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反創価学会

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公開 メンバー数:118人

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  • from: 22世紀さん

    2010/12/23 16:16:45

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    池田大作「権力者」の構造

      池田の抬頭と石田の地盤沈下

     昭和33年5月3日、第18回春季総会で理事長・小泉隆は、会長職は当分置かない、戸田がつくったレールの上を、脱線しないように創価学会という列車を走らせていくのが我々のつとめだ、と演説した。
     この日、小泉は蒲田支部長と台東区総ブロック長を辞任し、理事長一本に専念することになり、また戸田の死で一人欠けた理事は和泉覚の就任で補われた(宗教法人の登記面では、戸田が死んだ4月2日、ただちに小泉が創価学会の代表役員代務者になり、4月12日に和泉覚が責任役員についている)。これで同会の理事は、理事長・小泉のほか、白木薫次、原島宏治、柏原ヤス、辻武寿、石田次男、和泉の計7名になった(登記面の責任役員も同様メンバー)。蒲田支部長の小泉の後任には白木薫次が据えられた。
     6月30日、本部幹部会の席で、総務、庶務部、出版部の新設が発表され、総務には池田が渉外部長を解任されたうえで任命された。
     総務の役職は創価学会規則になく、その権限はなんら新しく規定もされず、一年間、無規定で通しつつ゛けられた。が、それは大体、青年部の参謀室長を本部に格上げしたもの、政党でいえば書記長格といった程度には漠然と諒解されていたようである。
     庶務部はそれまでの秘書部の改称で、部長には秘書部長・和泉美代が留任した。出版部長には森田一哉が、渉外部長の後任には辻武寿がそれぞれ任じられた。
     この人事は全体として青年部の試験的登用で、まだ池田の会長就任への布石といったものではなかったが、たしかに池田の重用ではあった。総務に要求される活力と事務能力は池田のタレントであり、また小泉は、前年公選法違反でともに臭い飯を食った仲という、池田に対する親近感を持ち、それらが相まって池田を総務に押し上げたのだろう。
     池田は総務となっても、青年部参謀室長の役を手放そうとはしなかった。強大化した青年部こそ、彼の唯一の切札であることを熟知していたからである。彼は参謀室を重点に、青年部の完全掌握に歩を進めた。その中には石田の義弟である男子部長・秋谷城永も含まれていた。青年部の力を背景にすれば、池田の発言権は飛躍的に強化され、全組織への攻略もたやすい。彼の戦略は大宅壮一のいうスターリンではなく、三国志から学ばられたが、三国志は派閥操作には依然として有効であった。
     池田は一方、与えられた総務の職をもフルに活用した。彼は集団指導体制の間隙をぬって全国の組織を小マメに動き、しきりに自分の顔と名を売り歩いた。
    池田だけが会長空席期を、会長着任をめざす事前運動の期間ととらえ、野心的に動きまわった。他の幹部たちは、「会長は当分置かない」「われわれで、会長になりたいなどと考えているものは、それこそ一人もいない」などの小泉や原島の言葉をうのみにして、いたずらに牽制しあっていた。12月7日、男子部総会で、一男子部員が「三代会長は俺だ」と短刀をもって壇上にかけ上がる事件があったが、その男も幹部間のぎこちない緊迫感を触知して、耐えられなかったのだろう。
     このころから、石田の聖教新聞への登場は目立って減っていった。彼は大石寺での夏季講習会の講師を担当し、組織面から教学面に移されつつあった。それは、「学会きっての理論家」(『聖教新聞』昭和32年10月4日)と評される石田の悲劇だった。また彼の唯一の組織担当である九州総支部長は要職ではあったが、ここにきて遠隔地という裏目が濃く出てきた。総支部の少なかった時代の戸田の意図は、彼を飛ばすこととはまるで逆だったのだが。
     石田の地盤低下は9月の『折伏教典』改訂版の刊行でさらに追い打ちをかけられた。同版の編集は小泉を中心に教学部で進められ、改訂前との主な相違は、石田の書いた第一章生命論が、戸田の講演筆記と入れ替えられたことにあった。
     石田は生命論の根拠を、日蓮の佐渡御書――人の衣服飲食をうばえば必ず飢餓となる。持戒尊貴を笑えば貧賤の家に生ず。養戒を笑えば国土の民となり王難に値う。是は常の因果の定まれる法也――に求めて、旧版では過去から現在の因果、現在の差別の理由の説明といった面が強調されていた。
     これに対し、改訂版では、「生まれ落ちると女中さんが30人もくっついて、婆やが5人もいて、年頃になれば、優秀な大学の卒業生としてお嫁さんは向うから飛びついてきちゃって、良い子供を生んで立派な暮しをして、そして死んでゆかなきゃならない。その来世の幸福を願うが故に、今、信仰させる」と、現在から未来への視点、努力による因果論から信仰による来世の幸福へのすりかえ、因果論の後退など、力点の置かれかたが変えられた。
     こうした改訂は、時代の変化に対応した、教理の「逆立ちしながらの唯物論化」(高木宏夫)の一環をなすものであったが、戸田の講演との入れ替えとはいえ、石田の巻頭を書いたという名誉を著しく損なうものであった。
     11月9日、第19回秋季総会が開かれ、3月の総登山、会員百万世帯、地方寺院の建立というこの年の三大目標の達成が発表された。またこの日、十支部が新設され、理事・辻武寿が福島支部長に、文化部長・鈴木一弘が川崎支部長に任じられた。
     公称世帯数をそのまま受け取るなら、この年の対前年成長率は37パーセントで、前年の53パーセントに較べて大きな落ち込みであった。が、伸び率の逓減性を考慮にいれるなら、まずさほど遜色のない、戸田亡き後の第一年であった。


