新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

反創価学会

反創価学会>掲示板

公開 メンバー数:118人

チャットに入る

サークル内の発言を検索する

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: 21世紀さん

    2011/02/07 13:39:42

    icon

    「Re:メディア戦略(言論封殺)」
    「お詫び講演」の裏で……(仮題)

    --------------------------------------------------------------------------------
    ―常態化する歴史の偽造―

    (本誌編集部『フォーラム21』H18.6.15)

     創価学会による歴史偽造は、いまに始まったことではない。69年末から70年にかけての言論出版妨害の問題もそうである。このとき、池田大作氏は70年5月3日の本部総会で「お詫び講演」をした。言論出版妨害を事実として認め、「今後は、2度と、同じ轍を踏んではならぬと猛省したい」とまで述べた。政治・政党との関係については「政教分離でいけばよいと思う」と述べ、共産党への態度にも言及して「我々は、かたくなな反共主義を掲げるものではない」と述べた。
     つまり、言論出版妨害への社会的批判を受け入れて、全面謝罪したのである。にもかかわらず、創価学会はいま、あれは学会婦人部が侮辱されたからだとか、信教の自由を守る正義の戦いだったと描いている。

     実は、「お詫び講演」の前後、学会内部ではとんでもない事態が進行中だった。
     1通の内部文書がある。70年3月4日付の「総合本部長会報告」。学会副理事長らが地方幹部を相手におこなった指導メモである。こんな指導がされていた。

     「(言論問題の)本質は広布を阻む第六天の魔である」「公明党・創価学会の悪口を一口でもいったら追かえし、不法侵入として警察へ訴える位にする」
     「マルキョウ(丸の中に共の文字。以下同)は槍傷覚悟でやって来る。広布をハバむ魔である。重大な決意をしなければならない」「マルキョウに焦点を合すこと」「マルキョウをつぶす様祈っていこう」
     当然のことながら、マルキョウは共産党のことだ。表向きの「お詫び講演」の裏では、こんな態勢がとられていた。そして講演直後の70年5月から7月、その一部が実行されている。宮本宅電話盗聴である。これが創価学会の組織的犯罪であることは、東京高裁の確定判決(88年4月)で明らかになっている。
     そしていま、「反共主義をとらない」どころか、選挙では共産党などの候補者や運動員をとり囲んで妨害し『聖教新聞』などでは「日本中が大嫌悪」「デマ・不祥事で総すかん。“時代遅れ“のジリ貧党」と、「文明論」にはほど遠い悪罵をくり返しているのである。
     ところで、宮本宅電話盗聴の真相がわかったのは80年。山崎正友・学会元顧問弁護士の告白によってである。その間、創価学会はそんな事実をひた隠しにしたまま、共産党との間で「文明論」を語り、「協定」まで結んでいた。
     とはいえ、「協定」の文書は現に存在している。池田氏も直接かかわったこの文書にケチをつけることはできない。それを反故にするには、誰かを“犯人“に仕立て上げざるをえない。――『創価新報』の歴史偽造には、そんな背景事情が透けて見えるようだ。
     一方、共産党は盗聴の真相を知らなかったとはいえ、「反共主義はとらない」などという発言を本気で信じていたのだろうか。政党が特定宗教と「協定」することの検討を含め、全面的な総括はまだされていない。
    ■ソフト化しても続く「仏敵たたき」なぜ

    --------------------------------------------------------------------------------

    (創価学会取材班『AERA』H16.12.13抜粋)

    『聖教新聞』の名物コーナーに、学会幹部らによる座談会記事がある。"敵"のスキャンダルをあげつらったり、罵詈雑言を浴びせたり、刺激的な内容になることが多い。(中略)

    【「休質」転換どこまで】
     11月中旬、国会近くで反学会色の強い集会があった。そこで、共産党議員がこう言った。
     「創価学会は巨大な宗教法人であると同時に、今や公明党が政権に入り、単なる1つの団体では済まされなくなった」
     そう考えるのは、反学会勢力だけだろうか。学会の立場や影響力が大きく変わったのに"敵"に牙をむき続けていれば、一時的に批判勢力を牽制できたとしても、むしろ、社会に「声なき反感」を広げてしまうかもしれない。
     70年の「政教分離」宣言のとき、池田氏は、
     《社会に信頼され、親しまれる学会》
    とのモットーを掲げ、こう戒めている。
     「批判に対してあまりにも神経過敏すぎた体質があり、それが寛容さを欠き、社会と断絶をつくってしまったことを認めなければならない。今後は2度と同じ轍を踏んではならないと猛省したい」
     当時、池田氏が指摘した「体質」は転換できたのだろうか。
     先の座談会記事をめくってみると、実にさまざまなフレーズを使って"敵"を攻撃していることに目を奪われる。
     「薄汚いドブネズミ」「淫獣坊主」「『人問失格』の見本」「支持者をナメた畜生議員「ゴキブリ坊主」「老いぼれたクズ同然の穀潰(ごくつぶ)し」「極悪ペテン師」「袈裟を被った鬼畜」……。
     その矛先は、相手の家族にまで及ぶこともある。
     「底なしの銭ゲバ女房」「親父譲りの逆上男」……。


    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 1

    icon拍手者リスト

    王様

  • from: 21世紀さん

    2011/02/07 13:36:59

    icon

    「Re:メディア戦略(言論封殺)」
    「言論出版妨害事件」の概要(『フォーラム21』ほか)

    --------------------------------------------------------------------------------
    <S44.8末>
    ・藤原弘達氏(※明治大学法学部教授)が「この日本をどうする」という警世キャンペーンシリーズの第1巻として、『日本教育改造法案』を出版。その車内吊り広告の脇に、次回作『創価学会を斬(き)る』の出版を予告。(『慧妙』H15.7.16)
    ・これに対して創価学会・公明党は、池田大作会長(当時)の指示のもと、『創価学会を斬る』の出版妨害に着手。


    <出版妨害>
    ●(※昭和)44年8月末、朝早く北条さんから自宅へ電話をもらい、私は学会本部で池田から1つの仕事を命じられた。(中略)(北条・秋谷同席で、池田大作は)「政治評論家の藤原弘達が学会批判の本を出そうとしている。選挙前にこんな本が出るのは邪魔だ」「藤原君は、彼と面識があっただろう。すぐに相手と話をつけて、余計な雑音を押さえろ」池田はいつもこの調子だった(藤原行正=元創価学会渉外局長『池田大作の素顔』H1.4発行112頁/『フォーラム21』H15.7.1)

    ・S44.8.31 池田の命を受けた藤原行正氏は、、著者の藤原弘達氏宅を訪ねるも、交渉は不調に終わる。(『慧妙』H15.7.16)
    ・9.4 藤原行正氏は、出版社である日新報道に出版中止を掛け合うが、これも不調。(同上)
    ・9.14 今度は秋谷栄之助と藤原行正氏が藤原弘達氏と面談。1時間45分に及び交渉するが、やはり不調に終わる(この時の会談の内容は藤原弘達氏によって録音され、後に公表されることとなる)。(同上)

    ●創価学会批判の本が出るというので、私が田中さんに頼んで仲介に動いてもらった(竹入義勝=元公明党委員長『朝日新聞』H10.8.26/『慧妙』H15.7.16)
    ・10.6 田中角栄はまず、藤原弘達氏に架電。(同上)
    ・10.15 田中角栄、赤坂の料亭に藤原弘達氏を呼び出し交渉。この時、隣の部屋で、交渉の行方に聞き耳を立てている池田大作と竹入氏の姿を、料亭の仲居が目撃。後に『サンケイ新聞』がその事実をスッパ抜く。(同上)
    ・10.23 田中角栄が再度、藤原弘達氏と面談するが、結局すべて不調に終わる。(同上)

