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from: 21世紀さん
2009/06/06 11:32:01
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破門十年ー御隠尊日顕上人
今年平成十三年は、次の二点で私にとって意義のある年と思われます。
ひとつは、六月に『真実の証明』という本を上梓しました。これはここ十年にわたって創価学会が私に仕掛けてきた卑劣な捏造誹謗に対する必要措置であり、彼らの虚偽宣伝と私の無実をきちんと立証する目的から出版したものです。
もうひとつは、わが日蓮正宗が池田/大作ならびに創価学会を破門して、この十一月で満十年を迎えます。
この十年間は宗門にとって破邪顕正の有意義な時期だったと思います。私はこれまで総本山大石寺の最高責任者として、また日蓮大聖人、日興上人以来の仏法を守り、七百余年来存続する宗旨の法主として務めてまいりました。
しかし、宗門の正義を阻害するものが現れました。彼らは悪辣な罵詈雑言を私に吐きかけ、日蓮正宗と私の名誉を傷つけつづけました。それが池田/大作と、その指示下にある創価学会です。
そこで、過ぐる十年を顧みながら彼らの嘘の報道について暫く話したいと思います。
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信徒団体か、異分子か
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私が日蓮正宗の第六十七世法主として登座したのは昭和五十四年(一九七九)七月でした。先代の六十六世日達上人がご遷化なさった(同年七月二十二日)あとをうけての登座でございます。それ以前は末寺の住職を務めながら、三十八歳であった昭和三十六年より宗務院教学部長という要職を十八年間務めてまいりました。五十四年には総監という、宗務行政上の責任職にありました。
この間、ご存じのように、日蓮正宗と創価学会は“特別な”関係にありました。しかし彼らは信徒団体でありながら、教義の問題や、戒壇の問題などについて、勝手な言動が目立ちはじめたのです。
日蓮正宗(宗門)は七百五十年の歴史をもつ宗派である。宗祖・日蓮大聖人、その高弟の日興上人を開祖としてもつ。信仰の総本山は静岡県富士宮市にある大石寺。日蓮大聖人が弘安二年(一二七九)に顕された本門戒壇の大御本尊を信仰の主体としている。
この宗門に対して、創価学会は在家の信徒団体のひとつとして、日蓮正宗の教えを「広宣流布」するために存在した。宗門に入信した牧口常三郎が、昭和五年(一九三○)に起こした「創価教育学会」を源とする。戦後、「創価学会」と改称したのち、第二代会長に就いた戸田城聖の急逝をうけて、三十五年(一九六 ○)第三代会長に就任したのが池田/大作である。
池田/大作が会長になる以前の創価学会は、まだ健全で容認できる信徒団体だったといっていいでしょう。
初代会長の牧口氏も、二代会長の戸田氏も正しい仏法に背くことである“謗法”を戒める信念には断固たるものがありました。この人々は創価学会は宗門の正法を信仰する団体であって、宗門から離れて存在するものではない、と考えていたのです。
戸田氏のことは、私もよく知っています。「この戸田が広宣流布するんだ」と公言して憚らず、人間的魅力もありました。しかし戸田氏は宗門の六十五世法主・日淳上人に、こう述べたこともあります。
「創価学会が宗門に内政干渉したり、圧力をかけるようなことが将来起きた場合は、どうか直ちに創価学会を解散させてください」。
昭和三十年、岡山の妙霑寺でのことです。戸田氏には池田と異なり仏法と総本山への誠心と謙虚さがございました。
この戸田氏が中心となって創価学会が広く正法信仰のために活動していくなかで、会長に対する絶対的な尊敬や崇拝が学会信徒の間に芽生えてしまったことは、後の不幸と関係があると言えるのでしょう。
創価学会は宗門の信徒団体である一方で、自らも宗教法人を設立することとなりましたが、これに際して、宗門に対して三つの誓約をしました。昭和二十六年十二月のことです。
「一、折伏した人は信徒として各寺院に所属させること」
「二、総本山の教義を守ること」