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  • from: 21世紀さん

    2010/12/22 19:51:45

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    「Re:憎悪の批判者攻撃」
    公明党 余りに筋違いの取引だ

    --------------------------------------------------------------------------------

    (『朝日新聞』H17.12.7東京朝刊 社説)

     巨大化した自民党と連立を組む公明党にとって、自分たちの主張を通すのは容易でない。妥協が必要だ。ただ、党としての筋を曲げては元も子もない。
     来年度予算編成をめぐる自民、公明両党の協議で、公明党は総選挙でマニフェストの柱に掲げた児童手当の拡大を勝ち取った。
     現在、小学3年生まで支給されている児童手当の対象を6年生までに広げる。新たに年2200億円が必要になり、さらに所得制限も緩めると1200億円の予算増となる。
     日本は近く、人口が減る超少子高齢化社会に入る。子どもを生み育てる家庭を支えるという意味で、私たちも児童手当の思い切った増額を主張してきた。方向性は評価したい。
     総選挙で創価学会から支援を受けたことへの、自民党からの返礼という意味合いが大きいだろう。だが問題は、児童手当の拡大と引き換えにする形でふたつの大きな譲歩に踏み切ったことだ。
     1つは、防衛庁を「省」へ格上げすることについて、具体的な省名などの協議に入ること。2つ目が教育基本法の改正にも前向きに応じること。
     どちらも憲法改正への動きとも絡んで、公明党が長く自民党の主張に歯止めをかけてきたテーマである。福祉や清潔とともに「平和」を結党の原点に据える公明党にとって、見過ごすわけにはいかないことだった。
     今回、それを取引材料にしたといえば、公明党は「それとこれとは別」と反論するかもしれない。だが、自民党内では「バーターだ」という受け止めがおおっぴらに語られている。
     公明党は、この妥協の意味をことさら小さく見せようとしている。
     防衛庁の昇格では「看板を他の省と同じにするだけで、実質的な変化はない」、教育基本法の改正には「自民党が『愛国心』をいい、公明党は『国を大切にする』というくらいの違いしかない」といったぐあいだ。
     自民党があれだけ大きくなった以上、いつまでも抵抗できるものではない。妥協せざるを得ないなら、大型の選挙が想定されていない今のうちに。そんな計算もあるようだ。
     だが、公明党にはよく考えてもらいたい。あなたたちは、小泉首相の靖国神社参拝で中国や韓国との亀裂が広がっていることに、深刻な危機感を抱いてきたはずである。
     防衛庁の昇格や教育基本法の改正となれば、中韓にも不安を呼ばないではおかない。そこで譲るというなら、せめて公明党も主張している新たな追悼施設の建設で、調査費の計上を自民党に認めさせるぐらいの「取引」はできなかったか。
     隣国の不安をぬぐい、関係改善をめざすという意味で、これならかろうじて筋が通らなくはない。
     児童手当と「防衛省」の取引では余りにも筋違いだ。

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  • from: 21世紀さん

    2010/12/22 19:50:39

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    「Re:憎悪の批判者攻撃」
    公明党 「イカンザキ」でしたか

    --------------------------------------------------------------------------------

    (『朝日新聞』社説H18.9.19)

     8年間も公明党の代表をつとめてきた神崎武法氏が、月末の党大会で退くことになった。
     公明党は結党以来、「反自民」の一翼を担ってきたが、神崎氏が代表になった翌年の99年、自民党との連立に大きくかじを切った。
     いまや公明党と言えば与党のイメージの方が強いかもしれない。国政の運営を支え、選挙協力でも力を発揮した。政権を安定させるうえでの貢献は大きい。
     その見返りに何を得たのか。児童手当の拡充や、発達障害者支援法の成立など自民党からはなかなか出てこない政策が進んだ。その点は評価したい。
     しかし、「改革にアクセル、右傾化にブレーキ」と言った割に、肝心のところでずるずると後退した面は否めない。「清潔、平和、福祉」が党の基本なのに、戦火が続くイラクへの自衛隊派遣を容認し、政治資金の透明化でも存在感を発揮できなかった。
     とくに理解に苦しむのは、小泉首相が毎年続けた靖国神社への参拝への対応だ。形ばかりの反対に終始したのはどうしたことか。
     公明党の支持母体である創価学会は、戦中の国家神道の時代に厳しい宗教弾圧を受け、会長が獄中死した歴史もある。靖国神社はその国家神道の中心的な施設だった。
     政教分離を定めた憲法に抵触する疑いもある。信仰の自由と並んでこの党がもっとも重んじる理念のはずだが、意外にあっさりと6度の参拝を受け止めた。
     中国や韓国との外交が行き詰まり、首相が「中国の言うことを聞けばいいのか」と反中国感情をあおる姿を、支持者らはどんな思いで見たのだろう。
     日中の国交正常化にあたり、両国首脳の橋渡しをしたのは竹入義勝元委員長だった。創価学会の池田大作名誉会長も、日中友好に積極的に取り組んできた。積み上げた成果が崩されていくのは、決して愉快な話ではあるまい。
     神崎代表も首相の説得を試みはした。だが「ならば連立の解消も」という切り札には触れる気配すら見せなかった。
     「創価学会を守るために自民党にすり寄ったのではないのか」――この連立には当初からそんな疑念がつきまとってきた。自民党の創価学会攻撃をかわすのが最大の狙いというわけだ。靖国、日中で断固とした態度をとれないことも、そうした見方を後押ししている。
     公明党の機関紙が創価学会の聖教新聞と歩調をあわせ、竹入、矢野絢也両元委員長を激しく批判している。経緯はよく分からないが、組織の外の目から見れば、異様な光景としか言いようがない。
     創価学会をめぐるこの党の不可解さは、神崎時代にもぬぐい去ることはできなかった。
     神崎氏は選挙CMで「そうはイカンザキ」と大見えを切った。断固とした姿勢を印象づけるキャッチコピーとしては上出来だったが、この7年、選挙以外でその叫びが聞けなかったのは残念だ。

