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from: 21世紀さん

2011年08月13日 22時43分12秒

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日顕上人から創価学会員への説諭

[創価学会員の皆さんへ]【─宗門はなぜ「破門」を通告したか─】平成二年は、日蓮正宗総本山大石寺のご開山二祖日興上人が、身延山を離山され、新たに駿州富士

[創価学会員の皆さんへ]



【─宗門はなぜ「破門」を通告したか─】

平成二年は、日蓮正宗総本山大石寺のご開山二祖日興上人が、身延山を離山され、新たに駿州富士郡上条大石ケ原に大石寺を開創してからちょうど七百周年にあたります。その年から具体的にはじまった、宗門と創価学会との問題は、いまや謗法集団となった創価学会にたいし、宗門の正統性と、日蓮大聖人の教えをまもるための容易ならざるものでありました。宗門は、いわば危急存亡のときを迎えたのであります。そして、ついに昨年十一月七日、本宗は断腸の思いで、創価学会にたいして「解散勧告」をし、同月二十八日には、「破門通告」を発することとなりました。

創価学会と訣別するにあたって、私はあの宗祖日蓮大聖人のお姿を思い起こしていました。

文永八年(一二七一年)、鎌倉幕府の手で捕らえられた日蓮大聖人は、鎌倉の大路を馬に乗せられて引き回され、由比ケ浜の竜の口刑場まで連れ出されたのでした。いざ首をはねられんとした時、突如天変地異がおこり、大聖人は虎口を脱したと自ら述べられています。生涯を仏法の布教に捧げた大聖人の法難はまだ多くあります。大聖人がいかなるときでもみずから困難を切り開きあそばされたことを思えば、どうして当代の私が逡巡することができましょう。

また、日興上人のお姿も私が深く拝する処です。日興上人が、身延山を離山される契機となったのは、当時の身延山大檀越たる波木井実長が、大聖人の教えに背いた行為(すなわち謗法)をおこなったことを、日興上人が厳しく制誠し、聞き入れられなかったからです。厳格に日蓮大聖人の教えを守ろうとされた日興上人が身延を離山し大石寺を開かれたのは、正応三年(一二九〇年)のことでした。

私はここに宿縁を感ぜずにはいられません。折しも七百年後の今日、再び日蓮正宗が、宗門の根本を揺るがす困難と向き合うこととなろうとは。

昨年十一月七日、宗門は、創価学会にたいして「解散勧告」をし、さらに十一月二十八日「破門通告」をいたしました。このことは広く報道されることとなりましたが、一般社会の方にとっては、なぜこのような事態にいたったのか、真相がよくわからなかったのではないかと思われます。

この間、私の耳にも、学会員の方々が、宗門の信仰と創価学会という組織との問に立って、非常に悩み苦しんでいるという声が多くつたわってきました。その懊悩の声を、私は苦渋の思いで聞いていました。しかし、こうして私自身が、信徒の皆さん、創価学会の皆さん、さらに広く社会一般の方々に、思うところをお話しする機会に恵まれたことを、喜んでいます。

「解散勧告」及び「破門通告」にいたる直接の端緒となったのは、一昨年十一月十六日の、池田名誉会長の発言でした。その内容に非常に不穏当なものがあったからです。ケジメをつける意味から、創価学会にたいして真意を質しておくべきであるという考えから「お尋ね書」を送達したわけです。それに対して学会からは真面目な返事はなく、まったく別個の、宗門と私にたいする大変ひどい誹謗・中傷をしてきました。これが「九項目のお伺い書」と呼ばれるものでした。
 
そういう経緯があっても、なんとか善導したいという気持ちは、捨てたわけではありませんでした。そのときのみならず、私が法主となってから十有余年、創価学会と相対してきましたが、その間、なんとか本来の信徒のあり方にもどってもらいたいという気持ちをもちながら、池田名誉会長以下の人たちと対応してきたつもりでした。しかし、残念ながら、ついに十分な教導ができなかったので



  【今回の処置の意義】

その原因のひとつには、創価学会の池田名誉会長たちの心の中に、やがて自分たちが主導権を握って宗門を支配しようという考えがあったのではないかと思われます。そういうところから、私たちの誠意をもった善導を聞かず、むしろ逆に彼らの立場からは批判なり、嫌悪なりということが、ずっと蓄積されていたのでしょう。それが一昨年、不意に無法な言いがかりという形で吹き出たと思うのです。