    ●昭和44年から46年にかけて藤原弘達氏が創価学会批判を繰り返した時には、私と竹入とで田中氏に調停を頼みにいった。田中氏は「よっしゃ」と快く引き受け、赤坂の料亭に藤原氏を呼び、仲介の労をとった。結果は破談だった。我々は隣室に控えて待っていたのである。(矢野絢也=公明党元委員長『矢野回想録』29頁/『前衛』H15.7)
    -----------------------
    田中は赤坂の「愛用の料亭」・「千代新」に『創価学会を斬る』の著者・藤原弘達明治大学教授を呼びだし、「初版分は全部買い取ろう」と持ちかけた。しかし、藤原は出版の意思を変えなかった。このとき隣の部屋で、公明党の竹入委員長と矢野書記長が息を殺して事態の推移を見守っていたことを、藤原教授は気づいていたのだろうか。なお、田中が藤原に会ったのは「池田の依頼」であり、このときの「2人のやりとりを池田は仕切り越しにじっと聞いていた」(野田峯雄『池田大作金脈の研究』)という説もある。もし、それが本当なら、池田は竹入や矢野とは別に、田中・藤原会談の様子をうかがっていたということになる。(『前衛』H15.7)

    ●田中氏の仲介も不調に終わると、池田大作は潮出版社や聖教新聞社の社員を動員して書店を回らせ、『創価学会を斬る』を店頭に並べないよう、圧力をかけて回りました。(元創価学会顧問弁護士・山崎正友『慧妙』H20.4.1)
    ●私は、業務命令で書店に行かされました。
     たしか全員で19名だったと思います。本が店頭に並ぶ少し前に、各部門から選抜されたメンバーが急遽、集められました。聖教新聞社の広告局、業務局(新聞販売部門)、出版局(書籍販売部門)、潮出版社からも来ていました。場所は聖教旧館の隣にあった業務局が入っていた建物の2階仏間で、私は出版局からの選抜です。責任者は出版総局長だった横松昭、出版局次長だった青柳清が現場の指揮をとっていました。
     そこで聞かされたのは、こんな話です。「藤原弘達が『創価学会を斬る』という本を出す。創価学会を批判するとんでもない本だ。書店を回ってそれを押さえろ」。書店での口上も指示されました。「この本を、ここにある棚から中にしまってください。そうしてもらえなければ、『人間革命』などの扱いをしません」。『人間革命』は書店にとって売れ筋の本でしたから、十分圧力になると考えたのでしょう。そして最終的には、「創価学会を敵に回すのか」と。そこまで圧力をかけろといわれたんです。
     青柳のもとで書店を地域別に分けて担当する区を決め、行動開始です。青柳が北條さん(浩・後に第4代会長、故人)から「お前が中心でやれ」と命令されたと聞きました。期間は1ヵ月前後だったと記憶しています。(岩崎文彦・昭和43年聖教新聞入社。聖教新聞社出版局、広告局、業務局等を経て、同55年退職。男子部総合ブロック長、壮年部では支部幹部等を務める。/『フォーラム21』H15.7.1)

    ・同時期、池田大作は、後にリクルート事件で有名になる池田克也(当時は潮出版社勤務)に命じ、大手書籍取次店や大手書店に圧力をかけさせる。(『慧妙』H15.7.16)

    ・創価学会に批判的な報道に抗議することを主たる任務とする全国各地の言論部員に、藤原弘達氏と日新報道に対して激しい抗議を行わせたため、藤原弘達氏の自宅や日新報道には、「ぶっ殺すぞ」とか「地獄に堕ちる」といった脅迫まがいの電話や手紙が、連日、殺到。抗議の葉書や手紙の量は段ボール箱数箱分にのぼるまでになった。
    ●それはひどいものでした。(※抗議の葉書、手紙が)やはり段ボール箱で何箱にものぼったんじゃないでしょうか。電話での脅迫もひどいものでしたので、警察がそれとなく藤原弘達氏のお子さんなど家族の警備をしたほどでした。ですから藤原弘達氏は身の安全を図るため、都内のホテルを転々として『創価学会を斬る』の執筆を続け、私たちも移動しながら編集作業を続ける有り様でした。なお、この抗議電話や葉書は出版後もますますエスカレートし、内容もひどいものでした。(遠藤留治=日新報道代表取締役『フォーラム21』H15.7.1)


    <S44.11上旬>
    ・『この日本をどうする2 創価学会を斬る』(日新報道出版部刊)出版
    第1部、実態―これが創価学会の正体だ
    第2部、分析―その病理を衝く
    第3部、展望―その危険なる未来
    ●日本の政党政治、民主主義の前途を考えた場合、なんらかの意味においてこの創価学会・公明党という存在に対する対決を回避しては、日本の議会政治、民主政治はとうてい健全に育たないという強い確信をもったからにほかならない(同書「まえがき」から)
    ・この本の「まえがき」で藤原氏は、出版にあたって創価学会・公明党から妨害を受けていたことを明らかにした。一部週刊誌も、この「まえがき」を取り上げた。(『前衛』H15.11)

    <S44.12.13>
    ・NHKで放映した総選挙特集番組「2党間討論(公明党-共産党)」で、共産党の松本善明氏が、「創価学会を斬る等の出版物に、創価学会・公明党が出版に圧力、妨害をくわえている」と、発言。受けて、公明党の正木良明氏が、「そんなことはしていない。すべてウソである」と、反論。

    <S44.12.17>
    ・これに怒った藤原氏は、『赤旗』で、田中角栄自民党幹事長が公明党の竹入委員長の依頼で、この本を世に出さないためにさまざまな働きかけをしていたことを暴露。創価学会が組織的に印刷、広告、取次店から小売店まで、圧力をかけたことも明らかになった。


    <明らかにされた過去の「言論弾圧」>
    ・ロシア文学者の草鹿外吉氏ら5氏のよびかけで、12月23日に「言論・出版の自由にかんする懇談会」がひらかれた。この「懇談会」によって、いくつかの具体的事例が明らかになった。

    ―内藤国夫著『公明党の素顔』(エール出版社)の場合―
    67年1月ごろから、三一書房からの執筆依頼で、都庁担当新聞記者として取材してきた都議会公明党の素顔を書きはじめたという。これが創価学会・公明党の知るところとなり、出版社に圧力がかかり、出版計画は中止となる。内藤氏は出版社を変更し、極秘裏に出版準備をつづけたが、印刷工程でゲラが創価学会にわたった(業務上横領の疑い)ようで、公明党の竹入委員長が30数箇所の書き換えや削除を要求してきた。さらに、国際勝共連合の背後にいた右翼の頭目の笹川良一が内藤氏に「わしは公明党に前に1度恩を受けている。本はおれが全部買いたい」といってきたことも明らかにされた。この本は69年5月に出版されたが、大手取次店は配本を拒否し、小売店に宣伝して注文をとるという方法で、わずかに世に出された。(『前衛』H15.11)

