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  • from: 21世紀さん

    2010年12月09日 20時37分52秒

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    第68世御法主日如上人猊下御指南

    平成22年1月度 広布唱題会の砌

    (於 総本山客殿)

     「広布前進の年」の新春、あけましておめでとうございます。
     御隠尊日顕上人猊下には、御機嫌麗しく新年をお迎えの御ことと慶賀に存じ上げます。 また、宗内僧俗御一同様には、すがすがしく「広布前進の年」を迎え、決意も新たに、いよいよの御奉公・御精進をお誓いのことと存じます。
     総本山におきましては、本年も恒例により、一月中、本日は元旦につき午前九時から行いましたが、原則的には午前八時より一時間の唱題行を執り行いますので、各位にはこぞって御参加くださるよう願います。
     特に、本年は「広布前進の年」であります。「広布前進の年」とは、言葉を換えて言えば「折伏前進の年」であります。広宣流布の達成は、折伏をもって初めて達成することができるからであります。
     その折伏を実践するために大切なことは唱題であります。唱題は仏道修行の根本をなすもので、成仏のための大切な行であります。
     大聖人は『妙法尼御前御返事』に、
    「白粉の力は漆を変じて雪のごとく白くなす。須弥山に近づく衆色は皆金色なり。法華経の名号を持つ人は、一生乃至過去遠々劫の黒業の漆変じて白業の大善となる。いわうや無始の善根皆変じて金色となり候なり。しかれば故聖霊、最後臨終に南無妙法蓮華経ととなへさせ給ひしかば、一生乃至無始の悪業変じて仏の種となり給ふ。煩悩即菩提、生死即涅槃、即身成仏と申す法門なり」(御書1483㌻)
    と仰せられ、唱題によって過去遠々劫の悪業も転じて善業となると明かされ、さらに無始以来の宿業がそのまま成仏の因となることを説かれたのが、煩悩即菩提、生死即涅槃、即身成仏の法門であると明かされておられます。
     また『法華題目抄』には、
    「而るに今の代の世間の学者の云はく、只信心計りにて解心なく、南無妙法蓮華経と唱ふる計りにて、争でか悪趣をまぬかるべき等云云。此の人々は経文の如くならば、阿鼻大城まぬかれがたし。さればさせる解はなくとも、南無妙法蓮華経と唱ふるならば、悪道をまぬかるべし」(御書354㌻)
    と仰せられ、世間の学者らが解を重んじて信心を軽んずる非を厳しく責め、仏法においては信心が根本であり、信心の実践なくしては、いかなる功徳も享受することができないことを示されているのであります。
     換言すれば、宗教・仏教から信心・信仰という行為を取ってしまえば、それは単なる理論であって、仏法でもなく宗教でもないのであります。
     単なる理論では、いかに立派であっても、いかなる功徳も受けることはできず、それによって成仏はできないのであります。
     そこに、仏教においては、
    「夫仏道に入る根本は信をもて本とす」(御書353㌻)
    あります。
     つまり、我ら末法の荒凡夫は自分の力だけでは正しく真理を証得し、絶対的な幸福境界を築くことは到底できませんが、『御義口伝』に、
    「三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり。智慧とは南無妙法蓮華経なり。信は智慧の因にして名字即なり。信の外に解無く、解の外に信無し。信の一字を以て妙覚の種子と定めたり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と信受領納する故に無上宝聚不求自得の大宝珠を得るなり。信は智慧の種なり」(御書1737㌻)
    と仰せのように、宇宙法界の根源の法を内薫自悟せられた御本仏大聖人の教えを信じて実践することによって、我らもまた、既に仏が証得せられたと同じ智慧を持ち、「無上宝聚不求自得の大宝珠」つまり、絶対的な幸福境界を得ることができるのであります。
     その信心の実践こそ唱題であり、唱題なくして仏法の広大無辺なる功徳を享受することはできないのであります。
     しかも、末法の題目は正像二時の自行の題目と異なり、自行化他にわたる題目であります。故に『三大秘法抄』には、
    「題目とは二意有り。所謂正像と末法となり。正法には天親菩薩・竜樹菩薩、題目を唱へさせ給ひしかども、自行計りにして唱へてさて止みぬ。像法には南岳・天台等は南無妙法蓮華経と唱へ給ひて、自行の為にして広く化他の為に説かず。是理行の題目なり。末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(御書1594㌻)
    と仰せであります。
     すなわち、末法の題目は自行化他にわたるもので、自らも救い、他をも救わんとするものであります。
     つまり、自行の題目とは唱題行であり、化他の題目とは折伏行であります。唱題と折伏は一体のものであり、信心を根本とした唱題こそが折伏の源泉となるのであります。その故に日寛上人は『観心本尊抄文段』に、
    「自行若し満つれば必ず化他有り。化他は即ち是れ慈悲なり」(御書文段219㌻)
    と、唱題行の功徳が満ちるところに、必ず折伏の実践が伴うことを御指南あそばされています。
     されば、くれぐれも大事なことは、唱題も折伏も一体であり、唱題行が、ただ唱題行だけに終わるのではなくして、その功徳と歓喜をもって折伏を行ずることが最も大事なのであります。唱題だけでは自行化他にわたる事の題目にならず、ややもすれば正法・像法の理の題目になずんでしまいかねないからであります。
     よって、本年「広布前進の年」は、一人ひとりがしっかりと唱題に励み、折伏を行じ、自行化他の信心に住し、もって本年の誓願を必ず達成するよう、仏祖三宝尊の御宝前に誓い、広布の大願を目指して勇猛精進していただきたいと思います。
     特に、現今の混沌とした国内外の世相を見るとき、我々大聖人様の弟子檀那は憂国の士となって、世のため、人のため、「身軽法重・死身弘法」の御聖訓を体し、我が身を呈して仏国土実現へ向けて尽力していくことが肝要であろうと存じます。
     「槿花一日の栄」に囚われて、今なすべきことをなさずにいることほど愚かなことはありません。
     どうぞ、各位には受け難き人界に生を受け、値い難き仏法に値い奉り、御本仏の弟子檀那となった深い因縁を心に刻み、この日本を救い、世界を救い、真の世界平和実現を目指して、いよいよ御精進くださることを心から念じ、本日の挨拶といたします。

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コメント: 全32件

from: 21世紀さん

2012年04月17日 23時02分05秒

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「Re:第68世御法主日如上人猊下御指南」
平成24年4月度 広布唱題会の砌

(於 総本山客殿)

 本日は、四月度の広布唱題会に当たり、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 本年も既に四月に入り、四分の一が過ぎましたが、皆様には僧俗一致・異体同心して日夜、折伏誓願達成へ向けて御精進のことと思います。
 最近の混沌とした国内外の世情を見るに、我々は『立正安国論』の御正意に照らし、平成二十七年・三十三年の目標は、宗門の僧俗が一致団結し、総力を挙げてなんとしても達成しなければならないと思います。
 そのためにも、本年は是非、全支部が折伏誓願を達成されますようお祈りをする次第であります。
 さて、法華経法師品を拝しますと、
「若し是の善男子、善女人、我が滅度の後、能く竊に一人の為にも、法華経の、乃至一句を説かん。当に知るべし、是の人は則ち如来の使なり。如来の所遣として、如来の事を行ずるなり。何に況んや、大衆の中に於て、広く人の為に説かんをや」(法華経321)
とあります。
 「善男子」とは、仏法を信ずる在家の男性。「善女人」とは、仏法を信ずる在家の女性であります。つまり、善法を信じていることから「善男子」「善女人」というのであります。
 ただし、現時に約して言えば、末法の御本仏宗祖日蓮大聖人御出世の御本懐である本門戒壇の大御本尊様を信奉し、自行化他の行業に励む僧俗を言うのであります。
 故に『椎地四郎殿御書』には、
「法師品には『若是善男子善女人乃至則如来使』と説かせ給ひて、僧も俗も尼も女も一句をも人にかたらん人は如来の使ひと見えたり」(御書1555)
と仰せられ、さらに『諸法実相抄』には、
「若し日蓮池涌の菩薩の数に入らば、豈日蓮が弟子檀那地涌の流類に非ずや。経に云はく『能く竊かに一人の為に法華経の乃至一句を説かば、当に知るべし是の人は則ち如来の使ひ、如来の所遣として如来の事を行ずるなり』と、豈別人の事を説き給ふならんや」(御書666)
と仰せであります。
 これらの御文からも拝せられますように、今日、宗祖日蓮大聖人様の弟子檀那として、題目を唱え、折伏を行ずる者が如来の使いであり、如来から遣わされてきた者であり、如来の事を実行する者であります。
 そもそも、御本仏大聖人様の末法御出現の目的は、本因下種の妙法をもって、一切衆生をしてことごとく成仏せしめるためであります。
 大聖人亡きあと、その実現を目指し、身軽法重・死身弘法の御聖訓を奉戴し、御遺命達成へ向けて挺身していくのが、我ら本宗僧俗の大事な使命であります。
 今、宗門は来たるべき平成二十七年・三十三年の目標達成へ向けて、僧俗一致・異体同心して前進しております。特に、本年は「実行前進の年」であります。
 されば、この時に当たり、我々は一人ひとりが「如来の使」としての自覚と誇りと使命を持って、あらゆる困難と障害を乗り越え、誓願達成へ向けて断固たる決意と勇気を持って折伏を実行していかなければなりません。
 折伏は、たとえ相手が直ちに納得し、入信するに至らなくても、下種折伏することによって、それが縁となり、のちに必ず成仏に至るのであります。
 故に『一念三千法門』には、
「妙法蓮華経と唱ふる時心性の如来顕はる。耳にふれし類は無量阿僧祇劫の罪を滅す。一念も随喜する時即身成仏す。縦ひ信ぜずとも種と成り熟と成り必ず之に依って成仏す」(御書109)
と仰せられています。また『唱法華題目抄』には、
「末代には善無き者は多く善有る者は少なし。故に悪道に堕せん事疑ひ無し。同じくは法華経を強ひて説き聞かせて毒鼓の縁と成すべきか。然れば法華経を説いて謗縁を結ぶべき時節なる事諍ひ無き者をや」(御書231)
と仰せられています。
 すなわち、折伏は順縁、逆縁、共に救われるのでありますから、相手のいかんにかかわらず、慈悲の心をもって折伏を実行することが大事であって、そこにおのずと折伏を行ずる大きな功徳が存するのであります。
 されば『如説修行抄』には、
「権実雑乱の時、法華経の御敵を責めずして山林に閉ぢ籠りて摂受の修行をせんは、豈法華経修行の時を失ふべき物怪にあらずや。されば末法今の時、法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へる。誰人にても坐せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ。三類の強敵来たらん事は疑ひ無し」(御書673)
と仰せられているのであります。
 まさしく「誰人にても坐せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ」とのお言葉を、我々は今一度しっかりと心肝に染め、広布への尊い使命を持った「如来の使」として、勇躍奮起して折伏を実行し、遠くは一天四海本因妙広布流布を目指し、近くは平成二十七年・三十三年の目標達成ならびに本年度の誓願達成へ向けて、いよいよ御精進くださることを心からお願い申し上げ、本日の挨拶といたします。

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from: 21世紀さん

2012年04月01日 20時36分54秒

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「Re:第68世御法主日如上人猊下御指南」
平成24年3月度 広布唱題会の砌

(於 総本山客殿)

 本日は、三月度の広布唱題会に当たりまして、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 本年も既に三月に入りましたが、ちょうど今から一年前、昨年三月十一日、東日本大震災が発生し、予想をはるかに超えた大津波によって東北地方は壊滅的打撃を受け、多くの方々が家を失い、家族を失い、悲惨な目に遭われましたが、これらの方々に心からお見舞い申し上げるとともに、今、振り返ってこうした惨状を見るとき、私どもは改めて『立正安国論』の御正意を拝し、我々が何をなすべきかを考えていかなければなりません。
 大聖人様は『立正安国論』に、
「倩微管を傾け聊経文を披きたるに、世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる。言はずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず」(御書234)
と仰せであります。
 すなわち、天変地夭等の災難興起の原因は、ひとえに「世皆正に背き人悉く悪に帰す」ことにあり、正邪をわきまえない邪義邪宗の謗法こそ、災難の根源であります。
 されば、同じく『立正安国論』には、
「若し先づ国土を安んじて現当を祈らんと欲せば、速やかに情慮を廻らし怱いで対治を加へよ」(御書248)
と仰せられ、さらに、
「早く天下の静謐を思はゞ須く国中の謗法を断つべし」(御書247)
と仰せられています。
 すなわち、天変地夭等の災難を防止するためには、根本的な原因を抜き取って、弊害を大本からなくすことが肝要であり、そのための具体的な実践方途こそ、破邪顕正の折伏なのであります。特に、末法の衆生は本未有善にして、本已有善の衆生と異なり、摂受ではなく折伏をもってすることが肝要なのであります。
 故に『唱法華題目抄』には、
「末代には善無き者は多く善有る者は少なし。故に悪道に堕せん事疑ひ無し。同じくは法華経を強ひて説き聞かせて毒鼓の縁と成すべきか。然れば法華経を説いて謗縁を結ぶべき時節なる事諍ひ無き者をや」(御書231)
と仰せであります。
 すなわち末法今時では、順縁の衆生はもとより、たとえ逆縁の衆生であっても、三大秘法の南無妙法蓮華経を聞かせることによって正法と縁を結ばせ、将来、必ず済度することができるからであります。
 したがって『顕謗法抄』には、
「されば逆縁順縁のために、先づ法華経を説くべしと仏ゆるし給へり」(御書283)
と仰せられているのであります。
 今、宗門は平成二十七年・三十三年の目標達成へ向けて、各支部ともに僧俗一致の戦いを展開しております。なかには、既に本年度の折伏誓願を早々に達成したところもあります。
 宗門が平成ニ十七年・三十三年を迎えるに当たり、また併せて今日の混沌とした世情を見るとき、我々は一歩も退くことなく、すべての人々の幸せと安穏なる国土世間の実現へ向けて、今こそ折伏を行じていかなければならないと痛感いたします。
 大聖人様は『神国王御書』に、
「我が面を見る事は明鏡によるべし。国土の盛衰を計ることは仏鏡にはすぐべからず(中略)仏法に付きて国も盛へ人の寿も長く、又仏法に付きて国もほろび、人の寿も短かかるべしとみヘて候」(御書1301)
と仰せであります。
 また『瑞相御書』には、
「夫十方は依報なり、衆生は正報なり。依報は影のごとし、正報は体のごとし。身なくば影なし、正報なくば依報なし。又正報をば依報をもて此をつくる」(御書918)
と依正不二の原理を明かされています。
さらに、
「衆生の五根やぶれんとせば、四方中央をどろうべし。されば国土やぶれんとするしるしには、まづ山くづれ、草木かれ、江河つくるしるしあり。人の眼耳等驚そうすれば天変あり。人の心をうごかせば地動す」(御書919)
と仰せられ、さらに、
「人の悦び多々なれば、天に吉瑞をあらはし、地に帝釈の動あり。人の悪心盛んなれば、天に凶変、地に凶夭出来す。瞋恚の大小に随ひて天変の大小あり。地夭も又かくのごとし」(御書920)
と仰せであります。
 まさしく、正報たる我ら衆生の身心の動きが、依報たる国土世間に大きく影響を及ぼし、国土の盛衰を決定しているのであります。
 されば、我々はこの依正不二の原理に照らし、仏国土実現のため、本因下種の妙法を一人でも多くの人々に下種し、折伏を行じていくことの大事を知らなければなりません。
 どうぞ皆様には、なお一層の精進をもって、本年度は一人ひとりが固い決意を持って折伏を行じ、誓願達成へ向けて「実行前進」くださることを心からお祈り申し上げ、本日の挨拶といたします。

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from: 21世紀さん

2012年03月14日 11時18分30秒

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「Re:第68世御法主日如上人猊下御指南」
平成24年2月度 広布唱題会の砌

(於 総本山客殿)