先ほど述べた通り、この発端が、ちょうど開創七百年というときに現れたところに、私は大変不思議を感じておるわけです。なぜかといいますと、七百年の昔に、日興上人が、大聖人の仏法を誤ってはならぬということで、正しく対処する意味で決然と身延を離山し、大石寺が開かれました。それからちょうど七百年目に学会の問題がおこったわけです。じつは、その年の最後に、宗門もきちんとした立場で処置をしておこう、ということで考えたことがありました。

しかしそのときは、決定的な処分とかいうことではなく、法華講本部の規約改正ということを行い、総講頭などの本部役員の資格を一時的に喪失するということで、その後の反省を期待することとなりました。しかし、まったく期待はずれで、いよいよ宗門にたいして、反抗に反抗を重ねるような様子が出てきたわけでございます。

その結果、昨年一年教導・制誠を重ねたすえに、やむをえず創価学会にたいする破門というところにまで至ったわけです。

将来のために、正しい大聖人の仏法を、どこまでも守ろうということで、今回の処置があったということです。日興上人の大石寺開創の意義に通ずるものがあると、確信しています。

創価学会が、法人をつくり、僧侶をおしやって、自分たちが主導権をもっておるかのような有り様でしたので、僧侶がなにか気持ちのうえで萎縮しているような面がありました。本来の僧侶の自覚と申しますか、民衆の先頭にたって導いていく姿勢が出てこない。

しかし、今回こういうことになったために、かえって僧侶の自覚が回復したのではないでしょうか。その点からは、私にはむしろやるべきことをやったという意味での、安堵感があるということも言えると思います。

学会員の中にもいろいろな立場の方がいるようです。「よくやってくれた」という人、宗門を完全に敵視している人、その中間にあって悩んでいる方もあると思います。この信仰と組織の板バサミになっている」方々にご同情申しあげますが、しかし私どもは正しいことをした、と申し上げたい。学会の秋谷会長や森田理事長などが、今回のことは宗門、法主の嫉妬にあるなどと全く見当違いの言をしばしば弄していますが、これなどまさに自分の境涯で推しはかるから「嫉妬」などという考えが浮かぶのです。一心欲見仏不自惜身命の僧侶の確信など到底知りえない人たちだと思います。

創価学会側の報道は、宗門の悪口だけが先行しています。そういうものだけ読まされている多くの学会員が、非常にゆがんだとらえ方をしているということもあるでしょう。そういう意味で、中間にいて、本質も知らされずに悩んでいる人たちは、お気の毒です。なんとかこの人々にたいして、正しい考え方に基づいて、正しい選択をしていただきたいと念じています。

ちょっと世間的に見るとおかしく感じられるかもしれませんが、私どもは、あくまで宗教団体としての見解をもって、一切を対応していこうと思っております。

日蓮正宗では、入信の時、寺院において僧侶からご本尊を受け、そしてその教えを頂く意味での「ご授戒」という儀式があります。それを受けた人たちは、基本的には日蓮正宗の信徒です。これは変わりません。創価学会員の折伏によって入信した人でも、日蓮正宗の信徒としてご本尊を受けたわけですから、個々の人は、創価学会員である前に日蓮正宗の信徒であるということであります。

ただし、創価学会を破門にしたということは、やはり必然的に学会員の立場の人たちを併せて破門にしたという意味がありますので、学会員という身分とか立場の主張は認めません。そういう対応をきちんとしていくことで、割り切ったつもりでおります。

ここで、おさらいのために、日蓮正宗と、創価学会のそもそもの関係をお話ししておきましょう。



 【日蓮正宗と創価学会】

日蓮正宗は、日蓮大聖人が弘安二年(一二七九年)に顕された本門戒壇の大御本尊(総本山大石寺にご安置)を信仰の主体にしています。そして、大聖人の仏法を唯授一人の付嘱によって正統に承継せられたご開山二祖日興上人以来、代々の法主上人が血脈相承をもって、宗祖の仏法をうけついでまいりました。

これにたいして創価学会は、はじめ創価教育学会として昭和五年に発足し、その後、日蓮正宗信徒の団体となり、昭和二十年創価学会として再建したものでした。法主の指南のもとに日蓮正宗を外護し、また正宗の教えを「広宣流布」するのが設立の目的でした。

したがって創価学会員は、学会員である前に、まず日蓮正宗の信徒なのです。また創価学会は、宗旨の根本に絶対的に帰依し、法主の教導に従って、日蓮正宗信徒団体としての本分を守らなければならないということは、いうまでもありません。