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  • from: 21世紀さん

    2010/12/21 23:30:55

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    「Re:「財務」にみる池田大作氏の虚言  段 勲」
    平成22年財務 投稿者:きんまんこ 投稿日:2010年12月21日(火)11時50分27秒   通報 返信・引用
    今年の財務の振込より:「平成22年振込のご案内(銀行用・郵便局用)
    ①振込期間
    平成22年12月2日から平成22年12月22日までです。
    ②振込の手続き
    必要事項をご記入のうえ、金融機関の窓口からお振込みください。
    ※自動振込機(ATM)はご利用にならないようお願いいたします。
    ③振込手数料
    銀行:下の振込用紙の「お振込先銀行・支店」へ同じ銀行からお振り込みになる場合は、受取人(創価学会)が負担いたします。
    郵便局:右の払込用紙を使用する場合は、受取人(創価学会)が負担いたします。
    振込は一回のみです。どちらか一方の振込用紙を使用してください。使用しなかった振込用紙は破棄してください。」

    創価学会脱会推進委員会

    創価学会への財務は仏様の供養ではありません。
    功徳どころかかえって罪障を積む結果となります。

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  • from: 21世紀さん

    2010/12/21 23:24:25

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    創価学会の謀略組織を解明する。 その1

    創価学会の謀略組織を解明する。 その1.

    このテーマは、私たちの周りで起こっている信じられない陰湿な実態を「世の中」に知ってもらうためにブログで明らかにするものです。

    戦後数十年の歳月が経過していても、我が国の本当の民主主義が定着していない現状を思い知らされます。
    その陰湿な「尾行行為」や「嫌がらせ行為」、さらに「生命の危険」を脅かしている組織が存在するとは、関係者以外は、にわかには信じられないと思うのです。

    振り返ってみると、“独善”と“狂気”のオウム真理教が社会から糾弾されました。
    そうした社会から忌み嫌われたオウム真理教のそれ以上の狡猾さと全国的な広さ、そして国家権力にウイルスのように侵食しているのが、政権与党の一角を担う創価学会・公明党(以後、創価公明党という)の組織なのです。

    創価公明党の目的は、この「日本を牛耳る」、「日本制覇」を掲げる池田大作の野望実現の為であり、池田大作イズムを日本・世界に浸透させる事なのです。
    その目的に対し、前に立ちはだかるあらゆる勢力や個人に向かって、反社会的な圧力や行動をして、しかもそれを正当化するという狂った価値観に囚われている団体なのです。

    私たちは池田創価学会を監視し、糾弾していかなければなりません。
    私たちは狂った価値観に囚われている全ての集団と闘っていかねばなりません。
    私たちは民主主義社会を守り、未来に安寧な社会を作る責任があります。
    私たちは、心ある人たちと連携しながら情報を共有し対処しなければなりません。

    そのために、池田創価学会の“負の闇部隊”、また秘密組織といわれている実態を検証して行くことから始めます。
    次の鼎談は平成20年4月に「慧妙紙」に掲載された内容を一部修正し抜粋したものです。


    「裏」で暗躍する秘密組織「広宣部」とは

    小多仁 佐貫さんは、池田創価学会の“負の闇部隊”、また秘密組織について、何か情報をお持ちですか。

    佐 貫  「広宣部」という謀略(ぼうりゃく)部隊については、その生い立ちを知っています。
    小多仁  「教宣部」というのがありますが、それとは違うのですか。

    佐 貫  「教宣部」というのは、創価学会組織の四者(壮年・婦人・男子・女子)にまたがって組織されている、「表」の組織です。これに対し「広宣部」は、男子部、それも創価班などの中から選(え)りすぐりを集めた「裏」の組織です。ですから、部外者が名前を聞いただけでは混同してしまうかもしれませんが、全く違う組織です。

    小多仁 その違いについて、分かりやすく説明していただけませんか。

    佐 貫  そうですね。「教宣部」は日蓮正宗対策のために組織されたものであり、これに対し「広宣部」は、反学会陣営対策で作られた組織、ということになると思います。
     実質的な活動内容で区別してみると、「教宣部」に与えられた役割は、専(もっぱ)らプロパガンダ活動であるのに対し、「広宣部」は専ら謀略活動を行なっている、というところでしょうか。
     法華講員のところに知り合いの学会員が訪ねてくることがありますが、その時に、その学会員が連れてくる、見ず知らずの弁舌の立つ学会員、それが「教宣部」のメンバーだと思って、ほぼ間違いありません。

     彼らは、日蓮正宗に対するプロパガンダ教育を徹底的に受けていて、法華講員との対論に乗り出したり、脱講運動のために法華講員を訪ねてきたりするのです。
     これに対し、創価学会員を熱心に折伏する法華講員や、我々のように、反創価学会の活動を行なっているメンバーを尾行してくる学会男子部、こちらは、「広宣部」のメンバーだと思ってほぼ間違いありません。

     名前が似ているうえに、同じ人間が、組織の「表」では「教宣部」に所属し、「裏」では「広宣部」の部員として暗躍する、ということもあり得ますので、二つの組織は余計に混同されやすいかも知れませんね。


