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タイ!タイ!行きタイ!住みタイ!語りタイ!

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  • from: てらちゃんさん

    2006年12月26日 12時45分26秒

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    津波を被災してみて


     タイに大津波が押し寄せてから今日で、丁度丸2年になりました。
    僕は、この津波に遭遇しました。今まで誰にも話した事の無い事をあえてお話します。


     タイに住み始め、1年間のタイ語学校が終わり、帰国までの数日間、自分への褒美で相方を連れてクリスマスを、クラビの海へ遊びに行きました。

     クリスマスの夜シーフードを食べながら、相方と明日どうするかを話しました。
    僕の意見は「日帰り強行でピピ島へ行く」でした。クラビ10時発ピピ11:30着、1時間半後戻る、強行の船旅です。翌朝、体は何も問題が無いのですが、やる気が無い状態でした。大好きな海でこんな事初めてでした。ピピ島行きを諦め、相方は「近くの島に行きたい」と言いますが、何か変な状態なので、レンタルバイクでクラビのあっちこっちの海岸に行く事にしました。

     クラビ西部のクローング・ムアングビーチからレンタルバイクで山越えをし、
    2004年12月26日昼11時ちょっと前、パナング・ビーチの海岸通りを走行中津波に遭遇しました。海水が腰まで押し寄せ、相方と4本の足でバイクを支え、転倒だけは免れました。しかし、3m先に走っていたおばちゃんは転倒後道路にこすられ、血だらけになり、まず怪我の具合を見て、「大丈夫」と言うのでぐちゃぐちゃのバイクのエンジンが掛かるようにし、別れました。そして直ぐ「また来るぞ」と叫びながら内陸部に移動し、情報収集をしようとしました。
     直感で直ぐ津波だと解かりました。もし、津波だとすると、大分前に地震が有り、ニュースでやってるかも知れない、何も解からないと二次災害に巻き込まれるかもしれないと思い、「真実」を知りたかった、「確認」したかったのです。
    「津波」と僕は判断しましたが、確証が無いので、その後何も出来ませんでした。
    タイ人に「どこかで地震が有り、大きな波ができ、そして来た」(タイ語でこのようにしか言えませんでした)と説明しましたが、「地震」は理解してもらえましたが、「地震が有ると、何故、波が起こるか」を理解してもらえず、そして僕は「津波」のタイ語を知りませんでした。
    ですが、今回の件でタイ人は「スナミ」=津波を、誰もが知るようになりました。
    クラビの町は停電になっていて、テレビ・インターネットが使えず、乾電池式ラジオだけが頼りでした。そこから流れてくるのは、日本で言う「歌謡曲」ばかりでニュースが一向に流れませんでした。
    仕方ないので、バンコクに居る友達に電話し、テレビのニュースで津波または地震をやってないか、問い合わせをしました。その電話中、津波第1波で海に居た人を心配するあまり?地元民が海岸に押し寄せ、第1波から約4、50分後、更に大きな第2波が来ました。海辺に有る商店の一階の屋根を越えて水しぶきが上がるのが見えました。「あ〜!やっちゃった」足ががくがくしました。「叫んだのに!!」
    多分ここでは、第1波で亡くなった方は少なく、第2波で巻き込まれた人が非常に多かったと思います。
    僕は、頭の中で「これは、地震による津波?」「自分は何をしたら良いか?」「海へ行って手助けをしようか?」「また津波が来て命は有るか?」「逃げようか?」・・・・・・・・。
    予約したバスの発車時間まで4時間半、状況が全く解からないので「逃げる」選択をしました。
    それが、「人間として良くない選択」だったのか、未だに解かりません。
    「自分がかわいいから」「無責任」と言われれば、返す言葉も有りません。バスも変更するか、買い直す事もできました。
    ゲストハウスをチェックアウトをして、バスターミナルまで行くソンテウ・モーターサイが総て乗車拒否。海へ向う車の渋滞、海と反対に歩いて向うと、追い抜いていく家財道具を一杯に運ぶ車(自分の?それとも?)。約1時間炎天下を歩き、ヒッチハイクでやっと一般の自動車に乗せてもらいバスターミナルへ。その荷台で「戻ろうか?」「僕の判断正しいか?」を考え続け、途中警察の検問・通行止め、来た時と全く違う道路事情。おかげで車に乗ってから2時間掛かりバスターミナルへ。そこで初めてインドネシアで起きた地震を知りました。(津波約6時間後)
    津波があと10数分前に来ていたら、海辺に居た僕と相方は完全に巻き込まれました。
    10数分の差!生死を分けたであろう時間。・・・・・・。
    もし、ピピ島に行っていたら・・・。近くの島に行っていたら・・・。
    バスに乗ってから、僕がクラビに来ている事を知っている、タイ語学校の先生、友達からじゃんじゃん電話が来ました。有りがたいのですが、「大丈夫です」で電話を切り、しゃべりたくありませんでした。
    翌27日早朝バンコクへ、そしてその夜日本へ戻りました。

     僕は、このサイトに書こうかどうか迷いましたが、忘れるよりも、嫌な思い出だけど受け止め、人生の糧?教訓?(上手く言えません)にしようと思い記載させてもらいました。
    僕は、日本でさえ、津波に遭遇した事が無いのに、初めてが「タイ」。タイで津波の心配なんてしてもみませんでした。当然タイに居た人達も同じだと思います。なので、被害が更に大きくなってしまったと思います。いつでも心構え、対応を前もって考えておかなければ!と思いました。
    この津波での被災地は、大分観光客が戻ってきているようですが、日本人だけ行きたがらない?場所になっているようです。僕は、まだクラビに再度行っていませんが、その他の被災地には行きました。次回観光ビザがもらえたら、クラビとピピ島(津波被害の酷かった所)へ花を手向けに行こうと考えています。
     でも、未だに自分の心の中で何かが引っかかっています。「第1波後の自分の行動」「第2波後の行動」「現場を立ち去った行動」は、「人として最良の選択」だったのか?
    考えても考えても、解かりません。


