新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

新規登録(無料)

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

創価学会SGIを本音で語ろう

創価学会SGIを本音で語ろう>掲示板

公開 メンバー数:97人

チャットに入る

サークルに参加する

サークル内の発言を検索する

新しいトピックを立てる

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: 21世紀さん

    2009年02月27日 11時42分48秒

    icon

    御法主上人猊下御講義 立正安国論

    於夏季講習会第1・2期
    <立正安国論講義の開講に当たって>
    皆さん、おはようございます。今回、平成21年の『立正安国論』正義顕揚750年に向かいまして、宗門僧俗一致しての正法護持興隆・行学増進に励む次第であります。そういうことから、本年度よりまた、この夏期講習会を始めることになり、今回は第2期に当たります。昨日から、それぞれ担当講師によりまして、折伏その他のいろいろな重要な行学に関する話があったことと思うのであります。

    本年度は『立正安国論』正義顕揚750年を6年後に控えた、その最初の年といたしまして、『立正安国論』を拝読して、皆様と共に大聖人様の深い御仏智を拝したいと思うのであります。それで、講義の内容を考えましたが、『安国論』の始めから終いまでの御指南の量は、たとえば『開目抄』とか『報恩抄』『撰時抄』というような御書はとても長い御書でありますが、それに対してもっと短い御書も御消息等においてはあるわけで、この『安国論』は、ちょうどその中間くらいの長さになります。

    そこで、全10期にわたっての講義の内容をどのようにしたらいいかということを考えた挙げ句が、『安国論』全体を5つに分けさせていただき、第1期と第2期を最初の部分、次のところを第3期と第4期というような形で行うことにいたしました。したがって本日は、先般の第1期のときに拝読いたしました『安国論』の最初の部分を、もう1回拝読する次第であります。


    <安国論建白の背景と意義>

    最初に、この『安国論』は、どのような縁由によって示されたかと申しますと、その当時、数年にわたって大風・大雨・洪水・飢饉・疫病・大地震等の災害がずっと重なったのであります。これは日本国中が正に背き、邪を行っておるところの謗法に因るということを大聖人様が御覧になりまして、しかも王臣共にこれを覚らず、したがって仏の弟子としてその謗法を戒め、不義・邪悪を諌めるということが、この『立正安国論』を作り、最明寺入道時頼に献じられたその意義であります。

    しかし、これは一往、文に付しての形の上からの縁由でありますが、再往の深い元意におきましては、久遠元初自受用報身という根本の仏様が末法において再誕をせられ、そして法華本門の下種の大法を、その大行者たる日蓮大聖人によって末法万年の正法広宣流布のため、一切の民衆、一国乃至全世界への折伏諌暁の書であると拝して、しかるべきと思うのであります。

    その時は、人皇(にんのう)90代・亀山天皇の御宇(ぎょう)でありました。いわゆる文応元(1260)年7月16日に奏呈をされました。そのときの将軍は、鎌倉9代の中の第6代・宗尊(むねたか)親王であり、執権は北条長時という人でありましたが、政治の実権はその前に執権を務めた最明寺入道時頼の手にあったのであります。時頼は4年前の康元元(1256)年に落髪をして入道となりましたが、なお政務に携わっており、したがってその政治の権力を持つ実力者として存在しておりましたから、宿屋入道光則(みつのり)に託して、この『立正安国論』を時頼に献ぜられた次第であります。

    その主意は、第一に未来の大災難、これは経文等に明らかに示されるところの自界叛逆(じかいほんぎゃく)の難と他国侵逼(たこくしんぴつ)の難、この2つは、それ以外のたくさんの災難が現れておるこの時点においても、まだ現れていなかったのであり、かかる大災難の起こるべき所以を、予言書として示されたのであります。第二に、その災難の原因としての謗法の誤りを指摘して、これを強く諌められておる。すなわち仏法上の謗法に対する諌めであります。それから第三には、衆生の現当二世にわたる救済のために、その謗法の罪を糾されるという意義があります。

    しかるに、文永9(1272)年の2月にこの予言の一つである自界叛逆の難が起こりました。さらに文永11(1274)年10月と弘安4(1281)年5月の2回にわたって蒙古の国が攻め寄せてきて、他国侵逼の災難の大予言が、まさに寸分も違わず的中したわけであります。これまさに、このことを通じてさらに下種の御本仏が未来末法万年にわたるところの日本乃至世界における真の正法護持、立正安国により真の平和に至る道を示された大予言であり、その大指針であります。


    <安国論の題号について>

    次に、「立正安国」の題号ということについて申し上げます。

    「立正安国」というのは「正を立てて国を安んずる」ということです。この依拠は経文にたくさんありますけれども、法華経の『方便品』に、「正直捨方便・但説無上道(正直に方便を捨てて、但無上道を説く)」(法華経124ページ)という文があります。すなわち、従来の爾前経、大乗・小乗等の四十余年の経々はすべて方便教であるということを、釈尊自らがはっきりと決定した上で「正直に方便を捨てて但無上道を説く」ということを説かれたのであります。この正直に方便を捨てるということは、方便にいつまでもとらわれて真実を見ないところが邪道であり、その邪を破すという意義であります。また無上道を説くのが正法を立てること、顕正であります。いわゆる「破邪顕正」が、この「立正」であります。

    次に、「正」の内容は非常に深く、また広いのであり、すなわち五重相対が考えられます。これは第一に内外相対、次が大小相対、第三番目が権実相対、第四番目が本迹相対、第五番目が種脱相対で、この5つの相対の上からはっきりと浅深勝劣をつける。そこに本当の「正」の意義と衆生を開導する徳が現れるのであります。

     ・内外相対

    第一の「内外相対」ということは、内道すなわち仏教は法界の一切と過去・現在・未来の三世にわたるところの正しい原因・結果、さらに因縁・果報ということをはっきり正しく述べておるのであります。しかるに、外道たる他の哲学・宗教等においては、このところがまことにはっきりしておりません。イスラム教やキリスト教など、その他世界中にはたくさんの宗教がありますけれども、それぞれの神様が出来た原因は、全く説いておりません。神は元々存在するというのです。しかし、これは一切万物の、原因があって結果があるという理法に反するのです。仏教においては、仏も仏としての原に成る原因がある。また、それによって一切衆生がその筋道の上から本当の仏の修行と悟りに基づいて、真の幸せを得ることができるという次第であります。

    また、因縁因果は、そのまま善因善果、悪因悪果という大原則に通じています。この善因は必ず善果を生じ、悪因は悪果を生じるという因果の理法が徹底していないために、今、世の中において「目前の結果さえ良ければ、悪いことをしても平気である」というような誤った思想が現れておるのであります。その悪見が、今日の世界の様々な不幸と大動乱を起こしておるということが言えるのです。

    したがって、内外相対した場合に、「内道」の仏教と、仏教以外の教えの「外道」との相対において、仏教が因縁因果の道理を説く故に本当に正しい教えであるということ。その筋目から見ないと、この『立正安国論』のこれから拝読していくところの本当の意義が判りません。やはり仏の教えをきちんと正しい意義と筋道において見ることにより、はじめて「正」が立つわけであります。それが第一の内外相対であります。

     ・大小相対

    次は「大小相対」です。この「小」というのは小乗のことで、同じ仏教の中でも小乗と大乗の区別があり、仏教は外道に対すれば正しいけれども、大乗と小乗を内容の上から相対すれば、小乗は非常に視野が狭いのであります。教えの内容が、単に六道の迷いから抜け出して、より安穏な灰身滅智(けしんめっち)のところに行こうということにすぎません。ですから法界全体の存在とその因果の姿、またその大きな法界観、世界観によるところの修行の道が欠けているのであります。したがって、小乗は自分だけが迷いを去って悟りを開けばいいということだけで、他の苦悩の相を見ることができないのです。

    しかし実際には、世の中は決して自分一人だけの存在ではありません。必ず他との関連において善悪、正邪、幸不幸等、あらゆることが存在するのです。したがって、自分が善い行いによって幸せになっていくと共に、他をも導いていくということがなければならない。故に、小乗は「空」の真理を示すのみであるのに対し、大乗は「空」と「仮」と「中」の真理観が説かれます。それらをはっきりと示して、全体観の上から教えを説くのが大乗の教えであります。

    したがって、小乗と大乗を相対するならば、小乗に対して大乗こそ真実の正法であるにもかかわらず、小乗が大乗に背くならば邪の意義が生じます。故に「正を立てる」とは、小乗を廃して大乗を立てることが大小相対の意味であります。

     ・権実相対

    次が「権実相対」。「権(ごん)」とは「かりのもの」方便の意で、「実」とは真実の意です。仏教五千七千の経巻を大きく分ければ、方便と真実に分かれます。この方便教として華厳・阿含(あごん)・方等・般若等の四十余年の諸経が説かれておりますが、それに対して「正直に方便を捨てて、但無上の道を説く」と、釈尊が法華経においてはっきりと宣言され、法華経こそ一切の衆生を真に導き幸せにするところの教えであると示されました。

    そうすると、この権教によって宗旨を立てておるところの、いわゆる念仏・禅・真言・律等、様々な仏教における権大乗の宗旨は、すべて正法を無視し、正法の意義と価値に背いておるところに邪の意味があるのです。その邪を打ち破って、真実を立てるところに権実相対における「立正」の意義があります。特にこの『立正安国論』においては、大聖人様の御一期(いちご)のうち最初の御化導の形として、まず第一に法然(ほうねん)の念仏宗の邪義を中心として破折されており、これがこの権実相対の内容からの破折に当たるのであります。

     ・本迹相対

    その次が「本迹相対」です。これは法門の上から言うならば、本門の大法をもって根本とし「正」といたしますから、爾前迹門にとらわれた考え方は邪法となります。その法華迹門を中心とする宗旨として天台宗があります。これは一往、法華経の教えをもって正しく仏法を立てたものであるけれども、まだ権実相対までがその教義の主意になっておりまして、きちんとした形で本門と迹門とのけじめがついていないのであります。これは迹門付嘱の天台や伝教の法義としては当然のことなのです。

    しかし、すでに時の過ぎた、像法の時代の衆生を導く法華迹門にいつまでもとらわれることは邪法となり、末法においては法華本門の教えをもって爾前迹門との区別を立てていくところに「立正」の「正」という意義が存するのであります。

     ・種脱相対

    [本尊] 最後は「種脱相対」です。これは下種の法華本門の教えこそが本門の宗旨の実体であり、大聖人の御出現の目的でありますから、その種脱に迷乱するところの日蓮他門家はことごとく、「立正」と口では言っても真実の「立正」ではありません。それは何かと言えば、下種の本尊とその三大秘法こそが真の「立正」の「正」という意味であり、末法万年の下種仏法の弘通、化導の上にはっきりと示された大法であります。そこに種脱相対しての「立正」とは、三大秘法の妙法大漫茶羅、本門戒壇の本尊であります。その意義はすでに大聖人の『立正安国論』の中に深く篭(こ)められておるわけですけれども、ただ化導の具体的な形としては、文永、建治、弘安等、御一生の御化導の上から、それが次第に現れてくるのであります。

    さて、「立正」とは「三大秘法」であるということよりして、この「正」とは何かと言うと、第一には「妙」ということなのです。「妙」が「正」、「正」がまた「妙」です。ですから「妙」ということを離れて真実の「正」はないのです。

    故に「妙」についてさらに本仏の悟りを拝するならば、それは「妙法蓮華経」の五字であります。この妙法蓮華経の法体のもとについて、大聖人様が『観心本尊抄』に仰せであります。すなわち、末法万年を救う法華経の根本的な付嘱の要旨として、「此の本門の肝心、南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶(なお)文殊・薬王等にも之を付嘱したまはず、何に況んや其の已外をや。但地涌千界を召して八品を説いて之を付嘱したまふ。其の本尊の為体(ていたらく)、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏…」(御書654ページ)と示されております。右の文の「本尊の為体」というところに、特に注目すべきです。

    すなわち妙法蓮華経とは、地涌の菩薩に付嘱された法華経本門の根本の法体としての本門の本尊なのです。ですから「立正」の「正を立てる」ということは、三大秘法を立てるということであり、その第一は「本門の本尊」を立てることであります。本門の本尊を正しく立てることが「立正」の「正」なのであります。

    [題目]さらに、この御本尊を顕す目的は、一切衆生に正しい修行をさせるためである。ですから、この正境の本尊に縁するということは、正しい本尊に縁して初めて信心が正しくなるわけです。信心が正しくなるから、また「行」というものが正しくなるのです。もし間違った「行」をしていたら大変です。いつの間にか不幸になっていき、未来は地獄に堕ちるような結果となります。

    すなわち正しい「行を立てる」とは、本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えることであり、これがいわゆる「行」についての「立正」であります。ですからこれは「本門の題目」です。

    [戒壇]また、次に「正」とは「一」に「止」まると書きまして、この「一」とは、三に非ず、五に非ず、七に非ず、九に非ず、三乗、五乗、七方便、九法界を超絶し、かつこの一切を含む久遠元初の実相たる人法体一の法体です。これについて、「一大事の秘法を霊鷲山にして相伝」(同1569ページ)という『南条殿御返事』の中の大事な御文があります。その御本尊を所持されて末法に出現し給う大聖人様のおわしますところ、またその御魂を墨に染め流して御顕示あそばされた本門の本尊のところに妙法の法体が止(とど)まるわけであります。

    「止まる」とは、すなわち住する、そこに存在するということです。したがって、止まり住するということは、本尊の住するところの意義であり、すなわち「本門の戒壇」であります。ですから、先般、皆様方の尊い御供養によりまして立派な奉安堂が出来ました。この奉安堂に本門戒壇の大御本尊様を御安置申し上げておるところが、すなわち本門の戒壇であります。

    さらに、戒壇に関する根本的な大聖人様の御指南の上から拝するならば、『一期弘法抄』『三大秘法抄』のごとく、「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」(同1675ページ)と示された戒壇は、また広宣流布の時の戒壇です。そのような意味において、日本国乃至世界の衆生の妙法受持の功徳をもって立てる事の戒法の顕現たるところの戒壇。それがまた「立正」の「正を立てる」という意味に当たります。故に「立正」とは、末法万年に弘通するところの本尊と題目と戒壇、すなわち三大秘法であるということ、これをまず申し上げておく次第であります。



    • コメントする

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 27
    • 拍手する

      サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全27件

from: 21世紀さん

2009年02月27日 16時54分51秒

icon

「Re:御法主上人猊下御講義 立正安国論」
創価学会なども、今、世間の宗教に迎合して大聖人の教えの本筋を捨て、世の中をうまくごまかすため、あらゆることを言っておりますが、あれはすべて大聖人様の真実の教えではないのです。真実の教えではないから、その言っていることはみんな方便以下のまやかしに過ぎないわけで、そのようなものを一切捨てよということです。

そしてさらに、「南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩・業・苦の三道、法身・般若・解脱の三徳と転じてへ三観・三諦即一心に顕はれ、其の人の所住の処は常寂光土なり。能居(のうご)・所居、身土・色心、倶体倶用の無作三身、本門寿量の当体蓮華の仏とは、日蓮が弟子檀那等の中の事なり」(同)と。

このところに「能居・所居、身土・色心」とありますが、御題目を唱える人の命が下種本仏の悟りと同じく、無作の法身・報身・応身という、三身の上の功徳を成就していくことを説かれてあります。したがって、その功徳を成就することによって、直ちにその人の所住のところが仏国土となると示されるのであります。

南無妙法蓮華経と唱えるところ、その身がそのまま法の姿を表す。これが、「身土一念の三千なり」(同106ページ)と言われるところの「身」と「土」、つまり衆生の身体と国土が融妙(ゆうみょう)な関係において常楽我浄という四徳の功徳を成ずるという意味であります。依報(えほうし)と正報(しょうほう)という言葉がありますが、その正報は我々衆生であり、依報は国土であります。国土が存在しなければ、我々の生活、我々の身は存在しないわけです。故に、身と土ということは非常に大事な相関関係にあることを、ここでおっしゃっておるのであります。

南無妙法蓮華経と唱えるところが、そのまま三観・三諦即一心に顕れる。と同時に、「能居・所居」、これは能(よ)く居し、居される所、すなわち衆生の身とその身が存する国土を言うわけです。この場合は、我々の体がその妙法の功徳を成就する形において、無作応身を成就するということになります。それから「身土」とは、本有の四徳と修徳の四徳を能所とする身と、その身の所依となる土との融妙な法の体を言われるので無作法身であります。また「色心」とは色法と心法ですが、これはそのまま我々衆生の色法を依拠として心法が存するという上から、その深い悟りを生ずるところが無作報身を意味します。その無作報身の功徳が十法界を遍く照らすのであります。要するに、我々のこの信心の姿が御本尊に冥合し、そのまま無作三身として顕れるということを仰せになっておるのであります。

この『立正安国論』の御文も、強固な信心の上において仏国も衰えることがなく、十方もまた宝土となり、その宝土も壊れることがないと示されます。ここは法華経における三変土田(さんぺんどでん)の変革の上からの宝土の意義も含まれておると思います。

 ・国に衰微無く土に破壊無くんば身は是安全にして、心は是禅定ならん。

身と国土の上に変化災難がなければ、我々の身心は安らかにして幸福の境地が定まるのである。

 ・此の詞此の言信ずべく崇むべし。

しかし、このためには邪を破して正を立てるということが大切であり、それが「此の詞」に当たるわけであります。それによって必ず仏国土が成就されるということが、その次の「此の言」に当たっております。要するに立正安国は、信仰の寸心を改め、速やかに実乗の一善に帰するというこの文に明らかに示されておるのであります。


<正に帰して領納す>

次が、最後の客の領解であります。


客の曰く、今生後生誰か慎まざらん誰か和(したが)はざらん。此の経文を被きて具に仏語を承るに、誹謗の科至って重く毀謗の罪誠に深し。我一仏を信じて諸仏を抛ち、三部経を仰ぎて諸経を閣きしは是私曲の思ひに非ず、則ち先達の詞に随ひしなり。十方の諸人も亦復是くの如くなるべし。今世には性心を労し来生には阿鼻に堕せんこと文明らかに理詳らかなり疑ふべからず。弥貴公の慈誨を仰ぎ、益愚客の癡心を開き、速やかに対治を廻らして早く泰平を致し、先づ生前を安んじ更に没後を扶けん。唯我が信ずるのみに非ず、又他の誤りをも誡めんのみ。

 ・客の曰く、今生後生誰か慎まざらん誰か和(したが)はざらん。

この「今生」とは現世のこと、それから「後生」とは来世のことです。客は従来の主人の懇(ねんご)ろな教示によって今までの執着を離れ、この現当二世の意味から謗法を深く恐れ、かつ誡めて、主人の一言われるところの立正安国の趣旨にしたがわなければならないということをここに述べるのであります。

 ・此の経文を被きて具に仏語を承るに、誹謗の科至って重く毀謗の罪誠に深し。

すなわち「あなたの言葉を承ったことにより、正法を誹謗するところの科が重いこと、また法を謗るところの罪が深いということが判りました」と、まず申します。

 ・我一仏を信じて諸仏を抛ち、三部経を仰ぎて諸経を閣きしは是私曲の思ひに非ず、則ち先達の詞に随ひしなり。

つまり私は法然の捨閉閣抛の教えを信仰し、阿弥陀仏を信じて他の仏を抛(なげう)ってしまい、また浄土の三部経のみを仰いで他の諸経を手に取ろうともしなかったのは、私が自ら曲げて考えたことではありません。すなわち念仏のみを正しい教えとして勧めたところの法然等の人々の詞にしたがったのであります。

 ・十方の諸人も亦復是くの如くなるべし。

しかし私のみならず、他の多くの人たちも、すべてこのような誤りを犯していることでしょう。

 ・今世には性心を労し来生には阿鼻に堕せんこと文明らかに理詳らかなり疑ふべからず。

それによって、心の表面のみならず、本性を煩(わずら)わすことによって様々な悩みを生じ、また来生には阿鼻地獄に堕ちることが経文に明らかであると共に、その道理が詳らかであることから、それは疑うべからざることでありますと、このように客が自らの領解を述べるのであります。

次が、最後の客の誓いの言葉となります。

 ・弥貴公の慈誨を仰ぎ、益愚客の癡心を開き、速やかに対治を廻らして早く泰平を致し、先づ生前を安んじ更に没後を扶けん。

これは一番最後の大事な御文であります。つまりあなたの慈悲の諭(さと)しをいよいよ仰ぎ、私の誤った心、無智な心を開いて、速やかに災いのもとであるところの謗法を対治し、早くこの世の泰平を見るために努力をいたします。そして生前、つまり現世における身心や国家社会が安らかとなるよう、また没後、つまり死後が幸せとなるよう、この現当二世の意味から願い行じてまいります、ということが客の最後の誓いであります。

 ・唯我が信ずるのみに非ず、又他の誤りをも誡めんのみ。

そして、次の最後の一文がまことに大事なのです。これは自分だけが信じるということではなく、他の人々の誤りをも誡めてまいりますという決意です。

このことを大聖人様は、また自行化他の南無妙法蓮華経とおっしゃっております。自らが正法を行ずると共に他にもこれを勧めていく。他に勧めるためには、他の人々が持っておるところの誤った人生観・世界観、乃至宗教観を折伏することが大切であります。折伏をすることによって正法への眼を開かせ、化他の道が成就していくということになるのです。したがって「又他の誤りをも誡めんのみ」というのは、自行の上の化他の折伏であり、それがこの『立正安国論』の趣旨になっております。したがって、我々も縁のあるところから折伏を行っていくことが大事なのです。

しかしながら、大聖人様があの当時においていろいろな謗法がある中で、その中心としてまず法然の『選択集』における邪法邪義を『立正安国論』において指摘あそばされたということは、当時としての衆生の機根や罰の現証の上から大事な意味を持っておったのです。けれども今日では、いろいろな意味において謗法の姿が大きくなり、また変わってきております。

そこで第四問答の最後に、主人の答えとして、「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」(御書241ページ)という有名な御文がありますが、この「一凶」ということにおいて、当時、大聖人様は法然の『選択集』を謗法対治の基準とされてお示しになっておるのであります。当時は念仏の教えによって、様々な人が臨終の際に、地獄に堕ちて行くような悪相を現じていたということが、当時の文献において明らかであります。

今日においては、多くの人々がありとあらゆる信仰をしておる姿がありますが、それらはやはり本当の意味で成仏するところの教えではありませんから、これを折伏していくべきであります。しかしながら、今日における「一凶」ということの意味からいけば、これはいわゆる正法の門を出でて邪法の獄に走ったところの創価学会が、最もその邪悪な姿として顕れていることを知るべきであります。その元凶は言うまでもなく、あの池田xxであり、その池田xxの体質をすベてそのまま受けたような形で、偏狭で自己中心の我意識をもって世間に誹謗と邪義の思想をまき散らしておるのが、創価学会の今日の姿であります。

彼らは日蓮大聖人の教えなどと言いますが、彼らの主張するところは全く大聖人様の仏法ではありません。先ほども申し上げましたように、大聖人様は常に正しい修行と振る舞いをもって、真の仏法、南無妙法蓮華経の法体とされておるのであります。ですから妙法を弘める上において、誹謗や邪義をもって世の中を誑(たぶら)かしていこうという考え方は、まことに大聖人様の仏法ではないのです。口先だけ「大聖人、大聖人」と言いながらも、実は大聖人様の仏法に徹底して背いておる。このような矛盾した考え方は、大変な誤りであると言うべきであります。

大聖人様は、「かゝる日蓮を用ひぬるともあしくうやまはゞ国亡ぶべし」(同1066ページ)とおっしゃっております。つまり日蓮大聖人、日興上人に背いて、仏法を惑乱しておるところの創価学会の者どもは、特に池田xxを中心とする大幹部の者どもは、堕地獄必定であると、ここにはっきりと『安国論』の教えに基づいて申し上げるものであります。

したがって、この一凶を禁じ、また救うべき意味において、一人でも多くの創価学会員、またそれ以外の人々にも慈悲の折伏を行じ、日蓮正宗の正しい仏法へ導くことが大切であります。なお今日、創価学会の誤りをいろいろに指摘しておる本がたくさん出ておりますが、それらもお読みになれば、参考になる点も多いかと思います。


今、宗門は「『立正安国論』正義顕揚750年」に向かって進んでおります。是非、皆様方には、この最後の御文「唯我が信ずるのみに非ず、又他の誤りをも誡めんのみ」という、このところを心肝に入れられまして、縁のあるところから一人でも多くの人の迷妄を開き、正しい信仰の道に導かんという気持ちをもって精進していただきたいと存じます。

たとえそれが一人であったとしても、それだけこの世の中が明るくなっていくのであるということを確信されて、あらゆる面から折伏の意義を常に実践していかれること、それが『立正安国論』の正義顕揚に当たるのであります。

皆様の御精進を心よりお祈り申し上げまして、私の『立正安国論』の拙講を終わる次第であります。(題目三唱)



  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト

from: 21世紀さん

2009年02月27日 16時50分03秒

icon

「Re:御法主上人猊下御講義 立正安国論」
・乃至其の王久しからずして当に重病に遇ひ、寿終の後大地獄に生ずべし。

この大集経の文は、前に一度挙げてあります。そこでは右の文の中の「乃至」の部分に「其の国当に三つの不祥の事有るべし。一には穀貴、二には兵革、三には疫病なり。・・・内外の親戚其れ共に謀叛せん」の文が入っており、これは現世における災難についての文です。しかるに、ここでは死後未来について示されることから、現世の部分の文は省かれておるのです。そして「乃至」の次に、その王は久しからずして重い病に遇ってその寿命を終え、死んだ後は大地獄に生ずるであろう。

 ・王の如く、夫人・太子・大臣・城主・柱師・郡主・宰官も亦復是くの如くならんと。

また王のみならず、夫人・太子・大臣・城主・柱師・郡主・宰官等、つまり同一国土に王と一緒にその因縁果報を受けておるところの者たちが、すべて共に地獄に堕ちるであろうという仏の教説です。国土因縁を同じくする衆生には、やはり一蓮托生(いちれんたくしょう)という意味があるのです。


仁王経に云く「人仏教を壊らば復孝子無く、六親不和にして天神も祐(たす)けず、疾疫悪鬼日に来たりて侵害し、災怪首尾し、連禍縦横し、死して地獄・餓鬼・畜生に入らん。若し出でて人と為らば兵奴の果報ならん。響きの如く影の如く、人の夜書(ものか)くに火は滅すれども字は存するが如く、三界の果報も亦復是くの如し」と。
法華経第二に云はく「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」と。又同第七巻不軽品に云はく「千劫阿鼻地獄に於て大苦悩を受く」と。涅槃経に云はく「善友を遠離し正法を聞かず悪法に住せば、是の因縁の故に沈没して阿鼻地獄に在って受くる所の身形縦横八万四千由延ならん」と。


 ・仁王経に云く

次は、仁王経の『嘱累品』であります。ここでは、仏教に背き、それを壊ることの悪果報について述べられております。

 ・「人仏教を壊らば復孝子無く、六親不和にして天神も祐(たす)けず、

まず親に孝を行う子供がなくなって、不孝者が充満する。次に六親が和せず、争う姿が出る。この「六親」というのは、親しい者という意味で、内容にはいろいろな説がありますが、一往、妙楽大師の『法華玄義釈籤(しゃくせん)』には、父と母、兄と弟、妻と子の6つを挙げております。つまり自分の親戚縁者中の一番主な人々になります。それらが非常に仲が悪くなり、その生活において天神つまり神様も助けることがない。

 ・疾疫悪鬼日に来たりて侵害し、災怪首尾し、連禍縦横し、

また様々な病気が流行し、災いを起こすところの悪鬼が来たって国民生活心理を侵害する故、様々な怪しい災いが重なり来たって、縦の時間、横の空間に遍満するに至るというのであります。

 ・死して地獄・餓鬼・畜生に入らん。若し出でて人と為らば兵奴の果報ならん。

そして死んだ後は、地獄・餓鬼・畜生に入るであろうし、さらにもし出でてまた人となったならば、兵奴の果報のごとき者となるであろうとあります。この「兵奴」というのは、怒りをもって正法を壊る衆生を言うのであります。その報いを受けて、人間に生まれたとしても、刃の中に身をさらすようなことになり、あるいは様々な刃をもって身を苦しめられる形になってくるというような果報があるのです。

 ・響きの如く影の如く、

過去から現在、現在から将来にわたって、善悪の因縁による三界の果報は、絶対に消えることがないことを譬えによって説かれております。

まず「響きの如く影の如く」の「響き」というのは、音に対しての響きです。それから「影」とは、体に対しての影であります。音があれば必ず響きがあり、体があれば影がある。この譬えをもって人間が生きておる間を体とし音として、死んだ後の形が響きとなり、また影となる意味から死後の業の存続を示しております。そこでその果報がどういう形かと言うと、必ず地獄・餓鬼・畜生乃至六道の生を受けるということであります。

 ・人の夜書(ものか)くに火は滅すれども字は存するが如く、

次が、これについての譬えです。つまり人が夜に灯火の下で字を書き、書き終わった後に火を消す。すると真っ暗になって書いた字が見えなくなります。けれどもその字は残っておるわけで、これは目には見えないけれども果報は厳然として存在するという譬えであります。要するに、人間が生きている間に行ったいろいろな行為というものは、死んでしまえば、それらはなくなってしまうように見えるけれども、結局、その果報というものは、次の生においてはっきりと出てくるのであり、その業はなくならないと言われておるのです。

 ・三界の果報も亦復是くの如し」と。

この「三界」とは、欲界・色界・無色界のことで、つまり六道を言います。この色界と無色界は天界を指し、欲界には地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天までがあるのです。ですから天界とは、欲界天と色界天と無色界天の3つがあるわけです。要するにこの文は、六道の迷いの果報が永く未来に続いていくことを述べておるのです。

 ・法華経第二に云はく

大聖人様が『安国論』において、この法華経『譬喩品』の文を引かれるのは、これで三度目です。

 ・「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」と。

一切衆生を救う仏種によって仏に成ることを示す経典が法華経でありますから、その法華経を謗るということは、一切衆生の仏種を壊(やぶ)ることになる。したがって、それは必ず無間地獄に堕ちるということがこの経文であり、当来の大悪果報を示す総結の文であります。

 ・又同第七巻不軽品に云はく「千劫阿鼻地獄に於て大苦悩を受く」と。

これは不軽菩薩を謗った衆生が、その後に改心したけれども、前に謗った罪によって千劫の間、阿鼻地獄において苦しまなければならなかったという死後の罪報の文であります。

 ・涅槃経に云はく「善友を遠離し正法を聞かず悪法に住せば、

この「善友」というのは善知識のことであります。これには3つあり、いろいろなことを正しく教えてくれる教授の善知識、それから一緒に善いことを行っていくところの同行の善知識、さらには仏法を外から正しく守るところの外護の善知識であります。

 ・是の因縁の故に沈没して阿鼻地獄に在って受くる所の身形縦横八万四千由延ならん」と。 

要するにこのところでは、そのような善知識たる人々を嫌い正法に背き、そして悪い人間の教えを受け、その悪法によって生活する。このような因縁を作れば、阿鼻地獄に沈んで苦しみ、その受けるところの身形は縦横8万4千由延であると言うのです。

この「八万四千由延」の「由延」というのは長さを言います。一由延は帝王一日の行程と言い、中国の里程においては30里です。これは日本の里程では約5里に当たります。一里は4kmですから、一由延は約20kmということになります。その20kmの8万4千倍ですから168万kmで、大変な長さになりますが、これは横の線だけではないのです。「身形縦横」とあるように、我々が無間地獄に堕ちると、身体が縦横にそれだけの広さに拡張し、その全身に充満する苦しみを受けるということです。

無間地獄に堕ちる人間は1人だけではないとして、1人で地獄がいっぱいになったら他の人は入れなくならないかと思うけれども、そうではないのです。やはりこれは業によって、各々の身体が等しく8万4千由延の広さになって苦しみを受けるるように感ずるのであります。


広く衆経を披きたるに専ら謗法を重んず。悲しいかな、皆正法の門を出でて深く邪法の獄に入る。愚かなるかな各悪教の綱に懸かりて鎮(とこしなえ)に謗教の綱に纏(まつ)はる。此の朦霧の迷ひ彼の盛焔の底に沈む。豈愁へざらんや、豈苦しまざらんや。汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば身は是安全にして、心は是禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし。

 ・広く衆経を披きたるに専ら謗法を重んず。

このところより主人の言となります。以上挙げたところのすべての経文を拝してみると、謗法が非常に恐ろしいことを述べられておる。すなわち仏の説かれた正しい法に背くことにおいて大きな罪を得るということです。

 ・悲しいかな、皆正法の門を出でて深く邪法の獄に入る。

そこでまず「悲しいかな」と言われるのは、釈尊が一代仏教を説きながら方便の教えと真実の教えということのけじめをつけられ、また中国に現れた天台大師や日本に比叡山を建立した伝教大師という方々が、仏法の筋道をきちっと立て分けられておる。その中で小乗に対する大乗、大乗の中においては権経に対する実経としての法華経が「正法の門」として最も勝れた教えであり、他の経々はその門から出でたところの方便の小乗であり、権大乗であるにもかかわらず、その中の一分にとらわれて、自ら邪法の地獄の中に入ってしまっておることについてであります。

 ・愚かなるかな各悪教の綱に懸かりて鎮(とこしなえ)に謗教の綱に纏(まつ)はる。

また「愚かなるかな」と嘆かれるのは、法然の『選択集』という悪教の綱に懸かり、永く法華経の教えを謗るという邪な網に纏われておることを言われるのです。

 ・此の朦霧の迷ひ彼の盛焔の底に沈む。

次に「此の朦霧の迷ひ」という「朦(もう)」は、月篇に「蒙」という字です。これは月の光がまさに失われんとするところの薄暗い状態を指すものです。次の「霧」とは、それが太陽や月の光を覆っているという形容で、法然の悪教によるところの迷いが真実の仏性の日月を隠しておるということに譬えるのであります。また「盛焔の底」というのは無間地獄の異名であり、つまり無間地獄の中に堕ちて苦しむということです。

 ・豈愁へざらんや、豈苦しまざらんや。

したがって、このような来世の惨状について、今生のみならず来生において耐え難い無間地獄に堕ちることを愁えないでよかろうか、また苦しまないことがあろうか。それにつけても謗法にとらわれるということを注意し、誡めなければならないとの仰せであります。

この次が、いよいよ『立正安国論』の肝要の御文であります。皆さん方も寺院の御会式に出て聞かれておるでしょうが、ここのところが一番大事だと思ってください。

 ・汝早く信仰の寸心を改めて

この「信仰」とは、まことに大事なことであります。我々の生活自体が全部「信」と「仰」によって存在しているのです。「私は無宗教者だ」と言う人であっても、何らかのものに対する「信」と、何らかの「仰」、つまり仰ぎ尊ぶことによって、過去から現在、そして未来にわたるその人の生活が存在するのです。

