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  • from: 21世紀さん

    2009/05/01 16:38:29

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    大聖人様の正義をどこまでも護り抜く信心を

    平成15年7月1日発行                            高照山 第187号

     南条時光の生涯

     平成15年6月度のお逮夜唱題会に当たり、お疲れのところを御参集いただき、共々に御報恩の勤行唱題をいたし、また、皆様方の広宣流布へ向かっての誓願成就を御祈念させていただいた次第でございます。

      ちょうど、本年の法華講の夏期講習会も、ほぼ半ばを迎えております。それぞれの支部におきましても、なんとしても目標を達成して、有意義な講習会にしていっていただきと存ずる次第でございます。  特に本年は、御法主上人猊下御自ら『立正安国論』の講義をあそばされまして、来るべき平成21年、『立正安国論』正義顕揚750年に合わせての特別の御講義を賜っておる次第でございます。  

     また、その他、『南条殿御返事』の講義、信仰の実践活動の課題等につきましても講義があります。本年は南条時光をはじめとする南条家の方々、また熱原の法華講衆の人達の命がけの弘通について、また折伏の心がけについて学ぶことになっている次第でございます。  

     南条時光は、もちろん大聖人様、日興上人の御教導のもとに、本宗の大檀那として、今日の総本山の基礎を築かれた方であります。在家の人でありますけれども、古来、本宗におきましては「大行尊霊」と尊称申し上げて、毎年、5月1日の命日には、御法主上人猊下御自ら、総本山での法要を終えられて、ついで妙蓮寺に詣でられまして、大行尊霊の報恩の法会を奉修されておられる次第でございます。  南条時光は、文永2年(1265)3月8日に、父親の南条兵衛七郎(入道行増)を亡くしましたが、その時、時光は、まだ幼少の7歳でございました。そうして、一家を背負っていくという重圧を受けながらも、お母さんの薫育のもとに、大聖人様、日興上人に生涯付ききって、本宗の信仰に励んだのでございます。  

     熱原法難が起こった弘安2年(1279)の11月には、大聖人様より「上野賢人」(御書1428ページ)と称されるほど立派な信心を確立なさったのでございます。  その熱原法難の渦中にありました時に、南条時光は、この法難に連なった人達を擁護したのですが、そのことが鎌倉幕府の逆鱗に触れることになりました。そうして『上野殿御返事』に、  「わづかの小郷にをほくの公事せめにあてられて、わが身はのるべき馬なし、妻子はひきかゝるべき衣なし」(御書1529ページ) とありますように、駿河国富士郡の上野郷という小さな領地の地頭として、過分の租税や、法外な人足の提供を強要され、大変な経済的な圧迫も受けて、自分が乗る馬や、妻子に与える着物にも不自由するという状況でありました。 

      また、南条時光は、弘安5年(1282)2月には、自身が重篤な病に直面いたしましたが、大聖人様は日興上人を通して『法華証明抄』という御書をくださって、そのなかで、  「日蓮が法門をば上一人より下万民まで信じ給はざる上、たまたま信ずる人あれば或は所領或は田畠等にわづらいをなし、結句は命に及ぶ人々もあり。信じがたき上、ちゝ・故上野は信じまいらせ候ひぬ。又此の者嫡子となりて、人もすゝめぬに心中より信じまいらせて、上下万人に、あるいはいさめ或はをどし候ひつるに、ついに捨つる心なくて候へば、すでに仏になるべしと見へ候へば、天魔・外道が病をつけてをどさんと心み候か。命はかぎりある事なり。すこしもをどろく事なかれ。又鬼神めらめ此の人をなやますは、剣をさかさまにのむか、又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか。あなかしこあなかしこ。此の人のやまいを忽ちになをして、かへりてまぼりとなりて、鬼道の大苦をぬくべきか。其の義なくして現在には頭破七分の科に行はれ、後生には大無間地獄に堕つべきか。永くとゞめよ永くとゞめよ。日蓮が言をいやしみて後悔あるべし、後悔あるべし」(御書1591ページ) と仰せられております。  

     当時、日本国中のほとんどの人びとが、大聖人様を信仰せず、かえって迫害を加えているなかで、南条時光が、どこまでも大聖人様の信心を捨てず、すでに成仏を果たそうとしているので、天魔・外道、また鬼神等が病を付けて脅そうとしているのであろう。いずれにしても命には限りのあることである。少しも驚くことはない。また鬼神達が南条時光を病で悩ますことは、法華経のお陰で仏と成った三世十方の仏に対して大怨敵となることである。この人(南条時光)の病を即刻、治しなさい。さもなければ、現在には頭が七つに割れ、後生には大無間地獄に堕ちるであろう。そうならないように悩ますことを永久に止めなさい。日蓮の言葉を用いなければ必ず後悔するぞと、鬼神達に対して警告を発し、南条時光の病気平癒について御配慮くださり、激励をなさっておられるのであります。そうして、南条時光は、命の蘇生を計って、元弘2年(正慶元年、1332)5月1日に亡くなられるまで、74歳の生涯を全うしたのであります。  このように、生老病死、人生のそれぞれの場面場面において、正しい信心をどこまでも、ひるむことなく堂々と、また強盛に貫くならば、南条時光の生涯のように充実した、揺るぎない尊い境涯を全うできるのだ、ということを学んでいただきたいと念願する次第でございます。

