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創価学会SGIを本音で語ろう

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  • from: 21世紀さん

    2009/04/17 19:33:07

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    基本の〝五座三座の勤行〟を否定


    慧 妙・平成16年9月1日(第280号)より
    誰にでも解る創価学会の変質!
    日蓮正宗から背反(はいはん)し、仏法の根源から離れてしまった創価学会は、まるで根無し草よろしく、化儀・化法のすべてにおいて、急速に変質しつつある。
     去る八月十日付、および八月十一日付の『聖教新聞』に掲載(けいさい)された、会長・秋谷栄之助を始めとする学会最高幹部らの紙上座談会──そこにも呆(あき)れ果てた変質ぶりが露呈(ろてい)している。
     

    「五座三座は大聖人の化儀に非ず」!?
    呆れ果てた学会最高幹部の放言の数々
     まず、問題の紙上座談会を見ていただこう。
      ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇
    弓谷:(男子部長)今、海外は「方便品・自我偈」の勤行が多いですね。
    和田:(SGI理事長)その通りだ。以前は、各国の入会基準の一つに「五座三座
       の勤行の実践ができること」という項目があった。しかし一昨年五月、各国
       の要請をふまえて「勤行の実践」については、SGIでは「方便品、自我偈、
       唱題をもって勤行とする」と申し合わせました。
    秋谷:当然「五座三座」の人もいる。しかし、大聖人は「五座三座」については、
       一言もおっしゃていない。方便品と寿量品の読誦は言われているが、定型
       があったわけではないようです。大事なのは「唱題行」です。題目をあげる
       ことです。
    杉山:(青年部長)御書を拝すると、在家の勤行については「十如是・自我偈」も
       含めて種々の場合があったようです。「五座三座」という記述は一切ない。
       日興上人が書かれた文献にもない。
    弓谷:SGIのメンバーが実践している「方便品と自我偈そして唱題」の勤行のほ
       うが、むしろ大聖人の御在世に実際に行なわれていた勤行に形式が近い
       かも知れません。
    秋谷:大事なのは「心」であり「祈り」であり「持続」です。(八月十日付)
    --------------------------------------------------------------------------------
    和田:とにかく五座三座の形式は、後世になってできたものだ。日蓮仏法の
       「根幹」ではない。
    秋谷:だから戸田先生も、そういう格式、形式については、全く触れられなかっ
       た。「本山と同じようにやる必要はない」と、おっしゃっていたこともあった。
    青木:(理事長)だから、海外で「方便品・自我偈」の勤行にしたのは、むしろ
       大聖人の時代に帰ったものだとも言える。今も、たとえば日本でも座談会
       などは、限られた時間でもあるし、お年寄りや未来部員も参加する。方便
       品・自我偈のほうが価値的だと思う。
    弓谷:そうですね。近所迷惑になったら、かえって法を下げてしまいますから。
                                      (八月十一日付)
      ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇
     五座三座の勤行といえば、誰でも知っているとおり、日蓮正宗の信仰における、基本中の基本である。
     池田創価学会は、その基本中の基本を、「日蓮仏法の根幹ではない」「方便品・自我偈の勤行のほうが価値的だ」「(五座三座の勤行をすることで)近所迷惑になったら、かえって法を下げてしまう」などと称し、〝無用の長物〟として切り捨ててしまったのである。
     

    五座三座の様式は古来から存在
    寛尊「四百余年全く蓮師の如し」と
     しかし、五座三座の勤行を、「日蓮仏法の根幹ではない」とは、よく言ったもの。学会首脳とて、次に掲(かか)げる御先師方の御指南を知らぬわけはあるまい。
     まず、方便品・寿量品を五回繰り返すという、五座の様式(夕の勤行はこれを略して三座としている)が、いつからあったのか、という点について、御先師日達上人は『総本山大石寺諸堂建立と丑寅勤行について』の中で、次のように御指南くださっている。少々長くなるが、ここに引用する。
     「大永三年(1523年)に(総本山第十二世日鎮上人が認められた)『堂参御経次第』という書き物が残っております。これを見ると、今の勤行の本(もと=原型)というものが分かります。(中略)
     まず初めの五月一日の夜の方を見ても、本堂で本尊供養、次いで天御経は天拝(夜ですが天拝を行っています)、そして御影堂で二回御経をあげたのは、三師・歴代の供養と、『其後寿量品』の方は、広宣流布の(御祈念の)御経であると考えてよいと思います。
     また二日の朝も、同じく御堂において御経をあげるのは三師の供養、天御経は天拝、それから大堂(本堂)で御経をあげたのは本尊供養、最後に再び御堂に参って広宣流布の御経である。
     そうすると、一般の回向は、大坊に帰ってから六壺においてした、と考えられますから、五座の御経というのはこの時代にあったのだ、ということが明らかに分かります。(大石寺の境内にある)各堂について、それぞれ御経をあげて廻ったのであります。また、天拝(天御経)というのは天檀(台)を設けて御経をあげたことが分かります。」
     すなわち、第十二世日鎮上人の御代には、五座の様式の勤行があったことは明らかであり、それも、五箇処の堂でそれぞれ、方便品と寿量品を読誦し唱題して廻る、という、厳格な様式であったことがわかるのである。
     さらに、第二十六世日寛上人は、総本山以外の処に住する僧俗も、この助行の様式を守るべきことを、
     「若(もし)堪(たえ)タラン人ハ本山ノ如ク相(あい)勤(つとむ)ヘシ若(もし)爾(しから)ズンバ十如自我偈題目ナリトモ五座三座ノ様式相(あい)守(まもる)ヘシ」(日寛上人が、金沢の信徒・福原式治に宛てたお手紙)
    と御教示あそばされている。
     この御文の意を言えば、可能な人においては、総本山と同じように方便品・寿量品の長行・唱題を、それぞれ五回繰り返して行ない、それができない場合は、方便品の十如是までと寿量品の自我偈のみに略して、五座三座という形だけは守れ、と仰せられているのである。
     この形は、まさに今日まで伝わる日蓮正宗の勤行の様式ではないか。
     しかして日寛上人は、こうした勤行の様式を含む本宗の化儀を、誰が立てられたのか、ということについて、『当流行事抄』に
     「但我が富山のみ蓮祖所立の門流なり。故に開山以来化儀化法、四百余年全く蓮師の如し」(六巻抄 193頁)
    と仰せられている。
     これらのことから明らかなように、日蓮正宗富士大石寺の勤行の形は、他ならぬ宗祖日蓮大聖人がお立てになり、それを日興上人以来の御歴代が、師弟相対の信心をもってそのまま受け継ぎ、遵守(じゅんしゅ)してこられたのである。まさに、
     「相伝に有らざれば知り難し」(御書 92頁)
    で、御書の面(おもて)しか見ることのできない不相伝家には、知り難き伝承といえよう。
     