「三、仏・法・僧の三宝を守ること」
の三原則です。ちなみに、三宝とは、「仏」すなわち日蓮大聖人、「法」すなわち本門戒壇の御本尊、「僧」すなわち日興上人以来、血脈相承する歴代の法主のことであります。
ところが三十五年、池田が第三代の会長になって、この誓約を踏みにじり、なし崩しに背信的な言動を展開し始めたのです。
一つは、会長絶対崇拝のもとで進められた、池田/大作に帰依する信仰的観念でした。
宗門の教えでは、三宝以外のものを信仰することは許されていません。しかし、創価学会は信者獲得の折伏のなかで、会長を絶対視する体制が戸田氏により築き上げられ、これに池田はうまく便乗し、悪用しました。組織内で生殺与奪の力をもつと同時に、学会幹部会員は会長を守ることを余儀なくされたのです。
そして池田は、教義の逸脱をすすめました。その一例が、五十二年の「池田発言」です。ここで、謗法をも容認するような「仏教史観」を語ったのです。
「池田発言」の趣旨は、この三点だ。「戸田第二代会長の悟りが創価仏法の原点であり、三宝のひとつ“僧”は創価学会である」「今の宗門寺院に仏法はもはやなく、学会の会館こそ現代の寺院である」「在家でも供養を受けることができる」。「五十二年路線」といわれる創価学会の姿勢が顕在化し、破門へ至る道のりの幕開けだった。
宗門は、この問題を看過できませんでした。当時の法主であった先代の日達上人は何度も池田の行いを戒めました。池田はその度にお詫びを繰り返し、五十四年には創価学会会長の職を辞して、さらには三十九年以来就いていた法華講組織の最高位である総講頭も辞任し、名誉総講頭に退いたのです。しかし形ばかりを取りつくろっただけで、本当の反省ではありませんでした。
先師日達上人は、五十四年五月創価学会の本部総会において、その間の総決算というべき発言をなさいました。池田をはじめとする創価学会首脳がそれまでに犯した過ちを正直に反省することを前提として、前非を悔い、信徒としての正しい道を進むのであれば、一切を水に流す――といった趣旨の講演でした。これで、問題は終結したかにみえたのです。
この年、日達上人がご遷化なさり、私が登座いたしました。後に、創価学会を尖鋭的に攻撃する僧侶たちもいましたが、宗門は先師の最後の処置を守り、学会をも包容していきました。このような経過において池田と創価学会は、一応宗門への外護と奉公を誓ったものでした。
私が、信徒団体の最高責任者である法華講総講頭の地位を辞任していた池田を、再度総講頭に任じたのも、この頃です。五十九年の一月でした。
しかし恭順な態度も長続きはせず、池田の慢心による宗門への悪念が、再び頭をもたげ始めたのです。先の三原則にあるように、創価学会は宗門の信徒団体であったはずですが、池田は宗門と学会は別組織であり、学会員は自分の信徒であると考えていました。したがって、ことあるごとに宗門離れをするように“洗脳”指導を学会員に施し、自らの支配体制を強化していったのです。
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「三万登山」
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「五十二年路線」に対して、日達上人は翌五十三年二月に教義逸脱いちじるしい創価学会の根源を問題視し、池田/大作に「日蓮正宗信徒の基本を徹底するよう」指摘する。池田・創価学会も六月に「教学上の基本問題について」と題して、教義逸脱の是正を発表し、十一月には「お詫び登山」として大石寺に赴き謝罪した。
六十七世法主となった日顕上人の下でも五十五年、学会創立五十周年幹部登山において、日顕上人は「五十二年路線」の誤りを再度指摘し、「僧俗ならびに二つの法人の関係に対する認識」「指導者中心のあり方」「教学研鑽の基本姿勢」について指南を施してきた。
宗門が施した再三にわたる寛容の姿勢があってこそ、両者の関係は保っていくことができたのである。
私は、宗門と学会の融和を目指して、平和的な関係を築こうと努力した時期がありました。池田を理解して、称揚する発言に努めたこともあったのです。
