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創価学会SGIを本音で語ろう

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  • from: 22世紀さん

    2010年07月23日 21時15分15秒

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    金と権力を生む宗教の本音 、その4

    池田営業部長、色と欲の二筋道
     大蔵商事のスタートの話から、いきなり今日の結論の話へと飛んでしまったが、それは昭和三十四年に入信し、昭和四十五年に創価学会本部中枢に入った私が、なぜこの会社とかかわりを持ったかということを説明するためである。本論は、あくまで、池田大作が大蔵商事で何をやったかである。

     「要するに、金を持っていそうな学会員に目をつけて金を借り、それを貸しつけて利ざやをかせぐ仕事でした」  「池田先生は、金を借りてくるのが実にうまかった。」  森重章は、私に語った。  裕福そうな学会員、或いは、学会員の紹介で資産家のところに、池田大作と中西治雄がしげしげと通い、  「月三分(年利三六%)の利息を払います。どこに預けるよりも有利ですよ」 と言って言葉巧みに出資を勧誘した。

     その頃の二人は、二十二、三才。さっぱりと刈り上げたヘアスタイル、地味だがキチンとした身なりで、誠実さを演出した。  東京安全信用組合の時代は、世間のだれも金を出してくれなかったが、〝創価学会〟をバックに、  「実は、戸田先生の事業です」 といえば、話は違った。  創価学会では、戸田城聖の権威は絶対的である。しかも、創価学会の背後には、富士山麓に七百年の歴史をほこる日蓮正宗大石寺の存在がある。

     池田大作には、さらに、奥の手があった。  森重章はいった。  「役職や議員バッチの効き目は抜群でしたよ。私には、そんな権限はない。」  気前良く出資してくれた学会員は、後に戸田城聖に進言して無条件で創価学会の幹部に登用し、そして市会議員、町会議員等に推薦するのである。  軍隊組織をまねた創価学会において、幹部は絶大な権勢を振るう。特に〝大幹部〟といわれる、支部長以上、部隊長クラス、それと同格の監事クラスになると、数百、数千の会員の上に君臨する。一つ階級が違えば、下の者は上の者に絶対服従させられる。幹部達にとって、会合のとき壇上の〝ヒナ壇〟に上れるか否か、序列はどうかということは、最大の関心事の一つである。  会員の信仰心と日蓮正宗の信徒団体としての創価学会への信用、そして役職や議員の肩書きによる欲望の刺激の効き目は池田大作自身驚くほどであったらしい。

     〝葉っぱをお金にする〟の〝葉っぱ〟とは、他ならぬ〝宗教〟〝会員の信仰心〟のことであったわけである。  池田大作の営業に協力したおかげで本人や息子らが創価学会で出世したり地方議員になったりした例は、神奈川県のY氏一家をはじめ数え切れないほどいた。  とりわけ顕著だったのが、埼玉県大宮市の松島勇氏一家であった。  国鉄大宮機関区に勤めていた松島氏は、池田大作の勧誘に応じて出資に応じたばかりか、機関区の仲間や同僚達に働きかけてその退職金や共済金までも出資させることに成功した。大蔵商事にとってその利益は、一時は決定的といえるほどで、池田大作は、この仕事の成功で、大蔵商事の中心者にのし上がったのである。  松島氏は、やがて支部長、理事、副理事長と出世し、創価学会の推薦で大宮市の市議会議員に出馬、当選した。  松島氏は、組織のオルガナイザーとしては最低で、いつもトラブルをおこしており、その収拾に、北条浩ら最高幹部は手を焼いたが、松島氏がどんなにヘマをやろうと、また不公平、不正を働こうと、更迭されることはなかった。池田大作が、更迭を許さなかったのである。