    「五座三座は近所迷惑、法下げる」!?
    宗祖大聖人に攻撃挑む創価学会
     ところが、秋谷ら学会幹部は、前の日達上人の御指南等を中途半端にかじり、
    弓谷:「宗門では昔、本堂とか御影堂とか、境内の堂を転々と『座』を替えて勤行していた。それが江戸時代に入って形式が整えられ、五座三座の勤行になったようだ」(八月十一日付)
    などと、年代・時代をぼかし、あたかも、勤行の形が決まったのは江戸時代以降であるかのように、曲げて言い放っているのである。
     極めつけは、弓谷の「(五座三座の勤行をすることで)近隣迷惑になったら、かえって法を下げてしまいますから」との弁。
     五座三座が法を下げて、方便・自我偈・唱題では法を下げない、などという説明は、どう考えても理屈が通らない。
     弓谷は時間の長短を指して言っているのだろうが、それなら、五座三座の勤行よりも一時間の唱題を行うことの方が「法を下げる」ことになりはしないか?
     さらに言うなら、もし、短ければ短いほど「法」を下げずに済む、というなら、題目三唱だけにすればよい。否、秋谷が「大聖人は〝一遍でも題目を唱えた功徳は無量である〟と繰り返し仰せです」(八月十一日付)と言うように、創価学会のホンネは「題目一遍」でよい、というところにこそあるのだろう。
     これで、「勤行0分」の池田x作も「胸を張っていられる」と、随喜(ずいき)の涙を滂沱(ぼうだ)と流しているに違いない。
     かつて創価学会では、日蓮正宗を「日顕宗」などと呼ぶ理由について、
     「〝日顕宗〟とは、日蓮正宗内に最近、旗揚げした邪教で、宗祖・日蓮大聖人に攻撃を挑(いど)み、〝日顕宗〟初代教祖のほうが上であるとの邪義を流布しようとしている一派。法華経に予言される僣聖増上慢(せんしょうぞうじょうまん)が具体化したものだが、大聖人を否定しながら、一方で大聖人の宗教的権威なしには自立できないという倒錯(とうさく)的宗派」(『聖教新聞』平成三年十一月十五日付)
    などと説明していたが、宗祖日蓮大聖人が立てられた最も基本の勤行様式をも、「根幹ではない」などと否定し、ねじ曲げてしまう学会こそ、大聖人に攻撃を挑み、自分達の方が賢(かしこ)しとする僣聖増上慢であろう。
     ともあれ、日蓮大聖人は、『四恩抄』『報恩抄』等の諸御書において、報恩の大事、特に三宝の恩を報じることの大事を説かれている。
     日蓮正宗の勤行要典の観念文を一読すれば、五座の勤行の根幹は、本門戒壇の大御本尊ならびに、宗祖日蓮大聖人・第二祖日興上人・第三祖日目上人をはじめとする御歴代上人方への報恩、すなわち三宝への報恩であり、その上に、広宣流布の祈念、先祖の回向も加わっていることが理解できよう。
     ゆえに、五座の勤行の様式を軽んずることは、日蓮大聖人を軽んじ、大聖人に背く謗法(ほうぼう)行為であるといえよう。
     池田創価学会は、かような謗法行為を会員に押しつける邪教である。
     この謗法を目の当たりにしながら、「五座・三座をしなくてよくなった」などといって喜んでいる学会員は、もはや救いようのない謗法者となりつつある、といえよう。
     我々は、そのことを学会員に強く訴え、一人でも多く、堕地獄の道から救っていこうではないか。

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