しかし、総講頭に再任されて以降、次第に宗門を軽んずる言動が目立ち始めました。わがままな傍若無人ぶりが、より一層助長されてきたのです。私はその誹謗を耳にしながらも、決して批判をすることなく、あくまでも創価学会と僧俗和合を図ろうとしました。ただ、池田にすれば私の賛嘆の度合いが少ないと感じたのでしょう。池田側近たちへ洩らす彼の不満や私たちへの不平が次第に大きくなりました。
そんな池田の深い嫉妬心を刺激したのが、宗門が法華講組織の育成と発展を進めたことです。各寺院の信徒や正しい信仰を求める信徒のために教導をなすことが、私たち宗門の使命です。
その具体的な方策として、平成二年、総本山である大石寺開創七百年を記念して、信徒三万人の集結による総会を開きました。私たちは「三万登山」と呼んでおります。お天気もよく、大成功でした。この時に、私は講演をし、次なる目標として平成六年の「六万登山」を打ち出しました。これは宗門として、日蓮正宗本来の教義を広めることで、信徒団体である創価学会に害を及ぼすものではなく、また現実に何ら害を及ぼしてもいません。
そんな私や宗門の意図に、嫉妬と敵愾心を燃やしたのが池田でした。学会員の種々な集まりごとに宗門と私を非難し、それは私の耳にも届きました。聞き流していたものの、ついに看過できなくなったのが、平成二年十一月十六日の池田のスピーチです。
「(宗門から)裏切られ、叩かれ、私は会長を辞めさせられ、宗門からさんざんやられ」「猊下というものは、信徒の幸福を考えなきやいけない。権力じゃありません」などです。これは雲仙普賢岳の噴火の前日で、創価学会本部幹部会の席上での発言でした。この池田スピーチは衛星放送を通じて全国の何百という学会の会館に中継されたのです。池田のスピーチ放送については、毎回、会場では物々しい警戒をしたそうです。会場に入るご婦人方のハンドバッグの中身を入口で青年部員が確認して、録音装置はないかをチェックしています。本来正々堂々と仏法の教えに基づいた話をするのなら、そんな必要はないはずです。
しかし、厳重な警戒態勢を敷いたうえで行われたスピーチで、池田は宗門と法主・管長である私を口汚く罵り、反抗の態度を鮮明にしたのです。
スピーチの内容は、厳重な警備の目をかいくぐって録音されたテープが届いたことによって、私たちの知るところとなりました。宗門では厳密に内容を精査したうえで、「お尋ね」と題して質問状を送ったのです。
やましさがなければ、この質問状にも回答があってしかるべきでしょう。ですが、創価学会は、「出所不明のテープである」と主張して言い逃れ、かえって浅はかな言い掛かりを付けてきました。この狡滑な誠意のない対応に、改めて池田の心底が明らかになりました。
もはや池田は信徒ではありません。そんな人間を信徒組織の最高位である法華講総講頭に就けておくことはできません。
しかるに当時は宗門の法規である「宗規」では総講頭の地位に任期はなく、終身制でした。私は元来、任期が定められていない役職には疑問を抱いておりましたので、正式な手続きを経て、宗規を改正しました。これにより、本部役員となっていた池田/大作の総講頭の地位、そして総講頭に次ぐ大講頭秋谷栄之助(第五代会長)以下学会幹部十余名の地位が失われることとなったのです。この年十二月の暮れのことでした。
これに対し、学会は『聖教新聞』紙上などで憎悪に充ちた宗門批判を始めたのです。-
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コメント: 全2件
from: 21世紀さん
2009/06/06 11:39:10
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「Re:破門十年ー御隠尊日顕上人」
二通の文書
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もはや包容することはできません。宗門は平成三年十一月七日付けで左の「解散勧告書」を送りました。
〈創価学会は、本来、唯授一人血脈付法の法主の指南、及び教導のもと、日蓮正宗を外護し、広宣流布へと挺身すべき本宗信徒の団体であります。