     法妙なるが故に人貴し  大聖人様は、弘安4年(1281)9月に遣わされた『南条殿御返事』のなかで、  「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なるべし。かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。法妙なるが故に人貴し、人貴きが故に所尊しと申すは是なり」(御書1569ページ) ということをお示しでございます。この御文こそ、大聖人様が、まさに末法の仏様であるということを宣言なさっている御文であります。「法妙なるが故に人貴し、人貴きが故に所尊し」という御文は、中国の天台大師が、『法華文句』(巻第八上)において法華経の『法師品』を釈する下に、「法妙故人貴。人貴故処尊」と述べられているのでありますが、この御文を大聖人様がお引きになっておられるのでございます。久遠元初の南無妙法蓮華経という尊い法体、しかもそれをお悟りになった大聖人様の御当体にましますところの人法一箇の御本尊様、その本門の本尊を、私達は有り難くも心から信じて、その御本尊に向かって本門の題目を唱えるとき、御本尊を御安置する所は尊い本門の戒壇の意義を具え、三大秘法の義がそこに整足しているのであります。そうして、御本尊に具わる仏力・法力の境と、私達の唱える信行を尽くした題目の智が境智冥合して、そこに大功徳、大利益を現ずるのであります。  

     大聖人様は『当体義抄』に、  「正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じて、三観・三諦即一心に顕はれ、其の人の所住の処は常寂光土なり。能居・所居・身土・色心・倶体倶用の無作三身、本門寿量の当体蓮華の仏とは、日蓮が弟子檀那等の中の事なり。是即ち法華の当体、自在神力の顕はす所の功能なり。敢へて之を疑ふべからず、之を疑ふべからず」(御書694ページ) と仰せられております。私達の命が、どんなに宿業の深い命であったとしても、煩悩・業・苦の三道を法身・般若・解脱という三身如来の当体へと転換することができるということを示してくださっているのであります。  

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from: 21世紀さん

2009/05/01 16:42:20

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「Re:大聖人様の正義をどこまでも護り抜く信心を」
 したがって、総本山第22世日俊上人の『寿量品』のお説法(本門如来寿量品廿三座)のなかにも、『南条殿御返事』の御文に関連して、  「信を起こす胸は入定なり。唱える舌は転法輪なり。喉は仏の誕生、口中は成正覚の処なり。此れ各信心の唱題なり。当に知るべし、是の処即ち道場、本門三大秘法と思し召して疑い無く信心肝要なり。爾る上は現世の災難もなく、未来成仏疑い無し。弥よ仏法興隆、寺檀安全、広宣流布と御祈念肝要でごさる」(歴代法主全書第3巻4ページ) と御指南されております。私達も、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えるとき、その処は三大秘法整足の道場であり、わが身をなんら改めることなく、三身相即の仏の境界を現ずることができるのだということを説かれていらっしゃるのでございます。  

 したがって、先に挙げました『南条殿御返事』の御文は、大聖人様が末法の仏様にましますということをお示しになった御文であると同時に、また私達にとっても、根本の御本尊様が尊いゆえに、その身そのまま即身成仏を遂げることがでるという文証として、御指南くださっているのだと拝していただきたいと思うのであります。  釈尊は、法華経の『如来神力品第二十一』に、  「若しは経巻所住の処、若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若もしは僧坊に於ても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に皆、応に塔を起てて供養すべし。所以は何ん。当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり」(法華経513ページ) と説かれております。ここで「経巻所住の処」とは、法華経、すなわち末法にあっては、その肝心の法体を顕された大聖人様の御本尊様が御安置されている所を指しているのでございます。  

 したがって、「法妙なるが故に人貴し」ということは、私達一人ひとりが、命のなかに尊い閻浮提第一の御本尊を受け持って、その信仰を正しく全うするならば、その人は閻浮提第一の尊い人となって、立派な境涯が開かれていくということであります。また「人貴きが故に所尊し」とは、私達一人ひとりが妙法の御本尊を受持信行するがゆえに、大聖人様からの相伝に基づく御本尊を御安置申し上げている所は、いずこでもあれ、皆様方の御自宅もまた道場であり、そこに戒壇の意義が具わるのであります。それゆえに、本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇の三大秘法の意義がそこに整足して、これを信行する人も尊く、所も尊く、功徳・善根が積まれていくのであります。  依法不依人  釈尊は『涅槃経』(北本卷第六如來性品第四之三・南本卷第六四依品第八)において、  「依法不依人」 と遺誡されおります。

