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  • from: 21世紀さん

    2011年11月20日 22時01分30秒

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    ポーリー女史の告白

    いまだに宣揚される“池田・トインビー対談”
    醜悪な権力者・池田大作の名声のために利用

    --------------------------------------------------------------------------------

     『21世紀への対話』と題された、上・下2巻からなる本がある。イギリスの歴史学者・故アーノルド・トインビー博士と池田大作とが、昭和47年5月と48年5月の2回にわたって対談した記録――であるという。この本は昭和50年の出版当時から、トインビー博士の名声を利用した、池田のノーベル平和賞へのデモンストレーションではないか、といわれていたもので、さすがにノーベル平和賞は受賞できずじまいであるものの、この本が池田の虚像の宣伝に大きく貢献してきたことは事実である。
     ところが、この本、後に化けの皮が剥(は)がされ、実際は「トインビー・池田対談」などと呼べるものでないことが明らかとなったばかりか、故トインビー博士の孫娘・ポーリー女史からも、池田大作の実像を衝(つ)く手厳しい批判手記が発表された(1984年5月19日付・英紙『ガーディアン』紙に掲載)。
     その辺の経緯をより世の中に知らしめていくべく、当「被害者の会」では、会結成と同時に、イギリスのポーリー・トインビー女史にコンタクトをとったところ、ポーリー女史より “私の手記の全文を貴会で使うことを歓迎し、かつ貴会の活動の成功を祈る” という返事をいただいたのである。
     そこで、ポーリー女史の手記全文(和訳での全文発表は初めて)と若干の解説とを併せて掲示する。

    突然の招待と“対談”の評価 /「とりとめもない、内容薄い本」

    --------------------------------------------------------------------------------

     日本に着くまでの長い時間、私は祖父の死後に出版された本『生命の選択』 (※邦題『21世紀への対話』)を読みました。この本は祖父と、池田大作という日本の仏教指導者との対談を収録したものです。
     この対談がなされた時期は、歴史家だった祖父アーノルド・トインビーが85歳の時で、脳出血で倒れる少し前でした。この本は、祖父の著作の中でも最も忘れ去られたような本で、性教育から始まって、汚染、戦争などに至るまで、とりとめもなく長々とした、二人のおしゃべりを収録したものです。
     数ヶ月前、突然、池田氏のロンドンの代理人から電話があり、“祖父を偲び、また、祖父への感謝の気持ちを現わす意味で、私と夫を日本に招待したい”とのことでした。
     祖父が死んでから8年も後だっただけに、私達はちょっといぶかしく思ったのですが、これが西洋人には理解のできない、日本人特有の“恩”とか“家族意識”とかいったものなのかもしれない、と思いました。
     いろいろ考えても、その理由以外、まったく思いつかなかったのですが、この旅行が終わり近づく頃、その意味は次第に明らかになっていきました。西洋からの訪問者が、どちらかというと、めったに見られない、日本の別の一面を見ることができたのです。

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from: 21世紀さん

2011年11月22日 12時20分39秒

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「Re:ポーリー女史の告白」
日本に招待した、貧しい目的

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 じつは創価学会では、これ以前に、故トインビー博士の著書の出版元となっているオックスフォード大学出版会に対し、新たに“対談”の続編を学会側から出版したい旨、強く働きかけていたらしい。
 ところが、同出版会は、「それは遺著管理者(遺族)の許可がなくてはできない」と回答し、申し入れを拒否してきたため、池田が直接、遺族のポーリー女史から協力の約束を取り付けようとしたのが、この時の、日本への招待の目的であったということだ。
 それにしても、金品や豪勢な接待によって、人の心が動かせる、と思い込んでいるとは、宗教家にしては何とも貧しいかぎりの発想である。

『聖教』は事実を歪め、情報を操作

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 昭和59年(1984年)4月28日付『聖教新聞』に、この記事が載っている。
 以下に抜粋するので、ポーリー女史の手記と、よく対比してみていただきたい。