創価学会の戸田城聖二代会長は、昭和二十六年、宗門外護と折伏活動の便宜の上からという理由で、宗教法人を設立しようとしましたが、その際、宗門より提示した三つの原則を守ることを確約しました。それは、


一、折伏した人は信徒として各寺院に所属させること

二 当山の教義を守ること

三 三宝(仏法僧)を守ること


の三点でした。

すなわち、宗門外護と三原則の遵守こそは、宗教法人創価学会が、自らの会則規則においても定めるとおり、本宗信徒の団体として存立する上で欠くことのできない大前提であったのです。

本宗三宝とは、仏宝、法宝、僧宝の三つです。本宗の仏宝は宗祖日蓮大聖人、法宝は本門戒壇の大御本尊、僧宝は日興上人を随一として唯授一人血脈付法の歴代上人(法主)すべてにわたります。したがって、教えの上からいけば、日蓮正宗信徒及び創価学会会員は、ともに三宝に帰依しているはずです。ゆえに、日蓮正宗を信仰している創価学会員ならば、当然、僧侶を敬い尊ぶものでなければならないのです。

日蓮正宗の寺院では、これまでは、僧侶のお経などによって、葬式・法要などを行なうことになっていました。それが、一昨年十二月に、法華講本部の規約を改め、それにともなって、前の規約により就任した総講頭、大講頭の職にあった者は一時的に資格を喪失するということになりました。

するとたちまち、常識では考えられないような宗門にたいする罵言雑言や非難がおこりました。挙げ句の果てに昨年の中頃くらいから「葬式も何も、僧侶に頼む必要はない」と言い出したわけです。これは、自分たちが勝手にいままでのあり方を全部破壊しようというものです。日蓮正宗の本来の信仰のあり方に対する逸脱であるし、背反の行動でもあることは、はっきりしています。

しかし、宗門側としては、今までも学会員の場合は葬式を引き受けないとか、法要を拒否するとかいうことは一切ないのです。願って来ればかならず僧侶としての立場から、正しく対応しております。

なにしろ学会は、上層部で非常に強い指導をしているらしく、心の中では「私は僧侶にお願いしたい」と思っている人まで、無理強いのような形で、ぜんぶ僧侶を呼ばない学会葬を強制されているようで、そういう点ではお気の毒だと思います。

今となっては遠い昔話のようにも感ぜられますが、私は戦前に、創価学会の初代会長である牧口常三郎先生と、何度かお会いしたことがあります。その頃私はまだ十七、八歳だったでしょう。青年僧侶とも言えない年齢でしたが、お通夜の帰り、二人で電車の吊革にぶら下がって、いろいろなお話をしたものでした。

牧口さんという方は、非常に仏教の信仰が篤く、学究肌の印象の強い教育者でした。「利・善・美」という「利」を強調した独特の価値観をお持ちで、そういう形で仏法をわかりやすく説明されました。真面目な方で、半面、組織経営はあまり得意でなかったようです。当時の創価学会の会員数は五千人………一万人には満たなかったと思います。戦時中特高警察に逮捕されて亡くなったことは返す返すも惜しいことでした。

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from: 21世紀さん

2011年08月16日 22時53分53秒

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「Re:日顕上人から創価学会員への説諭」
【「法主何する者ぞ」】

たとえば、池田大作氏は、実質的には公明党という政党の支配者と言われています。法華経自体の教えの中には、「俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも皆正法に順ぜん」という教えがあります。「治世の語言」というのが、政治に当たると思うのです。

これは、法華経のよい教えが広宣していけば、政治そのものが妙法の教えに順じて、すばらしく立派になるという意味での、法華経の功徳を言っているのです。憲法的解釈からの政教分離という言葉がありますが、あくまで宗教において本当に陶冶されて、思想や境涯の次元が高くなった人びとによって正しく勝れた政治が行なわれるのなら、これはむしろいいことではないかと、今でも私は思っています。

しかし、今のあり方はそうではなく、公明党に事件やらスキャンダルやらが続出して、むしろ逆に、法華経を誤解させるような、日蓮大聖人の教えをゆがめるような形になっているのではないかと思っています。


仏法には第六天の魔王という存在があります。欲界の中の一番上なのです。ですから非常に支配力がある。常人の考えられないような力がある、と仏法の世界観にはあるのです。しかし魔であることに変わりはありません。この者の思うところ、欲界の一切についてのそのあり方は自由自在に支配できる。池田さんも普通の人ではないということは言えると思います。