     池田大作は、中西治雄と二人で、そしていつの間にか単身で、仕事にかこつけて松島家に足しげく通うようになる。  松島家には、当時の創価学会内で有名だった才媛が二人居た。姉が郁子さん、妹が通子さんである。姉は、藤原行正氏(元公明党東京都議会議員、同都議会幹事長、後に池田大作に造反)に嫁ぎ、妹は、現在、渡部一郎(元公明党代議士)の妻である。  池田大作は、とりわけ妹の松島通子さんに気があって、通子さんの方もまんざらではなく、やがて二人は深い仲となった。  通子さんには、当時青年部長だった辻武寿も執心で、同氏が松島家を訪れ、通子さんの手を取ってメンメンと口説いていたところを婦人の信者に目撃されている。

     だが、創価学会での役職がはるかに上の辻氏を打倒して池田大作は、恋の勝利者となる。その勝因は、池田大作の〝金力〟であった。  この頃、二十三、四才の池田大作の月給は、月二十万円であったという。当時の総理大臣の月給が十一万円で、国家公務員の初任給が七千六百五十円であった。  ちなみに、私がそれより十数年後に司法修習生になった時の月給が、特別手当を加算しても二万七千円であった。それでも人にうらやましがられたし、弁護士になって、月収十万円にこぎつけるのに、二年ばかりかかった。

     現在の価値に換算するとどのくらいになるだろうか。おそらく、五百万円は下らないのではなかろうか。  さらに、社長会記録(六十九年六月一日)によれば、 「三年かかってかせいだ歩合のお金。私の貰い分が二百万。今(昭和四十三年〜四年頃)の金にすると数千万円になるな。それで先生(戸田氏)の借金を返した」 という。  池田大作は、この金を、創価学会のこれはという幹部を手なづけるのに使う、そしてまた、目をつけた女性を落とすためにつかった。

     当時、松島氏宅の三畳間で、池田大作が素っ裸で仁王立ちになり、通子さんにタオルで身体をふかせていたところを小沢よねさんら二人の婦人会員に見られている。二人は、この事実を〝月刊ペン〟事件のやりなおし裁判の法廷で証言したが、創価学会側は通子さんの弟らに偽証させて、  「三畳間など、当時なかった」 と主張し、二人の証言を弾がいした。裁判所は、なぜか二人の証言を正面をから取り上げずに隈部氏に有罪を宣言した。

     だが、後日、造反した竜年光氏(元創価学会総務、公明党東京都議会議員、都議会副議長)は、  「私は、当時、松島氏の選挙の応援などで松島家に行っているが、三畳間はたしかにあった」 と証言している。  また、通子さんの姉、郁子さんの夫、藤原行正氏は、私に、  「〝月刊ペン事件〟の時、私は学会本部によばれ、秋谷氏(現会長)、八尋弁護士(現副会長、ルノワール絵画疑惑の中心人物)らから、〝三畳間なかった〟という偽証をたのまれたが、〝私はわからんし、女房や母は、法廷に出たら何を言うかわからんですよ〟と答えたら、あきらめて、弟にたのんだ」 と語っている。

     色と欲の二筋道を共に満足させてくれる大宮市の松島家は、池田大作にとって〝極楽〟の地であったに違いない。  戸田城聖は、愛人の柏原ヤスさんを参議院議員にしたが、池田大作はこれにならって後日、愛人の通子さんを衆議院議員にしてしまった。  これも、池田大作流〝アメとムチ〟の論功行賞の典型であり、創価学会私物化の典型である。  「広宣流布のため」「王仏冥合のため」と言って、必死の選挙運動をさせられた学会員こそ良い面の皮である。

     余談であるが、池田大作は、大蔵商事時代に自分に金をつぎ込んだ者の他に自分に貞操をささげた女性とその一家を、ことの他手厚く遇している。彼女や彼らが、池田大作の寵愛を鼻にかけて、やりたい放題をしても、だれも咎めることはできない。そんなことをしたら、逆に池田大作にあることないこと言いつけられ、その結果、理事会などの席で立たされて池田大作から目の玉が飛び出るほどドヤされるからである。  さて、戸田城聖から、金融業の奥の手を直々に指南され、腕ききの営業マンとなった池田大作は、創価学会員という願ってもないマーケットを与えられ、いかんなくその力を発揮した。  やがて、聖教新聞にも広告をのせるようになる。  




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