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  • from: 21世紀さん

    2009年02月12日 23時52分53秒

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    故・山崎正友氏、奥様の手記

    「夫・山崎正友のこと」

    理境坊信徒山崎桂子さん

     昨年十二月二十九日、夫・山崎正友が死去しました。振り返れば故人の人生は長い創価学会との闘いでした。

     平成八年二月に私と再婚してからも、その闘いは続いておりました。びっくりするのは、結婚生活十二年間、休むことなく創価学会関係者からの尾行が続いていたことです。

     そんな中でも夫・正友は野菜作りに喜びを感じ、スイカ・ジャガイモ・大根・夏野菜等の収穫を楽しんでおりました。園芸も大好きで、家の周りをいつも四季折々の花で埋め尽くしておりました。二年半ほど前から私は友人と二人で、自宅の一階を事務所として、小さな会社を立ち上げました。

     友人も夫・正友の優しい人柄に打ち解け、仕事の合間に畑作りを教わって、昼休みにはいつも楽しそうに畑に出かけておりました。ところが、そんな彼女が、ある日「びっくりよ。畑の中に、目立たないように大きな穴が掘ってあって、落ちて転んでしまったわ。それに穴の中には針金のような物が剌してあって、危うくケガするところだった」と、立腹して帰ってきました。

     また、別の日には、豆の葉やトマト畑一面にセメントが撒かれていたり、ペットフードが撒かれていることもありました。バケツに「死ね」と書いてあることもあり、嫌がらせは日に日にエスカレートしていました。友人は怒り、呆(あき)れ、嘆(なげ)きましたが、夫・正友は穏かに、怒りに震える友人を静かに慰(なぐさ)めていました。

     友人は日蓮正宗の信徒ではありませんが夫・正友の生きる姿勢に真の信仰者としての姿を見ていたようです。友人は「人を見ればその人の信じるものの真の姿が分かります」と言いました。

     そんな日々が続く中、去年は次第に体力も落ち、食事が摂(と)れなくなっていきましたが、それでも必死で生きる努力をし、闘いに力を尽くしておりました。好きだった野菜作りもやめ、園芸も少しずつ関わる時間を短くし、体力の続くかぎり、創価学会との闘いに全力を尽くしていたのです。



     亡くなって知ったのですが、『慧妙』一月一日号に掲載されておりました手記「続・あの頃のこと」に、「私自身、いつまで生きられるか分かりません」と、自分の命が長くないことを自覚した文面が書きつづられておりました。夫・正次は創価学会の教えの誤りを正す活動を死ぬまで続けておりましたが、一度も怨念(おんねん)による個人攻撃はせず、ただ信仰者としての正しい姿勢、僧俗の正しいあり方を伝えることのみに智力を尽くしたと思います。

     亡くなる二日前、飼っている猫「幸四郎」の頭をなでながら、「お父さんはいろいろ大変だったけど、とても幸せだったよ」と語っていました。そして亡くなる当日、私と共に最後の勤行・唱題を務めた後、何の苦しみもなく、本当に気持ちの良さそうな表情のまま、静かに息を引き取ったのです。

     最後まで自分の意志を貫き、また頑張り続けた夫・正友の生き方に、私は称賛の言葉をかけてあげたいと思います。

    ◇  ◇  ◇

    編集室より
    山崎氏の告別式は亡くなって八日後の一月六日に執(と)り行なわれましたが、参列した学会脱会者の方からも「八日も経(た)っているのに、顔色も生前と変わらず、穏やかな表情で、本当に驚き感激しました」との声が寄せられています。

    山崎正友氏のご冥福(めいふく)を、衷心(ちゅうしん)よりお祈り申し上げます。

    2009年1月16日 慧妙紙より

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    王様 金吾

コメント: 全1件

from: 21世紀さん

2009年05月13日 11時55分26秒

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「Re: 故・山崎正友氏、奥様の手記」
憎悪の批判者攻撃
山崎正友氏(元創価学会顧問弁護士)死去に狂信者が跳梁(ちょうりょう)
-遺体を10台の車で追跡、怪文書や嫌がらせ電語も―