 「池田SGI(創価学会インタナショナル)会長夫妻は27日夕、故アーノルド・トインビー博士の令孫に当たるポーリー・トインビーさんとその夫で英『ガーディアン』紙の論説委員(政治担当)であるピーター・ジェンキンス氏と、東京・信濃町の聖教新聞社で約2時間半にわたり懇談した。
 ここでSGI会長は、夫妻の来訪を心から歓迎し、『来日以来、多くの方々との会談でお疲れのことと思います。どうか、きょうは、くつろいでゆっくりと懇談しましょう』と述べ、トインビー博士との思い出を交(まじえ)ながら歓談。
 ポーリー夫人が『祖父(トインビー博士)が生きていましたら、訪日をどんなにか喜んだことでしょう。祖父は何度か来日し、大変楽しかったと言っていましたから』と結ばれ、SGI会長は、『博士との思い出は数多くあります。とうてい語り尽くすことはできません。大変にかわいがってくださいました。最も思い出の深い方でした』と、博士を懐かしく思い起こしながら語った。(中略)
 そして夫人が『博士とSGI会長の対談集を読めば、そこには博士の口調がよく表われており、対談に次第に熱が入り、高まっていった様子が、ほうふつと想像される』と述べれば、SGI会長は『実はまだ、未公開の原稿があるのです。そこには博士の個人的な問題についての対話もあります』と。(中略)
 さらに博士との対談が終わったとき、SGI会長が『私はトインビー学校の卒業生になったと思いますが、成績は何点ですか』と尋ねたところ、博士は笑いながら『群を抜いた優等生です』と言っていたことをユーモアを交えながら紹介。そして『若い私に対し、将来への厳しいアドバイスを』と要望したことを紹介。ジェンキンス夫妻に『それは何だと思いますか』と笑顔で語りかけた。
 それは全く、予想外の答えで『私は学者で机上の人だ。あなたは勇敢に仏法を流布している実践の者だ。私はアドバイスする立場ではない。いつまでも健康で勇気をもって進んでください』との言葉であったことを述べ、博士の謙虚な姿勢に深い感銘を覚えたと語った。(中略)
 SGI会長は、(略)世界の著名人と対談を続けていることを語った。
 ポーリー夫人は『それをうかがい、安心しました。トインビー博士が最初で、最後であってはいけません』と笑顔で述べれば、SGI会長も『私は博士を正しく紹介しゆく一人と思っております。これからも博士を世界に宣揚していきたい。ぜひ応援を』と望んだ」
 それにしても、このような事実の歪曲(わいきょく)、情報操作を、日常茶飯のように行なう『聖教新聞』とは、いったい、いかなる性質のメディアなのか。これでは、戦時中の大日本帝国大本営発表と、何ら変わるところがあるまい。
 危険きわまりない新聞があったものではないか。

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from: 21世紀さん

2011年11月22日 12時18分38秒

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「Re:ポーリー女史の告白」
肉親として『21世紀への対話』を酷評
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 英『ガーディアン』紙のコラムニストであり、BBCの社員でもあるポーリー・トインビー女史は、『21世紀への対話』をこのように酷評した。それは、亡き祖父、アーノルド・トインビー博士の共著と呼ぶには、博士の他の著作と比べ、あまりに内容の薄いものだったからである。

 しかし、この本の出版された当時、博士の名声を池田のために利用しようとする創価学会では、機関紙『聖教新聞』を使って大宣伝。いわく

 「西洋と東洋の英知の融合」
 「21世紀へ人類がいかに進むべきかの重要問題をめぐり、通算10日間近くにもわたって行なわれた対談」
 「過去の文明史をくまなく訪ね歩いた老碩学(せきがく)と、生命哲学の真髄(しんずい)を体して世界平和への布石に熱誠を傾ける少壮の実践者と――。洋を東西に分かつ両者を対話の場に引き寄せた者は、歴史の未曾有(みぞう)の難所にある現代世界に、力強い警世の助言をとどめようとする、共通の巨大な責任感であった。対談集には両対話者の、なみなみならぬ人類愛の発露(はつろ)が随所に光彩を放っている」
 「人類存続のために考察を必要とする懸案(けんあん)は、あますところなく、論究されている」
 「随所に輝く未来双肩の英知」
等々等々――。

 この誇大広告の見本のような宣伝文句と共に、かの“対談”を読めば、あるいは、内容の「深遠さに」「身体に電流が走るような思い」を感ずる人もあるかもしれない。典型的な、宣伝と洗脳の効果である。

 だが、これら学会側の宣伝文句と、ポーリー女史による評価とを、じっくり読み比べてみていただきたい。博士のことを知り尽くし、しかも、自ら高い教育を身につけた、博士の肉親による評価である。

 両者のあまりの落差に誰もが驚くであろう。

 では、なぜ、このような本ができ上がってしまったのか――ここでは、『21世紀への対話』がトインビー博士にとって、どの程度の位置付けの本なのか、を明らかにすると共に、トインビー博士の名声を利用池田のために利用しようとする学会の大宣伝が、いかに空虚であるかを指摘するにとどめておく。

これが池田の撮影術のトリックだ!