どのような人でも、生活の中における何らかの信じ方があり、その意味において広く考えれば、信仰はあらゆる人が持っておるのです。例えば、「私はお金が最高で、お金を貯めることが一番大事だと思う」と言う人は、そういう“信仰”なのです。故に、正しい信仰と誤った信仰の見分けが人生観において大切であり、この場合は、法然の間違った念仏の信仰を言われるのです。

さて、その「寸心」の「寸」とは小さいということ、つまり小さな信仰という意味で、偏った狭い信じ方を言います。それを改めて「速やかに実乗の一善に帰せよ」と言われるのは、そこに大きな広い信仰、すなわち正しい信仰に帰すべしと示されるのです。

 ・速やかに実乗の一善に帰せよ。

「実」の字は、真実で偽りのない「まこと」ということ、「乗」は乗り物、すなわち人を乗せて幸せなところへ運んでいく乗り物で、教えのことです。したがって、真実の教えというものを「実乗」と言うのです。

この実乗に対して、一時的な権(かり)の教えとしての方便があります。故に釈尊自らが無量義経において、「諸の衆生の性欲不なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき。種種に法を説くこと、方便力を以てす」(法華経23ページ)と、華厳・阿含・方等・般若等の40余年の諸経はすべて方便経であるとはっきりと述べられておるのです。

そしてこれは、今まさに法華経に、「正直捨方便・但説無上道(正直に方便を捨てて、但無上道を説く)」(同124ページ)と示されるごとく、衆生を正しく導くためには正直ということが非常に大事であり、これによって方便を捨てて無上道を説かれるのです。要するに、正しいことを素直に説き、また信じるところに本当の幸せの道が存する。これが法華経の「正直に方便を捨てて但無上道を説く」ということであり、「実乗」であります。

さらに言うならば、その法華経の中で真実の教えは、迹門をすべて包含した本門の教えに存するのであります。この本門の教えの中で、さらに釈尊が『神力品』において地涌上行等の菩薩に結要付嘱されたところの妙法蓮華経が『寿量品』の根本法体であります。

これを大聖人様が御出現あそばされて、久遠元初の仏法本源の法体を明らかに示されたのが、『当体義抄』『総勘文抄』等の御文に明らかでありますが、その実体はすなわち本門三大秘法であります。本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目の三大秘法は、そのまま久遠元初の仏法の法体たる南無妙法蓮華経に存するのであります。

「文底とは久遠実成の名字の妙法を余行にわたさず、直達正観・事行の一念三千の南無妙法蓮華経是なり」(御書1684ページ)という有名な『本因妙抄』の御文があります。この文からも、南無妙法蓮華経の法体がそのまま本門三大秘法であることが明らかであります。これが末法における一切衆生を真に正しく導くところの「実乗の一善」なのです。この『安国論』の御文は、ここに帰するということを元意として拝さなければなりません。

 ・然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。

この文のところは、少し判りにくいかもしれません。まず「三界は皆仏国」とあります。三界とは何かと言えば、先ほども出てきましたが、欲界・色界・無色界の3つで、これは六道のことです。六道輪廻という言葉があるように、これは迷いと苦しみの世界です。その世界が実乗の一善に帰することによって、そのまま直ちに仏国になると言うのです。

これは普通の常識では判りにくいかも知れませんが、ここに法界の不思議な当体・当相として法華経の大きな功徳を信ずべきであります。これは大聖人様の教えの中で、一人ひとりが仏の境界を得るための無限の功徳とその道が、正法正義を持つ上に存在しておることを述べられると同時に、そこから広宣流布の道がはっきり現れると述べられておるのであります。

したがって、これは『当体義抄』に、「正直に方便を捨て但法華経を信じ」(同694ページ)と示されるように、法華経以外の教えは全部方便であり、その方便をきれいに捨てよということを仏様がおっしゃっておられるのです。

  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト

from: 21世紀さん

2009年02月27日 16時41分02秒

icon

「Re:御法主上人猊下御講義 立正安国論」



加之(しかのみならず)国土乱れん時は先づ鬼神乱る、鬼神乱るゝが故に万民乱ると。今此の文に就いて具に事の情(こころ)を案ずるに、百鬼早く乱れ万民多く亡ぶ。先難是明らかなり、後災何ぞ疑はん。若し残る所の難悪法の科に依って並び起こり競ひ来たらば其の時何が為んや。帝王は国家を基として天下を治め、人臣は田園を領して世上を保つ。而るに他方の賊来たりて其の国を侵逼し、自界叛逆して其の地を掠領せば、豈驚かざらんや豈騒がざらんや。国を失ひ家を滅せば何れの所にか世を遁れん。汝須く一身の安堵を思はゞ先ず四表の静謐を祈るべきものか。

 ・加之(しかのみならず)国土乱れん時は先づ鬼神乱る、鬼神乱るゝが故に万民乱ると。

この「加之」というのは、前の仁王経に七難を挙げると共に、さらに「国土乱れん時は先づ鬼神乱る」という文が述ベられておることを強調されるのであります。つまり鬼神が乱れることが国土の乱れる前兆であり、それによって万民が乱れ、国土が混乱するのであるということです。

 ・今此の文に就いて具に事の情(こころ)を案ずるに、百鬼早く乱れ万民多く亡ぶ。先難是明らかなり、後災何ぞ疑はん。

これは、あらゆる難が諸経に説かれておるように起こっている中で、自界叛逆の難と他国侵逼の難だけがまだ現れていないけれども、その他の難が様々な形において現れてきておるのは、まさしく「百鬼早く乱れ万民多く亡ぶ」姿であります。

 ・先難是明らかなり、後災何ぞ疑はん。

そして、これはまだ先の難である。これが明らかに現れておる以上、経文に予証される後の災いが必ず来たることをどうして疑えようか、疑いのないことである。

 ・若し残る所の難悪法の科に依って並び起こり競ひ来たらば其の時何が為んや。

したがって残るところの難が、悪法の科によって並び起こり競い来たらば、その時はどうしてよいであろうか、為す術もないのではないかとの警告です。

 ・帝王は国家を基として天下を治め、人臣は田園を領して世上を保つ。

帝王は国家を基本として政治を行うのであり、人臣は田園を領して、分々にそれぞれ田園を所有するところにおいて世の中における生活を保ち、安楽な生活も送ることができるのである。

 ・而るに他方の賊来たりて其の国を侵逼し、自界叛逆して其の地を掠領せば、豈驚かざらんや豈騒がざらんや。

しかるに、いわゆる他国侵逼の難と自界叛逆の難が起こってきたら、平和な国土や民衆の生活が、なお驚き苦しみ騒ぐことになると言われるのであります。「他方の賊来たりて」ということは、余所のほうからこの国を攻め寄せる他国侵逼の難、「自界叛逆して」というのは、国内においてお互いに背き、逆らい、争いが起こる難です。それによってそれぞれの地を掠(かす)め取るならばこれは大変な大乱であり、したがって国の上下の人々は非常に驚き騒ぐことは必然である。

 ・国を失ひ家を滅せば何れの所にか世を遁れん。

もし、そういうことで国を失い、また家がなくなってしまうならば、どこへ世を逃れたらよいか、身の置き所もなくなるではないかと警醒されます。

 ・汝須く一身の安堵を思はゞ先ず四表の静謐を祈るべきものか。

したがってあなたが自分自身の安堵・安泰を欲するならば、四表すなわち東西南北、国中全体の静詮を祈るべきであると言われます。つまり、仁王経・金光明経・薬師経・大集経等に説かれる七難等の災難の中での残るところの難が必ず現れてくることになるから、四表の静謐を祈るために邪義を誡めるべきことを述べらてきたのであります。


さて、ここまでは現当二世のうちの現在のこと、つまり現世の災難を防ぎ、幸せを得るための方術と誡めを述べられておりますが、この次からは「当」すなわち各人の当来の世、つまり死後についての教示に移ります。

つまりこの『安国論』の趣旨は、現世のことだけを論ずるのではないのです。仏法の本質の上からも現当二世、いわゆる現世安穏・後生善処が大切なのです。人々が生きておる間の悩み苦しみを消して、安楽な幸福の生活を得るための方策を図ることも必要であるけれども、さらに死んだ後において地獄へ堕ちたり、餓鬼・畜生に堕ちて苦しみを受けるようなこともあってはならないのです。そのためには、本当に幸せな死後の未来を迎えるべきであり、その上から「当」すなわち未来の大切な意味を示されるのが、これからのところであります。


就中人の世に在るや各後生を恐る。是を以て或は邪教を信じ、或は謗法を貴ぶ。各是非に迷ふことを悪むと雖も而も猶仏法に帰することを哀しむ。何ぞ同じく信心の力を以て妄りに邪義の詞を崇めんや。若し執心飜らず、亦曲意猶存せば、早く有為の郷を辞して必ず無間の獄(ひとや)に堕ちなん。所以は何、大集経に云はく「若し国王有って無量世に於て施戒慧を修すとも、我が法の滅せんを見て捨てゝ擁護せずんば、是くの如く種うる所の無量の善根悉く皆滅失し、乃至其の王久しからずして当に重病に遇ひ、寿終の後大地獄に生ずべし王の如く夫人・太子・大臣・城主・柱師・郡主・宰官も亦復是くの如くならんと。

今の人たちは、死んだ後は何もかもなくなってしまうくらいに思っている人が多いと思いますから、後生を恐れるという考えなどもないと思われます。しかし、日蓮正宗の信徒は、現当二世の道理をきちんと信じ、正しく考えるべきであると思います。

今の世間の教育者とか哲学者などが、さも人生や真理について判っているようなことを言いますが、万人に見惑・思惑という迷いのあることすら知らないのです。思想上の迷いである見惑に5つあるうちに辺見があります。この辺見には、さらに断見と常見があるわけですが、これらの人々もそのどちらかの迷いに入っているのです。

簡単に言えば、「断見」というのは、人間が死んだ後その生命は断滅して何も残らないという考えです。それから「常見」というのは、個人の生命が霊魂として滅することなく存在していくという考えです。しかし、これは両方とも間違いなのです。

生命は「業」として存在します。我々の命は色心の二法なのです。色は「肉体」であり、心は「精神」で、この2つによって我々の命があるのです。現在の我々は、前世からの色心の在り方が因となって今日の命が存在します。ですから死んだ後も、色法すなわち肉体が心ともなり、心法すなわち精神が色法とも合して因縁果報の原理によって種々に変化しつつ、次の生が開かれるのです。

したがって、法界の無限の広さの中で地獄へ堕ちる生命もあれば、餓鬼に生まれる者もある。さらに畜生もあれば、人天の果報を得る場合もあるというわけであります。ですから死んだときの相が大切で、呼吸は止まっているけれども肉体はまだそこに残っておる。そこでやはり死相が本当に立派な方は、いわゆる仏の心を肉体が表しておるのです。肉体と精神との両方において次の生が決まっていくのであります。

 ・就中人の世に在るや各後生を恐る。

そういうことからも「人の世に在るや各後生を恐る」とは、仏教の正しい三世の因縁果報を信ずる人は死んだ後の世について、いかなる因果につながるかということに大変関心を持ち、三悪道に堕ちることを恐れておるということです。

 ・是を以て或は邪教を信じ、或は謗法を貴ぶ。

後生を恐れる故に、深くも考えず忘恩背教の教えである法然の『選択集』の邪義邪教を信じ、貴んでいると言うのです。

 ・各是非に迷ふことを悪むと雖も而も猶仏法に帰することを哀しむ。

「是」は正しいこと「非」は誤ったことで、多くの人がこれに迷い、是を捨てて非を取っているのは、まことに悪(にく)むべきことであるけれども、この人々もなお仏法によって来世のことを願おうという志のあることは、まことに哀れで殊勝なことである。

 ・何ぞ同じく信心の力を以て妄りに邪義の詞を崇めんや。

したがって、同じ信心を持つならば、正しい信仰を持つべきではないか。どうして誤った言葉に執着して、誤った教えにとらわれることがあろうかと言われるのであります。

 ・若し執心飜らず、亦曲意猶存せば、早く有為の郷を辞して必ず無間の獄(ひとや)に堕ちなん。

右は、要するに邪法によって得るところの悪の結果を明らかに示されるのであります。すなわち法然の『選択集』等に示される「捨閉閣抛」のごとき邪義による念仏への執着が翻(ひるがえ)らず、曲がりねじけた邪教に対する心が存するならば、「早く有為の郷」つまりこの世を辞して必ず無間の獄に堕ちるであろうとの大断です。

この「有為」とは「無為」に対する語で、あらゆる因縁の行為によって作られ転変していくところの現世を言うのであります。つまり我々の生活は、あらゆる縁にしたがって善くも悪くもなり、いろいろに変わっていくという泡沫のような人生と国土が「有為の郷」です。

そして堕ちるべき「無間の獄」とは、地獄のうちでも一番下にある最も苦しい地獄のことです。およそ地獄には八大地獄があります。すなわち上から等活地獄・黒蠅(こくじよう)地獄・衆合地獄・叫喚地獄・大叫喚地獄・焦熱地獄・大焦熱地獄とあり、一番下の最苦のところに無間地獄があるのです。種々の悪業の中でもその軽重によって地獄にも区別がありますが、謗法の罪によっては、このような八大地獄のうちの一番下の無間地獄に堕ちると仰せであります。

 ・所以は何、大集経に云はく

この件について大聖人様御一人のお考えではなく、経典にはっきりと示されてあるという文証を示されます。

 ・「若し国王有って無量世に於て施戒慧を修すとも、我が法の滅せんを見て捨てゝ擁護せずんば、是くの如く種うる所の無量の善根悉く皆滅失し、

この経は頻婆舎羅王(びんばしゃらおう)に対するお釈迦様の教訓の言葉です。したがって、国王の心掛けについて頻婆舎羅王に述べておられる意味があります。要するに国王があって、無量世の中において仏教を信じ、布施を行じ、戒律を持ち、乃至仏教の智慧の修行をして功徳を積んでいても、仏法が存亡に瀕(ひん)するとき、全く仏法に対して護る志を捨ててしまっておるならば、過去において植えたところの無量の善根があったとしても、それは直ちになくなってしまうとの趣旨です。

  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト

from: 21世紀さん

2009年02月27日 16時24分07秒

icon

「Re:Re:Re:御法主上人猊下御講義 立正安国論」
この次が、いよいよ第九問答の主人の答えです。末寺の御会式で捧読されるのが、ここから後のところであります。


主人悦んで曰く、鳩化して鷹と為り、雀変じて蛤と為る。悦ばしいかな、汝欄室の友に交はりて麻畝の性と成る。誠に其の難を顧みて専ら此の言を信ぜば、風和らぎ浪静かにして不日に豊年ならんのみ。但し人の心は時に随って移り、物の性は境に依って改まる。譬へば猶水中の月の波に動き、陣前の軍の剣に靡(なび)くがごとし。汝当座に信ずと雖も後定めて永く忘れん。若し先づ国土を安んじて現当を祈らんと欲せば、速やかに情慮を廻らし怱(いそ)いで対治を加へよ。所以は何。薬師経の七難の内、五難忽ちに起こり二難猶残れり。所以他国侵逼の難・自界叛逆の難なり。大集経の三災の内、二災早く顕はれ一災未だ起こらず。所以兵革の災なり。金光明経の内、種々の災過一々に起こると雖も、他方の怨賊国内を侵掠する、此の災未だ露はれず、此の難未だ来たらず。仁王経の七難の内、六難今盛んにして一難未だ現ぜず。所以四方の賊来りて国を侵すの難なり。

 ・主人悦んで曰く、鳩化して鷹と為り、雀変じて蛤と為る。

この鳩が化して鷹となるなどということは、皆さん方も、一体どういうことなんだと思っていらっしゃるでしょう。これは中国の『礼記集説』という古い書物にあるのです。その中に、「仲春(ちゅうしゅん、2月)に鷹化して鳩となり、仲秋(ちゅうしゅう、8月)に鳩化して鷹となり」と記されておるのです。つまり2月の寒いときには、鷹が化して鳩となるとあり、鷹のような強いものが逆に弱い鳩になる。それが陽気が非常によくなってくる8月には、今度は鳩が化して強い鷹となると言うのです。この8月の「鳩化して鷹となり」という諺を、ここに挙げられておるのであります。 また「季秋(きしゅう、9月)に雀大水に入り蛤となる」という諺もある。これは9月の季節の変わり目には、このようなこともあると言うのです。要するに季節の移り変わりによる物事の変化を表す昔の諺であります。

これを引かれたのは、正論を聞いて劣ったものが勝れたものに変化するという意味の譬えとして仰せられているのです。

 ・悦ばしいかな、汝欄室の友に交はりて麻畝の性と成る。

この場合に御自身をまさしく「蘭室の友」とおっしゃっておるわけであります。蘭の香りのする部屋、つまり非常に勝れた清浄な部屋に住んでおるということは、清浄な人間が正しい心を持っておるが故に、その住む部屋が自ずから清浄になるということで、それを御自身に当てはめておっしゃっているのです。つまりあなたは私の話を聞いて「麻畝の性」となったと言われるのです。

「麻畝の性」の「麻」とは、植物の麻のことです。「畝」の字は2つの意味があり、一つは田地の長さを測る場合に、1畝とか2畝と言うように面積を示す言葉なのです。もう一つは、田圃などでお百姓さんが鍬で土を高くして畝(うね)というものを作るのですが、そのことを言います。ですから「麻畝」とは、麻の畑のことを言うのであります。

この「麻畝の性と成る」というのは、麻がたくさん植えられている中に、一緒に蓬(よもぎ)を植えた場合、蓬は本来曲がって伸びるものですが、麻の中の蓬は真っ直ぐ伸びるということです。要するに、正しい人と交わり、正しい人の中に入っていれば、曲がった心根の者もまた正しくなっていくという譬えであります。

ですから、あなたは曲がった気持ちを持っていたけれども、今、蘭室の友であるところの主人すなわち私と交わって話を聞くことにより、まっすぐな心になったと言われるのです。

 ・誠に其の難を顧みて専ら此の言を信ぜば、風和らぎ浪静かにして不日に豊年ならんのみ。

この文は、先ほどからずっと述べてきたように、災禍・国難等が起こっておるのは挙一例諸の上から法然の『選択集』に原因があると言う私の言葉を信じて、あなたがまさしく邪を捨てて正に帰そうと志すならば、緑林の風が和らぎ、また海に立っておる白浪が静かになるという譬えのごとく、謗法をことごとく退治する形が現れることにより、日ならずして豊年、すなわち豊かで安楽な年月を迎えることができるのだと言われるのであります。

 ・但し人の心は時に随って移り、物の性は境に依って改まる。

この文は、人心の変動しやすいことを警告されるのです。人の心が常に移り変わるように、あなたは今、判ったと言うけれども、あてにならない意味があり、かつあらゆるものの性質は境遇によって改変するものであると指摘されます。

中国の諺に、「江南の橘(たちばな)、江北に移れば枳(からたち)となる」というのがあります。枳というのは刺がたくさんある悪い木と言われておるのです。江南においては橘という立派で有益な木であっても、江北に移ればそれが枳になってしまうと言うのです。これは要するに物の性は境遇によって変わっていくということです。ですから、善い境遇にいれば立派な人であっても、悪い境遇の中に入っていくと、悪い人に染まって悪人になってしまうという意味です。

 ・譬へば猶水中の月の波に動き、

次は、その人心の変化の譬えを示されます。すなわち水に映った月は、風がなければそのまま月の形をもって映っておるけれども、風によって波が起これば、水の上の月は形が崩れて本来の姿を止めない。そのように縁によって物が変わり、間違ってくるのです。

 ・陣前の軍の剣に靡(なび)くがごとし。

また、戦いの前軍において甲冑(かっちゅう)を着、武器を手にして敵と戦う軍勢が揃ったけれども、しかし敵が非常に鋭い刀槍をもって強く当たってきたときには、せっかく戦いの支度をしておりながらも、敵の勢いに恐れて退く。つまり初めには戦おうと思っていても、その志が萎(な)えていくようなものだと言われるのであります。

 ・汝当座に信ずと雖も後定めて永く忘れん。

この譬えのように、あなたは今は信じたようだけれども、この座を去ってしまえば、この正しい道理を定めし忘れてしまうであろうとの警告です。だから直ちに謗法の退治を実行せよということを示されるのが、この次の文です。

 ・若し先づ国土を安んじて現当を祈らんと欲せば、速やかに情慮を廻らし怱(いそ)いで対治を加へよ。

つまり国土の安穏、天下の泰平を願い、そして「現当」、すなわち現在と当来の世という二世におけるところの真の安楽を願わんとするならば、心を正道に向かって思い回らせ、急いで謗法を退治すべく実行すべしと言われるのです。

信心に入って直ちに折伏をせよということは無理という面もあるかも知れませんが、この仏法は正しいのだから、間違ったものにはきちんとけじめをつけるという気持ちを持って入信することが大切であり、その意味からまた御題目をしっかり唱えて功徳を得、確信を持って折伏をすることが大事なのです。それが「忽いで対治を加へよ」という意味であります。つまり折伏という意味において正しいことを実行に移すということが大切であると、はっきり指南されるのであります。

次には、その理由が何であるかを経文の意をもって教示されるのです。初めにも述べましたが、第二問答において金光明経、大集経、仁王経の二文、薬師経、また仁王経、さらに大集経と、四経のうちの七文を挙げておられるのですが、この4つの経典においては仏法の精神に背くことによって起こる難をずっと挙げられております。それについて、その難が現在どのような状態になっているかを、ここから述べられるのです。

 ・所以は何。薬師経の七難の内、五難忽ちに起こり二難猶残れり。所以他国侵逼の難・自界叛逆の難なり。

まず「薬師経の七難」というのは、前にも挙げましたが、人衆疾疫の難・星宿変怪・日月薄蝕の難、非時風雨の難・過時不雨の難があって、その他に他国侵逼の難と自界叛逆の難があります。つまりこの七難のうちの前の5つは、すでにはっきりと起こっておるけれども、自界叛逆の難と他国侵逼の難の2つが、まだ残っておると仰せであります。

 ・大集経の三災の内、二災早く顕はれ一災未だ起こらず。所以兵革の災なり。

次に挙げられる「大集経の三災」とは、一には穀貴、二には兵革、三には疫病の3つであります。穀貴というのは、いわゆる穀物の値段が高くなる、すなわち物価騰貴を意味するのです。今現在でも経済は混乱しているようだけれども、時代の特異性から経済の動乱にはいろいろな状況があるのです。今は今なりにデフレというような形で、いろいろな人が困っておるようであります。当時は大体がインフレという形で、物が少ないことから次第に物の値段が高くなって、ついには物を得ることができなくなるという状態、つまり穀貴であり、それから疫病等が常に盛んであったのですが、しかしまだ兵革の災いのみが現れていないという指摘であります。

 ・金光明経の内、種々の災過一々に起こると雖も、他方の怨賊国内を侵掠する、此の災未だ露はれず、此の難未だ来たらず。

先に挙げられた金光明経に多くの難が述べられ、その中に「他方の怨賊国内を侵掠する」ということが説かれておるけれども、これがまだ起こっていないと言われるのです。

 ・仁王経の七難の内、六難今盛んにして一難未だ現ぜず。所以四方の賊来りて国を侵すの難なり。

「仁王経の七難」というのは、日月失度の難・星宿失度の難・災火の難・雨水の難・悪風の難・亢陽の難・悪賊の難で、これらは前に引かれたように、非常に長く述べられております。このうちの六難は盛んであるけれどもへ最後の賊来の難、つまり賊が来たって国を侵すという一難が未だ現じていないと指摘されるのです。



  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト

from: 21世紀さん

2009年02月27日 16時21分48秒

icon

「Re:Re:御法主上人猊下御講義 立正安国論」
・提婆達多の蓮華比丘尼を殺せしや久しく阿鼻の焔に咽ぶ。

この「提婆達多」という人は、五逆罪のうちの三逆罪を行った大悪人であります。三逆罪とは、一つは仏身より血を出だすこと。これは釈尊が歩いてくる道の脇の、高い山の上から大きな岩を投げ落として釈尊を殺そうとしたのです。その岩が足の指に当たって血が出たということです。このとき釈尊は殺されなかったけれども、これは出仏身血(すいぶつしんけつ)、すなわち仏身より血を出だすという罪で、五逆罪の一つになっておるのです。つまり殺仏という規定はないのです。父を殺す、母を殺す、阿羅漢を殺すということはあるが、仏は殺すことが、できないからです。

これは大聖人様も同様であります。文永元(1264)年11月11日、房州の小松原において、東条左衛門の指揮による何百人かの武器を持った者に囲まれて殺されそうな状況にはなったけれども、結局、その者たちは大聖人様を殺すことはできなかったのです。そのときに、やはり大聖人様も眉間に4寸の傷を負われ、血が出たということがありました。これも仏の身から血を出だすということで、五逆罪の一つであります。

次に、和合僧を破すということです。これは長くなりますので省略しますが、やはり提婆達多が釈尊の弟子を誘惑して自分の弟子にしようとしたということがありました。

さらに3つ目が阿羅漢を殺すということで、これが今ここに示されておる「提婆達多の蓮華比丘尼を殺せしや」という事例です。蓮華比丘尼という方は、尼さんではあるけれども、釈尊の弟子として深く仏教の修行をした方であり、阿羅漢の悟りを得ていました。かつて提婆達多は、阿闍世王に「私は釈尊を殺して、代わりに仏に成る。だからあなたは父の頻婆舎羅王を殺して国王になりなさい。そしてあなたは国王として、私は仏と成って世を改めていきましょう」というようなことを言って誑かし、その言葉に阿闍世王が乗って、自分の父である頻婆舎羅王を幽閉し、最後に殺してしまったのであります。

その悪業によって阿闍世王は身体に大変な悪瘡を生じ、苦しみに苦しむような状態が起こりました。そのときに耆婆等の賢明な大臣に教えられて釈尊を訪ねて懺悔をし、その大きな慈悲の功徳をもって悪瘡を治すことができたのであります。そこで阿闍世王は、提婆達多が非常に恐ろしい男で、自分をこのように騙して悪業を行わせた大悪人であることをすでに自覚しておりました。そこへ提婆達多が従前どおり供養を受けるために城へ来たわけであります。

当然、阿闍世王は、提婆達多を城の中に入れることを拒絶したのです。そこで提婆達多が憤慨しているところへ、城の中から蓮華比丘尼という方が出てまいりまして、提婆達多を見て「お前は釈子でありながら、このような悪業を働き、仏に背いて実に不届きな者である」と、強く叱りました。提婆達多は大変怒って、拳(こぶし)をもって蓮華比丘尼を殴り、ついに打ち殺してしまったのです。

ところが城の門の外に大きな穴が空いて、提婆達多は直ちにその穴から地獄の底へ堕ちてしまったのであります。それが「蓮華比丘尼を殺せしや久しく阿鼻の焔に咽ぶ」ということです。玄奘(げんじょう)三蔵が17年間にわたってインドの国々を回ったときには、提婆達多が地獄へ堕ちた穴がまだ存在していたということが、玄装三蔵の『西域記』という本に書いてあります。

 ・先証斯れ明らかなり、後昆最も恐れあり。

この文が客のこの段における結語です。前にも述べておるごとくに、僧侶を殺すということをすれば、その罪業として阿鼻地獄に堕ちるということが明らかである。ですから「後昆」、すなわち後の子孫、後の人々のためにも、僧侶を殺すということは実に恐るべきことであるというのです。

 ・謗法を誡むるに似て既に禁言を破る。此の事信じ難し、如何が意得んや。

したがって、このようなことは仏子を哀れみ、仏子に対して供養をしなければならないという仏様の金言を破ることになるではないか。邪教を説くと言っても、その僧を殺すのが正しいということは、まことに信じ難いことであるという反論であります。




主人の曰く、客明らかに経文を見て猶斯の言を成す。心の及ばざるか、理の通ぜざるか。全く仏子を禁むるに非ず、唯偏に謗法を悪(にく)むなり。夫釈迦の以前の仏教は其の罪を斬ると雖も、能仁の以後の経説は則ち其の施を止む。然れば則ち四海万邦一切の四衆、其の悪に施さずして皆此の善に帰せば、何なる難か並び起こり何なる災か競ひ来たらん。

 ・主人の曰く、

次は、客に対する主人の答えです。

 ・客明らかに経文を見て猶斯の言を成す。心の及ばざるか、理の通ぜざるか。

あなたは、私が挙げておる経文を明らかにご覧になっておるにもかかわらず、なおこのようなことを言うとは、結局、あなたの心が経文の真意に及ばないのであろうか、それとも経文に示す道理があなたに通じないのであろうかとまず指摘され、次に客の思い違いを矯(ただ)されるのです。

 ・全く仏子を禁むるに非ず、

すなわち、従来述べてきたことは「仏子を禁むる」のではないということです。つまり客が大集経の文を引いて、持戒や毀戒でも僧侶は共に仏子であるということを論じました。したがって、そういう一般の僧侶については当然、仏子として考えるべきであるから、これを禁めるべきではない。すなわち「仏子を禁むるに非ず」と言われるのです。

 ・唯偏に謗法を悪(にく)むなり。

この「謗法」ということは、前の第七問答に「一闡提」ということが出ましたが、この一闡提とは、仏法の根本精神を破る者のことであります。この謗法の行為のみを悪むのであると示されます。 ですから、酒を飲んではいけないという戒に対して酒を飲んでしまったとか、あるいはちょっとした嘘を言ったりする。都合が悪いと嘘を言うのが、今の人間の常だけれども、とにかくそういうことは全部戒を破ることになるのです。これらを犯した者は謗法であるとして、その者を殺すべきだというようなことでは絶対にないという意味であります。

ところが謗法の僧侶の場合は、仏法の根本精神を破っているのです。仏教と仏様の敵になっておるわけです。したがって涅槃経に禁ずるところであり、この禁めは謗法の悪比丘に対するものであって、通常の僧侶の持戒・毀戒に対することではないということが「全く仏子を禁むるに非ず、唯偏に謗法を悪むなり」の文で、謗法の者こそきちんとけじめをつけるべきであるということをまず仰せであります。

それならば、その謗法の者に対して、いわゆる法然のような悪言を述べて仏法を破壊する者に対しては、どのようにすべきであるかということが、この次に述べられるところです。

 ・夫釈迦の以前の仏教は其の罪を斬ると雖も、能仁の以後の経説は則ち其の施を止む。

この「釈迦の以前の仏教」というのは、前に涅槃経等に述べられた過去の事例、これも釈尊の行為として説かれたのでありますが、例えば仙予国王が大乗を謗るところの婆羅門を直ちに殺してしまったこと。あるいは有徳王が覚徳比丘を守るため、武器をもって戦ったことなどがあるけれども、そのような意味で釈尊の出世される以前の仏教の形においては、その謗法者の罪を斬るということがあったという事例を言われるのです。

 ・能仁の以後の経説は則ち其の施を止む。

この「能仁」とは釈尊を指すのであり、慈(いつく)しみすなわち慈悲の上から一切を大きく包んで衆生を導くという意味でありますが、その能仁である仏様の化導からいって、釈尊以後の経説においてはすなわちその施を止めるのであると示されるのです。

この「施を止む」とは、つまり念仏等の悪義を述べる謗法の者に対しても殺すのではなく、その者に対しての布施を止むべきであるということを、釈尊がはっきり示されておるわけです。したがって「施を止む」ということこそ、謗法退治のための要術であり、大切なことであると、ここに言われておるのです。

 ・然れば則ち四海万邦一切の四衆、其の悪に施さずして皆此の善に帰せば、

そのようにきちんと仏法の善悪のけじめをつけ、そしてその悪に施さず、正法の善に対してのみ供養をするということが、世の中のあらゆる国や民衆に徹底して実現するならば、あらゆる正義がそこに確立するわけであります。

 ・何なる難か並び起こり何なる災か競ひ来たらん。

したがって、このように邪義が根本から止められるならば、その上にどのような難が来たるであろうか、災いが起こるであろうか、全く起こることはないという意味です。すなわち世界万邦に通ずる正法治国・邪法乱国の指導原理による捨悪持善の行為こそ、まさに災いを止めるところの秘術であることを、ここに述べられているのであります。


<第九問答:疑いを断じて信を生ず>

ここからが第九問答になります。ここに至って客が始めからの主人の言を理解できたのです。この第九問答の趣意は、破邪顕正によって安国が現ずることを示されるのであります。そこで客が、いわゆる疑いを断じて信を生ずるという意義が篭められております。


客則ち席を避け襟を刷(つくろ)ひて曰く、仏教斯れ区にして旨趣窮め難く、不審多端にして理非明らかならず。但し法然上人の選択現在なり。諸仏・諸経・諸菩薩・諸天等を以て捨閉閣抛と載す。其の文顕然なり。茲に因って聖人国を去り善神所を捨て、天下飢渇し、世上疫病すと。今主人広く経文を引いて明らかに理非を示す。故に妄執既に飜り、耳目数朗らかなり。所詮国土泰平天下安穏は、一人より万民に至るまで好む所なり楽ふ所なり。早く一闡提の施を止め、永く衆僧尼の供を致し、仏海の白浪を収め、法山の緑林を截らば、世は義農の世と成り国は唐虞の国と為らん。然して後法水の浅深を斟酌し、仏家の棟梁を崇重せん。

 ・客則ち席を避け襟を刷(つくろ)ひて曰く、

この「客則ち席を避け」ということは、きちんと座り直すということで、主人の言うことをよく理解し、その人格はまことに尊敬すべき方であると感じたために、改めて座り直したことを表します。そして、自らも身繕いを改めて、さらに主人に対して答えます。

 ・仏教斯れ区にして旨趣窮め難く、

初めに客は「私は、まだ本当に仏教というものが判っておりません」ということを述べるのです。この「仏教斯区にして」とは、ありとあらゆる意味で仏教の経文や文献、さらに大小乗の宗旨がたくさんあるという意味です。したがって「旨趣窮め難く」とは、すなわちそれぞれの論ずる旨とするところ、趣くところを見極めることが難しいということです。

たしかに仏教は難しいのです。小乗仏教一つを取っても、小乗仏教の経論をそのまま読んで直ちに理解できる人は、現代においておそらくいないでしょう。大乗仏教がまた実に広く、そしてなお深い意味がありますから、より一層難しいのです。ところが仏教の法理をきちんと教えられた正しい筋道の上から読めば、大体判るのです。いきなり読んだのでは、何が何だか全く判らないはずです。

 ・不審多端にして理非明らかならず。

訝(いぶか)しく不審不明なところが多く仏教の理が深遠であるため、その道理と非理について明らかに知ることができませんと客が述懐します。

 ・但し法然上人の選択現在なり。

そこで客は続いて、しかし法然の『選択集』というものが現に存在することは、そのとおりであると肯定します。法然は、世間で非常に尊ばれておりますから、この客もここではまだ「法然聖人」と尊敬の言葉を示しておるわけです。

 ・諸仏・諸経・諸菩薩・諸天等を以て捨閉閣抛と載す。其の文顕然なり。

その『選択集』において、あらゆる「諸仏・諸経」すなわち浄土の三部経というわずかな念仏の経典以外の全部、それらのあらゆる経典に説き示されているところの、釈尊を含めた様々な尊い仏や菩薩とその修行・功徳等の一切、それから「諸天」とは、この仏法を護る天人等ですが、これらについて悉くを「捨閉閣抛せよ」と言っていることは、まことに明らかであると申します。