    プロパガンダを担う「教宣部」・・・中には諜報機関並みの活動も

    小多仁  なるほど。じつは私は、「教宣部」については若干の知識があります。というのは、私が学会職員であった頃の同僚にH君という人物がいて、彼から教宣部の概要を聞いたことがありますから。

    佐 貫  「教宣部」に関しては、内部資料も流出していますね。

    小多仁 そうですね、私も見ました。
     それによると「教宣部」――正式名称は「教宣部委員会」だそうですが、そのトップは竹入央通副会長で、その設置にあたっては、当時、学会の会長であった秋谷栄之助さんが、「新たに、教宣部が設置された。方面、県、そして末寺ごとに、二十一世紀を前にして、本格的な日顕宗対策を進めていく」「創価学会に手を出したらとんでもないことになる、それを骨身に染みて分からせるまでやる戦いである」などと発言しています。

     そして、「日顕宗対策」という内部通達では、具体的な活動として大きな項目を三つ、一つめは「寺院への徹底した攻撃」、二つめは「法華講救済運動の推進」、三つめは「組織への啓蒙(けいもう)」を挙げ、それぞれに細かい方針を定めています。

    佐 貫  「法華講救済運動」っていう表題には笑ってしまいますね。実際には、救済ではなく、地獄に引き込む「奪命運動」じゃないですか。(笑い)

    小多仁  細目を見てみましょう。まずは「寺院への徹底した攻撃」ですが、

    ①寺・住職の詳細な状況把握(過去と最近の様子)
    ②寺の定例行事の掌握(しょうあく)
    ③活動家の動きの掌握
    ④寺の機関紙の定期的な入手
    ⑤寺のデータ管理

    ということになっています。
     次に「法華講救済運動の推進」ですが、

    ①脱会者の追跡調査 今どうなっているのか
    ②古くからの法華講の掌握
    ③脱講の推進 登山、供養どめの推進 ※青年僧侶への依頼
    ④脱講数の報告 月2回 ※月に数回、脱講デーを設けて、取り組む

    となっています。
    そして、「組織への啓蒙」については、

    ①脱会者を絶対に出さない
    ②日顕宗への戦いの感覚を磨き、組織の啓発をする
    ③武器の活用(『創価新報』など)

    となっていますね。

    小 川  えーっ、これが「表」の組織の活動なの?「寺院への徹底した攻撃」の内容なんかを見ると、まるで諜報機関ですよ。CIAやKGBみたいな。

    小多仁 いやいや、まだまだ。この内部通達には「追跡調査の意義」とか、その「調査方法」まで明示されていますから。

    小 川  いやぁー、恐れ入りました。(苦笑い)

    佐 貫  十年以上前の資料ですから、「法華講救済運動の推進」の項には「明年三月、新客殿落慶十万登山の粉砕」などとありますが、その後の、平成十四年の三十万総登山や、今年の「決起大会」への妨害活動を見ていると、この内部通達そのままの動きが見られます。
    というよりも、この十年間で、創価学会の謀略活動に、さらに磨きがかかっている、と見ていいでしょうね。


    謀略活動が専門の「広宣部・・・尾行・盗撮、何でもござれ

    小多仁 謀略活動といえば、私が、尾行されている、と気付いたのは、そんなに前のことではないのですが、その手口はなかなか巧妙でしたよ。
     二人以上が一組になっていて、一人の方はすぐそれと分かるような尾行の仕方でついてきて、こちらに気付かれたと思うと、すぐに姿を消してしまう。
     それで安心していると、じつは別にもう一人、尾行がついていることに気付いたんです。それで、その若い男に近付いていって声をかけたら、脱兎(だっと)のごとく逃げていった。(笑い)
     それから、よくよく注意して周りを見るようになったら、それらしき男達が、行く先々にいるじゃないですか。それこそ、延べにしたら数十名くらいに見張られている、そんな感じですよ。

    佐 貫  そうした活動を行なっているのが「広宣部」なんです。

    小多仁  その「広宣部」について、詳しく聞かせていただけませんか。

    佐 貫  そうですね。じつは、「広宣部」が初めて結成されたのは、東京都板橋区においてでした。私は当時、北区と板橋区を統括する第九総合本部の男子部副書記長でしたので、結成に至る流れを知っているんです。

    「広宣部」を立ち上げたのは、Nという板橋に住む学会職員の男でした。平成元年頃のことです。創価班の中から人員を選抜して結成したのが始まりです。
    「広宣部」の当初の目的は、対顕正会対策のためでした。
     ご存じのように、当時の顕正会本部は板橋区常盤台にありましたから、その実態を把握しようと、板橋区に「広宣部」が作られたのです。

     その活動報告を、正木正明(現・創価学会理事長)や谷川佳樹(現・創価学会副会長)にしたところ、二人とも「それはいい!」と大喜びで、そこから全国的な組織化が図られたのです。
     そして今では、我々法華講員や反創価学会と目される人物を尾行したりする、あの「広宣部」になったわけです。

    小多仁  なるほど。

    佐 貫  我々などに対する尾行の他に、彼らが行なっていると思われる具体的な活動としては、
    ①対象者宅の郵便物のチェック
    ②対象者の盗撮
    ③交友関係の調査
    ④怪文書攻撃
    ⑤対象者が出したゴミなどを持ち去り、その中からの情報収集

    といったところが考えられます。

    小 川  ゴミの持ち去りまでねぇ。うーん……。

    小多仁 全く見ず知らずの男が、私だとわかって尾行してくるのはなぜだろう!?と不思議に思っていたのですが、尾行者達に私の盗撮写真が渡されていたということなら、なるほど、と思いますね。
     それにしても、私が動き出すとすぐに尾行してくるということは、二十四時間態勢で監視している、ということでしょうか。