実際の池田大作さんはなかなか上手な人で初対面の人はつい「この先生はすばらしい人だ」と思ってしまうのです。実は、私もある時期もっと池田さんのことを信用していました。しかし、本質的には私どもがよくよく見極めていくと、やはり我見の強い、仏法の本来のあり方から逸脱した部分が見えてくるのです。

法華経に説かれている仏法上の大悪人に僭聖増上漫というのがありますが、これについて妙楽大師が「後々の者(俗衆・道門増上慢にたいする僧聖をいう)はうたた識りがたし」といっています。則ち巧みな心が深く、悪人であることがなかなかわからない、見分けにくいといわれるのです。

日達上人が、「五十二年路線」の後始末について、いろいろな問題を最終的にまとめられたのは、昭和五十四年五月三日の創価学会本部総会でのことでした。その時日達上人からお言葉があって、ともかく信徒としての基本をはずさない限り、創価学会も日蓮正宗の信徒団体として、これまでのことを一切改めさせたうえ再び協調してゆきたい、と仰せられたのです。

日達上人がお亡くなりになったのは、ちょうどその二カ月後。その後を私がお受けしたわけです。本宗の場合、血脈相承はもちろん大事な意義があります。大聖人から伝わる法の伝授が中心で
すが、それと同時に、やはりご先師のお考えを素直にお受けすることが、後の者の責務なのです。そのため私も、日達上人のお言葉を守り、創価学会がきちんとけじめをつければ、また一緒にやっていこうと思ったのです。

そういうことがあって、一時は創価学会といい、池田さんといい、しばらくは恭順の態度でした。ですから私も、なんとか本来の宗門の信徒という態度を変えないように、そこのところを基本としてやってもらいたい、と思ってずっと十年間やってきたわけです。

その間、いかにも「猊下を本当に心から信頼しています」というような言葉もあって、私も「本当にこの人は立派な信者だ」と思ったこと確かにありました。


もっとも、その反面日達上人在世中にも、私はこんな現場に遭遇しました。日大講堂で行なわれた創価学会の総会に招かれて、日達上人が話をされた。総会が終わったあと「早瀬先生と阿部先生は残って下さい」と言われて、まもなく池田氏がやってきて、「今日の猊下の話は、あれは何ですか」と言う。

私たちが怪訝な顔をしていると、「猊下は私のことに一言も触れなかったじゃないか」。そして、その後の言葉を聞いて耳を疑いました。「図にのぼってるんじゃないですか」と。「法主何する者ぞ」という考え方は、もうこの時にはあったのでしょう。

法華経の根底にある、即身成仏という考えかたは、素直で我見を捨てた真面目な信仰であります。一人の人間を特別に神だとか仏だとか言うのではなく、みんながそれぞれ持っている命の尊さからの信心の徳を妙法と開いていくということであって、一人の人間が特別に権力を持つということではないのです。

特に、大聖人様は法華経を広めることによって、法華経に予証されている難を受けられた。その難は俗衆増上慢、道門増上慢、僭聖増上漫という人々が必ず出てきて難を加えるのです。

大聖人様はあらゆる難をお受けになったうえで、法を顕されるという意味がありました。難を受けてそれを耐え忍んだ上での法の顕れ方なのです。そこには全然、権威だ、権力だなどというものはないのです。



私などもその教えを受けている者として、教団の中で私のことを上へ上へと奉りすぎるのはいけないと、いつも僧たちに言っているのです。だから、仏法の即身成仏という意味は、本当に権威や権力という意味ではなくて、みんなの真の幸せを願う心の境涯を言うわけです。そこで、今の創価学会のあり方が、いろいろな面から見て民主的とは言えない感じがします。


創価学会は総本山大石寺について現在こんな噂を流しているそうです。「お山は今草が茫々だ」「野犬がいて危ない」、「ヨタ者が徘徊している」。いずれも反駁する気力も起こらないほどの妄言です。

また、昨年七月から創価学会運営による登山方式を本宗本来の末寺を通しての登山方式に改めたのですが、戒壇の大御本尊へのご開扉のご供養は基本的に二千円に決めました。これについても、「三万円取られる」とか、「そのうち四万円、五万円になる」と言っているそうです。