「捨閉閣抛」とは、すなわち捨てよ、閉じよ、閣け、抛てということで、『選択集』の文章の中のあちらこちらに、この捨閉閣抛の四字が出てくるのです。つまりあらゆる経文や仏菩薩、諸天に対し、「捨閉閣抛せよ」と言うことは、たしかにあなたの仰せのとおり、その文が明らかであると答えます。

 ・茲に因って聖人国を去り善神所を捨て、天下飢渇し、世上疫病すと。今主人広く経文を引いて明らかに理非を示す。

この『選択集』によって、聖人が国を去り、善神が所を捨てるが故に、天下には様々な災難が起こり、飢渇し、疫病があるということを、今あなたは広く経の文証を引いて、その上から明らかに道理と非理を示されておる。

 ・故に妄執既に飜り、耳目数朗らかなり。

したがって「私は今まで法然なる僧も偉いと思っていたし、念仏の教えもまた仏教の中では非常に尊いものであると思っていたけれども、それは私の間違った執着であり、私の耳も目も正しい道理を聞き、正しい道理を見ることにおいて、非常に明らかになってまいりました」と言うのであります。

 ・所詮国土泰平天下安穏は、一人より万民に至るまで好む所なり楽ふ所なり。早く一闡提の施を止め、永く衆僧尼の供を致し、

客はそこで、国土泰平・天下安穏は上一人より下万民までの皆が願うところであり、早く一闡提の施を止め、仏法護持のため未来に永く正しい僧や尼への供養を励みましょうと言います。「一闡提」というのは、前にも出てきたとおり、謗法の仏敵として仏教の精神を破る者です。その一闡提に対しても、殺すのではなく、布施を止めることが大事であると理解したのです。ですから謗法の者には絶対に布施をしてはならないのであり、このことをきちっと肚に入れることが日蓮正宗の僧俗として大事なことであります。

 ・仏海の白浪を収め、

一闡提への布施を止めることにより、仏法を正しくする昔の例言であります。

中国の後漢の最後に霊帝という国王がいましたが、その時期に、黄色い布をもって身体を包むという出で立ちの黄巾(こうきん)の賊というのが起こったのです。その賊は、張角(ちょうかく)という道士が首領でしたが、さらにその余党がいまして、これが西河の白波谷(はくはこく)という所において様々な賊の所業を働いていたのです。そこで、その賊のことを「白波」と称したのであります。ですから、日本でも盗賊のことを白波(しらなみ)と言うのです。芝居でやる「白波五人男」などがその例です。

「仏海」というのは、仏様の教えが非常に広大であり、海のように広いという意味の譬えであります。しかし、その中において風によって波が立ち、海が非常に荒れて白波が立ちます。要するに、仏教の中においての賊=白波とは、法然の『選択集』であることを、客の言葉として表しておるのです。

 ・法山の緑林を截らば、

それから「法山の緑林」とは、前漢の末の頃に荊州の緑林山という所において賊が起こったことが元であります。これによって「緑林」が盗賊の異名となったのです。ですから、この偉大な山のごとき仏法の中における緑林の賊とは、すなわち法然の『選択集』であることを表す語であります。

 ・世は義農の世と成り国は唐虞の国と為らん。

そこで、そういう邪悪の教を収め、その禍根を截ってしまえば、「世は義農の世と成り国は唐虞の国と為らん」と言うのです。

この「義」は三皇の中の伏羲(ふくぎ)のこと、「農」は同じく神農(しんのう)のことであります。「国は唐虞」というのは、三皇五帝の五帝のほうの4番目と5番目の人と国のことで、「唐」は唐尭(とうぎょう)、「虞」は虞舜(ぐしゅん)のことです。この唐尭という王様は、帝(ていこく)という方の子であり、その唐尭がさらに帝位を譲ったのが虞舜であります。このことについてもいろいろな話がありますけれども省略いたします。

要するに、こういう昔の伏羲・神農というような方々が世を治めたところの平和な天下太平の時に戻るであろうということを、この客の言葉として言うのであります。

 ・然して後法水の浅深を斟酌し、仏家の棟梁を崇重せん。

ここにおける客の認識は、法然の『選択集』によるところの諸仏・諸経・諸菩薩・諸天をことごとく捨閉閣抛せよという極端な教えが誤りであったということは、よく理解したわけです。故に、この邪教を止めさせた上で法水の浅深を斟酌する。この「法水」とは、仏法の水の流れ、つまり伝承ということで、仏法において衆生を導くための功徳の水に浅いもの、深いものがあるという、譬えの言葉ですけれども、その浅深を正しく計るということであります。

当時、南都においてすでに倶舎・成実・律・華厳・法相・三論という六宗がありましたが、その後、平安朝になってからは天台・真言の二宗が加わり、さらに鎌倉へ入ってから禅宗と念仏が出てきました。厳密には法然の浄土宗は平安末期からですが、要するにその十宗等がありました。

そのうちの念仏は邪義として除き、あとのものについては、どれがよいかということをよく計り定めつつ、いわゆる「仏家の棟梁」となるべきところの勝れた教えを中心として尊重いたしましょうと言うのです。けれども、その棟梁たるべき教えが何であるかという認識がまだはっきりしていないのであり、そこにこの段階における客の領解があるわけであります。


  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト

from: 21世紀さん

2009年02月27日 16時17分06秒

icon

「Re:御法主上人猊下御講義 立正安国論」
於夏期講習会第9・10期



今日は、第八問答から最後までの御文を拝講してまいります。なかでも後半部分は、各末寺の御会式の際に必ず儀式として奉読する部分に当たりますので、難しい内容でもありますが、皆様方もかなり聞き慣れているところもあるかと思います。
さて、この第八問答は、謗法禁断の方法を説くのであり、斬罪の用否ということがあるのです。つまり、第七問答のところで、大聖人様が過去の2つの事例を挙げておられます。それは涅槃経の中における謗法の者に対する処置ないし誡める方法として、一つは首を斬るということ、つまり悪い者を殺してしまうということであります。びっくりしたような顔をしている方がいますけれども、この例は涅槃経に説かれてあり、『安国論』の第七問答でも引かれてあります。ただし、刀剣や弓箭(きゅうせん)、鉾槊(むさく)というような色々な武器をもって正法を守ることが大切であるということが説かれておるけれども、最後には「刀杖を持つと雖も、命を断ずべからず」(御書246ページ)という言葉があって、やたらに人を殺してよいということではないということが付け加えられております。

さらには、もう一つの方法として、謗法の布施を止めるということも述べられてあります。これらのことに対する用否がきちんと示されるのが、今日の第八問答からであります。それでは拝読してまいります。


<第八問答:斬罪の用否>


客の曰く、若し謗法の輩を断じ、若し仏禁の違を絶たんには、彼の経文の如く斬罪に行なふべきか。若し然らば殺害相加へ罪業何が為んや。
則ち大集経に云はく「頭を剃り袈裟を著せば持戒及び毀戒をも、天人彼を供養すべし。則ち為れ我を供養するなり。是我が子なり。若し彼を打(かだ)すること有れば則ち為れ我が子を打つなり。若し彼を罵辱せば則ち為れ我を毀辱するなり」と。料(はか)り知んぬ、善悪を論ぜず是非を択ぶこと無く、僧侶為らんに於ては供養を展ぶべし。何ぞ其の子を打辱して忝くも其の父を悲哀せしめん。彼の竹杖の目連尊者を害せしや永く無間の底に沈み、提婆達多の蓮華比丘尼を殺せしや久しく阿鼻の焔に咽ぶ。先証斯れ明らかなり、後昆最も恐れあり。謗法を誡むるに似て既に禁言を破る。此の事信じ難し、如何が意得んや。


 ・客の曰く、若し謗法の輩を断じ、若し仏禁の違を絶たんには、彼の経文の如く斬罪に行なふべきか。

この段の客の質問は「あなたの言われるように、謗法の輩の罪を断ち、仏の誡めに違う教えをなくすためには、経文に説くように謗法者を斬ってその命を奪うべきか」という質問です。この「彼の経文」というのは、先出の文、すなわち涅槃経において仙予国王が大乗の仏教を誹謗する婆羅門の命を直ちに絶ったということであります。そういうことをもし例とするならば、謗法者を殺してしまうべきであるのかと言うのです。

 ・若し然らば殺害相加へ罪業何が為んや。

法然は謗法の者と前から論じられておりますから、その法然等の類(たぐい)を斬罪に行うとしたならば、殺すということが相加えられて、その罪は実に大きなものになるではないかと、客が詰問するのであります。

それについて客は言葉を続け、さらに経文を挙げて反論します。

 ・則ち大集経に云はく、

この文は、大集経の『法滅尽品』の中に述べてある釈尊の言葉であります。

 ・「頭を剃り袈裟を著せば持戒及び毀戒をも、天人彼を供養すべし。則ち為れ我を供養するなり。是我が子なり。

これは、どのような僧侶であっても、頭を剃って袈裟を着けておる者は我が子供であると、仏様が自らおっしゃっておる文です。

その文に「持戒及び毀戒」とある中の「持戒」というのは、僧侶として仏様の教えを守って正しい行いをしておる僧侶のことです。それから、「毀戒」というのは、仏様の教えが守りきれずに色々な仏の誡めに背く行為をする、戒を破るような僧であります。そのように、悪いことをする僧侶もいるけれども、共にこれは仏の子であると、仏様自らがおっしゃっておるわけです。ですから天人、すなわち天も人も共に、仏子としての僧侶へは、持戒に対しても毀戒に対しても供養すべきであるというのです。これは「我が子」、つまり仏の子であるからであります。

 ・若し彼を打(かだ)すること有れば則ち為れ我が子を打つなり。

もしも、何らかのことを取り上げて、その僧侶を「打する」、つまり殴ったり打ったりするようなことがあれば、それはすなわち私の子供を打つことになる。

 ・若し彼を罵辱せば則ち為れ我を毀辱するなり」と。

さらに、その僧侶を罵り辱めることは、すなわち私を謗(そし)ることになると、仏が仰せになっておるのです。

 ・料(はか)り知んぬ、善悪を論ぜず是非を択ぶこと無く、僧侶為らんに於ては供養を展ぶべし。

客はその経文を挙げ、したがって善いとか悪いとか、そういうことをあえて言わずに、僧侶である以上、基本的には供養をなすべきである。

 ・何ぞ其の子を打辱して忝くも其の父を悲哀せしめん。

どうしてその子供を打ち辱めて、その父を悲しませることがあろうかと言うのです。つまり謗法の者だからと言って僧を殺すなどということは、とんでもないことだという意見であります。

次に客は、仏子を殺すにおいては、地獄に堕ちるという現証がある事例を次に挙げるのです。

 ・彼の竹杖の目連尊者を害せしや永く無間の底に沈み、

この「竹杖」というのは、常に杖を持っていて、自分の気にくわない者がいると殴りかかるというような、非常に横暴・乱暴な外道の集団であります。そのような竹杖外道というのが釈尊在世におりました。

この者たちは、仏様とその教えを信ずる弟子たちを非常に憎んでいたわけです。そこであるとき、舎利弗と目連という2人の釈尊の弟子が、王舎城へ向かって歩いているときに、その竹杖外道に捕まってしまったのです。そして、竹杖外道が「お前の師匠の瞿曇(釈尊)が正しい教えを説いておるというが、我々はお前たちのその教えを聞きたい」と言い、さらに「もしその答えで我々の気にいらぬことがあったら、お前たちをここで打ち殺す」と宣言したのであります。

外道は、まず舎利弗に「お前たちの言う道とは何か」と聞きました。舎利弗は非常に智慧のある人ですので、非常に難しい哲理の深い文をもって答えたのです。すると竹杖外道は、何を言っているか判らないために、「これは自分たちを誉めてくれたんだ」と思って、「お前は差し支えない」と言って通したのです。

次に目連に「お前はどう考えるか」と聞いたところ、目連は「私は神通力をもって過去に地獄へ行ったことがある。すると、そこにお前たちの死んだ師匠が地獄に堕ちており、妄語の罪としてその師匠の舌が無量の広さになっていて、その上で鋤(すき)や鍬(くわ)を持った者が無惨にも縦横にその舌を裂いていた。そのような苦しみを受けておるのである。したがってお前たちの教えは、まことに間違った教えである」と答えたのです。それを聞いた竹杖外道が大変怒って、杖をもって目連をさんざんに殴りました。

さて、先に行った舎利弗が、どうも目連の来るのが遅いということで引き返してみたら、目連は殴り打たれて、ほとんど死ぬ直前の状態になっていたのです。それを見た舎利弗は、「神通第一と言われたお前が、なぜ得意の神通を使ってその災難から逃げなかったのか」と質問したところ、虫の息の中から目連は答えて「これは私の過去の宿業である」と申しました。ですから、どんなに善い功徳があっても、過去の宿業というものは避けられない場合があるわけです。そして目連は、いよいよ死ぬときに「私は竹杖から打たれたときに、神通の“神”という字も思い出すことができなかったのだ」と言って絶命したということです。

しかし、その罪の報いによって竹杖外道は無間地獄に永く沈んだということをここに挙げております。

  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト

from: 21世紀さん

2009年02月27日 16時13分48秒

icon

「Re:御法主上人猊下御講義 立正安国論」
法華経に云はく「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば即ち一切世間の仏種を断ぜん。乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」已上。

 ・法華経に云はく、

さて、これまで涅槃経と仁王経をもって、国難を退治する謗法破折の経文を挙げられてきましたが、次にいよいよ法華経を挙げられて、最後のけじめとされるのであります。以下は法華経の『譬喩品』の文です。

 ・「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば即ち一切世間の仏種を断ぜん。

この法華経を信じないでこの経を毀謗する人は、一切衆生の仏の種を断ずるところの大きな罪になるとの仏説であります。つまり法華経にのみ、あらゆる人々が仏に成る根本の種があることを説いておるのです。その法華経を誹謗するということは、あらゆる人々が正しい意味で救われるところの仏の種を断ずることになりますから、これは法界全体の事物と真理に背く罪になるわけです。

 ・乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」已上。

その意義から、必ず法華経を謗る者は地獄に堕ちると、仏様自らの仰せです。

「阿鼻獄」について言えば、地獄は大きく分けて8つあります。その八大地獄の一番下にあって最も苦しみの大きいのが阿鼻地獄で、これには五無間と言って5つの無間があるのです。これは省きますが、要はあらゆる面で間断なく苦しみを受けるということから無間地獄と言うのであり、その地獄に堕ちるということです。ですから、すべての人は正しく勝れた法華経を信じ護らなければならないと同時に、これを誹謗する者が必ず地獄に堕ちるという文をもって、最後の結文とされておるのであります。


次からが主人、すなわち大聖人様の御言葉であります。


夫経文顕然なり。私の詞何ぞ加へん。凡そ法華経の如くんば、大乗経典を謗ずる者は無量の五逆に勝れたり。故に阿鼻大城に堕して永く出づる期無けん。涅槃経の如くんば、設ひ五逆の供を許すとも謗法の施を許さず。蟻子を殺す者は必ず三悪道に落つ。謗法を禁むる者は定めて不退の位に登る。所謂覚徳とは是迦葉仏なり。有徳とは則ち釈迦文なり。

 ・夫経文顕然なり。私の詞何ぞ加へん。

このように明らかな経文を挙げた以上は、私が今さら言葉を加える必要がないではないかとまずおっしゃった上で、法華・涅槃の誡文の主意をまとめて次に示されるのであります。

 ・凡そ法華経の如くんば、大乗経典を謗ずる者は無量の五逆に勝れたり。

まず、法華経についてその誡めの要点は大乗経典、特に法華経を謗ずることであり、その罪は無量の五逆に勝れていると言われます。このことは今の『譬喩品』の文の前後をずっと読んでみますと、本当に五逆罪よりもなお法華経を誹謗する罪が重いということが長く丁寧に説かれてあります。そういうことから明らかなように、法華経の趣意として、このような無量の五逆を犯した罪よりも、法華経誹謗の罪が重いということが述べられてあります。

 ・故に阿鼻大城に堕して永く出づる期無けん。

したがって大乗、特に法華誹謗の罪により阿鼻地獄に堕し、永くその地獄より出る時がこないとの警告です。

 ・涅槃経の如くんば、設ひ五逆の供を許すとも謗法の施を許さず。

次に、涅槃経の趣意については、経に五逆を犯した悪人に供養することはまだ許すけれども、正法を誹謗する者については絶対に供養をしてはいけないとの誡めがあると示されます。すなわち前に挙げた純陀の問いに対する一闡提ヘの布施の禁止が、これに当たるわけです。

 ・蟻子を殺す者は必ず三悪道に落つ。

以下は、「殺」についての目的観の上から対照的に述べられております。蟻を殺すことですら、無用に悪心を持って殺す場合は、地獄・餓鬼・畜生に堕ちると再びここに仰せあります。

 ・謗法を禁むる者は定めて不退の位に登る。

しかるにそれとは逆に、謗法を誡め為に戦う者は勝れた菩薩の境界、不退の位という悟りのところへ登ることができるという涅槃経の趣意を示されております。

 ・所謂覚徳とは是迦葉仏なり。有徳とは則ち釈迦文なり。

その例として、覚徳は迦葉仏に、有徳王は釈迦文となる。つまり仏の大果報を得たことを再示されました。ここに「釈迦文」とありますが、普通は釈迦牟尼と言うのです。この牟尼という梵音を音写で漢字に表す「文」となるので同じことなのです。

そこで、これから先の文が大聖人様の謗法に対するはっきりとした批判の御文であります。


法華・涅槃の経教は一代五時の肝心なり。其の禁め実に重し、誰か帰仰せざらんや。而るに謗法の族、正道の人を忘れ、剰へ法然の選択に依って弥愚癡の盲瞽(もうこ)を増す。是を以て或は彼の遺体を忍びて木画の像に露はし、或は其の妄説を信じて莠言を模(かたぎ)に彫り、之を海内に弘め之を廓外(かくがい)に翫ぶ。仰ぐ所は則ち其の家風、施す所は則ち其の門弟なり。然る間、或は釈迦の手の指を切りて弥陀の印相に結び、或は東方如来の鴈宇(がんう)を改めて西土教主の鵞王を居(す)へ、或は四百余回の如法経を止めて西方浄土の三部経と成し、或は天台大師の講を停めて善導の講と為す。此くの如きの群類其れ誠に尽くし難し。是破仏に非ずや、是破法に非ずや、是破僧に非ずや。此の邪義は則ち選択に依るなり。嗟呼悲しいかな如来誠諦の禁言に背くこと。哀れなるかな愚侶迷惑の麁語に随ふこと。早く天下の静謐を思はゞ須く国中の謗法を断つべし。

 ・法華・涅槃の経教は一代五時の肝心なり。

まずここで、今までずっと述べてこられた趣意として、一代五時の五千七千の経教について、法華経と涅槃経がその全体の中心であると決せられます。

すなわち釈尊一代の化導の中で、最初の華厳経は擬宜(ぎぎ)のため、次の阿含経は誘引のため、次に説かれた方等部の多くの経は弾呵(だんか)のため、次の般若経は淘汰のためという目的をもって説かれており、しかもそれらは全部仏様の本懐ではないのです。法華経に来たって初めて真実の仏の目的が顕れて、一切の衆生を導くところの慈悲において、十界をことごとく開いて仏道を成ぜしめるところの法の内容を説かれるのであります。

次の涅槃経は、法華経の意を受けて最後に説かれた経です。これは法華経においてまだ悟りを得ることができなかった人たちに対して、一往、法華以前の華厳・阿含・方等・般若等の方便の内容を入れながら述べているのですが、最後にはやはり法華経の意をもって括っているのであります。ですから「拾遺嘱(くんじゆういぞく)」と言い、これは落ち穂拾いの意味であります。全体の化導の中心主眼は法華経にあるのです。したがって法華と涅槃を相対すれば、当然、法華経が勝れておる。しかし、一代全体の50年間の化導の意からすれば、法華経と涅槃経がやはり中心になるという意味です。

 ・其の禁め実に重し、誰か帰仰せざらんや。

法華・涅槃に説くところは、かかる真実の大乗を誹謗する者の罪は非常に深く、同時にまたそれを護ることの功徳は大変大きいことの誡めであり、一切の人が帰依し、渇仰しなければならないと言われるのであります。

 ・而るに謗法の族・・・法然の選択に依って弥愚癡の盲瞽(もうこ)を増す。

このところからは、法然の『選択集』という悪書によって法華・涅槃の正しい道を忘れ、正邪・善悪の判らないような愚かな見解を増しておるということと、その悪い実例を挙げられるのです。

 ・是を以て或は彼の遺体を忍びて木画の像に露はし、或は其の妄説を信じて莠言を模(かたぎ)に彫り、之を海内に弘め之を廓外(かくがい)に翫ぶ。

その一つとして「彼の遺体」すなわち法然の遺体について、その遺徳を偲び崇めて、その形をあるいは木像に刻み、あるいは画像に描いて安置し、2つには法然の『選択集』の妄説を信じ、その「はぐさ」のごとき有害な言葉を版木に彫り印刷して、「海内」すなわち日本中に弘め、「廓外」すなわち都の外のあらゆる地方に賞玩しているとして、その謗法を難じ給うのであります。

 ・仰ぐ所は則ち其の家風、施す所は則ち其の門弟なり。

故に、多くの人々が信じ仰ぐところは浄土宗の、法華経と釈尊に背く間違った家風であり、人々が誤って供養を施しておるところが、邪義を説く法然の門弟らに対してであると言われるのです。つまり邪法・邪師の邪義に対して供養をしておることが、大変誤りであるのです。

 ・然る間、或は釈迦の手の指を切りて弥陀の印相に結び、

これはどういうことかと言うと、京都や奈良などの寺院に行くと、仏・菩薩等の様々な像がありますが、これらの像の手は「印相」を結んでいるのです。これらの仏像は、長い歴史の中で多くの僧や仏師により、いろいろな形で造りましたから、結局その印相は、ある程度一定しているものもあれば、そうでないものもあるのです。しかし、要はこの印相によって仏様の悟りや行儀を顕すわけであります。そういう形がインド・中国・日本の仏教の上からあるのです。

さて、お釈迦様の印相の場合は古来、親指の先と中指の先をつける円を画く形になっているのです。それから阿弥陀仏は、人差し指と親指をつけるのです。ですから、お釈迦様の像を阿弥陀仏にするには、その指のところをちょっと直せばよい。親指と中指だったのを親指と人差し指に直してしまうと阿弥陀の印相となり、釈尊が阿弥陀仏ということに形が変わってしまうのです。ですからここでは、お釈迦様より阿弥陀仏のほうが有り難いということで、お釈迦様の像の印相を変えて阿弥陀仏の像に造り替えてしまったということを言っておられるのであります。

 ・或は東方如来の鴈宇(がんう)を改めて西土教主の鵞王を居(す)へ、

次に「東方如来」というのは、薬師如来のことです。釈尊がこの仏の本願功徳経を説かれ、この如来は12の大願を起こし、特に衆生の心身の病を治すとされています。薬師如来は、権経の仏で真実の三身常住の仏ではないが、伝教大師が法華経の義によって開顕し、『寿量品』の大良医を心とする薬師という意味で、薬師如来を比叡山の根本中堂に安置しました。それに倣って天台宗の各堂に薬師如来が安置されたと思われます。「鴈宇」とは、堂塔の別名です。

また「鷲王」とは、仏に三十二相の一つとして手足指縵網相という、手足の指の間に鵞鳥(ガチョウ)の水かきのようなものがあるということから、仏のことを言うわけです。ですからこの文は、薬師如来の堂を改めて阿弥陀仏を安置し、その堂としておるという事例を挙げられているのです。

 ・或は四百余回の如法経を止めて西方浄土の三部経と成し、

法華経の書写行のことです。すなわち比叡山第三代座主の慈覚大師は、天台の宗旨からの比叡山の法統においては一往、偉い人と言われておるわけですが、天長10(833)年の40歳のときに法華経を如法に書写し、そしてその経を納めたところを如法堂と言ったのであります。

「如法」ということは、法華経『法師品』の最初のところに、「妙法華経の、乃至一偈を受持・読・誦・解脱・書写し、此の経巻に於て、敬い視(み)ること仏の如くにして、種種に華香・瓔珞(ようらく)・抹香・塗香(ずこう)・焼香・〓蓋(ぞうがい)・幢幡(どうばん)・衣服・伎楽を供養し、乃至合掌恭敬せん」(法華経319ページ)と、十種供養によって法華経を行ずるという説示があります。このような供養をきちんと行って法華経を書写することが、十種供養によるところの法華経の書写という形であります。したがって、『法師品』に説かれる法のごとくに、その方式によって書写をするから「如法経」と称しました。それが天長10年から後白河法皇の13回忌、元久元(1204)年までの間、これは正確に言えば371年になりますが、この間ずっと行われてきたのです。

ところが、後白河法皇の13回忌の時から、その法要において法華経の書写を止めて、浄土の三部経を書写することになったのです。その謗法をここで挙げられておるのであり、「四百余回」というのは、その如法経初めよりの概数を言われるのです。

 ・或は天台大師の講を停めて善導の講と為す。

この「天台大師」という方は、ご承知のとおり中国に出現されて、釈尊一代の仏教の一切を悉く正しく整理・決判されて、そしてあらゆる経典の内容が、どういう目的で説かれたかということを、きちんと示された方であります。大変な偉業だったわけです。

今の他宗他門の僧侶たちは、未だにそれが判りません。竜樹菩薩が仏教の始祖で偉い人だったとか、空海が仏教の権威者であるなどと思い込んでいます。ですから般若経などの権経が、あくまで仏教の中心であると思い誤っておるのです。本当は、般若経などは、法華経を説くための方便に過ぎません。ですから「空」という真理からさらにもう一歩、仏法の真髄たる諦理が出てこないのです。いかに最高の第一義空と言っても結局「空」に尽きます。法華経の真実の即空即仮即中の上からの真実の即身成仏ヘの道ヘ出て来られないのが、今の仏教界の人々であります。ですから皆さん方は、日蓮正宗の御信徒になられて、最高の仏法を勉強し、修行しているのだと確信してください。

さて、そういうことにおいて天台大師という方は偉い方で、その教えによって伝教大師が日本に比叡山を開いたのだけれども、その天台大師の御命日の11月24日に行っていた天台大師報恩講を止めて、その代わりに中国の念仏の第三祖の善導の報恩講としての行事を行うようにしてしまったという誤りがあると指摘され、このような謗法の行為の類は実に多く、言い尽くし難いと仰せられるのです。

 ・此くの如きの群類其れ誠に尽くし難し。是破仏に非ずや、是破法に非ずや、是破僧に非ずや。

以上、述べられた4つの事例について、これは仏法僧の三宝を破る行為が歴然ではないかと破責されるのです。すなわち釈尊の印相の指を切って弥陀の印相に改めたということや、東方如来の鴈宇を西土教主に改めたということがありましたが、これが「破仏」に当たります。それから4百余回の如法経、すなわち法華経の書写を止めたというのがありましたが、これが「破法」になります。また天台大師講を止めて善導の講にしたのが「破僧」に当たるわけであります。

 ・此の邪義は則ち選択に依るなり。

そして、このような嘆かわしい事態になった原因は何かと言えば、まさに法然の『選択集』という邪法・邪義の悪書によるのであると論断されます。

 ・嗟呼悲しいかな如来誠諦の禁言に背くこと。

このような悪書が出て教主釈尊の真実の禁言、すなわち先ほど挙げられた法華経の「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、即ち一切世間の仏種を断ぜん。乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」という誡めに背いておることは、まことに悲しいことである。

 ・哀れなるかな愚侶迷惑の麁語に随ふこと。

また、この悪書を弘める法然のごとき仏法の帰趨に迷惑する愚かな者の粗悪乱暴な語に、多くの世の人々がしたがっており、それが無間地獄へ堕ちる業因とも知らないのは、本当に哀れなことだとの慨嘆です。

 ・早く天下の静謐を思はゞ須く国中の謗法を断つべし。

これが、この第七問答の項における最後の結論であります。この「謗法を断つ」とは、どういうことかと言いますと、具体的には謗法への供養・布施を断つことであります。それはさらに次の第八問答にはっきり示されるところですが、これが『立正安国論』の正義顕揚の意義を持っておるのです。したがって、謗法に布施をしないように、謗法への供養をすることが誤りであるということを、一人でも多くの人に自覚せしめるために行うべきことは何かと言えば、それは「一人が一人の折伏」にあります。

今、宗門は「『立正安国論』正義顕揚750年」に向かって進んでおるのであります。ですから、縁のあるところから謗法の供養を止めさせる、その宗教が邪義であることを知らせることが必要であります。その折伏をお互いに行じていくことが、我々一人ひとりの幸せとなり、また多くの人々を救っていくことになるということをここに申し上げ、皆様方のいよいよの御精進をお祈りし、私の本日の講義に代える次第であります。



  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト

from: 21世紀さん

2009年02月27日 16時10分51秒

icon

「Re:御法主上人猊下御講義 立正安国論」
次に、仁王経を引かれます。

仁王経に云はく「仏波斯匿王に告げたまはく、是の故に諸の国王に付嘱して比丘・比丘尼に付嘱せず。何を以ての故に。王のごとき威力無ければなり」已上。

 ・仁王経に云はく、

この「仁王経」というのは、国土を正しく治め守るという内容において、波斯匿王に説かれたのであります。

 ・「仏波斯匿王に告げたまはく、

この「波斯匿王」は、当時インドに舎衛国(しゃえこく)という国があり、その国の王で、釈尊と同じ日に生まれているのです。また勝軍王という名前が付いており、戦って負けたことがないという、大変武力に勝れた王であったということです。

 ・是の故に諸の国王に付嘱して比丘・比丘尼に付嘱せず。何を以ての故に。王のごとき威力無ければなり」已上。

その波斯匿王が深く仏法を信じ、釈尊の教えを受けた因縁から、釈尊は波斯匿王に対して仁王経を説いたのです。これは国王のごとく広く強い勢力の威力を持っておる方が、仏法を受けて正しく護持し、それによって国を治め、多くの人々を幸せにすべきであるという意義から、この経を国王に付嘱されたのです。それに対し、国王のような威力を持たない比丘・比丘尼や、一般の人には付嘱をしないというわけであります。

結局この国王への付嘱という趣意は、正法を護り弘めるための、王様に対する特別な意味を述べておるのです。


涅槃経に云はく「今無上の正法を以て諸王・大臣・宰相及び四部の衆に付嘱す。正法を毀る者をば大臣四部の衆、当に苦治すべし」と。又云はく「仏の言はく、迦葉能く正法を護持する因縁を以ての故に是の金剛身を成就することを得たり。善男子、正法を護持せん者は五戒を受けず、威儀を修せずして、応に刀剣・弓箭・無槊(むさく)を持すべし」と。又云はく「若し五戒を受持せんの者有らば名づけて大乗の人と為すことを得ざるなり。五戒を受けざれども正法を護るを為て、乃ち大乗と名づく。正法を護る者は、当に刀剣器仗を執持すべし。刀杖を持つと雖も、我是等を説きて、名づけて持戒と曰はん」と。

 ・涅槃経に云はく、

次は、涅槃経の『長寿品』を引かれます。

 ・「今無上の正法を以て諸王・大臣・宰相及び四部の衆に付嘱す。

これは国王にも付嘱するが、国王のみならず、さらに大臣や宰相、四部の衆にも付嘱をするということです。「四部」というのは、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷です。

 ・正法を毀る者をば大臣四部の衆、当に苦治すべし」と。

すなわち、国王とさらに多くの方々に付嘱をし、その国民的意義において、もし正法を毀り、背く者があったならば、これをまさに「苦治すべし」、つまり懇(ねんご)ろにその悪心を治むべきであると示されるのです。

 ・又云はく、

次は、苦治についてより強い意味で述べられており、涅槃経の『金剛身品』の引文であります。

 ・「仏の言はく、迦葉

これは迦葉菩薩に対する説法で、迦葉が如来の法身の金剛不壊を得られた原因を質問したその答えです。

 ・「能く正法を護持する因縁を以ての故に是の金剛身を成就することを得たり。

すなわち仏は「正法を護持する因縁によって、私はこの金剛身を得ることができたのである」と答えます。この金剛の身というのは強く堅固で、どんなことをしても破ることのできない身という意味です。「金剛」というのは金剛石、ダイヤモンドですから、固くて破ることができない。そのように仏の身は破ることができないという意味であります。

 ・善男子、正法を護持せん者は五戒を受けず、威儀を修せずして、応に刀剣・弓箭・無槊(むさく)を持すべし」と。

続いて、その正法を護持する方法としては、五戒を受けず威儀を修することをしないで、刀剣等の武具を持つべきと言われるのです。けれども、この「五戒」というのは、人間のあらゆる生活の道徳上の基本です。つまり不殺生戒・不偸盗(ちゅうとう)戒・不邪淫戒・不妄語戒・不飲酒(おんじゅ)戒の5つですが、そのうちの特に不飲酒戒を除く4つは、先ほど言った殺生・偸盗・邪淫・妄語ですから、そういうことを行うのは基本的にはいけないことです。ところがそれをあえて「そういうことにとらわれるよりも、正しい仏法を守ることこそ大切である」という心であります。

次の「威儀」とは三千の威儀という言葉があり、釈尊教団の正式な比丘は二百五十戒という多くの戒を受けました。その二百五十戒を、行住坐臥と言って、人間生活の基本たる4つの行為の中で持つが故に、これが千になり、その千にさらに過去・現在・未来の三世を合わせますから三千となるのです。つまり一切にわたってこの戒を持っていくのが、威儀を修するということであります。

けれどもここでは大乗の教え、特に法を護るということからすれば、それらを修する必要がなく、その代わりに、刀や弓・矢・槍などの武器を持てと言うのです。これはつまり邪法邪義をもって正法を破る者があるならば、守護のために刀や槍などの武具を持てと言うのです。しかし、あえて殺せということではありません。正法の人を迫害するような者がもし来た場合には、刀を用いても法を護るために武装を許すという意味であります。

この例が、ずっと日本国の仏法にも伝わっておりまして、総本山での御大会のときにも、客殿から御影堂へ向かって行列が進みますが、そのときに総代の一人が裃(かみしも)姿で刀を持っております。あれが古式により刀剣を持って法を護るという姿です。その元の教えがここに述べられておるわけであります。

 ・又云はく、

次も前と同じく『金剛身品』の文です。

 ・「若し五戒を受持せんの者有らば名づけて大乗の人と為すことを得ざるなり。

つまり「五戒」は、小乗大乗に通ずる戒ですが、小乗からも出てきます。故に五戒のみを受けることは、むしろ小乗の意味になって、本当の大乗の戒を持つことにならないのです。

