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  • from: 三鷹の狸さん

    2005年08月10日 01時52分48秒

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    二度と見たくない映画二本

    『戦場のピアニスト』と『(メル・ギブソンの)パッション』
    この二本だけは、劇場で見終わってすぐ、
    かなり激しい感情の高ぶりの中で「二度と見たくない」と思いました。

    『戦場のピアニスト』では、
    どんな戦争映画や写真や文章よりも生々しく、
    戦争という状況下で、いかに人が人の命を安易に奪ったか、
    という映像を目の当たりにしたとき、私は生まれて初めて、
    戦争映画の画面の中に自分がいるような悲痛な気持ちになりました。
    本当に戦争を体験した方が、
    「もう二度と戦争は嫌だ」と思われる気持ちと、
    自分が一番近い気持ちになったように思いました。

    『パッション』では、もう見せないで、と本当に胸が痛くなるほど、
    十字架で息絶えるまでに受けた苦痛を延々と映像化しており、
    聖書を真面目に読んだこともなくレクイエムを歌っていた私でしたが、
    映画を見た後数ヶ月間は、
    Credoの中のCrucifixus 〜 のあたりで涙が込み上げてしまいました。
    (モーツァルトの戴冠ミサを練習中だったのです)

    高校時代の私は生物部に所属し、今から思えば、なかば遊びの感覚で
    何匹ものマウスや食用蛙を飼育し、そして、
    「実験のため」という大義名分で解剖し、
    でも、いえ、だからこそ、
    合宿等では先輩達と夜を徹して「命というもの」とか
    「命を奪う、ということ」について大いに議論したものでした。
    それからウン十年経った今、
    脳の科学がかなり進歩してわかってきた情報等に触れるたび、
    高い知性を持つ人間も「一種の生物」としての「本能」に
    無意識のレベルで行動を支配されているのではないか、
    という観点から人の行動をとらえるようになり、すると、
    複雑に思えていたことや悩んでいたことに対して
    結構安易に理由付けが出来たり、諦めがつくようになりました。
    でも、人が人を傷つけたり、命までをも奪うことに関しては、
    どうしようもない気持ちになるばかりです。

    8/6、広島原爆投下のこの日、「カルミナ・ブラーナ」を歌いました。
    カルミナ・ブラーナは、「世俗的カンタータ」という面ばかりが
    印象づいているようですが、
    オルフが何故、1936年という時代に
    13世紀の修道院僧が厳しい束縛の中で詠んだ
    うっぷん晴らしのような開放の詩歌集を取り上げて作曲したか、
    ということに思いを馳せると、
    第25曲として第1曲を再び歌うとき、
    私の中では、音楽的な昂揚とは別の熱い思いがほとばしっていました。

    もう日付は変わりましたが、
    8/9、長崎原爆投下をとりあげたテレビ番組や、
    三澤先生の今日この頃の中の「怒りのマタイ」というお話に
    なんだか先の二本の映画が思い出され、
    長々おしゃべりしてしまいました。

    最後になりましたが、
    暑中お見舞い申し上げます。
    あぁ、もう、
    残暑お見舞い申し上げます。
    なんですねぇ。
    そんなところに勝手に熱い話でお邪魔し、ごめんなさい。
    アイスノンで頭冷やして熟睡に入りマース。

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コメント: 全3件

from: ピョン吉さん

2005年08月12日 22時48分37秒

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「 Re:夏に想うこと」
話題はパスタと映画に行きたいところですが、
(昨日書き込んでおけばよかった)
お二人のやり取りを読んで私もちょっと書きたくなったことがありました。
ほんのちょっと、お付き合いください。

先日、原爆を開発し広島への原爆投下の瞬間に立ち会った科学者が、
広島を訪れる番組を視聴しました。

番組で印象的だったのは、
被爆者の、
「無差別に大勢の市民を死に追いやり広島を地獄と化した原爆を開発したあなたは、
 投下の瞬間に何を思ったか、この瞬間に何が起こっているか想像しなかったのか・・・」
という科学者への問いに、

「被爆者には同情するが、戦争だったのだ」と言い切り、
「原爆は、戦争を早期に終結させるためにやむを得ない選択であり」
「我々の国に『パールハーバーを忘れるな』という言葉がある、
 先にはじめたのは日本人なのだ、
 恨むのであれば戦争を始めた人を恨め」

と返す言葉に、戦争が人々の憎しみや深い悲しみを伴う記憶から、
歴史へと変わるには60年では短いいのか、
と、暗澹たる気持ちになりました。

そして昨日、先の戦争で市街地への空襲がいかに行われたかの番組を視聴しました。

「市民に対する空爆は違法である」
という無差別攻撃を違法とした国際法があり、
空軍パイロット達はそれを十分理解し、遵守しようとしながら、結局最後は、空爆に踏み切った経緯。
アメリカやイギリスが行った日本やドイツに対する空襲の決定の際、
「市民に対する爆撃ではなく、戦略上の重要拠点に対する爆撃である」と
自らを正当化し続けたのだという。

その番組を視聴しながら、
理念の実現や理性を堅持した戦争などありえないのだと、
正義の戦争といいながら、実態は結局のところは殺戮の繰り返しなのだと、何十回目の再確認をすることになりました。