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 この池田の“偉大な”写真撮影術に関し、じつに興味深い事実をジャーナリストの内藤國夫氏が『創価学会・公明党“スキャンダル・ウォッチング”』(日新報道刊)に書いているので、以下に紹介する。

 「原山正征。現・聖教新聞社写真局長。池田専属の付添いカメラマンというのが表向きの職業だが、じつは池田の写真のゴーストライター(フォトグラファー)といったところが本職である。
 ここ何年か、池田は『写真は心で撮るもの』を口グセとする。カメラを目から離す独特のポーズで写真を撮りまくるわけだが、実際問題、そんな格好じゃ、ろくな写真も撮れないに決まっている。で、実は、原山がピント合わせから何から、池田がカメラを持つ前にセットしているのだ。池田はいい気になってシャッターを押すだけである。しかし、それでも池田の撮る写真は絵にならない。仕方がないので、池田が撮っている真後ろで、池田と同じアングルで原山がシャッターを押すこともしばしば。
 『池田大作写真展』などと銘(めい)打って『先生の撮られたお写真だから』と、学会員や非学会員が見に来るものの、これが正体である。
 池田大作の本名は太作。そして俗名が代作。膨大(ぼうだい)な数に上る著作物のほとんど総てがゴーストライターの手によるもの。大作さんの代作依存は、今や有名な話である。それが趣味の領域の写真撮影にまで及んでいるというお粗末な内幕話。(中略)
 原山は、神奈川県・鎌倉市内の江ノ島電鉄沿線に立派な一軒家をもっている。信濃町では『聖教の薄給じゃあ、とてもあんな豪邸に住めないよ。大作サンから“特別手当”かなんかもらっているんじゃないの』ともっぱらのウワサである。」
 また、これを裏付ける投書を、次に載せておく。
 「聖教新聞に掲載される、池田大作の写真は、写真部(現・写真局)で厳重にチェックされます。池田の顔は、左右、極端に不揃(ぞろ)いのため、角度によっては、ひどく醜(みにく)い顔となるからです。特にアップの表情となると、原山正征(現・写真局長)が念入りに検閲して、それを、池田に見せて了解を得る、といった、プロセスが繰り返されます。
 また原山正征は、池田の付添いカメラマンとして、池田が行動するときは、ほとんど同行しています。
 池田は、よく『写真は心で撮るもの』といった、もっともらしく、聞こえのよいことを言っていますが、これは、『私は車を心で運転する』と言って、目をつぶって自動車を走らせるようなものです。カメラマンから見れば、カメラのファインダーから目を離して撮るなどというのは、非常に滑稽なポーズに他なりません。
 かつて、原山正征は、自慢話の一つとして、
 『私が、カメラを三脚にセットして、フレーム、ピント、露出まで決めて、あとは“先生”がシャッターを切るんだよ』
と、誇らしげに話していましたし、ファインダーから目を離してまで行なう撮影のタネ明かしについても、
 『私が“先生”の後にいて同じアングルから撮るんだ』
と話していました。」(元聖教新聞写真部員H・K氏)
 いかがであろうか。
 ポーリー女史の目撃した池田の写真撮影の模様、そして内藤國夫氏の指摘、元聖教職員の告発、それでも、なお、池田大作を偉大な指導者と信じてついて行く、というのなら、それはもはや、“全体主義体制の絶対権力者”の虚像作りに加担するもの、といわれても仕方がないであろう。

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from: 21世紀さん

2011年11月22日 12時15分30秒

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「Re:ポーリー女史の告白」
対談集続編の発行は拒絶
利用されたことを認める著名人も