 ・五戒を受けざれども正法を護るを為て、乃ち大乗と名づく。

そして、すなわち正法を護ることが本当の大乗の戒であると、ここで言われておるわけです。

 ・正法を護る者は、当に刀剣器仗を執持すべし。

したがって、正法を護る者は、その必要に応じて刀や剣・兵器・杖、そういう敵を打ち倒すものを持って法を護るべしということであります。

 ・刀杖を持つと雖も、我是等を説きて、名づけて持戒と曰はん」と。

それで五戒等の個人的な道徳・規範、特に不殺生戒の規定にとらわれるよりも、大乗の法を護るために刀杖を持つことが、真に戒を持つことと示されるのです。


次も『金剛身品』ですが、これから先は、実際に法を護ることを行った聖者の過去の実例を挙げておられるのです。すなわち有徳王・覚徳比丘の事蹟であります。


又云はく「善男子、過去の世に此の拘尸那城に於て仏の世に出でたまふこと有りき。歓喜増益如来と号したてまつる。仏涅槃の後、正法世に住すること無量億歳なり。余の四十年仏法の未、爾の時に一(ひとり)の持戒の比丘有り、名を覚徳と曰ふ。爾の時に多く破戒の比丘有り。是の説を作すを聞き皆悪心を生じ、刀杖を執持して是の法師を逼む。是の時の国王名を有徳と曰ふ。是の事を聞き已はって、護法の為の故に、即便(すなわち)説法者の所に往至して、是の破戒の諸の悪比丘と極めて共に戦闘す。爾の時に説法者厄害を免るゝことを得たり。王爾の時に於て身に刀剣箭槊(せんさく)の瘡を被り、体に完き処は芥子の如き許りも無し。爾の時に覚徳、尋いで王を讃めて言はく、善きかな善きかな、王今真に是正法を護る者なり。当来の世に此の身当に無量の法器と為るべし。王是の時に於て法を聞くことを得已はって心大いに歓喜し、尋いで即ち命終して阿仏(あしゅくぶつ)の国に生ず。而も彼の仏の為に第一の弟子と作る。其の王の将従・人民・眷属の戦闘すること有りし者、歓喜すること有りし者、一切菩提の心を退せず、命終して悉く阿仏の国に生ず。覚徳比丘却って後寿終はりて亦阿仏の国に往生することを得て、而も彼の仏の為に声聞衆の中の第二の弟子と作る。若し正法尽きんと欲すること有らん時、当に是くの如く受持し擁護すべし。迦葉、爾の時の王とは則ち我が身是なり。説法の比丘は迦葉仏是なり。迦葉、正法を護る者は是くの如き等の無量の果報を得ん。是の因縁を以て、我今日に於て種々の相を得て以て自ら荘厳し、法身不可壊の身を成ず。

 ・又云はく「善男子、過去の世に・・・余の四十年仏法の未、爾の時に一(ひとり)の持戒の比丘有り、名を覚徳と曰ふ。

これは歓喜増益如来の化導において仏の滅後、正法が長く住し、次に「余の四十年仏法の末」とありますから、像法か、あるいは末法の時代に入ったのでしょう。その時に1人の持戒の比丘、戒を正しく持つ僧侶があり、その名を「覚徳」と称しました。

 ・爾の時に多く破戒の比丘有り。

そのときに、また多くの破戒の比丘があり、この者たちは正法を誹謗する一闡提の破戒に当たっていたと思われます。

 ・是の説を作すを聞き

「是の説」とは、僧侶たる者は修行と衆生化導を根本とすべきであり、物欲に頼ってはいけないと、覚徳比丘が破戒の者を諌(いさ)めたことを言うのです。

今の宗教団体の者たちの中には、信者から供養されたお金をもって、いろいろな事業をしたり様々なことを行って、直接金儲けをするような姿もあるようです。そういうことは、宗教者としてはよくないのです。ですから我が日蓮正宗では、そういうことは絶対にいたしません。僧侶が商估(しょうこ)に類する金儲けをするようなことはしてはいけないということが、『宗規』の中にも規定されているのです。ところが当時は、そういうことをしていた破戒の僧侶がおり、それを誡められたのが、この覚徳比丘であります。

 ・皆悪心を生じ、刀杖を執持して是の法師を逼む。

そして、破戒の比丘らはその言を聞き終わって、覚徳を殺そうという悪心を生じたのです。

欲のある者は、その欲の道を断たれると、非常に怒りを生ずるものです。これは現在の世間でも皆同じで、いろいろな悪いことをして金儲けをしている人間は、そのことを閉じられようとすると怒り狂って、あらゆる悪巧みをします。そのために人を殺したり、様々な迫害を及ぼすのであります。このときの破戒の僧侶もこれと同様、覚徳比丘を非常に憎み恨んで、殺そうとしたのです。

 ・是の時の国王名を有徳と曰ふ・・・是の破戒の諸の悪比丘と極めて共に戦闘す。

そのときに有徳という国王がこれを聞いて説法者のところに駆けつけて、破戒の比丘らが覚徳比丘を殺そうとするのを防ぎ、身を挺して戦いました。

 ・爾の時に説法者厄害を免るゝことを得たり。

その結果、覚徳比丘が悪い僧侶どもから殺される厄害を免れることができたということです。

大聖人様が文永元(1264)年11月11日、房州小松原において東条左衛門ら数百人に襲われたとき、直檀・工藤左近吉隆殿が身を挺して大聖人を守って戦い、ついに討ち死にされたのも、まさにこの仏法守護の実例であります。

 ・王爾の時に於て身に刀剣箭槊(せんさく)の瘡を被り、体に完き処は芥子の如き許りも無し。

その戦いによって有徳王は身体のあらゆるところに、敵の刀による傷を受けて、瀕死の状態であったということです。

 ・爾の時に覚徳、尋いで王を讃めて言はく、

この王のまさに臨終のときに及んで覚徳比丘は、王に対しその捨身の行為を讃歎します。

 ・善きかな善きかな、王今真に是正法を護る者なり。当来の世に此の身当に無量の法器と為るべし。

「あなたは本当に正法を護る方である。この功徳によってあなたの身は将来、無量の智徳を持つ法の器となるであろう」、つまり仏と成るであろうと言われたのです。

 ・王是の時に於て法を聞くことを得已はって心大いに歓喜し、尋いで即ち命終して阿仏(あしゅくぶつ)の国に生ず。

有徳王はこのことを聞いて心に大いなる歓喜を抱き、そこで命を終わりました。この王様は、その功徳をもって阿仏という仏様の国に生じたということです。この阿仏は、法華経の『化城喩品』に、大通智勝仏の十六王子の成道を示される中の一番目の仏としてその名があります。

 ・而も彼の仏の為に第一の弟子と作る。

この王はその仏の国土に生じて、その仏の第一の弟子となったのです。

 ・其の王の将従・人民・眷属の戦闘すること有りし者・・・命終して悉く阿仏の国に生ず。

また王様の臣下として極めて共に戦闘した人たちが皆、一緒に阿仏の国に生じて、立派な菩提を成ずることができたと言われるのです。

 ・覚徳比丘却って後寿終はりて亦阿仏の国に往生することを得て・・・第二の弟子と作る。

さらにこの覚徳比丘もまた、死んだ後に阿仏の国に生じて、その仏の第二の弟子となったということです。

この過去の事例を挙げられた釈尊は、正法がまさに尽きようとするときには、我が命を捨ててもこのように法を受け持ち、護るべきであるとおっしゃるのであります。

大聖人様は、内・大・実・本・種の五重の深義の上から、三世にわたり一切衆生を救う究極の仏法たる三大秘法を正しく弘めていくためには、まさにこの根本の法を命懸けで護るということをあくまでも根底とされております。これは『三大秘法抄』のあの大事な戒壇の文の中に、「有徳王・覚徳比丘の其の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時」(御書1595ページ)と示され、究極の戒壇建立の大事に関し、有徳王・覚徳比丘の故事を引き給うところに明らかであります。もって深くこのお示しを拝すべきであります。

 ・迦葉、爾の時の王とは則ち我が身是なり。

さて釈尊が迦葉に対して呼びかけ、示されたのは、そのときの王すなわち有徳王とは、釈迦仏の前身であるということをおっしゃるのです。

 ・説法の比丘は迦葉仏是なり。

次の「説法の比丘」すなわち覚徳比丘とは、迦葉仏と成った方と言われます。「迦葉仏」は、釈尊が出現する前に出られた仏様であります。

 ・迦葉、正法を護る者は是くの如き等の無量の果報を得ん。是の因縁を以て、我今日に於て種々の相を得て以て自ら荘厳し、

そして、このように命を懸けて法を護る因縁があったから、結局、無量の果報たる仏の相を得ることができたと言われるのであります。仏の相には、三十二相八十種好というのがありまして、それらはみんな非常に勝れてめでたい相なのです。百福荘厳と言って、無量の善を行って一相を得ると言います。しかし、その元は護法の因縁によると言われるとおり、仏様は根本の正法を護る徳によって、三十二相という種々の相を得られたということです。

 ・法身不可壊の身を成ず。

「法身」とは、法界を体とし、その大真理と一体の身を言います。それは広大深遠の徳がある故、壊(やぶ)ることができない、それを「不可壊」と言うので、そういう尊い身を成じたと示されるのです。


仏、迦葉菩薩に告げたまはく、是の故に護法の優婆塞等は、応に刀杖を執持して擁護すること是くの如くなるべし。善男子、我涅槃の後、濁悪の世に国土荒乱し、互ひに相抄掠し、人民飢餓せん。爾の時に多く飢餓の為の故に発心出家するもの有らん。是くの如きの人を名づけて禿人と為す。是の禿人の輩、正法を護持するを見て、駈逐して出ださしめ、若しくは殺し若しくは害せん。是の故に我今持戒の人諸の白衣の刀杖を持つ者に依って、以て伴侶と為すことを聴(ゆる)す。刀杖を持つと雖も我是等を説きて名づけて持戒と曰はん。刀杖を持つと雖も、命を断ずべからず」と。法華経に云はく「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば即ち一切世間の仏種を断ぜん。乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」已上。

 ・仏、迦葉菩薩に告げたまはく、是の故に護法の優婆塞等は、応に刀杖を執持して擁護すること是くの如くなるべし。

そこで以上の護法の功徳を受けて、仏は迦葉菩薩に向かって、在家の信者はまさに刀杖を帯して法を護るべきであると説かれます。

 ・善男子、我涅槃の後、濁悪の世に国土荒乱し、互ひに相抄掠し、人民飢餓せん。爾の時に多く飢餓の為の故に発心出家するもの有らん。是くの如きの人を名づけて禿人(とくにん)と為す。

その故は未来においても仏の滅後、濁悪の世に国土が乱れ、お互いに他の物をかすめ取り、人民が飢え苦しむときに、まことの道心もなく、飢えを凌(しの)ぐために出家して、民の供養を受けつつ不善をなす者が出るであろう、これを「禿人と為す」と言われます。

 ・是の禿人の輩、正法を護持するを見て、駈逐して出ださしめ、若しくは殺し若しくは害せん。

この「禿人」というのは、要するに心が非常に荒(すさ)んでおり、自分の欲のために出家をする人です。今日では、我がまま勝手に宗教を翫(もてあそ)ぶ者たちがこれに当たります。道心の上から正しい法を護り、多くの人々を導こうという僧侶は大切ですが、そうではなく、権力欲・支配欲・独占欲等の自分の欲のため、栄耀栄華を得るために僧侶や宗教者になる。「あれは宗教家だ」ということで御供養してくれることを見込んで指導者の振りをする。要するに、欲のためですから、正しい法を行ずる人を見て、必ず怒りを生ずるわけです。

今、創価学会が宗門に対して邪悪な怒りを生じ、あらゆる罵詈・誹謗を行っています。けれども、私どもは決して彼らを怒っていません。地獄に堕ちる気の毒な者共だから救わなければならないと思うものです。これが、私どもの常に折伏をしようという心です。しかし彼らは、あらゆる点で嘘が多く、しかも正しい人にありとあらゆる迫害・妨害をする。これは心中に我欲が充満しているから不当な怒りを生じておるのです。つまり、その一番の元に彼らの邪悪な欲望がある。ですから、この「禿人」と同じなのです。つまり欲によって自分たちの宗教を誤魔化して立てながら、その欲をあくまで貫こうとするために、正しい僧団を見て怒りを生ずるわけです。仏説は、このように未来、末法濁悪の謗法者について、きちんと説かれておるのであります。

 ・是の故に我今持戒の人諸の白衣の刀杖を持つ者に依って、以て伴侶と為すことを聴(ゆる)す。

そこで、そういう正法を持つ比丘を護るために在家の方が、場合によっては刀を持ち、杖を持ち、説法者を守り、同伴することを許されているのです。

 ・是の故に我今持戒の人諸の白衣の刀杖を持つ者に依って、以て伴侶と為すことを聴(ゆる)す。


そしてこの行為こそ、戒を持つ善人として讃めるべきであると言われます。

 ・刀杖を持つと雖も、命を断ずべからず」と。

しかし、そこで最後の言葉として、刀杖を帯びることについて一言きちんと釘を打たれていることに注意すべきです。すなわち刀杖等の武器を持っておるからといって、軽々しく人の命を奪ってはいけないと言われるのです。ここに刀杖の許可を挙げながら

  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト

from: 21世紀さん

2009年02月27日 16時06分53秒

icon

「Re:Re:御法主上人猊下御講義 立正安国論」
さて、次は涅槃経『聖行品』を引かれます。今度の経文には、謗法者の命を断つという意味が出てきます。しかし、この殺すということも、実は正法を護るという意義より示されるのであります。


又云はく「我往昔を念ふに、閻浮提に於て大国の王と作れり。名を仙予と曰ひき。大乗経典を愛念し敬重し、其の心純善にして麁悪嫉悋(そあくしつりん)有ること無し。善男子、我爾の時に於て心に大乗を重んず。婆羅門の方等を誹謗するを聞き、聞き已はって即時に其の命根を絶つ。善男子、是の因縁を以て是より已来地獄に堕せず」と。又云はく「如来昔国王と為りて菩薩道を行ぜし時、爾所(そこばく)の婆羅門の命を断絶す」と。又云はく「殺に三つ有り、謂はく下中上なり。下とは蟻子乃至一切の畜生なり。唯菩薩の示現生の者を除く。下殺の因縁を以て地獄・畜生・餓鬼に堕して具に下の苦を受く。何を以ての故に。是の諸の畜生に微かの善根有り、是の故に殺す者は具に罪報を受く。中殺とは凡夫の人より阿那含に至るまで是を名づけて中と為す。是の業因を以て地獄・畜生・餓鬼に堕して具に中の苦を受く。上殺とは父母乃至阿羅漢・辟支仏・畢定の菩薩なり。阿鼻大地獄の中に堕す。善男子、若し能く一闡提を殺すこと有らん者は則ち此の三種の殺の中に堕せず。善男子、彼の諸の婆羅門等は一切皆是一闡提なり」已上。

 ・又云はく、「我往昔を念ふに、閻浮提に於て大国の王と作れり。名を仙予と曰ひき。

すなわち昔、仙予という国王がいたのであり、それは釈尊が自分の前身であるとおっしゃっておるのです。その仙予国王が現れた時には、その国の状態において、仏様がまだ出世しておられなかったのです。それから菩薩もいなかったし、声聞・縁覚というような聖者もいなかったのです。したがって宗教・道徳についても、その道を説くところの婆羅門という指導者の教えを受けて、12年間、様々に国王としての種々の道を勉強してきたのです。

 ・大乗経典を愛念し敬重し、其の心純善にして麁悪嫉悋(そあくしつりん)有ること無し。

けれども本来、仙予国王は、不思議な因縁で以前に大乗経典を聞いておったために、大乗の教えに対して非常に憧憬の念を持ち、またそれを大切と思っておりました。故に心は純真に善事を心掛け、様々の悪心や嫉みや物を惜しむ心がなかったと言われます。

 ・善男子、我爾の時に於て心に大乗を重んず。

そこでで12年を過ぎたとき、仙予国王が婆羅門に対して「私は、どうしても大乗の教えが正しいと思う。我々は、すべからく本当の菩提心を起こして、大乗の教えによって正しい道を学ぶべきである」という信念を述ベたわけです。

 ・婆羅門の方等を誹謗するを聞き、聞き已はって即時に其の命根を絶つ。

ところがそのとき、師匠であった婆羅門が「あの大乗の教えなどは、虚空のように掴みどころのない空虚な教えであって、そんなものは考えるに足らないものである」と答えたのです。そのときに仙予国王が、その言葉を聞き終わって、直ちにその人の命を断ってしまったのです。

 ・善男子、是の因縁を以て是より已来地獄に堕せず」と。

それについて釈尊が「善男子よ、私のこの殺の因縁は善事である故に、この功徳によってこれより以後、地獄に堕ちることがないのだ」と仰せになっている文であります。

 ・又云はく、

それでこのところでは、一体、謗法者を殺すことにおいては、どのような意味があるのかについて、涅槃経の『梵行品』を引かれて述べられます。

 ・「如来昔国王と為りて菩薩道を行ぜし時、爾所(そこばく)の婆羅門の命を断絶す」と。

この『梵行品』の内容においては、前の部分から釈尊が、菩薩が仏に成るための大きな慈悲についてずっと説いてきておるのです。特にこの場合は、菩薩にも段階があり、下のほうの初心の菩薩から、かなり高く深い境界になったような上位の菩薩がありますが、非常に勝れた境界の菩薩になると、常にあらゆる人を導こうという気持ちになって励むのです。そのような菩薩の境界について、仏様がこの『梵行品』でずっと説いておるのであります。

特に、自分に仇をする者、またはどんな者に対してでも、根本的にはこの者を救おうという気持ちを持って導くことが大切であると説いているのです。そのときに、それらの始終を聞いておったのが迦葉という菩薩でありました。そのことに関してこの菩薩が疑問を感じ、一切衆生を慈悲をもって導くべしと言われるけれども、仏様、あなたは昔、婆羅門を殺し、命を断ったことがあると言われたではありませんか」という質問の言葉が、この文なのです。

この『梵行品』に説かれている中に「一子地(いっしち)」という菩薩の境界がありますが、これは自分の子供に対しては、親はありとあらゆる愛情を傾けて、自分の命にも代えて子供を救おうとする、そのような境界であり、つまりあらゆるものを救おうとする菩薩の境界を言うのです。そのような菩薩の境界であなたは説いているにもかかわらず、あなたは昔、婆羅門を殺したと言うのは、一仏二言の矛盾ではないかと、釈尊の言の矛盾背反を詰(なじ)る質問の文なのです。

それに対して釈尊は、迦葉菩薩を納得させるためにいろいろ説かれるのですが、その文は原経典にあって『安国論』に引用はされていません。簡略に申しますと、要するに釈尊は「この婆羅門を、憎いという悪い心をもって殺したのではない」とおっしゃるのです。「このままいけば、この者は必ず地獄へ堕ちる、したがって今殺すことによって命を改めさせ、それによってむしろこの大乗をもって殺された因縁において、将来、正しい大乗の教えにおいて救われることになる意義を観じ、その慈悲の気持ちを持って殺したのである」と言われました。

したがって、その殺した行為の元となる心は、菩薩が一子地に住して、親が子供を本当に救おうというごとき、菩薩が一子地に住して衆生を救う慈悲の気持ちといささかも変わりないものであったと釈明されたのであります。つまり大乗を誹謗する者に対し、慈悲の上からその命根を断つ行為を護法の手段として挙げられているのです。

 ・又云はく、「殺に三つ有り、謂はく下中上なり。

ここからの経文も、涅槃経『梵行品』です。殺という行為の不可と可についての仏説を挙げられるのであります。

「下中上なり」とは、つまり殺の行為には下と中と上の3段階の罪があると言われます。まず初めに「下」とは、殺す罪の中でも一番軽い罪を言うのです。

 ・下とは蟻子乃至一切の畜生なり。

この下殺とは、諸の畜生を殺すことであると示されています。

 ・唯菩薩の示現生の者を除く。

ただ「菩薩の示現生」というのは、菩薩が特別に衆生を導く誓願により畜生として生まれ、自分が殺されることによって、その因縁で衆生を救うという、深い三世の仏法の因縁果報の上からの誓願によるものです。したがって、それを殺しても罪にはならないと言われるのです。

 ・下殺の因縁を以て地獄・畜生・餓鬼に堕して具に下の苦を受く。

けれども、それ以外の畜生について殺生を犯せば、具に下殺の因縁で地獄・餓鬼・畜生に堕し、「下の苦」、すなわち「上」「中」に比べれば比較的に軽い苦を受けるとの仏説です。

 ・何を以ての故に。是の諸の畜生に微かの善根有り、是の故に殺す者は具に罪報を受く。

つまりこれらの畜生にも、生を受けた命には過去の善根が微かに存在する。故にこれを殺せば、やはり罪を受けるのです。これは法界全体観の上から見る仏の知見であります。それによれば、蟻を殺しても地獄へ堕ちると書いてあるのです。すなわち仏教を正しく勉強すると、蟻も理由なく殺してはいけないということが判るのです。蟻も微かな善根の命を持っているから、無益に悪心をもって残虐な心によって殺せば、やはりそれだけの報いを受けると言われるのです。これは、蟻に限らず一切の畜生を殺すのも同様で、やはり仏法の上から罪になるのです。

 ・中殺とは凡夫の人より阿那含(あなごん)に至るまで是を名づけて中と為す。

この「中殺」とは、人を殺す罪がこれであります。普通の凡夫の、つまり凡人から阿那含までを殺すのは「中」の罪業になるのです。

「阿那含」というのは、下のほうから須陀亘(しゅだごん、初果)・斯陀含(しだごん、二果)・阿那含(三果)・阿羅漢(四果)という4つの聖者の位があるうちの、先ほど出た阿羅漢より1つ下の位でありまして、かなり上の境界であります。これは「不還果」と言いまして、三界のうちの欲界の煩悩を断尽した聖者の名であります。ただし未だ色界・無色界の思惑が残っていますから、未だ三界を脱却できないけれども、欲界に再び生まれることはないのです。しかし、まだ完全な聖者ではないという意味がありますから、凡夫の人から阿那含までを殺すのを「中殺」と名付けるということであります。

 ・是の業因を以て地獄・畜生・餓鬼に堕して具に中の苦を受く。

この業因によって、地獄・餓鬼・畜生に堕ちて具に「中の苦」を受けると説かれます。

 ・上殺とは父母乃至阿羅漢・辟支仏・畢定の菩薩なり。

この「上殺」には、先ほど言った五逆罪という意味が出てきます。父を殺し、母を殺し、阿羅漢を殺す。これらは五逆罪です。さらに辟支仏、畢定の菩薩を殺すということです。阿羅漢と辟支仏は、大体同じような意味ですが、阿羅漢は声聞の極位で、辟支仏は縁覚の聖者という位であります。皆さん方が読んでいる『方便品』と『寿量品』の中にも、「辟支仏。所不能知」(法華経88ページ)「辟支仏。以無漏智」(同430ページ)という文が出てきます。

この辟支仏の「辟支」という語には、各々、独、一人という意味があるのです。それから「仏」という字は、当然「覚」という意味です。ですから辟支仏は一人で覚る、すなわち独覚という意味で、十二因縁という法門がありますが、その無明・行・識・名色(みょうしき)・六入・触・受・愛・取・有・生・老死を自分で観じつつ煩悩を断じ、空理を覚っていくのです。山林に入って修行をし、それによって心を研ぎ澄ましつつ十二因縁を観じ、それによって覚るのが辟支仏で、阿羅漢と同様の聖者のことであります。

次に「畢定の菩薩」という「畢」とは、「おわる」という意です。「定」は「さだまる」ことで、したがって「畢定」というのは「おわりさだまる」、いわゆる深い仏法において修行すべきことが完全に畢り定まったという意味であります。ですから非常に勝れた境界の菩薩、いわゆる不退の菩薩ということであります。

 ・阿鼻大地獄の中に堕す。

つまりこれら父母・阿羅漢・辟支仏・畢定の菩薩を殺す場合は、阿鼻大地獄という、最も重く苦しい地獄に堕ちると言われるのです。

 ・善男子、若し能く一闡提を殺すこと有らん者は則ち此の三種の殺の中に堕せず。

この文は、前の三種の殺罪が不可であることと比較対照して、殺の可を示されるのです。すなわち、一闡提を殺すということは、前の三種と異なって罪にならないと言われる。

 ・善男子、彼の諸の婆羅門等は一切皆是一闡提なり」已上。

その上で「彼の諸の婆羅門」とは、釈尊が過去において仙予国王だったときに殺した者であり、これは一闡提の悪人であったと言うのです。したがって、それらを殺すことは罪にはならないと言うと共に、同時にまた仏が殺を犯したその境界が、先ほども言ったとおり、悪心を持って殺したのではなく、慈悲の上に殺したということなのです。その両面の意味を含めて、殺は悪いけれども一闡提を殺すのは罪にならないと言われるのであります。さらに、この殺すという趣意が、正しい法を護るということに、その根本の目的があるということを申しておきます。

また、この『安国論』で後の第八問答に出てくる主意から言えば、たとえ一闡提人といえども無闇に人を殺さず、別の方法をもってその邪悪を止めるという義のあることを申し添えておきます。


  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト

from: 21世紀さん

2009年02月27日 16時05分02秒

icon

「Re:御法主上人猊下御講義 立正安国論」
まず涅槃経を引かれます。


即ち涅槃経に云はく「仏の言はく、唯一人を除きて余の一切に施さば皆讃歎すべし。純陀問ふて言はく、云何なるをか名づけて唯除一人と為す。仏の言はく、此の経の中に説く所の如きは破戒なり。純陀復た言はく、我今未だ解せず、唯願はくは之を説きたまへ。仏純陀に語りて言はく、破戒とは謂はく一闡提なり。其の余の在所一切に布施するは皆讃歎すべし、大果報を獲ん。純陀復問ひたてまつる。一闡提とは其の義如何。仏の言はく、純陀、若し比丘及び比丘尼・優婆塞・優婆夷有りて麁悪の言を発し、正法を誹謗せん。是の重業を造りて永く改悔せず、心に懺悔無からん。是くの如き等の人を名づけて一闡提の道に趣向すと為す。若し四重を犯し五逆罪を作り、自ら定めて是くの如き重事を犯すと知れども、而も心に初めより怖畏・懺悔無く、肯へて発露せず。彼の正法に於て永く護惜建立の心無く、毀呰軽賤して言に禍咎(かぐ)多からん。是くの如き等の人を亦一闡提の道に趣向すと名づく。唯此くの如き一闡提の輩を除きて其の余に施さば一切讃歎すべし」と。

この経文の「施さば」という文は、布施供養のことなのです。皆さん方も、本当に気の毒な人を見たときに、たとえわずかな食べ物、あるいはお金であっても、これをあげることによってその人が救われそうだというときには、そういう物をあげようという気持ちになるでしょう。これが要するに仏法でいう布施の一分なのです。

それからもう一つは、非常に勝れた教えを説く方に対して、自分が応分の気持ちをそこに捧げ、その法を説く方に供養をする、これがいわゆる布施なのです。布施をした人は、その法と人へ布施をすることにおいて大きな功徳も生ずるし、また受けた方はその布施によって何分かの生活の道を得て、さらに法を正しく説いていくことができるわけです。

大聖人様の御書を拝しますと、四百余編の御書の中で特に御消息の文には、布施すなわち御供養を戴いたということに対して、本当に有り難いということを述べられると共に、その功徳を説かれております。故に仏法においても、それから社会の上においても、布施ということは非常に大事とされておるのです。

キリスト教でも、バザーなどのイベントを行って、みんながお互いにいろいろな物を出し合って、困っている人たちに分かち与える習慣があるようですが、これはすべての人間の、助け合うという通有性であります。

仏法の修行において、さらに広く深い意味において述べたのが六度、すなわち布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧という6つの修行ですが、その中で最初に出てくるのが布施であります。故にこの布施ということが非常に大事なのです。

 ・即ち涅槃経に云はく「仏の言はく、

さて、この引かれた文は、涅槃経の『一切大衆所問品』という品の一節です。釈尊は、亡くなるときに拘戸那掲羅(くしながら)という国へお出でになり、そこの純陀(じゅんだ)という信徒の家へ行かれました。そこでその純陀が、釈尊をはじめ弟子や多くの人たちに、真心を込めた食事の御供養をするわけであります。そしてそれを受け終わって釈尊は、沙羅双樹林というところに至って、そこで亡くなるのです。

この純陀の家において彼は釈尊に対して、「布施、つまり御供養をするということは、あらゆる人にすべきなのでしょうか」ということを質問するわけです。つまりどんな人にでも御供養していいのか、それともそこに善い悪いのけじめがあるのかということです。その質問に対しての答えが、ここに述べておられる御言葉です。

 ・唯一人を除きて余の一切に施さば皆讃歎すべし。

つまり、ある一人の者だけは布施をしてはならない、除くべきであり、その他のあらゆる者については、その人々に布施をすることで、その人を助けることになるから、大きな功徳として讃歎されるべきであると言われたのです。

 ・純陀問ふて言はく、云何なるをか名づけて唯除一人と為す。

そこで純陀は、「ただ一人を除くというのは、一体誰のことですか」と聞くのであります。

 ・仏の言はく、此の経の中に説く所の如きは破戒なり。

釈尊はこれに答えて、ただ一人というのは戒を破る者であると答えます。すなわち戒を破る者については、供養をしてはいけないということです。

 ・純陀復た言はく、我今未だ解せず、唯願はくは之を説きたまへ。

これに対する、純陀の質問は何かと言うと、単に破戒であると言われても、意味が広くてはっきりしないことにあります。つまり戒には実にたくさんの種類があるのです。重い戒もあれば簡単な戒もある。戒を破るという中でも、ちょっとした小さな悪いことは誰でもやることです。例えば、軽い気持ちで悪態をつくとか、嘘を言うとか、子供が時として親に反抗するとかというようなことは、いつもあることです。けれども、そのようなことも戒律の全体の上からいくと、戒は実に広い内容を含む故に結局、戒を破ることになるわけです。それら全部の行為を破戒として決めつけるとなると、誰に対しても供養することができないことになります。そこで純陀としては、この仏の言葉が具体的によく判らないから、さらに判るように説いてくださいと願うのです。

 ・仏純陀に語りて言はく、破戒とは謂はく一闡提なり。其の余の在所一切に布施するは皆讃歎すべし、大果報を獲(え)ん。

それに対して、仏はここにはっきりとした意味で、破戒とは特に「一闡提」の者であると示され、一闡提だけには布施供養をしてはいけない。それ以外の者に対しては、布施を行うことによってその徳を皆から讃歎され、大きな善い果報を得ると言われたのです。

 ・純陀復問ひたてまつる。一闡提とは其の義如何。

そこで純陀は、その一闡提という者は、どういう者で、何なる義によって供養してはいけないのですかと問うのです。

 ・仏の言はく、純陀、若し比丘及び比丘尼・優婆塞・優婆夷有りて麁悪の言を発し、正法を誹謗せん。是の重業を造りて永く改悔せず、心に懺悔無からん。

仏はこれに答えて、仏弟子たる比丘・比丘尼、また信者としての男女の中で、麁悪の言を発し、正法を誹謗しつつ、しかも改悔なく懺悔しない者が一闡提という重罪の道に趣くことであると言われました。「麁悪」とは、要するに仏法に背く邪義の悪言で、それによって正しい法を誹謗する。

この正しい法というのは、仏教においては段階があります。小乗仏教も、仏教の他の外道の教えに対しては非常に勝れ、かつ正しい意味がある。しかし、小乗仏教と大乗仏教を相対すると、大乗のほうが勝れて正しいわけで、したがって大乗が正法となります。さらに権教と実教を相対したときには、方便の権教に対して真実の教えとしての法華経が、本当の正法なのです。

その正法を誹謗するというところに、大きな罪業を生じます。それがいわゆる本当の悪であるということを、ここで言っているのです。ですから一闡提という悪の定義が、まずここで示されておるわけであります。続いて「四重」と「五逆罪」ということから、この一闡提を通常の広い意味から重ねて詳しく述べるのですが、要はこの正法を誹謗するというところが、一闡提の一番中心の悪なのです。


 ・若し四重を犯し五逆罪を作り、

「四重」というのは、殺生・偸盗・邪淫という十悪の中の身の3つと、口に4つある中の一つである妄語を特に抽(ぬき)ん出て、これを4つの重い罪とするのです。

それより重いのが、次の「五逆罪」であります。まず第一は、父を殺すことです。第二は、母を殺すこと。これは大変な悪事です。最近では平気でお父さんやお母さんを殺している者がある。あれはまさに、今、日本国に悪鬼が乱入しておる姿です。第三が、阿羅漢を殺す。阿羅漢というのは、いわゆる聖者を言うのです。煩悩を断尽したところの徳の高い人を殺すことです。

次の第四が出仏身血(すいぶつしんけつ)、すなわち仏の身から血を出だすということであります。提婆達多が釈尊を殺そうとして、釈尊の通られる道の高い所から大石を落として仏を押し潰そうとしましたが、その石の破片が釈尊の足の指に当たって血が出たという説があります。それから、文永元(1264)年11月11日、房州の小松原において、東条左衛門景信等の数百人の者が、槍・刀・弓矢等で大聖人様を殺そうと襲いかかったのです。このとき大聖人様の弟子の鏡忍房は、大聖人様を守るべく奮闘して殺されてしまうのです。さらに大聖人様の檀那であった工藤吉隆という方が駆け付けて、命を賭してお守り申し上げたのですが、この方もそのときに命を落としました。しかるに、このような大難であったにもかかわらず、大聖人様は不思議にも命を落とされなかったのです。東条景信をはじめとする多くの人間が大聖人様を目標として取り囲み、害そうとして弟子・檀那に死人が出たけれども、結局、大聖人様は額(ひたい)に傷を受けられ、左の手を打ち折られたのみで、殺されることがなかったのです。これはやはり大聖人様が仏様、下種の本仏だからなのです。先ほどの五逆罪の中に、父を殺し、母を殺し、阿羅漢を殺すという規定はありましたが、仏を殺すという規定はありません。どんなに悪魔・悪鬼が仏様を殺そうとしても殺せないのが仏様なのです。そこで結局、仏身より血を出すのが五逆罪の1つになっておるのです。

それから五逆罪の5つ目が、破和合僧です。これは仏や仏弟子が正しい法を持って、心を一つにして異体同心に法を弘めようとするその和合の信心の姿に対し、いろいろな罵詈誹謗をして間を裂き、和合僧を破ろうとすることです。これは今、創価学会が行っていることが、まことにその通りです。そういう形が破和合僧という大逆罪になります。

 ・自ら定めて是くの如き重事を犯すと知れども、而も心に初めより怖畏・懺悔無く、肯へて発露せず。

悪鬼入其身の故にこのような大罪を犯しても恐れることなく、反省のない者を言うのです。特に、この「懺悔がない」ということは、悪いことを行っていながらも、少しも悔い改めず、悪いと思わないことです。「こんなことぐらい当たり前だ。自分は己の信念と自覚においてこういうことを行っているのだ」というような考えにおいて、悪いことをしていながら、少しも悪いと思わない。この懺悔がないということも、創価学会にそっくり当てはまります。