日蓮大聖人様の教えは「正直」が根本です。あくまで、正しいことをきちんと言うことです。悪い人は事実を歪曲して、いろいろ嘘言ったりするけれども、そのためにどんな難が来ようとも、耐え忍びつつ、正直に正しいことを示していく、という教えです。私は絶対に、そうでなければ本当の功徳はない、と思っています。



 【「元なきものはかくの如し」】

また、近頃、一部には、昭和五十二年当時のように、宗門と学会が和解するのではないかという見方もあると聞きました。

しかし今回の場合は前回とまったく事情が違います。しかるべき決意をもって、まず「解散勧告書」を出しました。しかし創価学会はかえってこれに反発し、ますます悪質なる誹謗と中傷を加えてきたのでやむをえず、

「もうこれかちは、日蓮正宗から破門し、創価学会は日蓮正宗とは一切関係のない団体とする」と通告しました。しかも、これは私がひとりで決めたことではなく、宗門僧侶の総意に基づき、また責任役員会の決議を経ておこなったことなのです。

こういう非常事態になったため、かえって僧侶が民衆を導いていくという、僧侶本来の自覚が各僧侶に出てきたのではないか、と思っているのです。

私はかつて創価学会第二代会長戸田城聖氏が、昭和三十一年八月十日、岡山市妙霑寺の落慶入仏式の折りに、第六十五世日淳上人に申しあげた言葉を思い出さずにはいられません。

「将来、もし、学会が大きくなって宗門に圧力をかけたり、あるいは内政干渉をするようなことがあったら、いつでも解散をお命じください」

かつては、創価学会も、そういう自覚をもって「広宣流布」につとめていたのです。

学会と訣別するにあたって、私がもっとも心を傷めたのは、学会員の信徒の皆さんのことです。先に述べたように、創価学会を破門したということは、やはりそれに属する会員を認めないことになります。

しかし、個人個人は今でも日蓮正宗信徒であり、学会員としての主張は認めませんが、日蓮正宗信徒としての立場は宗門として基本的に認めるということであります。

私は、なんとしても信仰と組織の問で思い悩む学会員の方々のお力になりたいと思っています。そういう方は、ぜひ近くの日蓮正宗寺院をお訪ね下さい。

また、今なお学会が正しいと思っている方でも、今世、来世、再来世、未来永遠の命の中で、いつか救済すべくお力になれるときがあると思います。

中国のことわざの中に、「元あるものはかくの如し」それから「元なきものはかくの如し」というふたつの譬えがあります。

前者は、たとえわずかなものであっても、着実なものであれば、たとえば、泉の水がこんこと涌き出るように、いつまで経っても、どんな日照りでも、水は絶えない、と言う意味であります。

逆に後者は、たとえ一時的に繁栄したとしても、しつかりとした元がないものは、たとえば大雨が降ったあとの水たまりのように、すぐになくなってしまうという意味であります。

この誓えを宗門と学会にあてはめれば、宗門は七百年の伝統を持ち、その根本において、大聖人様からの法脈を正しく伝授してきました。日蓮正宗は、下種仏法の元から存在した教団なのです。また、これからも、その意義を受けて法を正しく広めようとする宗団であります。

これにたいして創価学会は、本来は日蓮正宗の法燈を護るべき団体であるのに、今日では誹謗・中傷を繰り返して、日蓮正宗を口汚くののしるような存在になり下がってしまった。本来の正宗信徒の立場から離れて、非常にゆがめられた存在になってしまいました。元のないところでは、やはり、本当の仏法の功徳はありません。

創価学会の皆様は、過去世の尊い宿縁によって今世に尊い生を受け、受けがたいご本尊を拝する功徳にも恵まれたのです。心地観経に

「過去の因を知らんと欲せば真の現在の果を見よ、未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」

とありますように、誰しも過去、現在、未来の三世の生命をもって今世に生活しているのです。今生の日々の生活は過去世の業因の現われであると同時に、未来世の生活の結果を生む大事な因を積いるのです。

それを考えると、今こそあらゆる謗法の悪を止めて、正直に本門戒壊の大御本尊を拝することが肝要なのです。

大聖人様が「仏法は体のごとし世間は影のごとし体曲がれば影ななめなり」と仰せのように、池田さんや学会首脳の信心姿勢が、日蓮正宗本来のあり方から大きく逸脱しているのですから、それに従っていけば、世間法である生活が曲がってくることは当然です。

どうか皆様には、正直な信心に任し、成仏の境涯を磐石に築かれるよう念じてやみません。

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