    ―元創価学会員・植村左内著『これが創価学会だ』の場合―
    まだ本が出ないうちに、池田会長と竹入委員長が出版社を相手どり、図書発行等禁止仮処分申請をおこなった。東京地裁が、まだ本ができていないことを理由に申請を却下すると、今度は名誉毀損として告訴。この本も取次店が扱いを拒否した。68年12月には、出版社と創価学会・公明党の間に示談が成立し、出版社は著者に無断で印刷過程のすべてを創価学会・公明党にわたしてしまった。出版社への圧力には、福田赳夫、賀屋興宣という自民党中枢が関与し、宗教センター理事長で日本大学会頭の古田重二良氏が示談をまとめたという。庭野日敬立正佼成会会長(当時)によれば、古田氏は、立正佼成会に買い取られて配られた本を信者から取りもどし、日大校庭で焼いてしまったそうである。植村氏は、現代の"焚書"や創価学会からのいやがらせにあいながらも、別の出版社から出版にこぎつけた。(『前衛』H15.11)

    ―福島泰照著『創価学会・公明党の解明』の場合―
    創価学会からの妨害を予想して、秘密裏に出版作業をおこなった。しかし、本ができあがるころから、大手取次店や広告代理店の扱い拒否という事態に直面し、出版が大幅に遅れた。(『前衛』H15.11)

    ―隈田洋著『創価学会・公明党の破滅』の場合―
    ・秘密裏に出版作業がすすめられたが、印刷段階で、印刷業界の幹部から印刷中止を迫られた。印刷所にはいやがらせがつづき、当時の劔木亨弘文相からも中止の圧力がかかったと、著者に伝えられる。この本の場合も古田日大会頭(※日本大学の古田重治郎会頭)からゲラの検閲を迫られた。出版社社長には暴力団員がつきまとい、ついに出版中止となった。(『前衛』H15.11)
    ・隈部大蔵氏は、西日本新聞社の論説委員をしていたころ、「隅田洋」と名乗り『創価学会・公明党の破滅』という学会批判本を執筆した。すると、昭和43年9月11日、隈部氏は、当時公明党の副委員長であった北條浩に呼び出され、以下のように恫喝(どうかつ)された。(『慧妙』H15.7.16)
    ●隅田洋著『創価学会・公明党の破滅』という学会批判書の著者である隅田洋を、今日まで半年がかりで探した結果、やっと探し出した。この隅田洋なる者が、ここにいる隈部大蔵その者だ。人違いであるとは、絶対に言わせない。まさか、大きな新聞社の経済社説を担当している論説委員が、学会教義の批判書を書くなどとは想像もしなかった。そんな関係で、隅田洋=隈部大蔵を捜し出すのに予想外に時間がかかってしまったが。
     しかしだ。いくらペンネームを用いて学会を批判しようとしても、全国的に張りめぐらされている学会の情報網にひっかからない「虫ケラ」はいないのだ。わかったか。
     よく聞いたがよい。たとえていえば、創価学会は「象」それも巨象だ。これにくらべてお前は1匹の「蟻」だ。創価学会を批判する輩に対しては、たとえ1匹の蟻といえども象は全力をもって踏みつぶすのだ(北條浩=総務『もうダメだ!池田大作・創価学会』/『フォーラム21』H16.4.15)
    -----------------------
    この後、北條総務・副委員長に恫喝された『創価学会・公明党の破滅』は、結局1冊も書店に置かれず「初版即絶版」となった(『フォーラム21』H16.4.15)
    ●これではまるで、ソビエトで地下出版を出すようなものであろう。私自身、この記事には少々驚き「まてよ、作影(注=池田大作氏の影響の意)はやはり噂だけではなく事実かな」と思わざるを得なかった。というのは、西日本新聞といえばブロック紙の名門、論説委員といえばその最高の地位ぐらいのことはだれでも知っている。しかしその人ですら「極秘」のうちに出版を進める必要があり、見つかればつぶされてしまう。しかもそれに文部大臣が一役買っているのである。文部大臣が自ら言論弾圧に乗り出すとは少々恐れ入った話だが、「作影」が「○影」に波動して文部大臣を動かして論説委員の著書までつぶす、となるとただごとではない(評論家・山本七平著「池田大作氏への公開質問状」『諸君』昭和56年6月号/『フォーラム21』H16.4.15)

    ―竹中信常著『創価学会』の場合―
    著者に創価学会の山崎尚見現副理事長からの電話があった後、ゲラ刷り検閲がおこなわれ、名誉毀損で告訴することもあるとおどされた。

    ―梶山季之著『小説・創価学会』(女性雑誌に連載)の場合―
    梶山氏に抗議の投書が殺到し、雑誌編集長はいやがらせをうけて蒸発するという事態になり、連載を途中でうちきったという。(『前衛』H15.11)

    ・この他にも、『日蓮正宗創価学会・公明党の破滅』『公明党を折伏しよう』等創価学会に気に入らないとみなされた印刷物の著者や出版関係者がいやがらせをうけ、出版が妨害された事例が次つぎと明らかになった。


    <S45>
    1.5
    ・公明党の竹入委員長が記者会見で「事実無根の中傷」と開き直った。
    ●このことについて竹入氏は「放っておいたほうが良いと進言したが、学会側が工作に動き出し、やむを得ず田中氏に頼んだ。あの記者会見も学会幹部からの強い要請でせざるを得なかった」と周辺に語っている。(『朝日新聞』H10.9.18/『前衛』H15.7)

    1.8
    ・社会党の江田三郎書記長が国会でとりあげることを表明

    1.10
    ・民社党の佐々木良作書記長が国会でとりあげることを表明

    1.11
    ・TBSテレビで放映されていた対談番組「時事放談」で、政治評論家の細川隆元氏が「公明党はナチスに通ずる、今度はこの席に関係者を呼んで問いただす」と発言し、細川氏と小汀利得氏の対談の席に池田大作を迎える特別企画が組まれた。しかし、池田側は、体調不良で多忙という奇妙な理由で出席を拒否した。

    1.25
    ・『朝日新聞』投書欄が、「言論・出版の自由をめぐって」の特集を組む。特集は「『赤旗』が連日キャンペーン記事をのせたため、一般の新聞報道が立ちおくれたため」とことわって、「市民に強い危機意識"出版妨害"の真相求める声」として5投書が紹介され、公明党の「反論は遠慮する」とのコメントまで掲載。

    2.2
    ・マスコミ関連産業労働組合共闘会議(9万7千人)が総評はじめ各労組に呼びかけ、「出版妨害の真相を聞く会」を開催し、21労組が結集
    ・言論・出版の自由に関する仏教徒懇談会が結成され、各宗各派120人の仏教徒を前に全日本仏教会や東京仏教連合会の代表があいさつ

    2.3
    ・「公明党・創価学会の妨害に反対する、言論・出版の自由にかんする大集会」には3千人が集まった。全国各地でも、言論・出版の自由を守る懇談会が結成された。

    2.18〜
    ・特別国会では、社会・民社・共産の各党が、竹入委員長、田中幹事長、池田大作の国会喚問を要求したのをはじめ、基本的人権の1つである言論の自由を侵した創価学会・公明党の危険な体質や、当時、国立戒壇の建立を掲げていた創価学会・公明党の政教一致問題等について厳しい追及を加えたのだった。


    <自民党にすがって弾圧回避>
    ●池田会長は自らの国会喚問を阻止するために衆参両院の公明党国会議員を総動員し、赤坂2丁目のクラブ「石丸」などを拠点に、各党の理事を接待責めにして懐柔する工作をおこなった。さらに、池田会長は佐藤(※栄作首相)にも連絡を取っていた。70年1月30日の『佐藤日記』には、岩佐富士銀行頭取を通じて「藤原弘達問題には干与しな[い]様に」という池田からの伝言が記され、佐藤は「同感」と岩佐に伝えている(『佐藤日記(4)』31頁)。野党などから出された池田喚問要求について佐藤はのらりくらりと対応し、結局これをうやむやにしてしまう。池田の伝言どおり、「干与しない」ように行動したのである。(『前衛』H15.7)