    佐 貫  元学会弁護士の山〓正友さんの場合には、自宅の前にあるアパートが学会の〝監視哨〟のようになっていて、山〓さんの動向を 二十四時間態勢で監視していたのは間違いありませんよ。

    小多仁 しかし、そんな不毛な活動に従事させられて、もっと有意義に使うべき時間を無駄に浪費している男子部員達が哀れでなりませんね。
     彼らは、「池田センセーを護るんだ」という思いで、そうした反社会的活動に没頭しているんでしょうが、そんなことを続けていたなら、彼らの人間性が狂っていくことは間違いありません。
     そう考えてみると、じつは彼らこそが、創価学会問題の最大の被害者といえるのかも知れませんね。


     先日、5月12日に矢野絢也元公明党委員長が創価学会及び最高幹部7人に対し「言論妨
    害」「手帳の返還」「誹謗中傷」など10数項目に亘る訴訟を起こしました。その中で、特に注目され
    たのは「尾行等の嫌がらせ」を24時間体制で被害を被っていたのです。

    矢野絢也さんは、こうした卑劣な行為に憤り、反対にビデオカメラを設置して彼らの反社会的行為を
    記録に収めています。また逆尾行により謀略任務者をつきとめたりしています。何れはこれらの記録は
    裁判所に提出される事でしょう。

    私は、近い将来、この謀略任務者の中から必ず、創価公明党の「マインドコントロールの呪縛」から
    抜け出て真実を吐露する人間が現れてくることを期待しています。
    事実、その動きが出始めているのです。

    現在、私のメールに毎日のように、創価学会員以外の一般人の方々が創価公明党と思しき連中に
    「集スト」被害を受けているとの訴えが来ています。異常としかいえない社会です。

    この事実は何を物語るのでしょうか。民主主義国家にとって恥ずかしい “闇”の実態が連日のよう
    に被害者に襲い掛かっているこの不条理、国の政治家は“盲目”なのか、また国家公安委員会は、
    何故、この事実を知っているのに手を下せないほど臆病になっているのか、はたまた無策状態なの
    か?まさに「亡国」に突き進んでいるとしかいえません。

