護等で立ち会うなど、決して秘密に行われるのではない。また、日達法主が一年以上も宗内に秘密にして、内々に相承を行わなければならなかった理由もない。
(新・教宣ハンドブック11頁)
【創価学会に対する破折】
御相承の形式は御法主上人のご判断
創価学会は、御相承は「決して秘密に行われるのではない」などといっていますが、本来、御相承は宗祖以来の血脈を唯(ゆい)我(が)与(よ)我(が)という師弟間においてなされる秘伝の授(じゅ)受(じゅ)をいうのであり、必要に応じては役僧が相承を警護する場合もあります。しかし、「御相承の儀式」に必ずしも役僧による警護が必要なわけではありません。確かに、日昇上人から日淳上人、日淳上人から日達上人への御相承の時は、役僧が警護にあたりましたが、過去の事例においては、お二方のみで秘伝の授受がなされ、警護を必要としなかったことも数多くありました。
過去にも多くの内々の御相承が
例えば、日蓮大聖人から日興上人への御相承に門下の弟子が警護に当たったなどの記録はありません。日興上人から日目上人への御相承も立ち会い人や警護役が存在したという記録はありません。さらに日目上人から日道上人への場合も、日目上人が天奏に旅立たれる前の正(しょう)慶(きょう)二年十月に、あらかじめ内々に日道上人に法を付されていますが、この時も警護役が立った記録はありません。
このように、上(じょう)代(だい)における御相承の形式は、その形式も一様ではありません。その時々の状況次第で異なりがあるのは当然のことであり、したがって、創価学会が「慣例と違う」などというのは、門(もん)外(がい)漢(かん)の空(そら)言(ごと)にすぎません。
御相承の公表も御法主上人のご裁量
また創価学会は、「(日達上人が)内々に相承を行わなければならなかった理由もない」などといっていますが、当時宗門を取り囲む状況は種々の問題や動きがあり、日達上人が諸般の状況を判断されて、あえて公表を控えられたのですから、「理由もない」などという創価学会の主張は、的はずれの難(なん)くせというべきです。
なお、日顕上人より日如上人への御相承は、平成十七年十二月十二日早(そう)暁(ぎょう)、厳粛に行われましたが、このときは少数の僧侶が警護にあたりました。
創価学会の邪説
6)なぜ後継不在を歎く?
日達法主が生前、「阿部はとんでもない」「阿部はダメだ」と語っていたのを何人もの人が聞いている。さらに、亡くなる前年の夏、すなわち日顕があったという相承の後も、「跡がいないんだよ、跡が……」と嘆いている。
(新・教宣ハンドブック11頁)
【創価学会に対する破折】
御相承否定のために正信会の悪言を利用する創価学会
かつて宗内から破門された自称正信会の徒(と)輩(はい)は、日達上人が御生前、日顕上人を信頼されておられなかったかのように偽(ぎ)証(しょう)しています。
創価学会は、この正信会の尻(しり)馬(うま)に乗って日顕上人を誹謗しているのです。
日達上人が日顕上人に全幅の信頼を置いておられたことは衆(しゅう)目(もく)の一致するところです。それゆえに日達上人は、日顕上人を後継者とする旨のお言葉を残しておられるのです。
池田もかつては日顕上人に随従
かつて池田は、「いかなる理由があれ、御本仏日蓮大聖人の『遣(けん)使(し)還(げん)告(ごう)』であられる血脈付法の御法主日顕上人猊下を非難することは(中略)正法正義の日蓮正宗に対する異流であり、反逆者である」とか、「日達上人御(ご)遷(せん)化(げ)の後、御当代御法主上人猊下を非難している徒がいる。私は、命を賭して猊下をお護り申し上げる決心である」などといって、日顕上人への信(しん)伏(ぷく)随(ずい)従(じゅう)を強調していました。
それが今では、池田は手のひらを返したように、日顕上人に対して誹謗中傷をくり返しています。まさしく厚(こう)顔(がん)無(む)恥(ち)、悩乱した二(に)枚(まい)舌(じた)というほかはありません。
【創価学会が主張していた文証】
『池田x作発言』
「現代においては、いかなる理由があれ、御本仏日蓮大聖人の『遣使還告』であられる血脈付法の御法主日顕上人猊下を非難することは、これらの徒と同じであるといわなければならない。批判する者は、正法正義の日蓮正宗に対する異流であり、反逆者であるからである」(広布と人生を語る1-230頁)
『池田x作発言』
「日達上人御遷化の後、御当代御法主上人猊下を非難している徒がいる。私は、命を賭して猊下をお護り申し上げる決心である。彼らは、以前には、総本山が根本であると私どもを叱(しっ)咤(た)しておきながら、いまは手のひらを返して、みずからがその根本を破壊しているのである。言(ごん)語(ご)道(どう)断(だん)もはなはだしい」
(広布と人生を語る3-143頁)
【創価学会員への質問】
○創価学会は、日達上人が日顕上人を否定したことを「何人もの人が聞いている」といっているが、「何人もの人」とは誰と誰のことか。名前を挙げなさい。
創価学会の邪説
7)なぜ相承前後に法主批判?
