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  • from: 22世紀さん

    2011年06月26日 21時22分52秒

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    池田大作「権力者」の構造

    池田大作「権力者」の構造 投稿者:管理人 投稿日:2011年 6月26日(日)19時57分5秒   通報 返信・引用
    日本正学館の破産

    《戸田のところへいったからというので、家からは勘当同然でした。14、5人の研究会の仲間からもやられました》
     家族は池田の創価学会入信に反対しつつ゛けたし、池田も四兄と同居の六畳間で朝晩、題目や経典をあげることをやめなかったから、両者の関係は当然、険悪であった。
     池田が文筆で立つ志望を持ち、五男であったかぎり、家と出版社とどちらを選ぶかは明白であった。また彼が世の荒波に揉まれて家や協友会の友人のもとに舞いもどり、おとなしく退転するには、それまで病・貧・争の苦しみに慣れすぎて免疫になっていたうえ、戸田の提供する体験の場が貧しいとはいえ、魅力的でありつつ゛けたのだろう。
     しかし、池田の別居には周囲の反対から逃れ、世に乗り出すという以上の積極的な意味がこめられていた。家族や友人からの離脱は、池田を否応なく戸田のもとに押しやり、もともと冷静な観察力に乏しく、対人関係に古風な一面をも残す池田をして戸田に、父なき世代にもかかわらず、父を見出せることになった。
     同年5月から池田は『冒険少年』の編集を手がけはじめ、原稿とりに野村胡堂や西条八十、挿絵画家などの家を訪ね、また時に山本紳一郎というペンネームで穴埋め記事を書いたという。
     そのころ、他の編集員・小平芳平らは前年までの『価値創造』にかわる創価学会の機関誌としての『大百蓮華』の編集にあたってい、戸田も自ら同誌の巻頭論文に「生命論」を寄稿した。
     シラミの話で始まる「生命論」は、生命とは過去、現在、未来の三世にわたって連続し、永遠に存在するもので宇宙自体が生命であるとの主張に尽き、せいぜい古代インドのウパニシャッド哲学以来の素朴な観念論のやきなおし(日隈、前掲書)にすぎないというしろものであったが、池田は当時の彼の感動として、「鮮烈な感動が、孤独に沈んでいた彼を、いきなり襲ってきた。彼はしばらく茫然としてしまった」と記すばかりか、現在の評価としても、「まことに新しい、生命の世紀の夜明けを告げる宣言書」(池田『人間革命』四)など、思いつく限りの最大級の讃辞を連ねている。
      客観的にはどのように他愛のないものに感銘したのであれ、ほぼこの頃から池田は創価学会の教義に骨がらみからめとられたと見られる。人はまだ理解していないことにだけ絶対的な確信を持つことが出来るという定式からすれば、彼は「生命論」のつまらなさを理解せずに、信じこんだ訳であった。
     7月、『大百蓮華』創刊号が発刊された。月刊、B5判、32ページ、活版印刷で、謄写版の『価値創造』より立派な体裁ではあったが、創価学会の経済的負担をことごとく一人で賄ってきたという肝心な戸田の事業は悪化の度を深め、もはや機関誌どころではなくなっていた。
     日本正学館の敗北は誰の目にも明らかであった。同社の刊行物のうち、まず単行本の売れ行きが止まり、ついで『ルビー』『冒険少年』の二雑誌も返品が激増して採算点を割った。池田の担当する『冒険少年」は8月に『少年日本』と改題されたが、そのような細工では頽勢は改まらず、同年秋には返本率は7、8割に達し、月に数百万円からの赤字が累積して、ついには日本正学館全体で6,000万円に達したという。原稿料や画料の支払いの遅れはもちろん、出入りの紙屋や印刷屋は談じこみ、社員への給料は遅配した。
     池田が編集業務をおぼえる間もない10月、戸田は全社員を集めて一切の休刊(廃刊)と残務整理をいい渡し、かねて準備していた東京建設信用組合への社員の移行を明示した。信用組合の社屋は日本正学館のそれがそのままあてられ、浮き足だつ社員には分割で給料が支払われた。
     池田『若き日の日記から』(『週刊言論』昭和40年1月〜42年3月に断続的に連載)10月29日の条には、「六時、分割払いの給料を貰う。床屋にゆく。給料が安い、私も皆も大変だろう」とある。彼は念願の職場を否も応もなく奪われ、新しい職を押し付けられても、そこには低賃金、遅配、分割払いといったそれまでの「乞食同然」の生活から脱け出せる保証は一つとしてなかった。
     戸田の処置は時代相がどうであれ、経営者の無能力というより、無責任かつ残酷なものであり、宗教的紐帯なしには当然労働争議に発展している問題であった。池田も少なからず戸田に不満や怨みを抱いただろうが、それらの感情は発表時に手入れされたはずの『若き日の日記から』はうかがうべくもない。ただ、さすがの池田も休刊決定の夜には、座談会をさぼり、新橋で映画を見たという。



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