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from: consolationsさん

2009年11月15日 09時29分40秒

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チャイコフスキー 弦楽四重奏曲第1番 …アンダンテ・カンタービレ

室内楽曲は、小編成で、交響曲、管弦楽曲とは、また違った魅力があります。しばらく、室内楽曲を聴いていました。これまで、室内楽を本腰入れて聴いていないこと

室内楽曲は、小編成で、交響曲、管弦楽曲とは、また違った魅力があります。
 しばらく、室内楽曲を聴いていました。
これまで、室内楽を本腰入れて聴いていないことや、
いい曲だと思っても、表現するのが難しく、なかなか文章を作れずにいました。

そこで、編み出したのが、標題・題名つきの室内楽を、一通り聴いて行く方法です。


ハイドンの「皇帝・日の出・ラルゴ」、モーツァルト「不協和音」、シューベルト「ます」、ベートーベン「ラズモフスキー」など、

そこで、今回は、アンダンテ・カンタービレで親しまれている名曲を紹介します。


1865年、チャイコフスキー(25歳)は、ペテルブルク音楽院を卒業し、ニコライ・ルビンシテインの要請で、彼が創立したモスクワ音楽院の教師となります。
 教師のかたわら、作曲の実力もついてきたチャイコフスキーに、ルビンシテインは、自作のコンサートを開くよう薦めます。

 小さなホールでの、開催で、それに合わせた楽曲をということで、急いで作曲したのが、弦楽四重奏曲第1番です。

 その第2楽章が「アンダンテ・カンタービレ」で親しまれています。

すぐに作曲したとは思えないほど、曲は歌に満ちています。

室内楽一般は、2名から数名のやりとりで、
私は、どうも緊迫感を感じてしまいがちですが、
この第2楽章は、ゆったりと音楽が流れるところがいいと思います。

確認用↓
http://www.youtube.com/watch?v=ol3Ula4HemQ

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from: マジックバトンさん

2009年11月15日 13時26分18秒

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「Re:ヘンリーフィルモア 」
> ヘンリーフィルモア さんという最近の 作曲家?でしょうか?
http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Fillmore

Wikiからなので正確かどうかはわかりません。
和訳サイトにぶち込みまして若干直しました。以下

ヘンリーフィルモア(1881年12月3日-1956年12月7日)、アメリカの音楽家、作曲家、編曲者でした。

作曲家、フィルモアは250曲以上を作曲、何百以上の管弦楽編曲をし、たくさんの曲を発表しました。マーチとサーカスマーチで最も知られている一方、彼もワルツ、フォックストロット、賛美歌等も書き、主に序曲とワルツを書きました。

ジェームズヘンリーフィルモアJr.は、オハイオのシンシナティで5人兄弟の一番上として生まれました。青年時代に、彼はピアノ、ギター、バイオリンとフルートに熟達しました-スライドトロンボーンと同様に、そしてそれは彼の保守的な宗教的な父がそれを荒々しくて罪深い器具と信じたので、最初は、彼は秘密に遊びました。フィルモアは、男の子としての彼の教会聖歌隊のための歌手でもありました。彼の初の発表された行進「ハイアム」(一連の金管楽器の名をとって名づけられる)と、彼は18時に創作し始めました。フィルモアは、1901年にCincinnati Conservatory of Musicに入りました。後に、彼はMabel May Jonesという名のエキゾチックなダンサーと一緒のサーカスバンドマスターとして、アメリカ合衆国を旅行しました。彼らは、聖ルイスで結婚しました。

1920年代には、Shriners Temple Bandを運営して、彼はシンシナティに戻っていました、そしてそれは、彼は国で最高のマーチングバンドのうちの1つに変わりました。

フィルモアの最も有名な作品は以下を含みます:
* The Footlifter
* Americans We
* Men of Ohio
* His Honor
* The Klaxon
* Miami (March)
* Lassus Trombone
* (We're) Men of Florida
* Military Escort
* Mt. Healthy
* The Crosley March
* Noble Men
* Rolling Thunder March
* The Circus Bee
* King Karl King

フィルモアはTrombone Smear(?適切な訳語が見つかりません)の父として名声を得ました。そして、Miss Trombone、Sally Trombone、Lassus TromboneとShoutin' Liza Tromboneを含む「Trombone Family」と呼ばれているTrombone Smearを特徴としている一連の15曲の目新しい曲を書きました。これらの数には、強いラグタイム影響があります。

フィルモアのトロンボーンラグの全ては、以下の通りです:

* Miss Trombone (1908)
* Teddy Trombone (1911)
* Lassus Trombone (1915)
* Pahson Trombone (1916)
* Sally Trombone (1917)
* Slim Trombone (1918)
* Mose Trombone (1919)
* Shoutin' Liza Trombone (1920)
* Hot Trombone (1921)
* Bones Trombone (1922)
* Dusty Trombone (1923)
* Bull Trombone (1924)
* Lucky Trombone (1926)
* Boss Trombone (1929)
* Ham Trombone (1929)

ヘンリーフィルモアは、H・ベネット、レイホール、ハリーハートリー、アルヘイズ、最も楽しいものとしてはヘンリエッタムーアのような一連の異なる名前を曲名にしました。その名前は彼の州と地域に住んでいたマーチの作曲家Will Huffの曲とかぶります。

1938年に、フィルモアはマイアミ(フロリダ)へ退きました、後にフロリダでハイスクールバンドを組織し、それは活動し続けています。the Band of the Hourを含む、マイアミの大学の演奏団体の多くのためのリハーサルホール、ヘンリーフィルモアバンドホールが、フィルモアのバンドジャンルの作品の貢献により今日建っています。そこで、彼は彼の最終的な作品(「President's March」)を書きました。フィルモアは、南部フロリダでの余生を過ごしました。

ああ、めちゃくちゃな和訳・・・orz

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