(『慧妙』H21.1.16)

 去る12月29日、本紙にも健筆を揮(ふる)ってきた元創価学会顧問弁護士・山崎正友氏が逝去(せいきょ)された(享年72歳、戒名は随法院正賢日成居士)。
 山崎氏はかつて、池田x作の側近中の側近として、創価学会副理事長・総務などの要職を歴任、学会顧問弁護士として辣腕(らつわん)をふるったが、昭和52年に表面化した第1次学会問題の最中、対立する側の日蓮正宗御法主・第66世日達上人の御高徳にうたれ、池田側近でありながら学会批判に転じた。
 そして、かつて山崎氏らが北条浩(第4代会長。故人)の決裁のもと、組織ぐるみで行なった共産党宮本委員長宅の盗聴事件を暴露(ばくろ)するなど、激しい内部告発を展開したのである。
 学会の組織は大揺れに揺れた。それはそうだろう、学会が日蓮正宗宗門を支配しようと企んでいた仏法上の大謗法をはじめ、対立政党の委員長宅を盗聴していたことなど、次々と悪事が露呈(ろてい)して、連日のようにマスコミを賑(にぎ)わしたのだから。
 これによって窮地(きゅうち)に陥(おちい)った池田x作の側は、必死の巻き返しを行ない、その狡猾(こうかつ)な策略と讒言(ざんげん)によって、あろうことか山崎氏は日蓮正宗からも離反してしまう、という不幸な事態となってしまった。
 さらに、創価学会から恐喝罪で告訴され、山崎氏は一貫して無実を主張したものの、学会側で用意した多数の証言の前に、ついに2年2ヵ月の実刑判決を受ける身となってしまったのである。
 平成5年に出所した山崎氏は、翌年、幾度もの再折伏を受けて自らの謗法に気付くことができ、平成6年12月、第67世日顕上人にお詫(わ)び申し上げて、理境坊信徒として復籍を許された。
 以来、再び学会批判に立ち上がり、今日までの14年間、多数の書籍を物してきた。
 かつて山崎氏の内部告発で深刻な影響を受けた池田x作は、この山崎氏の動向がよほど恐かったらしく、まるで世の全ての学会批判を山崎氏が起こしているかのごときヒステリックな反応を見せ、学会機関紙誌には山崎氏への悪口雑言が並ばぬ日はなく、また氏の周辺には常に大勢の謀略(ぼうりゃく)要員が見張りとして張り付くほどであった。
 だが、そのような攻撃もどこ吹く風で、山崎氏は平然と学会批判を貫いたのである。
 そして、ここ数年、山崎氏は「今までの人生で、これほど安らかな心で過ごせたことはありませんでした。本当に猊下のおかげです」と、幾度も口にし、また筆にもしていたが、その言葉どおり、氏の最期は本当に安らかで、満足しきったものであった。
 12月29日、山崎氏の遺体を乗せた救急車や葬儀社の車を、深夜まで10台もの車で追跡したり、「地獄行き」などと書き殴った怪文書を出し、1月5・6日の葬儀当日には、嫌がらせの電話や電報を会場に入れ続けた狂信者集団の面々―。
 彼らは、学会の副会長・総合婦人部長といった大幹部らの死亡がすぐには公(おおやけ)にされず、一般の学会員達の知らぬ間に火葬まで済まされている、という事実と、片や、山崎氏の葬儀には多数の人が入りきれないほど集って最期のお別れをしている、という事実を引き較べ、自らの信仰に何の疑問も抱かないのだろうか。ならば、次の御金言をよくよく拝すべきであろう。
 「人は臨終の時、地獄に堕つる者は黒色となる上、其の身重き事千引(ちびき)の石(いわ)の如し。善人は設ひ七尺八尺の女人なれども色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鵞毛(がもう)の如し、軟(やわ)らかなる事兜羅綿(とろめん)の如し。」(御書1290頁)
 「なにとなくとも一度の死は一定(いちじょう)なり。いろばしあしくて人にわらわれさせ給ふなよ。」(御書982頁)

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