    ●69年末に表面化した言論出版妨害問題のときは、佐藤栄作首相と自民党幹事長をしていた田中さんには、助けられ、感謝している。終生忘れない。国会では罵詈雑言を浴びせられ、ほかにだれも助けてくれる人はいなかった。
     創価学会批判の本が出るというので、私が田中さんに頼んで仲介に動いてもらったのだが、田中さんは追及されると、「竹入に頼まれたのではない。幹事長だから勝手におせっかいをやいているだけだ」と釈明していた。これには感激した。家の周りは、新聞記者に囲まれて出られない。電話で連絡を取った。
     「ここも新聞記者でいっぱいで出られないぞ」
     「すまんなあ」
     「いいよ、幹事長やめりゃあいいんだから」
     「それじゃあ、こっちも委員長やめなくっちゃあ」
     「いやあ、まあまあ、成り行きだ。こんな泥沼、いつでもあるんだから」
     こんなやりとりをしたのを思い出す。
     佐藤さんは、関係者の証人喚問要求に、のらりくらりと時間かせぎをしてくれた。国会の委員会採決も先送りしてくれるなどいろいろ配慮してくれた。(竹入義勝=公明党元委員長「竹入秘話」『朝日新聞』H10.8.26/『前衛』H15.7)

    ●当時、池田大作氏は「田中さんのためなら公明党をつぶしてもいい」とまで言ったそうだ。田中は年1回の公明党の青年研修会で講演して帰ってくると、私に池田氏がああ言ったとかこう言ったとか、全て話してくれた(佐藤昭子=田中秘書『私の田中角栄日記』75頁/『前衛』H15.7)
    -----------------------
    この言論出版妨害事件を契機に、田中と竹入の間は一段と深まった。(『前衛』H15.7)


    <S45.5.3>
    ◆……今回の問題は、あまりにも配慮が足りなかったと思う。また、名誉を守るためとはいえ、これまで批判に対してあまりにも神経過敏にすぎた体質があり、それが寛容さをかき、わざわざ社会と断絶をつくってしまったことも認めなければならない。……今後は2度と、同じ徹を踏んではならぬと、猛省したいのであります。……言論の自由が、

    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 1

    icon拍手者リスト

    王様

  • from: 21世紀さん

    2011/02/06 22:30:07

    icon

    「Re:メディア戦略(言論封殺)」
    『中外日報』と創価マネー

    --------------------------------------------------------------------------------

    (『慧妙』H8.9.16編集)


    <一般紙も「金のために身を売った」と批判>
    ●『中外日報』という仏教業界紙がある。明治に始まり、近く創刊百年を迎えようという、由緒のある隔日刊紙である。
     ところがこの新聞、2、3年前からおかしくなっている。創価学会の提灯持ち記事がやたらと多くなったのだ。
     おかしくなったのは、創価学会が日蓮正宗と対立してからである。正宗の僧侶を悪し様にこきおろす記事が目立つようになった。親しい記者に尋ねると、実は社長が、資金難を逃れるために学会の金に取り込まれてしまったのだという。
     記者の中にも、こんなことではいかんと考えている者もいないわけではないが、社長は聞く耳を持たないのだという。(中略)
     最近は『聖教新聞』の転載がよく出るが、8月22日には、『週刊新潮』の批判本を出した著者にインタビューした大きな記事が出ている。
     なぜ『週刊新潮』の内幕を問題にするのかと言えば、創価学会批判の記事をよく載せるからである。
     この批判者(※批判本の著者)によればバックナンバーをすべて取り寄せて「目次を研究」した。その結果、「最初は格調が高かったのですが、だんだん、どうも下半身の問題であるとか、創価学会、あるいは共産党とかいったものを叩くことを方針としているような感じ」が出て来たという。ここで「下半身の問題」を言うのは、近く裁判の始まる、池田大作のレイプ事件を念頭に置いている。
     しかし、これは語るに落ちた話で、『中外日報』の記事がおかしいと私が気づいた最初は、連日、正宗僧侶や夫人の「下半身記事」を、これでもかこれでもかと掲載し続けたからである。
     マスコミをスーパーとすれば、このような新聞は専門店。個性的で気骨のある専門店メディアの健闘を心から期待する者の1人として、金のために良心を売った「宗教」新聞の存在は、まことにうら寂しい事件ではある。(平成8年9月1日付『産経新聞』コラム・斜断機)

    <発行部数の約半分を学会が購入>
     一般紙もこれほどの関心を寄せる、創価学会と『中外日報』のただならぬ関係-今般、それを裏付ける内部資料が流出し、本紙もそのコピーを入手した。それは、「注文請書」と印刷された1枚の伝票であった(別掲)。
     御覧のように、この伝票は、『中外日報』2400部の1ヵ月あたりの定期購読代金696万円を、月末で締め、翌月末に指定口座に振り込む-という内容。
     受注者の欄には「株式会社中外日報東京本社」のゴム印と角印、発注先欄には、印刷文字で「創価学会」と。
     書式からいって、伝票そのものは創価学会の専用用紙らしいが、その右肩に「轟局長様」とのメモ書きがあるように、この伝票、中外日報東京本社から京都本社の轟局長宛てに送られたものだという。中外日報東京本社は、創価学会からの受注状況を京都本社へ報告するにあたって、創価学会への「注文請書」の写しを、そのまま送ったということか。
     しかも一説によれば、『中外日報』の発行部数は5000部程度だという。つまり創価学会は『中外日報』の発行部数の2分の1近くを買い取ってしまっていることになる。
     これによって、創価学会が年間に中外日報社に支払っている購読料は、8352万円にのぼる。
     しかも、学会から同社に流れる金は、こうした正規の購読料ばかりではない。聖教新聞社や第三文明社が、『中外日報』に、ほぼ定期的に3段ぶち抜き広告などを掲載しているのだから、その広告料も、莫大な額にのぼるはずだ。