ところが、最近、創価学会は、自らの本分を忘れ、本宗信仰の命脈たる下種三宝義、並びに血脈相伝義をはじめとする本宗伝統の化法・化儀を、己義をもって改変し、他宗教さながらの様相を呈しております。日蓮正宗としては、これまで慈悲の立場から、種々の指導・善導に努め、教誡等をもって反省懺悔を求めてきましたが、創価学会は、全くこれを無視し、かえってあらゆる手段をもって、法主・宗門に対して、誹謗・攻撃を加えつづけてきております。
よって、もはやこれ以上、看過することはできず、ここに創価学会に対し、解散を勧告するものであります。〉(以下略)
この勧告書に対しても学会は一層怒り狂い、宗門のことを法主である私の名をもじって「日顕宗」などとあざけると共に、ますます悪口雑言を繰り返したのです。
もう猶予は必要ありません。十一月二十八日、宗門は創価学会に対して左のように破門を通告したのです。
〈先般、日蓮正宗は、創価学会に対し、これまでの問題の一切の責任を取って、自主的に解散するよう、「創価学会解散勧告書」を送付いたしました。しかるに、創価学会は、かえってこれに反発し、法主並びに宗門に対して、ますます悪質な誹謗中傷を重ねております。
日蓮正宗としては、創価学会が、信徒団体としての存立の目的・基盤を自ら破壊し、本宗の法義・信仰に著しく背反し、また宗教法人としてのあり方からも大きく逸脱して、法主・宗門からの、たび重なる教導・制誡に対しても、一片の反省懺悔すら示さないため、もはやこれ以上、本宗信徒団体として放置しておくことはできず、ここに、日蓮正宗からの破門を通告するものであります。さらに、このような創価学会の指導を受け入れ、同調している全てのSGI(創価学会インタナショナル)組織、並びにこれに準ずる組織に対しても、併せて破門を通告いたします。〉(以下路)
すなわち宗門はあくまでも「正法護持」と「謗法厳誠」という宗是に照らした措置をとったのです。これはまた一般信徒の方が極度の池田崇拝に陥ることを防ぎ、蒙を啓くためでもありました。
対して、創価学会は以前にも増して宗門を誹謗し、私を法主の座から引きずり下ろすことに躍起になったのです。明らかな報復措置としての攻撃が始まりました。十数台の街宣車が大石寺に半年間にわたり連日押しかけたり、おびただしい数の正当性を欠く民事訴訟や刑事告発を全国で提起したのです。しかし宗門は、圧倒的な勝訴をおさめています。少数ながら敗訴したものもありますが、これには裁判所の誤りによる不当判決も含まれています。創価学会の司法を悪用した謀略は完全な失敗でした。
そこで、それ以上に徹底した計画のもとに策謀がなされたのです。法主である私を標的にしたセックススキャンダルでした。
その策謀とは「クロウ事件」と呼ばれるものである。平成四年六月の創価学会機関紙「創価新報」に、突如登場した。約三十年前の昭和三十八年三月、アメリカ出張授戒中の日顕上人(当時は教学部長)が買春事件を起こしたとするものだ。
この出張授戒は、宗門として初めてアメリカ大陸へ赴いたものだった。日顕上人は同行の僧侶とともに、ハワイ、ロサンゼルスと進み、ここで行路は二手に分かれた。日顕上人は北へ進路を取り、シアトル、ノースカロライナ、ワシントンDCを経てニューヨークで再び合流し、西海岸経由で帰国の途についた。
その間のシアトル滞在中の一夜、単身ホテルを出た日顕上人が売春宿に向かい、料金を巡るトラブルにあったというのだ。その際警察官が出動したが、英語が通じない日顕上人の身柄を当地での案内役だった創価学会シアトル支部長のヒロ工・クロウ婦人が引き取り、代わって警察に出頭した――こういう“事実”があった、と創価学会機関紙が書き立てたのだ。事実無根と反論した宗門に対し、平成四年(一九九二年)、クロウはアメリカで名誉毀損として、約六十億円もの賠償金を求めて日顕上人を告訴した。
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事実無根の策謀と戦う
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この策謀にはヒントとなる事件があったようです。その数年前にアメリカで“ベーカー事件”なるスキャンダルが発覚しました。テレビを通じての布教で人気のあった聖職者ベーカーが、セックススキャンダルによって失脚した事例です。私を葬るのには、この方法が一番いいということだったのでしょう。
