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  • from: caminoさん

    2010年08月05日 14時28分04秒

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    抽象的な人々

    3日くらい前の朝のニュース。アーリントン墓地で遺体(200体とか)の取り違えがあったとのことで、その責任者の公聴会の様子が報道されていた。

    刑法を勉強してると「事実の錯誤」という問題があって、これを思い出した。

    ある男が、Aさんだと思って人を殺したところ、殺されたのは実はBさんであった。

    このとき、男が殺すつもりだったのはあくまでAさんだったのだから、B殺害は過失であって、殺人と言えないんじゃないか、という問題意識がある。

    で、もちろんそんな言い逃れは許されない。

    殺人罪とは「人」を殺す罪。
    AさんにしろBさんにしろ、およそ「人」であることに変わりない。男は「人」を殺すつもりで「人」を殺している。したがって殺人罪が成立する。

    法律の世界では個人は「人」として抽象化されることがある。

    埋葬されてる兵士は、これとは全く場面が違う。もちろん。
    遺族は、失った個人その人を追悼している。当然。

    でも、もしかしたら兵士とは抽象化される存在なのかもなと考えた。

    軍隊ってどうなんだろう?
    兵士は名前を持った個人として扱われるのかな。その最期ではどうなのか。

    映画なんかから想像すると、そこには階級と認識票はあっても個性やその人物の背景は意識されないのかもしれない。前線なんかでは特に。そういう余裕は戦地にはないのかもしれない。

    彼は一人の兵士であって個人ではないと、もしそう考えるなら、墓地での取り違えもあるのかもなあと思う。(勝手に)

    一方で自分が埋葬される兵士の側だとしたらどうだろう。

    従軍して、生死を共に運命に委ねるわけでしょう。仲間と。
    今日は友が死に、明日は自分かもしれないという生活。
    勝手に映画のイメージで想像してるんですけど、だったら、自分の死に個性は感じないだろうな。無名の一兵士として死ぬ。抽象的に死ぬ。軍隊でも多分人は抽象化される。そうしないと殺せないもんね。生きれないし、死ねない。

    でもその死は受け容れられるのかもしれない、と思うんですよ。兵士にしてみれば。もし任務や仲間に納得していたなら。

    もちろん命の犠牲を強いた国が取るべき態度としては、最低であるし、遺族の怒りにも完全に同意します。

    ただ、軍隊と兵士に限ったことじゃないかもな。
    個性つったってさ、死は余りに大きい。

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