また、「発露せず」とは、自ら罪をはっきりと自白し、他に告白することがないということです。

 ・彼の正法に於て永く護惜建立の心無く、

このように悪事を犯して、恐れも反省も告白もない故に、正法に対して「護惜建立」の心、つまり正法を護り惜しみ、これを正しく建てて行こうという心が必然的に失われることになる。

 ・毀呰(きし)軽賤して言に禍咎(かぐ)多からん。

したがって「毀呰軽賤」、すなわち正法を毀(そし)り軽んじ賎しめる大不道徳を行う故に、禍を起こし咎を来たす誤りの言葉がまことに多くなるであろうと言われます。結局、正法誹謗が一闡提であると述べられておるのです。

 ・唯此くの如き一闡提の輩を除きて其の余に施さば一切讃歎すべし』と。

これは布施に関する結論の文です。つまりわずかに悪いことをしている人にも布施を、してはいけないと言うのではなく、一闡提のような悪人にだけは布施をしてはいけないと言うのです。つまり布施をすることによって、ますますその一闡提の者たちの悪が増長する。その布施が結局、悪事を行うのを助けることになるわけですから、その人自身が結果として悪業を積むことになるのです。自分では布施をして善いことをしているつもりでも、かえって悪業を積むことになってしまうのです。

創価学会の多くの会員が、創価学会は正しい広宣流布の団体であると思い込んで、財務などと言ってお金を出していますが、あれが仏法背反の大悪団体である以上、それに布施することは大悪の行為なのです。そこのところを皆さん方は、しっかりと肚に入れていただきたいと思います。

  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト

from: 21世紀さん

2009年02月27日 15時59分08秒

icon

「Re:御法主上人猊下御講義 立正安国論」
於夏季講習会第7・8期



今日は、第七問答から始まることになります。この第七問答は、経文の証拠を引いて、国難退治の実際の要術について、どういうことが大切であるかということを述べられるのであります。

<第七問答:施を止めて命を断つ>


客則ち和らぎて曰く、経を下し僧を謗ずること一人には論じ難し。然れども大乗経六百三十七部・二千八百八十三巻、並びに一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て、捨閉閣抛の四字に載す。其の詞勿論なり、其の文顕然なり。此の瑕瑾(かきん)を守りて其の誹謗を成せども、迷ふて言ふか、覚りて語るか。賢愚弁(わかた)たず、是非定め難し。但し災難の起こりは選択に因るの由、盛んに其の詞を増し、弥其の旨を談ず。所詮天下泰平国土安穏は君臣の楽ふ所、土民の思ふ所なり。夫国は法に依って昌え、法は人に因って貴し。国亡び人滅せば仏を誰か崇むべき、法を誰か信ずべきや。先ず国家を祈りて須く仏法を立つべし。若し災を消し難を止むるの術有らば聞かんと欲す。

 ・客則ち和らぎて曰く、

今までずっと論じてきまして、主人が道理の上から道理・文証・現証を示されるので、客がいささかその怒りを和らげてきたのであります。

 ・経を下し僧を謗ずること一人には論じ難し。

それで「一往、あなたの言うことを考てみるが、しかし貴僧が言うごとく、法然が一切経乃至法華経を下し、また一切の聖道門の聖僧を謗ずるということの是非については、私一人では軽々に論断することはできない」と言うのです。つまり客は、私一人でそういう大事を論じ、定めるわけにはいかない。まだはっきりしないと言うのです。

 ・然れども・・・一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て、捨閉閣抛の四字に載す・・・其の文顕然なり。

しかしながら、法然の『選択集』に「大乗経六百三十八部・二千八百八十三巻」、それから「一切の諸仏菩薩及び諸の世天等」について、皆その「捨閉閣抛」の四字に載せておることはあきらかな事実として認めるのです。この四字の「捨」とは捨てよ、それから「閉」とは閉じよ、「閣」は閣(さしお)け、「抛」は抛(なげう)てということで、これはあらゆる経文と仏菩薩等について、この四字を実行せよと示しております。すなわち『選択集』にその言葉ははっきりとあり、またその文も明らかであると肯定します。

 ・此の瑕瑾(かきん)を守りて其の誹謗を成せども・・・是非定め難し。

しかしながら、まだ客は法然という人は立派な偉い僧であると思い込んでいますから、「それは珠のような人格における僧侶の瑕瑾、すなわち珠の瑕であるには違いないけれども、わざわざその傷についてとらわれて誹謗をなしておる。したがって、あなたの言うことは一体、迷っているのか、覚っているのか、あなたが本当に賢いのか愚かなのか、利口なのか莫迦なのか、その是非は定められない」と答えます。

この「是非定め難し」の「是非」ということは、日常の生活でみんな使っておることで、「是」は正しいこと、「非」は間違ったことを言うのです。つまりあなたの言葉について、私がはっきりとその正邪を定めることはできないとまず申します。

しかしこの次に、客は続いて実際的、具体的な問題について論ずるのです。

 ・但し災難の起こりは選択に因るの由、盛んに其の詞を増し、弥其の旨を談ず。所詮天下泰平国土安穏は君臣の楽ふ所、土民の思ふ所なり。

すなわち「あなたの言っていることが本当か嘘か判らないけれども、このような災難が並び起こり、多くの人々が悩み苦しんでおることについて、それが『選択集』によることを盛んに言葉を多くし、その旨を談じておる。しかしながら詮(あき)らめるべきところは、あなたの言う天下泰平・国土安穏ということであり、これはあらゆる人々が願うところであり、土民の思うところである」と、この点は肯定するのです。

今の日本の国では一往、民衆の生活は満ち足りた形があります。ですからあまり衣食住、その他の苦しみのことを知らない。特に、時の経過と共に今では戦争中の様々な苦しみを知っている人が少なくなってきています。戦争中の国民生活は、実に悲惨なものがありました。特に東京や大阪、その他の大空襲で、炎の中で亡くなっていった多くの人がありました。そして食べる物もほとんどなく、家は焼かれ、阿鼻叫喚の地獄相や餓鬼の苦しみにさいなまれたものです。あの頃の本当にひどい状態を、今では知らない人が増えておるように思います。しかるに、あらゆる災難が起こってくる中に、昔は疫病も盛んであり、様々な不如意の難が起こる生活の中で、本当に苦しいということが判るのです。

そういう苦しい中にいると、「何とか幸せになりたい」「もっと安楽になりたい」と、誰もが切実に思うのです。いつでも飛行機がやってきて、焼夷弾(しょういだん)を落とされ、大火災になっていつ死ぬか判らないという状態だと、そこから何とか抜け出したいという気持ちに本当になるのです。若い人は知らないでしょうが、この中でお年寄りの方は、まだそのことを覚えている方も少しはいるでしょう。もっとも太平洋戦争が終わったのが昭和20年ですから、あれからもう58年経っているわけで、ほとんどの人はもう知らないわけです。

ですから、この「天下泰平国土安穏は君臣の楽ふ所」ということが、あらゆる国土の災難の起こっている状態においては、切実に感ずるのであります。

 ・夫国は法に依って昌え、法は人に因って貴し。

国家というものは、間違った考え方による法が制定せられていると、必ずその国家が乱れてくるという姿があるのです。したがって、その国は法の如何によって栄えもするし、また衰えもするということをおっしゃるのであります。

もっとも、これは客の言葉の部分ですけれども、道理を示されたのであります。そしてその法はまた、それを正しく弘め行ずるところの人によって、その法の功徳が現れてくるということを示されるのであります。

 ・国亡び人滅せば仏を誰か崇むべき、法を誰か信ずべきや。

故に、もしもその国が滅び、人も滅してしまったならば、仏を誰か崇むることができようか、また法を誰か信ずることがあろうかという、最悪の状態を提示されます。不正と歪曲がいよいよ深まれば、国家は当然そういう状態になるわけであります。

 ・先ず国家を祈りて須く仏法を立つべし。

先般の、イラクのような国の状況というのが、やはり様々な面から、ああいう不幸な姿が本当に現れてきておるということであり、今日でもまだいろいろな余燼(よじん)が燻(くすぶ)って、様々な争いと不幸が各所において残っておるようです。そういうことからも、まず国家の安寧を願うことが大切であり、そのために正しい仏法を立てるべきであるという客の言であります。

これは客が言っておることではあるけれども、この点については国家と仏法との関係を述べて、国家を正しくするために、また国家の安寧秩序が行われるようになるためには、仏法をしっかり立てなければならないということを言っておるわけです。これは大切なことであり、またこれが正しい筋道であると思います。

 ・若し災を消し難を止むるの術有らば聞かんと欲す。

そこで最後に、この国家と仏法の関係の上から「若し災を消し難を止むるの術有らば聞かんと欲す」と述べて、当時における様々な災難について、この災いを消し難を止むることの術策が果たしてあるならば聞きたいものであると質問いたします。


これに対して、次の主人の答えが、この項目の全体の趣意をなしておるのです。


主人の曰く、余は是頑愚にして敢へて賢を存せず。唯経文に就いて聊所存を述べん。抑治術の旨、内外の間、其の文幾多ぞや。具に挙ぐべきこと難し。但し仏道に入りて数愚案を廻らすに、謗法の人を禁めて正道の侶を重んぜば、国中安穏にして天下泰平ならん。

 ・主人の曰く、余は是頑愚にして敢へて賢を存せず。

この「頑愚」とは、頑(かたく)なで愚かであるということですが、これは大聖人様が主人のお立場において、謙遜の御言葉として言われておるのです。

 ・唯経文に就いて聊所存を述べん。

しかるに大聖人様の御指南は、一切の経文をことごとくご覧になって、その上から旨帰(しき)するところをきちっと悟られておるわけです。枝葉を掴(つか)んで中心を忘れていたら、やはりこの仏法の見方において誤りを生じてくるわけでありますが、それについて正しく一代仏教をご覧になるが故に、正しい経文を引かれるのであり、その上から経文について所存を述べようと仰せられるのです。

 ・抑治術の旨、

この「治術」ということは、国を正しく治める術、つまり天下泰平・国土安穏に向かって、これを明らかに現していくための術策ということです。今で言えば、政治が根本ということになるわけです。

 ・内外の間、其の文幾多ぞや。

それから「内外の間」とは、「内」は内道のこと、「外」は外道に関する教えで、つまり仏法とそれ以外の教えのことであります。中国における孔子・孟子等の儒教や、インドのバラモン教、その他、世界中にはあらゆる哲学や宗教があり、また種々の道徳もあれば、様々な人文の上の方策や方法を説いたものがあるわけですが、それはまことに多量である故に「其の文幾多ぞや」と言われています。これは現代においてもたくさんあるけれども、その頃も非常にたくさんあったので、具に挙げるのは難しいということです。

 ・但し仏道に入りて数(しばしば)愚案を廻らすに、

これより仏法の上からの活術の方策を述べられるのであります。

 ・謗法の人を禁めて正道の侶を重んぜば、国中安穏にして天下泰平ならん。

すなわち法然のように、法華経という大事な経典を全部、捨てよ・閉じよ・閣け・拠てというような意味においてけなして貶(おとし)めておる者、そういう謗法の人とその主張を誤りとしてはっきりさせ、そして正道の僧侶を重んずることが、国中の安穏にして天下泰平となる一番の道であると述べられております。

この「正道の侶」ということは、その一番の元は大聖人様が一代の御弘通の根本として示された本門三大秘法であります。この三大秘法を弘通する僧侶、これが末法万年の指導原理を示す正道の僧侶ということになるのであります。しかしながら一往、この文の上からするならば、一代仏教の中で爾前権教方便の教えに対して、真実の法華経を説き弘めるところの僧侶が正道の僧侶であるということであります。

その意味において、これから後はずっと経文を引かれるのです。したがって、この経文について粗々拝読をしていきたいと思います。



  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト

from: 21世紀さん

2009年02月27日 15時51分48秒

icon

「Re:御法主上人猊下御講義 立正安国論」
次のところからは、念仏の教えによる現証、悪義を述べられます。


又慈覚大師の入唐(にっとう)巡礼記を案ずるに云はく「唐の武宗皇帝の会昌元年、勅して章敬寺の鏡霜法師をして諸寺に於て弥陀念仏の教を伝へしむ。寺毎に三日巡輪すること絶えず。同二年回鶻国の軍兵等唐の堺を侵す。同三年河北の節度使忽ち乱を起こす。其の後大蕃国更(ま)た命を拒み、回鶻国重ねて地を奪ふ。凡そ兵乱は秦項の代に同じく、災火邑里(ゆうり)の際に起こる。何に況んや武宗大いに仏法を破し多く寺塔を滅す。乱を撥(おさ)むること能はずして遂に以て事有り」已上趣意。

 ・又慈覚大師の入唐巡礼記を案ずるに云はく、

この慈覚大師という人は、天台の延暦寺第3代座主です。この人は中国、すなわち当時は国号が唐と言っていましたから、その中国に入って10年間、仏教寺院のありとあらゆるところを巡って大乗の教えを勉強し、また経典・書籍をいろいろと受け携えて帰ってきたのであります。

伝教大師が中国にいたのは1年数力月でしたが、慈覚大師の場合は10年程いて、11年目に日本へ帰ってきたのです、そのときに見聞したことを『入唐巡礼記』の中に記しております。私も見ましたけれども、これは入唐中の出来事を日記のような形で実に詳しく書いてあるのです。

 ・「唐の武宗皇帝の会昌元年、

入唐4年目が、ここで言う「会昌元年」です。この会昌元年という年は、武帝という人が唐の国の帝位についた年なのです。

 ・勅して章敬寺の鏡霜法師をして諸寺に於て弥陀念仏の教を伝へしむ。寺毎に三日巡輪すること絶えず。

そのときに勅をして「章敬寺の鏡霜法師をして」と慈覚大師が書いていますが、実はこの鏡霜法師という人がどういう人であったか、種々の各仏家の伝記には見当たりません。しかし、その人を起用して「諸寺に於て弥陀念仏の教を伝へしむ」とあります。これはおそらく国を治めるという意味での宗教政策として、こういうことを行ったのだと思います。それで寺ごとに3日ずつ巡回して念仏の教えを伝え、その法輪を転じたという記録です。

 ・同二年回鶻国の軍兵等唐の堺を侵す。

ところが「同二年」、これはその翌年になりますが、たちどころに回鶻国の軍兵等が唐の堺を侵してきました。この「回鶻国」とは、中国のゴビ砂漠の北方、外蒙古に住したトルコ種族と言われております。やはり唐朝に一往従いながら、さらにまた背くような行為を繰り返したのですが、このときにまた北方から侵略してきたということです。

 ・同三年河北の節度使忽ち乱を起こす。

それから「同三年」には、河北の節度使が忽ち乱を起こしたとあります。「河北」というのは、今、中国に河北省という省があります。河南省にある都から北に当たる地域で黄河の北方を言うのです。今で言う山西省と山東省の地方になります。その「節度使」というのは、蛮族が襲ってこないように、またその地方の地域をきちんと治めるために、天子が将軍を派遣するに当たり刀を与える、それを節刀と言うのですが、その刀を与えて外部の地域を治め、また外敵から国を守るという役目が、その将軍の仕事です。同三年の「乱」というのは、正規に任命された節度使が死んだ後、その息子が何らかの理由でこの皇帝に背いたことがあり、その乱を言うのであります。

 ・其の後大蕃国更た命を拒み、

次に「其の後大蕃国更た命を拒み」という「大蕃国」とは、さらに南西のほうに当たるチベットのことであります。チベットの国を当時は大蕃国と言ったのです。やはりこの国も唐の国と交通しつつ、何回も辺境を攻めてきたことがありました。

 ・回鶻国重ねて地を奪ふ。

さらに、再々の北方からの侵略があったことを記してあります。

 ・凡そ兵乱は秦項の代に同じく、

秦項の代とは、すなわち秦の始皇帝が昔6国と戦い、次々にそれを亡ぼして天下を統一するまでの戦乱の相は甚だしく、その後、始皇帝が死んだ後、直ちに今度は項羽と漢の高祖に国を覆(くつがえ)され、さらに引き続いて項羽と高祖との戦いが起こって、これがまた8年間続いたということです。要するに、その間の20年乃至30年というものは、常に戦争が行われていたのです。

 ・災火邑里の際に起こる。

そういう意味において、災いの戦火が村や里のいたるところ、つまり国中に起こったというのです。すなわち、これらは武宗皇帝が念仏の邪教をもって会昌元年に巡輪させたことがその原因であると、ここに慈覚が述べていることを挙げられるわけです。

 ・何に況んや武宗大いに仏法を破し多く寺塔を滅す。

次に、日記には武宗皇帝が会昌4年に行った廃仏のことを書いてあります。これは即位のときからそういう意味があったのだけれども、特にこの会昌4年に、初めて道教の趙帰真という人を崇め、その帰真等の人たちの勧めによって、会昌5年に詔をもってあらゆる寺を壊してしまったのです。そして寺院を壊した数が4千6百ヶ寺、破壊した堂塔が4万、僧尼を還俗させたのが26万5百人と言われます。

 ・乱を撥(おさ)むること能はずして遂に以て事有り」已上趣意。

これは武宗皇帝が邪な仏教を崇めたり、また仏教を迫害した結果、非常に悲惨な病気となり、国中の乱れた姿を見ながら、狂乱して死んだことを言うのです。つまり邪義による悪い現証であります。

さて、この次からは法然の事例を大聖人様が述べられるのです。


此を以て之を惟ふに、法然は後鳥羽院の御宇、建仁年中の者なり。彼の院の御事既に眼前に在り。然れば則ち大唐に例を残し吾が朝に証を顕はす。汝疑ふこと莫れ汝怪しむこと莫れ。唯須く凶を捨てゝ善に帰し源を塞ぎ根を截るべし。

 ・此を以て之を惟ふに、法然は後鳥羽院の御宇、建仁年中の者なり。

建仁年中は、法然がすでに念仏の教えを弘めてから20年くらい経ったときでありまして、京都において盛んに活躍し、弘通をしていた時期であります。その頃のことを建仁年中とおっしゃっておるのです。

 ・彼の院の御事既に眼前に在り。

それから20年後に何があったかと言うと、これが有名な承久の乱であります。後鳥羽上皇は、鎌倉幕府の御家人制度等によるところの国中を支配する越権行為を非常に憤(いきどお)られて、これは従来皇室や公郷(くぎょう)が支配していた荘園との対立とか、そういう経済上の問題もあったのですが、とにかく後鳥羽上皇が鎌倉幕府の中心者・北条義時追討の令を発されたのです。

ところがあに図らんや、この義時が今度は逆に窮鼠かえって猫を食むがごとく、関東の兵力をもって京都に攻め上って、あの有名な宇治川の戦いで官軍を撃ち破って京都に乱入し、順徳上皇、土御門上皇、それから後鳥羽上皇のお三方を、それぞれ佐渡と土佐と隠岐に流してしまったのです。臣下が天皇を襲って武力をもって撃ち破り、その結果、島流しにするという日本の歴史始まって以来の下剋上の反逆が堂々と行われたのです。これは実に大変な悪い現証と言う外はありません。

これが、法然が念仏を唱え『選択集』を著した建仁年中から20年後に起こったことは、すなわち邪義が前に起こって、その災いが後に至ることの現証であると示されるのであります。

 ・然れば則ち大唐に例を残し吾が朝に証を顕はす。

つまり、念仏が国家的な災難を起こすところの原因であることの例を、「大唐」すなわち中国と我が日本の両国において明らかに残しておる、その証拠が顕れておると言われるのです。

 ・汝疑ふこと莫れ汝怪しむこと莫れ。唯須く凶を捨てゝ善に帰し源を塞ぎ根を截るべし。

かく論じ来たってその結論として、「あなたは、この仏法の正しい法理の上から、私の言うことを疑ってはならない、また怪しんではならない。すべからく凶を捨てて善に帰し、その災いの源を防ぎ、またその禍根を断つべきである」と強く諌められるのであります。


<第六問答:勘状の奏否>

次が、第六問答になります。第五問答の主人の答えで、念仏の邪義によってこのように災いが起こることについて具体的な証拠を示されたわけですから、客も大変に怒ってはいたのだけれども、少し気持ちが和らいだのであります。


客聊和らぎて曰く、未だ淵底を究めざれども数其の趣を知る。但し華洛より柳営に至るまで釈門に枢■(すうけん)在り、仏家に棟梁在り。然れども未だ勘状を進らぜず、上奏に及ばず。汝賤しき身を以て輙(たやす)く莠言(ゆうげん)を吐く。其の義余り有り、其の理謂れ無し。

 ・客聊和らぎて曰く、未だ淵底を究めざれども数其の趣を知る。

これは、あなたのおっしゃっていることの淵の底、すなわち深い意味まではなかなか判らないけれども、あなたのお話を聞くことによって、大体その言うところの趣意は判ってきたというのです。けれども、さらに疑問があるわけで、次にそれをさらに質問します。

 ・但し華洛より柳営に至るまで

「華洛」というのは、天子のおわしますところを言います。特に洛陽というのは、中国において周の国のときに洛陽という都を作ったのです。その「洛」の字を取って華やかな都、すなわち華洛とは、天子のおわしますところを言います。「柳営」は、これも故事により将軍のいるところを意味します。ですからこれは国中の政治の及ぶところの総てという意味です。

 ・釈門に枢■(すうけん)在り、仏家に棟梁在り。

次に「釈門」の「釈」とは、釈尊の教えの門の意ですから、要するに仏教の内容を言うのです。ここで「釈門」と言われましたから次は「仏家」と言って、「釈」と「仏」、また「門」と「家」とを対称されつつ、結局は「釈門」「仏家」とも同じ内容を意味しているのです。

また、「門」において大事なことは、扉がなければならないのです。その扉を開くについて、昔の門は蝶番(ちょうつがい)で開くようになっておりますが、その場合、門の柱と扉をつなぐところに枢(くるる)というものがあり、それによって門が開くのです。それを「枢」と言うのです。また「■(けん=木偏に建)」とは、閂(かんぬき)乃至鍵のことであります。ですから「釈門に枢■在り」という意味は、門の肝要な部分ということで、要するに釈尊の教えにおけるところの僧侶の立派な中心人物ということです。

それから「仏家に棟梁在り」の「棟梁」とは、家には必ず棟と梁(うつばり)があり、なければ家がもたないのです。故にこれも同じく、仏家におけるところの中心たる碩学の徳の高い僧侶のことで、そういう方々がたくさんおるではないかと指摘します。

 ・然れども未だ勘状を進らぜず、上奏に及ばず。

そのような仏教の中心者、権威ある人たちがいるにもかかわらず、その人たちが法然の誤りについての弾劾の状を公処へ捧げることもなく、朝廷に奏し訴えることもないではないかと疑難するのです。

 ・汝賤しき身を以て輙(たやす)く莠言(ゆうげん)を吐く。

さらに客が反論します。この「莠言」の「莠」(ゆう=えのころぐさ、ねこじゃらし)というのは、稲に似ておる草で、しかも稲ではなく、害をなすような草という意味で、「莠言」とは無駄で間違った言葉、有害な言葉を意味します。つまりここでは「あなたの言うことは結局、莠言にすぎない」と言うのです。客は前来の問答により少し和らいだけれども、未だ主人の言をはっきり納得していないのです。

 ・其の義余り有り、

あなたの言っておる義は、まだ十分に尽くされていない。したがって余りがある故に、あなたの言う義については承服できないということです。

 ・其の理謂れ無し。

今度は理について論ずるのです。これは「道理として必然的な納得性が感じられないから、私はあなたの言う理については承服できない」と言うのであります。


そして次が、主人の第六番目の答えとなります。


主人の曰く、予少量たりと雖も忝(かたじけな)くも大乗を学す。蒼蠅驥尾に附して万里を渡り、碧蘿松頭に懸かりて千尋を延ぶ。弟子、一仏の子と生まれて諸経の王に事ふ。何ぞ仏法の衰微を見て心情の哀惜を起こさざらんや。その上涅槃経に云はく「若し善比丘ありて法を壊る者を見て置いて呵責し駈遺し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遺し呵責し挙処せば是我が弟子、真の声聞なり」と。余、善比丘の身たらずと雖も「仏法中怨」の責を遁れんが為に唯大綱を撮って粗一端を示す。

 ・主人の曰く、予少量たりと雖も恭くも大乗を学す。蒼蠅驥尾に附して万里を渡り、碧蘿松頭に懸かりて千尋を延ぶ。

これは、謙遜しながらも主人の説が大きく勝れていることを示す譬えです。つまり私は非常に器量の少ない者であるけれどもと謙遜しつつ、しかし恭なくも仏教の深い教えを篭めた大乗という教えを学んでおる故、自己中心の小見を述べているのではないと言われるのです。

そこで「蒼蠅」、つまり青蝿のような小さなものでも、驥という天空を翔るような動物の尻尾に附いておれば、自らの力を労せずして万里の道を往くことができる。また「碧蘿」とは、緑の蔦(つた)を言います。蔦というのは、蔓が柔らかく自分の力では立ち上がり上へ伸びることができない。しかし松のような堅い木にグルグルと巻き付きながら、上のほうに向かって伸びていきます。そうして松の一番上のところまで蔓が伸び懸かって、千尋の高さの松頭にまでも伸びるというに譬えるのです。要するに、器量の少ない者であっても、尊いもの、勝れたものに依ることで、勝れた正しいところに到達することができるという譬えであります。

 ・弟子、一仏の子と生まれて諸経の王に事(つか)ふ。

これは一往、大聖人様が釈尊の仏教中の仏子としての立場を仰せであります。つまり仏の子として「諸経の王に事ふ」ということは、大乗の最極たる法華経に仕えておるということです。

 ・何ぞ仏法の衰微を見て心情の哀惜を起こさざらんや。

念仏の専横の悪行、その邪法邪義によって、仏の出世の本懐にして最極たる法華経の教えがまことに衰微をいたしておる姿を見るときに、法華経の正しい教えを惜しみ、またその衰微を悲しむという心が起こらないはずがあろうか、否、私はそれを心より哀しんでいるのであるとの述懐です。

 ・その上涅槃経に云はく、

ここからは、邪義・邪法に対して放っておいてはいけない、きちんとした形でけじめをつけて邪義・邪法を裁くべきであるということが経文、特に涅槃経に説いてあるわけで、それを挙げられるのであります。

 ・「若し善比丘ありて法をや壊る者を見て置いて呵責し駈遺し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。

この文の「善比丘」というのは、仏様の教えを聞いてその戒を破ることなく正しく修行をしている、いわゆる一般的な善い僧侶を言うのです、けれども、たとえ善比丘と言われるように徳の高い者であったとしても、もし法を壊る者を見たときに、それをそのまま拠置(ほうち)していると、これは真実の善比丘にはならないということです。逆に、仏法の中においてその怨敵となっての罪障を積むということであります。

まことの善比丘は、破法の者を見たときは、呵責し駈遣し挙処せねばならないと言われるのです。まず「呵責」とは、法を壊る者を見たならば、言論をもってきちんと悪を責めよということです。次に「駈遣」ということは、呵責して悪を改めなければ、その者を追い払うべしというのであります。つまり共に修行している教団の中から追い出してしまうことです。また「挙処」ということは、その罪を挙げて、それに対して処置をすることであります。つまり罪に対する科条をもってきちんと処罰をするという意味です。

 ・若し能く駈遺し呵責し挙処せば是我が弟子、真の声聞なり」と。

このように、法を壊る者に対し、よく駈遣し呵責し挙処する者が我が弟子であり、真の声聞すなわち仏の教えを聞く者であるという仏の誡めであります。

次は、大聖人様が仏子としての筋道より、この文を受けて仰せられるのです。

 ・余、善比丘の身たらずと雖も「仏法中怨」の責を遁れんが為に唯大綱を撮って粗一端を示す。

仏様が説かれた、この「仏法中怨」という呵責を逃れんがために、大綱の一端を示すと言われます。この「大綱」とは、広大な仏法の教えにおける大本の道を言うのです。その正しい意義を取って、充分ではないけれどもその一分を述べておるのであるとおっしゃっています。つまり、大聖人様御自身における仏法の信条の上からの、また涅槃経の誡めを受けての御指南の文であります。

 ・其の上去ぬる元仁年中に、延暦・興福の両寺より度々奏聞を経、

ここからが先ほどの客の、釈門に枢■(けん)があり、仏家に棟梁があるけれども、誰も勘状を進らすことはない、あるいは上奏することもないではないかという質問に対して、今度は主人が、そんなことはない、元仁年中において実際にあったのだという現証を述べられるのです。

 ・勅宣御教書を申し下して、

つまり天台宗の総本山である延暦寺、それから奈良の七大寺の一つで有名な大寺である興福寺、今は法相宗になっていますが、その両寺よりたびたび奏聞、つまり君主への言上によってたびたび勅宣や御教書が下されたことがある。

この「勅宣」というのは、天皇の詔(みことのり)のことであります。また「御教書」というのは、その天皇の詔について、将軍がさらに進達を行うのです。つまり天皇の上意を奉じて出すところの文書が御教書であり、この勅宣と御教書が念仏の邪義を誡めるために出された事例を示されるのです。

 ・法然の選択の印板を大講堂に取り上げ、三世の仏恩を報ぜんが為に之を焼失せしめ、

その具体的な誡めの形として、『選択集』の印板を大講堂、つまり一代仏教を正しく研鑽する場所において、これがまことに不適当なものとして取り上げてしまったということです。「大講堂」とは、延暦寺の大講堂のことと思われます。それで、三世にわたる仏様の恩に報いるため、このような悪書があってはならないとして焼いてしまったのであります。

 ・法然の墓所に於ては感神院の犬神人(いぬじにん)に仰せ付けて破却せしむ。

それから、法然の墓所についての処置を挙げられています。法然は、80歳で亡くなり、京都の大谷という所に弟子関係者によって墓を作ったのです。ところがこの法然の墓地を発掘し、遺骸を賀茂川に流してしまったという伝えが、はっきりと残っております。

次に「感神院」というのは、昔、藤原基経という偉い公家がいまして、その人がある宗教的なことを観じて八坂に精舎を造って観慶寺と称し、牛頭(ごず)天王を勧請したという伝えがあり、それを観慶寺感神院と名づけたということが伝えられています。これが今の京都の祇園神社です。つまり長い間のいろいろな経緯があって名称なども変遷しておりますが、この当時においては比叡山の天台宗延暦寺の差配を受

  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト

from: 21世紀さん

2009年02月27日 15時43分43秒

icon

「Re:御法主上人猊下御講義 立正安国論」
次は、主人の答えであります。

主人咲(え)み止めて曰く、辛きを蓼葉(りょうよう)に習ひ臭きを溷厠(こんし)に忘る。善言を聞いて悪言と思ひ、謗者を指して聖人と謂ひ、正師を疑って悪侶に擬す。其の迷ひ誠に深く、其の罪浅からず。事の起こりを聞け、委しく其の趣を談ぜん。釈尊説法の内、一代五時の間先後を立てゝ権実を弁ず。而るに曇鸞・道綽・善導既に権に就いて実を忘れ、先に依って後を捨つ。未だ仏教の淵底を探らざる者なり。就中法然其の流れを酌むと雖も其の源を知らず。所以は何。大乗経六百三十七部・二千八百八十三巻、並びに一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て、捨閉閣抛の字を置いて一切衆生の心を薄(おか)す。是偏に私曲の詞を展べて全く仏経の説を見ず。妄語の至り、悪口の科、言ひても比(たぐい)無く、責めても余り有り。人皆其の妄語を信じ、悉く彼の選択を貴ぶ。故に浄土の三経を崇めて衆経を抛うち、極楽の一仏を仰いで諸仏を忘る。誠に是諸仏諸経の怨敵、聖僧衆人の讎敵(しゅうてき)なり。此の邪教広く八荒に弘まり周く十方に遍す。

 ・主人咲み止めて曰く、

これはまず主人が微笑しつつ「そんなに怒らずに、もう少し私の話を聞きなさい」と言われるのであります。さて、次の二句はやはり譬えで、濁った中にいるとそれに慣れて正しいことが判らなくなるという意味です。

 ・辛きを蓼葉に習ひ

蓼(たで)の葉というのは辛いのです。しかし、それをいつも舐めていると、次第にその辛さを感じなくなるということです。つまり悪事を習うと、それが当たり前のようになる、これを「習ひ」という言葉で表現しているのです。

 ・臭きを溷厠(こんし)に忘る。

この「溷厠」は便所のことであります。今日では水洗便所が当たり前ですから、そう臭くはないかも知れませんが、昔はそういうものがありませんでしたから、便所は大体臭い場所と決まっていたわけです。ところがそこに長くいると、嗅覚が麻痺してきて、その臭さを忘れてしまいます。

要するにこの2つの譬えは、悪に慣れると悪であることが判らなくなるということで、つまり法然の間違った教えに慣れてしまって、それが悪であることに気が付かないということを言われるのです。

 ・善言を聞いて悪言と思ひ、謗者を指して聖人と謂ひ、正師を疑って悪侶に擬す。

この「謗者」というのは、仏教を謗る者、これは大変な罪ですが、それが法然であるということです。しかるに、あなたはその法然のごとき謗者を指して聖人であると思っておる。さらに仏法の筋道をきちんと正すところの正しい師匠を疑って、悪侶に擬しておる。

 ・其の迷ひ誠に深く、其の罪浅からず。

そして、その迷いはまことに深く、その罪も浅くはないと、まず教諭されます。まことに理義堂々たる文言です。

 ・事の起こりを聞かんとならば、委しく其の趣を談ぜん。

「事の起こり」というのは、仏法の本来の起こりということです。日本における法然や、中国の曇鸞・道綽・善導等が言い出したことは、仏教を間違えてしまった臆説・邪説であり、本来の仏教のあり方というものを、元からきちんと考えなければならないという意味であります。

 ・釈尊説法の内、一代五時の間先後を立てゝ権実を弁ず。

御会式のときに申し状を僧侶が読むのを聞かれていると思いますが、その中にもこの文が出てまいります。そしてこれは、どなたが先後を立て権実を弁じたかと言うと、実はその元において仏教を説かれた釈尊自身がはっきりと立て分け、かつ弁じておると言われるのです。

お釈迦様の教えを正直に聞くならば、必ず一代五時の説法の上において、先と後の違いがあるのです。先に述べ判じた教えの内容を「先判」と言います。それから後に判じた教えの内容を「後判」と言います。この先判と後判を釈尊が明らかに立てられ、先判は「権」すなわち、かりの教え、方便の教えであるとし、後判は「実」すなわち真実の教とされました。その区別を釈尊がきちんと弁じておると言われるのです。

これはご承知のとおり、法華経の前に無量義経という教えをまず説かれて、それから法華経を説く直前の禅定に入る、すなわち無量義処三昧(むりょうぎしょざんまい)に入るわけです。その無量義処三昧から出て、釈尊は初めて、「爾時世尊。従三昧。安詳而起。告舎利弗。(爾の時に世尊、三昧より、安詳として起って、舎利弗に告げたまわく)」(法華経88ページ)と、その三昧より安詳として起って法華経の説法が始まったのであります。