    <狡猾な『中外日報』利用法>
     平成3年3月4日発行の『微笑』に、日顕上人猊下のゴシップ記事が載った。
     ”猊下に隠し子が?”と思わせるような見出しの付いたその記事は、女性週刊誌によくありがちな、冗談話をおもしろおかしく脚色しただけの記事であった。
     すなわち、猊下と幼なじみだ、という女性が、猊下に対する淡い初恋の思い出なるものを週刊誌記者に語っただけの、じつにたわいもない記事だったのであるが、インタビューの中で、その女性の次女について、”猊下との不義の子であり、妊娠中も土手から飛び降りるなどして流産しようとした”との噂があるが、と記者が問い掛けたのに対し、その女性は、”次女も間違いなく夫の子供”と断言。さらに、
     「私、冗談好きだから。それが結果的に、みんなにウソをつくことになったかも知れませんね。血液型を調べれば分かりますよ」と、重ねて全面否定した。
     ところが、この記事に基き、後日、『中外日報』(平成3年11月19日・20日号)は次のように報じた。
     「この女性は、人妻となったにもかかわらず、信雄(※しんのう・日顕上人御登座前の御名)さんと”焼けぼっくいに火”がついて妊娠し、土手から飛び降りるなどして流産をしようとしている。罪な話である。この”妊娠事件”が本山内で噂となったのであろう。日顕氏の輝ける経歴の中でこのことが紛れのない汚点として残っている。」
     「マスコミ紙上(※『微笑』のこと)を賑わしたのが、日顕法主に隠し子がいたという事実。『信雄さんは初恋の人』と法主の幼名で懐かしそうに思い出を語る女性が登場。その告白が真実とすれば、日顕猊下と彼女の間に産まれた子供は、娘さんで現在44歳という。」
     こうして、『微笑』に掲載されたたわいもない記事は、『中外日報』の手によって、正反対の趣旨へとネジ曲げられ、無惨な女性スキャンダルに捏造されてしまったのだ。
     しかも、この捏造スキャンダルが、さらに脚色され、他のデッチ上げ話も付け加えられて『創価新報』(平成3年12月4日号)紙上に「宗風を汚した日顕法主の暴力と遊蕩・法滅の家系、3代にわたる”かましの血脈”」との、おぞましい見出しの付いた誹謗記事となっていったのだから、呆れて物が言えない。
     これが、創価学会による『中外日報』の代表的な活用法の1つである。
     これ以外にも創価学会は、一般人がほとんど目にすることがない『地涌』その他の怪文書を、まず『中外日報』紙上に取り上げさせ、さらに、その『中外日報』の記事をネタに、今度は「あるマスコミの報ずるところによれば・・・」等々といって、『創価新報』や『聖教新聞』で大々的なキャンペーンを繰り広げてきた。
     つまり、自ら捏造したスキャンダルを、『中外日報』というメディアに取上げさせることで、それがあたかも巷間に報じられた周知の事実であるかのように見せかけ、末端会員や、学会御用達の一部の学者やジャーナリスト達を洗脳し続けてきたのである。
     そのウラには、いざとなったら責任の全てを『中外日報』に負わせて”とかげの尻尾きり”をしよう、という薄汚いハラがあることは間違いない。

    /_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_
    ◆昭和17年8月12日付けの宗教新聞『中外日報』の記事である。見出しは、大きな活字で、こう出ていた。
     「神本仏迹か、仏本神迹かの教義信条問題を公開せん
     日蓮正宗の維新断行に護国憂宗の士ら遂に起つ」
     笠原の策謀が、このような記事にデッチあげられたのだ。(『人間革命』第6巻82頁)
    ◆そのとき、森川一正が、笠原の策謀になる『中外日報』の10年前の記事を、ある学会員の先輩のところから入手して、持参したのである。700年祭を前にして、かつての笠原の活動が、いかに悪辣であったかを、この記事は、決定的に証拠づけていたといってよい。笠原を宣揚する記事が、はからずも笠原の罪状を、そのまま語ってしまっている。(『人間革命』第6巻85頁)
    -----------------------
    戦時中の『中外日報』は、獅子身中の虫たる宗内僧侶の側に立って「デッチあげ」の記事を掲載していた。そのような新聞に信を置いて、今度は学会自身が宗門誹謗のために「デッチあげ」の記事を利用したのである。

    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 1

    icon拍手者リスト

    王様

  • from: 21世紀さん

    2011/02/06 22:27:51

    icon

    「Re:メディア戦略(言論封殺)」

    『中外日報』が学会と手を切り、謝罪

    --------------------------------------------------------------------------------

    『中外日報』は一時期、学会の資金が流入するとともに、学会が同新聞を大量に買い付けていたという事実が、宗門側の新聞によって暴露されたことがあります。このような背景事情があって『中外日報』は、「学会の御用新聞」のごとき報道を繰り返し行ったのです。

    つまり、学会の御用新聞が、学会に加担した報道を流していただけのことであり、何の信憑性もないことは明らかです。

    そして内外から、その偏った報道姿勢に非難を浴びました。そのため同新聞は、平成10年に、第1面全体を割いて、それまでの学会偏向の報道姿勢を反省し、改める旨を表明しています。↓

    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

  • from: 21世紀さん

    2011/02/04 13:26:16

    icon

    「Re:メディア戦略(言論封殺)」
    『中外日報』

    --------------------------------------------------------------------------------
    『中外日報』堕落と更生の経緯(仮題)

    --------------------------------------------------------------------------------
    ―今、新たに振り返る「あの頃のこと」―
    ―たまたま眼にした小さな訃報―

    (元創価学会顧問弁護士・山崎正友『慧妙』H20.2.1)

    【たまたま眼にした小さな訃報】
     昨年秋、創価学会との訴訟準備のため、図書館に出かけた折、たまたま眼にした10月18日付『中外日報』に、次のような、小さな訃報(ふほう)記事があるのを見つけました。
     「本間昭之助氏、死去。中外日報の元社長で(財)京都仏眼協会前理事長の、本間昭之助氏が8月下旬に死去していたことが、このほど分かった。78才だった。関係者によると、3年ほど前に脳梗塞(のうこうそく)で倒れて以来、療養生活を続けていたが、詳細は近親者・関係者以外には知らされていなかった。山形県生まれ。中外日報社の東京支社長を経て、昭和50年4月に代表取締役社長に就任。平成9年12月に解任されるまで22年間、社長を務めた。」
     22年間も社長を務めた人物の訃報を報じるにしては、いかにもよそよそしく素っ気ない扱いであり、そもそも、「8月下旬に死去していたことが、このほど分かった」と、死後2ヵ月も経(た)って、死去の日付すら曖昧(あいまい)な記事を掲載した、というところに、社長を解任されてからの本間氏と「中外日報社」との関係が窺(うかが)われます。


    【学会の手先を務めた『中外日報』】
     読者の方々の中には、平成3年の創価学会破門に際しての、『中外日報』紙による激しい宗門攻撃、そして、その後も平成9年まで続いた、毎号1面を丸々使っての宗門攻撃、創価学会批判を行なうマスコミやジャーナリスト、あるいは脱会者や反学会勢力に対する、えげつないスキャンダル攻撃を、覚えている方もおられるでしょう。
     かくいう私も、創価学会が謀略によって作り出したスキャンダルをもとに、連日のように『中外日報』に攻撃されました。
     とくに、平成8年に行なわれた総選挙において、「民主政治を考える会」の"緊急レポート"ビラ5千万枚の配布によって新進党が敗北し(創価学会、元新進党関係者はそう言っています)、それが引き金となって新進党が分裂する、という騒ぎの後は、私は、『中外日報』の最大のターゲットとされました。
     このビラの仕掛け人が私であり、「代表世話人の内藤圀夫は、ただ名前を貸しただけで、実際は、山崎が一切を取り仕切ってやったことだ」と思い込んだ創価学会は、私を、日蓮正宗・御法主上人に次ぐ仇敵(きゅうてき)としたのです。そして、創価学会の意を受けた『中外日報』が、怪文書や、私に対し訴訟を起こした女性の「上申書」等を材料に、紙面で攻撃し、そして、これを創価学会が、『聖教新聞』『第三文明』等で「一般紙によれば……」という形で取り上げる、というデッチアゲの方程式が確立しました。