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 私達が日本を出発するとき、池田氏の秘書が横に来て、「初版で洩(も)れた部分を、池田・トインビー会談の2冊目として出版したいが、その手助けをしてくれるか、どうか」と尋ねてきました。出版および著作権で、何か問題があったようです。
 また、1985年6月に池田氏がイギリスに行く予定があり、それで何らかの手助けが必要だったようです。それが何だったのかは明らかにされませんでしたが、少なくとも私達を利用しようとしていたのです。
 私達は、イギリスに戻ってから、池田氏により招待され、また彼の訪問を受けたりした何人かの人物に、電話を架けてみました。尋ねられること自体が不愉快、という明らかな反応を示した人もありましたが、何人かは、池田氏の名声を高めるために利用されてしまったことを認めました。つまり、すべての行事が素晴らしいものであるかのように繕(つくろ)われ、写真が撮(と)られ、そっけない型どおりの会話が、あたかも非常に重要な会談であったかのごとくに取り扱われ、記事にされた、と。
 私は、祖父の著作を出版しているオックスフォード大学出版(OUP)にも問い合わせてみました。
 OUPでは、池田氏が、祖父の死後、宣伝のためにトインビー・池田対談の出版をしようと頼んできたが、最初は固く断った、と言っていました。
 その決断を貫き通せればよかったと思うのですが、池田氏はニューヨークの出版社から出版させることに成功し、OUPも、それに従わざるをえない形になってしまった、ということです。また、保存されているファイルの中には、「対談の第2冊目が出版されるかもしれない」といった内容の手紙もありました。
 OUPによると、原稿は著作者の権利代行者が許可しなければ手に入れることはできない、ということで、祖父の原稿は、オックスフォードのボルドレイアン図書館に保存されていました。
 また、私達が日本に滞在中、池田氏の秘書が、イギリスにそっと電話をして、トインビーの原稿について問い合わせていたこともわかりました。
 これが、私達が日本へ招待された目的だったのではないか、と思います。
 しかし、OUPの頑なな態度からして、今後、トインビー・池田対談についての新たな本が世に出ることは、ほとんど考えられません。

年老いた博士を利用した池田
実態見ていれば博士も協力しなかった


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 もし、祖父があれほど年老(お)いていなかったら、また、もし祖父が池田氏のあの異様な取り巻きと雰囲気の中で会っていたならば、けっして池田氏に力を貸すようなことにはならなかったと思います。
 祖父は当時、とても弱っていましたし、人を信じて疑わない、生来からお人好しの性格だったのです。
 もし、私達の招待旅行が、祖父トインビーと池田氏を、よりしっかりと結び付けようとして企てられたものでしたら、それは、まったくの逆効果に終わったといえるでしょう。


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from: 21世紀さん

2011年11月22日 08時25分53秒

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「Re:ポーリー女史の告白」
招待の目的は、さらなるトインビー利用
「池田は祖父と親しくなどなかった」


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 この旅行は、いったい何のためのものだったのか、それは、帰途につくまでに、すべて判明しました。
 私達は来日中、新聞やテレビのインタビューを受け、夫のピーターは国際情勢について、私は祖父について質問をされました。インタビューを受けるたびに、大衆の目には、池田氏とアーノルド・トインビーの仲が、より親密なものとして映ったと思います。池田氏は、自らをトインビーの、公けの代表的な親友であり、スポークスマンであるかのように見せるため、記事やフィルムを造らせたのです。
 私は祖父が、日本でどれだけ有名で重んぜられているのかを、まったく知りませんでした。「オーダー・オブ・ライジング・サン」で受賞してから、祖父の著書は全ての大学で必読書となっていました。
 また、東洋の興隆と西洋の衰退を予言したとして、長い間、彼は日本で崇拝されてきていました。有名な学者によって運営されるトインビー協会もあり、その何人かの人を祖父は昔から知っており、協会では年4回、雑誌も出しております。
 私の祖父は、日本を訪問した際、まったく池田氏には会っていません。祖父の昔からの日本の友人達も、祖父の最晩年の、どちらかというと漠然(ばくぜん)としたインタビューをもとに、池田氏が大袈裟に祖父の思い出を書きたて、自分のために利用していることに対し、明らかに苦々(にがにが)しく思っていました。


