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  • from: 22世紀 - 2さん

    2011年11月09日 18時53分33秒

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    池田大作「権力者」の構造

    二回目の敗北

     池田は昭和45年、出版妨害に対する世論の批判を浴びて一敗地にまみれたが、それは今となっては第一次敗北と
    呼ぶにふさわしいものであった。彼は9年後、会長を退くことで陳謝のかわりとする第二次敗北を喫することになった。
     二回目、彼のうちかつ主役は宗門である。すなわち創価学会規則がその信徒団体であることを定めている日蓮正宗
    によって池田は敗れ去るわけだが、その基因は昭和45年5月、池田が世論の批判に陳謝したこと自体に発することと
    なった。
     池田の謝罪は彼の意識のなかでは一時、雌伏し擬装するための方便にすぎなかったが、それでも彼以外の人間には
    彼が謝ったという事実に変わりはなく、彼もまた誤る人間であることを教えた。池田は昭和42、3年ころにはすでに
    マスコミ界に「鶴タブー」を確立して、彼だけは批判されないという特権を享受していた。会内や宗内においてはなおさら
    で、池田の日蓮正宗支配に苦々しさを覚えたところで、彼の指導による破竹の勢いの組織伸張が彼らの不満や疑念を
    打ち消すばかりか、なかば本気で創価王国の到来や池田の偉大さを信じさせていた。
     だが、池田は世間に対して謝罪した。出版妨害への糾弾は池田を会長就任以来はじめて挫折させ、会内、宗内の
    迷妄を砕いた。それは広く宗内におけるルネサンスの契機となった。僧侶も、日蓮正宗の信徒団体の一つである妙信講
    も、創価学会の幹部でさえも、いかにそれまで池田創価学会の神話に呪縛され、制圧されていたかを知ることになった。
    彼らは会長・池田に讃嘆するだけの生活を捨て、主張すべきを主張したいと願いはじめた。
    「『黒い鶴のタブー』との戦いを通して、先生(池田)に疑問あるいは多少なりとも不信を抱く人たちも出てきたのです。
    一時的とはいえ、自由、進歩的雰囲気が聖教編集内その他に出てきたのです。しかし、これが創価学会の長年の体質
    になじむはずがありません。やがて弾圧が始まったのです」(原島崇『池田大作先生への手紙』)
     しかし池田がつまずくことを一度でも知った人間に、つまずく前の神話を再び信じさせようとの試みは、一時的には
    成功したようにみえても、いずれは失敗する運命にあった。
     社会が池田の謝罪を諒として追及の手をゆるめた後も、執念深く糾明をやめなかったのは妙信講であった。妙信講は
    すでに昭和44年5月、デパートで開かれた日蓮大聖人展に総本山大石寺から、日蓮六老僧の一人で日蓮正宗の開祖
    である日興像が出品されたことに対し批判を加えていたが、昭和45年3月、国立戒壇の放棄は誤りとの糾明書を宗務
    当局と創価学会に送って批判を開始した。
     以後、日蓮正宗の法主・細井日達は妙信講の力を借りつつ、創価学会の支配を脱し、奪われた教義解釈権を取り戻す
    ことに成功する。その過程で妙信講は解散処分を宣せられ、創価学会は宗門からの独立をちらせつかせつつ宗門再支配
    を目論む「52年路線」に突入するが、かえって宗門の反撃に敗れて池田の会長辞任に追い込まれる。
     池田創価学会の第二次敗北である。



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