    次回、その2は具体的な尾行の実態と、被害者の声などを明らかにしていきます。


    『「カルト創価の終末」 創価はそうなの?』 より

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  • from: 22世紀さん

    2010/12/19 20:48:18

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    池田大作「権力者」の構造

    三代目への抗争

     戸田城聖の遺産の行方

     戸田の突然の死は、会の内外を問わず、一般に創価学会の迎えた最大の危機と受け取られた。
     それはまず、戸田の死自体が彼の唱えていた功徳を裏切って、会員に教義への疑惑を抱かせ、不安や動揺を与えると考えられた。また戸田は後継者を指名する余裕を持たなかったから、会幹部間に第三代会長をめぐっての内紛が生じ、それがひいては同会の空中分解や分裂をもたらすと取り沙汰された。
     池田自身、当時をこう回想している。
    「(池田が)参謀室長当時、戸田先生が一年間病気の時期があった。暗い時代であった。小泉(隆)さんが理事長。ギア(が)はまらなかった。どうしようもなかった。空中分解寸前だった。戸田先生がなくなられたとき、小泉理事長はいても、一寸先は闇で、わからなかったといっていた」(昭和50年9月28日、箱根研修所で、内部文書)
     また空中分解には至らないまでも、それまでの爆発的な発展を負っていた戸田の卓越した指導力や組織力、人柄の魅力が失われて、以後の創価学会の停滞と困難が予想された。
     折伏攻勢に悩まされていた「邪宗」はこのように考え、喜びと希望的観測とをもって、創価学会を攻撃した。
     しかし、危機意識は残された創価学会幹部の共有するところでもあり、他教団の反撃は皮肉にも、彼らの結束をいっそう強固にする働きをした。
     幹部たちは、前年の11月に戸田は自らの死を予言していた、その言葉は戸田家の女中が日記につけていると、功徳への批判を打ち消した。
     また戸田の私生活の面、ことに遺産配分は悪くすれば、創価学会の信用問題に発展しかねないものであったが、それをも大過なく処置したようである。
     由比宏道『毒鼓の縁』によれば遺産問題は次のように処理されたという。
     戸田の妻・幾子は、戸田の死まもない4月23日、取引銀行である三菱銀行四谷支店長に、戸田名義の財産がどれだけ残っているか、調査を依頼した。彼女は、印税と株を動かした儲けが4億円ばかりある、と戸田から聞き、また戸田個人で費消する金は、幾子の父・松尾清一名義で三菱銀行番長支店に預けられ、その中に自宅の新築資金2,000万円も含まれている等のことを知っていた。なお当時、創価学会は出版収入などで、その月収は2億円にのぼると噂されていた。
     が、調査の結果、戸田の死の翌日4月3日、戸田の妾で大蔵商事専務理事でもある森重紀美子により、名義が書き替えられていることが判明した。そのため仕方なく幾子は、戸田の生前、会長印を自由にしていた秘書部長・和泉美代(大蔵商事社長で創価学会小岩支部長・和泉覚の妻)を通じて、戸田の財産譲渡を会幹部に交渉した。この幹部に、大蔵商事の取締役だった池田も含まれていたかもしれない。
     後日、幹部は戸田名義の財産は8,000万円で、うち2,000万円だけを渡すといってきた。どのような事情があったのか、これで戸田家との遺産問題は決着した。また全国の信者から集められた香奠も、幾子の催促のすえ、ようやく6月9日に、4,000万円から創価学会会葬の費用400万円を差し引いた残り3,600万円が戸田家に届けられた。
     戸田には跡部雅子という妹がいたが、彼女も遺産分配を請求した。雅子は岩手県一関市に住み、当時、地元の商事会社社長の2号だったという。彼女は、戸田家からも創価学会からも遺産分配をはねつけられたため、12月2日上京し、知人を介して和泉美代に折衝し、すったもんだのあげく、彼女の所持する戸田関係書類(手紙など)と引き換えに34万円を受け取った。
    なお池田は会長就任後、大蔵商事を離れ、同社社長は森重紀美子、のちその甥の森重章とかわった。が、同社は昭和40年ごろ脱税容疑で国税局の手入れを受けて経営が大きく傾き、同年12月、社名を大道商事と変更、事務所を東京・赤坂のホテル・ニュージャパン内に移した。44年5月、第一商事を併せたが、同社の放漫経営は続き47年ごろ創価学会員からの金約3億円が焦げついたほか数億の負債を負うまでになった。
     池田は同社の倒産を防ぐため、中西治雄に命じて経営管理に乗り出させ、中西は会幹部の菅原亮を経理担当取締役に、会弁護士の今井浩三を法律顧問に送り込んで建て直しを図り、創価学会の会館や研修所の土地売買、正本尊などの火災保険を扱わせた。が、森重は蒸発し、菅原は中西と不仲となって50年に病死した。同社の経営は創価学会の強力なテコ入れにもかかわらず改善せず、49年12月、再度社名を株式会社日章とかえ、事務所を東京・世田谷の北沢に移して、社長も元公明党議員の金井賢一、役員を松尾俊人らに入れかえ、監査役に会弁護士の福島啓充をつけている状態という(『週刊文春』昭和55年12月11日号)。
     また戸田の死後、池田の指示で戸田家から彼の遺品が運び出されたことは事実のようである。28年7月に入信、当時東京蒲田支部の男子部部隊長だった某は次のように語っている。
    「戸田会長が死んで一ヵ月もたたないうち、トラック二台、運転手を入れて6人が戸田家に行った。私はその一人であり、私のほか、竜年光、大田区議をしていた園部恭平などがいた。戸田家にはすでに白木薫次と池田が詰めており、十文字に麻縄をかけられた茶箱をトラックに積み込んだ。あまり積み上げるなということで、二段に重ねただけである。
     当時のトラックは小さく、荷台は二畳半から三畳のスペースしかなかった。荷物には二人がかりでやっと持ち上げられるほどに重いものや、軽いもの、あるいは外見から刀剣と分かるものなどがあった。幾子夫人は険しい顔をして応対が悪かった。
     私たちはそれを本部に運んだが、乗用車で追いついた白木と池田の指示で裏口近くの物置きに収めた」
     上乗りをした某は軍刀、掛軸、花ビンなどの美術品だったようだとしているが、戸田家に近い筋は、掛軸を含め家の中がカラッポになったことは事実だが、戸田に収集の趣味はなく、どの程度値打ちがあるものか分からなかった、といっている。
     創価学会の幹部たちは、理事長・小泉隆を中心に、団結を合言葉とし、戸田が死の寸前に指摘したという内部崩壊を警戒しあった。
    「(竜年光が)『先生、身延も既に敵でなくなった。ジャーナリストも敵ではない。一体、学会の敵は何ものでしょうか』とおうかがいしましたところ、先生は体を起されてはっきりと『それは内部だよ』とおっしゃいました」(『聖教新聞』昭和33年4月18日)