 皆さん、おはようございます。
 本日は、二月度の広布唱題会に当たり、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 昨年、宗門は僧俗一致・異体同心の団結と、身軽法重・死身弘法の大活躍によって、全国五百八十四支部中、九十九パーセントに当たる五百七十八支部が折伏誓願を達成し、今までにない大きな成果を挙げることができました。
 残念ながら、全支部達成とはいきませんでしたが、しかし、全国の達成数を合計すると誓願数を上回っており、大勝利であったと思います。
 これもひとえに、各支部の方々が僧俗一致・異体同心の団結と、誓願達成の強い思いを込めて、最後の最後まで全力を出しきって戦ってきた結果であり、心からお喜び申し上げます。まことにおめでとうございました。
 是非、この勝利を起爆剤としてさらに前進を重ね、本年度は必ず全支部が誓願を達成されますようお祈りいたします。
 さて、今月は宗祖日蓮大聖人様の御誕生の月であります。
 御承知のとおり、大聖人様は貞応元(一二二二)年二月十六日、安房国に御誕生あそばされました。
 大聖人様の末法御出現は、既に三千年の昔、釈尊が法華経において予証されており、如来神力品には、
「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅す」(法華経516)
と仰せられているのであります。
 この神力品の御文は、末法の初めの五百年に上行菩薩、すなわち内証久遠元初自受用身の御本仏宗祖日蓮大聖人が御出現あそばされ、妙法蓮華経の五字をもって無明煩悩の闇を照らし、末法の一切衆生を救済あそばされることを明かされているのであります。
 その末法御出現の御本仏大聖人様が御所持あそばされるところの妙法とは、久遠の本法たる妙法五字であり、人即法、法即人の妙法蓮華経にして、人に約せば久遠元初自受用報身如来の再誕、末法御出現の御本仏宗祖日蓮大聖人様であり、法に約せば久遠元初の妙法であります。この人法一箇の妙法こそが、末法の一切衆生救済の根源の法であります。
 故に大聖人様は『御義口伝』に、
「今日蓮が唱ふる処の南無妙法蓮華経は末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり(中略)妙法の大良薬を以て一切衆生の無明の人病を治せん事疑ひ無きなり」(御書1732)
と仰せられているのであります。
 しかるに、世の多くの人達は一生成仏の正しい法を知らず、邪義邪宗の害毒によって正邪に迷い、その結果、謗法を犯し、苦悩にあえいでいるのが現状であります。
 されば『立正安国論』には、
「世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる。言はずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず」(御書234)
と仰せられ、今日の如き世の中の不幸と混乱と苦悩の原因は、すべて邪義邪宗の謗法の害毒にあることを明かされているのであります。よって、この不幸と混乱と苦悩の根源たる謗法を断たなければ、己れ自身の幸せも、世の中の平和も実現することはできないのであります。
 故に『立正安国論』には、
「早く天下の静謐を思はゞ須く国中の謗法を断つべし」(御書247)
と仰せられているのであります。
 さらに『南条兵衛七郎殿御書』には、
「いかなる大善をつくり、法華経を千万部書写し、一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経のかたきをだにもせめざれば得道ありがたし」(御書322)
と仰せられ、『曽谷殿御返事』には、
「謗法を責めずして成仏を願はゞ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし」(御書1040㌻)
と仰せられ、さらに『妙法比丘尼御返事』には、
「仏法の中には仏いましめて云はく、法華経のかたきを見て世をはぶかり恐れて申さずば釈迦仏の御敵、いかなる智人善人なりとも必ず無間地獄に堕つべし」(御書1262)
と仰せであります。
 これらの御文は、いずれも折伏についてたいへん厳しい御教示でありますが、しかし、それだけ私どもの成仏にとって、いかに折伏を行ずることが大事であるかを示されたもので、私どもはこの御金言をしっかりと受け止め、御金言のままに折伏を行じていくことが肝要であります。
 『如説修行抄』には、
「権実雑乱の時、法華経の御敵を責めずして山林に閉ぢ篭りて摂受の修行をせんは、豈法華経修行の時を失ふべき物怪にあらずや。されば末法今の時、法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へる。誰人にても坐せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ」(御書673)
と仰せであります。
「誰人にても坐せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ」との御金言を、私どもはよくよく心腑に染むべきであります。
 今、宗門は真の僧俗一致・異体同心の団結をもって、来たるべき平成ニ十七年・三十三年へ向けて前進しております。
 この時に当たり、一人ひとりが本年「実行前進の年」にふさわしく、一歩一歩、力強く折伏を実行し、折伏をもって来たるべきニ十七年・三十三年の目標へ向かって前進していただきたいと思います。
 広宣流布の戦いには、後退はもちろん、とどまることも、躊躇も無用であります。ただ「実行前進」あるのみであります。
 そのためには、まず唱題が大事であります。何年も連続して折伏誓願を達成している支部は、皆、講中挙げて唱題を行い、その唱題の功徳と歓喜をもって一丸となって折伏を行じ、大きな成果を挙げております。
 唱題と折伏との関係は、まさしく不即不離の関係にあります。
 どうぞ、皆様にはこれからも唱題に励み、折伏を行じ、必ず本年度の誓願を達成されますよう心から念じ、本日の挨拶といたします。

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from: 21世紀さん

2012年02月05日 15時03分41秒

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「Re:第68世御法主日如上人猊下御指南」
立宗760年の新春を寿ぎ奉る


総本山第68世御法主日如上人猊下 新年の辞

 立宗760年の新春を迎え、御隠尊日顕上人猊下には御機嫌麗しく新年をお迎えの御事と存じ上げます。

 また、法華講大講頭・法華講連合会委員長永井藤蔵氏ほか全国法華講員御一同には、清々しく新春を迎え慶賀の至りに存じます。

 昨年、宗門は僧俗一致・異体同心の団結と身軽法重・死身弘法の強盛なる信心を以て、全国で538支部(12月21日現在)が折伏誓願を達成して、来たるべき平成27年・33年の目標達成へ向けて大きく前進することが出来ました。

 就中、東北地方の大多数の支部が、未曽有の災害をもたらした東日本大震災及びそれに伴って起きた福島原発の事故による放射能汚染問題等その他幾多の障害と困難を乗り越え、折伏誓願を見事達成されたことは心からの賞賛に値し、必ずや仏祖三宝尊の御嘉納遊ばされるところと存じます。

 これも偏に各支部が『立正安国論』の御正意を拝し、広布への一念に燃えて戦って来た結果であり、これ程の喜びはありません。

 本年「実行前進の年」は、更に全国的に総力を結集して、文字通り「実行前進の年」に相応しく、大折伏戦を展開実行して前進に前進を重ね、以て平成27年・33年の誓願達成へ向けて大躍進を図られますよう切望するものであります。その為には、峻厳な広布の戦いに耐え得る、足腰の強い講中を育成する必要があります。

 何故ならば、広布の戦いにはあらゆる障魔が競うことが必定だからであります。

 『兄弟抄』には、「此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずば正法と知るべからず。第五の巻に云はく『行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競ひ起こる、乃至随ふべからず畏るべからず。之に随ヘば将に人をして悪道に向かはしむ、之を畏れば正法を修することを妨ぐ』等云云。此の釈は日蓮が身に当たるのみならず、門家の明鏡なり。謹んで習ひ伝へて未来の資糧とせよ」(御書986)と仰せであります。

 大御本尊に対する絶対的確信と強盛なる自行化他の信心、就中破邪顕正の折伏こそ邪義邪宗の謗法を打ち払い、あらゆる障魔を打ち砕く秘訣であります。

 言い換えれば、講中全体が誓願達成の共通の認識を高め、不自惜身命の断固たる決意と異体同心の団結を以て折伏を行じていけば、如何なる障魔にも負けない足腰の強い講中を構築できるのであります。そのためには、講中にあって限られた人だけが折伏を行うのではなく、講中全員が立ち上がり強力に折伏を行えるように育成していくことであります。具体的に云えば、折伏したら、その折伏された人が折伏出来るように育てることであります。

 抑も、育成とは単に育てるというだけではなく、「大きく育てて、立派にする」という意味があります。仏法の見地から云えば、「大きく育てて、立派にする」とは、広布達成に資する人材、即ち折伏の戦士を育てることであります。

 「子を養いて教えざるは父の過ちなり、訓導して厳ならざるは師の惰りなり」という言葉もあります。子供をただ養うだけで、何も教えないのは父たる者の過ちであり、弟子を訓導するに当たって厳しさに欠けるのは、師たる者の怠惰であるという意味でありますが、このような事であってはなりません。折伏しても折伏が出来るように育てなければ、慈悲に欠け無責任の侮りを受けます。

 所詮、折伏と育成は共に化他行であります。申すまでもなく自行とは勤行と唱題であり、化他行とは折伏と育成であります。従って、共に化他行である折伏と育成はどららが欠けても片寄った信心となり、これでは強い講中は育たず、大事な目標も達成出来ません。 要は、折伏したら、その人が折伏できるように育成することが強い講中構築の極意であります。

 されば、本年「実行前進の年」こそ、講中挙げて折伏と育成に取り組み、全支部が必ず折伏誓願を達成し、来たるべき平成27年・33年の目標達成へ向けて大前進されますよう衷心よりお祈り申し上げ、新年の挨拶といたします。

 以上






御隠尊日顕上人猊下 新年の辞

 立宗760年の輝かしい新年、まことにおめでとうございます。

 此のめでたい年頭に当たり、総本山第68世日如上人猊下には、いよいよ御清昌にて高邁なる御教導を宗内僧俗一同に垂示あそばされることは、大喜これに勝るものはありません。宗内皆様と共に心から御慶び申し上げるものであります。

 法華講連合会各位にも、新しく昨年度永井藤蔵連合会委員長を迎え、同委員長を中心に各地方部長及び幹部、更に各委員の方々には一致団結され、願いて叶はざるなき勇猛な唱題をもっていよいよ、大法の護持興隆を誓願されていることと拝察いたします。

 僧俗一致による昨年の折伏大前進の姿は実に目覚ましく、年々に僧俗の確信と充実の倍増が明らかに感ぜられます。これ偏(ひとえ)に仏祖三宝尊の広大な御恩徳でありますが、また日如上人の英邁にして常に適切な御教導の賜と拝します。

 人間は、必要な方面において善い事を積み行う為には、ともすれば悪と堕落に流され勝ちな弱い心を、叱咤激励すべき覚悟が必要であります。それは「よしやるぞ」という決意であり、そこからその人の心の転換が始まります。無責任で目的のはっきりしなかった生活観、ダラダラと無為にすごす毎日が、一本筋の通った有意義で力強い命に生まれ変わるのです。

 しかしこの素晴らしい在り方の真実義は、世間普通の主義主張や団体に存在するのではなく、一切の人々の未来永劫に渉る幸福の源泉を成就し、正しく法界宇宙の理義に合致して心願満足し、己心の奥底より自ら現れ出でて他に全く表現する事のありえない仏心が生ずる、下種本仏日蓮大聖人究極の大事たる三大秘法の実践であります。

 皆様にはどうか此の尊い仏法をもって、自らの幸せと限りなく此の世を明るくする、自行化他の行業に邁進される事を祈り上げます。



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from: 21世紀さん

2012年01月21日 20時09分43秒

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「Re:第68世御法主日如上人猊下御指南」
平成24年1月度 広布唱題会の砌

(於 総本山客殿)

 皆様、新年あけましておめでとうございます。
 宗旨建立七百六十年の新春を迎え、御隠尊日顕上人猊下には、御機嫌麗しく新年をお迎えのことと慶賀に存じ上げます。
 また、宗内僧俗の皆様には、すがすがしく「実行前進の年」の新年を迎え、決意も新たに、いよいよの精進・御奉公をお誓いのことと存じます。
 総本山におきましては、本年も恒例により、一月中、本日は元旦でもあり、広布唱題会にも当たりましたので午前九時から行いましたが、原則的には午前八時より一時間の唱題行を執り行いますので、各位にはこぞって御参加くださるようお願いいたします。
 昨年、宗門は僧俗一致・異体同心の団結と、身軽法重・死身弘法の活躍により、全国で五百七十七の支部が折伏誓願を達成いたしました(のちに五百七十八支部と訂正)。
 これは国内全支部の九八・八〇パーセント、約九九パーセントに当たり、一昨年よりも大幅な増加であり、残念ながら全布教区・全支部達成には至りませんでしたが、しかし、全国の達成数を総計すれば誓願数を上回っており、大きな勝利であります。これもひとえに、全国的に法華講の折伏活動が活発化され、大きく変化をしている証拠であります。
 また特筆すべきニとは、東北地方の大多数の支部が、見事、折伏誓願を達成されたことであります。
 予想をはるかに超え、国内観測史上最大と言われる大津波により、壊滅的な打撃を受け、多くの犠牲者を出し、未曽有の災害をもたらした東日本大震災、また、それに伴う福島第一原発の放射能汚染問題など、幾多の障害と困難と悲しみを乗り越え、誓願を達成されたのも、東北地方の方々の粘り強い強盛な信心と、目の当たりに大災害に遭遇をして、かねて大聖人様が『安国論奥書』において、
「未来も亦然るべきか」(御書420)
と仰せあそばされた御金言の御正意を拝し、なお一層の信心を奮い起こし、災難にくじけることなく、強盛な一念に燃えて折伏に立ち上がった結果によるものと、心から敬意を表するものであります。
 東北地方の一日も早い復興と、皆様方の御健勝を心から願うものであります。
 一方、海外においては、スペイン・フィリピン・パナマ・台湾・韓国・シンガポール・マレーシア・アメリカニューヨーク・同じくロサンゼルス・香港・カナダバンクーバー・ガーナ・アルゼンチン等、寺院あるいは布教所のある地域をはじめ、寺院・布教所がいまだ建立されていないメキシコ・デンマーク・セルビア・タイ・イギリス・トーゴ・ペナン・コンゴ・ぺルー・チリ等の多くの国々でも誓願を達成しております。
 総本山から遠く離れた所でも、このように世界各国で大聖人様の御正意を体し、全世界の平和とすべての人々の幸せを願って真剣に折伏を行じ、活動されていることに心からの敬意と声援を送るものであります。
 このように、昨年は国内外ともに、折伏の気運が大いに高まり、二十七年・三十三年へ向けて大きく前進することができました。
 これはひとえに、国内外の法華講の方々が、来たるべき平成二十七年・三十三年の目標達成が一天四海本因妙広宣流布にとっていかに重要な通過点であるかを認識され、あらゆる障魔を乗り越え、勇猛果敢に折伏を行じてきた結果であり、いわば努力と団結の結晶であります。このことは、やがて必ずや二十七年・三十三年ならびに広宣流布の戦いにとって大きな力となるものと思います。
 どうぞ、皆様にはこれからもなお一層の信心に励まれ、誓願達成・広布達成へ向けていよいよの御精進を心から願います。
 なおまた、昨年暮れには、全国の法華講の方々から、『立正安国論』正義顕揚七百五十年の記念事業の遂行に当たり、特別御供養をいただき、まことに有り難うございました。いただいた御供養は、御影堂の大改修工事ならびに関連事業に有効に利用させていただきたいと思います。ここに改めて厚く御礼を申し上げるものであります。まことに有り難うございました。