    【学会の『中外日報』浸食の"手口"】
     そもそも『中外日報』は、真渓涙骨氏が明治30年に『教学報知』の名前で創刊した仏教新聞であり、『中外日報』と改題してからは、我が国唯一といってよい総合的な仏教紙として、存在していました。
     その昔は、司馬遼太郎氏が大阪の新聞記者時代に『中外日報』紙に連載した「梟(ふくろう)の城」で、直木賞を受賞するなど、由緒と権威のある仏教紙でした。
     戦後、創価学会が出現してからは、仏教界を背景とする新聞として、創価学会に対し批判的な立場を取ってきましたが、昭和49年頃から、『中外日報』の論調が様(さま)変わりしはじめました。次第に、反創価学会色が薄れ、やがて、さりげなく創価の提灯記事が掲載されるようになりました。
     じつは、この頃、東京支社長であった本間氏が、経営不振の打開策として、創価学会にすり寄ったのです。
     その前から本間氏は、『中外日報』を背景に、各教団の紛争に介入しては、金を出す方に味方し、出さない方を叩くという、いわゆる「宗教ゴロ」に手を染めるようになり、そのことも部数を減らす原因となっていましたが、本間氏の主導で、創価学会をスポンサーとして、経営立て直しを図ったのでした。
     この頃、本間氏は、創価学会に入会しています(立場上、秘密にしていましたが、当時、大石寺境内で見かけた人もあります)。
     読者の方の中には、昭和50年頃、『中外日報』が、日蓮正宗寺院や有力な幹部に、無料で送られていたことを覚えておられる方も、いらっしやると思います。
     学会は、「マスコミを味方に付けるため」「宗内に、他宗の状況を知ってもらうため」等と説明していたようですが、とにかく、無料で多くの寺院や幹部に配られ、そしてその代金は、創価学会が一括して支払っていました。年間2千万円くらいだったでしょうか。
     ちょうどこの頃、私は創価学会において、「情報謀略師団」を指揮し、敵対勢力に対する攻撃や、情報収集を行なっていました。
     昭和48年頃、当時の創価学会にとって最大の敵であった「新宗連」(新宗教団体連合会)、その主力教団である立正佼成会・PL教団に対する攻撃のため(池田大作は、「言論問題」の時、「新宗連」に非難されたことを根に持っており、その仕返しの意味もあって、私に、攻撃を命じたのです)、当時、「新宗連」理事長が管理していた「社団法人日本宗教放送協会」という休眠中の公益法人に目を付け、これを、元「新宗連」関係者をダミーとして、5百万円で買収しました。
     そこへ当時、私の配下であった北林芳典(現・報恩社〈葬儀会社〉社長。怪文書『地涌』の関係者)を、「大山正」という偽名で派遣し、これを編集長にして『宗教評論』という機関紙を発行させ、「新宗連」や立正佼成会、PL教団等に対する、陰険で下劣な攻撃をやらせました。「新宗連」関係の法人が、突然「新宗連」等を攻撃したものですから、相手は面食らいました。
     北林は、この時、『中外日報』の本間氏と親しくなり、その、「宗教ゴロ」の片棒を担(かつ)ぐようになりました。北林は、私にこれを、「カムフラージュのため」と言って誤魔化していました。
     そのうち、昭和55年になって、私や原島嵩氏が学会に造反し、内部告発を開始すると、北林は、私に対する攻撃の急先鋒となりました。そして、『中外日報』も、創価学会擁護(ようご)の論陣を張りました。
     平成3年、日蓮正宗が創価学会を破門すると、『中外日報』は、マスコミの中で唯一、創価学会の肩を持って、宗門攻撃を行ないました。そして、さらに、私や乙骨正生氏、段勲氏、内藤圀夫氏、「四月会」や、自民党の創価学会批判に対し、攻撃を行なったのです。
     その記事は明らかに、創価学会の入れ知恵か、あるいは、創価学会のゴーストライターが書いたと見られるものもありました。
     創価学会の危急存亡にあたって、本間氏は、『中外日報』の、仏教紙として一般仏教界を基盤としてきた立場をかなぐり捨てて、『聖教新聞』以上に、創価学会の敵対者に攻撃を加え続けました。
     仏教界も世間の識者も眉(まゆ)をひそめ、社内からも強い反発がありましたが、創価学会からの支援をバックに、ワンマン体制を敷いていた本間氏は、こうした批判に耳を貸そうともしませんでした。


    【更生の端緒は『自由の砦』の特報】
     ところが、平成8年9月8日付『自由の砦』(創価学会による被害者の会機関紙)で、中外日報社から流出した内部資料に基づき、創価学会が年間8千5百万円もの大金を中外日報社に提供して丸抱えし、創価学会の代弁をさせている事実を暴露(ばくろ)しました。このことが引き金となって、他の仏教教団が『中外日報』の購読を打ち切るようになり、そのため、いよいよ『中外日報』は経営不振に陥(おちい)りました。
     そうした状況の中、中外日報社で、本間氏に対するクーデターが勃発(ぼっぱつ)したのです。
     株主や社員、有力関係者が密(ひそ)かに協議を重ね、その結果、平成9年12月24日に開かれた取締役会で、本間昭之助氏は突然、社長を解任されました。
     そして、平成10年3月3日付1面に、「中外日報が変わります」「『不偏不党』の立場を貫く」「真実で公正な報道・論評へ」「恣意(しい)的な紙面作り打ち切り『刷新』」等の大きな見出しで社告を掲載し、
     「近年、不幸にして、創刊者涙骨翁の精神に背(そむ)き、『公器』である紙面の一部が歪められてまいりました。(中略)私どもは、昨年12月24日、恣意的な紙面作りを断ち切るために、前社長を解任しました。独立不羈(ふき)の記者魂で蹶(けっき)した私どもの微衷(びちゅう)をお酌み取りいただければ幸いです。この上は、創刊の精神にかえって、『紙面刷新』に取り組みます。(中略)我が真渓涙骨社主の命日である4月14日を起点に、紙面を刷新します」
    と宣言したのです。
     これ以後、『中外日報』の、創価学会ベッタリの記事は姿を消しました。
     創価学会の金に目がくらみ、公器である新聞の紙面を歪めた本間氏は、それっきり、表舞台から姿を消し、消息も聞かれませんでした。
     『中外日報』も、完全に本間氏との関係を断った、ということでした。
     今回の訃報により、本間氏は3年もの間、不自由な生活をした末、昨年8月に息を引き取ったことが明らかとなりました。そのことを、『中外日報』ですら10月下旬まで知らなかったのです。
     こうして、社長を追放してまで創価学会との関係を断ち切った『中外日報』は、宗教紙としての姿を取り戻しましたが、創価学会に骨の髄(ずい〉まで虜(とりこ)になった本間氏の人生の寂しい終焉(しゅうえん)は、いろいろ考えさせられるところがあります。氏の冥福(めいふく)を祈ります。
     私は、創価学会との間で多数の訴訟を抱え、しばらく身動きできない状態にありましたが、これを契機に、再び「あの頃のこと」を再開し、今後は、創価学会の極秘内部資料に基づいて、自らの「本仏化」と「創価学会の私物化」「日蓮正宗支配の野望」そして「それが叶(かな)わぬ時は、在家教団としての独立を目指す」という、宗・創間の紛争の原因となった池田大作の本音を明らかにしていくつもりです。
     さらに、できれば、昭和55年以後の「正信会との関わり」と紛争の真実を、明かしていきたいと思っています。

    ------------------------------------------------------------
    ◎明治30年 真渓涙骨氏が仏教新聞『教学報知』を創刊。『中外日報』と改題してからは、我が国唯一といってよい総合的な仏教紙として存在

    ◎ 戦後、創価学会が出現してからは、仏教界を背景とする新聞として、創価学会に対し批判的な立場を取ってきた


    ◎昭和49年頃
    ・東京支社長であった本間氏が、経営不振の打開策として、創価学会にすり寄る。
    ・『中外日報』の論調に反創価学会色が薄れ、やがて、さりげなく創価の提灯記事が掲載されるようになる
    ・本間氏、創価学会に入会