そういう意味から無量義経には、「諸の衆生の性欲(しょうよく)不同なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき。種種に法を説くこと、方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕さず」(同23ページ)という文があるのです。これは、釈尊の教えは華厳・阿含・方等・般若等、四十余年の経教を説いたけれども、あらゆる教えを総決算するとき、これらにはまだ真実を顕していないということを、無量義経において釈尊自らが仰っておるのです。

そして今度は、いよいよ法華経に来て、その『方便品』の中に、「正直に方便を捨てて但(ただ)無上道を説く」(同124ページ)という御文が説かれます。ここに無量義経と法華経の文等においても、はっきりと前判と後判が分かれており、権教と実教のけじめがきちんとつけられておることが明らかです。このことを「先後を立て・権実を弁ず」とおっしゃっているわけです。

 ・而るに曇鸞・道綽・善導既に権に就いて実を忘れ、先に依って後を捨つ。

すなわちこれら中国の念仏者たちは、般若経等の方便経や涅槃経、この涅槃経はすべてが方便の教ではないけれども追説の方便が入っているわけで、そこにとらわれて法華経のありのままの姿、妙法による十界互具・百界千如、いわゆる即身成仏が大乗の真の内容であることを忘れたのであります。したがって、権について実を忘れたというのであります。

また阿弥陀経は、先ほど述べた中の方等部の経典に入ります。大乗ではあるけれども権大乗であり、まして方便の教えとして説かれたのですから、これを最上とすることは、まさに先の方便にとらわれて、後の法華経を捨てたと言えるのであります。

 ・未だ仏教の淵底を探らざる者なり。

この「淵底」の「淵」というのは深い水のことで、その底とはつまりこの場合は、仏教の深い奥義を言うわけであります。中国の三師はそれを探っていない、至らない者であるということです。

 ・就中法然其の流れを酌むと雖も其の源を知らず。

次は、法然の邪義への破折です。法然は、中国の曇鸞・道綽・善導、特に善導の教えの流れを酌んで日本の国において念仏の浄土宗を立てたけれども、しかしその教えの源を知らないと言われるのです。つまり釈尊は浄土の三部経だけを説かれたわけではなく、五千・七千というあらゆる経巻を説かれています。その最後に先後を立て、権実を弁ぜられておる中で、念仏の依拠とする浄土の三部経は方便権教にすぎない。それにのみとらわれることは、一代仏教の源を知らない者であると、まず述べられるのです。

 ・所以は何。大乗経六百三十七部・二千八百八十三巻・・・捨閉閣抛の字を置いて一切衆生の心を薄(おか)す。

さて、その理由は何かと言うに、広汎な大乗の教えとそこに説かれる諸仏菩薩守護の諸天等の徳を一切否定し、捨閉閣抛せよとして一切衆生を誑かしていると指摘されます。この「捨閉閣抛」については、前の第四問答のところで法然の『選択集』の文を挙げられて破折されておりましたが、要するにその中で捨閉閣抛ということをはっきり言っておるのです。「捨」とは、つまり聖道門を捨てよと言うのであり、聖道門を捨てるということは、要するに法華経も捨てよということです。また「閉」とは、法華経を閉じて見るべからずということで、「閣」は差し置け、「抛」は投げ打てということも、すべて法華経を指しています。

すなわち聖道門には当然法華経が入っているからで、その一切を捨閉閣抛せよと言うのは、釈尊の真実、本懐の教えとして説かれたところの法華経を捨閉閣抛せよということです。これは仏様とその教えに対する大変な反逆であります。したがって、仏様が本当に衆生を導こうとする大慈大悲の気持ちに対する一切衆生の信心を、侵し失わせておるということであります。

 ・是偏に私曲の詞を展べて全く仏経の説を見ず。

この「私曲」とは、「私」は私の見解、「曲」は曲がった見解であります。私のみの曲がった見解の言葉によって、仏の正しい教えを全く見ていない。

 ・妄語の至り、悪口の科、言ひても比(たぐい)無く、責めても余り有り。

すなわちその法然の言葉は妄語の至りであり、比類を見ない悪口であります。故に、その罪はいくら責めてもまだ尽くすことができないほど余りあることである、と破されるのです。

 ・人皆其の妄語を信じ・・・極楽の一仏を仰いで諸仏を忘る。

この法然の「妄語」、つまりうその言によって多くの人々がそれを信じ、その妄語たる『選択集』を貴んでいる。つまり「浄土の三経」のみを崇めて、他の経典は全部捨てさせ、そして「極楽の一仏」すなわち阿弥陀仏だけを信仰して、南無阿弥陀仏と唱えよということを言う故に、他の尊い多くの仏の教えと功徳を全く忘れておる。

 ・誠に是諸仏諸経の怨敵、聖僧衆人の讎敵(しゅうてき)なり。

これは本当に諸仏諸経に怨をなす仏敵であり、一切の僧侶と多くの人々の仇敵であると言われるのです。

 ・此の邪教広く八荒に弘まり周く十方に遍す。

「八荒」の「荒」というのは、荒れ果てた土地という意味です。したがって、国の中には、隅のほうに荒れ果てた土地がたくさんありますが、ここではその荒れ果てた土地を含めたところの国中という意味です。「十方」も同様に国中のことで、遍く弥陀念仏の邪義が弘まってしまったと言われるのです。


仰(そもそも)近年の災を以て往代を難ずるの由強ちに之を恐る。聊先例を引いて汝の迷ひを悟すべし。止観の第二に史記を引いて云はく「周の末に被髪袒身にして礼度に依らざる者有り」と。弘決の第二に此の文を釈するに、左伝を引いて曰く「初め平王の東遷するや、伊川に被髪の者の野に於て祭るを見る。識者の曰く、百年に及ばざらん。其の礼先ず亡びぬ」と。爰に知んぬ、徴(しるし)前に顕はれ災ひ後に致ることを。「又阮籍逸才にして蓬頭散帯す。後に公卿の子孫皆之に教(なら)ひて、奴苟(どく)して相辱しむる者を方に自然に達すといひ、樽節兢持する者を呼んで田舎と為す。司馬氏の滅ぶる相と為す」已上。

 ・仰(そもそも)近年の災を以て往代を難ずるの由強ちに之を恐る。

あなたはこれについて、近年の災難は以前の法然の邪義が原因だという私の言を、道理に合わないことであり、間違いだと言っておる。しかし、それこそ汝の誤りであると指摘されるのです。

 ・聊先例を引いて汝の迷ひを悟すべし。

そこで、これから後に挙げる実例をもって、物事は徴(しるし)が先にあって、災難が後に現れてくるという先例を述べ、汝の迷いを悟らせようと言われるのであります。

 ・止観の第二に史記を引いて云はく、

これよりその実例を三事にわたって述べられますが、その第一が周の代の末の故事です。

 ・『周の末に被髪袒身にして礼度に依らざる者有り』

ここに「周の末に」とある「周」とは、昔、中国に夏・殷・周という順番に3つの国家がありましたが、その3番目で中国ではかなり古い国家です。この周の末において「被髪袒身」、つまり髪をボサボサにして、さらに着衣を正しくせず、肌脱ぎのような不作法な形で、一切の礼儀を守らない者が現れたとあります。

 ・弘決の第二に此の文を釈するに、左伝を引いて曰く、

天台大師の『摩訶止観』を釈した妙楽大師の『弘決』に『左伝』を引いた文をここのところに挙げられております。この「左伝」というのは『春秋左氏伝』と言い、左丘明という人の釈した『春秋』の釈書であります。その『春秋』とは、孔子が周代の魯国の歴史を記したものであり、いろいろな教えにおける、国家を治め、道を教えるところの大義名分等が述べてあります。

 ・『初め平王の東遷するや、伊川に被髪の者の野に於て祭るを見る。識者の曰く、百年に及ばざらん。其の礼先ず亡びぬ』と。

『春秋』の中の故事に、平王という周の第13代の王様がありまして、この王は周の第12代の幽王の息子であります。この幽王には有名な褒似(ほうじ)という女がいまして、この褒似は傾国の美女だったのですが、すごく精神の悪い女で、この褒似の色香に迷った幽王は、女に唆(そそのか)されて様々な悪いことをさせられ、その結果、最後に幽王は異民族の侵入によって殺されてしまうのであります。

そこで、その次に即位した第13代の平王は、難を避けて国の都を遷すわけです。それがこの文の「東遷」ということです。そして、そのときに「伊川」というところで「被髪の者の野に於て祭る」ということがあった。つまり髪をボサボサにして、裸のような形で神を祭り、あるいは先祖を供養するという神聖な行為をなす者がいたということです。これが実は大変な思想上の退廃、礼儀の無視を示しているのです。そのときそれを見た識者、これは辛有という人ですが、「このような状態では、この周の国はあと100年もつか、あるいはもたないかであろう」と予言しました。果たして、それから100年ほどして周が滅んだということの実例であります。

 ・爰に知んぬ、徴(しるし)前に顕はれ災ひ後に致ることを。

つまり周の国が滅びる徴候として、まず国民の礼儀が乱れたということです。この礼儀ということは、国が立派に成り立ち、民衆がきちんと正しくなり、いわゆる国利民福を実現していくための根本であります。その礼が乱れたということは、もう間もなくこの周の国も滅びるであろうと言ったのが、全くそのとおりであったのです。これを、まず徴が先に現れ、災いが後に至ることの実例として挙げられたのであります。

 ・「又阮籍逸才にして蓬頭散帯す。

次に、もう一つの例を挙げられます。皆さん方の中には、『三国志』という中国の歴史文学を読んだ方もあると思います。呉の孫権・魏の曹操・蜀の劉備を中心とする治乱興亡で、大変おもしろい歴史物語です。最後に蜀を滅ぼしたのが、魏の国から政権を取って代わった司馬炎という人であります。その人が晋という国を作るのですが、その晋の時代に「竹林の七賢」という人々がいたのです。

「阮籍」というのは、この竹林の七賢の一人でありまして、竹林の中に住んでいて、酒を飲みながらのんびりと暮らしていました。要するに、これらの人々は老荘の思想をもとに生活をし、また国家というものは、その思想に基づくべきであると考えていました。その思想はむしろ発展性のない虚無の道という考えで、その消極性の上からは亡国的な考え方なのです。したがって、一切は自然にまかすべきだから、すなわち礼儀もいらない、あるいは目上とか目下というようなものは必要ない、あくせく努力する必要もない。ありとあらゆることを自然の形で行うということから、礼儀も必要ないし、世の中において孤軍奮闘して立派な人になろうとか、世の中に益することをしようとか、そういうことも無駄なこと、余計なことであるという思想、非常に変わっているわけですが、このような風潮が一時期尊敬されたのです。

これが竹林の七賢というような人たちに代表される思想で、そのうちの一人がこの「阮籍」であります。「逸才」ということは、一面非常に才気が勝れていたということであります。しかしながら「蓬頭」とは、よもぎの頭と言うのですから、先ほど言ったような意味で、頭がボサボサで髪を梳(くしけず)り整えることもない。「散帯」というのは、帯をきちんと結ばず緩くなって、前がはだけているというような格好を言います。むしろそういう格好をしていることが、自然に通ずる姿で勝れでおるという考えです。

 ・後に公卿の子孫皆之に教(なら)ひて、

つまりそういう思想が知識階級、上流階級に流行ったものですから、いろいろな国において大事なことを司る大臣百官というような人々の子や孫たちが、つまり前途有為たるべき青年たちが、みんなその思想行為に習ったと言うのです。

 ・奴苟(どく)して相辱しむる者を方に自然に達すといひ、

この「奴苟」の「奴」とは、卑賎な人間を意味する言葉であり、「苟」は軽率の意味がありますから、非常に卑賎軽率な言動をなすことであります。要するに、礼儀などを考えずに卑しい口のきき方で、お互いに辱め合うような言動を取ることを自然の道に達した者と言うのです。

 ・樽節兢持する者を呼んで田舎と為す。

「樽節」とは、節度に赴くところのきちんとした行為を言います。「兢持」の「兢」は誡めること、「持」は持つことで、つまり言動を慎み誡め、礼節を持つ人ということです。そういう者を「呼んで田舎と為す」。「田舎」というのは、つまり田舎者(いなかもの)ということで、きちんとした礼儀で正しく言動する人に対して、あのような田舎者は話にならないと言って見下すことです。

 ・司馬氏の滅ぶる相と為す」已上。

すなわちこのような曲がった風潮が世の中に出て来たことにより、天下を取った司馬氏の国が滅ぶに至ったということを挙げておるのです。



  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト

from: 21世紀さん

2009年02月27日 15時39分39秒

icon

「Re:御法主上人猊下御講義 立正安国論」
・道緯禅師は涅槃の広業を閣(さしお)きて偏に西方の行を弘め、

この「涅槃」というのは、法華経の後に説かれた経典で、釈尊が亡くなるときの説法と言われております。つまり釈尊最期の説法です。それについて「涅槃の広業」という意味は、簡単に申し上げますと、涅槃経における追説と追泯(ついみん)ということであります。

追説というのは、華厳・阿含・方等・般若と、小乗も大乗もすべて含めた方便の教えが法華経の前の般若経まであるわけですが、法華経の会座に漏れた、覚りそこなった人たちがおりまして、その人たちのために法華経の意義を含みつつ、さらにもう一度方便の教えを説くのが、この追って説くという意味です。つまり法華経の前の方便教を要括して、これを追って説いたわけであります。したがって、涅槃経の中には方便教も入っておるわけです。

ところが、法華経を説いた後の涅槃経ですから、ただ方便教を説いただけではなく、一方においてはことごとく法華経の意義をもって、仏性の常住という内容において説いたのです。これを「追泯」と言って、「追って泯(ほろぼ)す」ということで、追って説いたものを、また追ってその差別をほろぼすのです。差別ということは大小の差別、方便と真実の差別で、これらの差別をことごとく泯ぼして、真実の仏の教えであるところの仏性常住を説いたという次第であります。

ですから、こういう「追説」「追泯」の形の中において説かれた菩薩の修行というのが第一の「聖行(しょうぎょう)」です。聖行というのは、先に書いた戒定慧のような、大変深く難しい行であります。次が「天行」。そして「梵行」。さらに衆生を救うための「病行」。これは病の者を救うのです。けれども病と言っても、これは身体の病ではなく、心の病を中心にこれを救うというのが病行であります。それから「嬰兒(ように)行」、非常に幼稚な者を救うということです。これらを非常に広い修行つまり広業と言うのです。

そういうことで「涅槃の広業」とは、広い教えの実践ということになりますが、それはとてもできないことであるとして、ひとえに西方念仏の行を弘めたのが道綽なのです。要するにこの人たちは、聖道門の中心帰趨ある法華経の意義を忘れ、そこへ至らないために方便の教えにとらわれてしまって、結局、念仏に走ったということであります。

 ・善導和尚は雑行を抛ちて専修を立て、

次の善導も同様です。これは、浄土門以外の行は全部雑行であると言うのです。つまり浄土の経文を説き、浄土の念仏を唱える以外の教えは、すベて雑多な行であり、役に立たない行であるということを言うのが、この雑行の意味であり、それで専修念仏の行を立てたということです。

 ・慧心僧都は諸経の要文を集めて念仏の一行を宗とす。

この慧心僧都という人は、天台宗第18代座主の良源という人の弟子で、諱(いみな)を「源信」と言います。この人は天台の座主にはならなかったのですが、天台慧心流という有名な天台聖道門の学流がずっと続いた、その元をなした人です。しかるに、この人は一時的に念仏の一行を宗とし、法華経を勉強しながらも、この念仏が末代下根下機のためには一番適当と思ってしまった。そこで43歳のときに『往生要集』という念仏を説く書を作ったのです。

ところが61歳のときには、思い返して『一乗要決』という書を作りました。この一乗とは、すなわち法華経であります。法華経のところに帰趨して、法華経をもって我々は仏道を成じなければならないという趣意に基づいた内容の著述をしたのです。したがって、一度は念仏の教えに走ったけれども、最後に悔い改めて法華経に帰ってきたということが、はっきりと言えるのであります。しかるにここのところでは、最初の「念仏の一行」というところだけを取り上げて言っておるわけであります。

 ・弥陀を貴重すること誠に以て然なり。

以上の例証、つまり中国の3人と日本の慧心僧都を挙げて、その人々が弥陀を尊重しておるではないかと、客が主人に対し反論しております。

 ・又往生の人其れ幾ばくぞや。

引き続いて、その教えによって西方極楽十万億土に往生した人は、いったい何人おるであろうか、おそらく数え切れないであろうと客が申します。この客は、正しい仏の教えの筋道の上からの因果を知りませんから、このように一言うわけであります。


就中法然聖人は幼少にして天台山に昇り、十七にして六十巻に渉り、並びに八宗を究め具に大意を得たり。其の外一切の経論七遍反覆し、章疏伝記究め看ざることなく、智は日月に斉しく徳は先師に越えたり。然りと雖も猶出離の趣に迷ひ涅槃の旨を弁へず。故に遍く覿、悉く鑑み、深く思ひ、遠く慮り、遂に諸経を抛ちて専ら念仏を修す。其の上一夢の霊応を蒙り四裔の親疎に弘む。故に或は勢至の化身と号し、或は善導の再誕と仰ぐ。然れば則ち十方の貴賤頭を低れ、一朝の男女歩みを運ぶ。爾しより来春秋推し移り、星霜相積れり。而るに忝くも釈尊の教へを疎かにして、恣に弥陀の文を譏(そし)る。何ぞ近年の災を以て聖代の時に課(おお)せ、強ちに先師を毀り、更に聖人を罵るや。毛を吹いて疵を求め、皮を剪りて血を出だす。昔より今に至るまで此くの如き悪言未だ見ず、惶(おそ)るべく慎むべし。罪業至って重し、科条争でか遁れん。対座猶以て恐れ有り、杖を携へて則ち帰らんと欲す。

 ・就中(なかんずく)法然聖人は・・・十七にして六十巻に渉り、並びに八宗を究め具に大意を得たり。

ここから客が法然の事蹟を述べるのですが、この「六十巻」というのは、天台の三大部である『法華玄義』『法華文句(もんぐ)』『摩詞止観』と、妙楽の三大部である『法華玄義釈籤(しゃくせん)』『法華文句記』『摩詞止観輔行伝(ぶぎょうでん)弘決』のことです。法然は、その60巻にわたって勉学をした上、さらに八宗、すなわち華厳・法相・三論・倶舎・成実・律・天台・真言という八宗の教えを究め、その大綱を得た。つまり仏教全部を勉強したということです。実際、この法然という人は、いろいろな伝記を読んでみると、大変学問の智慧があった人らしいのです。

 ・其の外一切の経論七遍反覆し、

つまり釈尊の説かれた五千七千の経巻を、一遍のみならず七遍も読んだというのです。これは一往、法然の学解の広いことの形容として言ったものと思われます。

 ・章疏伝記究め看ざることなく、

さらに仏教には、直接釈尊の説く経典のみでなく、これら経典に対して実に多くの論があり律があって、さらにあらゆる論師・人師(にんし)の伝記としていろいろなものがあるのです。インドから中国、中国から日本と、この三国においてありとあらゆる仏法者がたくさん出ておりまして、それらの人たちが述べた内容、それから伝記というものが実際にたくさんあるわけですが、それを「究め看ざることなく」と、このように形容しておるのであります。

 ・智は日月に斉しく徳は先師に越えたり。

これは天台宗において多くの智人先徳が出て天台の教義を発揚しましたが、これら天台の各先師よりも、むしろ法然の徳が勝れておると言うのです。

 ・然りと雖も猶出離の趣に迷ひ涅槃の旨を弁へず。

それであってもなお法然は「出離の趣」、つまり生死を解決することに迷った。つまり聖道門では到底救われる道が見つからなかったことを述べておるのです。

 ・故に遍く覿、悉く鑑み、深く思ひ、遠く慮り、遂に諸経を抛ちて専ら念仏を修す。

そこで、すべての仏教内容を広く見、またそれについて深く心を費やして考え抜いたあげく、念仏こそ最高の修行という決断に至ったのである、と客が述べるのです。

 ・其の上一夢の霊応を蒙り四裔(しえい)の親疎に弘む。

この「一夢の霊応」というのは、法然が念仏の教えは末代の人々に適当と思っていたけれども、まだ自ら決断するところがなかったときに夢を見たというのです。その夢の中に先ほどの善導和尚という中国の人師が現れて、「あなたの信ずるところの弥陀念仏の教えは最も勝れた教えであり、この教えによって多くの人々が幸せになる。あなたもまた西方極楽十万億土に往生できるのであるから、この教えを弘むべし」ということを述べたということであります。

そして「四裔」、これは国中の人ということです。この「裔」という字は衣の裾(すそ)という意味です。つまりそれは国の中で裾に当たる四方の土民をも含むところのあらゆる人々ということであります。その「親疎に弘む」、つまり親しい者にも疎かな者にも差別なく弘めたというのであります。

 ・故に或は勢至の化身と号し、或は善導の再誕と仰ぐ。

この「勢至」というのは菩薩であり、観無量寿経の中に弥陀三尊の形を尊ぶべく釈尊が説いておるのです。三尊とは、中央に阿弥陀仏がおられて、その左右に勢至菩薩と観音菩薩がおります。観音菩薩のほうは慈悲を象徴する。それから勢至菩薩のほうは智慧をもととすると説いてあるのです。法然は非常によく勉強し、一切をよく理解して智慧もあったというところから、順じて「勢至の化身」と言うのであります。さらには中国において念仏を弘めた善導の再誕としても仰いでおるということです。

 ・然れば則ち十方の貴賤頭を低れ、一朝の男女歩みを運ぶ。

以上のようなことから、あらゆる十方の人々、国内の人々が身分の上下なく、一国の男女がそのもとに徳を慕って訪れておる。つまり国中の多くの人が、その念仏の教えを聞き念仏を唱えたと、その徳を称讃しているのです。

 ・爾しより来春秋推し移り、星霜相積れり。

法然が没した建暦2(1212)年からろこの『安国論』奏呈の文応元(1260)年まで、48年が経過しております。「春秋」も「星霜」も、共に年の経過を言うわけで、念仏の教えが弘まってから、かなりの時が過ぎたことを言うのであります。

 ・而るに忝くも釈尊の教へを疎かにして、恣に弥陀の文を譏(そし)る。

これは、浄土の三部経もすべて釈尊が説いたものですから、客はその方便であることを弁えず、したがって主人の主張たる法然の念仏を悪義とするということは、釈尊の教えを疎かにしておると言うのです。

 ・何ぞ近年の災を以て聖代の時に課(おお)せ、強ちに先師を毀り、更に聖人を罵るや。

この「近年の災」とは、『安国論』の最初に、「旅客来たりて嘆いて曰く、近年より近日に至るまで、天変・地夭・飢謹・疫癘遍く天下に満ち」(御書234ページ)とあるように、いわゆる最近における日本国内の天変地夭が、実に大変な相を現しておることを言うわけです。

その近年の災いをもって「聖代の時」にその原因を課している。この「聖代」とは、法然のことを「聖人」と言う上から、5、60年前の、法然の盛んに念仏を弘めた時代を聖代と崇めると共に、そのところに原因を預けるのは誤りであって、どうして道理もなく、中国の念仏者3人等の先師を毀(そし)り、さらに法然聖人を罵るのであるかと反論します。

 ・毛を吹いて疵を求め、

これは、無用有害なことを行うのは愚かであるという譬えです。頭に傷や醜い痕などがあっても、髪の毛があればそれで弊(おお)われて隠れてしまう。しかるにわざわざその毛を吹いて、そして毛が左右に分かれると、中から傷が出てくるという意味です。よって、無用な詮索をする譬えです。

 ・皮を剪りて血を出だす。

これも、傷口に瘡蓋(かさぶた)などができて、それが汚いからといって剪(き)ったら、血が出てきて痛みを増すことになる。これもまた併せて、そっとしておけばよいものを、わざわざ余計なことをするという意味での無用有害な詮索を意味しております。

ですから「あなたの言っているようなことは全部、これは無用にして有害な詮索ではないか」と、客が主人を責めるのであります。

 ・昔より今に至るまで此くの如き悪言未だ見ず、惶(おそ)るべく慎むべし。

これは客の反論の総括です。まず、「あなたの言っているような悪言は、未だかつて聞いたことがない」と述べ、

 ・罪業至って重し、科条争でか遁れん。対座猶以て恐れ有り、杖を携へて則ち帰らんと欲す。

続いて、「その言葉を聞くだけでも恐るべきであり、かかる非法なことの受け答えは慎むべきである。したがって、あなたがこのような誤りを言うことも、私がそれを聞くことも、共にその罪業は至って重いものである」と指摘するのです。

それで「科条争でか遁れん」、すなわちこの「科」とはいろいろな意味がありますけれども、ここでは「とが」という意味で、かかる非道な言とそれを聞くことが科(とが)の条目に当たると厳しく反対するのです。したがって「あなたのような悪言を吐く人と一緒に対面して話をするということは、大変恐るべきことである」と述べ、杖を携へて帰ろうとするのであります。すなわちこれは、折伏を行ずると謗法の者は必ずこのような反対と怒りを生ずることを示されるのであります。

  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト

from: 21世紀さん

2009年02月27日 15時33分59秒

icon

「Re:御法主上人猊下御講義 立正安国論」
於夏季講習会第5・6期



今日、これから拝読するところは、要するにいろいろな災難・国難が現れてきておる。特に、この『安国論』において予言書として、このような国内の状態からは必ず自界叛逆と他国侵逼の二難が起こるということを予言されておるのであります。
もちろんこの『安国論』奏呈の時には、これら二難は未だ起こっておりません。その後、9ヶ年を経て大蒙古国牒状がまいりまして、それからさらに自界叛逆・他国侵逼の二難が必ず起こるという実際の証拠が現れてきたのであります。それらの国難が、法然の邪義によるところの例証として、つまり念仏の邪教によってあらゆる災難が起こっているということについて、中国の例それから日本国の例を挙げるのが、本日のところであります。


<第五問答:和漢の例を出だす>

では、最初の部分から入ります。


客殊に色を作して曰く、我が本師釈迦文、浄土の三部経を説きたまひてより以来、曇鸞法師は四論の講説を捨てゝ一向に浄土に帰し、道綽禅師は涅槃の広業を閣きて偏に西方の行を弘め、善導和尚は雑行を抛ちて専修を立て、慧心僧都は諸経の要文を集めて念仏の一行を宗とす。弥陀を貴重すること誠に以て然なり。又往生の人其れ幾ばくぞや。

 ・客殊に色を作して曰く、

これは特別に血相を変えたということです。

 ・我が本師釈迦文(もん)、

これはいわゆるお釈迦様のことを言うわけです。一代仏教を説いた方が釈迦牟尼仏ですから、その「牟尼」の音訳として、これをまた「釈迦文」とも言います。

 ・浄土の三部経を説きたまひてより以来、

仏教には、中国で翻訳されたものだけでも、五千七千と言われるほどたくさんの経典がありますが、そのうちで念仏を勧める阿弥陀仏のことが説いてあるのは、全体でわずか4巻の「浄土の三部経」だけなのです。つまり浄土の三部経とは、無量寿経が2巻と観無量寿経が1巻、阿弥陀経が1巻と、その3経だけで非常に短いものです。

この浄土の三部経は誰が説いたかと言うと、世間にはそんなこともよく知らない人が多いのです。南無阿弥陀仏とか念仏ということは言うけれども、なかには信仰している人ですら、阿弥陀仏がこの日本国に生まれてきて、浄土の三部経を説いたように思っている人もいるようです。けれどもそれは間違いで、つまりこの浄土の三部経は、お釈迦様が説かれたのであります。

また、そのうちの観無量寿経は、章提希夫人(いだいけぶにん)という人に対して説いたのです。この章提希夫人は頻婆舎羅王(びんばしやらおう)という国王の夫人ですけれども、その息子の阿闍世(あじゃせ)王が提婆達多に誑(たぶら)かされて、自分の父親である頻婆舎羅王を幽閉して殺してしまうのであります。そのときに韋提希夫人が、幽閉された頻婆舎羅王の健康を少しでも永らえるために、自分の身体に蜜を塗って国王の所へ通ったのです。けれども、そのことが息子の阿闍世王の知れるところとなり、阿闍世王はさらにその母親をも幽閉してしまったのです。そのように、非常に悲しく辛い境遇のときに、お釈迦様が神通力をもってその幽閉の場所へ行かれ、夫人に慰安を与えるために教えを説かれたのが、この経であります。

そのようなことですから、観無量寿経という経典は、要するに韋提希夫人の一種の特別な悲しく辛い境遇のときに説かれたものであり、その際に仮に西方浄土の阿弥陀仏とその国土を教えて帰依の心を生ぜしめ、そのときの悩みを救おうと図られたのであります。

これを含めて浄土の三部経を説いたのは、要するにお釈迦様なのであって、阿弥陀仏がこの世に現れて直接説いたわけではありません。阿弥陀仏が西方極楽十万億土にいるということは、お釈迦様がおっしゃったわけです。つまり阿弥陀仏は、釈尊の舌の上で生まれ、舌の上で極楽浄土を説き、舌の上で滅度した仏なのであり、そういう内容の経典であります。

 ・曇鸞法師は四論の講説を捨てゝ一向に浄土に帰し、

この「四論」というのは4つの論ということで、1つは『中観論』。それからもう1つが、12の条項を作って論じておることから『十二門論』。それから『百論』。この3つの論を「三論」と言い、三論宗という宗旨の依り処であります。それから、もう1つが『大智度論』で、これを足すと4つになりますから「四論」と言うわけです。

この『中観論』『十二門論』『大智度論』は、大乗の千部の論師と言われたあの有名な竜樹菩薩が述べた論であります。竜樹菩薩の代表的な思想、教学がここに表れております。もう1つの『百論』は、竜樹菩薩の弟子の提婆という人が述べた論です。

それで、これらは何を目的として論じられたかと言うと、一つには外道の見解を打ち破っておるのです。つまり仏教以外の宗教や哲学としての外道がインドにたくさんおりまして、その教えの中でいろいろなことを言っておるけれども、結局、因縁因果の正しい仏法の法理法則に背いており、様々な人生観、世界観の内容において、やはり大変に誤ったものを論じておるというところから、これら外道を破しておるのがこれらの論です。

さらにもう一つは、大乗に対する小乗の教義を破しております。ただし、これら竜樹を中心とする大乗論の内容は、何の経典に依っているかと言うと、これは各種般若経典の中で一番大きい大品般若経です。この他にも仁王般若とか光讃般若とか、様々な般若がありますけれども、要するに絶対空を説く般若経であります。釈尊一代の経典中、この般若経は、華厳・阿含・方等の各経の次に位するのです。この般若の次に説かれたのが法華経であり、したがって般若は、教えの段階から言っても4番目に当たり、その教理には非常に深い意味があるのです。

小乗の阿含経においても、生滅の理を説いております。「生」とは生ずることで、現実に存在している我々の命であります。それから「滅」は滅する、すなわち生じたものは必ず死滅するということです。したがって、死んでしまえばなくなってしまうから、その変化の実体たる我の存在は「空」ということになるのです。この生滅の理というのは結局、存在はするけれども、どんどん万物は変化していく、その永劫の迷いから脱却する道は、最後に「空」を悟るということです。いわゆる灰身滅智で、心身共に空寂に帰するところに真の安住があるとします。このような教えを説くのが「小乗の空」であります。

それに対して、この「生」も「滅」も、現在存在しておるものも存在していないものも、ことごとくまとめて本来のあり方が「空」であるということを説くのが「大乗の空」であり、この「空」のところに自ずから一切事物を包含する、これを「第一義空」とも言うのです。つまり、この現象的な形のものと不可得の「空」と、ことごとくをすべて「空」にまとめるところに真実の中道があると言うのです。これが般若を中心とする大乗の「中」というとらえ方です。

さらに言えば、我々の生活の上の4つの対立する概念としての生と滅、去(こ)と来(らい)、一と異、断と常を、それは迷いの上の見解であり、真実の「第一義空」においては、生に非ず滅に非ず、乃至断に非ず常に非ずとして、一切の差別の迷執を超越したところに絶対中道の理を立てます。これが8つの差別を超越した中道、つまり「八不中道」という教理です。我々は、その片方のところだけに、特に「生」なら「生」のところだけにとらわれているけれども、実際は「滅」ということも知らなければならないのです。そこでその本質が「但(たん)なる空」なんだということを示すのが小乗です。

大乗は、その差別の万相の全体が「即空」であるということを言うのです。ですから、般若経の内容というのは、要するに「第一義空」と言うか、法界一切、我々の命から何から何まで全部が、第一義において本来「空」なのであるから、その「空」のところを本当に見定めて修行していくことによって悟りを開く、仏に成ると説くのです。ですからその修行の内容は、現実の仮諦を錬り、また空諦を深めて無量阿僧祇劫という長い期間を経ると言われるのです。またその修行の結果としては、深い菩薩の境界に至りますが仏に成ることはできません。しかし最後は、完全な円教としての法華経に帰って仏と成ることができるのです。しかるにこの永い回り道の相を見て、念仏門の者たちが理深解微(りじんげみ)とか千中無一とかと言い、聖道門を否定するのであります。

ところが実際には、中国の浄土門の彼らは法華経の功徳の勝れたことを知らないのです。すなわち般若経の次の法華経では、あらゆる衆生の相を具体的に示し、その功徳が示されているのであります。地獄に堕ちたあの大悪人の提婆達多も成仏できる、それから爾前経では成仏できなかった二乗の人たちや、さらには女人も成仏する、すべてが救われるということが実際に法華経の中に説かれておるわけです。

そうすると、法華経の「中道」と、般若経の対立する概念をことごとくまとめて「第一義空」に帰するところの「中道」の、この2つの中道、つまり般若経の中道と法華経の中道とは、どう違うかということになります。一言にして言えば、法華経は「妙法蓮華経」と示されています。

この「妙」という字は、大聖人様も『法華題目抄』等に、「妙とは具の義なり」(御書357ページ)とお示しになっておるように「具」ということであります。これは何を具しておるかと言うと、「衆生をして、仏知見を開かしめ、清浄なることを得せしめんと欲する」(法華経102ページ)という有名な法華経の『方便品』の御文がありますが、地獄や餓鬼、畜生でも、その衆生の中に仏の命が具わっていなければ、これを「開く」ことはできないのです。その外見だけを見ても全く判らないけれども、法華経ではあらゆる衆生にしたがって、具わっておるが故に尊い法華経の修行の過程を経れば、必ずこの命が現れてくるのです。ですから十界互具ということを言われるのですが、十界互具の意味こそ、この法華経の中道であります。ところが般若経は、この一切においての徹底した「具」というところへは到達していないのです。ですから「妙法」という言葉は経文中に出てはくるのですが、法華経の妙法と般若経の妙法とは本質が違うのです。そこに同じ「中」という言葉を使うけれども、その内容に天地の隔たりがあるわけであります。