 さて、本年は「実行前進の年」であります。
 実行前進とは、折伏を実行し、折伏をもって遠くは一天四海本因妙広宣流布達成、近くは来たるべき平成二十七年・三十三年の目標達成へ向かって僧俗一致・異体同心して前進することであります。
 大聖人様は『立正安国論』に、
「広く衆経を披きたるに専ら謗法を重んず。恋しいかな、皆正法の門を出でて深く邪法の獄に入る。愚かなるかな各悪教の綱に懸かりて鎮に謗教の網に纏はる。此の朦霧の迷ひ彼の盛焔の底に沈む。豈愁へざらんや、豈苦しまざらんや。汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば身は是安全にして、心は是禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし」(御書250)
と仰せられ、また、
「早く天下の静謐を思はゞ須く国中の謗法を断つべし」(御書247)
と仰せられています。
 今日の如き、人心の乱れとたび重なる国土の災難を防ぎ、真の世界平和と仏国土を実現するためには、世の中の人々に、邪義邪宗の謗法が国土、人心を破壊する根本原因であることを教え、誤った信仰を捨てさせ、「実乗の一善」すなわち御本仏日蓮大聖人の出世の御本懐たる、本門戒壇の大御本尊に帰依することが最善の道であることを伝えていかなければなりません。その具体的実践の方途が、すなわち折伏であります。
 故に『聖愚問答抄』には、
「邪正肩を並べ大小先を争はん時は、万事を閣いて謗法を責むべし、是折伏の修行なり」(御書402㌻)
と仰せになり、また『曽谷殿御返事』には、
「謗法を責めずして成仏を願はゞ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし」(御書1040)
と御教示あそばされています。
 世間には、池田創価学会をはじめ様々な邪宗教がはびこっており、その邪義邪宗に惑わされた人達が大勢おります。このような人達に対して、謗法は不幸の根源であることを説き、その謗法を責め、謗法を破折することが、幸せな境界を構築し、平和な仏国土を実現するためには絶対、必要なのであります。
 大聖人は『曽谷殿御返事』に、
「涅槃経に云はく『若し善比丘あって法を壊る者を見て、置いて呵責し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せば、是我が弟子、真の声聞なり』云云。此の文の中に見壊法者の見と、置不呵責の置とを、能く能く心腑に染むべきなり。法華経の敵を見ながら置いてせめずんば、師檀ともに無間地獄は疑ひなかるべし。南岳大師の云はく『諸の悪人と倶に地獄に堕ちん』云云」(御書1039)
と仰せられています。
 我々本宗僧俗は、この御金言を厳しく受け止め、邪義邪宗こそが人々を不幸にし、国土世間を危うくする元凶であると断じて、一切の謗法を破折し、折伏をしていくことが、今、最も大切なのであります。
 今、宗門は、来たるべき平成二十七年・三十三年へ向かって、僧俗一致・異体同心して前進をしております。
 平成二十七年・三十三年の目標を達成するためには、折伏以外にはありません。つまり、折伏こそ、確固たる広宣流布の礎を築くための絶対不可欠な要件だからであります。
 このことは皆様も重々御承知のことと存じますが、それが単なる願望であっては、目標は達成できません。目標を達成するためには、まさしく折伏をもって「実行前進」することこそ肝要であります。
 その「実行前進」するためには、一人ひとりが、まずしっかりとお題目をあげていくことが大事であります。唱題は、三大秘法のなかの本門の題目の実践であります。この唱題こそが仏道修行の根本であり、誓願達成の源泉であり、成仏のための大事な行であります。
 大聖人様は『三大秘法抄』に、
「末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(御書1594)
と仰せになられ、この本門の題目には自行と化他の両義が具わることを御教示あそばされています。
 申すまでもなく、自行の題目とは唱題行であります。化他の題目とは、すなわち折伏行であります。唱題と折伏は一体のものであり、唱題こそが折伏のあらゆる活動の源泉となるのであります。
 折伏に当たって、何ものにも恐れない不動の信念と強い確信に立ち、あらゆる障魔を打ち払うためには、勤行・唱題をしっかりと行うことが肝要であります。
 折伏は、あふれんばかりの唱題の功徳と歓喜をもって打って出ることが、最も大事だからであります。
 大聖人は『祈祷抄』に、
「大地はさゝばはづるゝとも、虚空をつなぐ者はありとも、潮のみちひぬ事はありとも、日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」(御書630)
と仰せであります。
 御本尊に祈り、広布に生きる使命を感じ、世のため、人のため、身軽法重・死身弘法の信念に燃え、強い確信をもって折伏を行ずる時は、必ず相手の心を動かすのであります。 どうぞ、皆様には本年「実行前進の年」を悔いなく戦いきり、必ずや本年度の折伏誓願を全支部が達成されますよう心からお願いを申し上げ、本日の挨拶とさせていただきます。

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from: 21世紀さん

2012年01月21日 20時06分56秒

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「Re:第68世御法主日如上人猊下御指南」
平成23年12月度 広布唱題会の砌

(於 総本山客殿)

 皆さん、おはようございます。
 本日は、本年度最後となる十二月度の広布唱題会に当たり、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 本年「実践行動の年」もいよいよ十二月に入り、残りあと二十八日となりましたが、各支部ともに誓願を達成すべく、懸命に戦っているものと思います。
 お陰さまで、皆様方の昼夜を分かたぬ僧俗一致の戦いによって、現在、四百四十一の支部が誓願を達成し、達成率七十五・五一パーセントとなり、全支部達成へ向けて力強く前進しつつあることは、まことに喜びに堪えません。今の勢いをもってすれば、必ずや本年度は全支部が誓願を達成するものと、固く信じてやみません。
 皆様も御承知のとおり、折伏は今日の如き混沌とした世の中を救い、苦悩にあえぐ多くの人々を幸せに導く最善の方途であります。
 そもそも、折伏は地涌の菩薩の使命であり、一切衆生を救済する、最も尊い行業であります。
 日蓮大聖人様は『諸法実相抄』に、
「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(御書666㌻)
と仰せでありますが、私ども本宗僧俗はこの御金言を拝し、地涌の菩薩の眷属として、末法濁悪の世の中にあって、一天四海本因妙広宣流布の願業達成を目指し、固い信念を持って一意専心、折伏に精進することが最も大事なことであることを、まずしっかりと自覚しなければなりません。
 その折伏に当たって、私達が心得うべき一番大切なことは何かといえば、それは御本尊様に対する絶対の確信であります。
 『如説修行抄』に、
「諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ」(御書673㌻)
と仰せのように、諸宗・諸経は無得道、堕地獄の根源、不幸の因であり、御本尊以外に私達が幸せになる法は絶対にないとの強い確信を持って、人々に訴えていくことが肝要であります。
 されば『阿仏房尼御前御返事』には、
「信ずる者は成仏をとぐ、謗ずる者は無間大城に堕つ」(御書905㌻)
と仰せられ、信ずる者と謗ずる者との両極を明確に御指摘あそばされているのであります。
 私どもは、この御金言をよくよく拝し、御本尊様への強い確信に立って、正邪を判別して破邪顕正の戦いに臨んでいくことが大事であります。
 さて、法華経薬王菩薩本事品を拝しますと「十喩」が説かれています。
 十喩とは、法華経が諸経のなかで最高・最勝の教えであることを示すために説かれた、十種類の譬喩であります。
 すなわち、諸々の水のなかで海が第一であるように、諸々の山のなかで須弥山が第一であるように、諸々の星のなかで月天子・月が第一であるように、日天子・太陽が諸々の闇を除くように、諸王のなかで転輪聖王が第一であるように、帝釈天が三十三天の王であるように、大梵天王が一切衆生の父であるように、一切の凡夫のなかで阿羅漢・辟支仏などの聖者が第一であるように、声聞・縁覚のなかで菩薩が第一であるように、仏が諸法の王であるように、この法華経は諸経のなかの王であると説かれています。
 さらにこのあと、経文には十二の譬えをもって法華経の勝れた利益を説かれています。 十二の譬えとは、法華経は能く一切衆生を救い、諸々の苦悩を離れさせ、利益を与え、その願いを満たすことを、十二の譬えをもって説かれたものであります。
 すなわち、清涼の池が渇いた者を満たすように、寒い者が火を得たように、裸の者が衣を得たように、商人が商隊を組む時の主を得たように、子が母を得たように、渡りに船を得たように、病に医者を得たように、暗闇に灯を得たように、貧しい者が宝を得たように、民が王を得たように、賈客、これは貿易商人のことでありますが、賈客が海を得たように、矩が暗を除くように、この法華経は衆生の一切の苦、一切の病痛を離れ、一切の生死の縛を解く利益があると説かれているのであります。
 すなわち、法華経が諸経中王、最勝の教えであること、その功徳が広大無辺であることを「十喩」と「十二譬」をもって説かれているのであります。
 申すまでもなく、ここで法華経と仰せられているのは、文底観心の上から拝せば、法華経本門寿量品文底秘沈の南無妙法蓮華経のことであります。つまり、文底秘沈の南無妙法蓮華経こそ最勝・最尊の法なるが故に、その功徳もまた「十二譬」に説かれているように、計り知れないほど広大なものがあることを示されているのであります。
 故に『聖愚問答抄』には、
「此の妙法蓮華経を信仰し奉る一行に、功徳として来たらざる事なく、善根として動かざる事なし」(御書408㌻)
と仰せられ、『内房女房御返事』には、
「妙法蓮華経と申し侯は一部八巻二十八品の功徳を五字の内に収め候。譬へば如意宝珠の玉に万の宝を収めたるが如し。一塵に三千を尽くす法門是なり」(御書1490㌻)
と仰せられ、妙法蓮華経の功徳の広大なることを、あらゆる願いをかなえる「如意宝珠の玉」に譬えて示されているのであります。
 私どもは、これらの御金言を心肝に染めて、一日も早く、また一人でも多くの人々に、強い確信を持って三大秘法の大御本尊を持ち、南無妙法蓮華経と唱え奉る功徳により、いかなる人でも、煩悩と業に苦しむ我が身を、法身・般若・解脱の三徳と開き、現当二世にわたり、真実の幸福境界を成就することができることを心を込めて説き、折伏を行じていくようにしなければなりません。
 では、その強い確信に立つためにはどうすればよいのか。それは勤行・唱題にしっかりと励んでいくことであります。御本尊に真剣に祈り、相手を思う真心と強い確信が命の底から涌き上がってきた時、その燃えるような一念の慈悲の言葉は、必ず相手の心を揺さぶらずにはおかないのであります。
 要は、唱題の功徳と歓喜をもって折伏に打って出る、これが折伏達成の秘訣であります。
 大聖人様は『妙法尼御前御返事』に、
「法華経の名号を持つ人は、一生乃至過去遠々劫の黒業の漆変じて白業の大善となる。いわうや無始の善根皆変じて金色となり侯なり」(御書1483㌻)
と仰せであります。
 どうぞ皆様には、御本尊様を受持信受する絶対の功徳を固く信じ、本年も残りわずかとなりましたが、いまだ誓願を達成されていない支部はなんとしてでも誓願を達成され、既に達成した支部は新たなる下種先を開拓し、次の戦いに備え、いよいよ御精進くださるよう心からお願いを申し上げ、本日の挨拶といたします。

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from: 21世紀さん

2011年11月21日 12時56分50秒

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「Re:第68世御法主日如上人猊下御指南」
第68世御法主日如上人猊下御指南(H23.11)
平成23年11月度 広布唱題会の砌

(於 総本山客殿)

 皆さん、おはようございます。
 本日は、十一月度の広布唱題会に当たり、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 いよいよ本年も十一月に入り、残り二月となりましたが、各支部ともに本年度の折伏誓願を達成すべく、昼夜を分かたず、僧俗一致の戦いを進めているものと思います。
 御承知のとおり、本年は三月の東日本大震災をはじめ、台風やその他の異常気象などによって大雨・洪水等が発生して各地で大きな被害をもたらし、多くの方々が犠牲になられたことはまことに悲しむべきことであり、心から御冥福をお祈り申し上げるものであります。
 私どもは、こうした悲惨な現状を目の当たりにして、その根本原因が那辺にあるかを探り、平穏なる仏国土実現のため、今、何をなすべきかをしっかりと見極めていかなければなりません。
 結論から言えば、天変地夭をはじめ世の中の混乱と不幸と苦悩の根本原因は、大聖人様が『立正安国論』に、
「世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる。言はずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず」(御書234㌻)
と仰せられているように、ひとえに「世皆正に背き人悉く悪に帰す」故であります。すなわち、その根本原因は、すべて謗法の害毒によるのであります。
 されば、今こそ我々は謗法を対治し、折伏を行じていかなければならないのであります。
 大聖人様は『立正安国論』に、
「若し先づ国土を安んじて現当を祈らんと欲せば、速やかに情慮を廻らし怱いで対治を加へよ」(御書248㌻)
と仰せであります。
 世の中の人々の幸せを願い、現当二世にわたる国土の安穏を折らんとすれば、まず不幸の根源たる邪義邪法の謗法を対冶することが最も肝要であることを知るべきであります。 折伏は最大の慈悲行であります。苦悩にあえぐ多くの人々を救い、平和で安穏な世の中を築くためには、この慈悲行をもってすることが最善の方途であります。
 また、折伏によって世の中の人々の心田に妙法を下種結縁し、仏性を目覚めさせ、妙法を唱えせしめることは、まさしく大乗の菩薩のなすべき最高の仏道修行であります。
 故に、菩薩の総願たる「四弘誓願」の最初には「衆生無辺誓願度」が置かれているのであります。
 四弘誓願とは、菩薩が発する四つの誓願、すなわち衆生無辺誓願度・煩悩無数誓願断・法門無尽誓願知・仏道無上誓願成のことでありますが、すべての菩薩が共通して起こすので、総願とも言うのであります。
 このうち、衆生無辺誓願度とは、生死の苦しみに縛られ、苦悩にあえぐ人々をすべて成仏に導こうと誓うことであります。この衆生無辺誓願度を四弘誓願の最初に置くのは、他の三つが自行の誓願であるのに対し、化他行を重視し、衆生教化を菩薩の本分とするが故であり、また、それが菩薩の修行にとって最も肝要であるからであります。
 よって『御講聞書』には、
「所詮四弘誓願の中には衆生無辺誓願度肝要なり。今日蓮等の類は南無妙法蓮華経を以て衆生を度する、是より外には所詮無きなり」(御書1862㌻)
と仰せられているのであります。
 世間的に言っても、世のため人のために尽くすことは、自分自身がそこに生きがいと喜びを感じ、自らの成長が図られ、充実した人生を歩むことができると言われております。 仏法においてはなおのこと、折伏によって一人でも多くの人々を幸せに導くことは、我ら地涌の菩薩の眷属として最も重要なことであり、これこそ最高の喜びであります。その折伏には、また自らも幸せになり他をも幸せとする、自利利他の大きな功徳を存しているのであります。
 そもそも、末法の衆生は本未有善であります。その本未有善の荒凡夫が成仏をするためには、爾前諸経に説かれるような歴劫修行や、末法の衆生には到底不可能な六波羅蜜等の修行を経なくとも、ただ寿量品文底秘沈の南無妙法蓮華経を受持し、自行化他の信心に励んでいくことによって、必ず成仏がかなえられるのであります。
 故に、無量義経には、
「未だ六波羅蜜を修行することを得ずと雖も、六波羅蜜自然に在前す」(法華経43㌻)と説かれ、『観心本尊抄』には、
「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ。四大声聞の領解に云はく『無上宝聚、不求自得』云云」(御書653㌻)
と仰せられているのであります。
 まさしく、正像適時の本已有善の凡夫と異なり、末法本未有善の荒凡夫が成仏得道しうる秘法は、ただ寿量品文底秘沈の妙法蓮華経にして、この妙法を信受する以外には末法の荒凡夫が幸せになれる道はないのであります。
 さればこそ、我々本宗僧俗は大確信を持って、一人でも多くの人々に対して大御本尊様の広大無辺なる功徳を説き、折伏を行じ、救済していくことが最も肝要となるのであります。
 今、宗門は僧俗挙げて、来たる平成二十七年・三十三年の目標達成へ向けて大前進をしております。この戦いのなかで最も大切なことは、大御本尊様に対する絶対的な確信と、あらゆる困難・障害を排して断固、折伏を実践する、たくましい行動力であります。
 そのためには、しっかりと唱題することが肝要であります。唱題の功徳と歓喜をもって折伏に打って出ることが、誓願達成の秘訣であります。
 唱題の功徳によって、たくましい力と智慧と勇気が湧いてくるのであります。そして、私達の発する確信あるひとこと、ひとことが、必ず相手の心を大きく動かすことになるのであります。
 本年も残り二月、一人ひとりがこの大確信を待って折伏に励んでいただきたいと思います。
 時間の価値は、その内容によって決まります。広宣流布のために、いかに充実した時間を送れるか否かは、これからの我々の戦いのいかんによります。その結果は、的確に我々の成仏、不成仏につながっているのであります。
 是非とも残り二月、限られた尊い時間を一時も無駄にすることなく、各支部ともに、なお一層の精進をもって、僧俗一致・異体同心して折伏を行じ、もって本年度は必ず全支部が折伏誓願を達成されますよう心からお祈りいたしまして、本日の挨拶といたします。

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from: 21世紀さん

2011年11月05日 01時02分35秒

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「Re:第68世御法主日如上人猊下御指南」
平成23年10月度 広布唱題会の砌

(於 総本山客殿)