    ◎昭和50年4月 本間氏、代表取締役社長に就任

    ◎平成3〜 創価学会破門に際しての、『中外日報』紙による激しい宗門攻撃、そして、その後も平成9年まで続いた、毎号1面を丸々使っての宗門攻撃、創価学会批判を行なうマスコミやジャーナリスト、あるいは脱会者や反学会勢力に対する、えげつないスキャンダル攻撃。これを創価学会が、『聖教新聞』『第三文明』等で「一般紙によれば……」という形で取り上げる、というデッチアゲの方程式が確立


    ◎平成8年9月8日 『自由の砦』(創価学会による被害者の会機関紙)で、中外日報社から流出した内部資料に基づき、創価学会が年間8千5百万円もの大金を中外日報社に提供して丸抱えし、創価学会の代弁をさせている事実を暴露(ばくろ)。このことが引き金となって、他の仏教教団が『中外日報』の購読を打ち切るようになり、そのため、いよいよ『中外日報』は経営不振に陥(おちい)る

    ◎平成9年12月4日 取締役会で、本間氏が突然、社長を解任される。株主や社員、有力関係者が密(ひそ)かに協議を重ねた結果の「クーデター」

    ◎平成10年3月3日 『中外日報』1面に、「中外日報が変わります」「『不偏不党』の立場を貫く」「真実で公正な報道・論評へ」「恣意(しい)的な紙面作り打ち切り『刷新』」等の大きな見出しで社告を掲載
    ●近年、不幸にして、創刊者涙骨翁の精神に背(そむ)き、「公器」である紙面の一部が歪められてまいりました。(中略)私どもは、昨年12月24日、恣意的な紙面作りを断ち切るために、前社長を解任しました。独立不羈(ふき)の記者魂で蹶(けっき)した私どもの微衷(びちゅう)をお酌み取りいただければ幸いです。この上は、創刊の精神にかえって、「紙面刷新」に取り組みます。(中略)我が真渓涙骨社主の命日である4月14日を起点に、紙面を刷新します(『中外日報』H10.3.3)


    ◎平成19年8月下旬 中外日報の元社長で(財)京都仏眼協会前理事長の本間昭之助氏が死去

    ◎平成19年10月18日 『中外日報』、本間氏の訃報掲載

    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 2

  • from: 21世紀さん

    2011/02/04 13:21:56

    icon

    「Re:メディア戦略(言論封殺)」
    公明議員が“焚書坑儒”的要望(仮題)

    --------------------------------------------------------------------------------
    ―「『創価学会を斬る』」より―
    (佐高信『週刊金曜日』H12.6.16)

     前号の「論争」欄に、熊本県の農業高校で校長から「『週刊金曜日』は生徒に読ませるのには好ましくない雑誌だから絶対に寄贈は受け入れられない」というクレームがついた話が載っている。

     それを読んで、今年の3月13日に、東京都の大田区議会で公明党の区会議員がやった質問(※)を思い出した。
     質問というより“焚書坑儒”的要望である。
    「『週刊新潮』『週刊文春』『文藝春秋』を全大田区の全図書館から排除してもらいたい」
     幸か不幸か、本誌は入っていなかったが、この議員は「週刊誌は人のことを中傷している」とし、「私は不愉快だから何とかしてもらいたい」と訴えた。
     「不愉快」の感じ方は人によって違う。私は、公明党のバックの創価学会のドン、池田大作の跋扈こそ不愉快だが、それでも、彼の本を図書館から排除してもらいたい、とは思わない。
     しかし、彼らは排除を求める。それは自信のなさを表してもいるが『週刊新潮』の3月30日号によれば、1969年に刊行され、言論出版妨害事件を惹き起こした『創価学会を斬る』(日新報道)の著者、藤原弘達が昨年春に亡くなった時、夜中じゅう、
     「おめでとうございます」
     という電話が続いた、と妻の充子さんが証言している。
     「実は厭がらせは主人が死んでからも続いたんです。出版妨害事件の時は段ボール箱に3箱以上も投書が来ましたし、警察がうちの子どもに警備をつけなくてはならないほど脅迫が相次ぎました。彼らは本当に仏教を信じているんでしょうか……」
     充子さんはこうも語っているが、いまから30年以上も前に書かれた『創価学会を斬る』には、こんな予言的指摘もある。
     「創価学会・公明党が目下ねらっているものは、自民党との連立政権ではないのか」
     そして、藤原はそれをこう憂える。
     「もし自由民主党が過半数の議席を失なうというようなことになった場合、公明党に手をさしのべてこれとの連立によって圧倒的多数の政権を構成するならば、そのときは、日本の保守独裁体制が明らかにファシズムへのワンステップを踏み出すときではないかと思う。
     (公明党が)自民党と連立政権を組んだとき、ちょうどナチス・ヒトラーが出た時の形と非常によく似て、自民党という政党の中にある右翼ファシズム的要素、公明党の中における宗教的ファナティックな要素、この両者の間に奇妙な癒着関係ができ、保守独裁体制を安定化する機能を果たしながら、同時にこれを強力にファッショ的傾向にもっていく起爆剤的役割として働く可能性も非常に多くもっている」
     この本はいまも「生きている」と思うが、残念ながら文庫化等はされていない。
    ------------------------------------------------------------
    ※●区社会教育部長に対してこう質問したのは公明党所属の田口仁氏だ(当然、創価学会員である)。 筆者は本人を直撃したことがあるが、同氏は図書館からこれらの出版物を排除する理由すらまともに答えられなかった。また、同様の質問は他の議会でも公明党議員によって行われていた。(山田直樹『週刊新潮』H15.11.6)

    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 1

    icon拍手者リスト

  • from: 21世紀さん

    2011/02/02 12:32:48

    icon

    「Re:メディア戦略(言論封殺)」
    この学会の非道な手口こそ“カルト”だ!

    --------------------------------------------------------------------------------
    ―糾明!米国誌紙による本紙攻撃の真相―
    ―学会の正宗批判に利用されたNY地元紙―
    ―本紙記事を改竄して持ち込んだのは学会員!!―

    (『慧妙』H14.1.1)