これが池田創価学会の実態だ
全てが池田の権力と名声のため


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 創価学会は、戦後の混乱期に何かの団体に属し、自己のアイデンティティを得ようとした上昇志向の強い都会人を集め、急成長した新興宗教の一派です。
 創価学会とは、価値を創造する会という意味で、13世紀の僧侶で現世の利益を主張した日蓮聖人の教えを基礎としています。
 また、まったく民主主義的な要素のない、階級支配的な団体であり、池田氏が絶対的権力を手中に握っている組織です。会員には、1日に2度の勤行以外に、ほとんど宗教的かつ倫理的な修行を課してはいませんが、一方、組織内では、ほとんど絶対的な服従のもとで活動に参加することが求められています。
 池田氏が政党である公明党を作ったことにより、彼がこの権力をどのように使っていくのかを警戒する声をが聞かれはじめました。この警戒感をほぐすため、表向きは、党と創価学会とは分離されましたが、しかし、党の議員は全て創価学会員なのです。
 この公明党(公明とは、きれいな政治を意味する)は、不可思議で複雑な日本の政治の中で、第3党の地位を占めています。“中道政党”などと呼ばれていますが、防衛・外交・福祉などに関して大多数の同意がなされている日本では“中道”という名は大して意味のあるものではありません。
 また日本では、25年間、同一政党(※自民党)が政権を担ってきており、公明党――清い政党であろうとなかろうと――、たとえば、田中派の候補者を助け、その代わり田中派は学会のスキャンダルをもみ消して守ってきました。
 創価学会や公明党を「ファシスト」と呼ぶと、日本の政治を誤解することになります。しかし、その活動は頑(かたくな)なまでに反民主主義の路線で運営されており、絶対的な服従を要求しています。また、そうした国家主義的な面がある一方、非常にアメリカナイズされているところもあります。
 平和憲法を支持し、日本の再軍備には反対しており、また、他の政党と同様、政権を獲得する意志を持っています。
 創価学会は国連では非政府組織、いわゆるNGOとして認められておりますが、それは池田氏に大いに利用されています。つまり、“学会の運動は、世界平和を目指すものだ”との認識を弘め、これが、池田氏と世界の要人との会談を容易にしているのです。
 創価学会創立記念には、各国の大使館から代表者が参列していましたし、フランスの在日大使は主賓として招待されていました。
 それ故、日本に影響力を持とうと考えている人は、池田氏の力を無視することはできないのです。事実、彼の本には、ここぞとばかりに、著名人(たとえば、E・ケネディ、J・ガルブレイズ、そして各国の大統領)との写真が、何百枚と並べられています。


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from: 21世紀さん

2011年11月22日 08時24分00秒

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「Re:ポーリー女史の告白」
池田創価学会の「平和」はニセモノ
池田への集中と、会員集めが目的


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 ある晩、私達は、池田氏がダラスからサンディエゴまでを巡回旅行した際の各地のスタジアムで開かれた第会合の映画を見せられました。
 鼓笛隊とバトンガールのメンバーと何千人もの人が“SOKA”と“PEACE”の人文字を描き、群衆が金切り声にも似た歓声を上げる中、スポットライトに照らし出された池田氏は、相も変わらぬ「平和」についての演説をしました。いつも「平和」です。
 人々の心の中に平和を、世界の国々へ平和を、人間同士に友情を等々――、これが創価学会のいつも言っていることです。
 レーガン大統領(※強いアメリカへの回帰を主張した、好戦的イメージの濃い、合衆国第40代大統領)からの、創価学会および池田氏に対する賛辞と、歓迎の意を述べたメッセージが読み上げられると、スタジアム全体はシーンとなりました。
 その演出効果は抜群で、スタジアムは突然、熱狂的な拍手に包まれました。
 創価学会は、頻繁(ひんぱん)に広島の悲惨さを訴える展示会を開きながら、世界中を廻って平和を説いていますが、これは新会員を集める手段として、大いに利用されているようです。
 私達が、「平和を説いて廻りながら、レーガン大統領からの学会支援メッセージを受け入れるのですか。いったい、学会は何を考えているのですか」と尋ねると、口数の少ない池田氏の男性秘書は「レーガン大統領に投票することと、創価学会のメンバーであることは、別に矛盾しているとは思わない」と答えました。また、イギリス創価学会の代表者は、すぐに次のように付け加えました。「どんな人でも自らを改革していけるのです。レーガン大統領が私達にメッセージを送ったときに、彼もまた命の中を変えることができるということを示した、ということです」と。

正直な感想に怯えたメンバー
池田は権力と自己陶酔の塊(かたまり)