 皆さん、おはようございます。
 本日は、十月度の広布唱題会に当たりまして、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 本年も既に十月に入り、残り三月となりましたが、各支部ともに本年度の折伏誓願を達成すべく、昼夜を分かたず、僧俗一致の戦いを懸命に進めているものと思います。
 特に、本年は三月の東日本大震災をはじめ、十二号・十五号などの大型台風による大規模な災害、また福島原発の放射能汚染問題など、大きな問題を抱えたまま、抜本的な解決策も遅々として進まず、先々不安な問題が山積して、混乱しているのが現状であります。 かかる時にこそ、私どもは『立正安国論』の御正意に照らして、真の仏国土実現を目指し、一人ひとりが確信と勇気ある行動をもって、破邪顕正の折伏を実践していかなければなりません。
 されば、各支部ともになお一層の精進をもって、異体同心、僧俗一致して折伏を行じ、もって本年度は必ず全支部が折伏誓願を達成されますよう、心からお願いする次第であります。
 さて、法華経神力品を拝しますと、
「我が滅度の後に於て 応に斯の経を受持すべし 是の人仏道に於て 決定して疑有ること無けん」(法華経517㌻)
とあります。
 この御文は神力品の最後、結びの御文でありますが、「滅後」とは正像末の三時に通ずるも、まさしくは末法今時を指し、「斯の経」とは一往は法華経のことでありますが、末法観心の上から拝すれば、文上の法華経を指すのではなく、寿量品文底秘沈の妙法蓮華経のことであります。「受持」とは、受は受領の義、持は憶持の義にして、『法華文句』に、
「信力の故に受し、念力の故に持す」(学林版文句会本中612㌻)
とありますように、信念力をもって受け持つことであります。末法におきましては、信念を堅固にして三大秘法の大御本尊様を受け持つことであります。
「決定して疑有ること無けん」とある「決定」とは、確定的にことが決まって動じないこと、つまり疑いないことであります。すなわちこの御文の意は、滅後末法において法華経、すなわち寿量品文底秘沈の妙法蓮華経を受持する者は、成仏することは疑いないとの意であります。
 そもそも、爾前諸経におきましては歴劫修行を説き、浅きより深きへ次第に修行を進め、成仏に至るとする、いわゆる次位の次第を定めておりますが、法華経はしからず、提婆達多品において竜女の即身成仏を説き、歴劫修行をせずとも成仏することができることを明かされているのであります。
 故に『三世諸仏総勘文教相廃立』には、
「一切の法は皆是仏法なりと通達し解了する、是を名字即と為づく。名字即の位にて即身成仏する故に円頓の教には次位の次第無し」(御書1417㌻)
と仰せられているのであります。
 また『得受職人功徳法門抄』には、
「未断煩悩の凡夫も妙法を信受するの時、妙覚の職位を成ず。豈此の人に於て受職の義無からんや。経に云はく『我が滅度の後に於て、応に斯の経を受待すべし、是の人仏道に於て決定して疑ひ有ること無けん』と。又云はく『須臾も之を聞かば即ち阿耨菩提を究竟することを得ん』文」(御書589㌻)
と仰せられております。
 すなわち、いまだ煩悩を断じていない荒凡夫といえども、妙法蓮華経を信受する時、名字即の位において、凡夫の身そのままの姿で成仏することができるとされているのであります。まさしくこれ、寿量品文底秘沈の妙法蓮華経の広大無辺なる功力によるところであります。
 言い換えれば、たとえいかなる者であったとしても、大御本尊様に対し奉り、至心に南無妙法蓮華経と唱える時は、必ず成仏することは炳乎として疑いないのであります。
 されば、大聖人は『当体義抄』に、
「正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じて、三観・三諦即一身に顕はれ、其の人の所住の処は常寂光土なり」(御書694㌻)
と仰せられているのであります。
 今、宗門は、来たる平成二十七年・三十三年の目標達成へ向けて、僧俗挙げて戦っております。特に、本年は全支部が必ず誓願を達成することが、二十七年・三十三年の目標を達成するためには極めて大事であります。
 なかんずく、最近の混迷を極めている国内外の情勢を見ると、私どもは一日も早く、また一人でも多くの人々に妙法を下種結縁し、折伏を行じていかなければならないと痛感いたします。そのためには、講中が一丸となって立ち上がり、まず動くことであります。行動を起こすことであります。
 たとえ千里の道も、半歩でもいいから前へ進まなければ到達することができないように、折伏は理屈ではなく、実際に行動を起こさなければ達成成就することはできません。動けば智慧も涌き、諸天も守らせ給い、必ず誓願を達成することができます。
 もし、誓願が達成できないというなら、それは理屈だけに終わって動いていないからか、よくよく反省すべきであります。座して折伏を語っても折伏は達成できません。
 「冥冥の志なき者は、昭昭の明なく、昏昏の事なき者は、赫赫の功なし」
という言葉があります。
 「冥冥の志」とは、人の知らないところで努力することであります。「昏昏の事」とは、心を打ち込んで集中することであります。つまり「目に見えぬ努力を積み重ねない者には、栄誉が訪れるはずがないし、目につかぬところで仕事の手を抜く者には、輝かしい成果があるはずもない」という意味であります。
 折伏も同様でありまして、手を抜かずに折伏を続けていくことが、極めて大事であります。忙しいなかにも時間を作り、弛まず折伏を続けていくところに自他の成仏、すなわち己れ自身の一生成仏もかない、苦悩にあえぐ人々を救うことができるのであります。
 今日お集まりの講中のなかには、既に本年度の折伏誓願を達成したところもあるでしょう。また、いまだ未達成のところもあるでしょう。未達成の講中でも、まだ三月あります。三月あれば大概のことはできます。否、その決意をもって僧俗一致、異体同心して行動を起こせば、必ず誓願は達成できます。
 どうぞ皆様には、既に達成したところも、未達成のところも、共に来たるべき平成二十七・三十三年を目指して、いよいよ御精進くださることを心からお願い申し上げ、本日の挨拶と致します。

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from: 21世紀さん

2011年10月09日 20時57分07秒

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「Re:第68世御法主日如上人猊下御指南」
御法主日如上人猊下御言葉
立正山大廣寺寺号公称板御本尊入仏法要の砌
平成23年9月4日 於 パナマ共和国パナマ市


 本日は、パナマ立正山大廣寺公称ならびに板御本尊入仏法要、まことにおめでとうございます。
 この立正山大廣寺は、1996(平成8)年11月、非営利法人「日蓮正宗テンプル・パナマ」が認可されたのち、2001(平成13)年、僧侶常駐がかない、翌2002(平成14)年9月、様々な難関を乗り越え、パナマ初の布教所として、市内ロサンヘルス地区に開設されました。

 その後、ベジャビスタ地区へ移転いたしましたが、より交通至便で御信徒が集まりやすいカルメン地区に移転が決定して当地を購入し、昨年3月、建物が完成して布教所移転新築法要を行い、今回、晴れて板御本尊をお迎えするとともに、布教所から寺院へ昇格して寺号を公称し、本日めでたく、関係各位多数の御出席を得て、立正山大廣寺公称ならびに板御本尊入仏法要が、盛大かつ厳粛裡に執り行われるに至りましたことは、宗門といたしましても、また皆様方現地の御信徒にとりましても、この上ない喜びであろうと、心からお喜び申し上げるものであります。まことにおめでとうございます。

 また、本日の盛儀を迎えるに当たり、住職・船橋信清師には、日ごろからの御奉公に加え、寺院建立へ向けて誠心誠意、尽力されましたことを心から謝するとともに、多大なる御協力をいただいた関係各位ならびに地元御信徒各位に厚く御礼申し上げます。まことに有り難うございました。どうぞ、これからも僧俗一致、異体同心して、寺檀和合・寺運興隆を図り、いよいよ御精進くださるよう心から願うものであります。

 さて、本宗における寺院とは、それぞれの地域における大法弘通の法域として、その意義と目的のために建立されるものであります。したがって、今後はこの意義と目的を体して、この寺院をパナマ広布の拠点して自行化他の信心に励み、中米各地はおろか、世界流布を目指していよいよ御精進くださるよう心から願うものであります。

 特に今、宗門は来たる2015(平成33)年・第二祖日興上人御生誕770年を期して、 法華講員50%増と2021(平成33)年 ・宗祖日蓮大聖人御聖誕800年までに、法華講員80万人の体勢を構築することを目指して、大前進をしております。このことは、全世界の本宗僧俗が果たすべき大事な使命であると同時に、一人ひとりがこの使命を果たしていくなかに真の団結が生まれ、かつ自他共の幸せも、また全世界の平和も実現可能となるのであります。

 幸いパナマにおいては、僧俗一致して折伏を実践し、既に本年度の折伏誓願も達成され、力強く広布への道のりを歩まれていることに、心からの敬意を表するものであります。これも住職・船橋信清師をはじめ、パナマの御信徒が心を一つにして精進してきた結果であり、このことは必ずや大御本尊様の御照覧あそばされるところと、心から喜びに堪えません。

 大聖人は『持妙法華問答抄』に、「願はくば『現世安穏・後生善処』の妙法を持つのみこそ、只、今生の名聞後世の弄引(ろういん)なるべけれ。須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧めんのみこそ、今生人界の思出(おもいで)なるべき」(御書300ページ)と仰せであります。

 今、末法の本未有善の衆生は、末法御出現の久遠元初の御本仏日蓮大聖人がお唱えあそばされた妙法蓮華経によって、初めて成仏得道がかなえられるのであります。されば、このたびの立正山大廣寺公称ならびに板御本尊入仏法要を機になお一層の信心に励まれ、僧俗一致の磐石なる体勢を構築して、一天広布を目指して師子奮迅の働きをなされますよう、心からお祈り申し上げます。

 最後に、立正山大廣寺の寺檀和合・寺運興隆、ならびに住職・船橋信清師をはじめ御信徒各位のいよいよの信心倍増と御繁栄を心からお祈り申し上げ、本日の挨拶といたします。本日は、まことにおめでとうございました。

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from: 21世紀さん

2011年09月25日 11時46分24秒

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「Re:第68世御法主日如上人猊下御指南」
平成23年8月度 広布唱題会の砌

(於 総本山客殿) 

皆さん、おはようございます。
 本日は、八月度の広布唱題会に当たり、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 本年も既に八月に入り、各支部ともに本年度の折伏誓願を達成すべく、昼夜を分かたず、僧俗一致の戦いを懸命に進めているものと思います。
 そもそも誓願とは、自らが仏に成るとともに、多くの人々を救済せずにはおかないという固い決意であり、一旦発起された誓願は必ず達成しなければならないのであります。
 特に本年は、多大な被害を出した東日本大震災をはじめとして、この大震災によって起きた原子力発電所の事故による放射能汚染問題、その後も続く余震による様々な被害、また異常な大雨による被害、さらにこのような天変地夭に呼応するかのように、政治も経済も混迷を極めているのが現状であります。
 しかし、こうした現状を見て多くの人々は心を痛めておりますが、さりとて、なぜこうした災難が起きるのか、また解決の方策はあるのかとなりますと、識者と言われる人達も懸命に模索している姿は伺えますが、根本からの解決の方途については、残念ながら全く不明であります。
 大聖人は『神国王御書』に、
「我が面を見る事は明鏡によるべし。国土の盛衰を計ることは仏鏡にはすぐべからず。仁王経・金光明経・最勝王経・守護経・涅槃経・法華経等の諸大乗経を開き見奉り候に、仏法に付きて国も盛へ人の寿も長く、又仏法に付きて国もほろび、人の寿も短かかるべしとみへて候。譬へば水は能く舟をたすけ、水は能く舟をやぶる。五穀は人をやしない、人を損ず。小波小風は大船を損ずる事かたし。大波大風には小舟やぶれやすし。王法の曲がるは小波小風のごとし。大国と大人をば失ひがたし。仏法の失あるは大風大波の小舟をやぶるがごとし。国のやぶるゝ事疑ひなし」(御書1301)
と仰せであります。
 すなわち、今の御文に「国土の盛衰を計ることは仏鏡にはすぐべからず」と仰せられ、また「仏法に付きて国も盛へ人の寿も長く、又仏法に付きて国もほろび、人の寿も短かかるべしとみへて候」と仰せの如く、仏教の明鏡に照らせば、その国の興亡盛衰は、ひとえにその国の仏法の善悪邪正の如何によるのであります。
 このことは、既に『立正安国論』においても、
詳しく仰せられているところであります。『立正安国論』には、
世の中の不幸と混乱と苦悩の原因は、すべて邪義邪宗の謗法の害毒にあり、この謗法を退治して正善の妙法を立つる時、国中に並び起きるところの三災七難の災難は消え失せ、積み重なる国家の危機も消滅して、安寧にして盤石なる仏国土が出現すると仰せられています。
 すなわち、仏国土実現の最善の方途とは、人々が一日も早く謗法の念慮を断ち、実乗の一善、すなわち三大秘法の随一、本門戒壇の大御本尊に帰依することであります。
 されば、私どもは御本仏大聖人の御金言のままに、確信を持って、世のため人のため、真の仏国土実現へ向かって謗法を破折し、折伏を実践していくことが今、謗法の害毒によって迷走し続ける日本を、また世界を救うためにも最も必要とするところであり、かつまた我ら本宗僧俗に課せられた最も大事な使命であり責任であることを、一人ひとりがしっかりと銘記していただきたいのであります。
 本年は「実践行動の年」であります。座して広布を語るのではなく、立ち上がり、実践行動をもって広布に挺身していくことが最も大事なのであります。
 どうぞ各講中は、僧俗一致・異体同心の団結と果敢なる実践行動をもって、平成二十七年・三十三年の目標達成へ向けて、そしてそのためにも本年度の誓願を必ず達成されますよう心からお祈り申し上げ、本日の挨拶といたします。

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from: 21世紀さん

2011年09月21日 18時19分42秒

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「Re:第68世御法主日如上人猊下御指南」
唱題行(7月31日)の砌

 皆さん、おはようございます。
 今月一日から行ってまいりました総本山における七月度の唱題行も、本日をもって終了いたします。今まで参加されていた皆様には、たいへん御苦労さまでした。
 また、今日は全国の少年部の諸君もこの唱題行に参加され、まことに御苦労さまでございます。皆さんが、普段から所属の寺院、あるいは自宅で唱題行を行っていることと思いますが、ここ総本山において行う唱題行は、またひとしおのものがあると思います。
 大聖人様は『四信五品抄』に、
「問ふ、其の義を知らざる人唯南無妙法蓮華経と唱へて解義の功徳を具するや不や。答ふ、小児乳を含むに其の味を知らずとも自然に身を益す。耆婆が妙薬誰か弁へて之を服せん。水心無けれども火を消し火物を焼く、豈覚り有らんや」(御書1114)
と仰せであります。
 解りやすく言いますと、妙法蓮華経の五字について、その意義や難しい理屈などを知らない無智の人が、ただ南無妙法蓮華経と唱えているだけで、妙法蓮華経の意義を理解している人と同様の功徳が得られるかどうかとの問いに対して、子供が乳を飲むのに、その養分などは知らなくても、飲めば自然に成長する。また名医と言われる耆婆の作る薬は、患者がその薬の調合がどうなっているかなどを知らなくても、これを飲めば病気は治る。水には心はないが火を消し、その火はまた、ものを焼く。もとより、これは心あってのことではないと、このように答えられているのであります。
 つまりこの御文は、南無妙法蓮華経の偉大なる功徳を示されたもので、たとえ南無妙法蓮華経の深い意義を知らなくても、御本尊様を信じきって一心に題目をあげれば、必ず大きな功徳が顕れると仰せられているのであります。
 今日お集まりの少年部の皆さんのなかには、多少なりとも南無妙法蓮華経の意義について知っている人もいるかも知れませんが、大半の人は小学生でありますから、充分には知っていないと思います。しかし、それでも構いません。ただ一心に御本尊様を信じ、お題目をあげていくことが大事なのであります。
 真剣にお題目を唱えていけば、御本尊様の偉大なるお力によって、必ず大きな功徳を頂戴することができるのであります。いかなる困難も、必ず乗りきることができます。いかなる障魔も、必ず打ち破ることができます。我々の欠点も、必ず長所に変わります。今、悩んでいることも解決します。大切なことは、御本尊様を信じ、真剣にお題目を唱えていくことであります。
 どうぞ少年部の皆さんは、これからもお寺や自宅で唱題に励み、来たるべき平成二十七年ならびに三十三年の誓願達成へ向けて、少しでもお役に立つ人材となっていただきたいと思います。
 今日は、このあと少年部大会が行われますので、これをもって本日の挨拶といたします。

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from: 21世紀さん

2011年09月21日 18時17分59秒

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「Re:第68世御法主日如上人猊下御指南」
平成23年7月度 広布唱題会の砌

(於 総本山客殿) 