当然、私と宗門はすぐに否定しました。機関紙「大白法」などを通じて反論もしました。そもそもが全く身に覚えのないことで、根も葉もない誹謗に過ぎないのです。
池田たちの狙いは、恐らく次のようなものだったのでしょう。私たち宗門はアメリカでの布教に力を注いでおりました。在米組織であるNST(在米日蓮正宗)やNSH(在米日蓮正宗法華講)などがございますが、これらの任免などの人事権は日蓮正宗の法主である私にあります。その責任者である私を米国の裁判所に引きずり出すことが目的だったにちがいありません。これについて創価学会は現在に至るまで「堕落僧」だ、「色魔」だ、と散々な罵声を浴びせかけていますが、私はそのあまりの荒唐無稽さにむしろ平然とした気持ちです。法主としての立場から考えれば、捏造記事とはいえ宗門や信徒にかけた迷惑を思い辞職するという選択肢もあったのでしょう。しかし、私はかかる虚偽の報道に対し、絶対に辞める必要はない、と毅然とした心境でした。
裁判では、原告はクロウという個人でしたが、実質は創価学会です。その本質をアメリカの裁判所はしっかりと見抜いていました。一審のロサンゼルス郡地方裁判所、次いでカリフォルニア州控訴裁判所は、ともにクロウの訴えを退けました。一審に引き続き、控訴審でも「原告は名目的原告であり、訴えの究極的な受益者は非居住者(創価学会)である」
との指摘が裁判所によってなされていますが、実に立派な判断だと思います。カリフォルニア州最高裁判所にまで上告された裁判も、平成十年二月に却下され、正しい決着をみたのです。学会の悪だくみによる米国裁判所への私の出廷はかないませんでした。
こういった創価学会による悪宣伝のなかでも、我が宗門の信徒の方々は冷静に事の推移を判断し、私を信頼して下さったのです。なかには、創価学会に入会したものの学会の悪さに気づいて脱会し、宗門の信徒になった方も多くいます。宗門にこそ仏法の正しい教えがあるからなのです。
一方、宗門側は、日蓮正宗と大石寺を原告として、池田/大作たちに対し名誉毀損訴訟を、平成五年の十二月、東京地方裁判所に起こしました。しかしその法廷に被告創価学会が証拠として提出した証言や証人も、ずさん極まりないものでした。
詳細は日顕上人が上梓した『真実の証明――これが創価学会のあくなき捏造報道だ』(日新報道刊)に譲るが、一例を挙げよう。
クロウ婦人の証言を補強するために、創価学会側はシアトルの元警察官スプリンクルなる人物を連れてきた。先の“売春事件”当夜、売春婦と東洋人の事件にパトロール警官として関与した、という。クロウはスプリンクルを立ち会った警官だと認め、スプリンクルもまたクロウが当日現場で会った婦人だと証言した。しかし、宗門側の四年近い調査の結果、証言とはまったく違った事実が判明した。なんと、“事件”当時、スプリンクルはアメリカ合衆国空軍予備兵として軍務に服していたため、シアトル市警察を軍務休職中だったというのだ。
この事実の前に、被告側の証言は揺れ動いた。「早期除隊を果たして警官としての職務についていた」と言ったり、「軍務の傍ら、休暇の一部を使って警官として働いていた」と言ってみたりである。証言のブレが物語るのはただひとつ、「偽証」という事実であった。宗門の調査は、様々な公的記録からスプリンクルが事件に関与した可能性がないことを裏付けている。
また前掲書には、“事件”当時の日顕上人のパスポートが掲載されている。そこには顔写真とともに、日顕上人みずからの署名が記されている。漢字で「阿部信雄」とある上に、ローマ字での筆記体で「shinno Abe」。僧侶名読みで「シンノウ・アベ」とあるのだ。
クロウの証言によれば、当夜日顕上人にかわり、彼女が「ノブオ・アベ」と「四通の書面にサインをした」という。警祭官が見知らぬ東洋人の身元をパスポートで確認しないことなど、果たしてあろうか。
また、公的記録だけではなく、警官スプリンクルが軍務休職中であり、一九六三年三月十九日、二十日に警官として務めることは絶対にあり得ないこと、またクロウが語ったすべての事柄は真実でないことをシアトルにおいて豊富な体験と実績を持つ多数の警官が宣誓供述書によって証明しているのです。
さらに指摘されることは、クロウとスプリンクルの証言が、互いに一連の事件の事実を述べるものとして一致しなければならないはずです。しかるに元警官スプリンクルの証言と、クロウの証言は重要な五つの点(詳細は『真実の証明』に記載)でまったく食い違っており、このことからも事件の事実無根が明らかなのです。