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  • from: 22世紀さん

    2010/12/18 15:21:59

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    池田大作「権力者」の構造

     宗門をめぐる二つの出来事と戸田の死

     戸田は昭和32(1957)年11月以来、肝臓と糖尿を患っていたが、33年2月、いったん回復した。2月11日、彼は満58歳の誕生祝いを行い、招いた在京大幹部を前に陣頭指揮への決意を語った。
    「会長就任以来7年になるが、私は7年目ごとに難に逢っている。今度の病魔も打ち破ったのだから、もう7年また会長としてがんばるから一つよろしく頼む。・・・・・『源深ければ流れ遠し』の通りで、要するに学会の振興は会長自身がしっかりしなければならん。・・・・・明日から以前と同じように本部へ行って指揮をとる」(『聖教新聞』昭和33年2月14日)
     3月1日、法華本門大講堂が大石寺に落成し、大法要が行われた。同講堂は5階建のビルで、工期1年3ヵ月を要し、その工費4億円は創価学会信者による寄付でまかなわれていた。
     大法要には当時の首相・岸信介、文相・松永東が祝辞をよせ、また東京都知事・安井誠一郎等が出席した。創価学会会員はその日から3月いっぱい、20万人が慶祝登山し、その間、戸田は本山に滞在して指導にあたっていた。
     同月16日に、戸田は自民党の南条徳男、堀内一雄を通して岸を大石寺に招待した。岸はそれを受けたが、池田正之輔に反対されて急に出席をとりやめ、代理として夫人、娘婿・安倍晋太郎、南条徳男を出席させた。
     岸を迎えるため大石寺には青年部6,000名が整列していた。戸田は男子部幹部25人のになう、池田の考案になったという車駕にのって、自身、「広宣流布の儀式の模擬試験」と意義つ゛けた歓迎大会にのぞみ、次のように述べた。
    「日本の政権を保って、社会党と共産党をおさえて行ける人は岸先生しかいないということを、あの人が幹事長の時に心から深く思って、尊敬していたんです。
     今度も一日の落慶法要には来れないって云うから、そのあとはどうだと云ったら、16日なら行くちゅうので、今日は楽しみにしておったが・・・・・。
     ・・・・・しかし、お嬢さんと坊ちゃんと奥様と、その他自分がこの人と頼む人々ですね。さしむけて本山へよこされたその誠意というものは、私は心から嬉しく思う。
     ・・・・・岸先生がこれからどんな立場になってもわしは悪い人だとは思いません。それが友人のまごころじゃないでしょうか(拍手)。君らも、そういう心で、岸先生とつき合って下さい。
     ・・・・・私は宗教団体の王様なんだから(拍手)岸先生は政治団体の王様なんだ」(『聖教新聞』昭和33年3月21日)
    岸の欠席は戸田をいたく落胆させたが、それにしても法華本門大講堂の完成は、彼の最期を飾る華やかな幕切れであった。新興宗教の教祖は多く、画期となる建物をつくると安堵から死ぬというが、どうやら戸田もその例外ではなかった。この日から彼の衰弱は加わり、本山の理境坊で手当を受けつつ、静養しなければならなくなった。
     が、戸田の最期を飾るものは大講堂の完成ばかりではなかった。僧侶・的場正順(のちに鳥取市日香寺住職)へのリンチ事件が、衰弱を深める戸田にたむけられたのである。
     事件は、戸田と創価学会の威に服さない気骨ある僧侶への私刑であり、創価学会に抵抗するとどうなるか、的場ばかりか他の僧にも示すみせしめであった。
     的場がのちに一僧侶に宛てた手記によれば、事件の概要はこうである。
     大講堂落慶法要の際、創価学会の青年部員3、40名が大石寺の大坊に泊まり込んでいた。彼らは僧の卵ともいうべき所化を、タバコを買いにやらせるなどの私用に使い、チップがわりに菓子を与え、ソバ代を出すなどしていた。彼らには所化とはいえ、僧侶一般に対する畏敬の念はなかった。所化を指導する立場にあった的場はこれらのことを見聞きし、青年部責任者・土屋某に再三にわたって注意を促した。
     3月22日の夜、的場は青年部員間で、「正宗の坊主も邪宗の坊主となんら変わりない。ものさえ与えれば、いうことを聞く」と話されているのを聞き、翌23日朝、大石寺内の一僧坊である六壺に所化と青年部員を集めて厳重な注意を与えた。
    「大坊は一人前でない僧が法主の指南で修行する場所であって、本来が青年部員の起居するところではない。教育にさわるような真似はやめてほしい」
     的場は語をつぎ、前夜の青年部員の話を論難した。
    「邪宗の坊主と同じだというのは物を知らなすぎる。ではいうが、戸田は16日、岸を迎えようとした際、宗教団体の王様は私だといったが、これはどういうことか」
     宗門の立場からいえば、宗団の王者は、日蓮であり、また日蓮を体現する本尊、あるいは法主となろう。的場は創価学会の宗門支配を苦々しく思い、いわば法主にかわって、戸田の車駕による境内練り歩きなどを批判した。山門には下馬下乗とあって、法主でさえ山門を出るまでは乗り物を利用できない。
     が、この3時間後、的場は池田に呼び出されて裸にされ、近くの御塔川原に放りこまれる。青年部員がかわるがわる的場に馬乗りになって的場の顔を水の中につけ、池田はポケットに手を入れて見下ろしながら、指揮したという。
     的場は事件後、被害者にもかかわらず逆に約2週間の謹慎を命じられたうえ、北海道の新寺院に4年、その後、鳥取へと、地方回りの生活を余儀なくされた(『週刊文春』昭和52年9月1日号)。宗門は創価学会の組織と財力に制圧されつくして、的場の正義をバックアップすることも、その権利を回復することも長くできない状態にあった。
     4月1日早朝、戸田は医師の診断で本山の理境坊から東京に運ばれ、そのまま神田の日大病院(現・駿河台日大病院)に入院し、翌2日、急性心衰弱で58歳の生涯を閉じた。
     8日、戸田家の告別式が雑司ケ谷の常在寺で行われ、信者12万人が焼香した。
     19日、日蓮正宗法主・堀米日淳は故戸田に法華講総講頭の称号を贈り、またその前に大宣院法護日城大居士の法号を授与した。
     20日、創価学会葬が挙行され、25万人の創価学会員が参加し、これには岸も文相・松永も会葬した。新聞は、「首相〝200万信者〟に焼香」と報じた。
     

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  • from: 21世紀さん

    2010/12/18 12:05:39

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    「Re:憎悪の批判者攻撃」
    警視庁が法華講員の刑事告訴を受理!

    --------------------------------------------------------------------------------
    ―8月に都内で発生した"傘突き事伜"で―

    (『慧妙』H21.11.1)