皆さん、おはようございます。
 本日は、七月度の広布唱題会に当たりまして、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 皆様には既に御承知のとおり、今月は『立正安国論』上呈の月であります。『立正安国論』は、文応元(一二六○)年七月十六日、宗祖日蓮大聖人御年三十九歳の時、宿屋左衛門入道を介して、時の最高権力者・北条時頼に提出された国主への諌暁書であります。
 『立正安国論』上呈の由来につきましては『安国論御勘由来』に、
「正嘉元年太歳丁巳八月廿三日戌亥の時、前代に超えたる大地震。同二年八月一日大風。同三年己未大飢饉。正元元年己未大疫病。同二年庚申四季に亘りて大疫已まず。万民既に大半に超えて死を招き了んぬ。而る間国主之に驚き、内外典に仰せ付けて種々の御祈祷有り。爾りと雖も一分の験も無く、還りて飢疫等を増長す。日蓮世間の体を見て粗一切経を勘ふるに、御祈請験無く還りて凶悪を増長するの由、道理文証之を得了んぬ。終に止むこと無く勘文一通を造り作し其の名を立正安国論と号す。文応元年庚申七月十六日辰時、屋戸野入道に付し故最明寺入道殿に奏進し了んぬ。此偏に国土の恩を報ぜんが為なり」(御書367)
と仰せあそばされています。
 すなわち、大聖人様は正嘉元(一二五七)年八月二十三日の大地震をはじめ、相次いで起きた天変地夭、飢饉疫病等の惨状を見て、かかる国土退廃の根本原因は、ひとえに邪義邪宗の謗法の害毒にあると断ぜられ、直ちに邪義邪宗への帰依を止めなければ、自界叛逆・他国侵逼の二難をはじめ様々な難が必ず競い起こると、法華経・大集経・仁王経等、あまたの経証を挙げて警告をされ、こうした災難を防ぐためには、
「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば身は是安全にして、心は是禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし」(同250)
と仰せられて、一刻も早く謗法の念慮を絶ち、「実乗の一善」に帰することであると諌められているのであります。
 「実乗の一善」とは、大聖人様の御正意は文上の法華経ではなく、法華経文底独一本門の妙法蓮華経のことであり、三大秘法の随一・大御本尊のことであります。すなわち、この大御本尊に帰依することが、国を安んずる最善の方途であると仰せられているのであります。
 よって日寛上人は、
「立正の両字は三箇の秘法を含むなり」(御書文段6)
と仰せであります。
 すなわち「立正」とは、末法万年の闇を照らし、弘通し給うところの本門の本尊と戒壇と題目の三大秘法を立つることであり、正法治国、国土安穏のためには、この本門の本尊と戒壇と題目の三大秘法の正法を立つることこそ肝要であると仰せあそばされているのであります。
 また「安国」の両字については、
「文は唯日本及び現在に在り、意は閻浮及び未来に通ずべし」(同5)
と仰せられています。
 つまり、国とは一往は日本国を指すも、再往は全世界・一閻浮提を指しているのであります。また、この『立正安国論』の対告衆は時の最高権力者・北条時頼でありますが、実には一切衆生に与えられた諌言書であります。
 すなわち『立正安国論』は、大聖人様が日本国の上下万民が謗法の重科によって、今生には天変地夭、飢饉疫病ならびに自界叛逆難、他国侵逼難等の重苦に責められ、未来には無間大城に堕ちて、永劫にわたって阿鼻の大苦に責められることを悲嘆せられ、身命を賭して、北条時頼ならびに万民をお諌めあそばされたところの折伏諌暁書であります。
 されば、今日の混沌とした現状を見るとき、今こそ我々は『立正安国論』の御正意を体して、一切衆生救済、仏国土実現を目指して、僧俗挙げて折伏に励んでいかなければなりません。
 なぜなら、今回の東日本大震災をはじめ、国の様々な混乱の原因は『立正安国論』に照らして見るに、まさしく、
「世皆正に背き人悉く悪に帰す」(御書234)
故であり、その根本原因は、すべからく邪義邪宗の謗法の害毒にあるからであります。したがって今、私どもは、
「早く天下の静謐を思はぶ須く国中の謗法を断つべし」(同247)
との御金言を肝に銘じて、一人ひとりが天下の静謐を祈り、国中の謗法を断つべく、折伏を行じていかなければならないのであります。
 所詮、天下泰平・国土安穏は、我らが等しく願うところであります。
 仏法には依正不二の原理が説かれておりまして、正報たる我ら衆生と依報たる国土世間とは、全く無関係にあるわけではありません。『瑞相御書』には、
「人の悦び多々なれば、天に吉瑞をあらはし、地に帝釈の動あり。人の悪心盛んなれば、天に凶変、地に凶夭出来す。瞋恚の大小に随ひて天変の大小あり。地夭も又かくのごとし」(同920)
と仰せであります。
 すなわち、正報たる我ら衆生が一切の謗法を捨てて、実乗の一善たる本門の本尊に帰依すれば、妙法蓮華経の計り知れない力用によって、我ら衆生一人ひとりの生命が浄化され、それが個から全体へ、衆生世間に及び、社会を浄化し、やがて依報たる国土世間に及び、仏国土と化していくのであります。
 逆に、我ら衆生の生命が悪法によって濁れば、その濁りが国中に充満し、依報たる国土の上に様々な変化を現じ、天変地夭等となって現れるのであります。
 『立正安国論』には、
「若し先づ国土を安んじて現当を祈らんと欲せば、速やかに情慮を廻らし怱いで対治を加へよ」(同248)
と仰せであります。
 国土世間が安穏であることは、我々の幸せにとって極めて大事なことであります。そのためには、謗法を対治しなければならないのであります。
 すなわち、すべての混乱と苦悩と不幸の原因は、ひとえに邪義邪宗の謗法の害毒にあり、この謗法を対冶し、折伏を行じ、苦悩にあえぐ多くの人々を救っていくことが今、我々に課せられた最も大事な使命であることを知らなければなりません。
 されば、我ら本宗僧俗は、遠くは一天四海本因妙広宣流布を目指し、近くは来たる平成ニ十七年・三十三年の目標達成を目指し、まずは全支部が、一支部たりとも遅れを取ることなく、眼前の目標である本年度の折伏誓願を必ず達成されますよう心からお祈りを申し上げ、本日の挨拶といたします。

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from: 21世紀さん

2011年09月11日 19時59分01秒

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「Re:第68世御法主日如上人猊下御指南」
平成23年6月度 広布唱題会の砌

(於 総本山客殿) 

皆さん、おはようございます。
 本日は、六月度の広布唱題会に当たりまして、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 本年も既に中盤に入り、皆様には日夜、折伏誓願の達成へ向けて御精進のことと存じます。
 さて、法華経法師品を拝しますと、
「薬王、当に知るべし。如来の滅後に、其れ能く書持し、読誦し、供養し、他人の為に説かん者は、如来則ち、衣を以て之を覆いたもう為し。又、他方の現在の諸仏に護念せらるることを為ん。是の人は大信力、及び志願力、諸善根力有らん。当に知るべし、是の人は如来と共に宿するなり。則ち如来の手をもって、其の頭を摩でたもうを為ん」(法華経326)
とあります。
 この御文は、仏が薬王菩薩に対し、法華経を受持する者を讃歎して述べた言葉でありますが、解りやすく申し上げますと、
「法華経を受持し、他人のために説く者を、如来は自らの衣をもって覆い給い、守護せられるばかりではなく、他方の現在仏も心に懸けて護るであろう。この人には、大信力と志願力と多くの善根力とがあり、まさしく、この人は常に如来と共にあり、如来に頭をなでられ、褒められるであろう」
と仰せられているのであります。
 大聖人様はこの御文のなかで、法華経を受持する者は釈尊ばかりではなく、他方の諸仏からも守護せられることを『上野殿母尼御前御返事』に、
「此の法華経を開いて拝見仕り候へば『如来則ち、衣を以て之を覆ひたまふ為し。又、他方の現在の諸仏に護念せらるゝことを為ん』等云云。経文の心は東西南北八方、並びに三千大千世界の外、四百万億那由他の国土に十方の諸仏ぞくぞくと充満せさせ給ふ。天には星の如く、地には稲麻のやうに並居させ給ひ、法華経の行者を守護せさせ給ふ事、譬へば大王の太子を諸の臣下の守護するが如し」(御書1510)
と、計り知れないほど多くの他方の仏が、法華経を受持する者を守護すると仰せられています。
 その上、一切の四天王、一切の星宿、一切の日月、帝釈、梵天等、さらに一切の二乗、一切の菩薩、兜率内院の弥勒菩薩、迦羅陀山の地蔵、補陀落山の観世音、清涼山の文殊師利菩薩など、それぞれが眷属を伴って法華経の行者を守護し、釈迦、多宝、十方の諸仏が自ら来たり給いて、昼夜十二時に守護すると仰せられて、法華経を受持し、弘める者がいかに多くの仏、菩薩、二乗、諸天から護られているかをお示しあそばされているのであります。
 さらにまた、経文には「是の人は大信力、及び志願力、諸善根力有らん」と仰せであります。
 「大信力」とは、絶対的信念を持って仏を信じきる、強盛なる一念の強さのことてあります。日寛上人は『観心本尊抄文段』に、
「『信力』とは一向に唯此の本尊を信じ、此の本尊の外には全く仏に成る道無しと強盛に信ずるを即ち『信力』と名づくるなり」(御書文段228)
と仰せられております。すなわち大信力とは、余念なく御本尊を絶対的に信じきることであります。
 「志願力」とは、志願とは自ら進んで願い出ることであり、誓願と同じ意味であります。その誓願とは、すなわち衆生無辺誓願度・煩悩無数誓願断・法門無尽誓願知・仏道無上誓願成の四弘誓願のことで、なかんずく衆生無辺誓願度がその中心となります。すなわち、限りなく多くの衆生を済度することを誓うことであります。
 「諸善根力」とは、善根とは、あらゆる善をなす根本、つまり善い報いを生み出す原因としての善行のことであります。『諸法実相抄』には、
「末法に生まれて法華経を弘めん行者は、三類の敵人有って流罪死罪に及ばん。然れどもた(堪)へて弘めん者をば衣を以て釈迦仏をほひ給ふべきぞ、諸天は供養をいたすべきぞ、かたにかけせなかにをふべきぞ、大善根の者にてあるぞ」(御書666)
と仰せであります。
 すなわち、末法において法華経を弘めれば三類の強敵が現れ、その迫害のために、あるいは流罪に処され、あるいは死罪に行われることがあろうとも、これらの耐え難き苦痛に耐えて法華経を弘通する者を、仏は大きな慈悲の衣をもって覆い護り、諸々の天人は種々に供養し、あるいは肩に懸け、背に負うて守護してくださる。こうした善行を積んだ者を大善根の者と言うのであると仰せられているのであります。
 このように、末法において、あらゆる苦難を乗り越え、法華経を受持し弘める者は、かくの如き三力を得、あらゆる仏、菩薩、二乗、諸天に守護せられることになるのであります。
 また、経文には「是の人は如来と共に宿するなり」と仰せでありますが、大聖人様は『得受職人功徳法門抄』に、供養に寄せられて、
「仏は衆生を引導すること自在神通力の故に此の経を説くこと難からず。凡師は自在の三昧を得ざるが故に此の経を説くこと則ち難し。故に一切讃仏の功徳に勝ると云ふなり。されば此の弘経の人は『如来と共に宿する』の人なり」(御書593)
と仰せであります。
 すなわち、自在神力をもってこの経を説く仏縁とは異なり、自在力を持たない凡夫が法を弘めることは、はなはだ困難である。故に、その凡夫の弘通者を供養する功徳は、たやすく弘教することができる仏を一劫の間、供養する功徳よりも勝れており、したがって、末法に法華経を弘める者は、まさしく「如来と共に宿する」人であると仰せられているのであります。
 ただし、この御文を深く拝すると、別して言えば、仏より勝れていると言えば、末法の法華経の行者、すなわち御本仏大聖人であります。しかし、総じて言えば、法華経を受持する者を指します。ここでは総じての上から申し上げておりまして、したがってまた、かくの如く凡夫の弘教者が、ことここに至り、如来と共に宿する人となれば、如来よりその頭を摩でられ給う、すなわち称揚され、授記せられることとなるのであります。
 いわばこの御文は、法華経受持の功徳がいかに広大であるかを明かされているのであります。
 もちろん、ここで法華経と仰せられているのは、今時末法に約して申せば、文上の法華経ではなく、寿量品文底秘沈の南無妙法蓮華経、すなわ人法一箇の大御本尊様のことであります。
 この人法一箇の大御本尊様を受持し、弘通する者は、ありとあらゆる仏、菩薩、二乗、諸天ならびにその眷属に守護せられること、間違いないののであります。
 それはひとえに、持つところの法が最も勝れているが故であります。故に『持妙法華問答抄』には、
「されば持たるゝ法だに第一ならば、持つ人随って第一なるベし」(御書298)
と仰せられております。また『得受職人功徳法門抄』には、
「此の妙法蓮華経は本地甚深の奥蔵、一大事因縁の大白法なり。化導三説に勝れ功一期に高く、一切衆生をして現当の悉地成就をせしむる法なるが故に、此の経受職の人は是くの如く功徳を得るなり。釈に云はく『法妙なるが故に人貴し』等云云」(御書594)
と仰せであります。
 今、宗門は僧俗一致して、来るべき平成二十七年・三十三年の目標達成のために、総力を挙げて前進をしております。
 かかる時に当たり、私どもは深くこの御金言を拝し大御本尊様ヘの絶対の確信と広大無辺なる功徳を信じ、一人残らず折伏逆化の戦いに馳せ参じ、誓願達成のために挺身をしていかなければなりません。
 二十七年・三十三年の目標を達成するためには、まず眼前の目標たる本年度を必ず勝利することであります。
 そのためには、失敗を恐れず、まず動くことであります。信心とは実践であります。
 自分を取り巻く人のなかで未入信の人がいたら、直ちに行動を起こし、下種折伏することが必要であります。
 折伏に当たっては、御本尊様の偉大なる功徳を、魂を込めて話をすることであります。心から相手の幸せを願い、折伏することが大事なのであります。
 どうぞ皆様には、今日、お話を申し上げましたように、この大御本尊様を受持信行する者は、大御本尊様の広大無辺なる功徳と、あらゆる仏、菩薩、二乗、諸天等の守護が必ずあることを忘れずに、勇気を持って、いよいよ折伏に励んでいただきたいことをお伝えして、本日の話といたします。

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from: 21世紀さん

2011年06月29日 20時05分54秒

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「Re:第68世御法主日如上人猊下御指南」
御法主日如上人猊下御言葉
五月度広布唱題会の砌
平成23年5月1日 於 総本山客殿


 本日は、 五月度の広布唱題会に当たり、 皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。本年も既に三分の一を過ぎ、いよいよ中盤に入りましたが、皆様には日夜、折伏誓願の達成へ向けて御精進のことと存じます。
 さて、法華経神力品を拝しますと、「我が滅度の後に於て 応に斯の経を受持すべし 是の人仏道に於て 決定(けつじょう)して疑(うたがい)有ること無けん」(法華経517ページ)とあります。「斯の経」とは法華経のことでありますが、末法に約して申せば、文上の法華経ではなく、法華経文底下種の南無妙法蓮華経のことであります。すなわち、滅後末法において、文底下種の南無妙法蓮華経を受持する者は、必ず成仏できると仰せられているのであります。

 そもそも、この神力品の御文の前を拝しますと、「日月の光明の 能(よ)く諸(もろもろ)の幽冥(ゆうみょう)を除くが如く 斯の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅す」(同516ページ)と説かれております。

 この御文について、大聖人様は『寂日房御書』に、「経に云はく『日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く、斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す』と、此の文の心よくよく案じさせ給へ。 『斯人行世間(しにんぎょうせけん)』の五つの文字は、上行菩薩末法の始めの五百年に出現して、南無妙法蓮華経の五字の光明を指しい出して、無明煩悩の闇をてらすべしと云ふ事なり。日蓮等此の上行菩薩の御使ひとして、日本国の一切衆生に法華経を受け持てと勧めしは是なり」(御書1393ページ)と仰せであります。

 すなわち、先程の神力品の「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅す」との御文は、末法に上行菩薩が出現され、南無妙法蓮華経の五字をもって一切衆生の無明煩悩の闇を照らすと仰せられているのであります。

 このことは『観心本尊抄』にも、「今末法の初め、小を以て大を打ち、権(ごん)を以て実を破し、東西共に之を失し天地顛倒せり。迹化の四依は隠れて現前せず。諸天其の国を棄て之を守護せず。此の時地涌の菩薩始めて世に出現し、但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ」(御書660ページ)と仰せられ、