これをもう少し具体的な意味で言いますと、法華経の『信解品第四』の中に「長者窮子(ぐうじ)の譬え」という話があります。これは皆さん方も聞いたことがあるでしょう。

この譬喩は、長者の息子が幼い頃に屋敷を飛び出し、長い間貧しい生活を送ってきたことによって心が非常に下劣になっておりました。その息子をあるとき長者が見つけて、息子をうまく賺(すか)して長者の屋敷に連れてきた。息子は自分が長者の息子であることさえも忘れ果てて、自分は身寄りのない下劣な者であると思い込んでいたために、長者に対して非常に恐れをなしておったのです。そこで長者は、初めに便所掃除などの下働きをさせ、次第に仕事の内容をよくしていきながら次第に接見し、とうとう長者のありとあらゆる金銀財宝の管理までを任せるようになるのです。そして最後に、実は自分の息子であることを教え、財産を譲り与えたという内容です。

この中で、長者のありとあらゆる金銀財宝の管理までを任されて、事業と財産のすべてを判っているけれども、自分はまだ一介の使用人に過ぎないと思い込んでいる。それが言うなれば、般若の法開会と言いまして、法において一切が平等、ことごとくが「空」であるということは、もう一歩進めば実の子として長者の跡を継ぐ自覚、いわゆる真実の中道としての即身成仏の大利益を得るところまで来るのだけれども、まだそのところが完全な「具」の「中」でなく、般若の「中」は「空」というところに当てはめた形での「中」なのです。「空」「仮」に即する「中」の絶対的な尊厳の価値が顕れていません。

つまり法華経の「中」とは「具」の意義です。「具」の大真理からいくと「空」がすなわち「仮」であるのです。それから因縁の現れとしての一人ひとりの命、この因縁による「仮」の姿は、すなわち「中」であると示します。ですから即空・即仮・即中、この三諦、つまり3つの真理がそのまま円(まど)かに具わっておることを三諦円融と言うのであります。

これは先ほど言った「具」による大真如であり、よって即空・即仮・即中が、実際問題としての十界の生命に当てはめれば十界互具ということになるのです。故に、般若からもう一歩進んで、法華経の大真理を拝して信心修行すれば、一切衆生を正しく救えたにもかかわらず、このところで爾前経の長い修行にとらわれ、「難しい聖道門の教え、理深解微の教えにはとてもついていけない」と言って念仏の教えに走ったのが、中国における念仏の開祖曇鸞であります。

この「曇鸞法師」という人は、初めて中国で西方浄土、南無阿弥陀仏の教えを述べた人で、いわゆる念仏門の初祖であります。洛陽でインドから来た菩提流支(ぼだいるし)という人に会い、そこで観無量寿経を授かったのです。もう難しい四論の勉強などをしなくてもいいんだということで、それで阿弥陀仏の教えに入るということになったわけであります。

その曇鸞の碑を見て次に発心をしたのが、第2祖「道綽禅師」という人です。その道綽の教えによって、更にまた念仏の教えに入ったのが第3祖「善導和尚」です。この3人は、共に中国の人であります。

この人たちの主張は、一代仏教はつまり聖道門と浄土門の二門であり、聖道門は理深解微であると考えます。経典として浄土の三部経以外の教えは全部聖道門であり、その説くところの教理は大変深いが、それだけにそれを理解することは微(かす)かであり、衆生を導く役に立たないと言うのです。

さてその「聖道門」の内容には非常に深い、戒定慧という意義があります。その戒とは防非止悪の義で、あらゆる悪を止め、善を勧めるのであります。またこれには、小乗戒と大乗戒とがあって、大乗の戒は非常に広く、あらゆる道徳を束ねた大きな意味があります。次に定ということも、善事について心を統一し、集中するという大切な内容があります。また慧とは智慧で、あらゆる真理や善悪を択ぶ作用であり、天台大師はこの慧について、20の慧があることを『法華玄義』に説いてあります。そのような意味で、この戒定慧の内容を開けば、また布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧という六度にもなり、また一代聖教八万四千の法門となるわけです。それが聖道門です。

これに対して「浄土門」は、釈尊の説いた浄土三部経において、かつて法蔵比丘という人が、自ら仏に成ったときには浄土を作り荘厳するという誓願を立てたとあります。つまり安養浄土という国土を作って、悩み苦しんでいる人々を全部そこへ救い取るという誓願です。その浄土は、いわゆる安楽であり、一切の悩みがなく、楽しみばかりが存在するところであると言うのであります。しかし、その教えを説いた観無量寿経という経典には「定善」「散善」というのがあって、その中には、浄土ヘ生まれるためのいろいろな修行が説いてあるのです。

けれども日本の法然は、はっきりとそんなものは全部いらないのであり、ただ阿弥陀仏を信じて、南無阿弥陀仏と念仏を唱えれば救われるのだと言うのです。それがそのまま末法における浄土門のあり方としております。これに対して、聖道門のほうは理深解微、すなわちその教えの理が非常に深くて、愚鈍な衆生の智慧では理解できず、一人も成仏できないと言うのです。

理が深いということは、戒定慧のそれぞれの内容において非常に深い教えの意味があるということです。本来、仏の教えは深いのですが、その故にとてもこの聖道門では救われない。したがって浄土門のほうが簡単で、ただ念仏さえ唱えれば救われるというのが、「念仏門」の主張であります。

  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト

from: 21世紀さん

2009年02月27日 12時26分28秒

icon

「Re:御法主上人猊下御講義 立正安国論」
これから後は、仏法の壊乱(えらん)の姿を述べられるのであります。


仍って伝教・義真・慈覚・智証等、或は万里の波涛を渉りて渡せし所の聖教、或は一朝の山川を廻りて崇むる所の仏像、若しくは高山の巓に華界を建てゝ以て安置し、若しくは深谷の底に蓮宮を起てゝ以て崇重す。釈迦・薬師の光を並ぶるや、威を現当に施し、虚空・地蔵の化を成すや、益を生後に被らしむ。故に国主は郡郷を寄せて以て灯燭を明らかにし、地頭は田園を充てゝ以て供養に備ふ。
而るを法然の選択に依って、則ち教主を忘れて西土の仏駄を貴び、付嘱を抛ちて東方の如来を閣き、唯四巻三部の経典を専らにして空しく一代五時の妙典を抛つ。是を以て弥陀の堂に非ざれば皆供仏の志を止め、念仏の者に非ざれば早く施僧の懐(おも)ひを忘る。故に仏堂は零落して瓦松の煙老い、僧房は荒廃して庭草の露深し。然りと雖も各護惜の心を捨てゝ、並びに建立の思ひを廃す。是を以て住持の聖僧行きて帰らず、守護の善神去りて来たること無し。是偏に法然の選択に依るなり。悲しいかな数十年の間、百千万の人魔縁に蕩(とろ)かされて多く仏教に迷へり。謗を好んで正を忘る、善神怒りを成さゞらんや。円を捨てゝ偏を好む、悪鬼便りを得ざらんや。如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには。


 ・仍って伝教・義真・慈覚・智証等、或は万里の波涛を渉りて渡せし所の聖教、或は一朝の山川を廻りて崇むる所の仏像、

この「伝教・義真・慈覚・智証等」とは、要するに法然の大先輩である天台の大学匠、聖道門の僧侶のことを言っておるわけであります。これらの人たちが多くの苦労を重ねながら、中国やインドから渡した尊い聖教が日本国に存することを示されるのです。

 ・若しくは高山の巓に華界を建てゝ以て安置し、若しくは深谷の底に蓮宮を起てゝ以て崇重す。

そして「高山の巓に華界を建て」とは、すなわち我が国中の山の嶺などに堂塔を建て、また「深谷の底に蓮宮を起て」とは、深い谷の底にも寺塔を建てて仏像を安置し崇め重んじたということです。この「華界」と「蓮宮」は、共に清浄な蓮華の境界や宮殿という意味で、仏教の教えの内容を意味します。そういう多くの建物を建てて仏像経巻を安置し、崇重しておるということを言われるのです。

 ・釈迦・薬師の光を並ぶるや、威を現当に施し、

当時、大聖人様は32歳に至るまでいろいろと勉学される中で、特に比叡山に長くおられました。それで比叡山のことは、よくご存じだったわけです。そこで、比叡山の中では西塔の宝幢院(ほうどういん)に釈迦仏の像がある。それから東塔の止観院、これはいわゆる有名な根本中堂です。そこに薬師如来が安置されておる。それでこのことを仰っておるわけです。この二仏の威光が現当、つまり現在と未来の二世に施されておるというのです。

 ・虚空・地蔵の化を成すや、益を生後に被らしむ。

「虚空・地蔵」というのは、比叡山の戒心谷というところに安置する虚空蔵菩薩と、般若澗(はんにゃだに)に安置してある地蔵菩薩のことです。そしてこれらの菩薩がその徳をもって、衆生教化の利益を、やはり現生と滅後にわたり図っておるのだとされております。

 ・故に国主は郡郷を寄せて以て灯燭を明らかにし、地頭は田園を充てヽ以て供養に備ふ。

したがって国主も郡や郷の所領の一部を寄進してその灯燭を明らかにし、地頭も所有の田園の一部を充てて、その仏法の供養に備えておる。そういう姿が過去においてあったということを、ここに述べられております。

 ・而るを法然の選択に依って、則ち教主を忘れて西土の仏駄を貴び、

しかるに法然の『選択集』が出たことによって、この土の教主釈尊の恩徳を忘れて、「西土の仏駄」つまり阿弥陀仏を貴んでおる。ところがこの阿弥陀仏は、この土に現れた仏ではなく、釈尊が口の上に説かれた仏なのです。つまり釈尊の口から生じて、口の上で消えていった仏なのです。したがって、その元の釈尊こそ大切であるのに、それを忘れてこの阿弥陀仏のみを貴んでおるという誤りを示されるのです。

 ・付嘱を抛ちて東方の如来を閣き、唯四巻三部の経典を専らにして空しく一代五時の妙典を抛つ。

それから「付嘱を拠ち」というのは、伝教大師から法華経の意によって師資相承(ししそうじょう)を立て、その上において根本中堂に薬師如来を安置しておるにもかかわらず、その仏に対する帰依を止めて、「唯四巻三部の経典」すなわち浄土の三部経だけを専らに読誦し供養して、他のありとあらゆる五千・七千の経巻等を抛っておるという矛盾を挙げられます。

 ・是を以て弥陀の堂に非ざれば皆供仏の志を止め、念仏の者に非ざれば早く施僧の懐(おも)ひを忘る。

これは、念仏一本の信仰というような形がある時期に非常に出てきまして、弥陀の堂でなければ供養をしないというようなことから、それによって一代五時の妙典と、それを説き示した釈尊への供養の志が抛たれておるということです。また、念仏の僧のみに布施をして、他の僧への供養はすでに忘れ去られておるとも指摘されております。要するに、仏と僧への布施供養の停止の相を示されるのです。

今の世間の人たちは、釈尊も阿弥陀仏も、何がなんだか、その区別や相違も判らないようです。ただお寺と言えば、仏様を安置するところと思っておる。これは末法の相がさらに進んで、寺院や仏像についての関心が全く失われたからです。これも邪教の害毒によって、仏教全体の意義を民衆が忘れ果てるに至った姿と思われます。

 ・故に仏堂は零落して

つまり聖道門における大乗の仏堂がたくさんあるけれども、それらが適当な修理も行われず廃れてしまっておる、落ちぶれた姿になっておるということです。

 ・瓦松の煙老い、

「瓦松の煙老い」というのは、長く葺(ふ)き替えもないため、苔が生じたところの古屋根が、松のように見えるというのであります。そしてそこに立ち上る細い煙も、人が老いさらばえたごとく朽ち果てた寺院の相を示しておるという意です。

 ・僧房は荒廃して庭草の露深し。

仏堂と挙げたので、それに対して次に僧房と言われるのは、前と同一の例です。僧の住する房も荒れ果てて「庭草の露深し」という状態となる。つまりその庭においては、草を取る人がいないものですから、草が茫々と生えており、そこに露が深く溜まっておるという廃墟のような姿の形容であります。

 ・然りと雖も各護惜の心を捨てゝ、並びに建立の思ひを廃す。

これは前来述べるごとく、正しい仏法に対し、護りと惜しむ心がなくなってしまっている故に、その結果としてさらに堂塔を維持するような意味での建立の思いもなくなっておると言われております。

 ・是を以て住持の聖僧行きて帰らず、守護の善神去りて来たること無し。是偏に法然の選択に依るなり。

次には、このように日本の仏教が廃れ、聖僧も不在となり、守護の善神が国土を捨て去って無量の災難が起こるということは、すべて法然の『選択集』の悪法によるのであるということを、ここに述べられております。

 ・悲しいかな数十年の間、百千万の人魔縁に蕩(とろ)かされて多く仏教に迷へり。

法然が出生してからしばらくの間、つまり後鳥羽院の御宇の後において、承久の乱(1222年)という日本国未曾有の下剋上の大怪事がありました。この承久の乱のちょうど始まった頃が、不思議にも御母・梅菊女が大聖人様を御懐胎なさる時期なのです。ですから、ちょうどそういう大悪来るときに、本当の根本の大善が胚胎するという法界の不思議な実相が拝されるのであります。要するに、この数十年の間、法然の『選択集』という魔縁により正邪の念を失い、多くの人々が仏教に迷っておるという指摘です。

 ・謗を好んで正を忘る、善神怒りを成さゞらんや。

この「謗」という字は真蹟がこの通りです。けれども宗門以外の『立正安国論』の印刷物は、多くが「傍」になっているのです。この「傍」とは「かたわら」の意味ですから、それに対しての「正」とは「中心」という意味になります。要するに、中心に対して傍らのものということです。それは経典において、法華経の正が中心の意味ですから、それに対して「傍」は、華厳、阿含、方等、般若等の方便経、つまり中心以外のものとなるわけです。その「傍を好んで」ということは、華厳等四十余年の方便経を好んで、正義の法華経を忘れるという意味になります。

しかしこの法然の場合は、その華厳、阿含等の四十余年の経々の中で、ただ浄土の三部経のみを取って、あとは全部捨ててしまっておるわけです。そこで法然の謗法を明らかにする意味において、大聖人様は「傍」の字を使われず、「謗」の字にされたのです。要するに、法然が浄土の三部経のみを取った謗法の義を表すために、大聖人様があえて「傍」という字を使われずに、「謗」という字をお示しになったと拝するべきであります。

その「謗を好んで正を忘る」、つまり法然の邪義謗法を好み、法華経の教えに背いておることにおいて、「善神怒りを成さざらんや」、すなわち正法を守護する善神が怒りを成ぜぬことがあろうか、必ず成ずるのであると言われるのです。

 ・円を捨てゝ偏を好む、悪鬼便りを得ざらんや。

円とは、いわゆる中道実相、円満な完全無欠の教えという意味であります。偏は、偏っておるということ。すなわち小乗と大乗とで言えば、小乗は偏っておるし、権教と実教で言えば、権教は実教に対して偏っておるのであります。したがって、正直の純円法華経を捨てて、法然の主張のごとき極端な「偏」を、好むならば、その悪に乗じて悪鬼が便りを得ないことがあろうか、必ず便りを得て災いが起こってくると仰せであります。

そして、いよいよ今日の最後の文であります。

 ・如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには。

この御文は、非常に有名な言葉であります。これが大聖人様の仏法の、折伏を中心とした御化導における要点をはっきりお示しになった御言葉であります。折伏ということの中に、その要点要義を掴(つか)んで、教導の相手に対してその方法を示すことに大切な意味があります。

身体の調子をよくするために、薬をたくさん飲む人が多いのですが、薬をいくら飲んでも身体がよくならない人も多いのです。つまり不健康になっている人は、不健康になる一番元の原因を知らねばなりません。例えば、ある人の場合は大酒飲みで、若いときから飲んでいて、それが若いうちは何でもないのだけれども、40歳、50歳、60歳になってきますと次第に新陳代謝も衰え、身体の条件が変化しているにもかかわらず、それに気づかない。そこで若いときのように大量の酒を飲み続けていると、どんどん身体がおかしくなり、種々の病気が出てくるのです。結局、それは大量の酒によって不健康になっているのですが、本人は若いときからの飲酒で、健康だったという思い込みで身体の条件の変わっているのが判らないのです。その人が、酒を飲みながらいくら良い薬をたくさん飲んでも効果は出ないし、病気は悪くなるばかりです。要は、薬をたくさん飲むよりも、病気の一凶である大量の飲酒をやめればいいのです。そうすると病気はきれいに治ってきます。

それと同じように、この『立正安国論』の最初に、客の言葉の中にありとあらゆる御祈念を修する実例が述べられてありましたが、あれが万祈を修しても何ら効果がないという姿を先ず初めに示されたのです。つまり一凶を禁じ、悪いことを止めなければ、本当の意味で不幸を退治する解決はない、成仏はできないのだということが、「此の一凶を禁ぜんには」という御言葉の要点であります。このことをはっきりと掴めとおっしゃっておるのです。

要点を掴むということは、どういうことかと言うと、謗法を謗法として意識して、その謗法を打ち破っていくところに、本当の勝れた功徳を成ずるということです。その意味において『立正安国論』正義顕揚ということは、やはり皆さん方の一人ひとりが謗法をはっきりと意識して、特に創価学会の謗法、その他の様々の謗法を正法正義の折伏によって破っていくということです。その行業と決意、信心において、初めてこの一凶を禁ずるという姿が、はっきりと日本国の中に、また皆様方の信心と生活の上に、本当の正しい功徳として現れてくるのです。

したがって、この「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」ということが、万古に通ずるところの、衆生を正しく導くための大聖人様の大指針であるということを最後に申し述べて、本日の講義を終わる次第であります。

  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト

from: 21世紀さん

2009年02月27日 12時23分22秒

icon

「Re:御法主上人猊下御講義 立正安国論」
では、『安国論』の本文に戻ります。

 ・第一に読誦雑行とは、・・・大小乗・顕密の諸経に於て受持読誦するを悉く読誦雑行と名づく。(法然文)

これが、今の五種雑行の第一を挙げておるわけです。次は、第二を省いて第三を挙げておられます。

 ・第三に礼拝雑行とは、・・・一切の諸仏菩薩等及び諸の世天等に於て礼拝し恭敬するを悉く礼拝雑行と名づく(法然文)

つまり、5つの雑行を法然は述べているのですが、大聖人様は特に『安国論』では、第一と第三を挙げられておるのであります。これは恐らく、読誦と礼拝ということにおいて、誹謗が非常に顕著になる意味があるということから、特にこの5つの雑行のうち、第一と第三を挙げられたと思うのであります。

 ・私に云はく、此の文を見るに、須く雑を捨てヽ専を修すべし。(法然文)

この「私」というのは、法然が『選択集』の中で自分のことを言っているのです。つまり法然自身の意見であります。「此の文」というのは、これまた別の文で、善導の『往生礼讃』という書の文であります。この中に、「十即十生、百即百生・・・千中無一」という言葉があるのです。そこで法然が、「此の文を見るに」というのです。これは、法然が自らが五種の雑行をはっきりと示し、かつ『往生礼讃』の「千中無一」等の文よりするも、一切の雑行を捨てて専(もっぱ)ら浄土の念仏を修すべきであると言っておるのであります

 ・豈百即百生の専修正行を捨てゝ、堅く千中無一の雑修雑行を執せんや。行者能く之を思量せよ」と(法然文)

この百即百生というのは、100人いれば100人がすなわちそのまま極楽浄土へ生まれるということで、それが正行の功徳であるというのです。また千中無一というのは、聖道門の雑行をいうのです。雑行を修することによって行者のその心が至らなければ、と言ってはいますけれども、さらに積極的に聖道門を否定する語がこの千中無一であり、これによって道を得る人が1000人に1人もいないと言うのであります。


次は、またさらに『選択集』の法然の言う文を摘示されています。この御文は、非常に省略されておりますから、分かりづらいと思います。


又云はく「貞元入蔵録の中に、始め大般若経六百巻より法常住経に終はるまで、顕密の大乗経総じて六百三十七部・二千八百八十三巻なり、皆須く読誦大乗の一句に摂すべし」「当に知るべし、随他の前には暫く定散の門を開くと雖も随自の後には還って定散の門を閉づ。一たび開いて以後永く閉ぢざるは唯是念仏の一門なり」と。

 ・貞元入蔵録の中に、(法然文)

『貞元入蔵録』は、その先に作られた『開元入蔵録』という仏教目録がありまして、その後にできたものであります。唐の徳宗皇帝の貞元元年中に、釈の円照等が勅命を奉じて一切経の目録を『開元入蔵録』を元として追加新撰したものであります。これは五千・七千と言われる経巻のうちの七千の方に当たります。あとのほうは少し数量がちがうようですけれども、これはまた別の基準としての見方があると思います。

 ・始め大般若経六百巻より法常住経に終はるまで、(法然文)

『貞元入蔵録』においては、大般若経が600巻、それから法常住経という経典もあります。この法常住経という経典を調べましたけれども、これはごく短い、こんなお経があるのかと思うくらいに短いお経なのです。

 ・顕密の大乗経総じて六百三十七部・二千八百八十三巻なり、皆須く読誦大乗の一句に摂すべし・・・随他の前には暫く定散の門を開くと雖も随自の後には還って定散の門を閉づ。一たび開いて以後永く閉ぢざるは唯是念仏の一門なり(法然文)

これらを、「皆須く“読誦大乗の一句”に摂すべし」と法然が言っておるのです。この「読誦大乗の一句」とは、何のことでしょうか。この観無量寿経に説かれている行門というのが、さらに要点として散善門・定善門・念仏一門の3つに別れるというのです。


散善門

世福:これは世間的な意味での福を成ずる道であります。
孝養父母:父母に孝養を尽くす。
奉事師長:師長に仕え奉る。
慈心不殺:慈心をもってものを殺さない。
修十善行:十善の行を修するということ。これは、十悪に対する行が十善でありますから、それを修行する。
これが世間的な意味での行為における福を示しております。

戒福:これは仏教の上からの戒めによって行じ積まれる福です。
受持三帰:三帰を持つということ。三帰というのは、仏・法・僧の三宝に帰依するということです。
具足衆戒:衆戒を具足するということ。いろいろな戒律を具足して持つという意味です。これは大変なことですけれども、釈尊仏教の中に広くこの戒律を述べております。
不犯威儀:威儀を犯さずということ。これは散善の威儀ということで、いわゆる仏教において戒を受けたところの身において、きちんとした形でそれを実行する。日常生活の中の行住坐臥の威儀を犯さないということです。

行福:これは実際に仏法を実践する上の内容です。
発菩提心:これは先ず菩提心を発すること。
深信因果:深く因果を信ずること。因果を信ずるということは、大変大事なことで、仏法の行者、信者として忘れてはなりません。皆さんも、まことに大事なこととして肚に入れていただきたいと思います。
読誦大乗:これが今『安国論』で引用された『選択集』の文に出てきた「読誦大乗」ということです。つまり大乗経典を読誦するということです。
勧進行者:これは行者を勧進すること。
このようにありますけども結局、あらゆる経文の修行は、聖道門を含めてことごとくこの行福としての読誦大乗に入る。それについて法然は「読誦大乗の一句に摂すべし」と述べて、大乗を読誦することは(観無量寿経の)散善門の中の一分の修行に過ぎないというのです。

定善門
定善門の方は極楽浄土の阿弥陀仏に関しての観念を言うのです。心が一つに定まった意味の定の上から、これを観ずべきということにおいて定善門と言うわけであります。


日想観、水想観:これは仮の観(仮観)であります。
地想観:これは極楽の国土の地であり、それを想うということ。
宝樹観、宝楼観、華座観:これ(日想観〜華座観)は全部まとめて依報の形、すなわち阿弥陀仏の国土を観ずるという意味です。
像想観、弥陀観、観音観、勢至観:これは似像観と真身観の両方で、共に正報観であります。つまり依正二報のうちの正報で、この場合の正報とは仏を意味しますから、功徳の正報たる阿弥陀仏と脇士の三尊を観ずるのです。
普想観:これは総想依正二報観で、依報・正報を共に全部まとめて観ずることです。
雑想観:これは別想弥陀観で、別想としての弥陀を観ずるというのであります。
そして、これら定散の二門(定善門と散善門)を全部まとめて括られて随他意となっています。つまり、観無量寿経には、これらがすべて説いてあるのです。けれども法然は、これらは全部随他意であると決するのです。

ここに随他意と随自意ということがありますが、隋他意とは他の者、すなわち迷いの衆生の心に随って説くことです。つまり方便の教えであります。仏様の本当の心の上からの説法ではないという意味です。随自意というのは、仏様が自らの心に随って正しいことを説く教えということです。したがって、本来の正しい仏教の判定よりすれば、法華経のみが随自意で、他の経々はすべて随他意なのです。

しかるに、この場合の「随他意」は、法然の言う意味において、観無量寿経の中の散善門と定善門の一切が随他意であり、本当のものではないと言っているのです。したがって、これは修行の上において閉じるべきであるというのです。


念仏一門
ところが、念仏一門は、これこそ本当の阿弥陀仏の衆生を救う心であるということを述べ、それが阿弥陀仏の教えという随自意である故に、これを開くべきであると言っておるのであります。すなわち、この「念仏一門」とは、散善や定善の行は閉じて、ただ阿弥陀仏を念じ唱える一行を開き、極楽往生の唯一の門とするという意味です。

そこで、この念仏一門を開とする根拠は何かと言うと、観無量寿経の最後に、「仏、阿難に告げたまわく、汝能く是の語を持て。是の語を持つとは即ち無量寿仏の仏の名を持つなり」(釈尊文)という言葉だけなのです。「是の語を持て」とは、つまり阿弥陀仏の名前を持つことであるとして、行住坐臥いつでも南無阿弥陀仏と唱えることが、本当の阿弥陀仏の随自意の教えであり、衆生を救わんとするところの行であるという意味であります。


又云はく「念仏の行者必ず三心を具足すべきの文、観無量寿経に云はく、同経の疏に云はく、問ふて曰く、若し解行の不同邪雑の人等有りて外邪異見の難を防がん。或は行くこと一分二分にして群賊等喚び廻すとは、即ち別解・別行・悪見の人等に喩ふ。私に云はく、又此の中に一切の別解・別行・異学・異見等と言ふは是聖道門を指すなり」已上。又最後結句の文に云はく「夫速やかに生死を離れんと欲せば、二種の勝法の中に且く聖道門を閣きて選んで浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲せば、正・雑二行の中に且く諸の雑行を抛ちて選んで応に正行に帰すべし」已上。

 ・念仏の行者必ず三心を具足すべきの文、(法然文)

観無量寿経において、先の散善門と定善門を説いた後に、九品往生の相とその心地が示され、西方浄土往生が説かれています。その九品成仏の第一が上品成仏であり、浄土往生に必要な三心を具足するべきであるというのであります。その三心とは、第一に至誠心(しじょうしん)であり、誠実なる心をもって往生極楽を願うことであります。第二に、深心(じんしん)であり、阿弥陀仏の本願が吾ら一切の愚悪を救い給うと深く信ずることであります。第三に回向発願心であり、一切の善根をすべて回向し、只管(ひたすら)西方浄土、極楽に生ずることを願うことであります。

 ・或は行くこと一分二分にして群賊等喚び廻すとは、(善導文)

この文は善導の『観無量寿経疏』の文です。この疏において、この三心を釈する中で、回向発願心を解説した後で、さらに善導が外邪異見(聖道門の教え)の難を防ぎ、西方浄土への信心を決定せしめるため、『二河白道の譬え』というのを述べておるのですが、その中の文であります。

『二河白道の譬え』とは、旅人が一筋の白道を東の岸から西の岸に向かって進んでいると、突然その道の南北に2つの河が現れたのであります。南、すなわち向かって左の河は火の河であり、北、すなわち向かって右の河は水の河であります。旅人が渡っている中間の白道は、幅が僅か4・5寸しかなく大変危険なのでありますが、この他に西岸に渡る道は無いのであります。さらに旅人の背後の東岸には、猛獣や盗賊等が迫って、旅人を害そうとするのであります。そこで旅人が一筋の白道を命の綱として進むべきか、退くべきか迷っていると、後ろの東岸より「疑わずして進め」という声がして、また前の西岸よりも声がして「早く西の国へ来たれ、必ず汝は救われん」と云うのであります。そこで、旅人は意を決して、狭い白道を西へ向かって進みはじめたということであります。

ところが、一分二分、つまり少しづつ進んだところで、これが『安国論』の文のところですが、背後の群賊が旅人を誑かそうとして、「その道を進めば必ず死ぬ。早く還れ」ということを叫ぶのであります。しかし、旅人は迷わずに西に向かって進んだため、無事にこの白道を渡り切って西岸の安楽の地に到達することができたという譬えであります。以上が、『二河白道の譬え』の要約であります。

さらに、合譬(がっぴ)について説明します。まず、旅人とは浄土門の信者であります。次に、東岸とはこの娑婆世界であり、悩みの世界、苦しみの世界、それを言うわけです。また、西岸とは極楽浄土であり、本当に楽しい世界、阿弥陀仏の世界であるということです。また、南北の河については、水の河は貪欲・愛欲をあらわしており、火の河は瞋恚・闘諍をあらわしております。一筋の白道というのは、往生浄土の信心を意味します。

次に、東岸の勧めの声は釈尊の浄土三部経等とするのであります。つまり、阿弥陀経、無量寿経、観無量寿経の浄土三部経というのは、これは釈尊が説かれているのです。例えば、釈尊が韋提希(いだいけ)夫人に説いたのが観無量寿経です。ですから、阿弥陀経といっても、阿弥陀仏が説いたわけではなく、また西方極楽十万億土があるということを説いたのも釈尊なのです。それが、東岸の勧めの声という意味に、ここでは取っているわけです。一方、西岸の招きの声とは、阿弥陀仏の声であり、救済の力であるというのです。

 ・即ち別解・別行・悪見の人等に喩ふ。(善導文)

そして、一分二分進みはじめると、「引き返せ、引き返せ、その道は危険極まりないから、そのまま進むと必ず死ぬぞ」という声が、「別解・別行・悪見」、すなわち聖道門の人であるということを言うのです。ですから、浄土門以外の僧侶や仏菩薩なども、全部これを悪人にしてしまうわけであり、そういう顛倒した教えなのです。

 ・私に云はく、又此の中に一切の別解・別行・異学・異見等と言ふは是聖道門を指すなり。(法然文)

したがって、これについてまた法然が、このように無量の悪言をもって一切の仏教を誹謗しているのです。

 ・又最後結句の文に云はく「夫速やかに生死を離れんと欲せば、二種の勝法の中に且く聖道門を閣きて選んで浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲せば、正・雑二行の中に且く諸の雑行を抛ちて選んで応に正行に帰すべし」已上。 (法然文)

法然の最後の結論の文です。これは要するに、仏道の目的たる生死の苦を離れるためには、聖道門を閣(さしお)いて、浄土門に入りなさい。正・雑二行の中には雑行を抛って正行に帰しなさいということを言っておるのです。ここまでが法然の『選択集』の引文であります。


これについての批判と破折が、以下の大聖人様の御文です。


之に就いて之を見るに、曇鸞・道綽・善導の謬釈(みょうしゃく)を引いて聖道浄土・難行易行の旨を建て、法華・真言総じて一代の大乗六百三十七部二千八百八十三巻、一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て、皆聖道・難行・雑行等に摂して、或は捨て、或は閉じ、或は閣き、或は抛つ。此の四字を以て多く一切を迷はし、剰へ三国の聖僧・十方の仏弟を以て皆群賊と号し、併せて罵詈せしむ。近くは所依の浄土の三部経の「唯五逆と誹謗正法を除く」の誓文に背き、遠くは一代五時の肝心たる法華経の第二の「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」の誡文に迷ふ者なり。是に代末代に及び、人聖人に非ず。各冥衢(みょうく)に容りて並びに直道を忘る。悲しいかな瞳矇を■(う)たず。痛ましいかな徒に邪信を催す。故に上国王より下土民に至るまで、皆経は浄土三部の外に経無く、仏は弥陀三尊の外に仏無しと謂へり。

 ・之に就いて之を見るに、曇鸞・道綽・善導の謬釈(みょうしゃく)を引いて聖道浄土・難行易行の旨を建て・・・剰へ三国の聖僧・十方の仏弟を以て皆群賊と号し、併せて罵詈せしむ。

ここに法然が中国の念仏宗の先達三者の誤った解釈を引いて、あらゆる大乗教や一切の諸仏菩薩について捨・閉・閣・抛すべしという大悪義を述べ、またありとあらゆる聖僧乃至仏弟に対し、皆群賊と号して併せて悪口をもって罵(ののし)っておると指摘されるのであります。

 ・近くは所依の浄土の三部経の「唯五逆と誹謗正法を除く」の誓文に背き、

さらに主人(大聖人様)は、続いてこの法然の悪説は、先ず自ら依っておるところの浄土の三部経のうち無量寿経の文に背いておると言われます。すなわちその経において阿弥陀仏が法蔵比丘として誓願修行をしたときに立てた四十八願あるうちの第十八願に、「たとい我れ仏を得たらんに、十方の衆生、至心に信楽(しんぎょう)して我が国に生ぜんと欲し、乃至十念せんに、もし生ぜずんば正覚を取らじ、唯五逆と正法を誹謗するとをば除く」という言葉があるのです。つまりどんな衆生も救いたいし、救うけれども、五逆の者と正しい仏法を誹謗する者は、極楽浄土へ迎え入れることができないと、阿弥陀仏自らが述べておるのであります。

このように、阿弥陀仏自身が正法誹謗を否定しているにもかかわらず、それに背いてこの法然は徹底して正法を誹謗しているわけです。正法を誹謗しながら南無阿弥陀仏をいくら唱えても、西方極楽浄土へは行けないのであり、したがって法然の悪説は阿弥陀仏の言っていることと全く矛盾しており、成立しない邪義であることを、ここに述べられております。

 ・遠くは一代五時の肝心たる法華経の第二の「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」の誡文に迷ふ者なり。

法華経の第二巻の『譬喩品』の文を挙げられます。これは有名な経文で、正法誹謗すなわち法華経を誹謗することによって必ず地獄に堕ちるということが、はっきりと示された経文です。

 ・是に代末代に及び、人聖人に非ず。各冥衢(みょうく)に容(い)りて並びに直道を忘る。

以上のことからするも、代が末になってくると、聖人と言われるような立派な人がいなくなってくる。したがって人々は「冥衢」に入る。「冥衢」とは暗い道のことで、その中に入って正直な大道を忘れておると言われるのです。

 ・悲しいかな瞳朦を■(う)たず。痛ましいかな徒に邪信を催す。

この「瞳朦」というのは、目に膜がかかっているという意味です。それを針で打つことによって目が見えるようになる。昔も針をもって目の膜を打って目を見えるようにするという治療がありました。この「瞳朦を■(う)たず」とは、盲目であるにもかかわらず、そういう治療をしていないということです。そして悲しいことには、その瞳朦を打たず、また痛ましいことには、盲目の故に正邪の判別ができず、いたずらに邪信を催しておると言われるのです。