私は戦後に生まれ、
戦争に直接参加することなく(加担することなく、とは言わない)
戦後60年を享受してきた一人です。

戦争を記憶し、忘れないようにしてきた、
戦争を経験してきた人たちとそれを自分のことのように理解してきた人々の弛まぬ努力の賜物であることを、

戦後、あまりに多くの戦争が起きているというのに、
どこか遠くの世界のこと、TVの中の出来事と感じて、
私達が戦争をしないのはあたりまえで、
目を凝らさないとそれがどんなに幸せで、恵まれていていることなのか、
そういったことを
自覚することが努力がいるほど
平和な生活を過ごしている一人です。

そうして、
核兵器を持たないとはいえ、米国の核の傘の下、庇護されて存在してきた戦後の日本。
戦争と無縁なのは、もしかしたら幻想なのかもしれない・・
もし、戦争をしなければならないことになったら、
今の平和への想い、不戦の誓いをかなぐり捨て、
戦争だから仕方がないと理由付けて、戦争することになるのでしょうか。

そうじゃない。
少なくても、私達は、
先人の残した作品に触れるたび、いろいろな想いに駆られ、
自分の中に何かを見つけ、何かを感じ、
その想いを演奏にこめることができる。

お二人のやり取りを読んで、
何か温かく、力が湧いてくるように感じました。
そして、きっとこのラウンジを訪れている沢山の方も
大なり小なりいろいろな想い込めて、演奏をされているのだろうと
と思います。
だから、私は合唱を続けているのだと思います。

今日は、日航機墜落事故からちょうど20年です。
あの日のことは今でも鮮明に覚えています。
亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りいたします。

今生きていること、
これから生きていくこと、
そんな言葉が心を片隅を占めているのは、
夏だからということもあるのかもしれません。

今日はいくらか暑さも和らいでいたのに、
すっかり熱く、長くなってしまいました。
明日は、パスタと映画で参加しまーす。

ピョン吉

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from: 三鷹の狸さん

2005年08月11日 17時42分11秒

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「Re:別の熱い思いについて」
8/7の戦争レクイエム、私は客席参加しておりました。
出来がどうだった、こうだった、
なんてことを口に出すこと自体がばからしく思えるほど、
この演奏会のためにご苦労されてきた方々、努力されてきた方々の
真摯な思いが伝わり、
まさに、ブリテンが音楽という表現芸術の力を、正攻法を持ってして
アピールしたかったことを再現した演奏会というように感じられました。

このブリテンの正攻法とは全く違ってはいるものの、
オルフがカルミナで、最終曲に配置した第一曲目、
運命は回る、と歌い始めたら、
全人類の運命、一つの国の運命、自分という一人の人間の運命、
のことがどっと頭の中を駆け巡り、
(例えば、いまだに北朝鮮のような独裁者のいる国が存在すること、等)
音楽の昂揚とは別の「熱い思い」が噴出した次第です。
私は、カルミナ本番近くまで、
オルフが現代作曲家であることすら知らず、まして、
カルミナが1936年、ミュンヘンで作られた作品であること、
その頃のミュンヘンはナチズム最盛期に入っていたこと、
を知って、大いに驚いたことを加味していただければ、
なぜ「熱い思い」にかられたか、は容易にご想像がつくものと思います。

またまた重苦しい話になりましたが、
鰻の話に乗れなかったこと、ちょびっと悔しかったので、
次回は、美味しいパスタ初体験の話でお邪魔したいと思っています。






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from: michael3さん

2005年08月10日 12時19分59秒

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「Re:二度と見たくない映画二本」

> 8/6、広島原爆投下のこの日、「カルミナ・ブラーナ」を歌いました。
> カルミナ・ブラーナは、「世俗的カンタータ」という面ばかりが
> 印象づいているようですが、
> オルフが何故、1936年という時代に
> 13世紀の修道院僧が厳しい束縛の中で詠んだ
> うっぷん晴らしのような開放の詩歌集を取り上げて作曲したか、
> ということに思いを馳せると、
> 第25曲として第1曲を再び歌うとき、
> 私の中では、音楽的な昂揚とは別の熱い思いがほとばしっていました。

michael3と申します。ちょっとお休みをいただきましたが、コーラスのメンバーで顔をみればすぐにおわかりかと、、、

さて、カルミナについての上の文章を読ませていただき、考えるところがありまして、お便りを出させていただきました。なにせ理解力に乏しい私ですので、最後の三行の部分、音楽的昂揚とは〜のところが、そうなのだろうなあ、と思うのですがなぜか判然といたしません。
何を隠そう、自分は7日に五カ国共演ブリテンの戦争レクイエムを歌いました。戦レクはもちろん字のごとくの曲ですが、カルミナも作曲時期や、内容(1曲目と25曲目)を考えますと、当時の大戦が少なからず、作曲の動機付けになったのかなあ?などと考えたのです。

ちんぷんかんぷんな疑問を書いたかもしれませんので、いろいろ指摘していただけますと幸いです。

60年目の夏に二回の平和巡礼(広島長崎)をTVで視聴し、戦レクを歌わせていただきましたことは幸いでした。

次はメサイアに祈りをこめたいと思います。

暑さが厳しい最中ですが皆様お元気でお過ごし下さい。

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