 また『右衛門大夫殿御返事』には、「日蓮は上行菩薩の御使ひにも似たり、此の法門を弘むる故に。神力品に云はく『日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く、斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」等云云。此の経文に斯人行世間の五の文字の中の人の文字をば誰とと思(おぼ)し食(め)す、上行菩薩の再誕の人なるべしと覚えたり。経に云はく『我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし、是の人仏道に於て決定して疑ひ有ること無けん」云云(同1435ページ)と仰せられています。

 すなわち、大聖人様は上行菩薩の再誕として末法に御出現あそばされましたが、しかし上行菩薩としてのお立場はあくまでも外用のお姿であって、内証深秘(じんぴ)の辺から拝するならば、久遠元初自受用報身如来の御本仏にましますのであります。

 故に、日寛上人は『文底秘沈抄』に、「若し外用の浅近に拠れば上行の再誕日蓮なり。若し内証の深秘に拠れば本地自受用の再誕日蓮なり。故に知んぬ、本地は自受用身、垂迹は上行菩薩、顕本は日蓮なり」(六巻抄49ページ)と仰せられているのであります。

 すなわち、末法は、釈尊が予証せられたとおり、外用上行菩薩、内証久遠元初の御本仏宗祖日蓮大聖人が御出現あそばされ、三大秘法の妙法をもって、本未有善の荒凡夫たる末法濁悪の衆生の心田に仏種を下し、もって救済あそばされるのであります。

 されば『高橋入道御返事』には、「末法に入りなば迦葉・阿難等、文殊・弥勒菩薩等、薬王・観音等のゆづられしところの小乗経・大乗経並びに法華経は、文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。所謂(いわゆる)病は重し薬はあさし。其の時上行菩薩出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生にさづくべし」(御書887ページ)と仰せられているのであります。

 つまり、末法においては、御本仏大聖人の妙法蓮華経のみが成仏得道の要法にして、爾前の厳仏・権経の教えをはじめ、他のいかなる教えでも成仏することはできず、かえって無間大城に堕ちることになってしまうのであります。故に、今、我々末法の衆生は、宗祖日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ奉り、大聖人が御建立あそばされた三大秘法の随一、本門戒壇の大御本尊を帰命依止の御本尊と崇め奉り、至心に南無妙法蓮華経と唱え奉るところに、初めて即身成仏の本懐を遂げることができるのであります。

 ただし『三大秘法抄』に、「題目とは二意有り。所謂正像と末法となり。正法には天親菩薩・竜樹菩薩、題目を唱へさせ給ひしかども、自行計(ばか)りにして唱へてさて止みぬ。像法には南岳・天台等は南無妙法蓮華経と唱へ給ひて、自行の為にして広く化他の為に説かず。是、理行の題目なり、末法に入って今、日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(同1594ページ)と仰せの如く、末法の修行は自行化他にわたる題目が肝要であります。したがって、唱題行にしても、唱題が唱題だけで終わらず、その功徳と歓喜をもって折伏に打って出るとが肝要なのであります。

 要は「実践行動の年」にふさわしく、一人ひとりが、理屈ではなく、折伏実践の行動をおこすことであります。「座して食らえば山も空し」という言葉がありますが、たしかに、働かないでいれば、豊富な財産もやがてはなくなってしまいます。同じように、信心も折伏を行じなければ、今まで積んできた功徳もいつの間にか、なくなってしまいます。

 我々一人ひとりが一生成仏を果たし、仏国土を実現するためには、地涌の菩薩としての振る舞い、すなわち「上求菩提、下化衆生」の誓願のもと、唱題を重ね、折伏を行じていくことが最善の方途であることを知らなければなりません。特に、今回の東日本大震災の惨状を目の当たりにする時、その感を深くするものであります。

 『法華初心成仏抄』には、「元より末法の世には、無智の人に機に叶(かな)ひ叶はざるを顧みず、但強ひて法華経の五字の名号を説いて持たすべきなり。其の故は釈迦仏、昔不軽菩薩と云はれて法華経を弘め給ひしには、男・女・尼・法師がおしなべて用ひざりき。或は罵られ毀られ、或は打れ追はれ、一しなならず、或は怨まれ嫉まれ給ひしかども、少しも懲りもなくして強ひて法華経を説き給ひし故に今の釈迦仏となり給ひしなり」(同1315ページ)と仰せであります。

 この御金言の如く、今、末法における折伏は、不軽菩薩がそうであったように、「機に叶ひ叶はざるを顧みず、但強ひて法華経の五字の名号を説いて持たす」ことが肝要であります。されば、同じく『法華初心成仏抄』には、「とてもかくても法華経を強ひて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓(どっく)の縁となつて仏になるべきなり」(同1316ページ)と仰せられているのであります。慈悲の心をもって、心の底から相手を救いたいと思うならば、この御金言を実践に移し、一人でも多くの人に下種し、折伏を行ずべきであります。

 信心とは理屈でなく、 実践行動であります。 なかでも我々は、折伏という実践行動を起こしてこそ、過去遠々劫の罪障を消滅し、一生成仏を遂げることができるのであります。まさしく、神力品の「我が滅度の後に於て 応に斯の経を受持すべし 是の人仏道に於て 決定して疑有ること無けん」 との御文を拝し、 己れ一人だけではなく、 不幸にあえぐ多くの人に妙法の偉大なる功徳を説き、折伏を行じていくことが肝要となるのであります。

 どうぞ皆様には、このことを忘れずに、本門戒壇の大御本尊様への絶対の確信をもって、来たる平成二十七年・三十三年の目標達成へ向けて、講中が異体同心・一致団結して折伏を行じ、すべての支部が必ず誓願を達成されますよう、心から願うものであります。

 「時は得難くして失い易(やす)し」とも「時人(ひと)を待たず」とも言います。まだ年末までには時間があると思ったら負けます。「時は金なり」とも言います。時は貴重であるからこそ、無駄に過ごしてはならないのであります。されば、 今の一時(いっとき)を無駄にすることなく折伏を行じ、 本年度は全支部が必ず折伏誓願を達成されますよう心から念じ、本日の挨拶といたします。

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from: 21世紀さん

2011年06月26日 00時33分31秒

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「Re:第68世御法主日如上人猊下御指南」
法華講連合会 春季総登山会および第48回総会を開催
御法主日如上人猊下・御隠尊日顕上人猊下 御臨席のもと

3月26日・27日の一泊二日にわたり、2万5570名余が参集し法華講連合会春季総登山会が開催された。26日は一泊参加者の御開扉・講頭会・御法日如上人猊下御講義、27日は丑寅勤行・法華講連合会第48回総会が行われた。

◎御法主日如上人猊下御言葉

 本日は法華講連合会第48回総会が、ここ総本山において、御隠尊日顕上人の御臨席を賜り、このように開催され、まことにおめでとうございます。

 まず初めに、今回の東日本大震災により被災された皆様、同じく災害に遭われた本宗信徒の皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。この災禍によって、多数の方が尊い命を亡くされましたことに、悲しみの念を深くするとともに、犠牲となられた方々の御冥福を衷心よりお祈り申し上げます。被災者の皆様が、このたびの痛みを一日も早く癒(いや)され、再び未来へ向かって力強く立ち上がり、強盛なる信心をもってこのたびの大難を克服せられますように、心からお祈り申し上げます。

 さて、本年「実践行動の年」は、来るべき平成27・33年の目標に向かって。2年目に当たる、まことに大事な年であります。すなわち、本年「実践行動の年」の意義をしっかりと心肝に染めて立ち上がり、総力を結集して折伏の実践行動を起こすべき重要な年であります。

 昨年は、国内をはじめ海外におきましても折伏の気運が大いに高まり、まことに大きな成果を挙げることができました。これもひとえに、国内外の各支部の指導教師をはじめ御信徒一同が真剣に唱題を唱え、折伏に取り組み、異体同心の団結をもってあらゆる障魔を乗り越え、戦ってきた成果であり、皆様の御健闘を心からたたえるものであります。是非、本年「実践行動の年」は、全支部が僧俗一致・異体同心して戦い、必ず誓願を達成されますように、心から願うものであります。

 法華経五百弟子授記品第八を拝しますと「貧人繋珠(びんにんけいじゅ)の譬え」が説かれています。これは法華七喩の一つで「衣裏珠(えりじゅ)の誓え」とも言われている誓えであります。その内容は、


ある男の人が親友の家を訪問して、たいそうごちそうになり、酒に酔って眠り込んでしまってのであります。この時、その親友は急に旅に出なければならなくなり、眠っている友人、その友人はたいへん貧乏していたので、友人の衣服の裏に無価の宝珠、値を計ることができないほど高価な宝珠を縫い込んで出て行ったのであります。酔いから覚めた友人は、そのことを知る由もなく、その家を立ち去ったのであります。その後、その友人は相変わらず貧乏暮らしをして、わずかばかりの衣食にもこと欠く有り様で、諸国を放浪していたのであります。しばらくして、たまたま親友と会うことになったのでありますが、その親友は友人の見すぼらしい姿を見て大いに驚き、衣服の裏に縫い込んだ宝珠のことを尋ねたところ、友人は驚いて自分の衣服の裏を調べて、初めて無価の宝珠が縫い付けられいることを知ったのであります。そして、自分の愚かさを恥じるとともに非常に歓喜し、そのあとは豊かな生活を送れるようになった。
と、こういう話であります。

 この誓えで、酒に酔って眠ってしまって男とは声聞、親友とは仏様に譬えられ、今まで小乗の悟りを真の仏果であると思い込んで満足していた愚かな衆生が、仏様の真実の教えを知って、初めて成仏の大利益を得ることができたことを説かれているのであります。

 この御文について『御講聞書』には、「此珠とは一乗無価(むげ)の宝珠なり、貧人とは下根の声聞なり、総じては一切衆生なり。所詮末法に入りて此珠とは南無妙法蓮華経なり。貧人とは日本国の一切衆生なり。此の題目を唱へ奉る者は心大歓喜せり」(御書1884ページ)と仰せであります。つまり、酒に酔って眠ってしまって男の人とは声聞を指しますが、総じては一切衆生を指し、衣服の裏に縫い付けた無価の宝珠とは南無妙法蓮華経、すなわち法華経文底独一本門の妙法蓮華経のことであります。

 また『御義口伝』には、「酔とは不信なり、覚とは信なり。今日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉る時無明の酒醒(さ)めたり」(御書1747ページ)と仰せであります。酒に酔うとは、仏教の正邪を弁(わきま)えず、邪義邪宗を信じて不幸な生活から抜け出せないことであり、酔いから覚めるとは、邪義邪宗の謗法を捨てて正法に帰依し、目覚めることであります。思うに、今、世の中を見ると、謗法の酒に酔い、そこから抜け出すことができずにいる人が、いかに多いことか。我々は、このような人達に対して妙法を下種し、折伏を行じて、覚醒させていく大事な使命があることを忘れてはなりません。

 また、この譬えはすべての衆生には本来的に仏性が具わっていること、すなわち一切衆生悉(しつ)有(う)仏性を明かし、衆生にはことごとく成仏の可能性があることを示されているのであります。しかし、肝心なことは、仏性を具ているというだけでは、直ちに成仏には至らないのであります。仏性が仏性としての用(はたら)きをするためには、正しい縁に触れなければ仏性は仏性としての用きをしないのであります。

 故に『三世諸仏総勘文教相廃立』には、「縁とは三因仏性は有りと雖も善知識の縁に値はざれば、悟らず知らず顕はれず。善知識の縁に値へば必ず顕はるゝが故に縁と云ふなり」(同1426ページ)と、仏性はあっても、善知識の縁に値わなければ「悟らず知らず顕はれず」と仰せであります。

 その善知識とは、一般的には、教えを説いて仏道へと導いてくれる善い友人・指導者のことを指しますが、ここで善知識と仰せられいるのは、末法御出現の御本仏、主師親三徳兼備の宗祖日蓮大聖人様のことであります。つまり、御本仏大聖人様が末法に御出現あそばされて一切衆生の三因仏性を扣発(こうはつ)し、凡夫即極の成仏を現ぜしめるが故であります。したがってまた、今後に約して申せば、人法一箇の大御本尊を指すのであります。

 一方、悪知識とは、甘言(かんげん)を用い、詐(いつわ)り媚び、言葉巧みに人の心に取り入って、善良な心を破る者のことであります。具体的には『御講聞書』には、「末法当今に於て悪知識と云ふは、法然・弘法・慈覚・智証等の権人謗法の人々なり。善知識と申すは日蓮等の類の事なり」(同1837ページ)と仰せのように、悪知識とは、法然、弘法、慈覚、智証等の謗法の者を指し、仏道修行を説いて人を悪に導く者のことであります。

 しかし『種々御振舞御書』には、


釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ。今の世間を見るに、人をよくな(成)すものはかたうど(方人)よりも強敵(ごうてき)が人をばよくなしけるなり。眼前に見えたり。此の鎌倉の御一門の御繁昌は義盛と隠岐法皇(おきのほうおう)ましまさずんば、争(いか)でか日本の主となり給ふべき。されば此の人々は此の御一門の御ためには第一のかたうどなり。日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信(かげのぶ)、法師には良観(りょうかん)・道隆(どうりゅう)・道阿弥陀仏(どうあみだぶつ)、平左衛門尉・守殿(こうどの)ましまさずんば、争でか法華経の行者とはなるべきと悦ぶ。(同1063ページ)
と仰せられています。すなわち、仏弟子となりながら退転し、逆罪を犯して釈尊を迫害した、悪知識の最たる提婆達多こそ善知識であると仰せられ、また大聖人が仏に成るための第一の味方は、大聖人を小松原で襲い、弟子を殺害し、大聖人に傷を負わせた東条影信であり、あるいは大聖人を亡き者にしようと讒言(ざんげん)をした極楽寺良寛、道隆や道阿弥陀仏であり、また竜の口の法難・熱原法難の首謀者である平左衛門尉頼綱であると仰せであります。

 まさしく「人をよくな(成)すものはかたうど(方人)よりも強敵(ごうてき)が人をばよくなしけるなり」と仰せのように、上辺だけの味方となる者よりも、妙法を貫く上の様々な妨害や難をなす者こそ、むしろ信心を奮い立たせ、それをバネとして己れの信心を擁立していくならば、それは善知識であると仰せられているのであります。故に、大聖人様は『種々御振舞御書』に、「相模守殿こそ善知識よ。平左衛門こそ提婆達多よ」(同ページ)と仰せられているのであります。困難にぶつかった時こそ、我々はこのことをしっかりと胸に刻み、ますます信心強盛に、いかなる難をも乗り越えていくことが肝要であります。

 先程も申し上げましたが、人はすべて仏性を具ており、だれもが成仏の可能性を持っております。しかし、現実には謗法の悪縁によって仏性が冥伏(みょうふく)したままで、多くの人が不幸に陥っているのであります。こうした人達に対し、一日も早く、また一人でも多く、妙法を下種し、折伏して正法に帰依せしめ、真の幸せに導いていくことが、今、我々本宗僧俗がなすべき最も大事なことであります。特に、このたび東日本大震災を見る時、その感を深くするものがあります。

 大聖人様は『当体義抄』に、「正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩(ぼんのう)・業(ごう)・苦の三道、法身・般若(はんにゃ)・解脱(げだつ)の三徳と転じて、三観(さんがん)・三諦(さんたい)即一心に顕はれ、其の人の所住の処は常寂光土(じょうじゃっこうど)なり」(同694ページ)と仰せであります。

 この御文のなかの「其の人の所住の処は常寂光土(じょうじゃっこうど)なり」との文について、日寛上人は『当体義抄文段』に、「『其の人』とは即ち是れ三道即三徳の妙人、是れ正報なり。『所住の処』等とは依報なり。中に於て『所住之処』の四字は依報の中の因なり。『常寂光土』の四字は依報の中の果なり。当に知るべし、依正不二なる故に」(御書文段 622ページ)と御指南あそばされております。

 まさしく妙法信受の功徳は、煩惱・業・苦の三道を、法身・報身・解脱の三徳と転じ、正報たる己自身がまず浄化され、個から全体にその輪が広がることによって衆生世間を大きく変え、さらに依正不二の原理によって、その変化は依報たる国土世間にも及び、その人の所住の処を常寂光土と化していくのであります。

 その常寂光土実現のための具体的実践法こそ、破邪顕正の折伏であります。故に大聖人様『立正安国論』に、「早く天下の静謐を思はゞ須(すべから)く国中の謗法を断つべし」(御書247ページ)と仰せであります。すなわち、天変地夭をはじめ戦争、飢餓(きが)、人心の攪乱(こうらん)等、世の中の不幸と混乱と苦惱の原因は、ひとえに謗法害毒にあり、その謗法を断たなければ真の平和も国土の安穏も訪れてこないのであります。

