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  • from: 21世紀さん

    2009年09月28日 10時15分46秒

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    池田が恋文に認めたお粗末な「詩」


    ―これでは入信神話もボロボロ総崩れ―

    (『慧妙』H16.3.16・H16.4.1・H16.5.16)

     入信後の池田であるが、信仰面、というより"成果"の面で頭角を現わし始めたのは、文京支部に派遣されてからのことで、昭和24年1月、戸田会長の日本正学館に入社するまでは、しばらく"泣かず飛ばず"が続いたという。
     そんな池田だったが、"女好き"はやはり生来のものと見え、信心は"泣かず飛ばず"でも、女性に対してはマメに働きかけることを忘れなかった。その対象は、他ならぬ三宅妙子さんであった。
     三宅さんの写真をほしがる池田に、三宅さんが不承不承、証明写真ほどの大きさの写真を1枚、渡したことがあった。
     これに狂喜した池田は、その写真を肌身離さず持ち歩いていたという。池田は、そのことを、問わず語りで三宅さんに語っている。
    ●あれは、昭和23年頃、池田が20才頃のことだったと思います。「映画の券をもらったから」と池田に誘われ、2人で映画を観(み)に行ったこともあります。
     でも私は、池田に対し、恋愛感惰を持つまでには至りませんでした。
     つい最近、池田から当時もらった手紙が出てきましたので、手紙のやりとりをしたことはあったんだと、改めて思い出したくらいです。(三宅妙子)
    -----------------------
     そう言いながら三宅さんが見せてくれた池田の手紙からは、文学青年を気どりながら、何とか自分の"熱い想い"を伝えようとの池田の苦心が伝わってくる。
     たとえば、三宅さんから写真をもらった時の心境・三宅さんへの想いを、池田は次のように書いている。

    ●賢女のphotoを無理に頂いた私の心境を!妙子さん、お互いに若いのです。未完成です。故に、完成を目指し未完成の歌を高らかにうたほうではありませんか。(池田のラブレター)
    -----------------------
    文学青年を気どる池田の、三宅さんへの想いは、文面からよく伝わってくる。ちなみに、池田の手紙には、次のような自作の「詩」が添えられていた。

    体で見たことをゆう。
    体で見たことを書く。
    体で見たことを行ふ。
    目で見て見えるか?
    耳で聞いて聞えるか?
    体で読んだものが本当だ。
    体で祈ったものは実現する。
    体で語ることは誰にも聞える。
    体で悟った真理だけが我がものである。

    爾(なんじ)の願いを高めよ。
    爾の願いを潔めよ。
    爾の願いを深めよ。
    爾の願いを広めよ。
    私欲を離れた願いならば死ぬまで願いつずけよ。
    諦めるから叶わぬ。
    応答を信ぜよ。
    正しき願いは実現する。

     想いを寄せた人に送った「詩」であれば、これは、推敲(すいこう)に推敲を重ねた、池田の自信作(?)なのだろうが、あまりに稚拙(ちせつ)で、とても詩などと呼べる代ろ物ではない。
     さて、これと較(くら)べて、池田の「入信神話」に登場する、かの即興詩はどうか―。

    旅びとよ
    いづこより来り
    いづこへ往かんとするか

    月は沈みぬ
    日はいまだ昇らず

    夜明け前の混沌に
    光 もとめて
    われ 進みゆく

    心の 暗雲をはらわんと
    嵐に動かぬ大樹を求めて
    われ 地より涌き出でんとするか

     練りに練った自信作と、その場の思い付きで詠んだとされる即興詩。その、あまりの違いについては、小中学生の目にも明らかだろう。しかも、その「即興詩」たるや、当時の池田が知り得るはずのない、戸田会長が後年に作った『青年訓』にソックリなのである。
     もはや、池田の入信神話がデッチ上げであることは、誰の目にも明らかであろう。

     閑話休題。
     こうした池田のアプローチを受けても、三宅さんはこれに取り合わなかったため、2人の関係は"信仰の同志"以上になることはなかったようだ。
     それを逆恨みしたのか、池田は後に、三宅妙子さんに連なる人々を、ことごとく冷遇した。

    ●私はそういうことに無頓着(むとんちゃく)なので、人から指摘されるまでまったく気付きませんでしたが、言われてみれば、たしかに私たちは冷遇されていたようです。
     でも私たちは、少なくとも学会に在籍していた当時は、池田から感謝されこそすれ、冷遇されなければならないようなことは、何一つしていないと思います。
     そもそも、池田が戸田先生の日本正学館に入社できたのだって、私の母が「蒲田に、こういう青年がいるんですが」と戸田先生に取りなしたからこそなんですから。(三宅妙子)

    [画像]:文学青年(?)の"実力"がわかる池田の「ラブレター」=これによって即興詩のデッチ上げまでバレてしまった!?