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 私達が、とうとう我慢できなくなったのは、広島での会食会のときでした。
 私達が、創価学会と池田氏との在り方について、その感想を正直に述べたところ、接待役のメンバーは、恐れおののき、その場をなんとかとりつくろって、私達の言葉は最初から聞かなかったかのように振る舞いました。
 私達は、池田氏との真剣な会見ができるよう頼んだのですが、それが池田氏に取り次がれたとは思えません。私達が最後に池田氏に会ったとき、彼の表情からは、私達の声や要望が伝えられている様子など、まったく見られませんでしたか。
 池田氏に最後に会ったのは、創価学会設立記念にあたる日で、映画で見たのと同じような、6,000人の大会合がありました。鼓笛隊による演奏曲は、「ダラス」と「サウンド・オヴ・ミュージック」のテーマ・ソングでした。
 フィナーレの後、池田氏はスタジアムの中を一周し、しっかり予行演習をしてきたと思われる女子グループが、彼の方に体を傾け金切り声で飛ばす、歓声と賞賛を受けていました。
 私達はそれっきり彼とは会いませんでしたが、彼からの別れの贈り物を見て、誰も、私達の彼に対する怒りの気持ちを伝えていないことがわかりました。彼は私達に、絹で製本された大きな本をプレゼントしてくれたのですが、それは、本文などなく、ただ296ページにもわたって、彼自身と彼の家族の写真だけが納められた、驚くべきナルチシズムそのものの本でした。

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from: 21世紀さん

2011年11月21日 22時02分27秒

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「Re:ポーリー女史の告白」
顔は引きつり、心は疲労困憊(こんぱい)
『聖教』に利用された対談の模様

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 夕食後、私達は、大きなアームチェアーの部屋に戻りました。そして、あり余るプレゼント(※ミリーには、大きな人形と計算機。私達には、真珠、トインビー・池田会談の記念アルバム、トインビー・池田会談のサイン入り本など)を贈られました。
 やっと神経のひどく疲れる夜が終わりましたが、私達の頬(ほほ)は、ヒビが入ったような感じに引きつっており、心は、わずかばかりの会話や冗談をしていただけなのに、すっかり疲れ果ててしまいました。
 私達は、白いドレスでおじぎをして見送る女性達の群れと、カメラの前をすぎて、リムジンへと逃げ込むように乗りました。
 翌日、創価学会の全国紙『聖教新聞』の第1面に、夕食時の私達の写真と対談の模様が載っていました。<注4>
 記録(録音)されているなどとは、誰も教えてくれませんでした(もっとも、載っているのは主に池田氏の言葉を伝えたもので、私達は、池田氏の支持者のような形で出ているだけだったの、で大したことではありませんでしたが)。
 私達は、さらなる褒め言葉や宴会と、地方の創価学会組織の歓迎を受けるために、京都と広島へ向けて出発しました。


学会は非民主的な絶対権力の組織
「平和」宣揚も要人との会談も、すべては池田の名声作り

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 広島はあまり楽しい所ではありませんでした。そこは、戦後の平和を願う聖地でした。
 「広島についてどう思いますか。広島について何か言うことはありませんか」と私達は続けて尋ねられました。しかし、展示物を見てショックでしたし、唖然として言葉も出ませんでした。
 ここには、平和と核の悲劇が二度と起こらないようにとの、祈りを込めた国立の殿堂があり、青く晴れた空に原爆が落とされた、あの日のことや、世界が日本に対して何をしたか、という話などを聞かされます。しかし、そこでは、日本が戦時中にしたかもしれないことについては、一言も、その気配すら語られません。
 戦時中、広島には主要な軍事基地が一つ存在しており、そこから、ビルマ、シンガポール、中国、韓国を侵略すべく、軍隊が送り出されていました。これらの国々では、いまだに、日本のイメージと平和を結びつけることは難しいでしょう。


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from: 21世紀さん

2011年11月21日 19時54分46秒

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「Re:ポーリー女史の告白」
明かされた日本招待の目的 /“対談集”続編の出版狙う

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 彼は、次第に祖父の思い出話とロンドンでの会談に話を向けました。
 私には、この、小さな太った体つきの、権力の塊(かたまり)のような男が、ガチャガチャと音のするエレベータに乗って、祖父の薄暗い、ガランとしたアパートの部屋を訪ねた、などということは、思いも及ばないことでした。
 彼には、どんな食べ物が出されたのでしょうか。祖父のところでは、ハムを薄く切ったものとレタスの葉が日常の食べ物でした。
 「彼(※トインビー博士)はじつに偉大な方でした。」
 池田氏は、私の方へ身を乗り出したままの姿勢でそう言い、私をジッと見ました。
 「世界でもっとも偉大な学者です」とも言いました。
 私は、こうしたコメントが、どこか、よその家族に関する見当違いの話ではないか、との考えが頭をよぎりましたが、すぐに心の奥にたたみ込みました。
 「私の使命は、彼の作品を全世界の人に読んでもらうようにすることです。そのために、あなたも協力してくれるでしょうね」と言われ、私は「ノー」とは言えませんでした。
 「約束しますね? 約束してくれますね?」と言われ、彼が私に何を期待しているのか、不安に思いました。
 「そこで突然、彼は“トインビー・池田会談で、まだ出版されていない部分があり、近いうちに出版にこぎつけられる”という事を明かしました。
 この旅行の目的の一部が、ここで明らかになった訳です。<注3>
 その後、私はそれ以上のことを知りましたが……。