河辺メモによれば、日顕は相承を受けたとする2ヶ月前、「G(猊下)は話にならない」と法主批判していた。また相承を受けたとする直後にも、「日達上人に対抗して、仲間を募ろうと思う」と反逆心をむき出しにしていたことも証言されている。(新・教宣ハンドブック11頁)
【創価学会に対する破折】
創価学会の悪質な作り話と退転僧等の虚言
私的な「メモ」にもとづいた創価学会の非難は、曲解による策(さく)謀(ぼう)であることは前に述べたとおりです。
①「G(猊下)は話にならない」の疑難について
「G(猊下)は話にならない」との文言は、創価学会がいまだ入手経路を明かせない個人的ないわゆる「河辺メモ」の記述であり、創価学会はそれをもとに、あたかも日顕上人が日達上人を批判したかのように悪質な宣伝をしているのです。
昭和五十三年の当時、創価学会の教義逸(いつ)脱(だつ)を指摘する活動家僧侶がおり、そのなかでも一部の僧侶は日達上人に対して批判的な態度をとっていました。「メモ」の「G(猊下)は話にならない」との記述は、これら一部の僧侶が口にした言葉を河邊師が記録したものです。要するに「話にならない」と法主批判をしたのは、後に宗門から擯(ひん)斥(せき)された自称正信会の僧侶なのです。
②河邊師本人が「個人の主観」「事実と異なる」と
河邊師本人は、いわゆる一「河辺メモ」について、「私はこれまで、種々メモを残しておりますが、その方法は、見(けん)聞(ぶん)した事柄につき、後に回(かい)顧(こ)して書いたものが多く、その際、私の性格として、自分の主観に強くこだわり、その趣旨で書き記す傾向があります(中略)事実とは異なる不適切な内容のメモが外部に流出致し」と、自らのメモの性格を明言しています。
③本人に無断で私的メモを公表する創価学会
創価学会はこのような、記録した本人が公表する意志のない個人的な「メモ」を、どのような方法で入手し、どのような権限で公表したのかをはっきりさせるべきです。このようなことからも創価学会が反社会的な悪(あく)行(ぎょう)集団であることは明らかです。
また、日顕上人が「日達上人に対抗して、仲間を募ろうと思う」と述べたようにも喧(けん)伝(でん)していますが、このようなものは退転僧の作り話であり、とるに足らない寝(ね)言(ごと)です。
【文 証】
『河(かわ)邊(べ)慈(じ)篤(とく)師からのお詫(わ)びと証言』
「私はこれまで、種々メモを残しておりますが、その方法は、見聞した事柄につき、後に回顧して書いたものが多く、その際、私の性格として、自分の主観に強くこだわり、その趣旨で書き記す傾向があります(中略)事実とは異なる不適切な内容のメモが外部に流出致し」(平成11年7月10日)
創価学会の邪説
8)日記はどこへ?
日顕は〝相承を受けたことは当時の日記に書いてある〟と言っていたが、今になっても、その日記とやらは出てきていない。(新・教宣ハンドブック11頁)
【創価学会に対する破折】
もともと存在しない日記の記述をデッチ上げる退転僧と創価学会
創価学会がいう日記の記述などはもともと存在しないのですから、日顕上人が「相承を受けたことは当時の日記に書いてある」旨の発言をなさるわけがありません。
退転僧らは、悪書『法主の大陰謀』の中で、日顕上人が御自ら御相承を受けた旨を日記に書き留めたことを総本山在勤の無(む)任(にん)所(しょ)教師に語ったとし、「正信会が騒いでいた頃の総本山の無任所教師に対する発言。正信会との裁判ではその日記も証拠として提出できなかった」(要旨)と記述しています。
当時の山内教師は退転僧の話が「事実無根」と
しかし、その頃、日顕上人が総本山に在勤する無任所教師に対して、こうした日記の話などをされたことはまったくありません。それは、当時、常に日顕上人のお側に仕えていた御(お)仲(なか)居(い)職の僧侶や、山内教師の方々が、「日記」云云のお言葉など、まったく事実無根であると証言していることからも明らかです。
存在しない「奥番の記録日誌」をもとにねつ造する退転僧
憂宗護法同盟なる退転僧らは、まったく存在しない証拠をねつ造することを常(じょう)套(とう)手段としています。例えば、彼らの『法主詐称」なる悪書では、
「この日の奥番の記録日誌によると」(法主詐称73頁)
などと「奥番の記録日誌」なるものが存在し、そこに御相承当日の日達上人のスケジュールが記載されているかのように述べています。しかし、昭和五十三年頃、日達上人の奥番を勤め、また日顕上人御登座以後も奥番をしていた僧侶は、
「その頃『奥番日誌』は存在しなかった。『奥番日誌』は日顕上人の代になって以後、昭和五十六年から記録し始められたもの」
(再度の邪難を摧破す11頁)
と明確に証言しています。
これらのことからも憂宗護法同盟のいう「日記」云云の言は、彼らの作り話であることが明らかです。
【創価学会員への質問】
○「相承を受けたことは当時の日記に書いてある」と日顕上人が仰せられたというが、それを聞いたという教師の具体的な名前とその明らかな証拠を示しなさい。
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