また、創価学会会長の秋谷栄之助は、平成七年一月八日、さらに引き続いて一月十七日(不思議にもかの阪神・淡路大震災の時)に、クロウの言う買春について、アメリカ連邦政府の保管する記録の中に、私がシアトル市警の取り調べを受けた記録が「厳然と残っている」と、大嘘を発表しました。しかし、アメリカ司法省情報局が後に発表したところでは、そのような記録は過去にも現在にもないと否定しています。これに対して秋谷は鉄面皮にも頬被りを決め込み、今日に至るもその「厳然たる証拠」を提出できないでいるのです。
このように嘘を平気で言う創価学会の体質を世の人々はよく認識すべきだと思います。
さて、この裁判の過程で、二人目の裁判長は原告代表者への尋問を決定しました。原告代表者とは、法主・管長である私です。
宗門関係者や原告代理人である弁護士たちは、この訴訟の最初の段階から、法主・管長としての私に対して、格別の配慮をしていました。すなわち日蓮正宗の宗教的最高権威者である地位の人間を、裁判という世俗的な場所につれだしてはならない、という考えを持っていたのです。
当日裁判を傍聴していた関係者によれば、私の証人出廷が決定された時には、創価学会員が小躍りして法廷から出て行ったそうです。おそらく、「法主の出廷はありえない。これで宗門側は提訴を取り下げる」と思ったのでしょう。宗門幹部の一人も「弁護士と相談して、なんとか猊下に出廷しないで済むよう努めたいと思います」と私に言いました。
私は逡巡しませんでした。裁判所が求めるのならば、堂々と出廷して、きちんと証言をなすべく直ちに決意しました。それこそが法主である私の責任と信じたからです。
しかし、東京地裁における私の証言途中で、にわかに裁判長が交代し、この三人目の裁判長のもとで、創価学会側の主張のみを採用した不当判決が下されました。これは実に信じ難い内容の判決で、宗門は即刻、東京高裁へ控訴しました。
現在、控訴審での審理が進行中です。
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from: 21世紀さん
2009/06/06 11:44:53
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「Re:破門十年ー御隠尊日顕上人」
「正本堂」解体から「奉安堂」建立へ
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一般世間の方々は「独立した宗教法人格をとった創価学会なのだから、日蓮正宗と学会は双方並び立つ関係だろう。宗門から破門されたいまとなっては、信濃町を中心に宗教活動を行って、独立独歩でいいはずだ」とお考えになる方もあるでしょう。
前にも申したように、学会は日蓮正宗の信徒団体でした。学会にすれば、宗門の教えが身についている信徒たちをつなぎ止めるには、宗門を攻撃することしか残っていないのです。だから躍起になって、「日顕宗」だとか「破廉恥日顕」だなどと言い募る。しかしそれなら創価学会は定款を変えはっきり新興宗教となるべきです。そこで創価学会の宗教法人規則をお読みいただきたいと思います。
〈第三条この法人は、日蓮大聖人御建立の本門戒壇の大御本尊を本尊とし、日蓮正宗の教義に基づき、弘教および儀式行事を行い、会 員の信心の深化、確立をはかり、もってこれを基調とする世界平和の実現と人類文化の向上に貢献することを目的とし、これに必要な公益事業、出版事業および教育文化活動等を行なうものとする。〉
「第一章総則」のなかに、目的としてこう明記されているのです。
一方で宗門を攻撃しないと組織内部を維持することができない。反面、定款には「日蓮正宗の教義に基づき…」とうたわざるを得ない。宗門から破門された今となっても、この会則は掲げなければなりません。もし、この条文を外すとなると認可されている宗教法人存立の根本問題が生じます。つまり正統的な宗教の立場から離れて、新しい宗教をつくらねばならないからです。