 されば『立正安国論』には、「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ(やぶ)壊れんや。国に衰微(すいび)無く土に破壊(はえ)無くんば身は是(これ)安全にして、心は是禅定ならん。此の詞(ことば)此の言(こと)信ずべく崇(あが)むべし」(同250ページ)と仰せであります。

 申すまでもなく「実乗の一善」とは、法華経本門寿量品文底独一本門の妙法蓮華経にして、三大秘法の随一、本門の本尊ことであります。すなわち「実乗の一善に帰せよ」とは、万民一同が謗法の念慮を断ち、三大秘法の大御本尊に帰依することが、国土を安ずる絶対不可欠な要件であることを示されているのであります。

 されば、我ら一同、この御本仏の御金言を心から拝信し、今この時こそ、全員が立ち上がり、世の中の安泰と平和と仏国土の実現を願い、総力を結集して折伏を行じていかなければならないと思います。そのためには、まず、本年はすべての支部が必ず折伏誓願を達成することであります。どうぞ、皆様には、「大悪を(興)これば大善きたる」(同796ページ)との御金言を拝し、ますます強盛な信心に立ち、誓願達成へ向けて御精進くださるよう心から願い、本日の挨拶といたします。

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from: 21世紀さん

2011年06月26日 00時27分56秒

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「Re:第68世御法主日如上人猊下御指南」
平成23年4月度 広布唱題会の砌

(於 総本山客殿) 

皆さん、おはようございます。
 本日は、四月度の広布唱題会に当たりまして、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 まず初めに、このたびの東日本大震災により被災された皆様、同じく災害に遭われた本宗信徒の皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。
 この大震災によって、多くの方が尊い命を亡くされましたことに、悲しみの念を深くするとともに、犠牲となられた方々の御冥福を衷心よりお祈り申し上げます。
 被災者の皆様が、このたびの痛みを一日も早く癒され、再び未来へ向かって力強く立ち上がり、強盛なる信心をもってこのたびの大難を克服せられますよう、心からお祈り申し上げるものであります。
 このたびの大震災を見て、かねてより大聖人様が『立正安国論』において警鐘を鳴らされていたことが空事ではなく、まさしく現実であることを厳しく知らされた思いであります。
 『立正安国論』には、正嘉元(一二五七)年八月二十三日の大地震をはじめ、近年より近日に至るまで頻発する、天変、地夭、飢饉、疫癘等の惨状を見て、その原因は、世の中の人々が皆、正法に背き、悪法を信じていることにより、国土万民を守護すべきところの諸天善神が所を去り、悪鬼・魔神が便りを得て住みついているためであるとされております。そして、正法を信ぜず悪法を信ずることによって、三災七難等の災難が起きると、仁王経、大集経、薬師経等を挙げて、その理由を述べられ、これら不幸と混乱と苦悩を招いている原因はすべて謗法にあり、この謗法を対治して正善の妙法を立つる時、国中に並び起きるところの三災七難等の災難は消え失せ、積み重なる国家の危機も消滅して、安寧にして盤石なる仏国土が出現すると仰せられています。そしてさらに、こうした災難を防ぎ、仏国土を建設するためには、一刻も早く謗法の念慮を断ち、「実乗の一善に帰せよ」と諌められているのであります。
 「実乗の一善に帰せよ」とは、万民一同が謗法の念慮を断ち、実乗の一善、すなわち三大秘法の大御本尊に帰依することであり、実乗の一善に帰することが、人々の幸せと国土を安んずる絶対不可欠な要件であると仰せられているのであります。
 すなわち、仏法においては依正不二の原理が説かれ、主体たる正報と、その依りどころたる依報とが一体不二の関係にあることを明かされているのであります。
 故に、大聖人様は『瑞相御書』に、
 「夫十方は依報なり、衆生は正報なり。依報は影のごとし、正報は体のごとし」(御書918)
と仰せられているのであります。
 よって、正報たる我ら衆生の六根のあらゆる用きが、そのまま依報たる国土世間へ大きく影響を与えているのであります。
 例えば『諸経と法華経と難易の事』には、
「仏法やうやく顛倒しければ世間も又濁乱せり。仏法は体のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり」(御書1469)
と仰せられ、さらにまた、先程の『瑞相御書』には、
「人の悦び多々なれば、天に吉瑞をあらはし、地に帝釈の動あり。人の悪心盛んなれば、天に凶変、地に凶夭出来す」(御書920)
と仰せられているのであります。
 この依正不二の原理は、凡夫の智慧をもっては到底、計り知ることのできない、仏様の透徹された智慧であり、三世十方すなわち、無限の時間と空間を通覧せられて、宇宙法界の真理を悟られた仏様が明かされた絶対の知見であります。
 したがって、宇宙法界の根源の法たる妙法に照らして示された、この依正不二の大原則を無視して、今日の如き混迷を極める惨状を救い、真の解決を図ることはできないのであります。
 すなわち『立正安国論』の正意に照らせば、正報たる我ら衆生が一切の謗法を捨てて、実乗の一善たる三大秘法の随一・本門の本尊に帰依せば、その不可思議広大無辺なる妙法の力用によって、我ら衆生一人ひとりの生命が浄化され、それが個から全体へ、衆生世間に及び、社会を浄化し、やがて依報たる国土世間をも変革し、仏国土と化していくのであります。
 反対に、我々衆生の生命が悪法によって濁れば、その濁りが国中に充満し、依報たる国土の上に様々な変化を現じ、天変地夭等となって現れてくるのであります。
 これが『立正安国論』に示された原理であり、この『立正安国論』に示された大聖人様の御正意を体して、仏国土実現を目指して一切衆生救済の慈悲行たる折伏を行じていくのが、我ら本宗僧俗の大事な使命であります。
 もちろん、今、大震災の復興へ向けて、各機関の方々、ボランティアの方々、国内のみならず、国外からも支援の手が差し伸べられていることは大いに評価すべきであり、賞賛に値する行為であることは間違いありません。
 しかしまた、さらに根本のところから、仏法の視点に立って、今、我々がなすべきことは何かといえば、私ども一人ひとりが『立正安国論』の御理想実現へ向けて、一人でも多くの人に、また一日でも早く、一人ひとりの心田に妙法の仏種を植え、折伏を行じていくことが、今、なすべき最も大切なことであります。
 どうぞ、皆様には、
「大悪をこれば大善きたる」(御書796)
との御金言を確信し、僧俗一致してますます信心強盛に折伏に励まれますよう、心から願うものであります。
 なお、今回の大震災に当たり、宗門といたしまして義援金を募集したところ、全国の寺院、僧侶、寺族、御信徒から多くの寄金をお届けいただき、心から厚く御礼を申し上げます。このあと、宗務院におきまして配分などを検討の上、災害復興に向けて供してまいりたいと思います。皆様方の御協力に心から感謝申し上げ、この席を借りて厚く御礼申し上げます。まことに有り難うございました。
 以上、本日はこれをもって挨拶とさせていただきます。

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from: 21世紀さん

2011年05月29日 16時56分03秒

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「Re:第68世御法主日如上人猊下御指南」
平成23年3月度 広布唱題会の砌

(於 総本山客殿) 

 本日は、三月度の広布唱題会に当たり、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 再三、申し上げていることでありますが、宗門は昨年、国内外ともに折伏の気運が大いに高まり、平成ニ十七年・三十三年の目標達成へ向けて、大きく前進することができました。
 これもひとえに、各指導教師をはじめ講中の全員が広布達成の一念に燃え、心を一つに異体同心の団結をもって、あらゆる難関を乗り越え、戦ってきた結果であり、いわば異体同心による勝利の結果であります。
 皆様もよく御承知のとおり、大聖人様は『異体同心事』に、
「異体同心なれば万事を成し、同体異心なれば諸事叶ふ事なしと申す事は外典三千余巻に定まりて候。殷の紂王は七十万騎なれども同体異心なればいくさにまけぬ。周の武王は八百人なれども異体同心なればかちぬ。一人の心なれども二つの心あれば、其の心たがいて成ずる事なし。百人千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず。日本国の人々は多人なれども、同体異心なれば諸事成ぜん事かたし。日蓮が一類は異体同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて、一定法華経ひろまりなんと覚へ侯」(御書1389頁)
と仰せられています。
 すなわち、殷の紂王と周の武王の故事を引かれて、広布の戦いにとって、いかに異体同心の団結が大事であるかを御教示あそばされています。
 つまり、広宣流布の戦いは個人個人の能力も必要ではありますが、しかし、いかに個人個人の能力が優れていても、それがばらばらであっては達成することはできません。全員が心を一つにして、共通の目標を持ち、目標実現のために大同団結して戦うとき、初めて個人個人の持てる力も充分に発揮され、想像以上の大きな推進力となって、目標達成に結びついていくのであります。
 故に『生死一大事血脈抄』には、
「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり。然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり。若し然らば広宣流布の大願も叶ふべき者か。剰へ日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば、例せば城者として城を破るが如し」(御書514頁)
と仰せられ、異体同心なれば広宣流布の大願も必ずかなうと仰せられています。
 しかし反対に、「日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば、例せば城者として城を破るが如し」と、厳しく御制誠あそばされています。
 また『弁殿御消息』には、
「なづきをくだきていのるに、いまゝでしるしのなきは、この中に心のひるがへる人の有るとをぼへ侯ぞ」(御書998頁)
と仰せられ、ここでも厳しく、同信の者のなかに「心のひるがへる人」がいれば、いかに願いを込めて祈ろうとも、願いはかなわないと仰せられています。
 これらの御文によって明らかなとおり、広宣流布の戦いにとって、異体同心の団結が絶対的不可欠の要件であることが明らかでありますが、しかし大事なことは異体同心、つまり心を同じくするといっても、どこに心を合わせていくかが問題であります。
 もし、自分の心に合わせる、つまり自分の心に任せて仏法を見るとすると、我見に陥り、真の異体同心は生まれません。自分の心を仏法に任せていくところに、真の異体同心が生まれるのであります。
 つまり、自分の心を中心にするのではなく、自分の心を仏法に任せ、広宣流布の一点に焦点を合わせて、実践行動を同じくして誓願達成へ向けて折伏に励んでいくところに、真の異体同心の団結が生まれるのであります。
 我々のこれからの戦いは、けっして楽なものではありません。あらゆる障魔が行く手を阻み、妨害してくることは必定であります。
 しかし、「異体同心なれば万事を成し」との御聖訓を心肝に染め、僧俗一致・異体同心していけば、いかなる困難も乗り越えることができます。
 ただし、この異体同心の団結は、その根本に大御本尊に対する絶対の信と、弛まざる唱題がなければ、築くことはできません。
 大聖人様は『当体義抄』に、
「正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じて、三観・三諦即一心に顕はれ、其の人の所住の処は常寂光土なり」(御書694頁)
と仰せであります。
 この御金言の如く、唱題の功徳は煩悩・業・苦の三道を、法身・般若・解脱の三徳と転じ、その計り知れない功徳によって自らが浄化され、我が心を中心にするのではなく、我が心を仏法に任せて、正しい信心の道を歩むことができるようになるのであります。
 されば、常に唱題を心掛け、弛まぬ唱題の功徳から異体同心の団結が生まれ、自行化他の正しい信心に励むことができることを、それぞれがしっかりと銘記され、本年こそ全支部が異体同心して、必ず本年度の誓願を達成し、もって仏祖三宝尊の御恩徳に報い奉るよう心から念じ、本日の挨拶といたします。

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from: 21世紀さん

2011年05月24日 14時18分49秒

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「Re:第68世御法主日如上人猊下御指南」
平成23年2月度 広布唱題会の砌


(於 総本山客殿) 

 皆さん、おはようございます。
 本日は、総本山における二月度の広布唱題会に当たりまして、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 再三申し上げていることでありますが、宗門は昨年、国内外ともに折伏の気運が高まり大きな成果を挙げて、平成二十七年・三十三年へ向けて大きく前進することができました。
 これもひとえに、指導教師をはじめ御信徒各位が心を一つにして、あらゆる難関を乗り越え、戦ってきた結果であり、心から御健闘を祝すものであります。どうぞ本年「実践行動の年」もこの勢いをもってさらに精進を重ね、すべての支部が必ず誓願を達成されますよう、心からお祈りいたします。
 さて、御承知のとおり、今月は宗祖日蓮大聖人御誕生の月であります。
 大聖人は、貞応元(1222)年二月十六日、法華経に予証せられたとおり、外用上行菩薩、内証久遠元初自受用身の御本仏として末法に御出現あそばされましたが、その目的は、法華経本門寿量品文底秘沈の大法をもって、末法本未有善の一切衆生をしてことごとく仏道に入らしめ、即身成仏せしめるためであります。
 この御本仏大聖人の一切衆生救済の願業を今に引き継ぎ、その目的達成のために、身軽法重・死身弘法の御聖訓のままに、身を挺して御奉公に励んでいくところに、今日、本宗僧俗の最も大事な使命があると存ずるものであります。
 すなわち、謗法の害毒によって苦悩にあえぐ多くの人々に、一切衆生救済の秘法たる本因下種の妙法を下種し、折伏していくことが、使命にお応えする最善の方途であります。法華経法師品を拝しますと、滅後の弘教について「衣座室の三軌」が説かれております。すなわち、
「如来の室に入り、如来の衣を著、如来の座に坐して、爾して乃し四衆の為に広く斯の経を説くべし」(法華経329頁)
とあります。
「如来の室に入り」とは大慈悲の心を起こすことであります。「如来の衣を著」とは柔和忍辱の衣を着ることであります。「如来の座に坐す」とは、『御義口伝』には、
「座とは不惜身命の修行なれば空座に居するなり」(御書1750頁)
と仰せであります。
 つまり、柔和忍辱の衣を着て、不自惜身命の境地に立ち、慈悲の心をもって弘通せよと仰せられているのであります。
 たしかに、現代は折伏の方法も千差万別、種々の方法がありますが、基本的にはこの「衣座室の三軌」を心得て折伏することが大事ではないかと思います。
 さらに、それに加えて大事なことは、一人ひとりが大聖人の弟子檀那として、
「千万人と雖も吾れ往かん」
との、断固たる決意をもって折伏に立ち上がることであります。
 今、宗門は折伏の気運がおおいに高まり、僧俗一致しての取り組みによって、昨年は国内外ともに大きな成果を挙げることができました。
 そのなかでも特筆すべきことは、インドであります。海外部からの報告によりますと、昨年、インドのムンバイ地方では約一千二百人の方が御授戒をお受けになりました。その活動のもとになったのは、わずか三人からの折伏てあります。
 一人は御婦人で、元マレーシア人でありますが、三十年前に日本に帰化し、十年前に入信し、今はインドのムンバイにある旅行会社を経営しています。
 もう一人は、この方の兄に当たる方で、今はインドに帰化して、ムンバイに住んでおります。この方が一昨年、心臓病を患い緊急手術をいたしました。医者によると九十九パーセント命が助からないとのことでありましたが、前々から妹さんより折伏を受けており、お題目をあげ始めたのであります。その結果、手術も無事成功し、大きな功徳をいただいたのであります。そしてその後、一念発起して、妹さんと、あと一人のインド人の方と三人で折伏に立ち上がったのであります。
 三人目の方はインドの方で、ムンバイ地方の一粒種的な存在でありましたが、活動する同志もなく、一人信心を続けていましたが、今、申し上げたように、この御兄姉と出会い、力を合わせ、三人で折伏活動を開始したのであります。その結果、驚くことなかれ、昨年は約千二百人の方々が御授戒を受けられたのであります。まさに驚異的な数字であります。
 さらに今般、現地から海外部に電話があり、「現在、六百名の方が御授戒を待っています。いつ御授戒に来てくれますか」と言ってきたということであります。
 わずか三人から始めた折伏も、三人が心を合わせ、身軽法重・死身弘法の御聖訓のままに、何も恐るることなく、本気で折伏を実践していけば、折伏の輪は波状的に広がり、かくの如く、千二百人もの人を入信させることができるのであります。まさに、折伏は「本気になってやればできる」という証しであります。
 「為さざるなり。能わざるに非ざるなり」
という言葉があります。物事を実現できないのは、それが不可能だからではなく、やろうとしないからであるという意味であります。
 つまり、いくら能力があっても実行力や意思が足りなければ、物事は成就しないのであります。反対に、人はやる気になり、自信を持つと、能力以上の力を発揮するものであります。折伏も全く同じであります。
 言い換えれば、大御本尊様への絶対の確信と、やればできるという何ものにも挫けない堅忍不抜の強固なる意志と自信、飽くことなき努力をもってすれば、折伏は必ず達成成就できることを、このインドの三人の方々は証明しているのであります。
 したがって、もし折伏が思うようにできないという方がいらっしゃったら、自分で自分自身に限界の枠を設けず、「為せば成る」との信念を持って、このインドの方々の強盛なる信心を見習い、手本として、心機一転、折伏を行じていただきたいと思います。そうすれば折伏は必ずできます。
 さらに付言すれば、そのためにも折伏に当たっては、まずしっかりと唱題をすることであります。唱題の功徳は計り知れないものがあります。一人でも多くの人を折伏せずにはいられないという強い慈悲の一念をはじめ、折伏に必要なあらゆる力が身に具わります。また、自信もつきます。唱題の功徳と歓喜をもって折伏に打って出ることが、達成成就の秘訣であります。
 事実、昨年、誓願を達成した支部は僧俗一致して唱題を行い、歓喜に燃えて折伏に打って出て成果を挙げています。
 どうぞ皆様には、インドの方々に勝るとも劣らない強盛なる信心と実践行動をもって、本年「実践行動の年」にふさわしく折伏を行じ、もって誓願を必ず達成されますよう心からお祈り申し上げ、本日の挨拶といたします。