池田の表情が突如一変 /その冷たさ、危険を見抜いた女史

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 また、食事が進む中で、気まずい思いをする瞬間がありました。
 彼は私達に、「トインビー博士は別れ際に、私にどんな戒めの言葉を与えてくれたとおもいますか?」と質問してきました。
 考え抜いたあげく、夫が少しヤケ気味に「貪欲(どんよく)であってはならない、ということでしょう」と答えてしまいました。
 すると池田氏の大きな顔は、氷のように冷たい表情に一変したのです。あたかも武士達でも召集して、私達を外へ引っ張り出すのではないか、とすら思えました。
 私は慌(あわ)てて、夫のピーターが言おうとしたのは、例の対談でも、しばしば触れている“人間を支配する利己主義のことについて”のことだ、と説明しました。
 彼は完全に気を落ちつかせてはいない様子でしたが、その場はそれで過ぎました。


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from: 21世紀さん

2011年11月21日 12時43分32秒

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「Re:ポーリー女史の告白」
次々と示される慇懃な応対 /たわいなく、厳粛な会話

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 とうとう彼と会う夜がやってきました。大きな黒いリムジンで、豪華な本部に入っていきました。入り口はカメラのライトで昼間のように明るくなり、深くおじぎをしたままの側近や信奉者に囲まれて、池田夫妻が立っていました。
 この予想もしなかった出迎えぶりに、私達は、目がくらみ、ドギモを抜かれました。
 私達は、彼のもとに導かれ、小さな丸々と太った手と握手しました。そこに立っていた彼は、背の低い、太った男で、髪の毛は油で固められ、上等なスーツを着ていました。
 フラッシュがたかれ、映画のカメラが近づき、私達は大勢の人々とともに、白いドレスを着た女性がおじぎをしている列の間を通り、とてつもなく大きな広間へと入って行きました。
 その大広間には、大きな白いアームチェアーが並べられており、私達は、上座にある、王座のようなイスへと導かれました。
 イスは私達夫妻に1席ずつ、そして池田氏に一つです。
 池田氏は英語を話せないので、私達の後ろには、世界中どこへでも彼のお伴をする、若くて美しい通訳が座りました。
 彼女はマイクの前に座り、私達の一言一言を全て、並んで座っている側近や信奉者達に聞き取れるようにしていました。
 私達は、次から次へと繰り出される慇懃(いんぎん)な応対を受けながら、畏敬と驚きで、唖然(あぜん)としてしまいました。
 池田氏は「今夜はお家にいるのと同じように、まったくリラックスした気持ちでいてください」とか「この特別な機会を楽しんでください」などと言いましたが、私達は、自宅でのくつろぎなどとは、まったく正反対の精神状態におかれていました。
 私達は、約30分間、大衆の面前で、シャンパンをグラスの中で揺すり、スモークサーモンを食べながら、ロンドンと東京の天気について、また都市や風景についてなど、とにかくどうしようもないくらい、たわいのない会話をしました。
 その間、広間に居並ぶ側近達は、厳粛にうなづくのでした。