     本紙は、212号および213号の「鉄槌」欄で、『聖教新聞』『創価新報』と学会の御用新聞『内外タイムス』が展開した〝『慧妙』は、米国の同時多発テロは、日蓮正宗を批判するゆえに起こった仏罰だ、と論じている〟という本紙誹謗(ひぼう)が、いかに文意・文脈を無視したデタラメなものであるかを、具体的に反証し破折した。
     それを見ていただければわかるように、彼らは、原文にあたれば直(ただ)ちにウソがバレると承知しながらも、平気で文意を改変したり、書いてもいないことを〝書いてある〟として論じ、もって一般国民をも巻き込んで、本紙や日蓮正宗の信用を失墜(しっつい)せしめんと図(はか)ったのである。
     その、問題の『聖教新聞』(平成13年11月1日付)には、
     「〝日顕宗は異常なセクト集団〟アメリカの有力紙が厳しく糾弾」という見出しのもと、〝ニューヨークの地元紙も『慧妙』の記事を取り上げ、日本のセクト・日蓮正宗は最近、歴史上のブッダよりも、あのウサマ・ビンラディンを想起させる、とまで書いている〟と述べられていた。
     だが、批判者潰(つぶ)しに血道を上げる池田創価学会が「ウサマ・ビンラディン」と並び称されるならいざ知らず、日蓮正宗および本紙が、ニューヨークの地元紙からそのように評されるいわれなど、何1つない。
     もし、そういう記述をした一般紙が実在したとしても、『内外タイムス』同様、創価学会の息がかかっていることは、当初から見え見えであった。
     本紙は、このたび、その記事が載(の)っているという『クイーンズ・クーリエ』と『フラッシング・タイムス』の2紙を入手するとともに、背景についての情報を集めた。
     すると、記事自体が悪質なスリカエである上、最初に週刊誌『クイーンズ・クーリエ』(10月24―30日号)に記事を書いたのは、アダム・ジェイ・ガンブルというフリーのジャーナリストで、これが、現役バリバリの学会員(SGI会員)であることが判明したのである!!
     ガンブルは、同誌の署名記事で今回のテロに対する各宗派の対応を論じ、その中で〝日蓮正宗はビンラディンを想起させる〟とし、その根拠として、本紙(平成13年10月1日号)の「降魔の剣」欄で引用した日顕上人猊下のお言葉(注・平成13年4月11日のお言葉。近年の日本の世相について言及されたもので、もちろん、テロ事件のことを言われたものではない。別掲参照)を巧みに利用し、
     〝(日蓮正宗は)今回のテロは要するに『正法』を信じない人々への報(むく)いであるというのだ〟と結論付けているのである。
     何という姑息(こそく)さ、何という悪質さであろうか。
     ガンブルがこういう記事を書いたというも、その後の『聖教』『新報』の対応を見れば、もともと学会の意図によるものであったことは見え見えである。
     その後に発行された、もう一紙の『フラッシング・タイムス』(フラッシング市の日刊紙)であるが、これも『クイーンズ・クーリエ』と同様に、本紙記事を歪曲(わいきょく)して翻訳し、さらに、〝この『慧妙』は、妙説寺の機関紙である〟として、ニューヨークのフラッシングにある正宗寺院・妙説寺に地元民からの批判が及ぶような構成にしてある(後に、妙説寺からの抗議により〝妙説寺の機関紙〟ということについては訂正文を掲載)。
     ちなみに、この『フラッシング・タイムス』は、『クイーンズ・クーリエ』と同様の論調であり、さらに同じビル内に事務所があることからして、情報源は同一と見て間違いないだろう。
     こうした学会の謀略に、事実関係を確認しようとしたのか、アメリカのいくつかの機関が、本紙記事を直接確認しようとした形跡が残っているが、それにしても、ニューヨーク市民がテロ事件にナーバスになっている今、それを利用して日蓮正宗批判を画策した池田創価学会の所業は、けっして許されることではない。

     こういうことをする学会こそは、非道で邪悪な宗教団体として、いずれ世界中に認知されることになるであろう。

    /_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_
     『慧妙』(平成13年10月1日号)の1面記事
    ●『慧妙』(平成13年10月1日号)の1面記事の要旨
     日蓮大聖人の御金言には次のように示されている。
     〝邪宗謗法の者が国土に充満して正法正師に法難をこうむらせる時、その国土を守護する諸天善神が怒りをなして、大地震等の天変地夭・大疫病・大不況など多くの大災難が相次ぎ起こってくる。しかし、そうした諸天善神の力用をもってしても、邪宗謗法の者が権力者と結託して、まったくその権勢が揺るがない時には、他の国土の諸天善神の力が発動して、前代未聞の大闘諍(大戦争)がこの国を襲い、数多の人が命をなくして、雨のように地獄に堕ちることになる。〟(趣旨)
     現在の池田創価学会の姿は、まさに、この〝邪宗の者が権力者と結託して、正法正師に法難をこうむらせる〟相に匹敵している(※具体的事実を挙げて検証)。
     9月11日に発生した米国の同時多発テロについて、国内のマスコミでは、〝世界大戦争の危機〟とか〝日本も必ず巻き込まれる〟等々と警鐘を鳴らしている。
     これ(同時多発テロ)が、「一閻浮提に起こる」「前代未聞の大闘諍」「他国侵逼難(たこくしんぴつなん)」の兆(きざ)しでないことを祈るばかりだが、大謗法の国土となった日本に、一国総罰の現証は必ず現われる。謗法の学会員は、その諸天の治罰を心から畏れるべきであるし、法華講員はいよいよの折伏をすべきである。

    ●『慧妙』(平成13年10月1日号)
     「降魔の剣」欄で引用した日顕上人猊下お言葉
     (不幸な事件が相次ぐ今の世相について)「これは大きく見れば、正しい仏法を無視することにより、様々な邪法がいろいろな毒薬の用きを生じて、そこにおいて多くの人々が苦しんでいるのであり、私どもはその姿を明らかに観ずることができるのであります」(平成13年4月11日)

    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 1

    icon拍手者リスト

  • from: 21世紀さん

    2011/02/02 12:29:38

    icon

    「Re:メディア戦略(言論封殺)」
    創価学会の「広告」に沈黙する新聞に問う

    --------------------------------------------------------------------------------

    (『テーミス』H14.12抜粋)


    <「新聞の危機」とは何か考える>
    ・創価学会の池田大作名誉会長の寄稿を、大々的に取り上げるメディアが後を断たない。
    ・東奥日報では、今年5月10日から14日の朝刊に、池田氏の「日中国交正常化30周年に寄せて」と題する特別寄稿を5回にわたり連載した。初回の10日付1面には、特別寄稿の告知記事も掲載している。これを「唐突な経過と、特定の宗教・政党の取り組みに対する破格の取り扱い」と受け止めた労組側は、連載初日の10日、労務部長に対し、説明を求めた。
    ・今年9月、労組は「池田創価学会名誉会長寄稿連載について考える」という冊子を作成している。(中略)そこにはこんな一節がある。
     「販売部数が伸び悩み、広告収入も落ち込む中で、業界全体が生き残りをかけた戦いの中にある。『危機感を持て』という。新聞にとって最大の危機とは、言論機関として読者の信頼を失うことである。仮に、経営の危機の前にあっても、権力や特定の企業・団体におもねるような紙面作りはしないと私たちは頑なに信じている。今回、その唯一最大の共通理解が揺らいだ場面であった。それこそ『新聞の危機』というものを真剣に考えずにはいられない」

    <予想以上に激しい地方紙侵食>
    ・昨年5月に朝日新聞が「視点」欄で池田氏の教育改革に関する寄稿を載せ、波紋を起こした。
    ・7月には読売新聞が政治部長による池田氏のインタビューを掲載し、9月には産経新聞が4度にわたり論説副委員長によるインタビューを載せた。
    ・一連の動きを締めくくるように毎日新聞が大々的にインタビューを掲載したことは、読者の記憶に新しい。 毎日新聞は今年の8月19日にも「発言席」の欄で、「憲法に『環境権』の規定を」という池田氏の署名記事を載せた。だが、米国の創価大学の建設に際し、地元住民や連邦議会等から環境破壊で激しく批判された事実は、黙殺していた。

    <テレビもすでに落ちていた!>
    ・テレビでも例外ではない。ネットワーク系列に属さない、地方の「独立U局」と呼ばれる弱小テレビ局が狙われている。
    ・こうした新聞やテレビの池田氏の扱い方について、聖教新聞などでは「創価学会の正義」「池田大作氏の正義」を社会全般が理解し始めた証拠だと宣伝している。
    ・神奈川新聞では、自社の25万部の新聞印刷を大幅に上回る、聖教新聞30万部、公明新聞4万部を印刷しているという。この事実を知れば、神奈川新聞に「熊本で池田大作写真展開催」という、読者を驚かせる珍妙な告知記事が出るのもうなずける。
    ・東奥日報労組のように、池田氏の寄稿が載るや否や敢然と声を挙げ、経営側に問い質したところが、ほかにある様子はない。経営者や記者の無責任と怯懦が、創価学会の「メディアジャック」をたやすくしている。

    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 1

    icon拍手者リスト

    王様