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  • from: 22世紀さん

    2010年09月29日 19時21分38秒

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    池田大作「権力者」の構造

    創価教育学会弾圧事件の真相

     なお、池田はここで戦時中の弾圧が「気になり」、やめることまで考えたと明言しているが、彼はのちにそれを次のように言いかえる。
    「戦後戸田会長に会ったときも、この人は戦争に反対して二年間も、牢に入っていた、この人のいうことならば、わたしは信じてついていってもまちがいはない、と思ったのです」(松本清張との対談、『文藝春秋』昭和43年2月号)
     この池田の追憶談が二つの嘘でなりたっていることは、指摘するまでもあるまい。一つは池田の入信後の思念の偽りである。「やめるなら今のうちがよい」が、「信じてついていってもまちがいはない」と、まるで逆方向に変えられている。これによれば、池田は戸田の反戦の経歴を知って、戸田をただちに師と決めるほどに、確固とした信念を持つ平和主義者だったわけだが、事実を前にすれば、偽造の歴史によってしか己を高くしえない池田の姿がみじめに浮かび上がるばかりである。
     もう一つは一番目の嘘の前提となる、戸田が戦争に反対したという論述である。これが事実と相違することも前に述べたが、創価学会の戦時中の反戦活動という謬説はかなり広く流布されており、またこの池田の対談の嘘を真にうけて、池田論を書き進める論者もかなりあった。
     戸田はすでに故人であって、その多少の誤伝は仕方ないとしても、池田がそれによって自己の辺幅を飾る権利はなに一つないはずである。
     ここで創価学会弾圧の経緯とその性格を今一度確かめてみよう。その結果、戸田が戦争に反対していなかったなら、池田の二つの嘘は二重の嘘となり、妄想と等しいものになろう。
     昭和15(1940)年、政府は前年に成立した宗教団体法と新体制運動により、宗教の統制と戦争目的への動員を進め、その一環として宗教教団の大同団結を強く促し、日蓮正宗に対して日蓮宗との合同を求めた。これに関し、日蓮正宗は会議を催したが、その席で創価教育学会会長・牧口は、他宗派を邪宗として排撃する教義上の立場を厳格に守ることを主張し、合同に強く反対した。
     また政府は学校や家庭、職場に神棚を設け、皇大神宮の神札(大麻)を祀って拝むように強制した。これに対しても、狂信的なまでに日蓮正宗の教義を信じていた牧口は、末法では護法の善神は天に在り、伊勢神宮には魔物しか住んでいない、神札の受け入れは謗法の行為になると、拒否した。牧口や戸田を本山に呼びつけ、ともかく神札を受けるように勧めていた日蓮正宗は、創価教育学会のこうした言動に、弾圧の危険を感じ、同会会員の大石寺への参詣を禁止した。
     日蓮正宗の危惧は現実となって現れ、警察も創価教育学会をマークし、昭和17年5月には機関誌『価値創造』の廃刊を指示した。牧口はその廃刊の辞で、『国策にかなうことを信ずるのであるが、廃刊になるのは、不認識の評価によるか」と不満をもらしている。

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