 ・故に上国王より下土民に至るまで、皆経は浄土三部の外に経無く、仏は弥陀三尊の外に仏無しと謂(おも)へり。

法然が『選択集』をもって多くの人々を惑わしたことによって、このように国中の上下万人が浄土三部経と弥陀三尊のほか、仏法は全くないと誤信するような結果になっておると述べられております。



  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト

from: 21世紀さん

2009年02月27日 12時20分09秒

icon

「Re:御法主上人猊下御講義 立正安国論」



<第四問答:正しく一凶の所帰を明かす>
第四問答の要旨は、客が主人の言葉を聞いてさらに怒り、「誰人を指して悪比丘と言うや」ということを、またさらに詰問するのであります。そしてここに至って初めて主人は、それが誰であるかということを示します。それがいわゆる法然であり、その法然の著した『選択集』(せんちゃくしゅう)の文を挙げて、その内容を論じ、まさしくそれが破仏破法の邪義であり、災難の元凶であるということを示すのが第四問答であります。


客猶憤りて曰く、明王は天地に因って化を成し、聖人は理非を察(つまび)らかにして世を治む。世上の僧侶は天下の帰する所なり。悪侶に於ては明王信ずべからず、聖人に非ずんば賢哲仰ぐべからず。今賢聖の尊重せるを以て則ち竜象の軽からざることを知んぬ。何ぞ妄言を吐きて強ちに誹謗を成し、誰人を以て悪比丘と謂ふや、委細に聞かんと欲す。

 ・天地に因って化を成し

私利私欲や私情を交えないで世を治めるということです。いわゆる天の法、地の法というように、自然に万民を撫育(ぶいく)するところの意義が成り立っておりますから、そういう意味において、天地の法にしたがって万民を撫育するのであるということであります。これは『孝経』という中国の本ですが、その中に、「天の明に則り、地の義に因り、以て天下を順う」という文があります。そういう意味から述べております。

 ・聖人は理非を察らかにして世を治む

『安国論』の中には「聖人」という語が何回も出てきますけれども、このところでは、まず世間における聖人を言われております。例えば『貞永式目』等を作って世を治めた北条泰時、あるいは諸国を巡っていろいろな実状を調べてそれを政治の参考にしたところの最明寺入道時頼といった人々であります。こういう人たちがその時代において正しい政治をして、多くの民衆を救おうとするというような意味においては聖人に当たるということで、その意味の聖人であります。つまり道理と理非をよく察して、そして世を治めるということ、これは当時の政治家を言うわけです。

 ・世上の僧侶は天下の帰する所なり。悪侶に於ては明王信ずべからず、

僧侶というのは、いわゆる天下の人々が帰依するのである。ですからそこにもし悪い僧侶がいるとするならば、それは国王が信ずるはずがないではないかと言うのです。

 ・聖人に非ずんば賢哲仰ぐべからず。

このところの「聖人」は、前と異なり各宗の僧侶のことを言っておるわけです。本当に聖人と言われるような僧侶でなければ、世の賢人、哲人が仰ぐことはあり得ないと言うのです。ここのところは「聖人」が2つ出てきますが、両方の意味があるわけです。

 ・今賢聖の尊重せるを以て則ち竜象の軽からざることを知んぬ。

この場合の「賢聖」は、世の賢人、聖人です。それらの人々が僧侶に対して疑いを持たずに尊重しておるということをもってしても、現今の僧が竜や象のように、その徳が軽くないということが判るではないかという主張です。この「竜象」の「竜」と「象」という字は、共に徳の高い偉い僧侶のことを言うのです。つまり動物の中で竜と象は非常に勝れたものでありますから、同様に僧侶の中でも非常に勝れた徳を持ち学識がある人のことを竜象と言います。それで、その地位、徳望の軽くないことが判るというのであります。

 ・何ぞ妄言を吐きて強(あなが)ちに誹謗を成し、誰人を以て悪比丘と謂ふや、委細に聞かんと欲す。

このように客は主人の語に対し、「妄言」とまで言ってさらになじるのです。つまり「あなたは嘘を言っているのではないか」「どうしてそのような悪口を言って誹謗するのか」「誰人を悪比丘と言うのか」という質問であります。それに対して、いよいよこの第四問答の主人の答えとなります。


主人の曰く、御鳥羽院の御宇に法然といふもの有り、選択集を作る。則ち一代の聖教を破し遍く十方の衆生を迷はす。其の選択に云はく「道綽禅師聖道・浄土の二門を立て、聖道を捨てゝ正しく浄土に帰するの文、初めに聖道門とは之に就いて二有り、乃至之に準じて之を思ふに、応に密大及以実大を存すべし。然れば則ち今の真言・仏心・天台・華厳・三論・法相・地論・摂論、此等の八家の意正しく此に在るなり。曇鸞法師の往生論の註に云はく、謹んで竜樹菩薩の十住毘婆沙を案ずるに云はく、菩薩阿毘跋致を求むるに二種の道有り、一には難行道、二には易行道なりと、此の中の難行道とは即ち是聖道門なり。易行道とは即ち是浄土門なり。浄土宗の学者先づ須く此の旨を知るべし。設ひ先より聖道門を学ぶ人なりと雖も、若し浄土門に於て其の志有らん者は須く聖道を棄てゝ浄土に帰すべし」と。

ここからが特に教義的に細かい指摘が行われてまいります。

 ・主人の曰く、御鳥羽院の御宇に法然といふもの有り、選択集を作る。

ここに「法然」という名前が出てきましたが、これは日本の浄土宗の開祖です。南無阿弥陀仏を唱える宗旨としての最初の人であります。今はどちらかと言うと、法然の浄土宗より親鸞の浄土真宗のほうが有名のようです。京都の西本願寺、東本願寺などは親鸞のほうの本山です。親鸞は、実は法然の弟子なのです。親鸞は大聖人様とほぼ同時代で、若干大聖人様よりも前の人ですが、不思議なことに大聖人様は親鸞については何もおっしゃっていないのです。400余編の御書の中で親鸞のことは全く出てきません。しかるに法然については、あらゆる御書に破折の対象としてはっきりと述べられております。

この法然というのは岡山県の出身で、現在の岡山市の真北、約30kmくらいのところに久米南町というところがありますが、そこに今でも法然誕生の地として、誕生寺という浄土宗の寺があります。つまり昔の美作国(みまさかのくに)で生まれたのです。それから、9歳で観覚の弟子となり、15歳の時に比叡山に登ったのです。天台の三大部乃至一切経を読むこと5回を行ったというのですから、大変な大学者であったことも事実でしょう。ところが43歳の時に、中国の善導という人の記述した浄土を説く観無量寿経の疏に出会い、それより深く念仏に傾倒して天台宗から飛び出して、念仏の宗旨を開いたのであります。そして66歳の時に、この『選択集』2巻を著して、特に念仏の宗義を作り上げました。

 ・則ち一代の聖教を破し遍く十方の衆生を迷はす。

すなわちこの法然の『選択集』が、実は一代の聖教すべてを破し尽くしておるのであり、それによって遍く十方の衆生を迷わしておるということを、ここにはっきりとおっしゃっておるのであります。

『選択集』の「選」という字、それから「択」という字も、共に「えらぶ」という意味です。つまり選び択ぶということですが、では何を選び択ぶのかと言うと、要するに浄土門のみを選び、聖道門(しょうどうもん)の一切を捨てるということ、広大な仏教のすべてを捨て、その中よりただ浄土門を選び取るということが「選択」の意味です。

 ・道綽禅師聖道・浄土の二門を立て、聖道を捨てゝ正しく浄土に帰するの文

ここからは『選択集』の文をまず挙げられているのですけれども、そのところどころの要点を述べられております。まず道綽(どうしゃく)禅師という人の、聖道・浄土の二門を立て、聖道を捨てて正しく浄土に帰すべきだという主張を、法然が『選択集』に取り上げておる文を挙げられるのです。

この道綽という人は、中国における浄土宗の第2祖で、天台大師が出現した中国の隋、唐代の頃の人です。河清元(562)年に生まれて14歳で出家しました。当時、中国には涅槃宗という宗旨があったのです。涅槃経という経典がありますが、これはお釈迦様が最期、亡くなる時に説かれた経典で、その経典を中心とするところの宗旨を涅槃宗と言うのす。日本には伝わってきませんでしたが、中国には当時存在したわけです。道綽は、その涅槃宗の僧侶として常に涅槃経を研鑽し、24回にもわたって涅槃経を講義したということが伝えられております。しかし、48歳の時に玄中寺という寺に入って、その時に念仏宗の初祖である曇鸞の碑文を見て感ずるところがあり、浄土の教えに帰依して『安楽集』を作り、浄土に帰すべきという教えを立てたということであります。

この道緯禅師が浄土の教えに帰依した理由として、ひとつは釈尊が亡くなってからずいぶん時が経ち、したがって世の中が大変荒(すさ)んできておるから、到底お釈迦様の深い教えはもう聞くに堪えない衆生が増えてきておるということ。もうひとつは、お釈迦様の深い教え、つまり浄土門に対する聖道門として、すなわち華厳、阿含、方等、般若、法華等の経典がありますが、この聖道門は末世の衆生には難しくて到底理解できないから、浄土門をもって救うべきだと言うのです。

たしかに聖道門の法門は深く、その教行理等は難しいと言えます。しかし釈尊の教えは、その究極の法華経に至って、すべての人が易しく救われる道が示されているのです。それは特に、末法において法華経の根本の付嘱を受けられた大聖人様が、有り難いことには、その聖道門の難しさも功徳も全部、南無妙法蓮華経の中に篭もっているということをはっきり説かれ、また行じられたわけです。あらゆる人々が南無妙法蓮華経を唱えることにより、必ず救われると共に、また世間の姿においても全部、南無妙法蓮華経の信心において即応して大功徳を受けるということです。ですから、そこには少しも難しいために避け捨てる必要がないのであります。その点をよく理解していただきたいと思います。

しかし『選択集』では道綽の説を挙げ、聖道門を捨てて浄土門に帰するという文があるということを、ここに摘要されるのです。

 ・初めに聖道門とは之に就いて二有り、乃至(道綽文)

まず、この「二有り」というのは何かと言うと、聖道門には大乗と小乗があるということです。それから「乃至」というのは、ここで大聖人様が法然の『選択集』の引文を省略されている意味であり、実際には法然が『選択集』で、道綽の『安楽集』の意を取って述べた言葉として、「一には大乗、二には小乗、大乗の中について顕密、権実等の不同有りと雖も、今この集(安楽集)の意は、唯顕大及び権大を存す。故に歴劫迂回の行に当たる」という文があります。

つまり大乗には顕教と密教、権教と実教があると、まず述べております。その密教とは、真言の密教です。それから顕教とは、そのほか華厳・方等・般若・法華等、ほとんどの大乗の教えです。それから顕大とは密教に対する一般の大乗のことで、権大とは方便の大乗を意味するのです。そこで、この本来の道綽の『安楽集』の意は「顕大及び権大を存す」というのであり、密教に対しての一般の大乗と方便の大乗の教えを見ると、すべて歴劫迂回(うえ)の行、すなわち大変に長い時間を回り道するものであるから、これを捨てるべきという意味です。

そこには、法華経ということをはっきりと示していないのです。いわゆる顕大と権大は、密教以外の一般の大乗及び方便の大乗で、それはまさしく歴劫迂回の行に当たるのであります。法華経を除いた大乗はことごとく、小乗もそうですが歴劫迂回の行なのです。つまり直ちに即身成仏という目的を達することができないのであり、成仏のためには非常に長い期間修行をしなければならないのです。

 ・之に準じて之を思ふに、応に密大及以(および)実大を存すべし。(法然文)

これが法然のさらに誑惑の言葉であります。つまり『安楽集』の意は、歴劫迂回の行が「顕大及び権大」であり、これは一般の大乗のみを意味するので、それを捨てるというのです。しかるに、法然が自分の意見として「応に密大及以実大を存すべし」というのは、『安楽集』の意をさらに誇張して、密大という真言宗、それから実大という法華経の宗旨までを捨てるべきであるという暴言です。つまり歴劫迂回の行である一般の大乗は、衆生にとって用をなさないということを『安楽集』では言っているのだけれども、法然はさらにもう一歩進めて、法華経も真言も無用であるということを述べておるのです。

 ・然れば則ち今の真言・仏心・天台・華厳・三論・法相・地論・摂論、此等の八家の意正しく此に在るなり。(法然文)

これも法然の言です。現在存する「真言」、「仏心」すなわち禅宗、「天台」すなわち法華経、その他「華厳・三論・法相・地論・摂論」等の八家は、すべて聖道門として捨てるべきという文です。「地論・摂論」というのは、地論宗・摂論宗というのが中国にあったのですが、これらは日本には伝わってこなかったのです。またこの2宗は、教理の上から三論・法相の中に吸収されてしまったのであります。

とにかく「此等の八家の意正しく此に在るなり」ということは、結局『選択集』で道綽禅師の文を引きつつ、さらに法然が一歩を進め、あらゆる聖道門の教えを全部捨てて、浄土門に帰すべきであるという主張をしており、その悪義をここに引かれているのであります。

 ・曇鸞法師の往生論の註に云はく、(法然文)

これは、世親の『往生論』を曇鸞が註解した『往生論註』のことであります。

 ・謹んで竜樹菩薩の十住毘婆沙(びばしゃ)を案ずるに云はく、(曇鸞文)

さて、竜樹菩薩という大乗の教えを説いた有名な菩薩がインドに出現しましたが、その著書の中に『十住毘婆沙論』という本があるのです。この「毘婆沙」というのは、広説すなわち大乗の教えを広く説くという意味であります。「十住」というのは、本来は「十地毘婆沙」と言うべきなのです。大乗の菩薩の位に十信、十住、十行、十回向、十地、等覚という五十一位がありますが、その中で十地が一番上のほうの位です。その華厳経に説いてあるところの十地の菩薩の行業の初地、二地を述べておるのがこの『十住毘婆沙論』なのです。したがって『十住毘婆沙論』の「十住」ということは、本当は「十地」の意味です。それをここではあえて、下のほうの位ではあるけれども「十住」という言葉を使っておるのであります。

 ・菩薩阿毘跋致(あびばっち)を求むるに二種の道有り、(竜樹文)

この「阿毘跋致」というのは、皆さん方が『寿量品』で読むところの「阿惟越致地」と同じ意味であります。『寿量品』の初めのところで、「我等住。阿惟越致地。於是事中。亦所不達。(我等、阿惟越致地に住すれども、是の事の中に於ては、亦達せざる所なり)」(法華経430ページ)と、いつも読んでいるでしょう。これは弥勒菩薩の言葉です。つまり弥勒菩薩は、自分が阿惟越致地、すなわち阿毘跋致に住しておるということを言っておるのです。簡単に言えば、これは非常に深い菩薩の境界として、いかなることがあっても全く退転することのない、仏様に近い深い境界になったということです。阿毘跋致という不退の位にも、位不退、行不退、念不退とあるけれども、特にこれは念不退という意味でありましょう。そういう意味での菩薩の深い境界、これを得るのに「二種の道」があると言うのです。

 ・一には難行道、二には易行道なりと。(竜樹文)

その2種の道の1つが「難行道」、もう1つが「易行道」であります。

『往生論註』の中では譬えとして、陸を一歩一歩行くと、山や谷などの坂もあって足も疲れ、非常に辛く難行であるが、同じ場所に行くにも、船を使って海から行けば楽に行けてしまう。いわゆる易行道があるということを述べておるのです。

 ・此の中の難行道とは即ち是聖道門なり。易行道とは即ち是浄土門なり。(法然文)

法然の釈です。この中の「難行道」というのは「聖道門」である。「易行道」というのは「浄土門」であるということをまず言って、したがって難しい行が聖道門なのだから、聖道門は捨てなければならないと言うのです。

 ・若し浄土門に於て其の志有らん者は須く聖道を棄てヽ浄土に帰すべし」と。(法然文)

つまり曇鸞の難行道、易行道という面から、聖道門と浄土門の取捨、すなわち聖道門を捨てて浄土門に帰すべきを述べておるのであります。


又云はく「善導和尚は正・雑の二行を立て、雑行を捨てゝ正行に帰するの文。第一に読誦雑行とは、上の観経等の往生浄土の経を除いて已外、大小乗・顕密の諸経に於て受持読誦するを悉く読誦雑行と名づく。第三に礼拝雑行とは、上の弥陀を礼拝するを除いて已外、一切の諸仏菩薩等及び諸の世天等に於て礼拝し恭敬するを悉く礼拝雑行と名づく、私に云はく、此の文を見るに須く雑を捨てゝ専を修すべし。豈百即百生の専修正行を捨てゝ、堅く千中無一の雑修雑行を執せんや。行者能く之を思量せよ」と。

今度は善導という人のことになります。善導という人は、中国唐時代の浄土宗の僧侶で、道綽の弟子であり、中国の浄土宗における第3祖となります。この人は、初め三論宗の嘉祥大師の弟子である明勝という人に三論宗の教義や法華経、維摩経を学んだのです。ところがその後、道綽について深く浄土門を信ずるようになり、そして観無量寿経というお経の解釈書である『観経疏』を作った。それからさらに『往生礼讃』『般舟讃』(はんしゅうさん)等の浄土門の教義を著述した人であります。

しかるにこの人は、最後には阿弥陀仏の住国たる西方極楽十万億土へ早く行きたいということから、自坊の木に登ってそこから飛び降り、腰の骨を折って、苦しんで亡くなったというような伝えもあるようです。しかしともかく、非常に念仏を鼓吹した人であります。

 ・又云はく『善導和尚は正・雑の二行を立て、雑行を捨てヽ正行に帰するの文(法然文)

その善導の教えを『選択集』に挙げる文です。善導が観無量寿経を解釈した『観無量寿経疏』の中で、五種正行ということを述べておるのです。これは、観無量寿経の意義をもってこれを立てているのであります。なお、この観無量寿経に関する内容は、一切方便経によるもので真実ではありません。安国論の趣意を判り易くするために説明しつつ、後の方にもずっと念仏の法門が出てくるのですが、万が一にも「これはいい」と思われるといけませんから、まずお断りしておきます。

五種正行とは、第一に読誦正行であり、他の経典を全く読誦せず、浄土三部経のみを読誦することが正行であるということです。第二に、観察正行であり、阿弥陀仏と浄土のみを観察することであり、他の菩薩や仏のことを一切観じてはいけないということです。第三に、礼拝(らいはい)正行であり、阿弥陀仏を中心に、観音と勢至の両菩薩が両脇士として侍(はべ)るという、観無量寿経に説かれる弥陀三尊のみを礼拝すべしと言うのです。第四に、称名正行であり、阿弥陀仏のみを称名する。つまり名前を唱えるということです。ですから、釈迦牟尼仏もいけなければ、薬師如来もいけない。その他あらゆるものを唱えずに、南無阿弥陀仏とだけ唱えよというのが称名正行です。第五に、讃嘆供養正行であり、これは弥陀仏のみを讃嘆供養するということです。

更に、これらは助業と正業に分かれるということを示してあります。つまり、第一、第二、第三

  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト

from: 21世紀さん

2009年02月27日 12時15分33秒

icon

「Re:御法主上人猊下御講義 立正安国論」
◆◆◆【誹謗正法の経証4:涅槃経如来性品】◆◆◆

次は、涅槃経の北本『如来性品』を引かれてあります。


涅槃経に云はく「我涅槃の後無量百歳に四道の聖人悉く復涅槃せん。正法滅して後像法の中に於て当に比丘有るべし。持律に似像して少しく経を読誦し、飲食を貪嗜して其の身を長養し、袈裟を著すと雖も、猶猟師の細視除行するが如く猫の鼠を伺ふが如し。常に是の言を唱へん、我羅漢を得たりと。外には賢善を現じ内には貪嫉を懐く。唖法を受けたる婆羅門等の如し。実には沙門に非ずして沙門の像を現じ、邪見熾盛にして正法を誹謗せん」已上。

 ・我涅槃の後無量百歳に四道の聖人悉く復涅槃せん

「四道の聖人」とは、仏道修行の中で初果・二果・三果・四果の段階があり、これらの修行によってあるいは見惑、あるいは思惑等を断尽した聖者が、その徳をもって世を導きます。しかし、仏が亡くなられて時が過ぎると、これらの聖人も皆死んでしまう。そこで仏の教えが正しく弘まる正法時代より、像法という教えの形式化された時代に移ると、悪比丘が輩出するという未来記であります。

 ・正法滅して後像法の中に於て当に比丘有るべし。持律に似像して少しく経を読誦し・・・我羅漢を得たりと。

すなわちこれは、心の中に仏法の行者として、正邪に対する深い懺悔、反省等の気持ちもなく、ただ我欲にとらわれておる僧侶が出ることを予言しておるのであります。こういう者に限って「自分は羅漢を得たのだ」とか「自分は聖人であるから一切に勝れており偉いのだ」と言うのですが、末法において、特に自分のことを偉そうに言う人間には、ろくな者はいないのです。

宗門では、法主に対する形として合掌礼を行うことになっていますが、私としては、他の人々から拝まれることに心中、忸怩(じくじ)たる気持ちがあります。私のような人間が人から合掌されることは、本当に申しわけなく思っておるのです。ただ、そのとき心の中で御題目を唱えています。ですから私は今まで「自分が偉いのだ」とか「私はこういう境界を得ている」などの言は、一遍も吐いたことはないのです。

けれども本当に悪い宗教家は「自分は本当に偉いのだ」ということを平気で言うのです。ですから、こういう形で悪い僧侶が出るということを言われておるのであります。

 ・外には賢善を現じ内には貪嫉妬を懐く

それで外には非常に賢く、心掛けのよい僧侶であるような形を現じ、内には醜い貪りと嫉みを強く抱いておるというのです。

 ・唖法を受けたる婆羅門等の如し

この「唖法」というのは、インドの外道の一種が、常に無言を実行することにより悟るという、誤りの修行です。ですから喋らないことが悟りに至る道であるということをもって常に黙り、その道を磨くというのが唖法ということなのです。

ともかく、なぜこの「唖法を受けたる婆羅門等の如し」ということを言われたのかと言うと、人を導くためには人々と語り合う、お互いに気持ちを通じ合わせる必要があります。私も皆さん方と、こうしてお話していますが、やはりお互いの気持ちが通じ合うことが必要です。そしてお互いに正しいことを修行し、勉強し、お互いに啓発し合っていくと共に、常に正しいことを願う僧俗でなければならないわけです。にもかかわらず、上辺だけ賢人に見せるために黙っていて、偉そうに見せかけるところの者が、かえって悪い僧侶であるということになるわけであります。ですから、それを称して「唖法を受けたる婆羅門」と言われたのです。

 ・実には沙門に非ずして沙門の像を現じ、邪見熾盛にして正法を誹謗せん』已上

これは沙門ではない者が、沙門の形だけを表しておる故に、誤った邪な見解、因果を無視するのを邪見と言うのですが、それが火のように盛んであり、この者共が正法を誹謗するという予言です。




文に就いて世を見るに誠に以て然なり。悪侶を誡めずんば豈善事を成さんや。

これは大聖人様の御言葉です。すなわちこれまで種々の経文を挙げられましたが、これらの文によってこの世の中を見ると、まさしく今日においてこのような悪侶が充満しておるではないかとおっしゃるのです。

そこでこの悪侶を誡めなければならない。誡めるということは、その悪を改めるべく教え諭すこと、また悪を禁止することであります。もう一つ言うならば、誡めるという言葉の中には懲らしめるという意味があります。すなわちこれは折伏であります。大聖人様の教えが正法正義の上から、誤った邪義邪僧を誡めるということ、折伏するということが、ここにはっきりと、この御文において明らかであります。故に「悪侶を誡めずんば豈善事を成さんや」ということをもって、この段の答えの結語とされるのであります。



  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト

from: 21世紀さん

2009年02月27日 12時13分27秒

icon

「Re:御法主上人猊下御講義 立正安国論」
◆◆◆【誹謗正法の経証1:仁王経嘱累品】◆◆◆


仁王経に云はく『諸の悪比丘多く名利を求め、国王・太子・王子の前に於て自(みずか)ら破仏法の因縁・破国の因縁を説かん。其の王別(わきま)へずして此の語(ことば)を信聴し、横(よこしま)に法制を作りて仏戒に依らず。是を破仏・破国の因縁と為す』已上

 ・『諸の悪比丘多く名利を求め、

これは、この世において悪比丘が法を破し、国を破すような悪い因果を作るであろうということを述べております。この中の「名利を求め」の「名」とは名声であり、つまり世間から讃えられることを求めるということです。それから「利」は利養、すなわち多くの人々からの供養を受けて豊かな生活をすることを求めるであろうという意味です。

 ・国王・太子・王子の前に於て自(みずか)ら破仏法の因縁・破国の因縁を説かん。

しかも、国王・太子・王子の前において自ら悪比丘の行為として間違った教えを説く、すなわち「破仏法の因縁」です。破仏法というのは、仏法を破すところの因縁となるような悪説を述べるということです。「破国の因縁」とは、仏法を破す悪説がそのまま国を破すような悪義となる。それを述べて反省するところがないということです。

 ・其の王別へずして此の語を信聴し、横に法制を作りて仏戒に依らず。是を破仏・破国の因縁と為す』已上

したがって、正しい仏教の教えに基づかずに間違ったことを信ずるから、国政を執る者として、自己の利益を中心として民衆の幸福を考えない法律制度を作るということになるのです。そういう法律を作って仏の戒めによらない、こういうことを「破仏・破国の因縁と為す」と、仏が断ぜられております。

つまり悪比丘が邪教を弘め、正法の人を誹謗する。そして正法を持つ人に対して怨嫉を生じ、国王等に讒言をすることが、破仏・破国の因となるわけです。そして王臣等がその讒言を信じて正法を曲げ、また正しい仏法の師を迫害するに至るのは、その破仏・破国の縁となるのであります。そのような意味において、悪比丘によって謗法破国の姿が現出するということを述べられております。


◆◆◆【誹謗正法の経証2:涅槃経高貴徳王品】◆◆◆

先ほどのところは、この世における邪悪の僧による破仏・破国の内容を述べられましたが、ここでは死んだ後の未来のことを述べられます。未来においては、悪法によって地獄に堕ちるという意味を警告されるのであります。


涅槃経に云はく『菩薩、悪象等に於ては心に恐怖(くふ)すること無かれ。悪知識に於ては怖畏(ふい)の心を生ぜよ。悪象の為に殺されては三趣に至らず、悪友の為に殺されては必ず三趣に至る』已上

 ・悪象等に於ては心に恐怖(くふ)すること無かれ

この「悪象」というのは、酒を飲ませ、酔って荒れ狂う象のことでありますこの悪象は、もう手がつけられないほど、ありとあらゆるものを壊し、人間を踏み潰し、様々な悪害を行うのです。しかし経文は、この「悪象」よりも本当は「悪知識」のほうが恐ろしいのであり、悪象においては恐ろしがる必要はないと言われます。

 ・悪知識に於ては怖畏(ふい)の心を生ぜよ。悪象の為に殺されては三趣に至らず、

ところが、悪知識においては、本当に恐ろしいという気持ちを持たなければならない。なぜならば、悪象のために殺されては三趣に至らない、つまり悪象に殺されるということは肉体的な損傷ですから、この結果として死んだ後、地獄・餓鬼・畜生には堕ちないと言われるのです。つまり人間として生まれた因縁の果報があるわけですから、悪象によって殺害されたとしても結局、またさらに人間に生まれてくる意味があり、地獄・餓鬼・畜生には堕ちないということです。

 ・悪友の為に殺されては必ず三趣に至る』已上

ところが「悪友」のために殺される時は、必ず地獄・餓鬼・畜生の三趣に至ると言われますが、特に地獄に堕ちる意味において示されております。これはどういうことかと言うと、悪知識は我々の善い心、仏に成る善心を破るのです。悪象は、この善心までは破れない。肉体だけは破るけれども、心の徳は破れないのです。ところが悪知識は、我々の善い心とその徳を破ってしまうのです。したがって、悪知識が間違ったことを教えることによって、それを信ずれば、人々の善い心がなくなって堕地獄の悪心になると言われるのです。

これは今の創価学会の者共が、全くこのとおりなのです。悪知識によってますます悪心が増長しておるのです。つまり「嘘も百遍言えば本当になる」と言われれば、それを本気で何の批判もなく受け入れてしまう。それによって多くの人間が、自己の利益のためにはどんな嘘を言ってもいいんだと思い込み、そういう性格になり切っていく。自分に都合のいいようになれば嘘を言ってもいいんだということになると、平気で嘘を言うようになり、さらにそれが正しいと思い込む。実に国家社会にとっても憂うべきことであります。

そのようなことによって、要するに多くの人が心中の善心を破ってしまっておるわけです。それが池田ら悪知識の悪業であります。皆さん方は、本当によかったのです。大聖人様の仏法を正しく受け継ぐこの日蓮正宗にきちんと入って来られたからであります。ですから根本に悪心を秘めつつ、巧言令色、人を牽(ひき)いて悪をなさしむる元として、その善心を破るのが悪知識であり、必ず未来に三悪道に堕ちるのであります。したがって、本当に恐ろしいということを知らなければならないということが説かれておるのです。


◆◆◆【誹謗正法の経証3:法華経勧持品】◆◆◆

次は、法華経の『勧持品』です。


法華経に云はく「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に、未だ得ざるを為れ得たりと謂ひ、我慢の心充満せん。或は阿練若に納衣にして空閑に在り、自ら真の道を行ずと謂ひて人間を軽賤する者有らん。利養に貪著するが故に白衣の与(ため)に法を説いて、世に恭敬せらるゝこと六通の羅漢の如くならん。乃至常に大衆の中に在りて我等を毀らんと欲するが故に、国王・大臣・婆羅門・居士及び余の比丘衆に向かって誹謗して我が悪を説いて、是邪見の人外道の論議を説くと謂はん。濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん。悪鬼其の身に入って我を罵詈し毀辱せん。濁世の悪比丘は仏の方便随宜所説の法を知らず、悪口して顰蹙し数々擯出せられん」已上。

 ・『悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に

まず、『勧持品』の三類の強敵を示す中の、道門増上慢を述べられた文です。つまり悪世末法の僧侶は邪悪な智慧を持ち、心が諂(へつら)い曲がっておる。これはまさしく仏法を聞き学ばないからであります。

 ・未だ得ざるを為れ得たりと謂ひ、我慢の心充満せん。

そこで「未だ得ざるを為れ得たり」と思い込む。つまり「自分は偉い、自分は悟ったのだ」と、このように考えて多くの者を軽蔑し、その結果として正しい法を持つ人を迫害するに至るということであります。

 ・或は阿練若(あれんにゃ)に納衣にして空閑(くうげん)に在り

続いて、僣聖増上慢の文を引かれています。この「納衣」というのは、粗末な布のことです。つまりあちらこちらから布施された汚い粗末な布で作った衣を着し、質素な身なりで、いかにも聖人ぶっておる。それから「空閑」とは、静かな所におるということ。「阿練若」もまた閑静な所という意味であります。

 ・自ら真の道を行ずと謂(おも)ひて人間を軽賎する者有らん

この僣聖増上慢という種類の者が、また実に深く大きく正法を破るという姿があるということです。

 ・利養に貧著するが故に

これは先ほども出ましたが、世間からの名誉に執着し、信者民衆からの供養を貪り執着するのが、利養に貧著するということです。

 ・白衣の与(ため)に法を説いて

この「白衣」というのは、在家の人のことで、この人々に法を説くのです。

 ・世に恭敬せらるゝこと六通の羅漢の如くならん

これは仏法を破る大本の僧が、かえって聖人のような形を装っておるということです。この「六通」とは、天眼通・天耳通・宿命通・神足通・他心通・漏尽(ろじん)通の6つです。

ついでに言えば、これらの能力は、皆さん方の一人ひとりにも潜在しておるのです。けれどもその能力を本当に出すためには、これから飯もろくに食べずに洞穴に入って、種々の禅定や智慧の修行をし、一生涯を終えなければならない。一生でもまだだめでしょうから、この次にまた生まれ変わり、3回、5回と生まれ変わってくれば、だんだんとそういう通力が出るかも知れません。しかし末法は、大体そういう面では鈍(にぶ)い人が多く、もともとの能力に欠けているのですからしょうがない。本質的には一切の人に具わっているのだけれども、ないような状態としてほとんどの人が生まれてきているということです。食欲・性欲・権勢欲、その他様々な欲望充満の生命では、これらの五通、六通の通力は出てきません。今のこの世の中の姿がそうなんです。ですから、皆さんもそんなことに時間を費やす必要はありません。むしろそれよりも根本の仏道成就の南無妙法蓮華経の御題目を唱えることが大切であります。

 ・乃至常に大衆の中に在りて我等を毀(そし)らんと欲するが故に

こういう者共は、ただ自分だけで誤ったことを行っているならまだいいけれども、こういう者に限って、正しい法を弘めようとする人に対して嫉みを生じ、悪口を言うのです。

 ・国王・大臣・婆羅門・居士及び余の比丘衆に向かって誹謗して我が悪を説いて、是邪見の人外道の論議を説くと謂はん

すなわちこの悪僧は、国の権力者たる国王や高官、世の指導者に向かって、ありとあらゆる誹謗の言をもって、正しい法を持つ僧を、邪見外道と悪口を言うのであります。

 ・濁劫(じょっこう)悪世の中には多く諸の恐怖有らん。悪鬼其の身に入って我を罵詈(めり)し毀辱(きにく)せん

このところで、悪世中に正法を持つ人には、多くの恐るべき事柄が現れるという予言が、まず示されます。次の「悪鬼入其身」ということは、非常に有名な言葉です。つまり人々が悪人に変化していろいろな悪口を言うというのは、その命の中に悪鬼が入るからなのです。そういうところから様々な誹謗、悪口、迫害等が生じてくるということであります。

 ・濁世の悪比丘は仏の方便随宜所説の法を知らず、悪口して顰蹙し数々(しばしば)擯出(ひんずい)せられん』巳上

ここまでが三類の強敵の中の僣聖増上慢の怨嫉迫害の形として示されておるところです。この僣聖増上慢の悪比丘は、偉そうな行いを装っていても、仏の肝要な化導の方法を知らず、方便随宜によって法を説くことに迷うという意味です。

この「随宜」とは、仏の真実の心でなく、相手の低い機根にしたがって法を説くことです。すなわちこの悪比丘は、教えの中に方便と真実があることを知らない。仏の随宜所説の法を知らないということは、また仏の真実の法を知らないということなのです。真実の法と随宜所説の法の区別に迷って、方便の随宜所説の法を真実の法と思い込み、そこに大変な混乱を起こしてしまっておるのです。したがって、法華経を真実の法であると説く僧侶に対して怨嫉し、悪口誹謗をするのであります。

また「顰蹙」は顔をしかめること。そして「数々濱出せられん」というのは、正しい法華経の行者が、しばしばその住んでおる所から追い出されるということであります。そのような迫害が行われるという予言であります。



  • コメントする

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 拍手する

    サークルで活動するには参加が必要です。
    「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
    ※参加を制限しているサークルもあります。

    閉じる

  • 0

icon拍手者リスト

もっと見る icon