 つまり、「法に依って人に依らざれ」という、このことが大事であります。今日、創価学会に残っている人達は、可哀相ではありますけれども、この「依法不依人」の原理が分からない。どうしても、「池田先生、池田先生」と言って、池田x作という一人の人間の言動に引きずられて、肝心の大法、本門戒壇の大御本尊、および大聖人様以来の血脈法水に依ることができないという性ともなってしまっているのであります。  大聖人様は、この「依法不依人」ということを『守護国家論』(御書156ページ)『唱法華題目抄』(同225ページ)『聖愚問答抄』(同383ページ)『依法不依人御書』(同806ページ)『教行証御書』(同1105ページ)『本尊問答抄』(1277ページ)『三世諸仏総勘文抄』(同1420ページ)等々に、枚挙にいとまのないほど、何回となくお引きになっていらっしゃるのであります。

 人師・論師の言葉に依るのではなく、『開目抄』にも、  「我等が慈父、双林最後の御遺言に云はく『法に依って人に依らざれ』等云云。乃至 普賢・文殊等の等覚の菩薩、法門を説き給ふとも経を手ににぎらざらんをば用ゆべからず」(御書558ページ) と仰せのように、たとえ高位の菩薩が法門を説いたとしても、仏様がお説きになった金言玉説の経典に依らなければ、その言葉を用いてはならないということであります。  

 本宗においては、どこまでも、末法の御本仏、宗祖大聖人様の法体、人法一箇の大御本尊を根本に仰ぎ、宗祖より二祖日興上人へ、さらに御歴代御法主上人へと、その法脈が正しく継承せられて、今日に至っているのであります。したがって、大聖人様の法体、御内証を伝持なされておられる御法主上人猊下の御教導に信伏随従することが肝要であります。 所詮は大聖人様の正義を立てること  二祖日興上人は、正応元年(1288)12月、謗法の地と化した身延を離山するに際して『原殿御返事』に、  「身延沢を罷り出で候事面目なさ本意なさ申し尽くし難く候えども、打ち還し案じ候えば、いずくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて、世に立て候わん事こそ詮にて候え。さりともと思い奉るに、御弟子悉く師敵対せられ候いぬ。日興一人本師の正義を存じて、本懐を遂げ奉り候べき仁に相当って覚え候えば、本意忘るること無くて候」(日蓮正宗聖典五六〇ページ) と、実に断腸の思いをもって、身延の沢を離れなければならない心境をお示しであります。

 日興上人は、大聖人様から身延山久遠寺の別当として血脈の相伝を受けたお立場として、身延を捨てて離山するということは、本当に面目ない。しかし、打ち返し打ち返し考えてみるならば、どのような所にあっても、大聖人様の正義を本当に世に立てていく者は日興、我一人しかない。そういう強い決意をもって、身延離山を決意なされたわけであります。  他の大聖人様の直弟子達は、みんな大聖人様の教えに背いて謗法を犯してしまった。日興一人だけが、大聖人様の正義を打ち立てて、本門戒壇の建立という御本懐、広宣流布の御遺命を、なんとしても自分が果していくのだという気概をお持ちになって、その御心中を吐露なさっていらっしゃるのでございます。  

 大聖人様の本弟子六老僧のうち、日昭も日朗も日向等も皆、幕府の弾圧を恐れて、天台沙門と名乗る軟風に堕してしまっている。そういうなかにあって、日興上人ただお一人が、本門戒壇の大御本尊を根本として、新たな正法広布の一念に立たれた時の御心中を思うならば、私達も、なんとしても「一人が一人の折伏」を果たしていこうと、日興上人の気概を受け継いで、立ち上がって行かなければいけないと、つくづくと思う次第でございます。  大聖人様、日興上人の正義は、こうして750年の歴史と共に今日、富士の麓、日蓮正宗総本山大石寺に伝わっている次第でございます。

 私達も、この正法をどんなことがあっても護り抜かなければいけない。また自分の生涯においても、また、どういう嵐が吹こうとも、我が家において、我が親族、我が眷属において、この正法を自分が守り抜いていくんだという、強い決意のもとに、滔々と岩をも砕く思いをたぎらせて、この尊い信心をどこまでも全うしていっていただきたいと念願する次第でございます。今日はそのことを申し上げまして、一言、お逮夜に当たっての御挨拶に代えさせいだきます。大変御苦労さまでした。(平成15年6月12日 お逮夜唱題会において)

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