     僕がこの津波で感じた事(個人的な意見です)

     人工物(家・車・電柱・船・人が組上げた石など)が波により、流され、人間に向ってくる事が非常に危ない。そして、この人工物と家や木や地面にでも挟まれたらアウトです。
    もし、人が流された場合、無意識に何かに捕まると思いますが、そうしたら、凶器(人工物)が飛んできて、危なさが増します。捕まらず流された方が良いかは、解かりません。
     海岸に木が植わっていた所は、木がほとんど倒れず、流されてきた船を受け止めていました。
    観光の為かもしれませんが、公園のような物を作るより(凶器になる)、木を植えたほうが絶対良いと思いました。
     もし、津波に遭遇した場合、内陸部や高台に逃げるしか思いつきません。
     また、海の水深が有る所では、船に乗ってても被害が少なかったそうです。しかし、水深が浅い場所に居た船は、被害がひどかったそうです。この部分は運次第になりそうです。

     タイにたった3年住んで、「津波」・「パティワット」(革命)・「戒厳令」を経験しました。
    日本で長年住んでいても、経験した事が無い事尽くめ。この3つを経験しないで人生の幕を降ろすのが普通なのかもしれません。でも、起きてしまった事は、受け止め1つづつ対処していかなければなりません。
     この文章を読んで頂いた方が、何かを感じ、こうした方が良いなどの参考にでもして頂けると幸いです。


     この写真は津波第1波の後です。ここの海岸は丁度干潮で、堤防から約100mぐらい水が引いていて遠浅の海岸。そして、堤防が約1.3mの高さが有り、この道路が有る状況でした。
    丁度海岸整備中で、堤防・公園などを作っている最中、なので堤防の石がまだ固定されていなく、打ち上げられました。重さ1tぐらいの石まで流されました。(挟まれたら・・・)
    この商店の屋根を越えて水しぶきが上がるのが見えました。(第2波)
     そして、堤防は津波後30cmの段差しか無くなりました。砂が1mぐらい堆積したようです。

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コメント: 全2件

from: てらちゃんさん

2006年12月26日 22時42分21秒

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「Re:てらちゃんさんへ」
 まもあんさん有難うございます。

 まもあんさんの言われる通り、今年は「津波」を思い出させるイベントが少なく、僕は少々不満でした。
また、まもあんさんも書かれている通り、最後の身元不明者を埋葬する時の記事の小さかった事・・・。

 観光による収益で東南アジアの国々は、重要なる収益が有ると思います。そこでの「津波」は、観光地における「汚点」になっているのかな?まで想像させてしまいます。事実は事実で受け止め、もし、また災害が起きた時の「教訓」になるようにしてもらいたいと、考えています。特に「天災」は予想を裏切るような形で、起こる様な気がします。その時に自分に何が出来るか?が非常に重要になってくると、思います。
 偉そうな事を書きましたが、でもこの時、僕は「逃げる」しか出来ませんでした。でも今は、同じ事はしないつもりではいます。もう少し何かが出来たのではないだろうか?でもはっきり「これをしなければいけない」までは思いつきません。ですが、前回よりは冷静に対処できると思います。

 忘れたいけど、「忘れてはいけない事」だけは解かったつもりで居ます。二度と同じ鉄を踏まないように、後悔がないように、人生を歩んでいこうと考えています。

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from: まもあんさん

2006年12月26日 17時50分18秒

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「てらちゃんさんへ」
 てらちゃんさんの勇気ある掲載に応援します。
 気持ちの整理の1つとして、ターニングポイントとなればいいのですが。

 てらちゃんさんもご存知の通り、ぼくはバンコク在として当時津波のニュースを追いかけていました。あの日曜日、普段と変わらないかなと思った昼ころ日本の実家から電話。それで知りました。
 用を済ませた後自宅のTVをチェック。
 まだそのときは大きく報道されておらず。
 でもその時は現地では惨劇が。
 プーケットの知人に電話をするのは避けました。電話網が混乱すると思ったのでそこでネットのニュースを追い始めました。
http://mamoang.exblog.jp/1530426/
 それからバンコクから知った現地の情報を日々ネットで送信。
 多くのブロガーの方から応援をいただきました。
 次第に現地の事態が落ち着いてきたので、現地発のブログを応援するように。

 詩という形として、紹介していく企画も行いました
http://ameblo.jp/mamoang/theme-10000092700.html

 当時不満だったのは日本のマスコミの姿勢。
 メディアの整ったタイの映像をインドネシアの説明にも使い、どんどんタイの印象を悪くしてゆきました。被災者はあの映像を見ることがどんなに辛いことか。そしてその後のファオーを報道としてしているのはわずかでした。

 先日の政変に関しては、あっけらかんと落ち着いてしまったため日本のメディアも静まりは早く。報道の姿勢を感じさせられました。

 2年。

 1年前の追悼式は大きなイベントでした。今年は静かな印象です。
 一人一人、今晩、少しでもいいので、南の島、タイのみならず、ほかの国々の人や自然を思いたいですね。


 てらちゃんさん、思い出させてごめんなさい。
 でも変えられない出来事。
 あの時無事に帰ってこられたのは、まだまだしなくてはならないことがあるからと自分の明日に自信を持ってくださいね

まもあん
 

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