    ************************************************************
    『慧妙』は池田青年の手紙を恋文だと揶揄しているが、これは激励文である。竜や大草の愛人が夜の行為を克明に記した「今夜も爆発」「やだよ、そんな娘(こ)は」のような熱烈な日記に比べると、その違いが明白ではないか。(『フェイク』第504号=04.03.28/sf:5724)
    ------------------------------------------------------------
    「貴女のphotoを無理に頂いた私の心境を!」などと書く激励文がありますか?社会通念上、それは「ラブレター」と呼ぶのではないでしょうか。念のため、問題箇所を拡大して掲載しますので、よくご確認ください。(『慧妙』H16.4.1)


    ************************************************************
     "舞台となった三宅家三女"が全てを語ったそうですが、これを読んで私は、せっかく早い時期から入信しても「やはり持ち続けるのはとても難しいんだ」という感想を持ちました。一生涯不退転でやりぬ<、貫き通すことは、至難のわざ、私も他山の石として身が引き締まる思いがしましたよ。
     (※池田大作が三宅家三女に送った)恋文とやらが本物としたら、それを今まで大事に持っていたのは、余程忘れられなかったのでしょうね。かなわぬ恋は嫉妬(しっと)の炎となったことでしょう。
     女は嫉妬により、石にも蛇へも変わるそうですから、この証言も、あてにもクソにもなりませんね。可愛さあまって憎さ百倍てことよ。

    (学会婦人部とおぼしき者による無記名投稿『慧妙』H16.5.16)
    ------------------------------------------------------------
     この学会婦人部は、早い時期に日蓮正宗に入信していた三宅妙子さんが、学会という組織の謗法に気付いて脱会、法華講へ所属を移したことを、「退転」と受け止めているようだ。
     だが、よく考えてみるべきである。もともと創価学会という宗教など存在しておらず、学会はあくまでも日蓮正宗を信仰する信徒団体の1つであったはずだ。
     その学会が、日蓮正宗に背いて別の宗教となった時点で、「退転」したのは学会首脳およびそれに従う会員達である。三宅さんらは、日蓮正宗の信仰を「一生涯不退転で」「貫き通す」「持ち続ける」ために、やむなく学会を脱会するに至ったのであって、話はまったく逆なのである。
     この学会婦人部の感覚は、最初から、池田大作を崇(あが)める創価学会という宗教に入信した人のそれであって、だから三宅さんら脱会者を退転者扱いするのである。ならば、彼(彼女?)らが長年にわたって日蓮正宗の御本尊を拝み、これぞ世界最高の大仏法と述べてきたのは、いったい何だったのか!?げに恐るべきは、道理を弁(わきま)えぬ者の盲信というべきであろう。
     なお、三宅証言は"嫉妬の産物"だ、との論難であるが、そもそも、恋文を送ったのは池田大作なのである。それを送られた側が「かなわぬ恋は嫉妬の炎となる」道理がないではないか。こんな本末転倒の言い掛かりをもって「この証言も、あてにもクソにもならない」というのだから、その知的レベルが疑われよう。
     ちなみに、件の手紙(恋文)は、三宅さんが、取材の際に裏付け資料はないかと捜すうち、保管してあった私信の中から池田の手紙を見つけ出し、これを取材者に提示したところ、取材者の指摘を受けて初めて「恋文」だと気付いた、というのが実際である。このことは三宅さんの名誉のためにも言っておこう。
     なお、件(くだん)の「手紙」が「恋文」であるか否かは、本紙報道にとって、本質的な問題ではない。そこに記された、推敲(すいこう)を重ねた末のものであろう池田の「詩」が、同時期、戸田会長との出会いの際に詠(よ)んだとされる「即興詩」に比べ、はるかに稚拙(ちせつ)であることが問題なのである。

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