日蓮正宗と創価学会の関係を語るときに忘れてはならないものがある。「正本堂」問題だ。創価学会膨張の一里塚として、公明党の創設と同時に正本堂建立を発表したのが昭和三十九年である。池田自身が発願主となって総本山大石寺に建立した際には宗祖遺命の究極の戒壇であることを目的とした。が、反対意見が相次いで挫折。そのために、究極の広宣流布の建造物としてあらかじめつくると意義づけた。長年御本尊はここに安置されていたが、これに宗門側は異議を唱えた。
平成三年十一月の破門以降、池田らの行為は宗門でいう大謗法にあたるのです。宗門の教義と信仰に逆らうものを謗法というのですが、そういう間違った道に踏み込んだのが池田/大作やそれについておる者たちです。このように宗教上大きな間違いを犯している者によって建てられ、しかも彼らはこれに間違った意義づけをして、自らの立場を強めようとしているのですから、このような建物は今後の宗門においては無用の長物である以上に、現在における布教、正しい仏法を布教していくための妨げになります。
そこで私は正本堂の解体を決定し、平成十年よりこれを行いました。
教義上の問題は複雑ですので、かい摘んで申し上げますと、池田/大作の仏法解釈には自分勝手な我流の解釈が多いのです。その一つは、ずっと昔、会長に就任して間もなくでしたが、「戒壇建立ということはほんの形式にすぎない。従の従の問題、形式の形式の問題と考えてさしつかえない」と発言したのです。大聖人の仏法の三大秘法のなかの戒壇という問題は、非常に大切なことですが、これを軽視する。本宗の宗義の上からはとんでもない発言なのです。
このような誤った理解に立って、浅はかにも彼らが建てた正本堂は、宗祖ご遺命の究極の戒壇であり、われわれ創価学会の力でいとも簡単に作り上げたのだ―― そう意義づけたのです。しかし宗祖日運大聖人の戒壇とはそんな浅薄なものでなく、一切の人々を救っていく、これこそが究極の戒壇なのです。それは「広宣流布」の達成された暁に実現すべきものであり、現時点において建立しうるものではあり得ません。
池田の手法は仏法の本筋とはほど遠いもので結局、自分の名誉欲、我欲我見のために、自分らが究極の戒壇を作ったと思い込みたかったのです。
池田は正本堂の着工大法要に大聖人の究極の戒壇たる『三大秘法抄』の文を挙げてその意義を曲説しました。私が登座してから、この発言に関して何度も訂正するように求め続けましたが、いまだに訂正がありません。また多くの批判にあった結果、その究極の時の建物としてあらかじめ建てたものだという珍妙な理論をつくりだしました。究極の時がいつになるかも分からない時点で、あらかじめ建てるなどというのは、建物の物理的な耐用年数を考えても不合理きわまることは、世俗的見地からも明らかでしょう。まして仏法上からすれば、噴飯物というべきこじつけです。
そして平成三年の破門以降、池田/大作たちの一党は、まったく御本尊に背き、宗門から背いた謗法の姿が決定的になりました。この池田やこれに付き従う者たちが中心になってつくったものをいつまでも総本山に置いておくことは、御本尊を安置するかたちとして適当でなく、また正しい信仰を持った人たちの信心、修行の上からも適切ではありません。そこで、断固としてこの建物を解体した次第であります。
以上さまざまな策謀と戦い続けてきた日蓮正宗ですが、来年平成十四年は宗旨建立七百五十年という佳節を迎えることになります。この時にあたり明年十月には総本山に、日蓮大聖人ご図顕の本門戒壇の大御本専様をご安置申し上げる、堂々たる「奉安堂」が完成します。現在、私たちは正法による清らかな信仰をもって自他ともに真の幸福の大道を開き、もって社会の安寧と世界平和に寄与すべく、三十万名の信徒が総本山へ慶祝の参詣をする「三十万登山」を目標に精進しておるものです。日蓮大聖人の仏法の教えによって、生活の上でも、また精神面においても、正しい道を得て幸せになっていく。そういった教化こそが、本来の折伏なのです。
日蓮正宗には、七百五十年にわたって培われた宗門独自の伝統があります。その伝統と信念に基づいて、堂々と日蓮大聖人の教えを正しく守り広めていく覚悟であり、またその確信をもって精進しているものであります。
破門十年(『諸君』H13.8月号掲載)
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