     去る10月21日、警視庁・西新井警察署は、同署管内で本年8月2日に起きた、法華講員に対する暴行事件につき、被害者である法華講員の告訴状を受理した。
     事件は、8月2日の午後に発生した。
     被害者である法華講員の伊藤和彦氏が、東京都足立区内において「政教分離を考える会」(小川〓宣代表)発行の「公明党は創価学会の教義を実現するために作られた政党です」と題するビラを配布していたところ、3人の自転車に乗った男が現れ、口々に「何をしているんだ」「そんなもの配っていいのか」などと言いながら、伊藤氏の進路を妨げ、ビラ配布を妨害してきた。
     やむなく伊藤氏は、駐車場に止めた自分の車に戻ろうと歩き出した。
     しかし、男たちはそれだけでは収まらなかった。伊藤氏の後を追いかけて、逃げる伊藤氏に追いつくなり、1人がいきなり、手にしていた傘の先で伊藤氏の背中を強く突き、さらに伊藤氏の前方に回り込むと、伊藤氏の右目をめがけて突いてきたのだ。
     伊藤氏が眼鏡をかけていたことが幸いし、致命傷こそ免(まぬが)れたものの、伊藤氏は外傷性緑内障・外傷性前房出血という重傷を負い、一時、右目の視力・視野がほとんど失われてしまったのである(事件後3ヶ月が経過した現在、ようやく回復してきた)。
     残念ながら加害者の身柄は確保されていないが、加害者が配布を阻止(そし)しようとしたビラは、創価学会と公明党との関係を指摘したものであったことや、学会男子部が組織を挙(あ)げてビラ配布を阻止すると宣言していたことからして、犯人像は誰にでも見当がつこうというもの―。今回、刑事告訴が受理されたことにより、加害者の逮捕および背後関係の解明が進むことが期待される。
     なお、「政教分離を考える会」が発行するビラの配布に関しては、昨年11月にも、配布していた法華講員2人が複数の学会員に襲(おそ)われて負傷する事件が起き(本紙平成20年12月1日号に詳報)、現在、加害者である学会員との間で訴訟が続いている。
     正当な言論活動さえ暴力で封殺しようとする創価学会員―-。その横暴を封じるには、暴力にも屈しない強い意志と、それを支える信仰、そして勇気ある実行力が必要不可欠だ。

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  • from: 21世紀さん

    2010/12/18 11:57:43

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    「Re:憎悪の批判者攻撃」
    学会・公明党批判ビラ配布者に暴行(仮題)

    --------------------------------------------------------------------------------

    (『慧妙』H21.9.1)

    〈小多仁〉小川さんの「政教分離を考える会」では8月18日、警視庁西新井署に「告訴状」を提出されましたね。その告訴の趣旨はどういうことですか。
    〈小川〉概要を言いますと、8月2日午後4時半過ぎころ、「政教分離を考える会」発行の「公明党は創価学会の教義を実現するために作られた政党です」との表題のビラ(通称「NO!池田大作ビラ」)を法華講員のIさんが足立区本木南町において配布していました。付近は人通りのない町並みです。その中で、学会員と思(おぼ)しき者達だけが自転車に乗ってパトロールでもしているような、異様な雰囲気だったそうです。
     Iさんの背後から、3〜5人の創価学会関係者と思われる者が尾行してきました。その異様な雰囲気に殺気を感じたIさんは、「危ない、人通りのいる所まで出なければ」と思い、足早に避難行動を開始しました。
     すると尾行してきた男たちは、後方から傘の先でIさんの背中を強く突き、さらに左側から前方に回り、Iさんの顔面右目部分を突いたのです。それも至近距離からです。
     眼球は脳髄(のうずい)に隣接しています。そこを突き刺されれば、命に及ぶ重症になります。殺人未遂が適用されてもおかしくない暴行傷害罪です。外傷性録内障、(りょくないしょう)および外傷性前房出血の障害を受けたIさんは、東大病院に緊急搬送されて、一時は失明の危機もありました。
    〈小多仁〉それはひどい暴行傷害事件ですね。必ず犯人を捕まえてもらいたいものですね。それで刑事告訴をされたのですね?
    〈小川〉はい。8月18日、警視庁西新井署に、弁護団と被害者同行で告訴手続きにまいりました。(中略)
    〈小多仁〉しかし、今回の事件は、悪質さにおいて、それらをはるかに上回っていますね。ともあれ、ビラ配布を阻止するために集められた学会青年部には、このビラ配布が憲法21条で保障された正当な言論活動であることを、幹部たちから知らされていないばかりか、
    いたずらに憎悪を掻(か)き立てられた上で動員されてきている現状だと思います。

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  • from: 21世紀さん

    2010/12/18 00:15:26

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    「Re:お笑い創価学会信じる者は救われない 」
    テリー伊藤が「お笑い創価学会 信じる者は救われない―池田大作って、そんなにエラ...doragonnnn777さん

    テリー伊藤が「お笑い創価学会 信じる者は救われない―池田大作って、そんなにエライ?」という本を出版しています。

    この本にはどんな事が書かれているのでしょうか?

    . 違反報告.

    質問日時:2008/10/18 22:12:13.
    解決日時:2008/10/19 18:05:29.
    回答数:2.
    閲覧数:680
    ソーシャルブックマークへ投稿:Yahoo!ブックマークへ投稿はてなブックマークへ投稿(ソーシャルブックマークとは)..ベストアンサーに選ばれた回答ohagi_chan2000さん

    第1章 池田大作とはいったい何者か(女性信者が陥る「大奥の心理」;メチャクチャでなければ宗教家にはなれない ほか)
    第2章 公明党議員よ、委員長を選挙で選んでみろ(公明党の政治家ほど楽な仕事はない;反論があるなら池田を批判してから来い ほか)
    第3章 なぜ創価学会は異常に増殖したか(社会という鏡で見つめるのが自己;現世の利益を追求する ほか)
    第4章 出てこい!池田大作(批判するほうにも問題がある;「笑っていいとも」に出てみろ ほか

    レビューをご覧ください

    http://www.amazon.co.jp/review/product/4334781357/ref=dp_top_cm_cr_...

    . 違反報告回答日時:2008/10/19 08:10:56
    .この質問・回答は役に立ちましたか?役に立った!.お役立ち度:6人が役に立つと評価しています。

    ベストアンサー以外の回答
    (1件中1〜1件)


    morokkotakoさん

    買って読めば問題解決なのでは??人に聞くほどの悩みではないような、、(変な人が世の中にはいるものだ〜!!)

    . 違反報告回答日時:2008/10/19 00:35:17
    .

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