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  • from: 22世紀さん

    2011年01月13日 21時36分01秒

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    池田大作「権力者」の構造

    なぜ第三代会長たり得たか

     村上重良は、池田が、石田次男、竜年光ら青年部の先輩を抜いて、戸田の後継者になり得た理由をこう述べている。
    「池田は、戸田門下生の青年部幹部のなかで、戸田の事業面に誰よりも深く関与していたうえに、教団内の有力者である白木家という背景があった。戸田の死去当時には、すでに5年にわたって参謀室長として青年部を指揮し、創価学会の全行動計画に参画していた。・・・・・こういう実績に加えて、理事・原島宏治の全面的な支持をうけることに成功した結果といえよう」(村上『創価学会=公明党』)
     これらは、①戸田の事業面への関与、②白木家という背景、③理事・原島宏治の支持、④池田個人の才腕、と整理されよう。
     ①戸田の事業面(大蔵商事)への関与は、前に述べた戸田との密着のほかに、創価学会と財界とのつながりという意味があった。
    「(池田の会長就任当時は)まだ財界人の学会シンパは少なかったけれども、池田大作はその財界人とつながっていた。戸田前会長のウラの金ズルを池田大作が扱っていたからね」(「雑誌記者が語る公明党出版妨害の手口」、『赤旗』昭和45年3月29日)
     文中の財界人とは塚本総業の塚本清(素山)を指すものと思われる。塚本は翌昭和36年7月、創価学会に顧問制度が新設された際、日蓮正宗法主・細井日達の親戚で、常泉寺の総代でもある平沢益吉とならんで、まっさきに顧問におさまった人物である。
     当時の『聖教新聞』(昭和36年8月2日)は彼を次のように紹介している。
    「ひとりは塚本清氏で、信仰年数7年有余(昭和29年の入信か)。恩師戸田先生からも信頼をうけ、その純真な信心と努力によって、現在、日本でも一流の実業家として築きあげてきた人。・・・・・
     両氏は、かねがね会長池田先生も深い信頼をおかれていたもので、このほど学会顧問の重職について、今後、活躍されることになったもの」
     塚本は一般にも黒い噂のたえなかった政商として名高いが、彼は大成建設社長・本間嘉平、富士急行社長・堀内光雄等を折伏し、また大野伴睦や川島正次郎に教えを説き、さらに河野一郎を池田に引き合わせたという(『週刊新潮』昭和40年5月22日号)。
     おそらく戸田と塚本とのつながりのきっかけは、大蔵商事を通してだったろうから、同社の取締役・池田も彼に「深い信頼」を置くほどに親交していたのだ。
     が、のちに池田は金をめぐって塚本を切る。
    「塚本総業、あの人もいい人だし、私(池田)も守って来ましたが、川島の子分なんだ。それは困るし、学会の会計はどうなってるのだと入り込んでくる。これは、あぶない人間だと思った。学会を利用しようとしてきた。それではまずい。学会を守るようでいて、ついには食い物にする。最後には、いなおって、学会はどうなっているんだ。会長はどうなっているんだ、藤原君わかっているかと、すごんだ。これでは駄目だ。表でいい顔をして、裏では悪いことをする。(略)
     創価学会があって、塚本があるんではなく、塚本があって、創価学会がある。原島さん等が、くやしがった。
     学会のお金は、仏様のお金だよ。それが、塚本あたりが、どうなっているんだと夜中の二時、三時に私の所に電話してくる資格はない。やくざのようにすごんできた。私がそれを見破って、押し戻せる体制にあったから良かった。私をそうやって、おどかしておいて、女房を早速よこして、先生のお気持を変えてもらうように一生懸命やっていますと言って来て、しばらくして又来る。うまい。千葉の土地の件も利用だ。お山のバスも利用だ。原島理事長も随分、煮湯を飲まされた」(『社長会記録』昭和47年2月4日)
     池田は一時期、塚本から金の運用や情報の利用について学んだと思われる。戸田も事業家ではあったが、いわば街の金融業者、出版業者の域を出ず、戸田晩年時の肥大した会財政には、もう一回り大きな事業上の知識や技術、有力者とのコネ等を必要としたはずだからである。
     創価学会の秘書部長をしていた和泉美代はかつて「池田はおそろしい男だと云った」(同前、昭和43年4月29日)というが、おそらくそれは金や対人関係における池田の非情さをいったものであろう。実際、池田は金に関する会内のエキスパートだった。金集め、金の運用、金の使い方、金にからまる人間関係、どれ一つをとっても池田の右に出るものはなく、おそらく戸田の死後、戸田の事業と創価学会の財務については池田にしか経緯がわからず、解決できなかった事柄も多かったにちがいない。
     塚本以外に有力な財界人との交流がなかった当時、塚本との関係はいわば池田の金扱いの象徴であり、会長をめざす池田の強力な後ろダテになったことは想像に難くない。




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