崇高さのカケラもない池田 /ゾッとする絶対権力の実像

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 池田氏の話し方は、傲慢(ごうまん)かつ他に恐怖心を与えるもので、彼が話を進め、他の人がそれにうなづき従う、といったものでした。
 時として、彼が予期しない、一般的でない意見が述べられると、途端に彼の目には厳しい反応が現われ、警告にも似た冷たさが浮かぶのです。
 私達は、形だけの会話をしながら、この男を観察いたしました。彼は、頭の先からハンドメイドの靴のつま先まで、俗人そのものであり、崇高さのひとカケラも見えませんでした。
 「彼の職業が何か。当ててみろ」と言われても、“宗教家”と答えられる人は、ほとんどいないでしょう。
 私は、多くの有力者と会ったことがあります。それは、首相をはじめ、さまざまな分野の指導者達ですが、しかし、池田氏のように、絶対的権力者の雰囲気をにじみ出させた人物と会ったことはありませんでした。
 彼は、おそらく長年にわたり、あらゆる自分の気まぐれを押し通し、すべての命令に従わせ、そして、それに対する反論や軋轢(あつれき)に触れないよう、守られてきた人間なのでありましょう。
 私はめったに恐怖を感じることはないのですが、彼の中にある何かに、私は体の芯までゾッとさせられました。
 夕食は苦しい体験でした。私達は、伝統的な日本間に通されました。畳に座布団を敷き、池田氏を中心にテーブルを囲みました。
 テーブルの中央には料理人が入り、熱い油の鍋から天ぷらを揚げてくれるのです。
 「あまり堅苦しい話は、今夜は止めにして、ともかく楽しみましょう」と、池田氏は命令口調で言いました。
 私達は、耐えがたい、くだらない会話を、まだ続けなければならないのかと、沈痛な気分になりました。


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from: 21世紀さん

2011年11月20日 22時03分40秒

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「Re:ポーリー女史の告白」
不可解な招待主の歓迎 /「何という大がかりな…」

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 私達が東京に着くと、10人以上の人が出迎えてくれて、私と、びっくりしている12歳になる娘ミリーに、大きな花束が渡されました。
 池田氏からの、長い荘厳な歓迎のメッセージが読まれた後、大きな黒いリムジンに乗せられました。この車は、電動で黒張りとなる窓に囲まれ、車内に敷いた絨毯(じゅうたん)には、池田氏の紋章が金色の糸で刺繍(ししゅう)されていました。
 ホテルに着くまで、車は行列をなして進みましたが、その途中でも、無線を使って、不可解な招待主(※池田氏)からの新たなメッセージが届けられました。彼が私達に対する招待を、どれほど大がかりなものにしたかが、すぐにわかりました。
 イギリスの創価学会組織の代表2人が、ロンドンからずっと私達にお伴してきて、ほとんどいつもそばに付いていただけでなく、通訳や運転手、そして雑用をしてくれる人までが付けられました。
 ホテルの14階から、たくさんの滝と橋と鯉の庭園に目をみはっている私達のもとへ、「池田氏は“ご自宅のような気持ちでくつろいでください”と言われています」とか「池田氏は“あらゆるホテルのサービスと36のレストランをご利用いただきたい”と望んでいます」とかいう伝言が、次々と届きました。

莫大な富と権力を持つ組織/ 池田の虚像崇める会員達

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 数日後、この不可解な招待主に会うまでの間に、私達は、池田氏と創価学会について、いろいろわかってきました。
 なかでも、まず挙げておきたいことは、この組織は、莫大な富と権力と政治力を持っている、ということです。
 この団体について書かれたある本では、「この大規模な宗教的・政治運動を理解せずに、日本の戦後を語ることはできない」とまで言っています。
 また、この組織は数々の出版物を出していますが、中には400万部を越える新聞(※聖教新聞)があります。
 そして、日本において3番目に大きな抱えています。
 会員数は1,000万人で、まだ増え続けています。7,000人の学生が学ぶ総合大学、美術館等を有しています。
 池田氏は、1930年代に創価学会ができて以来、3代目の会長です。組織が飛躍的に大きくなり、力を持ちはじめたのは、彼の代からです。
 彼は大森のノリ屋の息子で、あまり教育は受けていません。創価学会の青年の長であった32歳のときに、会長に就任しました。
 そして、いわば伝統的社会からはみ出した人々を集め、組織的に強く団結させ、低中流階級を主とする運動としたのです。
 昼夜、彼の側近に囲まれていた私達は、彼の名前が畏敬(いけい)の思いを込めて述べられているのを聞きました。
 引退したビジネスマンである英国組織の長は、「池田氏は、自らを人間革命した方だ」と語っていました。
 他の人々は、彼の書物、心、詩、精神、そして彼の撮った写真さえも挙げて、彼を“偉大な存在である”と証言しました。
 なお、後で、彼の写真の撮り方を見ることができましたが、彼は、側近がフィルム入りのカメラを渡すと、腕を伸ばしてカメラを構え、ファインダーも覗かないまま、適当にシャッターを切っていくのです。
 その撮り方について質問をすると、側近は「先生は、写真を目で撮るのではなく、心で撮るんですよ」とささやきました。


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