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  • from: 22世紀さん

    2011年10月06日 09時37分21秒

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    池田大作「権力者」の構造

    池田大作と富士短期大学

     池田は会長就任以来、無私の態度をもって創価学会=公明党の経営にあたってきた。それらは彼の持ち物であり、彼の
    内部でその公務と私欲は分かちがたく結ばれていたから、彼はそこから特別、彼自身の利益を引き出す必要を認めずに、
    その経営に精励することができた。また彼は創価学会会長と、公明党の事実上の党首の地位を、苦労の末に手に入れ、苦心
    しいしい維持してきたから、それらの役回りを演じて、決して飽きることを知らなかった。
     創価学会=公明党は、池田の指令を長年の間、遵守、実効化した結果、池田の人間性を忠実にうつす拡大鏡となった。
     昭和42年、池田はさきに中退していた大世学院の後身である富士短期大学を39歳で卒業した。この晩学は、彼の衰える
    ことのない勉学心からというより、学歴面での劣等感に深く根ざすものであった。池田は、会幹部間でも彼の東洋商業卒は目立って
    見劣りがすると考え、多くが大学卒の新人の登場とともに、ますますその思いを深くしていたのだろう。
     彼には創価学会会長だから学歴は何でもよいという自立的な自信はなく、ひたすら外部に、ある種の権威を求め、自分の履歴を
    ふくらませる姿勢だけがあった。その意味では池田も、たしかに外部志向の「庶民的」人間にちがいなかった。
     卒業二年前の40年、池田は富士短大に復学を申し込み、同校二年に編入を希望した。が、池田の在籍した大世学院は各種
    学校であったため、池田の希望は容れられず、40〜42年在学の形となった。ただ、大世学院時代の出席日数(全講義日数の
    三分の二以上)が考慮され、入学はしても受講は免除された。また卒業試験も、卒業に必要な課目のレポート提出でかえられた。
    すなわち、各教官が独自に課題を出し、数ヵ月の期間をおいてレポートをまとめさせ、彼に卒業の資格を与えた。
     この池田の卒業は、『日本の潮流』(央忠邦)では、次のように伝えられている。
    「『ついせんだって、卒業論文を書かされたんですよ』と、最近ある時、池田氏はテレながら私に話した〝秘密〟がある。
     富士短大の先生から請われて書いたのだそうだが、その論文は三月末、教授会をパスしている。どんなテーマだか、興味
    深いので、私は無理に問題を見せて欲しいと頼んだ。・・・・・
     日本における産業資本の確立と、その特質について論ぜよ
     第二次世界大戦の終了後から、朝鮮動乱の終了の間におけるわが国の産業動向について述べよ
     自由民権思想の諸内容
     あすの産業経営について(以下略)
    『この年をして110枚も書いたんです』」
     卒業論文に何本も、また命令文の標題もあり得ようはずがないが、それでも卒業に必要な短いロンブンにかわりなく、また提出を
    命ぜられたことも、池田の身分にふさわしくいえば「請われて」になるわけである(断っておくが、ここでは央の書きようをとやかく
    いっているのではない。彼の著書は数ある池田=創価学会礼讃書の中ではもっとも良質であり、央は池田の言葉をそのまま記した
    にすぎまい。池田は非常に奇態な語法の愛好者で、たとえば『若き日の日記から』〔昭和29年4月14日の条〕では、「朝、客と闘う。
    小生悪し。小さな事で、いい気になる自分を反省する」と記している。「闘う」というのは何のことはない、ケンカ、それもおそらくは
    口ゲンカであり、ケンカという語の使用はのちの会長としての池田の沽券にかかわるが如くである)。
     池田は早速、さして変わりばえのしそうもない富士短大卒を彼の著書の奥付に書き入れたが、『政治と宗教』(潮新書版)のそれ
    には、「1928年(昭和3年)東京に生まれる。富士短期大学卒業。創価学会第三代会長。聖教新聞社社主。公明党創設者」と
    あるように、卒業年次を書き入れず、また第三代会長の前に記して、会長就任前に卒業していたかのような印象を与えた。
     彼の短大卒はいじらしく、大いに同情の余地はあるが、それでも肩書だけをほしがるところは成り上がりの系図買いの卑しさと
    酷似することも事実である。
     池田の勤勉や向上心は、つねに彼自身と創価学会=公明党のミテクレへの留意、知的デコレーションに情熱と目標を持った。
    それは明治新政府の欧化熱、近代化政策、富国強兵策等の矮小化されたカリカチュアだった。彼らの百年遅れの言動は、「昭和
    元禄」といわれる一部文化の爛熟と頽廃のまっただ中で行われたから、局外者に怖れの混入した違和感と滑稽感を与えたのも
    やむないことであった。


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