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from: 21世紀さん

2011年05月15日 02時47分52秒

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「Re:第68世御法主日如上人猊下御指南」
平成23年1月度 広布唱題会の砌

(於 総本山客殿) 

 新年あけましておめでとうございます。
 宗旨建立七百五十九年の新春を迎え、御隠尊日顕上人猊下には、御機嫌麗しく新年をお迎えのことと慶賀に存じ上げます。
 また、宗内僧俗の皆様には、すがすがしく「実践行動の年」の新年を迎え、決意も新たに、いよいよの精進・御奉公をお誓いのことと存じます。
 総本山におきましては、本年も恒例により、一月中、本日は元旦でもあり、広布唱題会でもありますので午前九時から行いましたが、原則的には午前八時より一時間の唱題行を執り行いますので、各位にはこぞって御参加くださるようお願いいたします。
 元旦勤行の際にも申し上げたことでございますが、宗門は昨年、「広布前進の年」にふさわしく、全国的に折伏の気運が高まり、過半数を大きく上回る四百三十四の支部が折伏誓願を達成し、平成二十七年・三十三年の目標達成へ向けて大きく前進することができました。
 なかでも、岐阜布教区を皮切りに、愛知東布教区・北近畿布教区・山口布教区・青森布教区・熊本布教区・静岡西布教区・大阪南布教区・南九州布教区・岩手布教区・新潟布教区・宮城布教区の十二の布教区では、管内すべての支部が誓願を達成し、見事、完全勝利することができました。
 また、海外においては台湾の本興院、同じく法秀院・正行院・本照院・妙行院、韓国のソウル布教所、同じく釜山布教所、シンガポール開妙院、ガーナ法華寺、アメリカのロサンゼルス妙法寺、同じくニューヨーク妙説寺、スペイン妙昌寺、アルゼンチン布教所、香港事務所、カナダのバンクーバー布教所、このほか、いまだ信徒組織のみで寺院あるいは布教所はありませんが、驚異的な大成果を挙げたインドをはじめ、スリランカ、ドイツ、スイス、セルビアなどで、多くの国々で誓願を達成しております。その勢いは国内に勝るとも劣らないもので、世界各国の同志の方々が、真剣に世界広布に取り組んでいる様子を伺い、頼もしくもまことに心強いかぎりであります。
 これもひとえに、国内外の各支部の指導教師をはじめ講員御一同が真剣に題目を唱え、折伏に取り組み、身軽法重・死身弘法の御聖訓を奉戴し、異体同心の団結と広布達成の情熱をもって、あらゆる困難を乗り越え、戦ってきた結果であり、各位の御健闘をたたえるとともに、心から敬意を表するものであります。
 是非、本年も「実践行動の年」にふさわしく、師子奮迅の勢いをもって大活躍されるよう願うものであります。
 さて、法華経の法師品第十を拝しますると、
「若し是の善男子、善女人、我が滅度の後、能く竊に一人の為にも、法華経の、乃至一句を説かん。当に知るべし、是の人は則ち如来の使なり。如来の所遣として、如来の事を行ずるなり。何に況んや、大衆の中に於て、広く人の為に説かんをや」(法華経321頁)とあります。
 すなわち、末法において、わずか一人のためにでも妙法蓮華経の一偈一句なりとも説く者は「如来の使」であり、「如来の所遣」すなわち如来より遣わされた者として「如来の事を行ずる」者であると仰せられているのであります。
 「如来の事」とは、『法華文句』には、
「今日の行人は能く大悲有って、此の経の中の真如の理を以て衆生の為に説いて利益を得せしむ。亦如来の事を行ずると名づくるなり」(学林版文句会本中635頁)
と釈されています。
 すなわち、広く衆生の苦しみを救うという仏様の大きな慈悲をもって、妙法蓮華経の意義を衆生のために説き、利益を得せしむることを「如来の事を行ずる」と言うのであると仰せであります。
 また、この御文について『椎地四郎殿御書』には、
「法師品には『若是善男子善女人乃至則如来使』と説かせ給ひて、僧も俗も尼も女も一句をも人にかたらん人は如来の使ひと見えたり。貴辺すでに俗なり、善男子の人なるべし。此の経を一文一句なりとも聴聞して神にそめん人は、生死の大海を渡るべき船なるべし」(御書1327頁)
と説かれ、さらに『秀句十勝抄』には、
「明らかに知んぬ、法華経を説く人は即ち是如来の使ひにして、即ち如来の事を行ずるなり」(御書1327頁)
と仰せであります。
 すなわち、特定の人だけが「如来の使」でも「如来の所遣」でもなく、この濁悪の末法において、妙法蓮華経を受持し、わずか一人のためにでも妙法の意義を説く、すなわち折伏を行ずる者は「如来の使」「如来の所遣」であると仰せられているのであります。
 かかる意義から拝しまするに、まさしく今日、あらゆる困難・障害を乗り越え、広宣流布の願業のもと、平成二十七年・三十三年の目標達成へ向けて、昼夜を分かたず身軽法重・死身弘法の折伏に励んでいる本宗僧俗は皆、等しく「如来の使」であります。
 したがって、その功徳もはなはだ大きく、『法華文句』には、
「当知是人則如来とは其の功報を明かすなり」(学林版文句会本中634頁)
と仰せられ、薬王菩薩本事品には、
「是の経を受持し、読誦し、思惟し、他人の為に説けり。所得の福徳、無量無辺なり。火も焼くこと能わず、水も漂わすこと能わじ。汝の功徳は、千仏共に説きたもうとも尽くさしむること能わじ」(法華経538頁)
と仰せであります。
「是の経を受持し、読誦し、思惟し、他人の為に説けり」とは、自行化他の信心を指します。その自行化他の信心に励む功徳は、無量無辺にして、火も焼くことができず、水も漂わすことができず、その功徳は、千の仏が一緒になって説いても、説き尽くすことはできないほど大きいのであると説かれているのであります。
 さらに『御講聞書』には、
「今末法は南無妙法蓮華経の七字を弘めて利生得益有るべき時なり」(御書1818頁)と仰せであります。
 すなわち、今、末法は折伏を行じて、初めて仏様の大きな功徳を受けることができるのであります。まさしく、悪業の因縁を断ち、充実した境界を築き、幸せな日々を送り、功徳に満ちた人生の構築を願うならば、まず折伏を行ずべきであります。そして、それが今日、広布へ向かって前進する我ら本宗僧俗のなすべき使命であり、これが最善の道であることを、我々はよく銘記すべきであります。
 貪瞋癡の三毒によって苦しむ人々を救う道は、ただ折伏しかないことは、皆様も充分、御承知のことと存じます。しかし、承知していただけでは意味がありません。
 本年は理屈ではなく、一人ひとりが、「実践行動」を起こして折伏を行じ、自らも大御本尊様の広大なる功徳を享受するとともに、塗炭の苦しみにあえぐ多くの人達を救い、もって仏祖三宝尊への御報恩を尽くされますよう心からお願いを申し上げ、本日の挨拶といたします。

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from: 21世紀さん

2011年05月13日 20時44分57秒

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「Re:第68世御法主日如上人猊下御指南」
平成22年12月度 広布唱題会の砌

(於 総本山客殿)

 皆さん、おはようございます。
 本日は、本年度最後の広布唱題会に当たりまして、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
 本年「広布前進の年」も、いよいよ十二月に入り、残りあと二十六日となりましたが、各支部ともに誓願達成へ向けて懸命に戦っているものと思います。
 お陰さまで、皆様方の昼夜を分かたず奮闘された結果、現在、二百九十六の支部が誓願を達成し、なかでも特筆すべきは、岐阜布教区におきましては布教区内の全支部が強烈に僧俗一致の戦いを展開して、全支部が折伏誓願を達成いたしました。
 また、全国的に見ても、残りあと十パーセント乃至二十パーセントで誓願を達成するという支部も多数ありまして、今の勢いをもってすれば、多くの支部が必ずや本年度の誓願を達成するものと固く信じております。
 毎回申し上げていることでありますが、折伏は勢いであり、初年度に当たる本年を勝利することは極めて大事であります。本年度の結果が、平成二十七年・三十三年の目標達成の成否を握っていると言っても、けっして過言ではないと思います。どうぞ、皆様方には師走の忙しい最中ではありますが、残り二十六日間、全力を傾注して、全支部が本年度の誓願を必ず達成されますよう、なお一層の御精進を心からお祈りする次第であります。
 特に、昨今の諸相を見ますと、貪瞋癡の三毒強盛にして人心は極度に荒廃し、ために国内外ともに混迷を極め、多くの人達が不安を抱き、内憂外患しているのが現状であります。
 しかし、こうした窮状を見て、今こそ我々は、大聖人がお示しあそばされた『立正安国論』の原理に基づいて、破邪顕正の戦いをより一層、強力に推進していかなければなりません。
 もちろん、末法において折伏を行じていくことは容易なことではありません。
 そもそも、末法の衆生は自ら進んで法を求めてくるようなことはありません。
 『唱法華題目抄』には、
「末代には善無き者は多く善有る者は少なし。故に悪道に堕せん事疑ひ無し」(御書231頁)
と仰せの如く、末法の衆生は本未有善にして、成仏得道なり難き人々が大半であるからであります。
 なかんずく『法華題目抄』には、
「総じて成仏往生のなりがたき者四人あり。第一には決定性の二乗、第二には一闡提人、第三には空心の者、第四には謗法の者なり」(御書357頁)
と仰せられています。秋冬の枯れた草木、治し難き病人のように「成仏往生のなりがたき者」として「決定性の二乗」と「一闡提人」と「空心の者」と「謗法の者」、この四人を挙げておられます。
 決定性の二乗とは、もともとこれは法相宗が言うことでありますが、法相宗では衆生には先天的に成仏できる者と成仏できない者とがあり、その差別は永久に変わらないという、いわゆる五性各別説を立てていますが、そのなかで、声聞と縁覚に成ることが先天的に決定している者のことを決定性の二乗と言うのであります。つまり、決定性の二乗というのは声聞か縁覚になることが決められているわけでありますから、永久に仏には成れないということであります。
 しかし、これは「一切衆生悉有仏性」を説く法華経とは大きく異なる教義でありまして、仏性を持たないで成仏できない者があると主張するのは極めて偏頗な考え方であり、一切衆生を救済するために教えを説かれた仏様が、五性各別などという、衆生を差別する教えを説くはずはないのであります。
 次に、一闡提人とは断善根・信不具足と訳し、仏法を信じることなく、悟りを求める心がなく、成仏の素質を欠く者を言うのであります。
 次に空心の者とは、空理を感じ、空見に執着して、仏法の因果の理法を信じない者、空理をもって最高の悟りとする外道を指すのであります。
 次に、謗法の者とは、誹謗正法の者のことで、正法に背き、正法を誹謗する者のことであります。
 以上、四人が「総じて成仏往生のなりがたき者四人」でありますが、このなかで最も罪が重いのは、いわゆる一闡提人と謗法の者と言われているのであります。
 故に法華経譬喩品には、
「若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば 則ち一切 世間の仏種を断ぜん(中略)其の人命終して 阿鼻獄に入らん」(法華経175頁)
と仰せられているのであります。
 すなわち「若し人信ぜずして」というのは、これは一闡提人を指します。「此の経を毀謗せば」というのは誹謗正法、すなわち謗法の者を指し、これら二人の者は「其の人命終して 阿鼻獄に入らん」と、命終わるの時、阿鼻地獄に堕ちると、厳しく指摘されているのであります。
 ただし、これら「成仏往生のなりがたき」人々も、ひとたび妙法に帰依し、妙法蓮華経と唱え奉れば、成仏得道することができると説かれているのが法華経であり、これが妙法の偉大なる功徳力であります。
 故に同抄には、先程の文に続いて、
「此等を法華経にをいて仏になさせ給ふ故に法華経を妙とは云ふなり」(御書357頁)と仰せられているのであります。
 まさしく、法華経は釈尊一代五十年の説法中、真実最勝最尊の教説にして、三説超過の大法、随自意の仏説、釈尊出世の本懐として説かれた「諸経中王」の経典であります。
 なかんずく、本門寿量品は法華経の中心肝要なる一品であるばかりではなく、一代五十年の説法の肝心骨髄の大法であります。
 故に『太田左衛門尉御返事』には、
「寿量品と申すは本門の肝心なり。又此の品は一部の肝心、一代の聖教の肝心のみならず、三世の諸仏の説法の儀式の大要なり」(御書1223頁)
と仰せられているのであります。
 すなわち、釈尊は本門寿量品に至り、爾前迹門における始成正覚を打ち破って、久遠の開顕、すなわち広開近顕遠を示され、もって御自身が久遠五百塵点劫以来、本有常住にして法報応の三身具足の自受用身、久遠実成の仏であることを明かされたのであります。
 つまり、寿量品における久遠の開顕は、爾前権経における今までの仏身に対する考えを根底から変えたものであり、寿量品以前の蔵通別円の四教の仏因仏果を打ち破り、爾前迹門の十界の因果を打ち破って、本門の十界の因果を説き顕し、本因本果の法門を明かされ、二乗作仏の実義と真の十界互具百界千如一念三千が示され、ここに一切衆生成仏の原理が明らかになったのであります。
 よって『薬王品得意抄』には、
「爾前迹門にして猶生死を離れ難し。本門寿量品に至りて必ず生死を離るべし」(御書350頁)
と仰せられております。また『当体義抄』には、
「本門寿量の説顕はれての後は、霊山一会の衆皆悉く当体蓮華を証得するなり。二乗・闡提・定性・女人等も悪人も本仏の蓮華を証得するなり」(御書701頁)
と仰せられているのであります。
 すなわち、法華経本門寿量品に至って久遠の開顕がなされ、真の十界互具一念三千の妙理が明かされるに及んで、具体的に二乗作仏をはじめ、闡提・定性・女人・悪人等の一切衆生の成仏がことごとくかなえられることが明かされたのであります。
 まさしく、ここにおいて「決定性の二乗」も「一闡提人」も「空心の者」も「謗法の者」も、そのほかのすべての者が、十界皆成即身成仏の直道を示された法華経、すなわち末法今時に約して申せば、法華本門寿量品の肝心、文底秘沈の妙法によって初めて成仏得道がかなえられることが明かされたのであります。
 されば今、一天広布を目指し、平成二十七年・三十三年の目標達成へ向けて、僧俗一致して前進すべき大事な時、この妙法の偉大なる功徳をもって人心の浄化を図り、もって仏国土の実現と安寧を計るため、法華講員の一人ひとりが広布の最前線に参加し、勇猛果敢に折伏を行じていかなければならないと思います。
 『立正安国論』には、すべての人々の幸せと真の世界平和実現の原理を示されて、
「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば身は是安全にして、心は是禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし」(御書250頁)
と仰せであります。
 今こそ我々は、この御本仏の御金言をしっかりと心肝に染め、本年の掉尾を飾るべく、講中一結して折伏に励み、もし、いまだ誓願を達成できないでいる支部があったら、身軽法重・死身弘法の御聖訓を拝して、最後の最後までけっしてあきらめずに折伏に励み、もって必ずすべての支部が誓願を達成されますよう心からお祈りを申し上げまして、本日の挨拶といたします。

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